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私もどこまでやったか忘れてしまったので・・![]()
前に載せた写真は参考に小さめに載せました。
1回目は12月22日、ローテンブルク 1 (城壁と帝国自由都市)
2回目は12月26日、ローテンブルク 2 (街の成り立ち)
3回目は12月27日、ローテンブルク 3 (中世都市国家と市壁の拡張) 改訂
4回目は12月29日、ローテンブルク 4 (ヘルンガッセとアイゼンフート)
ドイツ連邦共和国(Federal Republic of Germany)
バイエルン( Bayern)
ローテンブルク・オプ・デア・タウバァー(Rothenburg ob der Tauber)
「生きている中世都市」と呼ばれるローテンブルクは、1802年ナポレオン戦争のさなかに整理されてバイエルン王国に併合されるまで中世、自治的に街として独立を果たした帝国自由都市でした。
自由都市ローテンブルクと中世の市壁
10世紀、この街の西の端、ブルクガルテンに、ローテンブルク家の城が築かれ、城下町として発展したのがこの街の起源でした。
が、やがて城主は消え、後に城は1356年の地震で崩壊。その後、街だけが商業で発展していったのです。(詳しくはNo2)
街は「神聖ローマ皇帝に直属する。」と言う諸侯の管轄を離れた独立自治都市となりますが、同時に、民族が群雄割拠していたこの時代に東に位置するドイツは常に他民族からの襲来と言う危険にさらされていたのです。
街は自衛の為に周囲を取り囲む高い防御壁をを築き守備されます。それが、市壁です。
(ここにはすでに城は無いので、もはや城塞ではありません。)
最初の市壁の建設は定かではありませんが、1172年、ローテンブルクの街が都市権を獲得した頃ではないかと思われます。
(No3の市壁建設のあたりを少し説明加えました。)
城壁はその後街の発展とともに拡大して行きます。
この帝国自由都市制度と街を市壁で取り囲むと言う防御は、ドイツ圏だけにおきた特殊な事情でした。
(詳しくはNo1の「帝国自由都市」の所を見てね)
19世紀初めまで、ドイツには300以上もの独立国が生まれたのだそうです。
めがね橋から丘の上のローテンブルクの街の中心を望む。
街の南、第三次城壁拡大で広がったジュピタール門の方向。
手前マルクト広場を今回・・・次回・・・今晩やります。
かつて城のあったブルクガルテンにある城塞門。
南西のコーボルツェラー門
右下り坂を下るとコーボルツェラー門(写真上)
写真左が第2次城門の跡のシーバース塔。
街の中心から北東方面。
緑の森の前に城壁があり、所々に見える塔は見張り塔と城門のどちらか。
最も手前に見える塔は最初の城壁の時の門の跡。
因みに見えるのは白い塔。
下はマルクト広場。
では次回につづく
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