わたしのこだわりブログ(仮)

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2014年09月15日
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現在スフォルツェスコ城では作品を復元修復しているようですが、まだフレスコ画が主流だった時代です。他にも塗りつぶされたり破壊された壁画がどこかにあるかもしれません。

またレオナルド・ダ・ヴィンチはイル・モーロの依頼で巨大な騎馬像の制作をしていたそうです。
しかし原型となる粘土製の像はイタリアに侵攻したフランス軍により射撃練習の的にされて破壊され、材料のブロンズの方は大砲の材料に持って行かれ結局造れなかった。(完成していたら残っていたかも・・。)
何しろこの戦争でイル・モーロは囚われミラノ自体の運命が大きく変わるのです。
その時(1499年)ダ・ヴィンチは弟子のサライや友人とミラノを離れヴェネツィアに逃げています。




さて、今回はミラノの貴族の私邸を改造した美術館の紹介です。
偶然にもこの時、一部作品が日本に来ていたようで逆に残念でした。(Bunkamura ザ・ミュージアム と大阪で特別展)
所蔵品の質においては前から定評がある美術館でしたが、館の素晴らしい調度品の中でこそより引き立つ絵画やコレクションの鑑賞は来館したからこその有意義な時間でしたスマイル

ポルディ・ペッツォーリ美術館(Museo Poldi Pezzoli)

マルティン・ルター夫婦の肖像
聖人図

ミラノの貴族であった美術収集家ポルディ・ペッツォーリ(Gian Giacomo Poldi Pezzoli )(1822年~1879年)の私邸は モンテ・ナポレオーネ(Monte-napoleone)駅から数分のところです。
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以 前「モンテ・ナポレオーネ(Monte-napoleone)のレストラン」で紹介したジュゼッペ・バガッティ・バルセッキ(Giuseppe Bagatti Valsecchi)美術館と同じようにゲートは狭く中庭に美術館入り口があります。
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ルネッサンスから19世紀までの美術品のコレクションは、もともとポルディ・ペッツォーリ(Gian Giacomo Poldi Pezzoli )とその母ローザ(Rosa Trivulzio)のコレクションからなっているそうです。

ポルディ・ペッツォーリは1879年に57歳で亡くなり、コレクションや屋敷は遺言で芸術財団に寄贈。
財団により1881年4月に ポルディ・ペッツォーリ美術館(Museo Poldi Pezzoli)は開館 しています。

エントランス右の螺旋階段は待合室を兼ねた造りになっている。
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こじんまりしているけど個人の家としてみたらかなり立派。オブジェの池には金魚が・・。
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コレクションを飾る為の場所にもこだわったと聞く。

1階には中世の武具コレクションの部屋とペルシャ絨毯の部屋がありました。
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2階に上がってすぐに陶器のコレクション・ルーム
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マルティン・ルター夫婦の肖像
突然ですが、階段上がって正面の小部屋には ルーカス・クラナッハ(Lucas Cranach il Vecchio)の手によるマルティンルター夫妻のポートレイト がありました。
一般に紹介されているのはたいていこの写真です。
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左・・マルティン・ルター(Martin Lutero)(1483年~1546年)
右・・カタリナ・フォン・ボラ(Katharina von Bora)(1499年~1552年)

マルティン・ルター(Martin Lutero)は免罪符を非難し、宗教改革の引き金を引いた人で有名ですが、いくつかの改革の中でも聖職者の独身制を否定して自ら結婚していた 。と言うのを実は知りませんでした。

ルターはもともと聖アウグスチノ修道会系の修道士であり、カタリナも修道女。ルター41歳、カタリナ26歳の時に2人は結婚したそうですが当然カトリック教会からは猛反発。
しかし プロテスタント教会においてはルターのおかげで牧師の結婚が認められる事になったのです。

ところで、プロテスタントとは、ラテン語のプロテスタリ(prōtestārī)(抗議)が由来。カトリックに抗議した事から来た語と言う訳だ。

陶器の間の先ずっと奧に特にスペシャルな部屋があった。
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そんなに広い空間では無いがその部屋は隅々凝りに凝った装飾がされている。
装飾の雰囲気からしてここはプライベート祈祷室だったのかもしれない。
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向かって左サイド
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入り口側を振り返った所
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まるでイスラム教のミフラーブのような造りと装飾はちょっとムデハル様式を思い出す。
壁に描かれた絵画からロマン派の要素もうかがえる。
これが本当の本場イタリア式のネオ・ルネッサンス(Neo Renaissance)様式なのかもしれない。

そう考えてみると建物も気になった。古代ローマを意識したような古典リヴァィバルである。
ポルディ・ペッツォーリの時代からしてもおそらく建物自体もネオ・ルネッサンス様式に違いない。

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ポルディ・ペッツォーリのコレクションで最も感激したものが下である。
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これは 自動時計の開発される前の携帯日時計 なのだ。
金持ちはこうした象牙でできた方位磁石と日時計を持ち歩いていた・・と言う事実に驚いた びっくり
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聖人図
ポルディ・ペッツォーリの館には沢山の絵画コレクションもある。特に聖人像や聖母の絵画は非常に有名どころがそろっていて質が高い。

聖セバスティアヌス(Sebastianus)
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日本でも三島由紀夫のおかげでよく知られているセバスティアヌスの絵画がこの家にはかなり多かった。
その理由は彼はミラノ市民だったからのようだ。

若くて美しい? セバスティアヌスはローマ軍の指揮官で皇帝ディオクレティアヌス(Diocletianus)(在位:284年~305年)とマクシミヌス(Maximinus)(在位:308年~313年)の時代に生きた人 である。
特に皇帝ディオクレティアヌスにはかなり気に入られていたにもかかわらず、 キリスト教徒であることが知れると矢で射られる刑を受けた。その受難の姿が上のような図 なのであるが、実際彼は矢では死なず、後に棍棒で打たれて殉教したとされている。(黄金伝説)
ミラノではキリスト教が公認されるとわりとすぐに聖人認定されていたようだ 。

聖母子
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数多いポルディ・ペッツォーリ美術館の聖母子の中でも特に魅入られたのがこの作品。
実に気品あるこの作品は サンドロ・ボッティチェリ(Sandoro Botticelli)の「Madonna of the Book」

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ボッティチェリと言えばヴィーナスの誕生など異教の女神を描いたものが有名であるが、こんな聖母子も描いていたのが逆に新鮮 ぽっ

他にジョットなど紹介したい作品もあるから続きにすべきか・・次回まだ未定。 ( ̄~ ̄ ; )ウーン・・・






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Last updated  2014年09月17日 02時11分42秒
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