わたしのこだわりブログ(仮)

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2017年02月03日
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カテゴリ: 偉人・画家・聖人


全ては新アメリカ大統領のドナルド・ジョン・トランプ(Donald John Trump)(1946年~)氏のけんか腰の外交のせいです。

これは彼のビジネススタルなのでしょうか?
本来対等であるべき外交にまでこんな高圧的な、しかも言いがかりのイチャモン付けて失礼にもほどがある・・と思う所です。
まして入国制限まで付けられた7か国(イラク、シリア、イラン、リビア、ソマリア、スーダン、イエメン)にとっては怒り心頭でしょう。

テロ対策とか言ってますが、実際911に関わったのにサウジやアラブが入っていないのが腑(ふ)に落ちない。(特に911の犯人19人のうち15人がサウジ国籍。)
またトルコやインドネシアだってリストに入りそうなのに・・。

どうもこのけんか先のリストはトランプ氏のビジネス先やパートナーが意図的に? 除外されているらしい。

アラブ首長国連邦(UAE)にはトランプ氏の所持するゴルフコースと豪邸があり、
サウジアラビアではトランプ氏の同国ホテル事業参入があるらしい。
トルコには彼の象徴であるトランプタワーがボスフォラス海峡前に建ている。(マニラにもトランプタワーあり。)
エジプトとインドネシアでは会社複数保有。
ちゃっかり自分の都合を除いてテロ対策と言いはっている所があざとすぎる気がします。
ぜんぜんフェアじゃない怒ってる

それにしてもアメリカ国民の半数がこれら入国対策に同意していると言う電話アンケートの結果には驚いた。
寛容で常に正義・・と、私達はアメリカ人を過大評価していたのかもしれない。


さて、今回は前回載せきれなかったフォンテーヌブロー宮殿のナポレオンや王妃の居室を紹介します。
但し、写真がかなり古く(2005年~2010年の複数日に撮影)現在のものとは異なる所もあるかも・・。

ナポレオン(Napoléon)の居室と帝政様式

フォンテーヌブロー宮殿(Palais de Fontainebleau)
ナポレオンの居室
帝政様式・アンピール様式(style Empire)
皇妃の寝室(マリーアントワネットのベッド)
ナポレオンの図書館


前回ちょこっと紹介しているが、フォンテーヌブロー宮殿(Palais de Fontainebleau)はブルボン王家からの宮殿ではあるが、 ナポレオンが改修して住まいとした事でナポレオン時代が偲べる宮殿 でもある。
※ 住人としてはナポレオン3世が最後であるが、彼はプローニュにあるサン・クルー宮殿に好んで住んでいたのでここはナポレオン1世当時の姿が残されているようだ。


ナポレオンの寝室
pict-ナポレオン 18.jpg
壁にはナボレオンのNをモチーフにした意匠が・・。
下はナポレオンのベッド
pict-ナポレオン 17.jpg
何だかとても小さく見えます。そう、ナポレオンは身長168cmと小柄。
とは言え、当時のフランス人の身長としては平均らしいです。

最後の住人
フォンテーヌブロー宮殿はナポレオンの第一帝政の時に修復され家具調度が新たに購入されています。
それ以前の王達の調度はフランス革命後に盗まれ、荒らされ、売り飛ばされたりと城はかなり荒廃。

ナポレオン失脚後は一時王政復古などもあったが、最終的にナポレオンの甥であるナポレオン3世が最後の住人となっている。(近年の政治的諸事情は除く)

テキスタイルなどはもしかしたら近年修復されて変わっているのかもしれませんが、家具調度についてはナポレオン時代の帝政様式の物で間違いないと思われます。

ナポレオンの執務室(小寝室)
pict-ナポレオン 19.jpg
ナポレオンは多くの時間をこの執務室で過ごしていたと言う。
その為だろうか? 1811年に天蓋付きの小寝台まで置かれた。
pict-ナポレオン 20.jpg
ちょっと休もうか・・と言う時に良い感じのサイズ スマイル
後ろの絵は移動できなかったのですかね。

下もナポレオンの私室
pict-ナポレオン 21.jpg
全てナポレオンの使用した当時の物。
この部屋で ナポレオンが退位の意志を決めたと言われる事から「退位の間」とも呼ばている らしい。
pict-ナポレオン 22.jpg

帝政様式・アンピール様式(style Empire)
新古典様式の延長にある様式であるが、 ナポレオンの帝政(Empire)と言うよりは、古代ローマ帝国の帝政(Empire)時代を意識したデザイン となっている。
この様式ははっきり言ってナポレオンの時代に限定されたスタイルと言って過言でない。

ナポレオンのイタリア遠征、エジプト遠征など彼の見識から来る好みだった? と思わざるおえないデザインは、ナポレオンの住居した宮殿の室内装飾や家具に主に出てくる。

建築では凱旋門など、新古典様式か? 帝政様式か? と判断に迷うものもある。
その実態は、そもそも新古典様式自体も当時古代遺跡の発掘がピークになってきた事から古代に対するあこがれや意匠が流行に取り入れられた事から発しているからだ。

ナポレオン時代の帝政様式は、以前の新古典様式が手本にした古典ギリシャやローマのデザインに加えて、エジプトの意匠が加わった事。金を多く用いたアラブ的な派手さを求めた事が異なる
(以前パリの装飾美術館でそれら家具を見学した時に正直ちょっと成金趣味的に思えた。)

デスクやサイドテーブル、椅子の足が帝政様式ではギリシャ神話のスフィンクスやあるいはメソポタミア神話のイシュタルのような有翼半人の神などが使用されているのも大きな個性だ。

下はウィーンの宝物館のキャビネットの足
pict-ナポレオン 27.jpg
これらは明らかに新古典様式とは一線を画す。

皇妃の寝室(マリーアントワネットのベッド)
pict-ナポレオン 24.jpg

こちらもドアに帝政様式がうかがえる。

ベット前肘掛け椅子も帝政様式です。当時カメラの画質がよく無いのでボケ気味ですが・・。
pict-ナポレオン 30.jpg
肘掛けのささえの部分が有翼のギリシャ神話のスフィンクスになっている。紛れもない帝政様式の椅子である。

天井の主な部分はルイ13世の王妃でルイ14世の母でもあったアンヌ・ドーリッシュ(Anne d'Autriche)(1601年~1666年)の為に製作されている。
pict-ナポレオン 29.jpg
壁紙ならぬ壁に貼られた絹地はロココっぽいな・・と思ったらルイ16世時代末のリヨンの反物を模して織られたものらしい。

現在置かれているベッドはルイ16世の妃マリー・アントワネット( Marie Antoinette)(1755年~1793年)の為に1787年に製作された物。
つまりこの部屋は皇妃達の寝室であるが、マリー・アントワネットの部屋と言うていで修復されているのだ。
pict-ナポレオン 23.jpg
確かにベットはベルサイユ宮殿のものと似ている。
※ 2009年6月「ベルサイユ宮殿 7 (マリー・アントワネットの寝室) 」で写真載せています。
  同じくベルサイユシリーズで「ベルサイユ宮殿(15 (マリー・アントワネット) 」なども書いています。
pict-ナポレオン 26.jpg
しかし、 革命の少し前の完成。マリー・アントワネットは一度もこのベッドを使用する事はなかったと言われている。

ではこの ベッドを使用したのは?
ナポレオンの最初の妻ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ
( Joséphine de Beauharnais)(1763年~1814年)である。
※ 1804年ナポレオンが即位すると彼女も皇后に戴冠。しかし1810年に離婚。
離婚の条件に終生の皇后の称号を得て余生はナポレオンの所持していたマルメゾン城と多額の年金をもらって過ごしたと言う。

そして次にナポレオンの妃となったマリー・ルイーズ(Maria Luisa)(1791年~1847年)も使用したのか? それについては不明。
何しろナポレオンが退位を決意した時に彼女はずっとルーブルの一角にあるテュイルリー宮殿(Palais des Tuileries)で過ごしていたからだ。
※ ナポレオンの公式の宮殿はテュイルリー宮殿であった。

その後 フランス第二帝政の皇帝となったナポレオン3世( Napoléon III)(1808年~1873年) の時代には皇后ウジェニー・ド・モンティジョ(Eugénie de Montijo)(1826年~1920年)が使用 している。

ウジェニーはマリー・アントワネットの大ファンだったらしく肖像画や遺品をコレクションして公開していたと言うから彼女は喜んでこのベットを使用したであろう。
pict-ナポレオン 25.jpg

ディアナの回廊(Galerie de Diane)
pict-ナポレオン 31.jpg
全長80m 。内装は王政復古時代のもの。第二帝政時代に ナポレオン3世が図書館に改築
両壁の本箱には ナポレオンの蔵書16000冊も所蔵 されているらしい。

ディアナ(Diane)は天井の絵画のテーマになっている月の女神で狩猟や貞節の女神ともされている。
この宮殿がそもそも狩猟の館から発展しているのでテーマになったのかもしれない。


ナポレオンの図書館
実は ナポレオンはかなりの読書家 として知られている。
パリの陸軍士官学校の時代に訛り(なまり)のせいで友達がなく、読書にあけくれていたと言われているが、実際最後の 刑地セントヘレナ島にも大量の本が持ち込まれたそうだ
また

pict-ナポレオン 32.jpg
地球儀はナポレオン発注のものらしい。

別の時には地球儀の代わりにこんな物が飾られていた。
pict-ナポレオン 33.jpg
ナポレオンの像ではないと思うが大笑いどうして立っていられるのだろう。凄いびっくり

フォンテーヌブロー宮殿(Palais de Fontainebleau)
現在は 「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」として1981年、ユネスコ世界文化遺産に登録 されている。

ルーブル要塞ができた頃? 11世紀にはパリ郊外のフォンテーヌブロー(Fontainebleau)にも狩り場としてすでに城館が建てられていたらしい。

前出ルーブルの要塞を建造したフィリップ2世(Philippe II)(1165年~1223年)が第三次十字軍帰還のパーティーをしている事や前王、ルイ7世(Louis VII)(1120年~1180年)の頃に特許条が発布されている事から城館はそれ以前に存在し、ルーブルより前にあったのではないか? と推定される。

但しフィリップ2世もルイ9世もフォンテーヌブロー(Fontainebleau)で生まれて没した美男公のフィリップ4世もまた公式の住まいはパリの裁判所宮(Palais du Justice)であった。

フォンテーヌブロー宮殿(Palais de Fontainebleau)が立派な宮殿になるのはフランソワ1世(François Ier)(1494年~1547年)の時代 である。

ルーブル宮殿同様に当時ロワールの貴族に人気 のあったイタリア・ルネッサンス様式が採用されて建築された。
フランソワ1世の回廊は見物である。


今回はナポレオンに絞ってフォンテーヌブロー宮殿の紹介をしました。






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Last updated  2017年02月05日 01時38分20秒
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