わたしのこだわりブログ(仮)

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2013年02月28日
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実は前回脱走事件があったので、しばらくお蔵入りにする予定だった写真がありました。
予知していたわけではないけれど偶然今回タイムリーに掲載する事にしました。
今回はほぼナイル川中心ですが・・。

また日本人が巻き込まれた事故が海外で発生 しょんぼり
エジプトでおきた気球の炎上墜落事故である。

エジプトは特に1997年に起きたイスラム原理主義の過激派による観光客をターゲットにした銃撃事件が思い起こされる。(日本人10名含む61名が亡くなった。)
あの時は家族が事件現場のハトシェプスト女王葬祭殿を1日前に通過していて難を逃れていたので特に記憶に残っている。

あの事件以降観光客の激減していたエジプトは治安維持に勤め、再び観光国になっていたようだ。
確かに悠久の歴史を持つエジプトは見所のスケールが違う。
一度は訪れて見たい場所だと思う。
気球に乗って空から遺跡の全貌を見られるなんて、構想自体は素晴らしかった。

しかし、安全が特に危惧される気球に乗るには、エジプトではちょっと危険だったのではないか? と思えた。
エジプトは、あの壮大なピラミッドを作った国の末裔とはとても思えないくらい、いいかげんである。(昔からいいかげんだったのかもしれないが・・。)

ゴム・ホースが破損していたかも?  ヒビが入っているのを知っていたとしても実際テープで止めてごまかしていたのではないか? くらい考えられる。
しかも今回の気球事故では、操縦士が先に飛び降りて逃げた為に気球が急上昇して被害が拡大したと言う。
あってはならない行為であるが、諸々、この国では十分ありえそうな話なのである。

亡くなった方々は大変気の毒であるが、もはやご冥福を祈るしかない (-人-)(-人-)(-人-)


ルクソール(Luxor) ナイル西岸

テーベ(Theban)
古代テーベ(Theban)と呼ばれたルクソール(Luxor)は、最初のエジプト統一王朝の始祖ナルメル王がメンフィスを首都しとながらも上エジプトの支配をもくろみ、ここに町を築いたのが始まりだったと言われています。

その後、古王国時代に一村落だったテーベ侯が第10王朝とほぼ同時期に王朝を開きエジプトを再統一して第11王朝を樹立。その5代目?あたりで都がテーベに移されますが、 テーベが大きく歴史の表舞台に出るのは新王国の第17王朝から続く18、19王朝時代。そのころ繁栄のピークを迎え、ここに数々壮大な建築物が建造 されたようです。

ナイル東岸には、カルナック神殿やルクソール神殿、そしてナイル西岸の王家の墓所である王家の谷や王妃の谷等が今日観光資源としてエジプトの大きな収入となっている

偉大なる王達の所行は、今のエジプトをも養っていると言うわけです。

ところでルクソールは、以前歴史なども書いているのでよかったら見てね スマイル
2010年1月24日「エジプト13 (古代テーベ、ナイル川)」
2010年1月24日「エジプト14 (中王国とカルナック神殿)」
2010年1月25日「エジプト15 (カルナック・アメン大神殿)」
多少引用して書き込んでいます。

写真はナイル川西岸、王家の谷のある山
pict-ルクソール 4.jpg

西は元来死者の都なので、やはり東の方が繁栄している。
pict-ルクソール 5.jpg
ここに橋はなく、昔から渡し船が西と東を行き来していたが、現在は少しはなれた所に橋ができたので、地元の人くらいしか、渡し船は使わないらしい。

渡し船(乗合船)については「エジプト13 (古代テーベ、ナイル川)」で載せています。
pict-ルクソール 6.jpg
写真の船はナイルのクルーズ船。
ナイル・クルーズと言えばアガサ・クリスティーの推理小説「ナイルに死す」を思い出さずにいられない・・。

王家の谷のゲート
pict-王家の谷 1.jpg

まだ未発掘の墓がたくさんこの地下に・・・。
pict-王家の谷 2.jpg
王家の谷って本当にただのポコポコの山の中 しょんぼり
ツタンカーメン王のミイラが発見されたのもここの中。

ネフェルティティの墓(Nefertari Tomb)と看板にはあるが・・。ここあたりが王妃の谷
pict-王家の谷 3.jpg
古代エジプトの美女の一人
第18王朝のアクエンアテン王(旧名アメンホテプ4世)の正妃であり、ツタンカーメン王(トゥト・アンク・アメン)の義母。

ハトシェプスト女王葬祭殿
pict-ハトシェプスト葬祭殿 1.jpg

ハトシェプスト(Hatshepsut)女王
(在位:BC 1479年
頃~BC1458年頃)
トトメス3世の摂政となるはずだったが、実際は王として22年間君臨
ハトシェプスト(Hatshepsut )「最も高貴なる女性」と名がつく 女性のファラオ。
彼女
の造営した葬祭殿であるが、いわゆる参拝神殿らしい。

ここを造営したハトシェプスト(Hatshepsut)自身の墓もここにはなく、 近年(2007年6月)王家の谷「KV60」にあったミイラが考古学者ザヒ・ハワス(Zahi Hawass)により、ハトシェプスト(Hatshepsut)女王だと断定 された。
1903年に ハワード・カーター(Howard Carter)がそれを発見してから実に104年目の事 である。

1997年に起きた銃撃テロはこの階段の所で襲われたようです。
pict-ハトシェプスト葬祭殿 2.jpg

本来なら、すべての柱の前に石像が添えられていたはず。
今はただの工事途中の建物のよう。
世代が変わると、いろんな宗教がここを支配。
コプト教徒がこの場所に修道院を建設すると、残っていた異教徒の神々の顔を削り取ったと言う。

pict-ハトシェプスト葬祭殿 3.jpg

太陽神ラー(Ra)
朝、東から登る 太陽は生を象徴
夕、西に 沈む太陽は死を象徴 する。
1日は、生と死が繰り返される・・と言うより、死して尚、再生してくる・ ・と言う方が解りやすいかもしれない。
それ故、 太陽は不死 の存在ととらえられ‥太陽神ラーの信仰が生まれている。

ラー(Ra)の意味は「太陽」 そのままだそうだ。

ところで、ラー(Ra)はいろいろ変身する。
朝はコガネムシの一種 (スカラベ・scarab) として現れ、
昼は日中はハヤブサの姿で天を飛ぶ 。(ハヤブサの頭をもつ姿で描かれるのはその為なのだろう)
夜は雄 羊の姿となり船で夜の死の世界を旅 しているらしい。

この変身により、スカラベやハヤブサ、羊も太陽神ラーを象徴するものとして崇められるが、他にもっとややこしくしているのは、 実は土着の神様といろいろ合体して信仰されてきた からのようだ。

アメン(Amen・Ammon)神
もとは、テーベ東岸で祀られていた大気の守護神で、豊饒神様だったそうだが、太陽神ラーと合体してアメン・ラー(Amen Ra)となる。
今回は載せていないが、カルナック神殿内で祀られている。

アテン(Aten)神 ・・テーベで祀られていた夕日を神格化したローカルな神様に太陽神が合体先ほどのネフェルティティやツタンカーメン王の父、アメンホテプ4世が信仰。

日没を迎えるナイル川西岸
pict-ルクソール 1.jpg

pict-ルクソール 2.jpg

太陽神ラー(Ra)は、これから雄羊の姿で夜の船に乗り死の世界(夜)を旅する。そしてまた明日、再生・・誕生してくるのだろう。

pict-ルクソール 3.jpg

ルクソール(Luxor)おわり






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Last updated  2013年03月01日 18時52分42秒
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