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実在の人物なのか? イエス・キリストの母の家がトルコのエフェソスに残っている・・と言うのをどれだけの人が知っているだろう![]()
キリスト亡き後、聖母はどうなったか?
実際、使徒ヨハネが面倒を見ることになった。・・とは私も知りませんでした。
聖母マリアの家とマリア崇敬
ヨハネとマリアの行方
ヨハネの故郷エフェソス
聖母(Madonna)マリアと聖母崇敬
聖母被昇天
聖ヨハネの福音書によると キリストはその死にあたり、聖ヨハネに「そなたの母なり」とマリアを指し、マリアに向かって「女よ、これが汝の息子なり」と聖ヨハネを指した
とされている。
ヨハネとマリアの行方・ ・ウワサ
聖母マリアを託された
ヨハネ
はキリストの死から4年 or 6年後に 短い期間ではあるが
トルコのエフェソスを訪れ滞在していた家
がある
・・
とされていました。
また、パトモスに流刑されていたヨハネは、 黙示録を書いた後(エフェソスのマリアの家に帰った
・・・
とされています。
※ ヨハネがパトモスに流刑されたのは11代皇帝ドミティアヌス(在位81年~96年)の時代西暦95年なので96年終わりにはヨハネも住んでいたと考えられる家があった・・。
いずれも細かい事は書簡にはないようですが、より合わせると、 ヨハネはイエスに託された後に聖母マリアを自分の家に連れて行き、共に暮らした。と言う説がまことしやかにあり、ヨハネがバトモスに流刑され、
黙示録を書いた後に再びエフェソス(現トルコ)の自分の家? マリアの家? に戻っているらしいことも伝えられている
のです。
マリアの家か? ヨハネの家か? と疑問も感じますが・・。キリストの母マリアの面倒を見る為にエフェソスに再び戻っているらしい事からマリアが最後に住んでいたかもしれない家?は確かにフェソスにあった? はず? それがマリアの家として実在していた? と言う紹介です。
ヨハネの故郷エフェソス
1891年エフェソス南手の山、パナユルダゥの上に「聖母マリアの家」と呼ばれていた家が発見された
。
(発見された当時は基盤と壁の一部が残っていただけで修復? 教会が建てられている。)
多くの宗教学者が聖母マリアの家を本物と認めた事から、ローマ法王ジョン23世も「巡礼すべき場所である。」と断言。 1961年そこは公認された聖地となった
のです。
不思議な事はその発見にもあった。
ドイツの病身の修道女カタリーナ・フォン・エメーリッヒは12年間ベットから出られない病身。その彼女がエフェソスのマリアの家を幻視して予見したと言うのだ。
下がマリアの家の正面玄関側です。拝観できます。中は撮影禁止です
聖母マリアの家は、マグネシアの門(エフェソス市の東の門)からビュルビュル・ダゥの方向に走る途上にあります。
聖母マリアは、イスラムの世界でも神聖視されているので。この教会でイスラム教徒が礼拝する事もあるそうです。
聖母(Madonna)マリアと聖母崇敬
マドンナは、「私の貴婦人」と言う意で、貴婦人、淑女を尊敬する中世の騎士道精神から生まれた呼称であり、美術界では聖母を指す表現とされているそうです。
聖母マリアは、神ではないが、神の子を産んだ神の母である故、聖母崇敬はキリスト教の祝祭の儀式の中で重要な位置を占めている
のだそうです。
使徒の時代より当然崇敬の対象だったようですが、時代が下るにつれ、 特に東方世界において盛んになり、聖母崇敬の信仰が教会の中でも高まり
をみせてきます。
(4世紀に聖母に献げられた教会堂が設立された頃)
431年にもエフェソス公会議で正式に教会に認められると神を産んだ女性は、普通の女性とは異なった神に近い存在となり、聖母神秘化の信仰が強く勧められるようになっていった
ようです。
図像学(聖母マリアを描いた絵画)的見地からすれば、キリスト教美術の中でキリストに次ぐポジションを得るのはゴシック期からルネッサンス期にかけての時代のようです。(ラファエロが聖母子像をたくさん描いていますね。)
欧州各地に聖母マリアを祀った聖堂が建築されていったのもたぶんこの頃からなのでしょう。
下は、聖母マリアの像です。
聖水の泉
下は家の西手にある病が治ると言う聖水の出る泉があり、ここには寝室の床をおおうピンク色の大理石の下から水が流れ込んでいると解説書にあります。が、よくわかりません・・。
聖水の泉は現在3ヶ所の水場から出るようになっています。いかにもお参り用?
願い事がかなうと言う壁? 願い事を書いて皆そこに結んでいます。古今東西似ていますね。絵馬とかおみくじにそっくりです。
信仰のある方々にとっては大変な聖地なのです。
聖母被昇天
キリストの昇天から24年、シオンの山麓で敬虔な日々を過ごしていた聖母マリアの許に天使が現れ。彼女の死を告知
します。
聖母60才とも72才の時とも言われているようです。(私の計算ではキリストの昇天から24年後ならば、74才にはなっていたはず。)
「聖母マリアの死」のテーマは東方世界において4~5世紀頃から好んで取り上げられているようです。
最初は霊魂だけであった被昇天が、肉体をも含む被昇天と信じられるようになります。
聖母被昇天の栄光は、死後天に昇り、キリストの側で天の皇后になった時
なのだそうです。
それは8月15日とされ、その日を記念して聖母マリア被昇天節(Assumption of the Virgin)がカトリックの教会では盛大なミサが上げられる
ようになった
ようです。
聖母被昇天図の部分です。下が欠けています。
私の好きなティツィアーノの作品です。
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