わたしのこだわりブログ(仮)

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2009年05月21日
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ベルギーのチョコレートとチョコの歴史

チョコレートの起源

チョコ飲料が飲みやすくなる
チョコ飲料からチョコレートに、そして庶民に・・
ベルギーのチョコレート
ベルギー王室御用達ブランド

チョコレートの起源
メソアメリカ(オルメカ、マヤ、アステカ)と呼ばれる中南米地域一帯の文明社会において、 カカオをすりつぶしたものを薬として飲用 していたのがファーストチョコらしい。
※ 中米のクエリョ遺跡やマヤ文明の地層から、カカオ豆や外皮などが発見されて判明。

熱帯雨林に自生する カカオの木を最初に発見したのは、マヤインディオ だったそうだ。
探検家で、商人のクリストファー・コロンブス(1451頃~1506)が1502年、最後の航海中にマヤ人と会い、彼らの荷物の中にカカオ豆を見付けて手にしているらしいが、残念な事に彼は興味がなかったらしい。

だから? 1519年 アステカでカカオ飲料に会い欧州にカカオをもたらしたのはスペインの、コンキスタドール(探検家にして、征服者)のエルナン・コルテス (1485~1547)となった。

チョコ飲料のヨーロッパ上陸
1528年コルテスがアステカを征服して、、さまざまな略奪品やカカオ豆をカルロス1世(カール5世)に献上。 カカオは、ヨーロッパに知れ渡って行く。
※ コルテスはこれにより、爵位をもらっています。

1606年、スペイン宮廷に出入りしていたイタリア商人カルロッティによりカカオは国外に持ち出され、イタリアへ渡る。

1615年、オーストリア皇女アンヌ・ド・オートリッシュがフランスのルイ13世に嫁ぐ時、チョコレートコックを連れて嫁入りしたらしい。これにより、チョコレートはフランスの貴族の中でも大流行。

1650年頃になるとイギリスには「チョコレートハウス」なる飲料店もオープン。貴族ばかりでなく庶民へも広がる。
100年遅れて1765年カカオはアメリカに渡る。初のチョコレート工場が創業。

チョコ飲料が飲みやすくなる
1828年オランダのコンラート・ヴァン・ホーテンが、カカオから脂肪分を分離させるココア搾り機を発明。
チョコレートを飲みやすくしたそうだ。(日本でもおなじみのヴァン・ホーテンですね。)

チョコ飲料からチョコレートに、そして庶民に・・
1847年ヴァン・ホーテンの技術を用いてイギリスのフライ社が型に流し込み成型したチョコレートを発明。
現在のチョコレートの原型が始めて誕生。

1876年、スイスのダニエル・ピーターが、粉末にしたカカオペースト・砂糖・ミルクにココアバターを加える製法を開発。それまで強かった苦味をおさえた「ミルクチョコレート」が誕生。
※  明治になると、日本にもチョコレートが上陸。大変高価な贅沢品 でした。

1900年、ミルトン・S・ハーシーがチョコレート製造を開始。板チョコの代名詞ともいわれる"ハーシーバー"を発売。多くのチョコレート工場がつくられた時代です。
※ ハーシーズのキスチョコは有名ですね、庶民的なチョコですが、とても美味しいチョコです。
(ロイスのチョコレートの歴史参考)

ベルギーのチョコレート
ベルギーには王室御用達のチョコレート屋がけっこうあります。
ベルギーの ブリュッセルは、古くからチョコレート作りの中心地としてヨーロッパに知られていたらしい

当初、チョコレートの原料であるカカオは、薬と同様 薬剤師にその扱いが任されており、薬剤師のいる店に置かれていたそうだ
一般の菓子店とは区別されていたからノイハウスの創業者は薬剤師だったんですね。なるほど・・スマイル

ところでベルギーでは「ショコラ(chocolate)」とは言わず、「プラリネ(Praline)」と呼びます。
プラリネはベルギーが発祥だからですかね。

ベルギー王室御用達ブランド

Neuhaus   ノイハウス (1857年創業)
         ブリュッセルで薬と菓子を商う店として誕生。
         スイス人の薬剤師であったジャン・ノイハウスは、チョコレートを販売する
         だけでなく、意欲的に新しいレシピを研究し、チョコレートの美味しさを
         極めることに。1912年、3代目のジャン・ノイハウスがナッツ類に飴を
         からませ、ペースト状にしたものをチョコレートに閉じ込めた「プラリネ」を
         誕生させます。今のプラリネの祖です。

Cote d'Or  コート・ドール (1883年創業)
         理想のカカオ豆を追い求め、出会ったのが西アフリカのゴールドコースト
         (現ガーナ)、フランス語で「Cote D'Or」。この地名をブランド名に、
         そしてアフリカの象徴である白像をシンボルにした。

Wittamer  ヴィッタメール (1910年創業)
         美味しいものを一番良い状態で味わってもらいたいという創業者
         アンリ・ヴィタメールの強い信念。また創業以来ブリュッセルの
         グラン・サブロン広場にある1店だけで作り続けてきたこだわり。
         今はたくさん出店していますけど・・。

Godiva    ゴディバ (1926年創業)
         日本でおなじみなので書きませんが、アメリカではゴダイバと呼ばれ、
         日本のようにチョコレート屋さんが多くないので、高級チョコの代名詞的
         なとこがあります。

Galler ガレー (1976年創業)1994年
         異例のスピードでベルギー王室御用達に認定されたチョコレートブランド

Marry マリー  (1919年創業)日本のマリーとは違うようです。ブリュッセルの国会議事堂
         近くのロワイヤル通りにあるようです。


ベルギーには御用達以外にもたくさんのおいしいチョコレー(ブラリネ)屋さんがあります。
どこも自信を持って作っているので、甘みなどの味は好みの部分も大きいと思います。
まずは試して見ることかもしれません。
私の今のブームはこの中ではヴィッタメールです。特にここのケーキも絶品です。(池袋西武デパートに入っている。)

ても今回紹介するのは
Jean Philippe Darcis ジャン・フィリップ・ダルシー
ベルギーの新しいチョコレートのお店です。今回はグランプラスから60mにある店の写真をupしました。

2001年ベルギーチョコレート大会優勝。
2002年のラスベガスでの世界菓子職人権で銅賞。
ダルシー氏は、ショコラ・ベルジュの終身称号を持っているそうで。日本でも一度紹介され、すでに人気のようです。
グランブラス店、日本人もいるので言葉が通じますよ。スマイル
ジャン・フィリップ・ダルシーのグランプラス店

ジャン・フィリップ・ダルシーのチョコレート 1

ジャン・フィリップ・ダルシーのチョコレート 2
値段が見えますか? 今1ユーロ131円くらいです。
ジャン・フィリップ・ダルシーのチョコレート 3
この間これをいただきました。上段のプラリネは2層になっていて、見た目よりもたくさん入っています。
ただ、ラベンダー味とか、アールグレイ味とかの香料系のチョコクリームのプラリネは、私は苦手です。
でもそれは他にはあまりないかもしれない。
全部ほとんど一人で食べきるのは珍しかったです。(ここの所疲れてるからかな?)

このチョコを紹介しようとずいぶん長くなってしまいました。そして、疲れも倍増です。​






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Last updated  2021年10月03日 21時15分49秒
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