わたしのこだわりブログ(仮)

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2010年03月04日
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カテゴリ: 歴史の旅

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アンダルシア州西部 6
ロンダ派闘牛のライバル。セビーリャですウィンク(セビリアともセビージャとも表記)
今度は少し大きな街( スペイン第4位の街 )です。

スペイン(Espana)
Localización de la provincia de Sevilla.svg
アンダルシア(Andalucía)州、州都
セビーリャ(Sevilla)県、県都セビーリャ(Sevilla)
かつて ナポレオンはピレネーの向こうをアフリカと表現 しています。
ピレネー山脈で経だてられる イベリア半島は、ヨーロッパにあってヨーロッパに非ずと言う事を比喩 したわけですが、今回の セビーリャは確かにアフリカ色(イスラム色)の強く残る街です。

特に アルカサル(王城)に至ってはイスラム支配の後(レコンキスタ後)も、カトリックの歴代国王の居城となっていますし 今も時々国王が泊まりに来たりするのに相変わらずイスラム建築の宮殿のままなのです 。(ロマネスクとムーアのゴシックとが混在した改築は行われているが・・。)

アルカサル中庭
セビーリャ 12
ここを訪れるものはそれに驚くに違いない。

セビーリャの開祖
中世期まで、この地の開祖は、ギリシア神話の英雄ヘラクレスだと本気で信じられていたようです大笑い
古代ギリシャの歴史家、 ヘロドトスによれば、かつてヒスパリスと呼ばれたこの街はBC9世頃 グアダルキビール川河口あたりにあった 古代王国タルテッソス(Tartessus)であったと伝えています。

が、BC5世紀頃には歴史から消えています。
当時すでにフェニキア人と共にイングランドまで交易していた彼 らはBC813年頃建国されたカルタゴの配下に入り、後に古代ローマ帝国の植民地となっていったと考えられます。

BC45年、イベリア半島を確保したユリウス・カエサルはグアダルキビール川に臨むヒスパリスをこの地方の要とすべく城壁を築いてコロニア(植民市)とした とされるのは本当のようです。(セビーリャの人達は街の開祖はユリウス・カエサルだと信じている。)

グアダルキビール川を下ると海なので、りっぱな港湾都市として貿易も盛んだった。
セビーリャ 8
今も外洋航路の貨物船が市街地の近くまで来ている。

古代ローマ帝国が滅んでからは西ゴートが支配し、711年からイスラムへ・・以下「スペイン・ロンダ 3 (要塞の街・西ゴート王国・レコンキスタ) 」で紹介したような歴史をたどるわけですが 、とりわけ、ここセビーリャではイスラム(ムーア人)の支配が530年近くあり、その影響は 街の歴史に今も色濃く残る事となっています。

ムーア人(Moors)orモーロ人
もとは北西アフリカに住むベルベル人を指 していたようですが 、後にイベリア半島に定住したベルベル人やアラブ人を含めてモロと呼んだ事から イスラム教徒一般を指す呼称となった ようです。

イスラーム帝国時代
713年、西ゴート王国だったセビーリャ陥落。
750年頃のウマイヤ朝
サラセンの位置
しかし、一口にイスラム帝国と言っても彼らの中でも政権交代が激しくややこしいのだ。

グアダルキビール河畔にある 黄金の塔(Torre del Oro) アルモハッド時代の見張り塔 です。
セビーリャ 9
昔は対岸に同じ塔 があり、両塔には鉄の鎖が渡されて、昼は沈めて船の航行ができるようにし、逆に 夜には敵の船の航行を防ぐ仕掛け とされていたそうです。

当時は金色のタイルが貼られていた事から「黄金の塔」の名がついたと言われる。
アルモハッド朝の威光を見せつける為だとか・・。
セビーリャ 13
アルモハッド朝(スペインでの呼び名)イスラムではムワッヒド朝(1130年~1269年)


後ウマイヤ朝滅亡(1031年)以降に誕生した、小さな独立国(タテファ)がいっぱい・・・。
やがてムラービト朝(1040年~1147年)がアンダルシアを支配し、続きムワッヒド朝(1130年~1269年)が支配。 共にベルベル人の部族である。
一時的に小国は統合されている。

ムラービト朝(1040年~1147年)
北西アフリカのベルベル系の砂漠の遊牧民サンハージャ族が母胎。
モロッコに開かれたイスラムの王朝 で、第5代目(1061年~1106年)のカリフが有能で彼の時代に領土を拡大。
マラケシュを中心にラバトやアルジェリア、そしてスペインのセビーリャまでその領土を広げた。

ムワッヒド朝(1130年~1269年)・・・アルモハッド朝
ベルベル人のマスムーダ族出身のイスラム改革運動派。
ムラービト朝の法学者を批判して、自らが救世主を名乗りムラービト朝に反乱 をしかけて乗っ取った王朝であるが、この頃が アンダルシア(アンダルス)の文化はもっとも開けた と言う。
ベルベル帝国の位置
新興の マリーン朝に1269年、マラケシュを征服されムワッヒド朝も滅亡。

また歴史がしつこくなってしまったが・・。建物に統一性がなく歴史がありすぎるからです。

ラ・マエストランサ闘牛場
セビーリャ 11

18世紀に建立、19世紀に補修。スペインでも権威の高い闘牛場。地下に博物館があるようです。
セビーリャ 10

本によって読み方や呼び方が違うので解りにくく苦労しました。解説する意味で長くなってしまいました。
今日は疲れたのでこれで終わりますしょんぼり セビーリャ つづく。






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Last updated  2010年03月05日 07時18分14秒
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