わたしのこだわりブログ(仮)

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2009年08月08日
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カテゴリ: 旅行

北海運河

年間10万隻の船舶が航行する現在のアムステルダムの水上交通の大動脈となっています。
下は、今は、近代的なアムステルダムの港(アイ湾)と北海運河。
アムステルダムの街 4

アムステルダム(Amsterdam)の街
港あたりは近代化されていますが、ひとたび街の中に入れば、かつて、世界最大の企業を持つ世界最大の貿易港として黄金時代を築いた海運の街の名残りが、今も残っている街です。
下は、ダム広場界隈。
アムステルダムの街  1

アムステルダムの街  2

下は、何とショッピングセンターです。
アムステルダムの街  3
お洒落な専門店が集うマグナムプラザ(Magna Plaza)はダム広場の王宮裏にあります。外観はえらく古いですが、王宮より豪奢な外観のこの建物は、もとは郵便局だったそうです。建築年はわかりません。18世紀くらいなのかな?

最後に17世紀のオランダ絵画を一枚紹介します。
海洋国家オランダ、とりわけ「オランダ東インド会社」(1602年設立)のインド進出は、現代の貿易と違って、とても困難な事だったのが一目でわかる絵です。
オランダ絵画
アムステルダム国立美術館所蔵
絵の来歴はわかりませんが、17世紀のオランダ絵画です。もしかしたら船の画家として有名なヘンドリック・コルネリス・フローム(1562~1640)の作品かもしれません。
自ら海に飛び出し、旅しながら海戦などの絵を描いている彼の絵は、とてもドラマチックで、とてもリアルです。

初期の航海では遭難や難破、敵から襲われるだけでなく、壊血病や疫病感染によって死亡率も高く、乗組員の生還率は20%程だったようです。
でも遠征が成功すれば新しい領土を得て莫大な利益(富と名声)が約束されるので、「早い者勝ち」的? トレジャーハンティングに参加する勇者は後を絶たなかったようです。
そんな航海フィーバーの時代にトップに踊り出たオランダです。

オランダとインド、インドネシア間は、今でも船で喜望峰を回れば一ヶ月はかかります。よくそんな航路を開拓して、そんな遠い国まで行って商売をしようと考えたのか私には不思議です。
こんな嵐に会えば沈没もするでょうし、どこか違う海域に流されて戻る事ができなくなる事もあったかもしれません。どれだけの確率で船はオランダに戻って来れたのか? 当時航海に要した日数はどれくらいなのか? その資料はありませんが・・
「昔の船乗りは凄いな・・。」とつくづく関心です。
「不屈の精神」と言うものなのでしょうか・・。
オランダ人って凄いです。(昔の)                  おわり






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Last updated  2009年08月09日 14時28分51秒
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