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昨夜、ゆく夏を惜しんで(笑)、北野武監督の「菊次郎の夏」を観ました。久石穣の音楽が良かったのと、麿赤児が笑わせてくれたこと以外、特に書くこともないが、いろいろ思いだしたので、今日はたけしの話を。80年代、ビートたけしは、僕のアイドルでした。若い人はもう、「ツービート」の漫才など、見たこともないんでしょうね。ものすごいスピードで一方的にしゃべりまくるたけしは、ひたすらクレバーで、かっこよかった。僕の好きなネタをひとつ。たけし「ワタシは犬好きなんですよ。時々犬が道路で轢かれてたりするの見ると、心が痛みますネ」きよし「ああ、犬が好きな人にとっては、たまらないでしょうね」たけし「この前もね、夜、車で走ってたら、ドンッとなにかにぶつかったんですよ。ああ、犬轢いちゃったかなあ、かわいそうなことしたなあ・・・暗い気持ちで、外に出てみたんですよ」きよし「はあ、それはイヤな気持ちになりますよね。どうでした」たけし「よかったですよ、轢いたのがバアさんで。ホッとしました」きよし「よしなさい!」ひどい話だが、笑うよね。毒ガス漫才とかいわれたけど、実は無邪気。悪気はないのよ。無邪気なネタをもうひとつ。ジャイアント馬場がいかにデカいかというほら話で、1、ジャイアント馬場の車はすべてサンルーフ付きで、馬場はいつもそこから上半身をだして座ってる。交差点の信号すべてを額にぶつけながら。2、馬場は遠征のため、専用のジャンボ・ジェットを持っている。そのジャンボは上下にパカッと開くようになっていて、馬場が乗る時はフタを開け、馬場が腹這いになり、翼のなかに両手を入れる。つま先だけ、機体の外にでるようになっている。そのあとフタをし、馬場がつま先で地面を蹴って空へ飛んでいく(笑)空を見上げて、飛行機からバタバタさせてる足がでてたら、馬場が乗ってる。ビートたけしを好きになったのには、キッカケがある。「笑っていいとも」の前に「笑ってる場合ですよ」という番組をやっていた。マンザイブーム真っ只中でした。司会は曜日ごとに、B&Bや伸助・竜介などがやっていて、ツービートは火曜日だった。このツービートの日に、「ブス・コンテスト」というコーナーがあった。ツービートは、そういうポジションだったのね。ブスをいじめるとか。で、「ブス・コンテスト」のチャンピオン大会というのがあったのです。ひどい話だが(笑)。さすがにチャンピオン大会だけあってツワ者ぞろいで、その女の子たちがいろんなコスチュームで登場した。優勝したのは、どじょうすくいの格好をしたコで、優勝して泣き出した(うれしくて)。そこまでも会場(アルタです)は爆笑の渦だったのだが、どじょうすくいのメイクが涙で流れ、それはもう、スゴイことになりました。遠慮のない観客たち(すべて若い女の子)は、その泣き顔がまたブス(ごめん)なので、すごい盛り上がりになった。その時です。たけしが、女の子に寄っていって、胸に抱いた。たけしは、アイドル的な人気もあったので、客席は笑い声と悲鳴が一層高くなった。僕は、あれっと思った。観客はたけしの行動を、もっと笑いをとるためととったが、ちがう。たけしは、観客(およびテレビ画面)に女の子の泣き顔が見えないようにしたのである。たけしは泣きじゃくる女の子を胸に抱いたまま、ギャーギャー騒ぎまくる観客に向かって、指を唇にあて、「シーッ」とゼスチャーをした。自分の胸で泣いている、ブスのチャンピオン(再びごめん)の女の子にわからないように、「ジェスチャー」なのである。観客はそれでも当然笑っていた。なんとやさしい(表現の仕方はかなり屈折しているが)人なんだろうと思った。コーナーの最後でたけしは、観客に向かって叫んだ。「バカヤロー、お前らなんか大嫌いだ!」。そういうことを言ってもいい(あるいは言わなければならない)キャラクターだったのでドッとウケたが、僕はたけしが本気で怒ってるのがよくわかった。この時から、ビートたけしは、僕のアイドルになった。そして月日は流れ、今やビートたけしは北野武という映画監督兼俳優である。テレビのたけしは、自分で企画したもののみ面白いが(平成教育委員会、本当は怖い家庭の医学)、まあ、どうしても、映画の資金稼ぎに見えてしまう。北野武の映画はいつも、忘れられない名場面と、ちょっと恥ずかしくなるような稚拙な場面が交錯する。そのギクシャクしたところが魅力といえば、いえなくもないが・・・。「座頭市」には、あまりそういう稚拙なところがなく、アクション映画としてすごくよくできていた。とにかく、市(たけし)と、服部(浅野忠信)が完璧に強くて、この対決する二人には、弱点がない。弱点がない二人の対決、というのは、ありそうだが・・・実はほとんどない。ターミネーターは機械だし、エイリアンもプレデターも、クライマックスで突然頭悪くなったりする。やはりここで較べるべきは、椿三十郎VS室戸半兵衛でしょうね。どっちが勝つんだろうなあ、と久しぶりにワクワクさせてもらいました(まあ、市が勝つに決まってるけど)。ラストのタップダンスも、「大きな」映画を締めくくる「儀式」として、僕は肯定します。新作が秋に公開されるそうで、楽しみにしています。とはいえ、「オールナイト・ニッポン」で、マシンガンのように早口で喋ってたビートたけしもなつかしいがなあ。
2005年08月31日
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はあ、学生さんたちの夏休みも終わりかあ。早いですねえ。今日の朝は虫が鳴いてたし、暑いこと以外書くことがなかったこの間までがウソのよう。僕らの学校も9月で終わり。みんな就職活動に本腰いれてきました。僕はというと・・・。ケアマネージャーでいったん就職しようかと思います。学校からは、これに行け・あれに応募しろとガンガン来ますが、臨時社員で就職して、その間に起業の準備をしたい。そう上手くいきますかどうか(~_~;)朝晩の涼しい風が、身にジワジワと染みてきた8月の終わりです。
2005年08月30日
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まったくもう、年はとりたくないもので、今頃になって体の節々が痛いし、なんだかだるい。気がぬけたみたい。昨日はずっと24時間テレビを見ていて、終わってからその感想でも書こうかいと思ってたら、そのまま寝てしまった。なんというていたらく(~_~;)24時間テレビの第1回目はもう、何年前になるの?萩本欽ちゃんと大竹しのぶだったねえ。神宮をパレードして、異様な盛り上がりだったなあ。欽ちゃん、老けたねえ。しょうがないけど。今回のテーマ「生きる」っていうのは、大きすぎる気がしたけど、「ダーツの旅」でのお年寄りの言葉には、それぞれ重みがありましたな。あなたにとって生きるとは?といきなり聞かれたら、僕はなんと答えるかなあ。「目標を決め、達成に向けて全力で努力すること」ですかね。さて、あなたにとって生きるとは?
2005年08月29日
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わはははは、リニューアルしたのである。はあ、疲れた。なにもわからぬのに、あっちゃこっちゃいじくってたらこうなった。もうこのへんで手を打とう。背景色とかはそのうち変えます。さんざん考えた末が「青空のように」かい・・・と失笑しているそこのあなた、紅茶でもすすりながら、ワタクシの説明をお聞きなさい。タイトルは、「青空のように」か「うららか」にしようと思ってました。どちらも、大瀧詠一の曲のタイトルです。来年開設するはずの(はずではない。やるのだ!)「宅老所」の名前も、「あおぞら」か「うららか」にしようと思ってる。僕らが目指すのは、認知症でも寝たきりでも普通の生活ができるのだっ・・・っていう介護なわけですから、名前もフツーがいい。名古屋に行く時だったか、「ともしらが」という施設を見ました。「共白髪」ですね。ユニークだなあ、とは思うが、自分がこういう名前をつけたいとは思いません(こういう名前がダメだといってるんじゃないですよ)。「宅老所あおぞら」、「うららかデイサービス」。うーん、いいなあ(笑)。空と雲の写真が好きということで、このページでは「あおぞら」を採用しました(^。^)「青空のように」が、大瀧氏の曲でも特に好き、というのもあります。さあ、明日からドカドカ馬鹿日記を書くぞっ。
2005年08月27日
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こんばんは。渾身の遍路日記のあとに、いきなりバカ話もアレなので、1日休んでみました(笑)。というにはウソで、また夜の起業セミナーにでて、めんどくさいのでホテルに泊まっただけの話でした。さて、約束どおりページのリニューアルをします。お遍路は「とりあえず」終わりで、まだ石鎚山も高野山も残ってるので完全なる終わりではないのですが、自分なりに区切りはついたつもりです。前向きになった僕としては、その気分にあったレイアウトとタイトルに変更したいと思います。タイトル変えても、みんな見にこれるよね。わはは、なにもしらぬわし(~_~;)皆様が寝静まった丑三つ時、ねじり鉢巻でこの大事業に取り組もうとするわしであります。明日は、失笑・苦笑の用意をされて、見にこられよ。用意はよろしいか。げろっぱ。
2005年08月26日
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8月19日(金)朝7時、「栄荘」を出発。ここの女将さんは本当にやさしい方で、前日の夕飯を僕が残したので、体調が悪いのではないかと気遣ってくれ、おまけに、昼食のお弁当まで持たせていただいた。ありがとうございます。86番・「志度寺」を打ち、87番・「長尾寺」まで7キロは街中の道。結願の寺が近いためか、きれいな休憩所が、一気に増える。昨日突然思い出したのだが、僕が「お遍路」として歩き始めたのは、偶然にも去年の今日なのであった。四国に入ったのは18日だが、1番・「霊山寺」門前の宿で眠れぬ夜をすごし、不安いっぱいで歩き始めたのが19日なのである。あれから1年が経った。「霊山寺」の売店で買った杖はずいぶん短くなった。僕は成長しただろうか。途中、「オレンジタウン」という駅の横を通る。1年前、徳島に向かう列車の中で、ずいぶん変わった名前だなあと思ったが、1年後歩いて通りすぎることになるとは。見にくいけど、ORANGE TOWN と看板がでてます。これも見にくい。朝露に濡れる稲穂。きれいだったんだけどねえ。87番から街中を離れ、車道をゆっくりと上ってゆく。途中で、「お遍路交流サロン」というところに寄る。建物に入ったとたん(まさしく入ったと同時です)、ザーッと雨が降り始める。サロンで、バッジと、「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」なる賞状(?)を貰う。降り始めと同じように、ピタリと雨がやむ。国道沿いのベンチで頂いた弁当を食べ、いよいよ最後の難関、「女体山」越えに入る。あと7.8キロだ。山に入ったとたん、蒸し暑さと虫の大群に驚く。携帯の蚊取り線香も虫除けスプレーも全然役に立たない。ものすごい数のブヨとアブで、パッと下を見たら、ズボンの周りがブヨだらけで、気絶しそうになる。特に耳のそばのプ-ンという羽音は、蚊嫌いの僕には耐えられない。しかも、耳の中まで入ってくる。もう、僕半ベソかいてましたね。しょうがないので、タオルで頬かむりし耳をふさいで歩いた。ほとんど泥棒コントのような姿であったでしょうね。ようやく虫は消えたが、頂上に近づくにつれ道は険しくなり、山頂手前はほとんどロック・クライミング状態で、ガケを這い登る。そう簡単に結願はできないのだよ、といいたそうな最後の試練であった。角度がわからないですねえ。木の枝をつかみ、一際大きな岩の横を、必死で登りきると、そこが山頂だった。この本は、遍路ちゅう、とても役に立った「四国お遍路 バックパッキング」(ホーボージュン&BE-PAL 小学館)というポケットサイズのガイドブックである。僕のほかにも、多くの歩き遍路が持っていた。この表紙の写真、僕は石鎚山だと思っていた。そして、「女体山」山頂で僕が撮った写真をご覧頂きたい。そう、この表紙の写真はここなのであった。再び雨が降り始める。山頂奥のあずま屋で雨宿りする。誰もいない中、どしゃぶりの雨がたたきつける。あとはもう下るだけだ。この1年の、いろいろなことを思い出す。お寺の風情などは、あまり思い出さない。思い出すのはやはり、出会った人であり、歩いた道だ。不安な気持ちで歩いてた1日目、雨の中を追いかけてきてタバコをくれたおばちゃん。歩き遍路の大阪の大学生くん。葛飾のご夫婦。焼山寺への道で出会った案内犬。麻薬中毒のおにいちゃん。仙台のフリーターくん。僕を騙したおじいちゃん。みんな元気でやってるかい?どこまでもどこまでも、果てしなく続くかと思われた室戸への灼熱の国道。台風に閉じ込められた3日間。足が痛くて、これはもうダメだと思いながら、這いずるようにたどり着いた、どしゃぶりの今治駅。いくつもの遍路転がしの山道。「お遍路交流サロン」で貰った賞状にはこう書いてある。「貴方は四国八十八ヶ所歩き遍路約1200キロを完歩され・・・」しかし僕は、四国一周の旅に来たのではない。1200キロ歩くことがスゴイことなのかどうかもよくわからない。信心深くなったわけでもないし、真言宗や空海について理解できたわけでもない。ただ僕は、「四国八十八ヶ所をお遍路で歩く」と自分と約束したので、その約束を守った・・・ということです。僕は約束は破りたくないと思う。誰に強制されたわけでもない、自分で決めた約束だ。これからも守っていきたいと思う。歩いた意味がわかるのは、ずっとあとになるんでしょう。くじけそうになった時、突然その意味を悟るのかもしれません。雨はやみ、最後の下り。いろんな思いが交錯し、どんな道だったか憶えてない。何度か、涙ぐんだ気もする。そして、88番・「大窪寺」が突然現れた。当たり前のように僕ひとり。最後だ。大声で般若心経を叫んだ。杖は奉納した。ここに「原爆の火」があるとは知らなかった。後ろは、奉納された杖たち。さようなら。ありがとうございました。門前の民宿、「八十窪」に泊まる。お祝いとして、お赤飯をだして下さる。客は僕ひとり。10番・「切幡寺」までは20キロだというので、翌日お礼参りに行く事にする。「切幡寺」までの道は特に書くこともありません。最後に、当たり前ですが、僕ひとりで結願できたわけではありません。御接待して下さった多くの皆さん、ありがとう。庭先を心良く通して下さった皆さん、ありがとう。「おはようございます」、大声で挨拶してくれた子どもたち、ありがとう。すべての四国の皆さん、ありがとう。僕の稚拙な般若心経を、失笑しながら(たぶん)、聞いてくれた御大師さん、ありがとう。りゅう君をはじめ、常に僕を励ましてくれた友人たち、ありがとう。このページで、常に僕を励ましてくれた友人たち、ありがとう。そして、僕の背中を押してくれ、一緒に歩いてくれた母よ、ありがとう。記して感謝します。また歩けることを願いつつ・・・。 遍路日記 終わり
2005年08月24日
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8月18日(木)丸亀駅5時発の列車で、鬼無駅へ。なつかしいなあ。ここから、83番・「一宮寺」に向かって歩く。住宅地の庭先や路地をグルグル迷路のように歩くので、方向感覚を失う。途中、またしても御接待。わざわざ車を止めて追いかけてきてくれた。リポビタンD。おばちゃんです。ありがとうございました。83番から84番・「屋島寺」までは、都市部を抜けてゆく。街中を歩くと、どうしてこんなに疲れるんだろう。84番「屋島寺」はきつかった。昨日のしっぺ返しだ。モーレツな暑さの中、あまり日陰もない急坂を一気に登ってゆく。中央に見える都市部から、ここまで一気に上がってくるが・・・、まだここは登り口なのでした。このあとが、ツライ。汗が噴出し、頭がボーッとなる。倒れるかもしれない・・・と本気で思った。屋島の狸。有名らしいです。陽射しの強さが、わかっていただけるか・・・。影の短さにご注目。屋島寺境内で、すっかりだらけるワンちゃん。観光客らしい男性が寄っていくと、いきなりワンワンと吠え、僕の隣へやってきた(^。^)愛いヤツじゃ。四国を歩いて一番変わったのは、僕と犬の関係かもね。水筒の水をあげる。「ヒャー、冷たくておいしいねえ」と言った(ような気がする)。85番・「八栗寺」。あー、ここも登りだあ。横にはケーブルカーまで走っていやがる。カメラを持ち出す気にもならない。「八栗寺」は岩肌に張り付いたお寺で、なかなかシブイ。鳴いているセミも、クマ蝉ではなく、蜩である。だ~れもいないので、大声で般若心経を唱える。僕のお経と、セミの声とが岩肌に反響する。キマッタ!(笑)。しかしまあ、ここまで団体さんにはまったく会わない。初めてのことです。下りはダラダラ車道を下るだけで、特には面白くない。86番・「志度寺」までは、海沿いの道。「志度寺」目前の宿、「栄荘」に夕方到着。客は僕ひとり。水不足の中、僕ひとりのため風呂沸かしてもらって、なんか悪いような気になる。ここの女将さんには、たいへん良くして頂いた。夕食は豪華で、鯛のカシラの酒蒸しが絶品でした。さあ、明日はいよいよ結願です。
2005年08月23日
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8月17日(水)夜明けと共に出発。最難関ということで、決死の覚悟であった・・・のだが。登りのへんろ道はそれなりにキツかったが、距離は短い。そこまでは、緩やかな車道の登り。登り口に湧き水があり、そこでまたしても、御接待を受ける。ココナツサブレ。でかいが、ありがたく頂戴する。気合をいれてへんろ道に乗り込んだら、なんと、8時前には横峰寺に着いてしまった。あれえ。も、もう着いたの。横峰寺で、ここはキツそうだからバスで来たという女の子と話す。それほどキツくなかったというと、不思議そうな顔をしてた。僕も不思議。お寺の方に、お茶とお菓子の御接待を受ける。もうなんというか、納経バッグは、御接待の食べ物でパンパンである。ありがたいことです。「過酷なのは横峰の下り」といわれていて、実際、61番「香音寺」奥の院への下りはなかなかスゴい。途中、昨年の台風の崖崩れで2ヶ所、道が途切れていた。雨の日はキツいかもしれない。ここで道が途切れた。僕の持ってるガイドブックには、「体力に自信のない人は、先に61番を打ち、荷物を預けて手ぶらで往復するのが良い」と書かれているが、これお勧めしません。61番から登ると、ズーッと登らなくてはなりません。途中で休むところがない。道は険しいほどいい!という方は別ですが、不安な方は、僕が通ったルートをお勧めします。そして61番・「香音寺」に着いたのが12時。いくらなんでも早すぎるよなあ。しょうがないので、62番、63番とお参りし、JRで丸亀まで。丸亀を朝5時に出る列車があるので、それで前回の終了地「鬼無」まで行き、そこから83番を目指すことにする。丸亀まではかなり距離がある。車窓に流れる景色を見てると、ここを自分が歩いたなんて信じられない。同時に、ああ、もうすぐ終わりなんだなあと思うと、なんだかせつなくなったりもする。去年、ただひたすら沈みきっていた僕を救ってくれたのは、四国であった。というより、見るに見かねた「お四国」が、僕を「呼んでくれた」、というほうが近いのだが・・・。でも、あと2日で終わりなんだね。
2005年08月22日
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昨日まで早起きしてたせいか、5時に目が覚めちゃいました。写真の整理もできたので、さっそく遍路日記を始めます。8月15日(月)小倉からフェリーに乗る。満席で、キャンセル待ちの人もいる。早めに予約しといてよかった。関門海峡を越えるまで、ずっとデッキにいた。潮風が気持ちよかった。やはり携帯ではうまく撮れませんねえ。そのあと、おでんとイカゲソでビール。こんなお気楽でいいのかね。明日に備えて、すぐ寝る。8月16日(火)松山駅からJRで今治まで。今治から、前回残した60番「横峰寺」を目指し、登り口手前の丹原町まで歩く。30キロくらいか。今治駅で、早くも御接待を受ける。自分も、バスで回ってるというおばちゃん。「私も、歩いて回れればええんやけどなあ。がんばりや」あんぱん2コとポカリスエット。ありがとうございました。四国の川は、小さな流れもすべて清流であるのだが、今回は「水無し川」が多かった。心配。6時半から歩き始めたが、10時を過ぎて急激に暑くなる。道はずっと狭い車道で、休むところも日陰もない。汗が吹き出る。昼過ぎに、やっと広い国道に出る。スーパーのトイレで鏡を見たら、すでに頬がゲッソリこけていた。眠ったような商店街。だーれもいない。ジリジリ焼ける暑さの中、僕の杖の音だけが、カランコロンと響いてゆく。昼食をとった喫茶店で、バナナとおせんべいの御接待を受ける。マスターやお客さんとしばらく話す。さすがにこの夏は、歩き遍路を見ないそうだ。まだ初日なのだが、休憩中もいろんな方に話しかけられ、しかも皆さん励ましてくださる。暑さには倒れそうだが、こう親切にされると頑張れるなあ。夕方、予約していた宿に到着。道の駅ふうのりっぱな温泉施設で、露天風呂もあり。足は快調で、前回の股関節が外れそうな痛みはない。さあ、明日は前回のリベンジ、難関「横峰寺」だ。下りの道は今も復旧されてないようだが、負けませんよ。
2005年08月21日
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お礼参りが、予想したよりずっと早く終わったので、そのまま帰って来ました。さっきついて、もうくたくた。小倉駅では、顔があまりにもまっくろけーなので、ジロジロ見られました(^。^)。今、ページを確認したら、日付も内容もずれててガッカリ。疲れた体で一生懸命書いたのになあ。「聞かせたい話が、たくさんあるのさあ~」ではありますが、今日はとりあえずパス。明日からの遍路日記「結願への道・灼熱のへんろ道に旅人はなにを見たか(~_~;)」に乞うご期待!
2005年08月20日
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今日夕方、88番・大窪寺を打ち終え、無事結願しました。偶然にも、去年の今日歩き始めたのでした。最後の峠越えでは、不安だらけで歩き始めた去年の今日を思い出し、感慨深いものがありました。ほんの少しですが、自分なりに成長できたとのではないかと実感しています。明日は10番・切幡寺にお礼参りに行くことにしました。
2005年08月18日
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昨日、あっさり難関克服と書いたのだが、今日しっぺ返しが(>_
2005年08月18日
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今日は楽天からメールが来ておらぬが、この昨日のメールに返信すればちゃんと書けるのかいな?まあ書いてみよう。 今日は難関、60番・横峰寺。難関のつもりだっのだが、あっさり克服。気抜けした。しかしどの川も沢も水が少なく、心配になります。
2005年08月16日
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お遍路1日目。 松山から今治までJRで行き、そこから歩き遍路開始。丹原町というところまで。30キロぐらいか。朝だ10時すぎたら急激に暑くなり、はんぱじゃなく汗が噴きだす。せまい国道で日蔭も休むところもなし。あとで鏡みたら頬がげっそりこけてました(゜o゜)
2005年08月16日
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えー、フェリーの中でおでん食べてます。こんなお気楽でいいのかね。 フェリーは満席。なつかしき四国言葉が飛び交っております。 ガラガラのバスから夜景を見ていると、なんだかいろいろな事を思い出してしまいました・・・。 さあ、明日からは頑張って歩くぞ。では皆様、ボン・ボヤージュ。
2005年08月15日
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さて、旅立ちです。今回も、携帯電話から、毎日日記を書きます(まあ、メモに毛がはえたようなものですが)。帰ってからの「遍路日記」とはまた違う、現場からの生の叫びを吐露しよう。期待してくれたまえ(笑)。今度はどんな人と出会うことになるのか。痛い足を引きずって(これはもう、痛いに決まってる)迎える結願の時、僕はどういう感慨を持つのか。泣くのか。笑うのか。叫ぶのか(まさか(~_~;)。楽しみであります。再び、菅笠に書かれている言葉を胸に刻みつけたい。迷うが故に 三界は城悟るがゆえに 十方は空本来東西なく 何処にか南北あらんそれでは行ってまいります。
2005年08月15日
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父のことも、ずっと書いてないですね。痴呆症状があらわれ、寝たきりになるところまで前回書きました。そのあとのことも、くわしく書くつもりでしたが、寝たきりになり、母とふたりで介護をすると腹をくくったあとは、気持ちに余裕ができたんですかね。父のニコニコ顔しか思い出せない。朝、寝室のベッドに寝ている父の上半身を起し、ベッドから足をおろして座らせる。父の後ろから僕がささえる。しばらくそうした後、母が手を引き、僕が後ろから抱え、居間まで連れてくる。調子のいい日は、父は自分で足を動かした。いっちにいっちに。そう言いながら廊下を歩くあいだも、父はニコニコ笑うばかりである。居間には布団が敷いてあり、僕が帰るまで父はここで過ごす。夜仕事から帰ると、布団から上半身を起してあげ、しばらく話をした。というか、僕が今日あったことを話し、父はただニコニコ笑っているだけだったが。そして今度は、居間から寝室への行進です。いっちにいっちに。懐かしいなあ。仕事帰りに寄り道もできなかったけど、今はすべてが、楽しい思い出として残っている。介護は楽しい、そう思わせてもらった父には、本当に感謝している。父の介護をすることで、僕は性格も変わったと自覚してる。以前の僕はわがままで、どうしようもなく短気だった。高校の時、僕が何秒で怒るか賭けてたヤツらがいた。けしからん。昔の友達に会うと、ほとんど別人のようだと言われる(笑)。施設を辞めるときに、職場の若いコたちが、寄せ書きした色紙をくれたのだが、そこには、「フッサさんのように(お年寄りに対して)我慢強い人を他に知りません」とか、「フッサさんの我慢強さと優しさを見習って」とかみんなが書いてくれていた。昔の僕を知らないのである(笑)。以前も書いたが、父は自分の身体を使って、僕を成長させてくれたのだと思ってます。優しいだけじゃホントの介護なんてできないよ・・・という意見もあるでしょうが、残念ながら僕には、「好き嫌いなく、すべてのお年寄りに優しく接する」こと以外の戦略はないのであります(^・^)エラソーに聞こえたらごめんなさい。
2005年08月14日
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お盆ですね。近くの広場からは、盆踊りの音が聴こえてるし、うちの玄関先にぶら下げた提灯も、ぼんやり灯りをともしてます。お寺さんも来たし、兄たちも来て、一緒に納骨堂に行きました。疲れたなあ。お盆て、父が亡くなった4年前まではただの休日でしたが、身内が死ぬとガラリとすごし方が変わります。帰ってきた霊が迷わないようにぶらさげた提灯をみてると、不思議なことに、「父さんも母さんも、ちゃんと迷わずに帰ってきてよ」って気になる。もともと盆踊りも、帰ってくる霊を迎えるためのもんだしなあ。よその国にもこういう風習があるのかどうか知らないが、なんとなく厳粛な気持ちになれるいい風習ですよね。若い頃は、こんな風には絶対思わなかったけど(~_~;)いよいよ僕も、ワビ・サビの境地に突入か(笑)。
2005年08月13日
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ふー。やっと明日から、21日までお休み。やっととか言ったら、休みなしで働いてるひとに怒られるな。昨日書いたとおり、さっきまでTBS系で放送された、「ボイスレコーダー」という日航機墜落のドラマを見てました。ドラマ部分はともかく、ドキュメンタリーの部分はやはり迫力があり、公開された「ボイス・レコーダー」に残る機長の最後の叫び、「もうだめだ」という声には、胸が詰まった・・・。今やってるNHKの番組も見ようと思ってたけど、なんとか機体を持ち直そうとする機長の声が頭から離れず、気が重いので見るのやめました。気は重いけど、忘れちゃいけないんですよね。
2005年08月12日
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皆さんも、今まで生きてきた中で、忘れられない事件・事故があると思います。僕の忘れられない事件を挙げると(古すぎてわからないかも知れないが)、吉展ちゃん誘拐殺人事件(吉展ちゃんは、僕と同い年)永山則夫・連続射殺魔事件東大安田講堂陥落浅間山荘立てこもり宮崎勤や、神戸の連続殺人ももちろん忘れないが、若い頃の事件はやはりインパクトが強い。明日で、日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落してから、20年だそうである。早いもんだ。ジャンボ機が墜落した模様、というニュース速報が入ったのは夜だったが、機体が発見されたのは、翌日の明け方だった。この事故を思い出すとき胸が痛むのは、上空で機体の制御が利かなくなったあと、蛇行しながら40分飛び続けた・・・ということだろうと思う。乗っていた520名の方たちの恐怖は、想像することさえできない。何人かの方が、家族にあてたメモを残していて、その恐怖のなかで書かれたメモは、例外なくブルブル震えている。事故当時52歳だった、河口博さんという方のメモがよく知られている(今日のニュースでも紹介されていた)。「○○(お子さんの名前)、しっかり頼んだぞ。ママ、こんなことになるとは残念だ。さようなら。子どもたちをよろしく頼む」走り書きの最後には、こう記されている。「本当に幸せな人生だったと感謝している」明日、この事故を扱ったドラマをやるようなので、追悼の意味を込めて観るつもりです。
2005年08月11日
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お遍路の日程をくわしく決めました。前回は82番まで終わってるんですけど、60番・横峰寺を残してるのが問題。かなり険しい道のようですが、松山へフェリーで渡り、1日目(16日・火)はウォーミングアップも兼ねて、石鎚山手前の民宿まで。今回は、石鎚山挑戦は断念。来年の楽しみにとっておきます。2日目(水)は「横峰寺」を打って下山。JRで、前回の終了地「鬼無」駅まで行きたい。3日目(木)、鬼無から出発し、83・84・85を打ち、86番近くまで。そして4日目(金)、いよいよ87・88番と打って結願です。その日は近くの民宿で1泊。できれば1番「霊山寺」へお礼参りに行きたいが、これはその時の足の具合との相談になります。お礼参りが無理なようなら、バスと鉄道を使って高松へ戻って1泊。どーです。アリの這い出るスキもない、りっぱな計画でしょうが。ま、そううまくいくかどうか(~_~;)。しかーし、トラブル・ウェルカムであります。今日の日記は、お遍路に興味ない方には、全然面白くないですね。申し訳ない。などと書くと、普段の日記が面白いように聞こえるが、もちろんいつも面白くありません(^。^)
2005年08月10日
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日記にタイトルつけるのって、難しくないですか。僕は毎日悩む。あのね、あんたの日記なんてどーせたいしたもんじゃねーんだから、適当につけときなよ・・・そういう声にも一理あるが、日記に内容がないのに、タイトルまで適当では、わしの立つ瀬がないではないか。ククッ。スパッと内容が想像できる、かっこいいタイトルつけられる人がうらやましい。タイトルつけるのが上手いひとっていうと、まず頭に浮かぶのは、太宰治ですね。処女作が「晩年」、遺作が「グッドバイ」てのもスゴイが、「津軽」「斜陽」「人間失格」ときたもんだ。中上健次の「灰色のコカコーラ」「黄金比の朝」っていいタイトルだと思う。同じケンジでも丸山健二はへたくそで、内容はいいのに、「穴と海」、「三角の山」、「アフリカの光」じゃ、そりゃ知らんひとは読まんわ。最高傑作(だと僕は思う)のタイトルが、「火山の歌」じゃあねえ。純文学ですけど、これすごく面白いので、読んでみてください。泉谷しげるの曲に、「翼なき野郎ども」っていう傑作があるんですけどね、これ、「火山の歌」がモチーフになってると僕はにらんでます(そして多分当たってる)。音楽では誰でしょうか。松本隆か。「はいからはくち」、「風をあつめて」、「氷雨月のスケッチ」、「12月の雨の日」、「春らんまん」、「さよなら通り三番地」、「スピーチ・バルーン」。うーむ、いい。特に、75年の鈴木茂の傑作、「バンドワゴン」での松本の詞とタイトルは、神がかり的にすごい。タイトルを並べると、「八月の匂い」、「微熱少年」、「人力飛行機の夜」、「100ワットの恋人」、「銀河ラプソディー」であります。「微熱少年」は松本自身も気に入ってるんでしょうね、小説にしてる(映画にもなったっけ?)。ここまでが、前ふり(~_~;)では、本題です。僕、このページのタイトルを変えようと思っているのです。もともと、なーんも知らずに始めたページですが(今でもよくわからない)、苦労してページ設定終わって、はあ・やれやれと思ったら、タイトルをつけろというお達しが・・・。タイトルなどなにも考えてなかった僕(^。^)あせって、その場で思いついたのが、今のタイトル。僕は「○○もしくは○○」、「○○あるいは○○」みたいな言い回しが好きなので、そのセンで考えたが、全然良くないなあ。お遍路の結願を期に、変えようと思います(か、変えられるんですよね?)。うーん、どんなのがいいかな。シャープでソリッドでゴージャスなやつね。「ホット・ストラッティン」。だめかあ。「風の中のあいつ」。ははははは。なんだそりゃ。「フッサと夜と音楽と」(-_-;)そうだ。自分の好きな曲やアーティストからもらってくるのはどう。「Mercy Mercy Me」、「Baby a GoGo」、かっこいいよなあ。そういうページに行くと、うらやましくてたまらない。僕もそういうのをつけたい。大瀧氏からもらって、「僕は天然色」。バカだと思われるなあ。ジェームズ・ブラウン氏からもらって「SEX MACHINE」。訪問者数は確実に増えるに違いないが・・・。もう少しじっくり考えよう。ご期待あれ。げろっぱ!。
2005年08月09日
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昨夜のNHK「平和アーカイブス」は、ご覧になったでしょうか。原爆に関するNHK特集4本のダイジェスト。編集しないで、4本そのまま放送すればいいのに。NHKは時々訳わからんことをします。広島を扱った3本は見ていないのでなんともいいようがないが、最後の1つ、「長崎・映像の記録 よみがえる115枚のネガ」(94年・NHKスペシャル)は2度見ている。昨夜のダイジェスト版は10分ぐらいだったので、僕が詳しく解説する。オリジナルは45分。長崎に原爆が落とされた翌日。福岡にいた軍のカメラマンが、命令で写真を撮ることになる。8月10日長崎に入り、朝8時から9時間、長崎の駐屯地から、爆心地に向かって写真を撮っていく。番組は、撮られた時間軸に沿って写真を紹介してゆくのだが、爆心地に近づくにしたがって、悲惨な光景が現れてくる。満員の路面電車が河に落ちているが、車内は黒こげの固まりである。全部死体だ。工場の外。トラックの下で、布団にくるまって3人が倒れている。救護を待っているのだ。少年もいたのだが、次の写真では息絶えている。ここで倒れていた少女を番組は見つける。94年の時点で70歳くらいであったろうか。このあと、幾人かの女性が写真の人物として登場するが、皆老人である。当然ではあるのだが、その顔に刻まれた深い皺を見るとき、この方々が過ごされた歳月の長さと苦悩に、沈黙せざるを得ない。工場外のトラックの下にいた少女は、工場二階で働いていたのだが、原爆投下で床がぬけ下敷きになり、足を骨折していた。現在この婦人は病院で働いていて、足の手術を何十回もうけたが今も足が不自由である。次は、焼け野原に呆然と立ち尽くす少女。母親を探しに来たのだ。足元には、口をあけたまま黒こげになった死体が転がっている。そしてもっとも印象的な写真。病院の待合室。頭に大怪我を負った赤ちゃんが、母親の乳首をくわえている。目はつぶったままだ。もう死んでいるのかもしれない。母親は沈みきった目で遠くを見つめている。このふたりに共通するのは、遠くを見つめる瞳だ。人間は本当の絶望に出会ってしまうと、ただ遠くを見つめる事以外、なにもできないのかもしれない。この2枚の写真が、昨夜のアーカイブスではとりあげられていた。現在のお二人もでてくる。亡くなった赤ちゃんの写真はこれだけなのだが、母親は最後まで写真を見ようとしない。背中一面にやけどを負った男性に薬を塗る看護婦で、写真は終わる。このあとアメリカで、この写真展が公開され、番組は同行する。「ここをはなれることができない」と写真の前で泣き続ける女子大生もいるが、「悲惨な写真だが、悪いのは日本なんだからしかたがない。アメリカは正しいことをしたんだよ」と答える男性もいる。そして番組は終わるのであるが・・・。僕は、日本が被害者であるとは思わないし、日本軍が東南アジア方面で、どんなひどいことをしたかも知っているつもりである。しかしだからといって、なにもわからず、いわれるがまま苦しい日々を過ごしていた勤勉な人たちの一生を、むちゃくちゃにしていいわけないだろうと思うのです。もしこの番組が再放送されたら、見てください。どんなりっぱな文章より、この何枚かの写真が「戦争は間違ってる」と訴えてますから。
2005年08月08日
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今日はお遍路の準備で、細かいもの(携帯蚊とりとか、日焼け止めとか)をそろえてました。久しぶりに、ほとんどの歩き遍路が持ってる、「四国遍路ひとり歩き同行二人」(へんろみち保存協力会)の「解説編」を読みました。この冊子の「地図編」はまさしく唯一の「道標」で、この地図がなければとても歩けなかったでしょう。街道沿いのへんろ石・へんろシール共々、協力会の代表、宮崎建樹さんはじめ、運営されている方々の熱意と好意には頭が下がります。初めてのお遍路に出発したのが昨年の8月18日。昨年の今頃は、不安だらけでこの「解説編」(遍路の意味から、プランの立て方、宿の予約の仕方、四国の気象についてのデータまで載ってる)を必死で読んでました。あれから1年、ほとんど四国にハマって、お遍路なにするものぞ!と、浮かれ気分の僕ですが、昨日盆提灯を組み立て、今日この「解説編」を読み、「そうだ、僕は観光で行くんじゃないものな。いかんいかん。もう一度初心に戻って、真摯な態度と行動で四国を歩くのだ」そう自分を戒めました。昼間ちょっと外へ出ただけで、頭クラクラするほど暑いが、僕、去年はこんな中、海沿いの国道を3日間も室戸岬まで歩いたんだもんな。もう一度気持ちを引き締めなきゃ。真面目に考えた日曜日でした。追記・今、今夜11時25分から「NHKアーカイブス」として、「長崎 よみがえる115枚のネガ」という番組が放送されるのを知りました。元々は「NHKスペシャル」として90年代(?)に放送されたもの。原爆投下直後に撮られた写真を1枚1枚追ってゆくというもので、当時僕はこれを観て、ショックで立てなかった記憶があります。45分の番組を10分程度にまとめてるらしいのでちょっと心配だが、ぜひ見てください。
2005年08月07日
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今日は、お盆の準備で1日を過ごしました。仏壇を掃除し、お供えのらくがんを買ってきました。お盆の提灯も組み立てました。テレビでは、広島の平和式典と高校野球。広島には行った事がないんですが、長崎の平和公園には何度か行ったことがあります。60年って、若いひとたちにとっては、想像もできない遥かな時間でしょうね。日本が、世界で唯一原爆を落とされた国であることも知らないかも。日本がアメリカと戦争したことを知らない人がいっぱいいるそうですから。10年くらい前までは、8月6日・8月9日ってもう少し静粛な日だったような気がするけど。それにしても暑いなあ。
2005年08月06日
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誰でも、手元にはないけど「あの時買っておけば・・・」というアルバムがあるのではないでしょうか。僕にもあります。それは、アフリカの草原の夜を録音したもの。どこから出てたのか、誰が撮ったんだったか、キレイサッパリ忘れてます。昔FMで、片岡義男と温水ゆかりが「きまぐれ飛行船」ていう番組やってて、その中でかかった。どういうものかというと、アフリカの草原。夜。風にそよぐ草の音や、虫の鳴き声が聴こえてくる。しばらく、そういうのんびりした風景が続く。と、虫の鳴き声がだんだんと消えて行き、やがてピタリと止む。すると遠くから何かの音が聴こえてくる。レールをこちらに向かってくる、貨物列車の音である。貨物列車のレール音はしだいに大きくなり、ガッターンゴットーンとゆっくりゆっくり過ぎていく。遠ざかっていく貨物列車。しばらくの静寂。そして再び、少しずつ虫たちが鳴きはじめる。どうでしょう。寝苦しい暑い夏の夜、これ以上ピッタリのものは、あまり思い浮かばないなあ。ここまでが、アナログレコードのA面。20分ぐらいあった。この番組では、A面全部かけたと思う。買っときゃよかったなあ~(-_-;)今は100円ショップでもリラクゼーションのCD売ってるでしょう。ためしに何枚か買ったけど、ああいうのって、どうして途中に「音楽」がはさまるんでしょうかね。波の音にうとうとしてきたら、いきなりあまり上手とは思えないピアノが「ジムノペティ」始めたりするので、いっぺんで目がさめる。いやあ、あのアフリカの録音盤は、今考えても相当な傑作だったと思います。誰か、このアルバムのこと知ってたら教えてください。
2005年08月05日
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暑いです。昨日35度、今日36度です。6時半に家をでると、もはや朝のさわやかな空気などどこにもない。汗だらだら。今日はバス停に、リュックかついだ小学生の男の子2人(4年生くらいかな)が待っていた。それぞれお母さんが付添ってて、子ども2人だけでどこかに遊びに行くみたいだった。「いい、乗り物の中では静かにね」とか言われながら、2人はもう、これ以上はないくらいのウキウキ・ワクワク顔で、バスの一番前に座った。お母さんに見送られ、2人きりになると、いくぶん緊張ぎみであった。荷物からみると一泊するみたいだなあ。どちらかのお祖父ちゃんちに、友達を連れて遊びに行くとみた。初めての大冒険かもね。おじさんも連れてってくれんか。モノレールはなぜか混んでいたので、いつもとは違う側に座った。いつもは、行きも帰りも競馬場が見える側に座る。競馬場を見るとなぜか落ち着くので(笑)。するとですねえ。窓の外にはいつもとはまったく違う景色が広がった。そうか、同じ道でも、違う側から見るとまったく違ってみえるのか。人生でも、こんなふうに立場によって見える景色も違うのかもしれない・・・とかなんとか、深い考察もできそうだが、いかんせんこの暑さでは、僕の推定偏差値43の頭脳もカラ回りじゃ。なんも考えられぬ(~_~;)明日も予想は35度かあ。よし、明日こそは暑さにうち勝って、ちゃんとした日記を書こう(笑)。ポジティブに、よりポジティブに。今日立ち読みした「自己啓発本」にも、そう書いてあったことだし(^。^)
2005年08月04日
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いきなりですが、今日は誰が一番歌が上手いか、ということについて、考えてみたい。当たり前のように、ふるーい名前しか出てきません。申し訳ない。パッと頭に浮かぶのは、マーヴィン・ゲイ、サム・クック、ビル・ウィザーズのソウル組。女性ならアレサ・フランクリンでしょうがない。しょうがないつうこともないですが。ロックではやっぱりエルヴィスかな。クルーナーなら、ビング・クロスビー。歌謡曲なら、これはもう橋幸夫で決まり。めちゃくちゃ上手い。スカイラーク嬢も、リズムものを聴くと天才的なノリのよさでうまいなーと思うが、「悲しい酒」とかは上手いんですかね。で、今日の本題・日本のロックです。誰がいちばん上手いか。女性では、若い頃のユーミン。実はこの人、歌が上手い(実はなどというまでもなく、みんな知ってたか(~_~;)失礼しました)。特に今「卒業写真」を聴くと、その陰影に富む、深いボーカルに驚く。男性では誰か。僕は、小坂忠か大塚まさじである・・・と思っている。まず小坂忠。細野晴臣とともに「エイプリルフール」を結成。ミュージカル「ヘアー」に出演のため、脱退(というか解散)。それで細野は、大瀧詠一をボーカルに据えた「はっぴいえんど」を結成するわけです。小坂忠といえば、アルバム「ほうろう」が一時渋谷系(死語?)にもてはやされたみたいですね。もちろん文句なしに傑作なので、若い人たちに聴いてもらえるのはすごく嬉しかった。このアルバムの中の曲「しらけちまうぜ」は、フィラデルフィア・ソウルの傑作。個人的には「ボンボヤージュ波止場」の浮遊感が好き。ただし、この人の本質はカントリー・テイストで、「ありがとう」や「もっともっと」のほうが、このアーティストの魅力がよく出てると思う。小坂忠は、お子さんを事故で亡くしたのをキッカケに信仰の道に入り、現在は牧師さんです。ゴスペルも歌っている。残念ながら、僕はまだ聴く機会がないが、日本でもっとも歌の上手い人のゴスペルです、素晴らしい説得力をもっているに違いない。そして大塚まさじ。西岡恭造と共に、「ザ・ディラン」を結成。西岡恭造が抜けたので、他のメンバーと「ディラン・セカンド」として再出発。代表作は「プカプカ」、ボブ・ディラン「アイ・シャル・ビー・リリースト」のカバー、「男らしいってわかるかい」。特に、「男らしいってわかるかい」は、数ある「アイ・シャル・ビー・リリースト」のカバーの中で、もっとも優れたものだ。 男らしいってわかるかい ピエロや臆病者のことさ 俺には聴こえるんだ彼らの 怯えたような泣き声がという詞に、何度「僕はまちがってない」と励まされたことか。清志郎もそうだけど、この人たちに共通するのは、非常に丁寧に、言葉を空気にのせる(言葉を吐き出す、というとニュアンスがちがってくる)ということ。空気を伝わって、そのままスーッと身体の中に入ってくる。ああ、日本語って綺麗な言葉なんだなーと素直に思う。小坂忠と大塚まさじ。機会があったら聴いてみてください。なんでこんな話を書いてるかっていうと、8月中旬に大塚まさじが小倉のライブハウスにやってくるんですね。でも僕はその頃、四国の山の中。くやしいのでこうやって書かせていただいたと。そういうわけです(~_~;)
2005年08月03日
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早いもので、学校に行き始めて4ヶ月も経っちゃいました。あと2ヶ月で終わりですよ。僕は経営科に行ってるわけですが、経営の勉強したことが良かったのかどうか、考え込んじゃいますね。熱い思いだけで、エイヤッとデイサービスや宅老所始めた皆さんのように、「見る前に跳」んじゃった方が良かったかな。経営戦略やマーケティングの勉強は面白いけど、問題は財務です。貸借対照表ってなんだ。フロー・チャート?新しいかき氷かなんかか。相対参照?深水三章の弟?。あー、そりゃさあ、起業するに際して、資金計画が大事なのはわかるけどなあ。先日、個人面談があった。僕は、自分でデイサービスをやる!ついてはこの事業計画書を読んでくれたまへ、と学校の指導係りの教官たちに見てもらったのだが、返ってくるのは「もう少しジックリ考えたほうがいいんじゃないですか」「マーケティングちゃんとやりました?」などという、こっちをガッカリさせる答えばっかりだった。「もっと、総合的にお年寄りが楽しめるような娯楽とか考えないと、人集まらないよ」などと笑われた。あのですね。自分が大きな施設に勤めてて、そういう総合的な施設では本当の介護などできないと思うから、小規模な施設を作ろうとしてるわけなんすよ、わし。「その地域に、施設いっぱいできてるの知ってる?」知ってますよ、そりゃ。だからなんでしょうか?逆に聞いてやろうかと思ったがやめた。マーケティングが大事なのはわかるが、近くに施設(でかいやつね)がいくつあったって、負けるとは思わん・・・。「やりたいっていう気持ちだけで見切り発車して、ダメになった例がいっぱいあるからねえ」世間知らずと笑ってもいいが、「自分がやらなきゃ」っていう熱い気持ちのない起業なんか、やっても意味ないです。そんなことで金儲けてもしょうがない。アドバイスはアドバイスとして受け取っておくが、自分の夢を壊すヤツとは付き合うな・・・というのは正しいな。わしは負けんぞお!夕陽に向かって叫ぶおっさんの瞳は、少年のようにキラキラと輝いていたのでした(笑)
2005年08月02日
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みんな知ってるのに、自分だけが知らないんじゃないかと思ってること、ないですか。僕には2つある。1つは、回転寿司屋のシステム。僕、このあいだまで、回転寿司屋って行った事がなかったのね(~_~;)特に寿司が好きなわけじゃないので、日常生活に支障はなかったのだが、でもやっぱさ、気になるじゃん(笑)。しかしいまさら他人に「ねえ、俺、回転寿司って行った事ないのよ、ははっ」と言って驚愕されるのもヤだしなあ。しかしこの疑問は、今年の正月に氷解した。名古屋の姉に連れて行ってもらったのである。持つべきものは家族じゃのう(^。^)おお、柱からお湯がっ!こ、これが粉茶かっ!なんと、姉さん!プリンが回ってくるぞっ!ええっ!欲しいものがある時は、このマイクに向かって叫べばいいのかっ!おお、おお。「やかましい!黙って喰え!!」タコの足で姉に張り倒されたわしである。しかしなんですな。あれほどナゾに満ちていたものでも、仕掛けがわかってしまうと、なーんだ、てなものですな(マジックじゃないって)。だが、侮ってはいけません。ここに、回転寿司などとは比較にならぬ、巨大なナゾが立ちはだかっているのです!。それは、「パチンコ屋」であります。自慢じゃないが、わしゃ、パチンコというものは、30年ほど前に何回かやっただけです。その頃、玉は指で弾いておりました。立ってやっていたような記憶もある(笑)。それから幾星霜、時は流れた・・・。僕は、華やかなネオン瞬く建物を見るたび、中ではどんなステキな事が起こっているんだろうと、羨ましくてしかたがない。外では「杉さま」や、「黄門さま」のノボリがひるがえっておるしねえ。楽しそうだねえ。一度入ってみたいとは思うのだが決心がつかぬ。わしゃ、現代のパチンコ屋の作法・しきたりをまったく知らぬからのう。東海林さだおの傑作エッセイに、「かけうどんの冒険」というのがある。昼食時の丸の内のうどん屋、大手企業のOLさん3人と相席になって、大声で「かけうどん」を注文するという、手に汗握る冒険エッセイだが、わしもこの日記のネタのため、意を決してパチンコ屋に行ってみっか。するとどうなるか。まず、自動ドアから、冷房のきいた建物内へ入る。もうここからわからない(笑)。玉はどこで買うのだ?わしらの頃は、台の横の柱に百円入れると玉がでてきたのじゃが、今は百円などということはあるまいなあ(~_~;)まあ、ここは後ろから入ってきたおっさんの真似をすればよろしいな。どうやってかはよくわからんが、とにかく玉は買ったと。で、台に座るわけね。回転式のレバーを回して玉を飛ばす(それぐらいは知っとるぞ!)。で、あっという間になくなっておしまい。これならいい。安心して家路を急ぐことができる。わしが怖れるのは、ビギナーズ・ラックで玉が入ってしまった時だ。じゃらじゃらじゃらと玉が出始めて、台がなんだか騒々しくなった時、わしはどうすれば良いのだ。受け皿(でいいのか)が一杯になったら、なんか合図して店員を呼んで箱を持ってきてもらうのか?それとも出始めた気配を察知して、店員がサッと箱を差し出してくれるのか?受け皿からあふれ出し、ガラガラと床に落ちてゆく玉を呆然とみながら、「あの、あの」と立ち尽くすわし。「ゲッ、シロートが」という周りの視線が痛い。店員のにーちゃんにも、「おっさん、なにやってんだよ」と叱咤されるんだろうなあ。いやだいいやだい。わし、この年になってこれ以上傷つきたくない(-_-;)パチンコ屋に行く勇気のないまま、わしは一生を終えるのである。「市民ケーン」の最後の言葉は「ローズバッド(薔薇のつぼみ)」であったが、わしの最後の言葉は「パチンコ」であろう。声も出にくくなっていて、最初の「パ」が聴こえなかったりして、看取ってくれた看護婦に「このすけべじじい」とスリッパで叩かれる。なんと悲しい最後であろうか。注・伏魔殿(ふくまでん)とは、悪事・陰謀が絶えずたくらまてる場所(広辞苑)のことだが、別に「パチンコ屋」がそういう場所だと思っているわけではありません。念のため。
2005年08月01日
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