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ディンケルスビュール(Dinkelsbuhl)の街の城壁と門を一部紹介です。残念ながら全ての門の写真が無いので・・。
ディンケルスビュール 4 (城壁と城門)
ドイツ連邦共和国(Federal Republic of Germany)バイエルン( Bayern)
ディンケルスビュール(Dinkelsbuhl)
ロマンティック街道
中世の病院と宿
交易路の中継ポイント
ロマンティック街道
ディンケルスビュールは、その街道に含まれる一つの街です。
ロマンティック街道は南ドイツの街、ヴュルツブルク~フュッセンまでの約350km。中世の街並が色濃く残る所からドイツ観光局が「ロマンティック街道」と名付
けたそうです。
中世の街並もさる事ながら、街を取り囲む城壁がほぼ完璧に保存されている
3つの街の一つです。
因みに後の2つはローテンブルクとネルトリンゲンです。
ディンケルスビュール地図
太い線が街を取り囲む城壁。その中のが昔の城壁跡です。
(昔の城壁跡の外堀が、今はは街の道路になっています。)
ピンクが聖ゲオルク教会。A、B、C、Dがこの街をとり囲む4つの門です。
A ローテンブルク門(北)・・・ローテンブルクに至る街道の門
B ゼークリンゲン門(西)・・・ゼークリンゲンに至る街道の門
C ネルドリンゲン門(南東)・・・ネルドリンゲンに至る街道の門
D ヴェルニッツ門(東)・・・・ヴェルニッツ川沿いの門
ローテンブルク門を城外から撮影。
城門の下部は1390年頃に建築。上部の塔は16世紀
にできたそうです。
塔には市の紋章(左)と帝国自由都市を現す鷲の紋章が入っています。
塔内の部屋は牢獄
として使われていたそうですが、横になることもできないくらい狭い部屋もあったそうです。
現在この門ははバスの通過がは禁止されています。
基本的に宿泊のお客さんでなければ街へのバスの入場は禁止されており、観光客は城外から歩いて中に入り観光します。
ローテンブルク門を城内から撮影。
中世の病院と宿
右の建物は、 1280年に設立された聖霊ジュピタールで、病院と旅人の宿舎を兼ねた建物だったようです
。
現在は城内ですが、当初の城壁時代は、城門の外にあったことになります。
それは、 中世は疫病などが度々起きたので、市民への幹線を防ぐ為に病院は街の外に置かれたと言う事です。
また、 中世、城門は夜一定の時間に閉門
された為に時間外に到着してしまった旅人は、聖ジュピタールに泊めてもらうしかなかったようで、宿の用途も生まれたのでしょう。
年々街が拡大する中で、1370年~1380年にかけての新しい城壁(現在の壁)作りの結果、城壁内に入ったようです。
交易路の中継ポイント
デインケルスビュールは、 古来ドイツの東西と南北を結ぶ重要な交易(街道)の交点にあり、そうした理由から街は10世紀頃に市場街として誕生
したようです。
(東西南北のいろいろな諸国の物産が集まるのでマルクト広場もいろいろあったようです。)
北はバルト海方面に、南はイタリア、ヴェローナに、東はプラハ方面、西はライン湖畔のヴォルムス(カール大帝の王宮の一つがあった)に繋がっていたようです。
特に 南北のイタリアからバルト海への街道は、古代ローマ時代からの幹線道路
なのだそうです。
ローテンブルク門の右に伸びると城壁と、城壁角の見張り塔。
冬の方が城壁が良く見えます。
上の写真の夏のバージョン。
ベルニッツ川岸の見張り塔。
このラインは旧城壁がそのまま残った場所です。
ネルトリンゲン門方面につながる城壁。
外堀のように長く続く、ヴェルニッツ川につながる洪水調整池。
次回街の目玉の一つドイチェス・ハウスを紹介して終わります。
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