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アメリカ、ワイオミング(Wyoming)州 ジャクソンホール(Jackson Hole)の幌馬車から
リンク ジャクソンホール(Jackson Hole)の幌馬車 1
ジャクソンホールの幌馬車 2 (インディアン強制移住法)
インディアン強制移住法(1830年)・・涙の道

ワイオミング州の位置
ウキペディアより
前回の幌馬車の続きから
グランドティトン国立公園は、イエローストーン国立公園の南に位置し、ここには エルク、ムース、バイソン、プロングホーン、熊、イーグルなどの野生動物の宝庫。
そして、アメリカ一美しい山と言われているそうです。
カウボーイ風の先導付き
インディアンの出演
もともとこのあたりは、先住民のシャイアン族やスー族など、多くのインディアン部族が暮らしていた土地。
19世紀に他州へと強制移住させられ、現在、連邦政府公認で、保留地(Reservation)を領有しているのは北部アラパホ族と東ショーショーニー族だそうです。

インディアン強制移住法(1830年)・・涙の道
勝手に、 容赦なくアメリカの大地に侵入してきた白人達は、インディアンを無視
してまたまた勝手に土地の売買をしていったようです。
1763年に最後の植民地戦争が終わった後、先住民の存在を無視して英仏間で土地の譲渡が行われ、
1803年には米仏間で譲渡が行われている。
1793年には、北西部に住む先住民の代表がフィラデルフィアにワシントン大統領を訪
問。
「白人との平和共存」を陳情
し たそうです
。
以降多数の部族の首長が大統領に陳情したと言われている。
3代目のジェフーソンまでは
直接話し合いに応じていたらしいが 、結果的には政府は何もしなかったどころか、後にインディアン強制移住法までできてしまう。
「Trail of Tears(涙の道)」
さら
に
1828年にチェロキー・インディアンの土地の中に金鉱が発見
彼らインディアン
は強制的に住んでいた土地を奪われ、追い出され、極寒の中、不毛な西部の土地に逃げる しか無かったようだ。
一万数千人いたインディアンの4分の1がその途中で亡くなったと言われる事から
「Trail of Tears(涙の道)」と言う言葉が生まれたそうです。
インディアン強制移住法
そんな頃、7代目アメリカ大統領アンドリュー・ジャクソン(1829年~1837年)の時にインディアン強制移住法が成立。
それまで豊 かな東南部に住んでいた先住民の部族をミシシッピー川以西のオクラホマに強制移住させる法律
が施行された。![]()
※ 当事の西は不毛地帯。アメリカは東から西に開けていった。
メイフラワー号でアメリカにやってきた清教徒はインディアンの助けを借りてアメリカに生きる道をみつけられたのに後からやってきた白人達は、そもそも彼らを人と思ってもいなかったのだろうか?
幌馬車キャラバンの先は夕食を兼ねたショー・タイム


アメリカ人は陽気で、いつも人生を楽しんでいる気がします。
ウエスタン映画は好きでしたが、先住民インディアンの事を考えるとウエスタン映画の裏にある真実は? と疑いたくなりました。
グランドティートン国立公園は「ララミー牧場」や「シェーン」等の映画の舞台として使われた土地だそうですが、
白人の造ったウエスタン映画では、善は白人側なので、「本当の史実では悪はどっちだ?
」 と言う話です。
なにしろアメリカ映画にはインディアン目線が無いですからね。たぶん今後も無いのでしょう![]()
昔の話だし、双方生きる為に戦っていたと言えばそうですが、強い物が勝ち残り、勝ち残った物が正しいのだ・・と言っているような気がしてなりません。
それに 先住民インディアンの苦悩は今も続いている
のです。
発展途上国の総称を第3世界と形容しますが、彼らがアメリカの中の第3世界の人達なのです。
夜のジャクソン・シティの公園
グランドティートン国立公園のゲートウェイであるジャクソンの街にはアメリカアカシカ(エルク)の角でてきた4つのゲートがあります。
おわり
他国立公園
グランド・ティートン国立公園1~8
リンク グランド・ティートン国立公園 1 (シェーンの世界)
イエローストーン国立公園1~20
リンク イエローストーン国立公園 1 (分水嶺とアメリカバイソン)
イエローストーン国立公園 20 (ウエスト… 2010年10月10日
イエローストーン国立公園 19 (ミネルバ… 2010年10月08日
イエローストーン国立公園 18 (テラスマ… 2010年10月07日