風が伝えた愛の詩
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トン太郎さんが、小さな骨になりました。15日、病院からついで警察から立て続けに着信があり、警察とのやりとりで、トン太郎さんのCRTD(除細動器)のデータが11日で途切れているとのことを知らされました。これは機械の故障でなければ、心臓が動いていないことを意味します。そのデータが病院で確認されたのが、15日その日であるので、実に4日間気付かれずにあったことになります。病院に緊急連絡先として届けでられていた私の携帯にまず電話があったようで、その段階ではまだ消息不明のまま救急車が行き、警察が行き、鍵がかかっていたのを結局どうしたのか、家の中へ乗り込んでいったようです。警察が中に入ると、トン太郎さんは1階のお母さんの部屋で布団を敷いて寝ていました。その日に私は警察に引き取られたトン太郎さんに会ってきました。がりがりに痩せて、口を開いていました。口を開いているのは、CRTDが作動して、体が浮いたためでしょう。CRTDは4回続けて作動したそうです。11日の午前2時だったそうです。わからないことばかりです。なぜそんなに痩せたのか。なぜ亡くなってしまったのか。最後に会ったのは今年の1月で、体重は80キロを越えていました。一昨年の3月に職を失い、失業保険と障害年金でどうにかやっていたようです。昨年の秋まで陶芸教室で毎月会っていましたが、このころ就職が決まりトン太郎さんは陶芸教室を休んだ状態に。けれど決まった仕事は初日の体調不良で結局続かなかったようです。今年1月、前にあげた履歴書を切らしたから、また打ち出してくれと連絡がありました。それを持って駅近くで会いましたが、妙な話を聞かされました。本人は病院からもらっている薬の影響だと言っていましたが、意識障害がでていたらしいのです。車で出かけたらしいが自分は気がついたら路上で寝ていて、歩いて帰ってきたらしいと。車は後日、近くのドラッグストアの駐車場で見つけたと連絡がありました。思い起こせば、去年のいつ頃だったかも、覚えがないとか、夢遊病があるらしいとか、おかしなメールが届いていましたが、そう重く捉えてもいませんでした。記憶がしょっちゅう途切れるから病院で伝えたら、薬を変えて先生が変わったと言っていました。それから前に勤めていたところから復帰の話があると聞かされましたが、これは2月にメールがあり、ダメだったとのこと。例の意識障害の話は、薬が変わって先生も変わったと聞いて、もう大丈夫だろうと安易に考えていましたが、あるいはそういったことが続いていたか、もっと重篤なことになっていたのでしょうか。お金はあったろうか、これも心配でした。家を売った方がいいかと相談されましたが、手放してはいけないと助言して、払えないならローンを組んでいる銀行に相談してみるよう伝えて、結局、一年間止めてもらうことになったと後日聞きました。障害年金があるから、食べていくことはできると考えていましたが、もしかしてこの手続きを怠って、もらえなくなっていたなんてことはないだろか、あるいは税金を払いなどして、食べていけなくなっていたのでしょうか。あの痩せかたは、どのように考えても変なのです。食べられなくなったか食べなかったか、食べていない、だから亡くなった、そんな痩せかた。最後なのです。病院へも5月から行っていなかったとのこと、このころから寝たきりとなっていたのでしょうか。私はその間に何度かメールを送っていました。求人募集を目にした時に要件だけ書いて送ったものや、「お元気ですか?お変わりない?」いつも短いメールばかりですので、返事も期待していなかったし、もともとトン太郎さんはメール無精で、5通に1通、忘れた頃にしか返さない人でしたから、返信がなくともそれ自体は心配にはならなかったのです。最後に返信があったのは6月7日のもので「いつも心配かけてごめん、ありがとう」という主旨のものでした。不思議なこともありました。亡くなった日かその前後、遺体が発見される頃まで、私は決まって午前2時に一度目を覚まします。ある時は「ああ、トン太郎さん元気にしているかなあ、メールしよう、いや、何でこんな時間にそんなこと思うかな…」とひとりごちたり。それから、亡くなった日には三度ほど街でトン太郎に似た人を見ています。それがまた変で、痩せて顔色が悪く、見てドキッとして、あとで「ちっとも似てないのに何で?」と思うのです。その時の顔は、後日警察で再会した時の顔でしたので、ああ、会いに来たのかと知りました。それから、トン太郎さんの弟さんから、お通夜とお葬式の案内を頂きましたがよう行きませんでした。お通夜の日、学校帰りに電車に乗っていて、「場所は聞かなかったけどこのあたりの駅だったかな、トラさんのお葬式をした式場と同じなら」と考えていたら、トン太郎さんの匂いがしました。その匂いは、東寝屋川か忍ヶ丘の駅で乗って来て、四条畷で降りて行きました。私は「ここで降りるんでしょう、じゃあまたね」と心の中で呟きました。5年前に家を出て、こんなに早く、しかもこんなに辛い別れになるとは思ってもいませんでした。トラさんが亡くなって、「しまった」と思った時も、トン太郎さんがこんなことになるとまでは考えもしませんでした。私がいればトラさんはもっと長生き出来たんじゃなかったかという思いを抱いて生きているけれど、これからはトン太郎さんへの思いも背負って生きていかなければなりません。それをしたからといって、取り返しのつかない結果は変えようがないのですが。病気でなくなったか、薬の重篤な副作用が起こったか、何で亡くなってしまったか、原因はわからないけれど、どんな思いで横になっていたのか、それを思うと申し訳の立たない思いでいっぱいです。
September 29, 2015
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