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リンク先のせました。
さて、清 水寺は一応終了したのですが、産寧坂(さんねいざか)の紹介の為に清水寺 塔頭(たっちゅう)、泰産寺(たいさんじ)子安の塔(こやすのとう)の紹介が必要になりました。
泰産寺の子安の塔は 産寧坂(さんねいざか)(俗称 三年坂)
の名前の由来になったと考えられているからです。
※ 産寧坂(さんねいざか)は清水寺参詣で、行きか帰りに一度は辿るであろう実に京都らしい小道です。
2016年京都 4 (産寧坂・さんねいざか)
泰産寺(たいさんじ)、子安
の塔(こやすのとう)
泰産寺(たいさんじ)と産寧坂(さんねいざか)
洛陽三十三所観音巡礼
産寧坂(さんねいざか)
とは言え、近年修復中で立ち入り禁止。写真がなかったので清水寺の冊子から写真を借りました。
泰産寺(たいさんじ)、
子安の塔(こやすのとう)

高さ15m 江戸初期(1631~1633年)に再建。(明治末期に移築)
清水寺塔頭(たっちゅう)、 泰産寺(たいさんじ)は洛陽三十三所観音巡礼の第14番札所になっている。
※ 子安の塔内部には元は十一面千手千眼観音菩薩(子安観音)が安置されていたらしいが現在の観音の保管場所は不明。
寺の創建には、聖武天皇と光明皇后が御子の誕生を祈願し、かつ、安産できたから・・との伝説がある
。(もしそうであるなら創建は清水寺創建より前 8世紀前半になるが・・。)
それ故、 子宝と安産祈願の寺
となり、三
重の塔である子安の塔は、現在は奧の院より先の山に移設されているが、元は清水寺、仁王門の向かって右手前に建立されていたらしい。(明治末期に山の中に移築)
ところで、創 建の天皇から見れば、清水寺より泰産寺の方が先に存在していた事になる。
第45代天皇 聖武天皇(しょうむてんのう)(701年~756年) ・・・ 泰産寺建立?
第50代天皇 桓武天皇(かんむてんのう)(737年~806年) ・・・部下が建立。清水寺を勅願寺に
日本の観音信仰は、飛鳥時代に伝来したと言うので不思議な話ではないが、もしそうなら、泰産寺は400年以上どころか、1300年と言う歴史になる。もっとも最初から本当に安産の寺かは定かでないが・・
参考写真は2011年7月のもの
写真右のピンクの矢印
あたりに立っていたのでは? と推定。なぜならそこの右脇の階 段の名が泰産坂(たいさんざか)になっているから・・。
泰産寺(たいさんじ)と産寧坂(さんねいざか) ※まとめ直ししました
ところで、この泰産 寺(たいさんじ)の子安の塔(こやすのとう
)は産寧坂(さんねいざか)の名前のルーツと考えられている。
産寧(さんねい)と言う言葉はその文字通り「安らかに産む」と言う意味で安産をあらわしている事。
子宝祈願と安産を願う者たちの 泰産寺(たいさんじ)の観音様への願掛けルート
として一目置かれた通りとして命名された? ・・と言
うのが有力な説である。(観音様は子安の塔の内部に祀られていた)
つまり、泰産寺の観音様に子宝と安産祈願に詣でる時、同時にこの産寧坂(さんねいざか)を通る事で、より安産祈願が重なる・ ・・と言う伝説の信仰だ。
産寧坂(さんねいざか)の名前は1658年「京童」や1659年「洛陽名所集」にも登場している
。
つまり 400年前に 民間信仰の一つとして産寧坂(さんねいざか)の参詣ルートがすでにあった事は解っている。
が、ひょっとしたら?
泰産寺の観音様に子宝と安産祈願に詣でると言う信仰は1300年前の聖武天皇以来からあった可能生もあるのかもしれない
。(三年坂説)
三年坂?
単に「さんねい」を聞き間違えたのか? とも思えるが・・。
俗称、三年坂については、大同3年に道ができたからと言う説がある。
大同年間は806年~810年までの期間。
桓武天皇(かんむてんのう)(737年~806年)以降の御代と言う事になるからだ。
この産寧坂(さんねいざか)は趣があり八坂神社に向かう経路としても、観光コースとしても非常に人気の小道となっている。(写真は後半に)
清水寺境内図 下の 星の14
が昔 の子安の塔の場所。

洛陽三十三所観音巡礼
清水寺の本堂が 十六番札所であると言う話は「清水寺1」で紹介したが、 西国とは、近畿2府4県と岐阜県に点在する33か所の観音信仰の霊場
である。
それとは別に京都の中で洛陽三十三所観音巡礼と言うのがあり、清水寺だけで5箇所(10~14番)の札所(ふだしょ)が存在する。
※ 洛陽(らくよう)は京都の異称
上の地図10~14番札所の場所
10番札所・・・清水寺善光寺堂(旧地蔵院) 如意輪観音(鎌倉末期)
11番札所・・・清水寺奥の院 三面千手観音座像
12番札所・・・清水寺本堂 十一面千手千眼観音
13番札所・・・清水寺朝倉堂 清水型十一面千手観音
14番札所・・・清水寺泰産寺 千手観音(子安観音)
※ 西国三十三観音霊場については、「京都 醍醐寺の桜 3 (弁天堂)」や「西国三十三所 観音霊場 八番札所 長谷寺」で触れています。
仁王門からの清水坂方面(清水寺山門の前の風景)


清水坂はいつもすごい賑わいです。
昔と変わらない店もありますが、修学旅行生を意識した所は変わらず。さらに今は外国人を意識した和小物の店など増えてました。
八つ橋の試食に外国の方がとびついていたのが印象的です。

産寧坂(さんねいざか)
赤い円
・・清水寺 青い星塗りつぶし・
・かつての子安の塔の位置
薄いブルーの通り・
・清水坂
イエローの通り・
・・産寧坂(さんねいざか)
ピンクの通り・
・・二年坂
清水坂を下ると途中 五条坂と産寧坂(さんねいざか)とに別れる。石の標識には「ぎおんまる山方面」と書かれている。
下は 分岐点にある七味家本舗
。目印になる。

七味家本舗
明暦年間(1655年~1659年)に、河内屋の屋号で清水寺参りの人向けのお茶屋としてスタートしたと言
う。
「からし湯」がルーツで七味唐がらしを商う店になったらしい。

山椒がけっこうきいたブレンドになっていたような気がします。
産寧坂(さんねいざか)入り口
今回は帰りルートで紹介していますが、安産の参詣なら往復このルートを歩く方が良いのかも・・。
イメージしてきた京都らしさを最も感じる・・と以前連れてきた姪と甥が言ってたのですが、実際外国の方も清水坂よりこちらの方が風情を感じる事でしょう。


振り返った所


こちらも振り返った写真なのであるが、クロネコトラックの左横が清水三年坂美術館である。

清水三年坂美術館は幕末、明治の七宝、金工、蒔絵、彫刻、薩摩焼などを常設展示する工芸美術
館です。
ほとんどが国外に流出していた幕末、明治の美術品の名品を館長である村田理如 氏が海外より集めてコレクションしたものが目玉となっています。
実は今回はこの美術館に行くのが一つの目的でもあったのですが、その素晴らしさに本当に驚きました。
象牙の彫刻など本当に細密でリアルで、想像を超える技術です。
平和だった江戸と言う時代がはぐくんだ職人技術は、明治に最高潮
に達したようです。
しかし、皮肉にも 日本人は文明開化で西洋物に現(うつつ)を抜かし、国内の高い職人技術を見落としていた
ようです。
結局市場に出たものは全て外国人に買われてしまった為に国内には逆にヒドイものしか残らず、幕末、明治自体の評価自体が下がると言う悲劇になったようです。
美術館は広くはありませんが、もし産寧坂(さんねいざか)を通る事があったら一度寄ってその技巧を見ておくのもいいかもしれません。![]()

産寧坂(さんねいざか)は上の写真左方面に続くのですが、たいていの人達はここから二年坂に入り、八坂神社の方面に抜けて行きます。
※ 二年坂は上の写真右の山椒ちりめん屋さんの手前脇の道を下る階段から始まっています。
下の写真は二年坂の入り口です。左に山椒ちりめん屋さん。
何気ない路地だが、人が多く往来するので解ると思う。小さいながら看板はあるし・・。
本当は一気に紹介したかったのですが、盛りだくさんになり長くなったので二年坂は次回に。それから高台寺に入る予定です。
高台寺、昨晩BSで放送されていました。テレビだと撮影できない所まで見せるからいいなーと思ってしまった ![]()
リンク 2016年京都 5 (二年坂)
大阪ミナミ 戎橋界隈と法善寺横丁 1 (ミ… 2017年10月23日
2016年京都 5 (二年坂) 2016年12月15日
2016年京都 1 (五条通りから茶わん坂) 2016年11月12日