わたしのこだわりブログ(仮)
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Break Time (一休み)イスファハンの夢 ハーフィズの詩を添えて前回「アジアと欧州を結ぶ交易路 27 イギリス東インド会社(中編)」で紹介したイングランドのペルシア進出。その中「アッバース1世下で始まったペルシアとの交易」の中で紹介したイスファハン(Esfahan)にあるチェヘル・ソトゥーン宮殿(Chehel Sotoun Palace)。1657年に建設された宮殿のフレスコ画には美しい美女らが登場していた。その絵を見て、私は「シーラーズの乙女」を連想した。そこから始まったのである。「シーラーズの乙女」とは? シーラーズ(Shiraz)自体はペルシアの地名であり、古からの薔薇の産地と言う美しい街。さらにそこの女性は非常に美しい。と、ハーフィズ・シーラーズィー(Hafez Shirazi)が詩の中で語ったのである。そのハーフィズ・シーラーズィー(Hafez Shirazi)(1325年~1390年)は14世紀のペルシアの国民的な叙情詩人で、ゲーテにも多大な影響を与えた素晴らしい詩人。詩人の影響もありシーラーズは13世紀にはペルシアの学者・芸術家らにより芸術と文学の中心地となり、「シーラーズの乙女」は「美女の代名詞」となったのである。後でその詩も紹介します。実はハーフィズの詩集(ディヴァーン)は、今もイランでは「ファール(書物占い)」として使われていると言う特殊な詩集。悩みがあるときにパッとページを開き、そこに書かれた詩を自分への助言として受け取ると言うもの。実際、私も詩を読んで「ハーフィズは私の為に言ってくれているのではないか? 」と思うほど心に響く。時代も国境も環境も、境遇さえも超越して納得させてくれる力を持つ? マジカルな凄い詩。一見、ハーフィズは愛と酒と薔薇(バラ)と美しき乙女を何よりも愛でた詩人? と見えるけど、実は人の生き方へのアドヴァィスが卓越している。今を生きる人の不安にも寄り添えちゃっている詩。だから「書物占い」と言うのも「なるほど」なのである。「夜が深ければ深いほど、夜明けは近い」「外の嵐がどれほど激しくとも、汝の魂が平穏であれば、幸運は自ずと門を叩く」「嵐のなか、静かに目を閉じて己のなかのバラ園を歩め」「嵐のなか、一粒の種を地に託し、あとは天の恵みを待つのみ」嵐のただなかでジタバタしなさんな。疲れるだけで無駄。今は静かに動ける時を待つ。それが最も賢いよ。といなしつつ、忍耐を示している。さすれば、必ず未来は開ける・・とも・・。「この苦しみも、あの喜びも、すべては過ぎ去り、消えてゆくもの。」「心の庭を掃き清め、静寂を招き入れなさい。」仏教の教えの「無常」や「因縁」に近いとも思った。またハーフィズ・シーラーズィー(Hafez Shirazi)は非常の頭の良い人で、聖典なども完璧に頭に入っていたから誰も彼を論破する事ができなかったと言う。何しろお酒がダメなイスラム教徒なのにお酒をすすめるのはこれいかに? である。もしかしてシラーズの乙女を意識してこの壁画は描かれたのではないか?※ ハーフィズの美女にはホクロなどの特徴があるはずだが壁画にそれは見つけられなかった。が、東洋的壁画に当時の職人らが、有名なハーフィズの詩をモチーフに理想の絵を描いた可能性は捨てきれない。素敵な絵でもあるし、今回チェヘル・ソトゥーン宮殿の他では紹介されていない壁画をハーフィズの詩を添えて載せてみようと思ったのだ。最も、壁画と言うよりは詩人の紹介の方がメインになったかもしれないところで、現在進行形で騒がしい中東情勢。そもそも、これを載せる予定段階で戦闘は行われていなかった。(遅くなったけど昨年から計画していた。)何てタイムリーになってしまった事か・・。テヘランだけでなく、イスファハン近郊での攻撃も取りざたされている。どうもよりによって「ウラン転換施設」や高濃縮ウランなどの貯蔵が指摘される「地下核施設」がイスファハン近くにあるらしいからだ。まさに爆心地。イスファハン(Esfahan)はかつてのイランの都だった場所。とりわけ最も栄えた王朝の元、世界で最も美しいと称される都があった場所。その美しい街の建物は世界遺産となって今も健在だ。(最近の戦闘の影響が心配されるが・・。)イスファハンに都を遷都し、美しい街を建設したのはサファヴィー朝(Safavid dynasty)全盛期の王アッバース1世(Abbas I)(1571年~1629年)(在位:1588年~1629年)なのである。前回「アジアと欧州を結ぶ交易路 27 イギリス東インド会社(中編)」で紹介しているが、イギリス東インド会社はアッバース1世と取引してペルシアにかかわる事になった。)そのきっかけの一つが長年ホルムズ海峡の利権をにぎっていたポルトガルからのバンダレアッバースとホルムズ島の奪還。つまり、ホルムズ海峡をペルシアの手に戻す戦いの協力をイングランドがしていたのである。イギリス東インド会社はペルシアに軍船を出してアッバース1世の軍隊を運びペルシア軍を勝利させた。歴史的にペルシア湾の入り口、ホルムズ海峡は因縁の場所なのだ。かつては、ホルムズを制した者がペルシア湾をも独占したのかもしれないが、今は違う。ペルシア湾岸には他に国もある。ホルムズ対岸のオマーン政府はイランの通行税を折半しようと言う提案に反対している。「ホルムズは自分たちの物ではない。」と。それでもホルムズを閉鎖して世界経済を人質にするイランの姿勢は、非難されるべき事だと思う。チェヘル・ソトゥーン宮殿(Chehel Sotoun Palace)はアッバース1世の為の宮殿。彼の存命中には完成できなかったが・・。チェヘル・ソトゥーン宮殿は、前回「シャー・アッバス1世(Shah Abbas I)がウズベク王のワリ・ナドル・ムハンマド・カーン(Wali Nadr Muhammad Khan)を迎える図」を紹介している。リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 27 イギリス東インド会社(中編)これらのフレスコ画はかなり昔の写真からひっぱり出したもの。撮影以降に修復が進んでいるかもしれない。ハーフィズを連想すると同時にこれらの絵に東洋の影響を感じる。サファヴィー朝の時代、ペルシアでは中国の陶磁器や絵画が人気。「シノワズリ(chinoiserie)」のブームがあったらしい。それ故、絵師らが、東洋の「細い目、ふっくらした頬、流れるような衣の線」などがペルシア独自の美意識と融合して完成された絵と言えるのかもしれない。優雅に横たわり、思索にふける女性。ハーフィズ・シーラーズィー(Hafez Shirazi)(1325年~1390年)は。美しい女性とバラと酒をこよなく愛した。かのシラーズの乙女がわが心を受けるなら、その黒きホクロに代えて私は授けるサマルカンドもブハーラーも「もしも、あのシラーズの美しき人が、私の心を受け入れてくれるなら。彼女の頬にある、あの小さく黒い『ほくろ』ひとつのために、私はサマルカンドもブハラ(当時の二大都市)も、この世界のすべてを捧げよう。」※ 当時の王様が「苦労して手に入れた街を、女の黒子一つと比べるのか!」とハーフィズに怒ると、「その浪費癖のせいで、私は今こんなに貧乏なんです」と切り返して王の笑いをとったと言ういつわがあるとか・・。黒子一つに街を捧げる情熱。以降のペルシアにおいて「黒子(ホクロ)」は「美の印」となりペルシア文学に影響を残したと言うのもうなづけます。もっともそれは国民みんなが尊敬する偉大な詩人ハーフィズが言ったからですが・・。サキよ残りの酒を酌め、天国にても求めえぬのはルクナバードの流れの騎士とムッサーラーの花園「さあ、サキ(給仕)よ、最後の一滴まで酒を注げ!天国にさえ、ルクナバードの清らかな流れや、ムッサーラーの花咲き乱れる遊歩道のような美しさは、二度と見つからないのだから。」ああ、都を騒がす陽気で優美な歌姫たちはトルコ人が食盆(ハーン)を奪うがごとくわが心から忍耐を奪った「ああ、この街を騒がす陽気で美しい乙女たち。彼女たちが鮮やかに心を奪っていくさまは、まるでトルコの略奪兵が、目の前の豪華なご馳走をさらっていくかのようだ。私の心には、もう一欠片の忍耐も残っていない。」恋人の美に我らの欠けた愛はいらぬ。麗しい面に脂粉やホクロ、描き眉が要ろうか「完璧な美しさを持つ恋人に、私たちの不完全な愛など必要ない。美しい素顔に、おしろいや紅、描き眉などの飾り立てが一体何になろう。光り輝く面に、人工の飾りはいらないのだ。」日に増すヨセフの美から私は知る愛が貞淑の帳からズイラーハーを誘い出すと「私は知っている。あのヨセフ(※旧約聖書の美青年)の美しさが日に日に増したからこそ、ついに愛の力は、貞淑なズライハ(※彼に恋した貴婦人)をその慎みのベールの外へと誘い出したのだということを。」※ ヨセフスとズライハはペルシア文学で最も有名な「禁断の恋」の象徴。「あまりに美しいものを見ると、人は理性を失って追いかけてしまう」という人間の本質を歌っているらしい。罵られ、呪われても、私は祝福を与えよう苦い応えは甘く紅の唇にこそふさわしい「たとえ君に罵られ、呪われようとも、私は君を祝福しよう。その甘く紅い唇からこぼれるのなら、たとえ苦い言葉であっても、それは何よりもふさわしく美しいのだから。」※美女にはめっきり弱いようですね。好き人よ、忠告に耳を傾けよ、生命にもまして幸福な若人たちが愛するは老いた賢者の金言「愛する人よ、私の忠告に耳を傾けておくれ。自分の命よりも大切に。幸福な若者たちが最後に愛するのは、いつの世も、経験豊かな賢者が残した金言なのだ。」楽師や酒について語り、運命の秘密を探るなこの謎は知性では解けず、解いた者はない「ただ音楽と酒について語り、運命の秘密を暴こうとしてはならない。この世界の謎は、知性で解けるものではないし、かつて解き明かした者もいないのだから。」※知性だけで全てを解こうとすると苦しくなる。**「答えの出ない謎は、音楽と酒(楽しみ)で包んでしまえ」**というハーフィズの楽天主義は、現代の私たちにとっても究極の癒やし?ハーフィズよそなたは抒情詩(ガザル)を作り白珠を綴った、さあ楽しく歌えそんなたの詩に大空は昴星(スバル)の頸飾りをまき散らす「ハーフィズよ。お前は美しい抒情詩(ガザル)を紡ぎ、まるで真珠を糸で綴ったかのような調べを作った。さあ、高らかに歌うがいい。天の神々がお前の詩に感じ入り、その首飾りの真珠(昴の星々)を空から惜しみなく撒き散らしてくれるだろう。」※ 本文は東洋文庫 ハーフィズ詩集 黒柳恒男 訳 を使用。それをAIでさらに解り易い現代語に訳し直してもらったのが下段の訳文です。「愛しい人の面影が、心という名の鏡に映っている。 サキ(給仕)よ、杯を回せ。我らが愛の調べは、竪琴の弦が震える前から、すでにこの宇宙に響き渡っていたのだから。」ターバンを巻いた美青年のサキ(給仕)が、優雅な手つきで黄金の杯に葡萄酒を注ぎぎ女性を見つめる。「私の心の望みは、ただ一つ。愛しい人の傍らで、静かに杯を交わすこと。たとえ宮殿の壁が崩れようとも、この一瞬のまなざしの中にこそ、永遠の王国がある。おお、ハーフィズよ。この酔いは葡萄酒のせいではない。ただ、愛という名の香りに包まれているだけなのだ。」「サキ(給仕)よ、私の手にあるこの杯に、天上の川の流れよりも清らかな愛を注いでくれ。我ら二人の間に、言葉はもう要らぬのだ。そのまなざしこそが、古(いにしえ)の写本よりも深く、この宮殿の壁に刻まれた、永遠の愛の署名なのだから。」どのページを開いても何となく、納得する言葉が紡がれている。女性の美しさをうたいながら、実は教訓を語る。正直、そもそもの訳語も難しいから完全解読したいならAIの力が必要。特に巻末近くの詩は「運命」や「神の計画」について多く歌っていると言うので難易度が高い。AIは、「理解しようとするより、ただその言葉の響きを心に置くのが吉です。」と教えてくれました。それは黒柳恒男 氏の訳が素晴らしいと言うのもあると思う。そんな訳で、何となく、時々読みながら、どうしても知りたいときはAIに訳を頼む。そんな読み方をしています。f^^*) ポリポリ ちょっとお勧めの書です。♡ (*∩_∩)シーラーズ(Shiraz)とイスファハン(Esfahan)とホルムズ海峡(Strait of Hormuz)の位置を地図で紹介今回のイラン攻撃を考える時、イラン革命(1978年1月~1979年2月)まで遡らなければならならない。そうでないと「なぜイスラエルやアメリカがイラン攻撃を始めたか? 」の正しい理解ができないからだ。1979年、イラン革命で革命勢力はイラン国王を追い出し、亡命中であったイスラム教(シーア派)の法学者ルーホッラー・ホメイニーを呼び戻し、指導者として国の体制を変換させた。そもそもこれが失敗であったのだ。イランは旧態依然(1300年前のイスラム教を真理とする体制)に戻されてしまったからだ。今の革命政府は市民の事は全く考えていないし、近隣の友好国を犠牲にしても彼らは目的を果たすのだろう。そもそも、政治家より宗教家が強い国。世界がすすむ中で彼らは逆行し、世界とつながりたい市民と摩擦を生む。彼ら革命政府は世界をイスラムで飲み込みたいのだろう。近隣のフーシ派などのイスラム・テロリストに資金援助もしている。イランは中東でおきるそれらテロの黒幕だった。そんな彼らが核物質を持ってテロリストに与えたらどうなる?今回、アメリカがこだわっているのは「濃縮ウランの回収」。それらがテロリストに渡れば、世界が人質になる。欧州の首相達が報復を恐れて尻込みする中、アメリカは立ち上がった。これはトランプ大統領だからできた事だ。もし他の人が大統領であったら、今までのようにきっとわざと見ない事にしてやりすごしてきただろう。そして欧州のNATO諸国も同じ。彼らはトランプ大統領を矢面にして知らんふりをした。トランプ大統領が非難したのはまさにその事だ。しかし今回は? 実は昨年から艦隊は中東に展開していた。イランの核開発が最終段階に来たから、「マジでヤバイ」と言う所で奇襲になったのだろうと私は解釈した。イスラム革命に話を戻すと、革命前のイランは平和な王制であったのだ。パーレビ国王はイランの未来を案じ、近代国家になるべく、市民に西欧と同じ教育を受ける事を奨励し留学もすすめていた。これがイスラム過激派の逆鱗に触れた。なぜなら、イランではイスラムの坊様が教師を担っていたからだ。親アメリカとウィキペディアに書かれているが、そうではない、パーレビ国王は世界の経済大国に仲間入りするべく、イランを経済も産業も欧米に並ぶ国にしようと古い因習を捨て、国の近大化を計っていた。そんな中でイスラム過激派の抵抗が始まった。国王は不幸な事にガンになり、アメリカで手術を受ける事になっていた。国王はアメリカに行かずイラン国内に残っていたら、さすがの市民も国王を追い出す事はなかったろう。パーレビ国王をアメリカに亡命させたのは当時のカーター政権。国王が亡命した事でイランはイスラム過激派が国を獲り、テロ国に代わってしまった。「カーター政権最大の失敗」と言われる所以だ。※ 当時のNewsweekの記事で読んだと思う。「イランを革命以前に戻す事」がイラン国民の未来なのである。戦争は良いものではないが、イスラエルやアメリカが倒したいのはイラン国ではなく、テロリストの黒幕の政府のみ。彼らは世界を巻き添えにする危険因子だからだ。その意味が理解できないと、今回の戦いの意義は解らないのかもしれない。日本のマスメディアはちんと説明しないから突然攻撃をしたイスラエルやアメリカが非難されているが、ちゃんと理由はある。と言う事です。何はともあれ、私はイラン国民の幸せを願っています。 (( -.-人 女性がヒジャブを被らなくても男性と同等の権利を持って、普通に人として生活できる未来が早く来る事を期待しています。またまた開けてしまいました。実は3月上旬に最初は右足、翌週左足とぎっくり腰がダブルで来まして、痛くて歩行も困難。寝るのも辛い。そんな悲劇的状況で、座ってパソコンに向き合うのも苦痛なひと月を過ごしていました。今もまだ完治はしていなくて、外出予定はほぼ全てキャンセル。痛めて2週間目にプレミア物のコンサートがあり、どうしても行きたかったから、痛み止めを大量に飲んで、甥の運転で出かけたのです。コンサートは最高でしたが・・。「コンサートなんか行ったら悪化するよ。」と言われたけど強引に強行。入院も覚悟の参加でした。当初はハイでこのまま治るかな? なんて思っていたけどやはり悪化? 週5で鍼にマッサージと1カ月を経過してもまだ長く歩くのは辛い。5月の連休明けにキャンセルしていた病院、歯科、美容院、ヨガに加え、クラス会と行事が目白押し。それまでに絶対に完治しなければならない。大丈夫かな? と言う状態で書いてます。内容はほぼ決まっていたけど、痛みで集中力がたもてずやる気も出ず・・でした m(__)m関係リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 27 イギリス東インド会社(中編) チェヘル・ソトゥーン宮殿(Chehel Sotoun Palace)を含むイスファハーンのモスクを載せています。
2026年05月04日
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