わたしのこだわりブログ(仮)

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2009年05月30日
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カテゴリ: 歴史の旅

ローマ水道の水で、浴場を建築!  古代ローマの都には必ず浴場があった!

古代ローマの街 2 (公衆浴場)

古代ローマの公衆浴場
​皇帝の浴場(​カラカラ浴場) ​​カラカラ浴場(Terme di Caracara)
​​ローマの浴場(ポンペイ)​

​​ローマでは水道が発達していた為に古代ローマの街(属州にも)には必ず公共の浴場施設があっ​た​ は冷水浴室、暖気室、温湯室などの入浴施設の他にプールや運動場、劇場があり、今で言うレクリェーションセンター的な所 だったようです。
また、そこでは政治の重要な談義(会議)もなされたり、ローマ市民社交の場として在った。そんな浴場はBC2世紀頃から現れたと言われています。
​人口増加に比例して浴場も増加しているが、さらに驚くのは男性用浴場と女性用浴場があった事。
特に浴場建設は市民からの評判がよく名を残す為に皇帝が建設を進めている。

下は古代ローマの地図 (写真はウィキメディアから借りた地図に書き込み記を入れました)
ブルーで囲ったのが浴場です。
旧城壁内だけでも4カ所。一番下のがカラカラ帝の浴場です。

​​皇帝の浴場(​カラカラ浴場)
ローマの街に最大規模にして、最も豪奢な浴場を建てたのが、通称カラカラ帝 です。
※ 規模の記録は100年後にディオクレティアヌスで帝に破れるが豪華さでは勝った。

通称カラカラ帝、マルクス・アウレリウス・セウェルス・アントニヌス(186年~217年)は、古代ローマ皇帝の一人であり、193年、父セプティミウス・セウェルス皇帝が亡くなると弟ゲタと共同皇帝として帝位に就いた。
※ 実はカラカラ帝の名前は長い。一部をとって呼ばれたりする。だから通称カラカラ(Caracalla)なのである。
​※ 在位期間は211年~217年と短い。(弟とは不仲になり自ら弟を暗殺。)​


カラカラの治世の業績は3つ あり、212年にアントニヌス勅令を発布
属州の全自由民にローマ市民権を与えた事。
銀貨の改鋳を行った事。
​カラカラ浴場として今日も知られる大浴場を建設した事​

非常に民主主義的な皇帝と思われそうだが、実はアントニヌス勅令はもともと税収の拡大を狙ったものであったとされている。しかしこれは結果、逆に税収不足を招き(属州民税が無くなった為)、臨時税の乱発が常態化して初代皇帝アウグストゥス以来の税制は崩壊してしまったそうだ。(カラカラ浴場も税金で造ったのだろうし・・。)
しかも、 在位期間中に大量虐殺を行った為に市民からの評判は悪い。
​しかし、兵士と共に徒歩で行軍し、土木作業にも汗を流し、兵士の給与を上げる(父の遺言)などしたため、軍内部では人気があったようで、政治家としては駄目であったが、軍采は合った? しかし、彼もまた部下に暗殺されて最後を終える。​

カラカラ浴場(Terme di Caracara)  建設は212年~216年。
1600人が収容可能な規模で、庭園を含めると16万m²、浴場だけで3万m²近く
この時代にはすでに数百の浴場があったと言う。
また 浴場は豪奢なのに入場料は安く、兵士や従者は無料 だったらしい。

浴場は将兵に休養と休息の場を与える。市民にとっては娯楽と社交の場となる。それらを皇帝が提供する事により皇帝の人気の支持率を上げる事ができる。 浴場建設は皇帝の支持率に直結する人気のパロメーターになる場所 であった。

下はカラカラ浴場の宮殿見取り図を本から見つけました。 カラカラ浴場見取り図
カラカラ浴場はさながらシンメトリーでできた宮殿のよう である。
一番上が古代の正面入り口。
そして古代の浴場入り口が4カ所。外側の入口は玄関ホールと体育館につながっている。
内側の入り口を入るとフリギダリウムと呼ばれる冷水浴室があり、この左右に脱衣室。
その下にテピダリウムと呼ばれる温湯浴室。
その下の丸いのがカルダリウムと呼ばれる高温浴室。
テビダリウムとカルダリウムの間にスタドリウムと呼ばれる発汗室。
カルダリウムの左右には別室ホール。
広大な庭に出ると競技場があり、その左右に図書館。
一番手前下は貯水槽。左右の半円の所に泉と神殿を備えていて、床はモザイクで覆われている。

建物は「ハイポカウスト」というシステムによって加熱されて暖かく、地下で石炭を燃焼し、水を沸騰させるシステムである。このシステムは19世紀まで使用されていたようだ。

最古のローマ水道と言われるアッピア水道からの取水である。浴場は水の集積と分岐点になる貯水槽の近くに建てられたのだろう。カラカラ浴場はアッピア街道からの延長線上に位置している。 (そこだけカラカラ浴場通りと呼ばれている。)
そもそもアッピア水道はBC312年アッピア街道の建設者としても知られる、アッピウス・クラウディウス・カエクス(古代ローマのケンソル(監察官))の要請によりおそらく街道と同時進行で建設されているようだ。(制作年が一緒)
以前「二度と行きたくない所」の章でアッピア街道の説明をしたと思うが、もともとあったローマとアルバーノ丘陵を結んでいた街道を軍事目的で改修、拡大し敷設した古代ローマの国道一号線である。

ローマの浴場(ポンペイ)

ポンペイは1世紀までナポリ近郊にあった都市国家だが、一夜にしてヴェスヴィオ火山の大噴火(79年)で壊滅した街である。(18世紀に発掘)
それ故、 ​他のローマの都市と違い、異民族による破壊や略奪が後年なかった為に比較的きれいに街は保存されている​
ポンペイには3つの公共浴場がありそれぞれ異なる時代に建てられている。画、浴室の造りに関しては、どの時代も、どこの場所もほぼ同じような造りである。
下は公共浴場入り口近くにある湯浴み用の円形水槽です。
ポンペイのローマ浴場  1水飲み場

下は暖気室で、下に火鉢とイスが置かれている、壁のくぼみは荷物置きで、浴場入り口近くには同じくぼみを持つ脱衣所がある。

ポンペイのローマ浴場  2


縁に座って語り会える場所でもある。
ポンペイのローマ浴場 6 発汗室

下も、水風呂の浴槽?  少し深め。
ポンペイのローマ浴場  3 浴槽

下は浴室の床下の構造です。レンガで積み上げて床下暖房の効果? セントラル・ヒーティングのようなもの?
ポンペイのローマ浴場  4 浴場床下

下は浴場の釜土?  火炊き口である。ここで熱風を床下に送り込むのだろう。(ポンペイも冬は寒いし・・。)
ポンペイのローマ浴場 5
これが、先ほどの説明の「ハイポカウスト」というシステムだろう。燃料は石炭だろう。

こんな所がとりあえずローマの公共浴場と言う物である。いわゆるトルコ風呂もこれと同じ造り(今は燃料など近代化されていると思うが)である。

ローマ水道前に簡単に浴場にふれようと思ってカラカラを書いていたら大変な事に・・。写真も見つからないし、しかも情報が少なくて、集めてまとめるのに苦労した。
実はローマ水道も資料が意外とないので、ジグソーのようにあちこちから集めてきてパズルする事になりそうである。






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Last updated  2020年08月05日 02時11分58秒
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