2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全29件 (29件中 1-29件目)
1
今夜の夜行バスで、愛知万博に行ってきます。帰ってきて、ここに書ける面白いネタがみつかればよいが。さて、そういうわけで今日は書く話題もないので、僕の「座右の銘」(笑)というかなんというか、そういうことについて。読んでも特に役に立つわけじゃないです(~_~;)前にもチラッと日記に書きましたが、僕のモットーは「金にはならんが面白い」です。そういう生き方をしたいと思ってるんですが、実行できてるかどうか・・・。施設の経営方針もこれ。経営理念が「金にはならんが面白い」では誰も金貸してはくれんだろうがね。この言葉は、1969年のアメリカ映画「ワイルド・バンチ」(サム・ペキンパー監督)の中のセリフです。西部劇です。僕は映画全般好きですが、特に好きなのはコメディと西部劇。西部劇はもう終わってしまったジャンルですが(クリント・イーストウッドの「許されざる者」でおしまい)、今でも西部劇というだけで胸がときめくなあ。マカロニ・ウエスタンは好きになれない(イースドウッド主演の3本を除く)。残酷だとかそういうのはどーでもいいが、そこに漂ってる空気(これは雰囲気を意味する空気、ではなくて、文字通りの空気ね)の温度が違う。マカロニ・ウエスタンのロケはスペインが多いのだが、走る馬があげる砂ぼこりの乾きかたが違う。まあ、アリゾナもテキサスもスペインも行ったこたーないがね。僕が高校の頃、もう西部劇は衰退しはじめてた。ジョン・ウェインが映画の中で死んだり(11人のカウボーイ・72)、ブレーク・エドワーズ(!)がなんだかホモっぽいの撮ったり(夕陽の挽歌・71)。この時代、実はもっとも「西部劇の血」を純粋な形で受け継いでいたのは「ダーティ・ハリー」(71・ドン・シーゲル)なのだが。「ワイルド・バンチ」もそういう、西部劇で語られる「伝説」などウソだっ!ていうアメリカン・ニューシネマの流れの中で出てきたバイオレンス集団対決ウエスタンである。しかし監督のサム・ペキンパーは筋金入りの西部の血が流れる男である。「ワイルド・バンチ」とは実在した強盗団の名前。「明日に向かって撃て」のブッチとサンダンス、キャット・バルーもこの強盗団にいた。映画は初老の首領、不死身のパイク(ウィリアム・ホールデン)をはじめ、出てくるのは中年の男ばかり。みんな、自分たちが新しい時代にそぐわなくなってるのを自覚しながらも、なんとか誇りをもって生きようとしている(強盗だけど)。彼らは追われ追われていろいろあって、メキシコ国境近くでだまし討ちにあい、仲間のメキシコ青年を殺され、百人以上の軍隊と4人で対決することになる。クライマックス、スローモーションを多用する長い長いアクション・シークエンス(バレーダンサーのように舞踊りながら大量に死んでゆく)は明らかにジョン・ウーに影響を与えている。このマシンガンやらガトリング銃(マカロニでよく出てくるヤツね)での撃ち合いは、当時非難轟々でした。残酷だとか無意味に長いとか(巨匠ハワード・ホークスは「ワイルド・バンチ」をどう思うかと聞かれて、「ペキンパーが1人殺す間に、俺なら3人殺して埋めてみせる」と語ったそうです)。違う違う。時代の流れに「俺はイヤだ!」と徹底的に反抗してきた伝説の男(「不死身」のパイク)の葬式なのだ。これくらいの長さはいるでしょう。大事なのはパイクが一度も自分の銃(回転式・リヴォルバー)を使わないこと。もう1対1で誇りを持って戦う時代ではないのだ・・・ということを知ってるから。もうひとり、昔は仲間だったが、今は寝返って警察側にたってパイクを追う男(ロバート・ライアン)がいる。この男も時代に取り残されている。そして、時代に逆らおうとするパイクの心をもっとも理解する男でもある。ライアンの追跡隊がやってきたとき、すでに4人は殺された後。ライアンはひとり、その場に座り込む。自分が捕まえにきたんだけど「不死身のパイク」がホントに殺されるとは・・・と思って。呆然とする男の前に、ただひとり生き残った仲間のじいさん(斥候にでてケガをしたところをメキシコ・ゲリラ軍に助けられる)が現れる。演じているのは、スリム・ピケンズ。キューブリックの「博士の異常な愛情」で、水爆にまたがり、テンガロン・ハットをふりながら落ちていったあのオッサンだ。ピケンズはライアンに言う。「わしと一緒にメキシコに行って、ゲリラにならんか」ライアンは迷って、おし黙る。するとね、ピケンズは重ねて言うのです。「金にはならんが面白いゾ」ふたりは見つめあったあと、ガハハと笑い出す。メキシコへ向かうオッサンふたり。そして映画は終わる。僕はゲリラになるつもりはないですけど、やっぱり面白いほうを選びたい。きれいな生きかたをしたうえで・・・という但し書きがつくが。どうも、面白さより金を選んだ人たちの顔が薄汚れてみえる気がするのは僕だけか?。
2005年04月30日
コメント(0)
今日から連休。一日ビールのみながら、洗濯・掃除とはりきってました。それにしても暑いのお。30度。去年までずっと施設で働いてたから、ゴールデン・ウイークなんて自分とは関係なかった。今年も僕の友達みんな、仕事しております。がんばってね。僕は前にも書いたとおり、愛知万博に行ってきます。人だらけなんでしょうねえ(~_~;)さあて、持ってくMP3プレーヤーの選曲でもしましょうかね。
2005年04月29日
コメント(4)
列車事故、亡くなった方が100名を越えたそうです。もう書くまいかと思ったけど、もう一日だけ書かせてね。原因究明はもちろん必要だし、亡くなった運転士の資質(僕は今、生産管理で不適合というのを勉強してる)についても調べるべきでしょう。でも、この運転士の両親に話を聞きに行くのは間違ってるんじゃないか。少なくとも僕は、このご両親から謝罪の言葉を聞きたいとは思わんが・・・。エラソーなことを言わせていただきますが、この国がねじ曲がっちゃったのは(ねじ曲がってると思う)、「上から下まで、年寄りから若いヤツらまで自分のやった事の責任をとらない」ということに尽きる、と僕は思ってます。JR西日本、逃げないで責任とりなさいね。僕らは弱いし、エラくもない。よく間違うし、失敗もする。でも、自分が間違えて誰かに迷惑をかけ、誰かの心を傷つけたのなら、責任はとりましょうよ。ひとりひとりが「やったことの責任はとる」、そう決心して生きるだけで、ずいぶんこの世界はシンプルになる気がするが。エエかっこするなバカ。オマエ、責任とってんのかよ・・・という声が聞こえてきそうだが、僕は責任はとってきたつもり。これからもとって生きていきます。深くうなずいたあなた、友達になりましょう。
2005年04月28日
コメント(4)
今日はもう、無理やりにでも元気がでる話を書く!と決めて、朝からなにかネタはないかと記憶をたどっていくと、あったあったありました。これはちょっと前の話題で、僕はもうこのページを始めてて、書きたい気持ちはやまやまであったが何しろタイプが遅くて、書きたいことの1000分の1くらいしか書けない時期だったので、なくなくあきらめた。今は100分の1くらいは書けるようになりました。さて、どういう話題かというと、70年代から80年代にかけて活躍(というのかね)したシンガー・ソングライター斉藤哲夫氏が、現在ホームヘルパーとして勤務されているということ。新聞の小さな囲み(やっぱ、福祉のページだったかな)のインタビュー記事でした。奥さんがヘルパーの資格を取得され、それに刺激を受けて自分も資格を取得、週3日くらいヘルパーとして在宅の利用者を訪問している・・・というものだった(記憶だけで書いてるので、多少違うかも知れぬが大筋は間違ってないはず)。もちろん、音楽活動もされていると思う。斉藤哲夫は、宮崎美子のカメラのコマーシャルソング「今のきみはピカピカに光って」というのが大ヒットした人。これでも、若い人にはもう通じまいねえ。僕にとっては、このヒット曲(特にいい曲とは思えんが)よりずっと前、73・4年のアルバム「バイバイ・グッバイ・サラバイ」の人、となる。いや、この人にはもっとスゴイ曲がある。「されど私の人生」であります。さあここからはおなじみ、オジジの想い出話です(昔は良かったのう。げほげほ)。73年の夏、静岡県の「つま恋」というところで、「たくろう・かぐや姫 コンサート・イン・つま恋」というオールナイト・コンサートがありました。今ではなんでもないんだろうが、野外でのオールナイト・コンサートというのは画期的だったのです。何万人集まったのか憶えてない。東京に住んでたワタシは当然行きました。コンサートの構成は、吉田拓郎とかぐや姫が交互に出てきて、最後は拓郎の「人間なんて」で終わった。ライブの出来は明らかにかぐや姫のほうが良かったが、残念ながら僕はかぐや姫には興味がなかった。拓郎には「トランザム」(そーゆーバンドがいたのね)や松任谷正隆のバンドがバックについていたが、2部のラストで突然弾き語りで「されど私の人生」を歌った(というか、絶叫した)。なぜ拓郎がここで斉藤哲夫の曲を歌ったのかは知らないが、このコンサートの最高のシーンはここであった。現場にいた僕は泣いたし、まわりもみんな泣いていた。拓郎の絶叫は満天の星空に溶けていった。野外ライブの素晴らしさを教えてもらった瞬間でありました。もっとも、斉藤哲夫の名はそれほどポピュラーではなかったから、拓郎の新曲と思った人もいたかもね。 もうどうでもいいのさ つまらぬことは考えないで そこからの道を急ぐのさ それがもっともかんじんさ まぼろしの道はいくつもに分かれ どのように行くべきか定かではなし ただひたすらにレールの上を 歩いて行こうとは思うのだが 変わる 変わる 目の前が 変わってそれでおしまいさ されど私の人生は されど私の人生は こういう歌をうたっていた人、ファンだった人が、自分と同じ道を選んでくれるなんて、これ以上元気がでることはないです。しかもこの道では、わしの方が先輩じゃあ。わはは。
2005年04月27日
コメント(0)
大阪の列車事故では、まだ車内に取り残されている人がいるようです。昨日は、こちらの憂鬱な気分が晴れ始めた時だったので、無理やり違うことを書きましたが、でも、そういうのはいけないな、やっぱり事故について書くべきであったなと思います。僕が事故について、特別な意見吐けるわけじゃないですけど。こういう大きな事件や事故があったとき、僕がいつも思うのは、「頼むから、遺族に話を聞くのはやめてくれないか」ということ。身内が死んでもね、しばらくはわりと平気です。何が起こったのかよく理解できてないから。もう二度と、もう二度と会えないんだ・・・って理解できるのはずっと後です。みんな人がいいから、マイク向けられるとそりゃ喋りますよ。孫を亡くしたおばあちゃんも喋ってたし、母親を亡くした息子さんが、遺体安置所で確認した後、車の中でメガネはずして泣くところを望遠で撮ってた。やめなさいそんなこと。この人たちには、これからウンザリするくらいの悲しみがまってるんだぜ。想像できんか。とても俺には撮れないやって、レンズにフタするのが人間というものではないのかね。それで、なぜ撮らなかった!って上司に怒られたら僕が味方してあげます。僕はすごく甘い人間で、いい年してこんな青いこと言ってるようじゃ、やっぱり出世は出来ないのかもね。でも、人の心の痛みを想像するくらいはできる。想像できないヤツとは友達にはなりたくない。
2005年04月26日
コメント(4)
大きな列車事故がありました。まだ詳しい原因などはわからないようですが、亡くなられた方のご冥福をお祈りします。それにしても、自分の乗ってる列車を23歳が運転してるかもしれないと思うと怖い気がするが。昨日の夜は、ドゥー・ワップのオムニバスを聴いてました。なによりグループ名が素晴らしい。パステルズモノトーンズソニックス特に有名じゃない地味なグループだけど、その字面だけで聴いてみたいと思わせるよね。ドゥー・ワップのグループでは他にもムーン・グロウズフラミンゴスペンギンズコースターズキャデラックスと、ウットリするのが多い。今のグループ名は凄すぎて、ワシには理解不能なものも多いが、それを言い出すと年寄りの冷や水といわれそうなのでやめておく。関係ないけど、お笑い(この言葉、嫌いだけど)コンビの名前も、どれがどれやらわけわからん。しかしまあ、昔もゾンビーズとかキンクス(!)とかいたわけだしなあ。グループ名というと想いだすのは、やはりビーチ・ボーイズです。ブライアン・ウイルソンのグループが「ビーチ・ボーイズ」という名ではなかったなら・・・と考えるのは僕だけではなかろう。「ペット・サウンズ」をたとえば、「クイックシルバー・ギャグメッセンジャーズ・サービス」とか「ジェファーソン・スペースシャトル」とかいう名前のグループが出したんだったら、世間の聴き方も変わっていたかも。日本で、グループ名つけて天才的なのは、文句なし細野晴臣ですね。この人がやってきたグループ名を書きますと、エイプリル・フールスージー・クリームチーズランプ・ポストバレンタイン・ブルーはっぴいえんどキャラメル・ママティン・パン・アレーイエロー・マジック・オーケストラ見事というほかござらぬ。ハイ・ファイ・セットの名付け親もこの人。そういやー、アルバム名もセンス抜群。「トロピカル・ダンディ」(トロピカルという言葉を知ったのはこの時)、「泰安洋行」、「はらいそ」、「コチン・ムーン」、「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」、「BGM」、「OMIYAGE」と。加藤和彦もなかなかシブイ。「ベル・エキセントリック」、「パパ・ヘミングウェイ」、「うたかたのオペラ」、「あの頃、マリー・ローランサン」ですぜ。声はフニャフニャだけど。などと、くだらんことをダラダラ考えてたら、憂鬱な気分もあきれてどこかに行っちゃったみたい。ニッコリ。と、一応書いたが、大きな事故の日にはふさわしくないですね。ゴメンナサイ。
2005年04月25日
コメント(2)
今日はちゃんと書きます・・・と昨日は書いたが、今日もちゃんとは書けませんなあ。ここ数日気持ちが盛り上がった反動が出たみたいで、なーんもやる気がしない日曜日でした。昨日は日記に書いたように、菜の花いっぱいの河原に止めた車でボーッとしてたんですが、すぐそばにあるオートキャンプ場は家族連れで賑わっていました。その時ですね、突然「俺はひとりぼっちなんだなあ」っていう思いが突き上げてきたわけです。どうしてでしょうかねえ。そういうことで、今日も外は快晴でしたが、こういう時は音楽に限る!というわけで(山下達郎は、落ち込んだ時はカーティス・メイフィールドを聴いて布団かぶって寝ちゃうそうです)、日曜日・快晴のけだるい午後に合いそうな曲、キンクス「サニー・アフタヌーン」、ラスカルズ「グルーヴィン」、ライ・クーダー「パラダイス・アンド・ランチ」、ジャズ・ジャマイカ「ジャマイカン・ビート」、ニーノ・ロータ「アマルコルド」と、ビール飲みながらひたすら必死で聴いてました。まあ、しょうがない。こういう日もあるわな。明日からは、気をとり直してまた勉強だあ。「すべてはALRIGHT」(RCサクセション) すべてはALRIGHT YA BABY すべてはALRIGHT YA BABY 夢を見るのは悪いことじゃない ことをあせりすぎちゃダメさ ちょっとだけ時間の流れが 君をじらしてるだけさ 頭ごなしに笑われても うぬぼれて踊ってりゃいいのさ 突然の贈り物を 受け取るときがきっと来るさ 気分を出してその気になって コトに立ち向かうしかないぜ 大丈夫さうまくやるさ すべては始まったばかりさ すべてはALRIGHT YA BABY すべてはALRIGHT YA BABYふーっ。
2005年04月24日
コメント(7)
今日は一日本を読むつもりだったんですが、ブロック工事がうるさいので近くの河原に逃げ出し、起業の本を読みながら昼寝してました。菜の花いっぱいで、まあ、たまにはこういうのもいいでしょう。帰りに、キリンやらアサヒやらサントリーやらで出てる新・発泡酒(雑酒・なんかいかにも安そうだよねえ)を買ってきて、今飲み較べてました。うーん、特には美味しくないのう。まったく内容がない、まさに日記ですな。と、書くと普段の日記に内容があるようだが、もちろんいつも内容などありません。明日はちゃんと書きます。
2005年04月23日
コメント(4)
昨日の続きです。宅老所開設に向けて、秋こそ行動の時!と決めてるのですが、どうして秋なのかというお話です。今年の正月、名古屋の姉の家に、遊びにいってました。元旦、新聞をみてた姪が、占いをみつけました「おにいちゃん(姪は僕をこう呼んでる)、すごいすごい」なにがすごいかというと、私の今年の運勢であります。星座占いと干支での運勢が載っていたのですが、僕はてんびん座で未年。まずはてんびん座。「12年に1度の大幸運期。10月までは不可能だと思われることも可能にさせてしまうパワーを発揮。幸運を人に分けてあげることで、さらに運上昇」続いて、未年。「絶好調な1年。これまでの努力が結実。秋口が人生の転換期。大きな夢に向かって急接近できる」わはははは。特に占いを信じたりはしないが、これは信じたほうが得だと思い、切り取ってもってきた。手帳に貼ってあります。もうひとつ。神社でおみくじをひきました。「大吉」運勢・幸運の運気。幸運の波に乗り、将来を見通し万全の対策を練るならば、安定した未来が築ける。願望・機会到来。必ず叶う。待人・意外に早く来る。がはははは。ほとんど天下を取った気分であります。待ち人よ、意外に早くいらっしゃい!
2005年04月22日
コメント(2)
学校も2週間経ち、ちょっと慣れてきました。ただ残念なのは、パソコンが壁に向いてて、まだ両隣りの人ぐらいとしか親しく話しをしてないこと。両隣りは中年の女性で、あきらかに僕より年下なのだが、どうも(やはりというべきか)僕を年下と思ってるみたい。いつか一番いいタイミングで年を言って、のけぞらしてやろう。わしもワルよのう。ぬはは。授業で、会社の就業規則を作成したりすると、やっぱり気持ちは盛り上がってくるわけで、いよいよワタクシ、具体的な計画に入りました。もちろん、大体のことは決めてるけど、エクセル使って、年間収支のシュミレーション作ったりしてます。競馬の収支表より難しいが。今日は「あなたが始めるデイサービス・実践編」(雲母書房)という本を買ってきました。全国の宅老所が紹介されてる。この本の前作(理論編)「あなたが始めるデイサービス」はすごく頼りにしてる本で、これからも役にたってくれるハズ。もう少ししたら、フリーページで、包み隠さずすべての経過を「ドキュメント・はるかなる宅老所」として書き始めます。しばらくお待ちあれ。授業で、経理の勉強すると「だ、大丈夫か、俺にできるのか・・・」と思うし、ブロック塀の修理だけで50万もかかると「し、資金が・・・」と思う。不安だらけだが、でもやるもんね。やれるんだもんね。
2005年04月21日
コメント(4)
もういいかげんにしてくれんもんかね。今朝の揺れもそーとーなもんでした。僕はもう起きていて歯を磨いてたのですが、やっぱり同じ、動きが止まってなにもできませんでした。ちょうど1月前の福岡西方沖地震は、ゆっくり大きくローリングするように揺れましたが、今回は小刻みな縦揺れ。地震が起きたとたん、外はどしゃぶりになった。バスは動いてたが、JRとモノレールは止まってました。午前9時すぎにもかなり揺れました。この時はもう授業は始まってて、悲鳴が上がった。家のブロック塀はヒビが大きくなって、もうダメ。うちは高台にあるんですが、下の家との境のブロックのみ、くずれかけてる。他は大丈夫なのに。なぜだっ!うちが倒れるのはしょうがないけど(しょうがなくないっ!)、人様に迷惑かけるわけにはいかんので、急いで修理の見積もりしてもらった。ちょうど50万(泣)。あとは、足場組むまで大きな地震来ないよう祈るだけ(-_-;)
2005年04月20日
コメント(3)
皆様、連休のご予定は立て終わりましたでしょうか。ミーハーな私は、愛知万博に行ってまいります。ま、なんもすることがないし、会場の近くに姉が住んでるつーだけの話なんすけど。今回は夜行バスです。初めて乗る。あー、ワクワクするなあ。万博には期待してないけど(なんせ名古屋だし・・・姉よ許せ)、あきらかに僕は、お遍路以来「移動」というものが好きになったみたいです。もうひとつ、僕はガラスのように傷つきやすい心をもった少年の面影をそのまま残したオッサンなので(フーッ)、なんというか、作法を知らぬことに手を出すのに躊躇してたのね。遍路前は。「ああ、作法をまちがえちゃったら笑われる・・・もうこれ以上傷つくのはイヤ」そーゆー気持ちも遍路で消えた。わからんかったら、聞けばいいのじゃ。がはははは。高知ではいったレストランは有名な老舗だったらしいぞ。それは知らんかったなあ。がはははは。スーパー銭湯・道の駅・道後温泉本館・ひつまぶし。口がついとるんじゃろう、わからんかったらきいてみろ。がはははは。なにっ、夜行バスにはトイレがついてるのかなあ?だと。ついてなければ、途中でトイレ休憩があるじゃろう。そんなこたー、乗ってみてから心配すればよかろうが。がはははは。問い。普通に書き始めるのに、途中でいきなりワルノリにターボがかかるのを制止できない私の心理状態を分析せよ。
2005年04月19日
コメント(6)
ういーっ、今日は月曜だというのに、帰りにスーパー銭湯に入って、ビールを呑んできました。ういーっ。バスで通ってて何がいいかというと、帰りに夕食を食べる時、心おきなくビールが呑めること。車だと、外食でビールが呑めないのがツラい。僕は食べることにあまり興味がなくて、ま、とりあえず腹がふくれりゃいいやと思ってる情けないヤツなのですが、好きな食べ物は?と聞かれたら、ビールと答えます。これは、RCサクセションの仲井戸麗市がビール好きというのを真似してたら、ホントに好きになっちゃったと、こういうわけですが、四国でビール頼んだときは、必ずアサヒかキリンかと聞かれた。ビール好きといいながら、ワシは実はそんなことはどっちでもかまわんのね。泡がでてノドがヒリヒリすれば、バドワイザーでもハイネケンでもオリオンでも三番絞りでもなんでもかまわぬ。ただし呑むときは、グビグビグビッ・プハーッといきます。作家ロバート・B・パーカーが、ビールをチビチビすする男は信用できない、と書いてるが、これって、ものすごく正しいような気がする。今日は他に書くこともあったのだが、ビールとスーパー銭湯のダブルパンチで疲れた。ダブルパンチといっても自分で求めたダブルパンチではあるが。学生(なんかこう書くの、冗談にしてもツラくなってきた(:_;)の身分で、月曜からこれでいいのか!というのも含めて反省します。ういーっ。
2005年04月18日
コメント(7)
スカパーで、「死国」(99・長崎俊一)を観ました。四国遍路を取り入れた、土着伝奇ホラーですね。坂東真砂子の原作は読みました。去年の今頃かな。映画は、特にどうということもない出来だが(長崎俊一にしては)、根岸季衣が逆打ちするお遍路シーンはおどろおどろしい。それはいいが、このシーン、45番「岩屋寺」がそのまま使われてて驚いた。僕が写真に撮った、下から見上げるお堂もそのまま映ってたし。考えてみれば、僕がはじめて観た舞台は、新宿・紀伊国屋ホールでの「ストリッパー物語」(つかこうへい劇団)であった。ヒロインが根岸としえ(当時はひらがなであったと思う)でした。この舞台は、根岸としえがストリップをやるシーンがあって、踊りながら客席に降りてくる。一番前に座ってた僕は、頬をなでられた(笑)。その頃は、プレイガイド本社(銀座にあった)の受付のおんなのこと付き合ってて、いつも一番いい席をとってもらってた。もう、プレイガイドに徹夜で並ぶような時代じゃないんでしょうね。つーか、プレイガイドなんてもうないのか?続けてドラマ「花へんろ」第3部の1.2を観る。2部で終わりかと思ってた。時代は、昭和15年8月。第2部から11年経ってる(制作は88年、前作から2年後)。いきなり、俳人・種田山頭火がでてくる。この破滅型の俳人がブームになったのは、いつ頃だったかなあ。山頭火が何度も四国をお遍路で周り、松山で死んだことは、遍路に興味を持ってる人はみんな知ってるんだろうが、僕はここでも紹介される遍路を詠んだ句、 分け入っても分け入っても 青い山 ひょいと四国へ 晴れきってゐる うしろ姿のしぐれてゆくかこういう、自由律の俳句が優れているのかどうか、僕にはよくわからない。ただこれが、ナレーター渥美清の、張りのある朗々とした声で詠まれると良く聞こえるが。この中で、僕が初めてきく句もあった 母よ しみじみ首に頭陀袋(ふくろ)をかけるときフーム。これはよくわかる、というかグッとくる(グッとくる、などという表現は、俳句にはふさわしくないかな)。頭陀袋(ずだぶくろ)というのは、参拝道具(納経帳とか、ろうそく・線香など)をいれる袋。僕もかけてる。昔は、托鉢(家々に門づけして、お米やお金をもらう)しながら周るのが普通だったので(現在も托鉢してる人はいる)、もらったお米などもこれに入れる。ドラマでも山頭火がお米をもらうシーンがあり、その時の句は、 あなもったいなや お手々のお米がこぼれますでした。
2005年04月17日
コメント(2)
フリーページの「遍路日記1」の画像を復活させたので、見てもらえるとうれしいです。フォークシンガー、高田渡氏が亡くなりました。昔からおじいさんに見えたけど、実はまだ56歳でした。ためらうことなく、「フォークシンガー」と呼べるのは、高田渡と友部正人だけです。今ネットでニュースを調べたら、「フォークの教祖死去」「日本の吟遊詩人と呼ばれた」などという見出しでした。しょうがないけどね。西岡恭蔵が死んだ時は「永ちゃんショック」だったし(西岡恭蔵が「ライフ・イズ・ヴェイン」や「奴はデビル」の作詞者だったから)。高田渡で知られてる曲は「自衛隊にはいろう」と「自転車に乗って」かな。「自転車に乗って」は、今でもテレビで、自転車のシーンでかかったりする。 自転車に乗って ベルを鳴らし あそこの原っぱまで 野球の続きを そして帰りにゃ 川で足を洗って 自転車に乗っておうちに帰る関係ないけど、この曲でベースを弾いているのは大瀧詠一です。この曲にはいろんなバージョンがあり、キャラメル・ママ(この時は、細野晴臣・林立夫・鈴木茂・中川イサト・矢野顕子でした)がバックのファンキー・バージョンというのがあります。このバージョンの居心地の悪さは、高田渡の音楽にゴーカなバックは必要ない、ワタルちゃんの声だけで完結してる、つまりこの人が根っからのフォークシンガーであるということを示しているのだと思います。高田渡は、アメリカのフォークシンガー、ピート・シーガーに心酔し歌うようになったそうですが、実際、日本の歌い手で、声だけで、不況時代のホーボーを想わせるような人も、渡氏と友部正人だけ。ちなみにセカンド・アルバム「系図」の題名を書き出すと、 夜風のブルース 69 出稼ぎのうた 長屋の路地に 酒 手紙を書こう 系図 ミミズのうた 告別式 鎮静剤 鉱夫の祈り あしたはきっとであります。今の時代に合わないのは当然で、これからも僕のような物好きしか聴かないだろうが、それでもこういう「本物」のフォークシンガーが日本という極東の小さな国にもいたことを、僕らは誇っていいような気がします。「日曜日」 僕は今君の街にいる 君の住んでいる街にある喫茶店に 昨日からこの街にきている もうじき今日が終わろうとしています 明日帰ろうと思うのです 君がきそうもないから 僕は最後の一口を飲み終えるところ で 最後にもう一度 君の街をひと周りしようと思うのです で 最後にもう一度 君の街をひと周り 君がいなくなってから この街に住もうと思っているんです「鉱夫の祈り」 朝もやの中にひとつ こだまする汽車の音 答えはいつもひとつ いつもこだまはひとつだけ 子供らは泣きじゃくる 腹をすかし泣きじゃくる 私にできるのはただ 泣きつかれ眠るのを待つだけ お願いだ聞いておくれ 街に住むおえらい方 この子らが泣かないように 鉱夫の祈りを聞いておくれ 凍りつく土の下で 鉱夫の汗は流され 凍りつく土の下で 石炭は眠り続ける 家族らは今日も待つ 深く頭を垂れて 子供らは帰りを待つ 今日の日の終わりを心からご冥福をお祈りします。
2005年04月16日
コメント(9)

今、明日アップしようと思ってる、削除した遍路日記1の写真を見てました。やっぱり、思い出しますねえ。写真もこのパート1が一番気合いが入ってます。僕は東京にいた頃は、広告写真のスタジオで働いてました。いわゆる「カメラマン助手」というやつです。それにしては、写真ヘタよねー。僕って。ここで撮ってた写真って、いいと思ったのなかったです。キレイなモデルさんとかもいっぱい見たけど、阿藤快ふうに言えば、「なんだかなあ」つう感じ。僕はずっと、人の顔ばかり撮ってました。それも、じいちゃん・ばあちゃんのどアップばっかり。街を歩いてて、じじばばに出会うと頼んで撮らしてもらってた。僕はズームって使わないので、思いっきり寄る。そうするとじじばばは、承諾はしたもののそんなに近くから撮られるとは思わないので、照れて笑う。その頃の僕の写真は、獅子舞いみたいに金歯ギンギラギンに光らせて笑うじじばばばかりです。なんともいえずいいんだ、これが。今はもう、一眼レフって使わない。コンパクト・カメラばっかり。遍路では、サイバーショットDSC-U50を使った。200万画素でズームはなし。元々ズームは使わないからね。もう一つ、リコーのCaplio RXを持ってます。ズームはいらないけど、広角側は欲しいのね。これは28ミリなのが魅力だが、カメラそのものの出来はあまり・・・。で、なにが言いたいのかというとですね。今、遍路の写真(フリーページにのせなかったものも、たくさんある)を見ていてあらためて気がついたのは、「人をまったく撮ってない」ということ。自分でも驚いた。僕がだんだん、人間に興味がなくなりつつあるっていうんじゃなけりゃいいけど。トップページの空の写真は、何人かの人に褒められた。何回か書いたけど、この写真は母がガンで余命2ヶ月といきなり宣告され、急遽入院となった母を病院に残し、呆然としながら、病院の駐車場で帰りに撮った写真です。これがキッカケかもね。この時から母が亡くなるまで、僕は空と雲ばかり写してた。理由はわからんが。これも同じ時に撮ったものです。
2005年04月15日
コメント(6)
今週一週間は、ずっと「Word」と「Excel」。いやー、「Excel」って、いろいろ使えるのねえ。こりゃ、ページより先に「競馬収支表」がきらびやかになりそう(笑)。しかしまあ、競馬もやっと勤めてた頃のペースに戻ったみたい(重賞のみやるというね)。だいたい、春は荒れないのね、競馬って。G1も春は固い決着が多い。力勝負になる。しかし穴党の我らは、なーんにもないはずの重箱のスミを無理やり突つき、穴馬を見つけた気になってやられちゃう。なので、春はおとなしくしてようと思ってます(やるけど)。秋は荒れる。なぜ荒れるかをご説明いたしましょう。春、G1(あるいは重賞)で活躍した馬たちは、夏は休ませてもらえる。「いやー、頑張ってくれてありがとうね。これから暑くなるからねえ、北海道の牧場でゆっくりしてきて(^^)」と送り出される。それを見ていた、春の3レース、12着・16着・14着だった馬「マチカネフッサ」(仮名)も親方に言う。「親方、俺も北海道に避暑に行けるんでしょ」するとそれまでエビス顔であった親方が、一瞬にして鬼の形相になる。「なんだとっ、ふざけんじゃねえ、ロクな稼ぎもねえくせに!お前は休みなんかねえ、明日から小倉でドサまわりだあ」と石持て追われるごとく、あわれフッサは灼熱の「小倉競馬場」で、夏の間これでもかとばかり走らされるのでした。ところが、重要なのはここからです。こうやって、明日は小倉か新潟か、ヤケ酒あおって「どうせ俺らは負け犬だあ」(馬だけど)と泣きながら走ってるうちに、「本当に」強くなってゆく馬がでてくる。これを「夏の上り馬」といいます。そして夏の終わり、温泉で芸者あげてドンチャン騒ぎをしていた(しないか)エリート馬たちが帰ってくる。おいしいもの食べて、やや太めになった体で。「さあ、そろそろダイエットして、秋のG1に備えっかあ」とか言いながら。で、このエリートたちは調整のため本番前に一度走り、G1にでてくる(ぶっつけで来る馬もいる)。その頃、夏競馬で弱い馬と走って初めて勝ち、親方に「よしよし、お前はやればできる子だとおもってたんだ」とおだてられて調子にのり、なんと3連勝してしまったフッサは、鼻息荒い。「春は歯がタタんかったが、今度はやっちゃるけんね!春までの俺と思うなよ。たたきあげの底力をみせちゃる!」すっかり言葉も九州弁になって、テレビのワイドショーで流される、エリート馬・帰厩のニュースを見ながら、手にした「いいちこ」を飲み干す。つまりですね、夏休んでた馬たちと、夏の上り馬との対決なので、力関係がわかりにくい。確かに夏は連勝したが、一流馬とは初対決なのである(強くなってからは)。で、人気が割れる。雑草フッサがエリートを打ち負かすこともあるし、やっぱ、育ちが違いました・無念!というのと両方ある。この話になにか教訓があるか・・・。ありそうな気もする。ただひとつ確かなのは、こんなこと書いてる僕がそうとうヒマであるということだ!
2005年04月14日
コメント(2)

今日も音楽ネタです。すみません。毎朝バスとモノレールで通ってるのですが、考えてみると僕、地元でバス通勤(学)するのって、初めてだ。バスの窓から見える我が街。なんてえことのない眺めではあるが、昔はスモッグ(もう、若い人にはわからないか)で、いつも空は霞んでいた。モノレールでは、小倉競馬場の横を通る。小倉競輪の横も。素晴らしい環境ではあるな(笑)。モノレールから見える、小倉競馬場。前にも書いたように行きのバスでは音楽を聴いているのだが、快晴の空を眺めながら聴く、かねのぶさちこ「時にまかせて」はサイコーでした。 確かめるなんて むだなこと 思いつくままに 気の向くままに やればいいさ 時にまかせ すべて時が 解決してくれる あれやこれやと 考えこむより 顔を笑いに 戯れさせて のんびりするさ 時にもたれ すべて時が 解決してくれる 通りすぎて しまったことは 思い出す時に 思い出せばいいさ 気楽なことさ 時にまかせて すべて時が 解決してくれる 時にまかせてこれ、何年の曲だっけ?これ、大瀧プロデュース盤と細野プロデュース盤がある唯一の曲で、僕は「いなたい」大瀧バージョンの方が好き。バックは、ドラム・松本隆、ピアノ・細野晴臣、ベース(!)・大瀧詠一です。レコード・コレクターズ増刊「はっぴいな日々 はっぴいえんどの風が吹いた時代」というムックに、楽屋の出口かなんかで、寄り添う大瀧とかねのぶさちこの写真が載っている。僕はこの写真が大好き。72年くらいかな。のちにこの二人は結婚しました・・・って言ったら、みんな信用すると思うな。してないけどさあ。タイムマシンができたら、この頃の新宿に戻ってみたい。
2005年04月13日
コメント(0)
毎日勉学にいそしんでる身としては、特に書くこともないのう。じゃあ、書かなけりゃいいじゃんとも思うが、毎日書くと自分で決めちゃったしねえ。無理やり絞りだす!最近、学校(笑)のこととか書いてるので、この頃読み始めてくださるようになった方は、ワタシがナウい若者であると勘違いされてる方もおられるようなので、ここではっきりプロフィールを書いておこうと思います。腰は曲がってます。入れ歯です。日露戦争で乃木大将が二百三高地を占領したときには、提灯行列に参加しました。ビートルズの来日では、日本武道館を使わせるのはけしからんと思い、強く抗議いたしました。新宿西口でフォークゲリラになろうと思いましたが、Hのコードが押さえられないので断念しました。同級生と話すときは、「ロッキー」も(ついこの間)の映画になってしまいます。長嶋茂雄の引退試合(1975年 10月14日 月曜日!)を後楽園球場で見てます。いくら書くことがないとはいえ、これはヒドイ。読んではイケナイ。長嶋のことはホント。しかも僕はもう大人でした。だけどね、僕はすごく若く見られる。「笑っていいとも」の年齢当てクイズにでてみれば・・・と言われたことも、一度や二度ではござらぬ。それを喜んでるわけでもないんだけど(なにしろツブシがきかない)、最近ある人に、若く見えるんじゃなくて、若いんですよと言われたのは、すごく嬉しかった。まあ、お世辞ではあろうがの(^.^)ボブ・ディランの「マイ・バック・ページズ」のように あの頃僕はすごく年をとっていて 今はあの頃よりもずっと若いといったところでしょうか。しかし、ここまでテキトーに書いてきたが、これは日記なのか?こんな駄ボラ日記が許されてよいのかっ。断固糾弾したい!
2005年04月12日
コメント(2)
こんばんは。ナウなキャンパス・ライフをエンジョイしているわしです。そのうち、授業をさぼって陽の当たる場所にいたいと思ってます。講義はほとんど、「Excel」でやります。面接の時、「Excel」を使えるかと聞かれて、おもわず「ハイ、競馬の収支表をつけてます」と答えそうになって、慌てた(~_~;)実際、Excel」は競馬にしか使ってないし、「Word」など使ったこともない。文章はすべてテキスト・エディター(僕が使ってるのは、「紙2001」というフリーソフト。これが一番使いやすいと思う)で書いて、あっちゃこっちゃに貼り付けるだけ。しかし、これからはそういうわけにもいかんしねえ。六ヶ月後、パソコンに強くなったワタクシのページは、きらびやかにそして華やかに、マツケンサンバと見間違うばかりになることであろう。
2005年04月11日
コメント(4)
馬券だけ買って、さっき外出から帰って、ワクワクしながら録画をみました。見事!僕の軸馬は12着(・・・)でした。痛恨の涙が頬をつたうばかりであります。 狙った大穴見事にハズれ 頭カッときて最終レース 気がつきゃボーナスは スッカラカンのカーラカラ 馬で金儲けした奴ぁないよ その通り!しかしまた、わかっちゃいるけどやめられない、のもまた真実なり。来週は皐月賞かあ。グイッ(やけ酒をあおった音)。このままじゃ終われねえぜえ。パクッ(つまみの冷凍シュウマイを口に入れた音)。
2005年04月10日
コメント(2)
朝早く目が覚めちゃったので、ずっとフリーページの「遍路日記 3」書いてて、終了させました。やればできるじゃん。素晴らしいゾ、俺。写真もいっぱい載せたので、読んでね。画像の容量、かなり余ってるので、削除した「遍路日記 1」の写真も、まとめて載せますね・・・そのうち。平日はあまり時間がなくなるので(キャンパスライフをエンジョイしなければならぬ!)、土・日を有効に使わないとね。「桜花賞」の予想もしなければならぬしのう。今回はひそかに、自信あり、なのです。人に言っちゃダメよ。ここで勝って、愛知万博に行くための費用を捻出するのじゃあ。調子の悪い風呂も修理するのじゃあ。地震でヒビが大きくなった(泣)ブロック塀も修理じゃあ。はあはあ。今、ワシの瞳は、星飛雄馬のように、ギラギラと燃えているのであった。競馬で蔵を建てようとするアサハカなおっさんの、明日はどっちだっ!!
2005年04月09日
コメント(2)
バスで通ってると、近所にこんなに桜があったのかと驚きます。行きは、MP3で音楽を聴くことにしました。ここに書くネタも見つかるかもしれん。というわけで、今日は遍路にもっていたまんま、入れ替えてないが、桜満開の朝のバスで聴いてピッタリだったのは、ニック・デカロの「アンダー・ザ・ジャマイカン・ムーン」でした。ジェフ&マリア・マルダーの曲ですね。ニック・デカロも死んじゃったんだなあ。ローラ・ニーロも死んじゃったしねえ。アメリカ音楽の、もっともいい部分を体現(というとオーバーか)してた人が次々亡くなるのはホントにさびしい。がんばれ、ニール・ヤング。
2005年04月08日
コメント(0)
いやー、いくつになっても、一日目というのは、緊張しますねえ。人見知りする性格はいくつになっても直りません。いい年こいて、なーにが人見知りじゃあ、とも思うが、そういうシャイなところがステキなのよ(^^♪チュッ・・・(などと言われたことはない)半年なら、バス通学(笑)もいいかもしれぬと思い、車での通学はやめたのじゃが、やっぱ車のほうが良かったかなあ。バスは疲れる。しかし、バスで通ってれば、いつの日か、可憐な女子高生がバス停の陰からそっと現れ、わしに手紙をさしだすかもしれぬ。「あのー、これ読んでください・・・」頬をポッと染めながらね。その手紙は「恋しい恋しい」が、「変しい変しい」になってたりするわけね。そういう新しい出会いがあるかも(ウットリ)よし、妄想も一通りすんだところで、バカの家元は寝るでござる。コメントの返事も、遍路日記の続きも書きたいが、とにかく疲れた。知恵熱がでそうじゃ。すべては明日明日。すまぬ。
2005年04月07日
コメント(2)
今日は、学校の説明会がありました。いよいよ明日から、僕も学生であります(笑)。この六ヶ月で経営を学ぶわけですが、その中でもう一度、自分で施設を始める、という気持ちが高まってくればいいなと思います。やっぱりここ数ヶ月は怠惰だったもんねえ。忙しくはなるが、その中でも音楽も映画も文学も競馬も、忘れず楽しんでいきたいと思います。時間をやりくりして、なんとかヒマを作りだすほうが面白いし、身にもつくはず。この日記も、できる限り毎日書きたいと思います。読んでもらえるかどうかは、また別の話ということで。
2005年04月06日
コメント(5)
フリーページで、「遍路日記 3」書き始めました。読んでくださいませ。やはり画像は、100枚越えても貼れるようになったみたいで、嬉しい嬉しい。さて今日は映画の話です。「エノケンのホームラン王」これは昭和23年(1948)の映画です。スカパーでやった。あまりにも面白かったので書いちゃうもんねー(^^♪エノケンとは、榎本健一という、コメディアンの愛称ね。大スターです。でも、僕はもちろん、この人の全盛期など知らない。映画でも「虎の尾を踏む男達」(黒澤明!)、「どんぐり屯兵衛」ぐらいしか観てない。もちろんリアルタイムじゃないっすよ。で、この映画はタイトル通り、野球映画です。肉屋のエノケンは、熱狂的なジャイアンツファン。向かいの魚屋夫婦(田中春夫・清川虹子)はタイガースファン。エノケンと、魚屋主人の妹は愛しあってるのだが、もちろん魚屋夫婦は許していない。魚屋の女房のセリフ。「これがね、こっちが天理教、あっちが何妙法蓮華経っていうくらいならガマンもするが、タイガースとジャイアンツじゃ、そうはいかない!」わはははは。エノケンは、見合いを勧められて怒る。「南海ファンの家に養子にいくくらいなら、死んだほうがマシだ!」がはははは。エノケンは一念発起して、ジャイアンツにマスコットとして入団する(!!)なんという、素晴らしきイージーな展開であろうか。スゴイのはここからで、当時のジャイアンツの選手が本人として出てくる。川上哲治・川崎徳治・千葉茂・青田昇、監督の三原脩まで出てくる。ゲストでちょっと出てくるんじゃないですよ。ちゃんと芝居してます。特に、中島治康選手の恐るべき棒読みは、背筋も凍るほど愉快。靴みがき、洗濯、玉拾いと献身的に働くエノケンの姿にうたれた(笑)川上が、三原監督に、エノケンを試合にだしてくれるよう直訴する(そ、そんな・・・)。川上と三原が真面目に、エノケンを試合に出すかどうかを議論する。繰り返すが、川上も三原も、本人だからね。エノケンはここ何試合か元気がない川上を心配し、川上の家を訪ねていくと、ああ、なんということでしょう、川上の母親は病気で寝込んでおり、川上は徹夜の看病疲れで元気がなかったのであった。エノケンは、恋人を看病につけ、試合中の川上に安心するように伝える。川上は感動し、逆転満塁ホームランをかっとばす。試合後のロッカーで、監督の三原がエノケンに言う。「今日のホームランは、君が打ったんだよ」そして、ジャイアンツの選手たちに胴上げされる。おお、これは、ロバート・レッドフォードの「ナチュラル」を超える傑作だあ・・・とか言ってると悪ノリしすぎで怒られるが、でもこれ、ファンの夢の具体化としてはよくできてると思うなあ。ちなみに、後楽園球場のフェンスにあった広告は、「わかもと」「目黒雅叙園」「キノホルム」(笑)「サロメチール」など。戦後まもないせいか、右書きのものもあり、「サロメチール」は「ルーチメロサ」となっておりました。一番目立つところに、「磨歯ブラク」とあって、一瞬ドキッとしました。今夜は、長嶋茂雄主演(!)の「進めジャイアンツ・勝利の旗」というのをやる。いつ腰がくだけてもいいよう、充分準備して観たいと思います。
2005年04月05日
コメント(2)
あっという間に日常に引き戻されたのではありますが、洗濯・掃除・お土産くばりと、なんだか、だるーい一日を過ごしてしまいました。遍路から帰るといつもこうです。昨日の夜は、身体は疲れてるのに眠れなくて、ずっと音楽を聴いてました。眼をつぶって選んだ3枚は「ベスト・オブ・ロネッツ」、「ラスト・タイム・アラウンド」(バッファロー・スプリングフィールド)、「ヘンリー・マンシーニ ベスト・セレクション」でした。しかしあらためて聴くと、「バッファロー」は、やっぱり「はっぴいえんど」に似てるわなあ。って、逆か。ヘンリー・マンシーニは映画音楽家。「ひまわり」のテーマ曲は、イージー・リスニングの良さを再認識させてくれる。なんだか、エンジンがかかるまではもう少しかかるみたい。今夜は、楽しみに録画しておいた「エノケンのホームラン王」を観よう。笑えるといいけど。
2005年04月04日
コメント(2)
皆様、帰ってまいりました。今、日記をみたら、やっぱり、送られてきたメールの日付けになってますね。よくわからんなあ。それはともかく、今回は脚の状態は最悪なりに、歩くだけは歩いてきましたよー。桜はまったく咲いていず、「花へんろ」とはいきませんでしたが、それでもやっぱり楽しかったです。キヨシロー的にいうと「話したいことが、たくさんあるのさああ。よーこそおお」といったところでしょうか。これから、写真の整理であります。しばらくお待ちあれ。帰ってきてパソコン開いたら、訪問者数、バッチリ5000でした。こいつは春から縁起がいいでございますわい。これからもよろしく(^.^)
2005年04月03日
コメント(1)
今日は2日の日記となっておる。どうなっておるのだ(゜o゜)それはともかく、遍路も最終日。82番まで終わり(^0^)あと4日あれば結願できる!次の楽しみにとっておいて、明日帰ります。お土産話はたくさんあります。写真もいっぱい撮りました。お楽しみに(^^)
2005年04月02日
コメント(2)
全29件 (29件中 1-29件目)
1

![]()
![]()