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わぉ~ やっと穴がボコボコ空いた軽いバゲットが出来始めるように。。。 粉はリスドオル、塩はゲランドの塩それからクオカで買ったビタミンC入り粉末モルト。。と、王道(?)を行ってみました~。(酵母はフツーのインスタントだけど) 生地の取り扱いもいつもよりもやさし~くして成形もたぶん正式な方法で。。 相変わらずクープは引きつるのでうまくいきません。剃刀でやってるんだけどナイフのほうが良いのかな。。? 今日はいろんな粉の違いがいまいちわからなかった私にもこのリスドオルの特徴はよくわかりました。 ・・にしても韓国ってどうして手に入る小麦粉の種類がこんなに少ないの??どなたか韓国で小麦粉の種類が豊富なネットストア等をご存知のかたいらしたらご一報くださいな♪
2009年09月30日

シュバルツバルト『黒い森』という意味だそうな。 残っていたライ麦粉を片付けがてら。。。 今回、日本から買ってきた発酵かごも初めて使ってみました。 さてそろそろ韓国では秋夕。今日から冷蔵庫もできるだけ空になるように食材整理しなくちゃ~です。
2009年09月30日
娘たちも小5,6になってくると「お泊り会がやりたい」とか言い出したりして。。だんだん女友達と過ごす時間が増えていくのよね。 で、なぜかいつもそのお泊り会(こっちじゃパジャマパーティって言う)にウチがターゲットになるらしいんだ。。 他のお友達はみんな「自分ちは狭いから出来ない」とか「小さい弟がいるからだめ」とかそういうことを言うらしい。。。でそういうことを言う子に限ってパジャマパーティの『言いだしっぺ』だったりするのだが?・・・ まあどこのお母さんも自分の娘には「ウチは駄目よ」って釘を刺してるみたいなそんな空気は見て取れるから私にしたらそれも子供たち、ちょっとかわいそうかな。。と。 で、お友達3人くらいならいいわよ。。と今回はじめて我が家でパジャマパーティを許可したわけなの。 で、ウチの三人と合わせて6人の娘たち。この週末きゃーきゃー言いながら笑って遊んで食べて寝て。。。 今朝、無事にパーティ終了しましたが私、思っていたよりは疲労の度合い、高くない。。(笑) まあ、確かにどたばたうるさいから階下の大家さんがいつ上がってくるかひやひやしたこともあったけどそれとはまた別に興味深いことも多くって。。 たとえば、子供たちと一緒にピザ焼いたりしたんだけど遊びに来たお友達に生地を捏ねさせてみても日頃のその子からはうかがえない何かが見えてくるのね。 お友達3人はみんな私も顔見知りで我が家にもよく出入りしてる子達だったけど今回ずっと一緒に過ごしてみると知らなかったその子の『もってる力』みたいなものが見えてきてとくに一緒にピザを作ったときには「ああ、子供に何かを教える作業って面白い!」って心底思えてきました。。 なにかをやらせてみるとその子のことがよく理解できるってことなのね。 これ、もっと自分の娘たちにも応用しないとなぁ。 そして学ぶ様子を見ていたら子供たちに一種の敬意みたいなものを感じたわ。。。 今まで何かを人に教えることにはちょっと抵抗があった私ですが子供に何かを教えるということにこんな醍醐味があったとは。。と これはちょっとした『気づき』でした。 しかし一方では子供たちの個人主義的な傾向というのかたとえばみんなで一緒に食事中だというのに食べながら下向いてゲーム機いじってる子とかマンガ本読んでる子とか。。 食事時間以外にも、もちろんPCとゲームとマンガ本読むことが大半で。 日頃親から制限されてるからこそ今回はそれから解放されて夢中になってるのかそれとももともと日頃から親もうるさく言わないオウチなのでいつもどおり夢中になってるのか。。 とにかくみんなでテーブルを囲んで食事してるのにひとりゲームしながら食べてる姿にはかなりショック受けました。 その子の親の教育がうんぬんとかそういう野暮なことはこの際言わないことにして。。 私のほうに、今回のお泊りが子供たちが大人になっても忘れることのない楽しい思い出になれば。。という思惑があったから勝手に子供たちの過ごし方に理想を持ってたのかもしれない、で、友達と一緒の時間を過ごす彼女らのスタイルが私の中の理想とはかけ離れていたというだけなのかも。 と、今は思うこともできますが~ それにしても自分の小中学生の頃はまだ個人機器なんてものも普及してなくて音楽聴くのもゲームするのも電話かけるのも『共有』の概念があった。 アンプから流れる音楽をみんなで一緒に聴きゲームといえば『人生ゲーム』やトランプやオセロってとこで(笑) そういや電話の機能でもこれは小中学時代よりはずっと後だけど相手の声が受話器からでなくて電話機内臓のスピーカーから聞こえるような切り替えタイプのものありましたよね?その場に居合わせるみんなで相手の声聞いてみんなでしゃべることが出来る機能の。。 しかし今はもうすべてパーソナルな時代。 パーソナルがけっして悪いとはいいませんがでも『共有すること』が苦痛な人間がパーソナルな環境に大義名分を得たらそれは非常にアンバランスだというのは誰でもわかることで。。 いや、しかし、『共有』の概念。。それはパーソナル機器においてもきちんとあるなぁ。。ただ物理的共有がなくなってむしろ精神的で高度で複雑な『共有感覚』が生まれてきたというべきか。 うーーん、書いていてまとまらなくなってきた。 あまり子供の未来が心配~とかそんなこと言うつもりもないんですがね。。 なんか古い人間なもんで、、それに日本人気質もあるからなのかやっぱり『公』が薄れつつあるのを目の当たりにするとどうも気になってしまいますねぇ。
2009年09月20日

( ↑ チーズ、卵、シメジ、ねぎ入りの辛ラーメン) こないだYOUTUBEでピアニストの演奏をいろいろ漁っていたら矢野顕子の『ラーメンたべたい』にたどり着いてソレ見ていて「矢野顕子ってすっごくいい!」と思った。 とくにこの『ラーメンたべたい』曲のシチュエーションでは店で食べるラーメンみたいだけど私は何かに傷つき疲れ果てたオンナが自宅の台所で一人そっとインスタントラーメンすすってるようなそんな情景がふと浮かんでなんかものすごく共感してしまった。。。 そう、、私も最近妙にインスタントラーメンたべてる自分がいる。。。(といっても多くない、月に1~2回だけど) 今日もひとり、食べたくなって鍋のままずるずるとすすってた。 《オトコもつらいけどオンナもつらいのよ》 そうよ、これこれ。オトコもオンナもつらい日常抱えてラーメンすすってるわけ。。 ウチの主人って私に気に入らないことがあると私が準備した夕食に手をつけずわざと辛いインスタントラーメン作って勝手に食べてそれを私への『抗議』としてるみたいなんだけど。 彼はそのほか会社なんかでも何かやりきれないことがあるとどうも夜は辛いインスタントラーメンに走る傾向があって 私もこの一週間、怒涛の一週間でどんだけ神経すり減らしたことか。。。とはいっても学ぶこともいっぱいで有意義でもあったけど とにかく今日、金曜日は子供たちを学校へ送り出してから安堵と疲れと今後へのさらなる不安とでまさに『ラーメンたべたい』な気分。 さて来週はどんな一週間が待っていることやら。。
2009年09月11日

韓国語でオクススはとうもろこしのこと。で、これは『コーンブレッド』なんですが~ 韓国ではとうもろこしのことをそういえば『コーン』ってあまり言わないんだよね。 でね、韓国語で『コン』って言ったらこれは大豆のこと。 大豆もとうもろこしも豆の類で『コン』と『コーン』はきわめて紛らわしいから韓国ではあまりとうもろこしを『コーン』というのは推奨してないのかしらん。。?? で、日本人にしてみれば普段ちょっと紛らわしいの~~これが! たとえばチェサの食事の準備中などにお義母さんから「コン油買ってきて」なんて言われちゃうものなら大豆油なのかとうもろこし油なのか頭ごちゃごちゃになったりして。。(今はもうないけど。。) で、韓国ではこのパンは『オクススパン』と一般に言われています。 今回は初めて韓国の国産小麦粉で焼いてみました。全羅南道チリ山のふもとにあるクレというところのものです。 そしてオククスカル(とうもろこし粉)も初めて使用。。 出来上がったパンは弾力があって甘くて美味しかったです。とくにこの弾力、何から来てるのかわかりませんがまるでこんにゃくを噛んだときのような歯をはね返す感じ。。。 私には新しい食感でちょっと新鮮でした。
2009年09月11日
昨日アップした日記を読んでコメントしてくださった方々の内容にレスしながら「ああ、私、結論は書いてなかったかも。。」と思いました。 傷ついた立場の自分のことは書いたけどその先のことは書いてなかったな。。と。 自分が傷ついた経験があると同じ傷ついた人をいたわりその立場を理解できるようになるし逆に、自分が傷つける側になってはいなかったか過去から現在までを反省するようにもなる。 それは自分も同じでいままではそうしてきたんだけど。。。 今回はちょっと別の方向に目が向いたというか。 今回の件のその登場人物の中で、私に直接ダメージを与えたのはもちろん、正当性をふりかざして直接的にコトバや態度で圧力をかける人物や集団、あるいは正当性をよりどころにしただけの血の通ってない規則や取り決めそのもの、。。って普通はそうなるはずです。 でも違ったのよねぇ。。私に一番やりきれないダメージを与えたのは意外にも自分が『味方』だと区分していた立場の人でした。 その人物は私と同じ、不本意ながら大義名分の犠牲になってさぞかし不満も感じてるだろうと思いきや「なんかへんよね。。コレ」と口にした私に「そりゃあ、上の指示には従わなきゃ」とえらくオトナな回答でした。 これには決して「裏切られた」とか「あら、いい子なのね。。(笑)」とかそんな恨みみたいな思いは湧かなくてやるせなく傷ついたというのか。。。 その人物が自分の置かれた立場が不当だとか何か不快感を感じるとかあるいは「これでいいと思うわ」とかそういう自分の立場を言い表しながらこの件に『コミット』していく姿勢が全く見られない点が私に孤独感を与えたんだと思う。 そしてそういう人間の発言というのがコミットしながら(かかわりを持ちながら)抵抗している少数派を図らずも傷つけ打ちのめすんだなぁ。。と。 この傷のつけ方というのは大義名分で人を傷つけるのよりももっと認知されにくくて実はけっこう私たちの心に対して深刻なのではないか。。と。とくに個々人の日常レベルの問題となるとね。。。 しかし、こういう考察というのが悲しいかな、自分が当事者になってキモチがホットなあいだにしか出来ない。 つまりそういう世界とは自分が弱者にならない限りコミットできない。。というのが自分はいちばんいけないことなんだ。 そして、自分が、大多数『みんな』の構成員になりさがっていままで孤独な思いをしてる人の脅威となってきたのだ、ということに気づいた。 これも『罪』といえるのだ。。と今ではそう思う。 というのが今回の私の所感です。。まる
2009年09月08日
正しければそれを声を大にして叫ぶ。「みんな」を味方につけて正義を押し通そうとする。結果、影で傷つく人がいるということにはたぶん永遠に知る由もないんだろう。 大義名分のもとに少数の(あるいはたったひとりの)人間が傷ついたとしても傷つけた当事者はもちろんのこと、その他大多数の人間(「みんな」)はそれを知る由もない。。 前回、村上春樹の本の魅力についてちょっと触れたけど彼の本の中に出てくる『暴力』について言及している部分というのは私に示唆を与えてくれている。 私が韓国でこれも充分『暴力』の一種だ。。と常に感じているものがある。 《大義名分・大多数を味方にして少数派を認めない暴力》である。(どこの国だってあるにはあるんだけど) 『暴力』というコトバの概念が彼の本を読んだこと、そして韓国暮らしを経験したことによってずいぶんと広義に、また立体的になってきたような気がする。 私は数日前からこの大義名分暴力に遭っている。。 正直言って、物事は多層的で多重的で多様性を帯びているということがわからない民族を相手にするのはすっごく疲れることである。。。 この種の暴力は外からやってきた外国人にはよぉく理解できるし、ありありと実感できるもの。 そして、その暴力に憤りしばらくは対決姿勢をとりながら悪戦苦闘してそのうち、観念して怒りもどこへやら。。。なんて経験が在韓経験者にはきっとあるもんだ。^^ しかし韓国国内でずっと暮らしてきた韓国人たちは韓国社会の中で韓国人同士で暮らしながら実はその種の暴力によって苦しめられてもそれに気づかずにただ自らに非があるという発想しか出来ずそのうちコトを無難に終結させることが多いんじゃないか。 まあ、いったい何があったのかは全く伏せて今日はお話してるので今日の日記、ちょと意味フメ~かな でもさぁ。。。村上春樹の小説が韓国でどれだけ人気あるって聞いたって私は韓国人がどこまでこの作家のメッセージの真髄を読み取ってるのかすっごく疑問。。 どうせ先進国日本のトレンディー小説くらいにしか思ってない人多いんじゃないか。。。 だって日本の評論家の中にすらそういうこと言う人が過去に何人かいたんだから。。 要は韓国でも日本でもだけど正当性とか正義とか役割から逸脱しないとか決まりや規則を守るとかそういう価値観を美徳だと思って生きてる人間には村上春樹はつまんないでしょう。。。 そして何らかの有益性や意味・意義のないものを軽視する傾向にある人間にも。。(これは韓国人そのものだと思う) 私は日常で誰かに(あるいは何かに)傷つけられたとしてもそのおかげで村上春樹の小説がますますリアルに読み込めて同じような経験のある村上ファンとより深く共感出来るんだったらこの自分の方向性、全然間違ってないはず。。って思えるのよね。 村上春樹の小説は私にとってこういう、自分や社会を見つめるベクトルを見定めるひとつの指針になっているといえそうです。
2009年09月07日
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