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ティファニーランプ 藤のランプシェード 2
セレブの愛した装飾ランプ Part 3
ティファニーランプ(Tiffany Lamp Shade) 藤(Wisteria)
ティファニーランプの工作・・・ステンドグラス
ルイス・コンフォート・ティファニー(Louis Comfort Tiffany)
父の会社、ティファニー商会(1837年創業)の成功
ペンシルバニア陸軍士官学校卒・・と言う経歴を持つルイス・C・ティファニーは、親の反対をおしきって? 最初は画家を志しています。
実際「言っても聞かない性格」を理解していた父はすでにあきらめていたようですが、同時に息子に創造の才覚がある事には気付いていたのかもしれません。
彼の才能は生まれた環境に大きく起因
しているのです。
宝石商テイファニー商会の息子だったからこそ、こうしたものが生まれた・・と言っても過言ではないかも・
・・。
2段階の照度が調整できるので見た目には3通り楽しめます。
電球の強さだけでもかなり違いがでるのです。
明かりを付けたところ 2
今思えばグリーンをもっと深みを持たせたかったし、紫のガラスがもう1種色が欲しかったのですが、当時ガラスの種類がなかったのです。
このランプの細かさは半端なく大変で、2度と作りたくないランプの一つです。
だからこれも、プライスレス
父の会社、ティファニー商会(1837年創業)の成功
ルイス・C・ティファニーの芸術性を理解するにも、やはり彼の生い立ちが重要。
ルイス・C・ティファニーが生まれた1848年、ヨーロッパでは革命の動乱でダイヤモンドの価格が半値に暴落
。
それを期に父チャールズ・L・ティファニーは大量のダイヤ買い付けを行っている。
そのルイスの買い付けた宝石の中にはフランス政府の売り立ての元に マリーアントワネットの連状のダイヤのネックレスやルイ15世の宝石も含まれていた?
その事が ティファニーの名を広く世に知らしめた
ようです。
アメリカの振興富豪達はその宝石類を欲した
。
どうもアメリカ人は今も王族(ロイヤル)の言葉に弱い・・ふしがあります。
歴史の浅い国なので伝統とか由緒ある品に引け目があるのかも知れない。
そう言った物を側に置く事は・・彼らのステイタスなのかも・・・。
ロイヤルな宝石を欲した新興勢力の富豪がティファニーのお得意様になっている。
だから ルイスの幼少期には、すでにティファニーは富豪相手の高級宝飾店になっていた
・・と言う訳です。
彼は何不自由なく・・どころか贅沢の中で育っている。
父が息子の周りに置いた物は高級な家具や調度美しい置物、素晴らしい食器・・etc。
常に当たり前のように本物に触れていた彼の感性はそこで知らずに磨かれていたと思われます。
銀細工師のエドワード・C・ムーア
生まれ以上に彼に影響を与えたのが、ティファニー商会の職人達
。
ティファニー商会の 主任銀細工師のジョン・C・ムーアと息子エドワード・C・ムーアの存在は大きかった
と言えます。
特にエドワード・C・ムーアは卓越した美術鑑識眼を持つ職人でありデザイナーで、彼はニューヨークの多くの若い芸術家や職人にも影響を与えた人らしい。
エドワード・C・ムーアはルイスに自分の知識と洗練された感性を教え、ヨーロッパ以外の美術にも目を向ける事も勧めている。
ティファニーの作品に現れるイスラムの意匠、日本の銀細工職人に習った細工など東洋美術の影響はそこに生まれたようです。
またエ ドワード・C・ムーアのガラス・コレクションは、ルイスがガラスに傾倒する要因となったコレクション
らしい。
エドワード・C・ムーアの存在なくしてファブリルガラスも生まれる事はなかったろうし、ステンドグラスのランプも生まれなかったかもしれない
。
ステンドグラスのBack number
リンク ティファニーランプ 藤のランプシェード 1
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