わたしのこだわりブログ(仮)

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2015年08月24日
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しょんぼり
当たり前の話ですが、夜の作業が得意なので寝てしまってはかどりません  f^^ * ポリポリ

今回はルードビッヒ2世(Ludwig II)が生まれた宮殿を紹介します。そこにはルードビッヒ2世がコレクションした豪華な馬車やソリの展示館もあり、見応えタップリでした。全3回予定。


ニンフェンブルク宮殿(Schloss Nymphenburg) 1 (宮殿と庭)

ミュンヘン中央駅からトラム17番
ニンフェンブルク宮殿(Schloss Nymphenburg)
最初の宮 殿

pict-NF宮殿 1.jpg

ミュンヘン中央駅(München Hauptbahnhof)から北西に6km。
pict-ミュンヘン地図 1.jpg
右の 赤い円がミュンヘンの街中央部   その中の ピンクの円 Cがミュンヘン中央駅
北西部にある左の見切れている ピンクの円 Nがニンフェンブルク宮殿の一部 です。

地図で改めて見ると本当に近い事がわかります。そして宮殿の全貌を見ると、ミュンヘンの街中央部よりはるかに広大な敷地を持っている事がわかります。

ミュンヘン中央駅(München Hauptbahnhof)
pict-ミュンヘン中央駅 1.jpg
ローカルに見えますが、ミュンヘンはBMW の本社などドイツの基幹産業も本拠を置く大都市で、金融においてはフランクフルトに次いでドイツ第2の都市です。
もともとヴィッテルスバッハ家の城下町として栄え、バイエルン時代は王都となり、前回紹介したようにルードビッヒ1世が即位と同時に都市改革を行ったおかげで早くから近代化に成功した街なのです。
1876年に運行したトラムは市内では最も古い公共交通機関として今も活躍 しています。


中央駅(Hauptbahnhof)よりトラム17番に乗車
pict-ミュンヘントラム 2.jpg

pict-ミュンヘントラム 1.jpg
中央駅からトラムで15分くらいの所に宮殿はあるのでここまでは早い。
ツアーで来る方は観光バスが宮殿近くまで直接乗り入れるのでここから歩く事はないが・・ここから宮殿まで10分弱。

宮殿前池に繋がる水路
pict-ニンフェンブルグ 2.jpg

pict-ニンフェンブルグ 3.jpg

pict-ニンフェンブルグ 4.jpg
上の写真3枚は地図右の見切れている水路の方角から撮影。
pict-ニンフェンブルグ 1.jpg
宮殿内部の見学の他、広大な庭の鑑賞。庭園内の離宮や植物園、博物館が幾つか存在する。
1日で全部回るのは不可能である。

水路から宮殿前の池に出た所から
pict-ニンフェンブルグ 6.jpg
広大過ぎて写真には収まりきらない。

最初の地図は上が北でしたが90度傾けました。今度は上が西になります。
pict-ニンフェンブルグ 7.jpg
この宮殿は北から南に広がって建てられているので 西陽をもろに受ける逆光になってしまう問題が・・しょんぼり



池越しのニンフェンブルク宮殿(Schloss Nymphenburg)

宮殿は幾つかの正方形のパビリオンが並べられてシンメトリーに構成されている。
pict-ニンフェンブルグ 8.jpg
写真は北側の翼・・(4)人類と自然の博物館
同じ造りの南側の翼・・(8)馬車博物館(紹介予定)

18世紀のヨーロッパ王宮では噴水は自慢ののアトラクション だったそうだ。
フランス王宮より噴水技師を招き造らせたものらしい。豪奢な彫刻はないのの、この宮殿前の 噴水はポンプ3台を使って高く水しぶきをあげる事ができる。これでも当時としては画期的だったのだろう。
pict-ニンフェンブルグ 9.jpg
ニンフェンブルク宮殿(Schloss Nymphenburg)は バイエルン選帝侯時代からバイエルン王国の時代に夏の居城として利用されてきた宮殿 です。
最初は王妃の為の別荘だった居城は各王達により拡張工事がなされ、立派な宮殿になったようです。
実は一般公開されているが、 今もニンフェンブルグ宮殿はヴィッテルスバッハ家の個人所有の宮殿らしい

pict-ニンフェンブルグ 10.jpg


最初の宮 殿
バイエルン選帝侯フェルディナント・マリア (Ferdinand Maria)( 1636年~1679年)(在位:1651年~1679年)は、 妻が世継ぎを出産すると感謝の気持ちで土地を贈った そうです。

妻ヘンリエッテ・アデライデ(Henriette Adelheid)はイタリアのサヴォイ家(Savoyen)出身。
世継ぎが生まれた2年後 1664年に夏の離宮の建設が始まり中央の建物は1675年完成

計は 北イタリア出身のアゴスティノ・バレリー(Agostino Barelli )。指揮したのは妃ヘンリエッテ
アゴスティノ・バレリーは、ヘンリエッテの依頼で前回紹介したオデオン広場のテアティーナー教会も建設している。

この宮殿は後々増改築されて行くが、
初期の立方体の造りはサヴォイ家のトリノ近郊のイタリア・ルネッサンスの宮殿を彷彿させる物だったらしい。
彼女はこの離宮を気に入り、ボルゴ・デレ・ニンフェ(Borgo delle Ninfe)(妖精の村?)と呼んだそうだ。
それがドイツ語でNymphenburgとなり妖精の館、あるいは女神の館と呼ばれるに至ったようです。

宮殿の表玄関側
pict-ニンフェンブルグ 11.jpg
宮殿の中庭を望む。
pict-ニンフェンブルグ 13.jpg
二階テラスからの中庭
pict-ニンフェンブルグ 16.jpg

宮殿庭側
pict-ニンフェンブルグ 12.jpg
実は正面玄関と中庭側の造りは非常に似通っていて、違いは胸像が3体庭側についている事。
この似通った造りのおかげで写真の仕分けに苦労したしょんぼり
pict-ニンフェンブルグ 14.jpg

pict-ニンフェンブルグ 15.jpg

宮殿内部につづく
リンク ​ ニンフェンブルク宮殿(Schloss Nymphenburg) 2 (美人画ギャラリー)






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Last updated  2020年09月23日 05時02分27秒
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