わたしのこだわりブログ(仮)

わたしのこだわりブログ(仮)

2014年05月22日
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タイトルについて
「わたしのこだわりブログ(仮)」の仮(かり)タイトルであるが、2009年4月にブログをスタートしてから結局タイトルは決められず、「仮」のまま継続したのでこのようになっています。
当時はヤフー検索でも、(仮)タイトルの使用は私以外誰もいなかった事もあります。ところが、最近やたら多くなっています。

それはゲームサイトのニコニコ動画が2012年10月に(仮)を使用してからです。
ニコニコ動画(現在Ameba)は、その後ゲームソフトの末尾に必ずと言っていいほど(仮)を載せるようになり、今や(仮)だけでそこのゲームソフトしか出ない程に・・。
私的には(仮)はのっとられてしまったような気分だ ( ¬^¬ ) ムウ~

今回のアクセスの上昇は(仮)のせいかな ?

ブルージュ(Brugge) 10 (聖母教会周辺から)

グルートフーズ美術館(Gruuthuse Museum)
ブランギン美術館アーレンツハイス(Brangyn Museum Arentshuis)
聖母教会(Onze Lieve Vrouwekerk - in Bruges)
聖ヤンス病院 メムリンク美術館(Sint Jans hospitaal Memling Museum)

今回はダイフェル(Dijver)からグルートフーズ通り(Gruuthusestr)につながる聖母教会界隈の紹介です。言ってみれば外側から聖母教会を見る・・と言った回です。

このあたりはなかなか素通りの観光客は写真に撮らないので情報が少ない場所。敢えて細かく紹介する事にしました。実際ブルージュ観光は人気・・とは言え情報が少ないし、ベルギー観光局の情報サイトが良くないのです。その上ガイドブックでさえ写真を取り違えているカ所もある。

実はブルージュと言う街は今でこそ田舎ですが、中世は金融でも、貿易でも欧州一と言うほど賑わったすごい街だったのです。これから紹介する聖母教会には中世のブルージュの君主と娘の棺が置かれているのですが、その娘の孫がカール5世です。そのへんの事情は棺の時に紹介します。

鐘楼からの写真で位置関係を説明
pict-聖母教会 1.jpg
S・・・ 聖母教会
G・・ ・グルートフーズ美術館
M・・ ・美術館(左 グルーニング美術館, 右 ブランギン美術館アーレンツハイス)
P・・ ・ペギン会修道院
ブルーのライン は運河の位置

グルートフーズ通り(Gruuthusestr)とグルートフーズ家の門と聖母教会の鐘楼
pict-グルートフーズ 3.jpg
手前の撮影場所はダイフェル(Dijver)通り側

グルートフーズ家と聖母教会は隣接している・・と言うよりはほぼ接着しているのである。
教会の聖堂の脇にはグレートフーズ家の者だけが礼拝に参加できる小部屋が造られている からだ。
pict-グルートフーズ 5.jpg

グルートフーズ美術館(Gruuthuse Museum)
pict-グルートフーズ 1.jpg
建物右後方が聖母教会

13世紀に遡るグルートフーズ(Gruuthuse)家の邸宅は現在美術館として公開されている
pict-グルートフーズ 2.jpg
入り口上の飾りは騎士として成功した印?

グルートフーズ(Gruuthuse)家
ビールの香りをつける薫草(gruit)の販売独占で成功したグルートフーズ家。
特に フランドルの黄金時代の富と贅沢の中で育ったルイス・デ・グルートフーズ(Louis de Gruuthuse)(1422年~1492年)の代には最も輝かしい時代を構築

ルイスは騎士としてトーナメント(ホワイト・ベアの大会)で何度も優勝。その腕はブルゴーニュ公の目にとまり宮廷入 りをする。
ゲントとの戦いでは勇敢で忠実な盟友となり、軍事スキルも得て政治家になるとブルゴーニュ公シャルルの依頼で娘マリーの縁談をまとめたのである。

因みにここは娘のブルゴーニュ公女マリー(マリー・ド・ブルゴーニュ・Marie de Bourgougne)とシャルルの霊廟になっている。)

ルイスはとんとん拍子に出世してグルートフーズ家の地位を確固たるものに・・
(バラ戦争からの亡命中のエドワード4世をかくまったので、後にウィンチェスターの伯爵の称号も得ているし、金羊毛騎士団にも名を連ねている。)

かくしてグレートフーズ家は軍事、外交で仕え、コレクターとして、パトロンとしても一流貴族に名を連ねた家なのである。

ダイフェル(Dijver)側のブランギン美術館アーレンツハイス(Brangyn Museum Arentshuis)
pict-グルートフーズ 4.jpg
地下をもぐる運河のトンネルをくぐると・・。
pict-聖母教会 3.jpg
トンネルをくぐり・・・船越しに見た聖母教会と手前がグルートフーズ家の屋敷の一つ
pict-聖母教会 4.jpg
聖母教会(Onze Lieve Vrouwekerk - in Bruges)(Church of Our Lady Bruges)高さ122.3m。

こちらは教会の聖堂側。(教会の後部屋根組のあたりを専門用語でシュヴェ(仏語 chevet)と言うらしい。)
pict-聖母教会 5.jpg

ブランギン美術館アーレンツハイスの トンネル裏側(聖ボニファティウスの橋から)
pict-聖母教会 2.jpg

ブランギン美術館アーレンツハイス(Brangyn Museum Arentshuis)
写真の建物 アーレンツハイスは18世紀貴族の邸宅で、現在美術館として公開されている
2階はブルージュ生まれのイギリス人、ウェールズの芸術家フランク・ブランギン(Sir Frank William Brangwyn)(1867年~1956年)が寄贈したコレクションが展示。

アーレンツホフ(Arentshuis)
pict-聖母教会 6.jpg
写真右がアーレンツハイス(Arentshuis)で左が運河挟んでグルートフーズ美術館(Gruuthuse Museum)
ここはアーレンツハイスの裏庭である。
ちょっと見えにくいが「死」、「戦争」、「饑餓」、「革命」をテーマにした「黙示録の4騎士」のブロンズ像がある。

写真左奧には運河にかかる聖ボニファティウスの橋があり、グルートフーズ(Gruuthuse)家の裏庭に通じる。
pict-聖母教会 7.jpg
聖母教会の撮影ポイントでもある。

pict-聖母教会 9.jpg

聖ボニファティウス(St Bonifatius)(672年頃~- 754年)
8世紀にゲルマニアにキリスト教を伝えた伝道師 。ドイツの守護聖人
教皇グレゴリウス2世より「善をなす人」を意味するボニファティウスの名を与えられゲルマニア地域の司教に昇任するも伝導中のフリースラントで殉教。
ゲルマニアのローマ帝国時代の国境の北部および西部におけるキリスト教化は彼のおかげ らしい。

聖ボニファティウス橋の上から(南、ペギン会方面)
pict-聖母教会 8.jpg
運河はこのあと右に教会を回り込む形でメムリンク美術館の横を通りペギン会修道院へ向かう。

メムリンク美術館の裏手
pict-メムリンク 1.jpg

聖ヤンス病院 メムリンク美術館(Sint Jans hospitaal Memling Museum)
12世紀に建てられたヨーロッパ最古の病院とされる? 聖ヤンス(聖ヨハネ)施療院の中が今は美術館 となっている。(聖ヨハネ病院は十字軍の時に出てきましたね。)
その為中には病院関係の器具なども展示されている。
メムリンク美術館と呼ばれるのは、ハンス・メムリンク(Hans Memling)の祭壇画と聖ウルスラの絵が所蔵されているからである。
pict-メムリンク 2.jpg
聖母教会の入り口(拝廊)の正面に位置していてかなり広い敷地面積。
中には薬局の役割も担っていた僧院も併設。
pict-メムリンク 4.jpg

聖母教会入り口正面側の美術館入り口
pict-メムリンク 3.jpg

次回、聖母教会内部
リンク ​ ブルージュ(Brugge) 11 (聖母教会)






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Last updated  2020年09月24日 23時29分51秒
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