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(AIモードより)
丹霞焼仏
「丹霞焼仏(たんかしょうぶつ)」とは、
中国・唐代の禅僧である丹霞天然(たんかてんねん)が、
寒さをしのぐために木彫りの仏像を燃やして暖をとったという、
禅宗の有名な逸話(公案)およびそれを描いた画題です。
形や固定観念に囚われがちな人間の信仰心や主観を揺さぶり、
「真の仏(本質)とは何か」を問いかける禅の教えとして、
古くから多くの禅画に描かれてきました。
逸話のあらすじ
ある厳しい冬の日、洛陽の慧林寺を訪れた丹霞天然は、あまりの寒さに耐えかねて、
お堂に安置されていた木造の仏像を引っ張り出して燃やし、暖をとり始めました。
それを見た寺の住職(院主)は激怒し、こう咎めました。
「何という罰当たりなことをするのだ!寺の不朽の名作である仏像をなぜ焼くのか!」
すると丹霞は平然と火をいじりながら答えました。
「いや、私はこれ(仏像)を焼いて、仏舎利(お釈迦様の遺骨)を採ろうとしているのです」
住職はさらに怒って言いました。
「ただの木像から仏舎利が出るわけがないだろう!」
丹霞はすかさずこう言い放ちました。
「舎利が出ないのであれば、これはただの薪(まき)にすぎません。
それなら、もう2つほど持ってきて燃やしても構いませんね」
それを聞いた住職は何も言い返せなくなり、逆に仏の形に執着した罪によって、
眉毛が抜け落ちてしまったと伝えられています。
禅における教え(本質)
このエキセントリックな行動には、以下のような深い禅のメッセージが込められています。
偶像崇拝の打破: 仏像という「形(物質)」を崇めるあまり、
その奥にある「仏性(本質)」を見失ってはならないという戒めです。
とらわれない心: 丹霞にとって仏像は単なる「木」であり、住職にとっては聖なる「仏」でした。
住職は「仏像を燃やすと罰が当たる」という主観的な固定観念(妄執)に縛られていたのに対し、
丹霞は一切の偏見から脱却した自由な境地にいました。
即心是仏: 仏は外にある像ではなく、人間の内なる心にこそ宿っているという
禅の根本思想(脚下照顧)を体現しています。
美術品としての「丹霞焼仏図」
このインパクトのある物語は、後世の絵師たちに好まれる格好のテーマとなりました。
特に有名な作品は以下の通りです。
国宝『禅機図断簡(丹霞焼仏図)』: 元時代の高僧・因陀羅(いんだら)が描き、
楚石梵琦(そせきぼんき)が賛(詩)を寄せた水墨画です。
日本のアーティゾン美術館(東京)に所蔵されており、
ニヤリとしながら仏像を燃やす丹霞と、
それを慌てて咎める僧の対比が生き生きと描かれています。
仙厓義梵の『丹霞焼仏図』: 江戸時代のユーモラスな禅僧・仙厓(せんがい)も、
この画題を親しみやすいタッチで描いており、出光美術館などにその書画が伝わっています。
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