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9日より大阪桜宮造幣局の桜の一般公開(通り抜け)が始まりました。
造幣局は八重桜が多いので遅いらしいのですが、今年は早いなーと思っていたら、連日の寒さと雨でやはり開花がストップしたようで見頃はまだ先のようです。
さて、醍醐寺ですが今回は伽藍のある下醍醐を紹介します。前回と同じく写真は3月31日のものです。
京都 醍醐寺の桜 2 (醍醐寺伽藍
醍醐天皇と
菅原道真公の因縁
)
西大門(仁王門) 金堂(国宝) 不動堂・護摩道場 五重塔(国宝 )
醍醐寺建立
醍醐天皇と
菅原道真公の因縁
醍醐寺が修験者の霊場として開山されてから数十年。
第60代天皇、 醍醐天皇(885年~930年)は菅原道真公の祟りを恐れてか? 厄払いか? 不動明王の力を借りるべく
醍醐寺を自らの祈願寺として、財力をかけててこ入れしています。
(それは続く子息、朱雀(
すざく)帝、村上(むらかみ)帝の代にまで続いて・・。)
第60代天皇・・・醍醐(だいご)天皇 ※醍醐天皇はこの寺への帰依から名をもらったようです。
第61代天皇・・・朱雀(すざく)天皇(923年~952年) ※ 醍醐天皇の第11皇子
第62代天皇・・・村上(むらかみ)天皇(926年~967年) ※ 醍醐天皇の第14皇子
上醍醐と下醍醐地図
黄色の円
・・上醍醐
赤色の円
・・下醍醐( ピンクは五重塔、金堂、不動堂
と、伽藍の主要建造物)
西大門(仁王門)

慶長10(1605年)豊臣秀吉により再建。
仁王像
仏師・・勢増 長承3年(1134年)
山は伽藍以外は杉の林
万葉集東歌(まんようしゅうあずまうた)の中で杉は神聖な木として詠まれている。榊に類する神木なのだ。(そう言う意味では伽藍は杉林の結界の中にある。)
金堂(国宝)

醍醐帝により延長4年(926)に創建。(
創建時は釈迦堂)
永仁、文明年間に2度焼失し、 現在の金堂は秀吉の命で紀州(和歌山県)湯銭から移築されたもの
。
安置されている薬師如来座像が寺の本尊。
不動堂 護摩道場

手前の石柱には「 醍醐天皇一千年御遠忌記念建立
」の文字が入っている。
※ 遠忌(おんき)とは、祥月忌日(しょうつききじつ)50回以上の時に使う言葉らしい。
醍醐天皇が亡くなったのは930年なので1930年に建立されたものか?
この堂に関しての詳しい来歴がどこにもない。
そこで気が付いたのは、明治政府のおこなった「神仏分離令」かつ「修験道廃止令」の影響で1度、お堂は壊されていたのではないか? と言う事。
その後廃仏毀釈が一段落してから1930年(昭和5年)頃? 「醍醐天皇一千年御遠忌記念」の名目で堂は再建されたのかもしれない。
不動明王像前の護摩道場では、当山派修験道の柴燈護摩が焚かれ祈願が行われると言う。

堂内にも不動明王をトップに五体の明王が安置されているそうだ。
※ 不動明王像は霊宝館の特別展示でも多数展示されていた。(撮影は禁止)
不動明王像・・・石彫りの明王の迫力が凄い

五大明王の中心となるのが不動明王。本当に霊験ありそうな風格です ![]()
五大明王 (中央)不動明王
(東)降三世明王
(南)軍荼利明王
(西)大威徳明王
(北)金剛夜叉明王or烏枢沙摩明王
もともとインドのジヴァ神から来ているとされる仏尊で、 日本へは最初、弘法大師(空海)が唐より持ち帰った図像(曼荼羅?)にあったとされる。
(密教自体はもともとの釈迦の教えとは異なり、一般人でも救われる・・と言う
大乗仏教に分類される。)
力を持って人の救済をする明王は、仏の知恵と真言を身に付けた強面の仏の化身のような存在
。
(大陸で発展した仏教は土着の信仰と合体して数々の菩薩や如来、明王などを産んだようだ。)
菩薩の救済に対して、 明王はその力で悪をねじ伏せる。だから持ち物も戦闘的な武具が多く、形相も険しい。(その有様で邪気を払って救済してくれる要素を持っているようだ。)
それ故、密教や修験道では尊格として広く信仰され、明王の元に息災や降伏祈願と言った祈祷が行われる。
醍醐寺建立
醍醐天皇と
菅原道真公の因縁
霊水を得て、874年に開山。開山堂は最初山上の上醍醐に創建された。
延喜7年(907年)
には醍醐天皇の御願により 薬師堂が建立
され 上醍醐の伽藍が完成する
。
どうもこれは 菅原道真公(845年~903年 薨去
)の祟りに影響されているように思う
。
(菅原道真公の祟り(たたり)については、2月「北野天満宮 梅花祭り」の中で紹介。)
醍醐帝は、自分の仕打ちにより、憤死したとする菅原道真公の怨霊に悩まされ続けていた。
菅公の位階を右大臣職に戻したのが923年。
その後 延長4年(926年
)には 下醍醐の地に金堂(釈迦堂)が建立されている
。
清涼殿の落雷の後、ショック? で亡くなった 醍醐帝(930年薨去)の菩提を弔うために建立されたのが五重塔
である。
皇子である朱雀帝、村上帝が建立。
936年着工 。天暦5年(951年)完成。
五重塔(国宝)
高さ約38m。相輪の長さ約13m。
内部は最近月命日の29日に一般公開されているようだ。(拝観料600円と別途、写経奉納1000円が必要)
中には醍醐天皇とその家族の少し大きめの位牌が中央に置かれている。
またその 堂、初層には平安時代に描かれた大日如来と両界曼茶羅図や真言八祖が描かれていて、それ自体が、塔と別に国宝に指定
されている。
因みに 醍醐天皇の亡骸は、醍醐寺の北、笠取山の西、小野寺の下に土葬されたと言う。

山下の平地に大伽藍(下醍醐)を造ると醍醐寺は発展。
その後朱雀、村上天皇の三代に渡り、寺には堂が建立されて行くのですが、 前回紹介したように500年後におきた応仁の乱(1467年~1477年)で寺は荒廃するのです。
現在ある堂は五重塔以外はほとんどが秀吉とその息子による再建のようです。
入りきらなくなったので切ります
つづく
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リンク 京都 醍醐寺の桜 1 (三宝院)
京都 醍醐寺の桜 2 (醍醐寺伽藍 醍醐天皇と 菅原道真公の因縁 )
リンク 京都 醍醐寺の桜 3 (弁天堂)
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