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しかし、どこの国から? 誰から? 何が届く? 全く見当がつきません。..・ヾ(。>д<)シ こえぇぇぇ
さてアウグスブルクDom(ドーム)の紹介です。
一般に日本では「アウグスブルクの大聖堂」と訳していますが、 本当のDomの解釈は「Domus Dei (神の家)」から来ているので厳密には「大聖堂」の訳はちょっと違う
のだそうです。
では神の家(Dom)とは? 正しくは「 司教座聖堂」の意 だそう
です 。
司教座は簡単に言えばその司教区の全ての教会の上にある本部になる教会の事。
教会のドームが大きくて立派・・と言うだけではなく、司教は支部教会を率いる事で権力を持ち。かつ大きな財力を持つ教会だという事でもあります。
また、司教座は司教が座る司教専用の椅子が据えられている事から カセドラ(cathedra)とも呼ばれます。
カセドラ(cathedra)はラテン語で司教座椅子その物をさした語です。
つまり Dom(ドーム)とカセドラ(cathedra)は同じ意味を持つ同意語なの
です。
※ 大聖堂と日本訳でついていても司教座聖堂でない場合もある。・・と言う事。
※ 司教座聖堂については2009年12月「ザルツブルク 3 (司教座聖堂と大司教) 」の所で触れています。また司教座聖堂で検索してもらえれば今までの他の司教座聖堂も検索できます。
アウグスブルク 8 (司教座聖堂 1 ゴシック様式の聖堂)
アウグスブルク司教座聖堂(Der Hohe Dom zu Augsburg)
ゴシック様式の聖堂
最初に紹介した通り、 アウグスブルクは南北に走るクラウディア・アウグスタ街道(Via Claudia Augusta)上の二つの街が合体してできた街
です
。
北は元はローマの砦があったは場所でローマ人の居住区となった所
。そこにキリスト教が公認されてから大聖堂ができ周りに広がった街です
。(古代ローマの解体後はマジャール人(Magyarok)が占領していた時代もあり神聖ローマの時代になってからもマジャール人の侵略は続いた)
南は中世にベネディクト修道院(ウルリヒ&アフラ教会の前身)の周りに商人が多く集まった
。
それぞれがだんだんに拡張して合体。その場所が前に紹介した市庁舎(Rathaus)とぺルラッハ塔(Perlachturm)だっと思われる。(だから市長舎前広場も確保できたのかも・・。)
今回は北側の大聖堂(司教座聖堂)ゴシックの部からの紹介ですが、資料もほとんどなく、しかも複雑に歴史が重なっているので難しい物件なのです![]()
ペルラッハ塔(Perlachturm)からの Dom(ドーム)の写真

全体を確認できる唯一の写真です。(雨だったのでボヤケていますが・・。)
ローマ時代にはすでに街の中心部だった場所だそうです。(近辺から
ローマ時代の遺跡があちこち出土。)
ラートハウスからは近いが1度下ってから緩やかに登った高台にあります。
司教座聖堂ですし、中世には最大規模になっているので周辺も関連施設で占めるめられていたようです。
南側の入り口
この扉はゴシック時代のもののようです。
この司教座聖堂は生母マリアに奉献されている。
教会の見取り図が無いので公園にあった史跡の地図から説明
・
薄紫 が道路で
、上の
←
がかつてのクラウディア・アウグスタ街道
・
←
写真の南側入り口(北門もあります。)
・
濃いピンク で囲ったところが
現在の建物部分
です。聖堂の左隣中庭のある回廊は現在 一部美術館。(Diozesanmuseum St Afra Augsburg ・聖アフラ アウグスブルク 教区博物館)
・
紫
や オレンジ、
水色
、 緑
などはかつての教会の建物などの基礎が残っている場所。
・ 聖堂の中の
E
(東側)の
★ ゴシック様式の聖堂
W
(西側)の
★ ロマネスク様式のクリプトが残っている
。
つまり
長い歴史の中で教会は位置を変えたり無くなったり、増築されたりしている のです
。
その中には古代ローマ時代の教会の基礎(遺跡)もあります。
建築様式もロマネスクやゴシックが混ざりあって他に例の無い不思議な造りになっています。
上の史跡の地図 聖堂の南側 紫の基礎部分Karolingischen Doms St Johann

10世紀のカロリング・ロマネスク様式の聖ヨハネ教会の跡
※ カロリング・ロマネスク様式
・・・ロマネスク様式の定義は11世紀以降より13世紀のゴシック様式以前であるが・・。 フランク王国カロリング朝の時に発展したロマネスクの初期段階のバシリカと単廊式教会堂(Saalkirche)を持つタイプ。プレ・ロマネスク
と言える。
現在の司教座正道の内部もいろいろと混ざりあっている。
大まかに言えばこの教会は9世紀から12世紀にかけて造られたロマネスク式の部分と14世紀頃に改築されたゴシックがミックスされている。
側廊から左奧がクワイヤ。奧がそれを取り囲む周歩廊
身廊の座席
身廊
ゴシックの教会と比べると座席ある方の天井は低い。側廊と身廊の接合部はロマネスク様式で修復されている。
身廊の柱には聖人の絵画が並ぶ
内陣前にはハンス・ホルバイン(父)の作品4枚の板絵が1493年に祭壇画として描かれているそうだ。テーマはマリアの生涯。その一つが下
マリアの宮詣で・・と解釈する。
内陣はもちろん立ち入り禁止区域(その規模が案外大きい。)
反対の柱には同じくハンス・ホルバイン(父)の作
幼児キリストの宮詣でか? 上左には聖母戴冠の図。
内陣前に木彫のマリアと幼児イエスの像があり、小さな祭壇になっている。
内陣、クワイヤ
クワイヤ奧に修道院タイプの聖歌隊席があり、その左手前に司教座椅子 カセドラ(cathedra)
がある。
薄暗い上に遠いのでボケた写真ですが・・。
何やら物々しげな石の椅子のようです。このタイプはミラノあたりで見たのに似ている。
もはや象徴としての椅子でしょう。
クワイヤを取り囲む周歩廊を囲むステンドグラス
もちろん後年修復されて復元されていると思うが、ゴシックの聖堂ができてからこの形になったのだろう。何しろ 最初のものは12世紀らしい
から・・。
モザイク式で描かれたステンドの雰囲気はゴシックと言うよりはロマネスク調。この種のタイプのステンドグラスとしては、ドイツ最古らしい。描かれた預言者は全部で5人。
司教座聖堂 2 につづく
リンク アウグスブルク 9 (司教座聖堂 2 ロマネスクのクリプト)
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