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アムステルダム(Amsterdam)
アムステル川に築かれたダム(堤防)から発した漁村がアムステルダムの起源とされ、
16世紀には海運貿易の港町として、ヨーロッパ屈指の都市へと発展を遂げます。
「チューリップとキューケンホフ 1」の所でも紹介していますが、
オランダが八十年戦争(1568~1648年)に勝利しネーデルラント連邦共和国として独立すると、(ポルトガルから香料貿易の利権も奪い)オランダは海上帝国として急速な発展をとげます。特に港街アムステルダムには中部ヨーロッパで起きていた三十年戦争(1618~1648年プロテスタントvsカトリックの宗教戦争)の影響によりで商取引が集中し恩恵を得ます。またオランダ東インド会社の設立も海洋大国オランダを強力なものとしました。
オランダ東インド会社のロゴマーク
オランダ東インド会社(Vereenigde Oostindische Compagnie)
1602年にオランダで設立された、世界初の株式会社「オランダ東インド会社」は、商業活動のみならず、条約の締結権・軍隊の交戦権・植民地経営権などの特権も与えられていたそうです。またポルトガルに対抗する為に独自でアジア航路を開拓。アジア交易や植民地政策を行ったと言われています。
資本金約650万ギルダー、本社はアムステルダムに設置。
一国の政府のような巨大な力を持った株式会社は、もはや会社にあらず国を代表する機関であったようです。
その17世紀はアムステルダムの黄金の時代であり、17世紀初頭、アムステルダムは世界で最も裕福な都市であったのは言うまでもないでしょう。
(1799年オランダ東インド会社は解散、海外植民地はイギリスに接収)
下が、海洋大国として栄えたオランダ最大の港アムステルダムの景観です。
一見温室にみえるような半円の筒型のドームは、アムステルダム中央駅です。アムステルダムの街は、駅を拠点に半円形に広がっています。
ムーベンピック・ホテルから撮影。
中央にみえるのが、化学技術センター。線路右手方面がアムステルダム中央駅。右奥がアムステルダムの市内方面。
下が、撮影したムーベンピック・ホテル奥と手前がミュージック・ヘボウで、その横の一見ビルのようなのが大型客船です。大型客船の寄港場所になっています。
船でオランダに来る人達のオランダ上陸の場となるので、税関検査などの施設もミュージック・ヘボウ(オペラハウス)の中にあるようです。
下が外洋帆船アムステルダム号
今は海洋博物館所蔵になって停泊展示されているが、もとは東インド会社所有の船。
一見派手で遊園地の船に見えますが、本物の外洋帆船だそうです。中の見学もできます。
ツアーにはないですが、海洋王国オランダなので、海洋博物館に行くのもお奨めです。
昔、海洋博物館で世界限定1000冊とか言われて重くて高い本を買って来ました。昔の人の世界観を表した世界地図がのった本です。誰にも見せる機会もなかったのでここで紹介しちゃいます。
宝の地図ぽく見える一枚です。
次回運河です。
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