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今日も雨は当たり前のように降りません。雨乞いの気持ちで書きましょう。雨の歌は多い。「2000トンの雨」(山下達郎)、「雨は手のひらにいっぱい」(シュガー・ベイブ)、「雨のウェンズディ」・「バチェラー・ガール」、(大滝詠一)、「雨上がりの夜空に」(RCサクセション)、「雨のジョージア」(ブルック・ベントン)、「雨に濡れても」(B・Jトーマス)。かなり偏ってはいるが(笑)、夏の雨というと、このあたりが代表か。しかし僕が一番好きな雨の曲は、橋幸夫「雨の中のふたり」。これ、知ってますか。こんなロマンティックな曲は他にないので、氷川きよしがカバーしないかねえ(まだしてないよね。たぶん)。まさにポップスの王道といえましょう(作曲・吉田正)。雨があ小粒のお真珠ならあ、恋はあピンクのをバラの花~ときたもんだ。次、映画。雨が印象的な映画というと「七人の侍」(黒澤明)、「マディソン群の橋」(クリント・イーストウッド)、「ハイウェイ」(ロバート・マリガン)、「ブレード・ランナー」(リドリー・スコット)などが思い浮かぶ。まだいっぱいあるだろうが思いだせん(~_~;)しかし雨が待ち遠しくなる映画となると、「雨に唄えば」以外ありません。74年の映画「ザッツ・エンターテインメント」で初めて、噂のみ聞いていたこの映画の、「ジーン・ケリーが雨の中で歌い踊る」伝説のシーンを観たわけだが(初めて観る人が多かったはず)、丸の内ピカデリーの大スクリーンに映し出された、ダイナミックなダンスシーンがグワーッと俯瞰になった時、客席がどよめいたのを僕は一生忘れないと思う。雨よ降れ(四国・九州その他渇水地域にかぎります)。ドドッと降ってきたら、電柱によじ登って「お楽しみはこれからだ!」と叫んであげよう。こう書いても、もうなんのことだかわからんのだろうねえ。時は流れる(-_-;)しかし、なんという内容のない日記であろうか(^・^)けしからん!
2005年06月30日
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こちらでは、やっと雨が降りましたが、こんな程度ではいかんともしがたい。夕立のようにザーッと降り、あっというまにやんで、あとはもう青空。夏なんじゃないか、もう?今日は水についての馬鹿話を書こうと思ったが、大雨のところもあれば、香川県では断水になる町もあるとか。あんまりフザケてはいかんと思いやめました。また、いずれ書きましょう。わしは時々、ウケるウケないにかかわらず、むしょうに馬鹿話が書きたくなるのじゃ。こういやなことばかり続くと、駄ボラも吹けぬわい。わしに馬鹿話を書かせろ!天候よ安定しろ!
2005年06月29日
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新潟は大雨ですと?なんでわざわざ新潟に降らにゃならんのだ。こっちに降れよ。まったく意地が悪いよなあ。もう暑いとか雨が・・・とかわしゃ書きあきたぞ。ということで、なんとかいい気持ちになろうと、「青春18キップ なっとくの旅」(別冊宝島)という本を買ってきて、今パラパラめくっておりました。いいなあ。今年の夏は四国遍路だが、来年からはいろんな旅をしてやるぞ。四国も楽しみだしなあ。真夏の四国を思い浮かべながら、あと一月頑張るのじゃあ。関係ないが、夕方のニュースに谷亮子がでてた。妊娠したことを、赤ちゃんが「できた」と言わず、ずっと「授かった」と言っていたので好感をもった。そうなのだぞ、子どもというのは「できたり、できなかったり」するもんじゃなくて、「天から授かる」ものなんだぞ。おめーらの持ちもんじゃなくて、預かってるものなんだから大事に育てなくちゃならんのだ。わかったか、幼児虐待の親ども!(暑さのせーで、どうも怒りっぽくていかん(~_~;)
2005年06月28日
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なんでこんなに暑いんだ。まだ6月ですよ。僕はこの日記で、なるべく悪口は書くまいと思ってるのだが、昨日は朝から、拉致被害者の家族の方々の座り込みやら、小泉首相の、国民年金問題の時の「人生いろいろ、会社もいろいろ」発言やらを、「サンデー・モーニング」で見て、思い出し怒り(B型特有らしい)に震えていたわけである。暑さのせいで、温厚なわしも怒った。今日は、怒りにまかせて真面目に書かせていただく。わしのせいではない。暑さのせいである。悪く思わないように。まずは、フジテレビのバレーボール中継から。一億火の玉的な、この会場のナショナリズムとフジテレビアナウンサー、および解説者・河合俊一・中田久美の絶叫はなんだ。僕は見てて、気持ち悪かった。なんだこいつら。僕は別にバレーボールに興味ないし、テレビも「たまたま」見ただけなので、こんなこと言う資格ないのかもしれんが、こういう放送しといて、コスモポリタンづらしないでくれな。頼むから。サッカーやメジャーリーグを語る時、アウェーとかビジターとかホームという言葉が出てくる。アウェーだから、回りが全部敵でもしかたがない、とかね。でもさ、それってよその国の話でしょ。日本が、同じようにしなきゃいけないわけじゃないでしょ。公平に応援すればいいじゃん。オリンピックとかワールドカップになると、突然みんながナショナリストになるのはなぜ?誰か教えてくれ。僕だって、野茂やイチローが活躍すると嬉しいし、サッカーも応援してる。でもさ、スポーツで、戦争じゃないんだからさ。公平に放送すれば。「サッカーは戦争だ」とか言う人もいるが、そんなの言いたいヤツに言わせとけばいい。そういうのは下品だと僕は思います。次、小泉首相について。真面目に聞いてるのに(たとえそれが、すごーくレベルの低い質問だったとしても)、「人生いろいろ」などと、薄ら笑いで答える人間だ(しかもこの人、こういうのがユーモアだと思ってる)。総理大臣としての資質はない・・・ということだと僕は思う。次、拉致問題について。僕、政治のことについては書きたくないと思ってますが、この「拉致」問題については別です。僕は、この問題については、家族の方々を全面的に支持してます。だってね、拉致された人たち(拉致っていってるが、これ誘拐ですよ)に、なんの落度もないのです。横田めぐみさんは、学校帰りに海岸線を歩いていただけですよ。そこをいきなり、頭から袋かぶせられて誘拐された。船は高速で走ったろうから、めぐみさんは気持ち悪くなって袋の中に何度も吐いたかもしれない。自分がどこに連れて行かれるのか・・・。どんな恐怖であったろうか。着いたときから今まで、どんな悲惨な目に遭ってきたか・・・。北朝鮮が好きとか嫌いとかは関係ない。「ちゃんと筋を通せよ」と小泉首相に言いたいだけ。これはナショナリズムとは関係ないです。こんな、筋を通さない国に生まれて、僕は恥ずかしいと思う。ここで僕は、泉谷しげるの傑作「国旗はためく下に」の歌詞を書き記す誘惑に勝てない。なので、怒りにまかせて書きます。日増しに君は顔が変わり 頬はこけ足どり重く口ぐせに吐く言葉は疲れた疲れた まだうら若いのに地図からみれば我が国は 見劣りするくらい小さく望みはせこく人一倍 自信をもつほどに飲むほどに若い船は次々に さびれゆく大地を離れ荒波に向かって消えてゆく戻ることなく別れを告げて貧しき者は美しく思われ 富ある者はいやしく夢を語るは禁じられて ただただ割り切れと小さい者のないものねだり たまに手にする札束きらし旗をかかげて他国へとび 恥の上塗りこのうえなし国旗はためく下に集まれ融通のきかぬ自由に乾杯国旗はためく下に集まれ融通のきかぬ自由に乾杯いくさに負けるは信じがたくいくさを仕掛けるはうまくいくさの前はなるべく避けていくさが国の栄えとなる国旗はためく下に集まれ融通のきかぬ自由に乾杯国旗はためく下に集まれ融通のきかぬ自由に乾杯30年も前の曲です。何も変わってません。
2005年06月27日
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暑いですねえ。何もする気がしない。今日は朝、かなり曇ってたので期待したが、やはり雨は降らず。おもけに競馬「宝塚記念」もハズレ。狙いは良かったのだが、軸のタップダンスシチーが、予想外にだらしなかった。結局春のG1は1勝(ダービー)のみ。これだけヒドイのも記憶にないなあ。来月からは小倉競馬が始まる。出直しだあ。雨はいつになったら降るのかねえ(-_-;)
2005年06月26日
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細野晴臣・忌野清志郎・坂本冬美のユニット「HIS」が再結成されるそうで、まずはめでたい。10年にもなるのねえ。「日本の人」という唯一のアルバムは、坂本冬美の「パープル・ヘイズ」、「アンド・アイ・ラブ・ハー」、「逢いたくて逢いたくて」、清志氏の「500マイル」、そして、清志氏の曲のなかでも特に好きな「セラピー」というオリジナルもある。聴きどころ満載だから、ぜひ聴いてみてください。ということで、今日は再結成について。僕は若い頃、この「再結成」というのが大嫌いだった。古くはエヴァリー・ブラザースから、ビーチ・ボーイズ、イーグルスからタイガース(?)まで。なんでわざわざ、中年太りの身体で、ツアーして周らにゃならんのだ。金のためか(言葉キツくてごめんなさい)。そう思ってた。レコードはずっと残るんだから、それでいいじゃないの・・・なんてエラソーにね。考えを変えたのは、「ザ・バンド」の再結成から。最初「ザ・バンド」(ここからは「バンド」と約させてね)が「再結成」される、しかも中心人物ロービー・ロバートソン抜きで、というニュースを聞いたとき、「なんじゃ、そりゃ」と思った。ロビー抜きのバンドなんてバンドじゃないでしょうが。ツアーもするのか、金か。当然僕は「再結成」されたバンドのアルバムなど聴かなかった。こう書くとですね、僕が好きなのは、ロビー・ロバートソンだと思うでしょ。もちろん好きだし、頑として「再結成」に応じなかったロビーをさすがと思った。でも、僕がホントに好きなのは、「再結成」に参加したほうのリチャード・マニュエルでした。リチャード・マニュエルと言ってわからない人も、バンドの比類なき傑作「ミュージック・フロム・ビッグピンク」で、ボブ・ディランの「アイ・シャル・ビー・リリースト」を歌ってる人、といえばわかっていただけるか。これが、オリジナルです。独特の、粘りつくようなファルセットで「すべてのものは置き換えられるというが、すべてのものの距離はあきらかではない」と歌う(泣いてるというほうが近い)。他に較べるもののないピュアな音楽で、多くのアーティストに取り上げているが、このオリジナルは「特別」です。この曲に関しては、リンクさせて頂いている、「ロン@ゴスペル」さんの昨日の日記に詳しく書いてあります(もちろんアバウトにやってる僕とはちがって、資料面もキチンとしてます)。ぜひそちらをお読みください。「ロン@ゴスペル」さん、ごめんなさい(~_~;)リチャード・マニュエルの「歌」が上手いかどうかは、意見が分かれると思う。山下達郎は、もっとも歌が上手いと思うアーティストは、という問いに、「ロックならリチャード・マニュエル」と答えていた。(ちなみに、ソウルでは、ジェームズ・ブラウンとアレサ・フランクリンを挙げていた)達郎氏がそう言うんだから、上手いんだろうなあ。僕が好きなのは、この人の声の「濡れた」感じ。アメリカ(カナダ人なんだけど)のロックシンガーで、こういう情感(古い?)をだせる人って、あまり思い浮かばない。解散後にだされたアルバム「アイランド」で、「我が心のジョージア」を歌ってるのを聴くと、つくづく「情感」の人だったと思う。だと思う、ではなく、だったと思う、です。再結成された「ザ・バンド」のメンバーとしてツアー中、ホテルの部屋で首を吊って自殺してしまった。年とってくると、自分の好きだった人たちがやたら死んでいく。でも、リチャード・マニュエルの死ぐらい悲しかったことはあまり記憶にない。この人が、精神的に柔らかい人だったことは、バンドの解散コンサートを追った映画「ラスト・ワルツ」をみてもよくわかる。それからしばらくたって、再結成後のアルバムを聴いてみた。想像してたより、ずっと良かった。ロビー・ロバートソンという、巨大な才能の呪縛から解放され、のびやかなロックン・ロールがそこにはあった。これはこれでいいじゃん。オリジナルの、一作ごとにギリギリ突き詰めていくようなテンションとグレードは望むべくもないが、それでもいいじゃん。おじさんでも好きな音楽やっていいんだよな。過去どんなすごい音楽つくってても関係ないよな。今やりたい音楽をやってるんだから、応援してあげよう。そう思い始めた。今の僕は、橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦が一緒にツアーやってるのをみてもニコニコできる。年とって、心が広くなった僕であります(笑)。
2005年06月25日
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今日は早く帰ってきたので、夕方のテレビ・ニュースを見てましたが、我が第二の故郷、四国の水事情も深刻みたいですね。今年は全国的に、大渇水の夏。きっとそうなる。予言しときます。それにしてもテレビのニュース番組って、ホント東京のこと以外は他人事ですね。僕はTBS系のを見てたのだが、メイン・キャスターの○雲孝○はずっとうすら笑いだし(こういう顔なのか)、芸能ニュースはやってるし、いったいこりゃなんだ。アナウンサーやらコメンテーター居並ぶ中で、ラサール石井がもっとも鋭いっていうのは、問題じゃないの?真夏になると、この人たちきっと、サーモセンサーで街の温度計ったりして「ひゃーっ、夕方なのにまだ35度もありますよ」とかいってはしゃぎまくるのね。バカなのは知ってるけど、それにしてもなあ・・・。15歳が偽装工作して両親殺しちゃうし、同じく15歳が17歳の兄を殺しちゃうし(ノコギリ・・・って)。なんていうか、この国どうなっちゃったんだろう・・・って思いませんか?僕はもう年とっていくだけなので、知らないフリしてればそれで済むけど、小さい子を育ててる親御さんたち、恐ろしくなりませんか。自分たち(僕も含めて)がムチャクチャにしといて、あとはヨロシク!って若い世代に荒れ果てた世界を受け渡す。ヒドイ話。未来は突然やってくるわけじゃなくて、今日のツケが明日へ続く、それが未来だ、ってひとりひとりが考えればいいだけなのに、そんな簡単なことができない。昔読んだ、星新一のショートショートを思い出す。こんな話。ある日、地上にポッカリと穴が現れる。だれかがそこに空き缶を捨てる。それをキッカケにみんながその穴にゴミを捨て始めるが、いっこうに穴はふさがらない。みんなはこれ幸いと、世界中のゴミを捨て始め、地上はキレイになって行く。ある日、空から空き缶が降ってくる・・・。今日は他に書くことがあったのだが、くだらぬ番組を見たのがまずかった。許してチョーダイ!
2005年06月24日
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今日もバスの話です。「まーた、バスの話かよ。こいつ、バスのことしか知らねーんじゃねーの」と言った君、そう、君です。立ちなさい。そりゃね、僕だって、波乱万丈・疾風怒濤・阿鼻叫喚・言語道断の、血沸き肉踊る日記を書き記したいですよ。たとえば、「仕事を終えた俺の胸には、いつものように苦い味が残っていた。それを洗い流すため、俺は偶然目に入った駅裏のバーに入った。「バーボン。ダブル」、グラスを磨くことが私の生きがいです。そう言いたそうなバーテンダーに注文した時、後ろからけだるい声がした。「ギムレットには早すぎるわね」俺はゆっくりと振り返った。女は薄紫色のカクテルを唇にあてたまま、左手で髪をかきあげた。「君の瞳に乾杯」そう俺が口にしてから、女の背中のジッパーを下ろすまで、ちょうど45分かかってしまった。バイオレット・フィズの甘い香りを唇に残したまま、俺は熱いシャワーを浴びた。女が身につけているのは、左脚のアンクレットだけだった。俺がベッドに近づいた時、再び甘い香りが俺の鼻腔をくすぐった。だが俺は、女がベッドの下から濡れたように鈍く光る、コルト45グローバル・スペシャルをとりだすのを見逃さなかった。女の右手を押さえつけ、俺は言った。「ぶはははは、おぬしがスペクターの一員であることを見抜けぬわしと思うたか。この額の傷をなんとみる。人呼んで風流使者、旗本退屈男とは拙者のことじゃあ。パッ。ぶはははは」こういう日常ですね。しかしながら現実の僕は、毎日バスで往復するだけの、しがない一般庶民なわけです。バスのことばかり書いて何が悪い!はい、そこの君、座りなさい。というわけで、バスの話です。バスで通いはじめて3ヶ月、一度だけ事故渋滞に遭遇しました。以前にも書きましたが、僕の乗るのは、高速バス。高速道路の事故では逃げ場がない。その日も僕は、窓際の席にゆったりと座り、MP3から流れるスタン・ゲッツの物憂いサックスに腰をくねらせておったのです。ふと気がつくと、バスが止まっておるではないか。「すわ、何事!」、首を伸ばして前方をみると、おお、視線の先には限りない車の群れ。「こ、これが噂の事故渋滞かっ」バスの異変に気がついたのは、感覚の鋭敏なワタクシが一番であった。隣のチョビひげは、異変に気づかずのんびり新聞など読んでおる。このうつけ者がっ。悠長に新聞など読んどる場合かっ。気づいてから泣いても、もう遅いのだぞっ!。魯鈍な民衆もやっと気がつきはじめ、車内がソワソワしはじめる。ケイタイを開く者、立ち上がって覗き込む者。しかしバスはピクリとも動かぬ。これはもう、事故車が車線を塞いでいるということですね。その時、後方からサイレンの音が。パトカーとレッカー車であった。援軍来たる。「十戒」のモーゼのように、車を左右へ掻き分け事故現場へと進んでゆく援軍に、人々はバスの窓を開け放ち、「たのんだぞー」そう口々に叫ぶのでした。10分ぐらいでバスが動きはじめる。人々はお互い手を取り合って、長かった困難を乗り越えた喜びを爆発させるのでした。事故現場の横を通りすぎる。事故車の運転手(若いニイちゃん)にケガはないようであった。もし視線に人を殺す力があったら、このニイちゃんはバスの乗客たちの鋭い(こ、このバカのせいで)という視線で、身体中穴だらけになって即死していたに違いない。ようやく車内も落ち着きを取り戻し、バスは次のバス停へ20分遅れくらいで到着した。バス停では、かなりの人が違うバスを待っていて、ひとりのビジネスマンが運転手に、「○○行きのバスは?」と聞いた。グフフ。君たち、バスが来なくてあせってるのね。残念ながら当分来ないのよ。イライラしながら待ってなさいね。イライラしすぎて、持ってるアタッシェ・ケースばりばり噛み砕いちゃいなさいね。遅刻して上司に怒られちゃいなさいね。申し訳ないけど、ワタシら先に行くけんね、グフフ。自分さえ良ければいい僕って、なんてハードボイルドな性格なんでしょ。座席に深く座りなおして、再び腰をくねらせるべく、イヤホーンを耳に突っ込む僕でした。あー、久しぶりに馬鹿話書いてスッキリした(~_~;)
2005年06月23日
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梅雨入り宣言後、一度も雨が降らぬ。梅雨はどこにいった。ダムは取水制限だそうです。干上がったダムから死体が発見されたりしております。そのうち、「すみません、梅雨入りしてませんでした」宣言が出されると思う。だいたいですね、我が街福岡は水問題に関しては遅れております。すぐ渇水するし、降れば降ったで、水があふれる。何年か前の、博多駅の地下街に水が流れ込み、お一人が亡くなられたニュース映像を覚えている方もおられよう。75年か76年に「福岡大渇水」っていうのがあって、僕は東京に住んでいたのだが、夏休みで帰ってきてた。こりゃスゴかったですよ。1日2時間しか水道が出ない。喫茶店に行ってもお冷は出ないし、トイレは使えないしで、とっとと東京へ逃げ帰った。こういうのが、何の教訓にもなっとらん!やっぱり、わしが立たねば日本の夜明けは来ぬか。空もけしからぬ。2000トンもいらぬが、150トンぐらいは降れ。
2005年06月22日
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クリント・イーストウッドを除いて、映画監督で誰が好き?と聞かれたら、僕は「ビリー・ワイルダー」と答える。ウディ・アレンも好きだけど、時々「ニューヨーカーの映画監督の悩みなんて、俺にはカンケーないしなあ」と(出来の悪い作品では)思うこともあるし、ヒッチコックは、実験室で作ってるみたいでイヤ(「めまい」と「サイコ」を除く)。ワイルダーはいいよなあ。出来の悪いのも含めて大体好き。「麗しのサブリナ」もいいし、「七年目の浮気」、「第17捕虜収容所」、年とってからの「シャーロック・ホームズの冒険」、「フロント・ページ」。グルーミーな「深夜の告白」、「情婦」。どれも面白いが、ビリー・ワイルダーの最高傑作は?と聞けば、「アパートの鍵貸します」(60)と「お熱いのがお好き」(59)にわかれるのではないかと思う。僕は「アパートの鍵貸します」をとる。1960年度、アカデミー作品賞・監督賞・脚本賞、受賞。これはビデオで持っていて、スカパーの「スター・チャンネル クラッシック」でもしょっちゅうやってるが、画面がもこもこしてるので、思い切ってDVDを買ってきた。いやー、クリアな画面で観て、堪能いたしました。幸せ。出世のために自分の部屋を上司の不倫用に貸すサラリーマン、っていうのは、よく考えるととても共感できるキャラクターではないのだが、そこはジャック・レモン、演技の力で強引にそういう側面を忘れさせてくれる。なぜ、オスカーとれなかったの?不思議。これ日本でも舞台になってて(テレビドラマだっけ)、小堺一機が主役をやっていたはず。見ていないが、共感できるキャラになっていたでしょうか。おまけに気のいい(よすぎる)エレベーター・ガールがシャーリー・マクレーンときては、そりゃ、レモン氏だって惚れちゃうしかないよねえ。この人がなんとなく得体のしれない空気を醸し出すのは、瞳の色が薄すぎるせいだと思うのだが、どう?「愛と喝采の日々」(ハーバート・ロス 77)の頃になると、もうそういう神秘的なところはなくなってたけど。年とってからは女優より「オカルト」方面で有名みたい。個人的には悲しい。マクレーンと不倫してる上司がフレッド・マクマレイ。僕が子どもの頃、この人はすでにディズニーの専属になっていて、「フラバア」(ロビン・ウィリアムズでリメークされたやつね)を始め、ファミリー・ムービーで気のいいおとうさんをやってた印象が強いので、大人になってこの作品を見たときは、なんか違和感があったなあ。関係ないけど、カート・ラッセルもディズニーの子役だった。「テニス靴をはいたコンピューター」とか「そら見えたぞ見えないぞ」とか。マッチョになってからのカート・ラッセルを見ると、おじさんなんだか背中がムズムズする。まあ、子どもの頃あこがれてた「白馬童子」が「不良番長」に出てきた時ほどのショックはないけど。また、話が逸れてしまった(~_~;)ビリー・ワイルダーです。なにが好きかって、伏線の張り方の上手さです(脚本もビリー・ワイルダー。I.A.L.ダイアモンドと共作)。僕、伏線の張り方のヘタな映画って、どうしても受け付けない。ヒッチコックも上手いけど、ヒッチコックって、伏線それ自体が目的になっちゃってる気もする。なんつうか、巨匠には失礼だけど、あざとい・・・というか。「ニューヨークに生きるサラリーマンの悲哀」とはいえ、ここでの視線は、たとえば同じジャック・レモン主演の名作「おかしな二人」(監督ジーン・サックス 脚本ニール・サイモン 69 )とはあきらかに違う。ニール・サイモンやウディ・アレンの作品が、根本のところでニューヨークを肯定してるのに対し(「グッバイ・ガール」や「アニー・ホール」が、ニューヨーク以外の設定で成り立つかどうか考えてみて)、このビリー・ワイルダー作品の、ニューヨーカーを見る眼は冷ややかです。笑いに隠しているけど。ドイツ移民であるビリー・ワイルダーは、生涯英語がおぼつかなかったそうです。
2005年06月21日
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まずは訂正から。昨日、「南から来た男」をスタンリー・エリン作と書いたが、ロアルド・ダールでした。失礼。僕の天才的な記憶力も衰えてきたなあ(~_~;)さて、先日、「日本最古・隅寺版 般若心経」(小学館文庫)という本を買いました。般若心経についての本は、去年遍路に出ようと決めてから、何冊か読みました。それで、般若心経について理解したかというと、全然です。遍路では、ひとつのお寺で、本堂と大師堂と2度唱えるので、80ヶ所周ってる僕は、合計160回も般若心経唱えてるのに、ヒドイもんです。この「隅寺版」は偶然見つけた。「隅寺とは、奈良海龍王寺のこと。「隅寺心経」とは、この写経所で書写された般若心経を指し、日本仏教創世記の気概と風格に満ちた記念碑的な経と意味で、あえて日本最古と謳いました」と前書きにある。心経の一節ずつに、立松和平が簡潔な解説を載せている。この解説が非常にわかりやすく、なるほどなるほどとうなずきながら読みました。今度の遍路に持っていこう。つくりも綺麗で値段も安い(638円)。興味がある方はぜひ。この本のことを書くつもりはなかったのですが、先日読んだ、カート・ヴォネガット「タイタンの妖女」のテーマとあまりにも符合するので、驚いて紹介することにしました。たとえば、「是諸法空相」この世においては存在するすべてに実体がありません。喜びは時の流れとともに消えてゆき、悲しみも時が忘れさせてくれます。たえず新しい時が生まれ、生まれたとたん消えてゆく。だから、この瞬間瞬間を懸命に生きてゆかねばなりません。「三世諸佛」過去は過ぎ去って見えないのではなく、未来はまだやって来ず存在しないのではなく、現在の中にすべて現れています。私たちの前には、過去・現在・未来すべてのことが真理となって流れているのですが、なかなかそれを見ることはできません。これはもう、「タイタンの妖女」そのままではありませんか。驚きましたね。僕がヴォネガットに惹かれるのは、この作家のこういう人生(というか世界・宇宙)観なのかもしれません。なんだか「般若心経については」、眼からウロコが落ちたような気もするけど・・・。気のせいか。
2005年06月20日
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昨夜は久しぶりに友人たちと、焼肉食べ放題で楽しく過ごしました(笑)。みんな前の施設の仲間だけど、今や職場はバラバラ。開設で、みんな燃えてたあの頃が懐かしいねえ・・・。さて今日も小説の話、昨日名前をだした作家、フレドリック・ブラウンのことです。コメントもらって、急に読みたくなったので短編集「真っ白な嘘」を引っ張り出してきて、いくつか読む。フレドリック・ブラウンは、SFとミステリー両方書く人なのだが、SFには「火星人ゴー・ホーム」、「発狂した宇宙」という極め付きの傑作があるが、ミステリーの方はまあまあ。しかし、この短編集の最後に入ってる、奇想恐怖小説「うしろを見るな」という短編はスゴイのです。僕が読んだなかで、もっとも恐い小説。今日はこれをご紹介。ホラーというジャンルも僕はけっこう読んでると思う。「吸血鬼ドラキュラ」(読んでます?これ、さすがに原点。コワイんですよ実は)から「サイコ」、S・キング(「呪われた町」と「シャイニング」が飛びぬけてる)、「南から来た男」(スタンリー・エリン、これは何度もドラマになってる。クエンティン・タランティーノの「フォー・ルーム」(だっけ?)にもこのエピソードがでてきた。つまんなかったけど)、「夜明けのヴァンパイア」から「リング」まで。古いゴシック・ホラーもかなり読んでる。で、その中でですね、夜中読んで、朝まで部屋出られなかったのは、この「うしろを見るな」だけ。ある殺人鬼がいる。この殺人鬼が友人(?)と賭けをする。「相手に、おまえを殺すと宣言して、実際その人間を殺せるか」そして、その殺される相手(賭けの対象)として選ばれたのが誰だと思います?僕です。この小説を読んでる僕です。読者全部じゃないですよ。「僕」個人です。つまり、この小説は、殺人鬼が、おまえを殺すぞと宣言する小説なのです。ん、よくわからん、なんで読んでるあんた個人なの?そんなのできるの?バカバカしい。説得力ないじゃん・・・と思うよね。ところがプロというのはさすがにスゴイ。いろんなしかけが隠されてる。まさかねえ・・・とは思いながらもなんだか読んでいくうちに、背中の方が気になりはじめる。短編なのですぐ読み終えるわけだが、これを読んで、すぐ部屋を出て行ける人はいないはず(たぶん)。創元推理文庫ですが、今でも手に入るのかな。もし古本屋で見つけたら速攻でレジに持ってってください。本の裏表紙にも、「うしろを見るな」は最後にお読みください、と注意書きがあります(笑)。
2005年06月19日
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今日は、カート・ヴォネガット「タイタンの妖女」(ハヤカワ文庫)を紹介します。ブック・レヴューといいながら、なぜ「紹介」に留まるかというと、ストーリーが一切書けないからです。このページに来てくださる方は、読んでる方が多いのではないかと推察するが、お読みになってない方の楽しみを奪うわけにはいかんからねえ。読むのはたぶん3回目。SFです。今回読み返したのは、書店でこの本のオビに爆笑問題の太田光氏が、「世界で最も哀しい物語」(表現は違ってるかも知れないが、趣旨はこうだったと思う)という言葉を寄せていたから。本棚の奥から引っ張り出してきました。僕の持ってるハヤカワ文庫の奥付けは、昭和60年5月になってます。しかしまあ、記憶というのはあてにならぬもので、見事にすべて忘れておりました。時間旅行者(といっていいのか・・・)ウィンストン・ラムファードが、蛇腹状になった時間の流れを宇宙から見てる・・・という場面を記憶していたが、そんなものはなかった。あれっ。しかし、憶えていないということは、初読の時と同じ感動を受けることが出来て、かえって得したかも。いや、いろんな挫折を味わってきた(笑)今のほうが、感動が深いかな。太田氏のいうように、つらく哀しいストーリーなのですが、基本的にはコメディであり、アメリカ流の壮大なホラ話でもあります。これと、フレドリック・ブラウン(「発狂した宇宙」、「火星人ゴー・ホーム」)の中篇「狂った星座」がホラ度(?)の双璧だと思う。これもすごいから読んでみてね。あっ、イタロ・カルヴィーノの「レ・コスミコミケ」もすごい。それはともかく、「タイタンの妖女」です。壮大なホラ話がつらく哀しい結末を迎える時、運命(ではないのだが)に翻弄される主人公マラカイ・コンスタントはついに、「生きる意味」を見つける。ここは感動的で、1959年という時点で、アメリカにもこういう視点で人生を捉えていた作家がいた、という事実には勇気づけられる。この作家、最初はペーパー・バックで出版され、注目されなかったのだが、60年代後半、大学生の間でカルト的な人気を得て、SFという枠を超えて巨匠となる。というか、本人もSF作家と呼ばれるのを嫌うようになる。しかし僕は、このアインシュタイン似の作家の、なぜSF小説を書くかという問いに対する答えが好きだ。「人生について知りたいのなら、「カラマーゾフの兄弟」を読めばいい。人生に起こることはすべてそこに書いてある。でももう、それだけじゃ足りないんだよ。だから私はSFを書く」村上春樹が登場した時、批判する側の大きな論拠は「カート・ヴォネガットに似すぎている」というものだった。映画化されたものは、僕の知る限り3本(違ってたらゴメン)。「スローターハウス5」(輸入された時の仮題は「屠殺場5号」(!)。ジョージ・ロイ・ヒルが監督なので、深く原作を理解していてとても良かった。「母なる夜」(邦題は「マザー・ナイト」。「母なる夜」でいいじゃねえか!)、そして「チャンピオンたちの朝食」(これはスカパーで観た。主演はなんとブルース・ウィルス。原作とは似ても似つかぬスカスカのヘニャヘニャでした)。ほんとに「紹介」だけしかできませんでしたが、もしあなたがカート・ヴォネガットをこれから読んでいこうとおもわれるなら、「人生の楽しみがひとつ増えた」ことをお約束する。
2005年06月18日
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「男の顔は履歴書よ」って映画が昔ありました。いきなりなんだ、と思われるでしょうが、昨日捕まった、NPO法人の代表かなんかの顔を見てて突然この言葉が浮かんだのです。これでまた、NPOのイメージが悪くなるなあと思うと残念。それにしても、このヒゲのおじじといい、「定説」のおっさんといい、極めつけ「サイコーですかぁ」の足裏マッサージ・ポマードおやじなど、どうしてこうも詐欺師というのは、絵に描いたように胡散臭い風体なのであろうか。学校で「みなさん、詐欺師の顔を描きなさい」って宿題出されて、この3人の顔描いていったら、「あまりにも典型的な悪人顔。実際の社会はそんなに単純ではありません」という理由で、バッテンをもらうぞ。しかし、事実は小説より奇なり。こういう詐欺師顔が詐欺やってガッポガッポと金集めてる訳です。フシギだねえ。見かけで人を判断してはいかんが、やはり、「男(に限らない)の顔は履歴書」であり、悪いヤツらは悪い顔してます。顔の造作の出来不出来とは関係ありません。念のため。あっ、突然ビートたけし全盛時代の漫才を思い出した。知ってる人も多いかも知れぬが。ある男が、ケガをして倒れていた鳥を助ける。男の手厚い看病でよくなった鳥は飛び立って行く。それからしばらくたって、男の家を綺麗な女が訪ねてくる。女はお礼をしたいといい、「けっして覗いてはいけませんよ」と言い残し、隣の部屋に消える。ガマンできなくなった男は、隣を覗いてしまう。すると、部屋の家裁道具背中に背負った鳥が逃げるところだった。「ド、ドロボー!おまえ鶴のくせに、恩返ししないのかあ!」男が叫ぶと、鳥が振り返って言う。「ばかやろー、あたしゃツルじゃねえ、サギだ」みなさん、甘い話には気をつけましょうね。
2005年06月17日
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ういーっ。久しぶりに外で飲んできました。はあーっ。さすがに、こういう日に日記書くのはつらいなあ。ということで、今日はビールのつまみについて。東海林さだおは、「ショージ君のほっと一息」の中の「ビール苦いかしょっぱいか」(傑作!)で、ビールにあうつまみとして、1・串かつ、2・枝豆、3・ソーセージをあげているが、僕のベストスリーは、1・ピザ、2・オニオンリングフライ、3・ソーセージ、となります。ほとんどお子様ですな。刺身や寿司はダメ。合わない。カツオのたたきなんかも合わないと思うがどうか。でも、ホントに幸せなのは「定食」でビール飲む時ですね。特に、煮魚の定食が好き(急にオッサンになる)。この場合、「定食」でなければダメ。中ジョッキで、メインの魚はほとんど食べちゃう。ご飯には手をつけない。で、ビール飲み終わってから、おもむろに、漬物と味噌汁、皿に残った魚のカス(笑)で冷えかかったご飯を食べる。昔、デートの最中こういう食べ方をしてたら、「魚だけ注文して、あとでご飯頼めば。ご飯も味噌汁も冷めちゃうよ」と不思議がられた。いや、定食じゃなけりゃダメなのよ、とは言ってはみたものの、なぜ定食でなければならないのかは自分でも不明。自分の前に料理がドンと並んでるのがいいんすかね。まあ、オッサンじみてるのは確かではあります。このテーマについては、もう少し突っ込んだ分析ができると思うのだが、なんせ今日は疲れた。おお、もう10時半ではないか。明日に備えて、飲んだくれのオッサンは寝ちゃいます。
2005年06月16日
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女優の、アン・バンクロフトさんが亡くなったそうですね。全然知らなかった。73才。この人、メル・ブルックス(「ヤング・フランケンシュタイン」、「サイレント・ムービー」など)の奥さんなんですよね。この二人がどこでどうつながるのかよくわからないけど、そういえば、「エレファント・マン」(デビッド・リンチ)にはアン・バンクロフトがでてたけど、これ、メル・ブルックス制作です。「奇跡の人」(アーサー・ペン)もよかったけど、やはりなんといっても「卒業」(67)のミセス・ロビンソンですねえ。僕は高校時代に始めて観た。その時はえらく「おばば」に見えたけど、35才だったんですね。ダスティン・ホフマンは30才。実は5才しか違わない。ダスティン・ホフマンの役は、ロバート・レッドフォードが蹴ったんだけど、レッドフォードだったら、前半のロビンソン夫人に誘惑されるところは、リアルすぎたかもね。昔は「スカボロ・フェア」のセイジ・ローズメアリー・タイム、っていうのがなんのことやらさっぱりわからんかったなあ。パセリはわかった。母が生きてた頃、車でこれかけてたら、母は「ご詠歌」みたいだねえ、と感想を述べた。我が母は鋭い。なんせ「スカボロ・フェア 詠唱」ですからね。自分の死に際して、アジアの片隅でこういう思い出話に花を咲かせてる、映画好きがいる事を知れば、あの色っぽかったミセス・ロビンソンも少しは喜んでくれるかな。ご冥福をお祈りします。
2005年06月15日
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今日は、バスの話。昔のバスはいつもいっぱいで、バス通学してた僕は何度も満員通過され、遅刻した。乗せてやってるんだぜ的無愛想運転手さんたちも多かった。しかし現在は、朝のラッシュ以外満員にはならない。昔のようなトノサマ商売ではやっていけぬわけで、ずいぶん運転手さんもソフトになった。僕の乗るバスは都市高速を走るのだが、高速に乗ると必ず、「えっ、本日は○○バスをご利用いただきましてありがとうございます。乗務員は○○、終点まで安全運転につとめてまいります。」みたいなことをかなり長く言う。毎朝同じ時間のバスに乗ってると、運転手さんも4.5人の人のローテーションになってる。以下、すべて仮名であることをお断りしておく。年齢は推定です。運転手1、咲坂くん・38歳・・・皆さんは「スネークマン・ショー」というラジオ番組をご存知でしょうか?80年代前半にヒットした、YMO一派の番組。中心人物は、畠山桃内と咲坂守。この運転手さんは、イントネーションといい、声といい、咲坂守そっくり。特にCDにも入ってる「コンドームを買いにきたが、なかなか言えず、関係ない薬を大量に買ってしまう」桃内に、咲坂が「まあ、どれをお買いになっても同じようなもんですけどねえ」というコントの咲坂そっくり。気持ち悪い。この説明でわかってもらえるか(~_~;)日夜、どう発音すればなお一層、乗客の背中をムズムズさせられるか、精進しているのであろう。降りる時にも同じ声で「ありがとうございました」と言うのだが、目が笑ってないことを僕は見逃さない。運転手2、林家くん・52歳・・・非常に愛想がよい。バス停に止まるたび、「両替のお客様はいらっしゃいませんでしょうか?車内で便利でお得なバスカードを発売しております。お気軽にお声をおかけください」と心をこめたステキな声で言ってくださる。「次は○○ですねっ」と自分にいいきかせるように言う。なんか怖い。降りる時もひとりひとりに心をこめて「ありがとうございましたっ」といってくださる。一度帰りのバスでこの人に当たった時、おばあちゃんが降りたら、「お気をつけてっ」と言った。声をだして笑ってしまった。おまえは、たいこもちかっ!いい人なんだろうなあ(笑)運転手3、聖子ちゃん34歳・・・女性。運転手になって日が浅いと推測する。男性の制服は白シャツ・帽子で、見慣れてるのでなんともないが、女性は白シャツにベスト、帽子で、なんだかすごくオールド・ファッションにみえる。一考を提案する。一度急ブレーキをかけ、思わず「ゴメンナサイ」と叫んだ。聖子ちゃんに似ていた。許す。乗るたびに僕は心の中で「聖子ちゃん、つらいこともあるだろうが、負けずにがんばるんだよ」と語りかけている。運転手4、朝青龍くん・37歳・太りぎみ・・・この人は、次のバス停の名を呼ぶのみ。あとは無言。苦情も何件か行ってるかもしれない。総務の山本係長(仮名)に呼び出され「朝くん、また苦情だよ。マニュアルどおりアナウンスしてくれないと困るじゃないか。口がスッパくなるほど言ってるじゃないか」と怒鳴られても、朝くんはその細い目でジッと係長の目を睨み返すのであった。「フン、運転の技術では誰にも負けねえんだ。とやかく言われる筋合いはない」と胸の奥で思いながら。アウトローであった。馬鹿な50歳が、毎朝こんなことを考えているとはつゆ知らず、今日もバスは走るのでした。
2005年06月14日
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だいぶ間が空きましたが、今日は父の話の続き。風呂のことがあってから、父の痴呆症状はドッと出始めました。夜中突然雨戸を開け放ち外に向かって叫んだり、ガスコンロを点けて、暗い中ジッと炎を見つめていたり。僕も母も介護についての知識もなく、途方にくれるばかりでした。その頃は、志村けんの全盛期で、志村のじいさんが「ばあさん、めしゃーまだかい」って言うと「さっき食べたでしょ」と怒られるというコントをよくやっていたのだが、僕はこれを見るのがつらくて(母もそうだったと思う)、これが始まると、たたきつけるようにチャンネルを変えた。夜が来るのが怖い・・・などというと笑われるかもしれないが、実にまあ、そうだったのですよ。父を病院に連れて行くのもタイヘンでした。父は感情の起伏が激しくなり、目をむいて怒ることが多くなっていて、しかも自覚がないので、なんで俺が病院にいかにゃならんのだ、とごねた。なだめすかして連れて行った検査の結果は、脳血栓とパーキンソン病でした。すぐに父は、足を引きずるようになりました。お断りしておきますが、僕はここで一貫して「痴呆」という言葉を使っていますが、「痴呆」という言葉に差別的な気持ちは持っていません。父のことを語っているのだし、これからも介護の仕事をしようと思っているのだから、当たり前と言えば当たり前ですが。皆さんご存知の通り、「痴呆症」は現在「認知症」と言い換えられています。しかし、「まだら呆け」などは、どう言い換えられているのでしょうか。僕は現場にいないので、よくわかりません。家族のことを思って変えられたのでしょうが、ただの言葉の言い換えで、なにか解決したような気になってるんじゃないの(決めたエライ人たちがね)、っていう感じもして、なんだか納得できない気もします。認知障害の病気であることは確かなので、これでいいのかもしれませんが。この頃、トイレで失敗することが多くなりました。そして、それを隠そうとしてタオルで床を拭き、それをトイレに流して詰まらせる。そんなことが続きました。そしてある日、仕事から帰った時、母が父にオムツを当ててるところを見てしまいました。父は僕に気づくと、照れくさそうに笑っていいました。「ザマないなあ」父はその時、どんなに悲しかったろうか。父や母についての後悔はいろいろあるが、最大の後悔はこれです。どんなに失敗しても、オムツは付けるべきではなかった。オムツをつけるようになって、父の症状は進みました。父のことは、思い出しながら書いてるので毎日は書けませんが、続けるつもりです。面白がって書いてるわけではないことだけは、わかっていただきたいと思います。
2005年06月13日
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昨日「ミリオンダラー・ベイビー」を観たせいか、久しぶりに両親の夢を見ました。父・母・姉・僕の4人で、巻き寿司作ってました(笑)。僕、巻き寿司キライなんですけど、夢の中の僕はおいしそうに食べてました。しかし、昨日の映画レビュ-は言葉たらずだなあ。我ながら恥ずかしい。今日は、映画の場面を思い出しながら余韻に浸ってました。そういえば、高校生の頃は、こづかいを節約しながら毎週2本立てを観に行ってました。昼食のパン代削ったりして。その分感激も大きかったように思う。ビデオなんてなかったから、ひとつひとつの場面を目に焼き付けてた。次の一週間を、その2本の余韻でボーッと過ごしてた。だから当然、学校の成績は悪かったが(~_~;)僕が高校の頃通ってた映画館は、今ひとつも残ってない。ほとんどは駐車場になり、ひとつはサウナになってる。そのサウナになった映画館は良心的で、「栄光のル・マン」と「卒業」の2本立てとか、「ジュニア・ボナー」と「ダーティ・ハリー」の2本立てとか、信じられない豪華な番組の連続だった。僕はいつも、その映画館の支配人(?)から、公開が終わった映画のポスターをもらってた(とにかく入り浸ってたからねえ。そりゃ、仲良くもなるわ)。「ダーティ・ハリー」の超特大のポスターは、ずっと僕の宝物だった。あのおじさん、今でも健在かなあ。「昔わしが映画館やってた頃、毎日学校帰りにウインドウのスチール写真を、食い入るように見てる高校生がいてねえ」などと、昔話に僕が出てきてくれると嬉しいが・・・。なぜか感傷に耽る日曜日でした。
2005年06月12日
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満を持して(僕はこの言葉が好き)、クリント・イーストウッド監督「ミリオンダラー・ベイビー」を観てきました。これはもう、巨匠の仕事というほかない。高校生の夏、冷房のききすぎたガラガラの映画館で観た「恐怖のメロディー」(71)から30年余り。そうか、イーストウッドもこんな遠くまできたのか・・・。前半、映画はただひたすら静かに、「ボクシング」のもつ意味を探ろうとする。こんな静かなボクシング映画は始めてだ。この静かな前半で、モーガン・フリーマン(絶品・オスカー当然)との友情、ヒラリー・スワンク(美人ではないが、笑顔がステキ・オスカー当然)の生い立ち、そしてイーストウッドの、娘への思いが語られてゆく。映画って、こういうふうに、いろんな要素が幾重にも折り重なることで、物語の大きさや深みがでるんだと思うんだけど。イーストウッドの娘は結局最後まで姿を現すことはないが、それでも、この作品を大きくする役割を担っていると思う。こういうところをキッチリ描くイーストウッドが好きなんです。おじさん古いか?ファイティング・シーンのカメラワークについても書いておかねばなるまい。これはスゴイです。今までボクシング映画は、マーク・ロブスンの「チャンピオン」(49)から「ロッキー」まで数々あれど、これだけリアルなカメラの動きは初めてです。僕が断言する。このいくつものファイト・シーンのカメラの動きを堪能するだけでも、観る価値がある。大画面で観てよかった。映画後半については書かない。賛否両論みたいですね。しかし70歳を過ぎたイーストウッドが「死」について語るのである。真摯な姿勢にならざるを得ない。最後の日々、僕の母もこの女主人公と同じような願いを僕に言った。僕が映画を観ながら、涙が止まらなかったのも当然でしょう。カメラが寄っていって、微妙にフェイド・インする素晴らしいラスト・カットは、イーストウッドがオンリー・ワンの巨匠であることを告げている(観てない方には、なんのことやらわからんと思うけど)。作品賞は当然であろう。主演男優賞をとれなかったイーストウッドには、「教会で鼻水たらし、唇ふるわせて泣くあなたはステキでしたよ」賞を個人的に差し上げる。映画評はここまでなのだが、感動的なラスト・カットがフェード・インして、エンド・ロールが流れはじめると、みんなが一斉にドドドと席を立ったのには驚いた。別に、映画観るときのルールってのはなあ・・・などとお説教するつもりはないが(永遠に続くかと思うような長いのもあるしね)、この人たち、あのラストを観て、よくすぐに席を立てるなあとあきれただけ。イーストウッドの映画はいつも、冒頭にはタイトルだけしか出てこないので、僕はエンド・ロールで確認するのを楽しみにしてる。ん、そんなのはパンフレットで確認するからいい?はあ、そうですか。最後まで残ったのは、OLふうの2人組(トーゼン美人)、中年の夫婦(仲いいんだろうなあ)、おじいちゃん(渋茶でも呑みながら語りあいたいなあ)、そして僕のみ。余韻などというのんきな時間は、忙しい現代人には必要ないようであります。
2005年06月11日
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60年代ポップスの訳・作詞家、漣健児(さざなみ・けんじ)氏が亡くなりました。漣健児氏、ご存知でしょうか?今手元に「60年代の60曲」という3枚組のCDボックスがあります。すべて漣氏が訳した曲です。とりあえず、曲名を書くと、「ステキなタイミング」(坂本九)、「可愛いベイビー」(中尾ミエ)、「ヴァケーション」(弘田三枝子)、「シェリー」(パラダイスキング)、「カレンダー・ガール」(ミッキー・カーティス)、「パイナップル・プリンセス」(田代みどり)、などなど。森山良子の「恋は水色」や「悲しき天使」もそう。そして「赤鼻のトナカイ」、「ミッキーマウス・マーチ」も。すごいよねえ。向こうの曲を翻訳したものって、聴いててなんか居心地悪くないですか?「マイ・ウェイ」みたいなの。逆に日本の曲を英訳したのにも、僕は同じような居心地悪さを覚えます。レイ・チャールズの「いとしのエリー」とか、ユーミンも達郎も大瀧もあちらの人が歌ったものがあるけど、どれもなんだかお尻のあたりがムズムズする。それはなぜかというと、歌詞が韻を踏んでないからですね。英語の曲は、意識して韻を踏んでつくられてる。ビートルズの「ハード・デイズ・ナイト」は、「犬のように働いて、丸太のように眠ったよ」で「ドッグ」と「ログ」で韻を踏む。ポリスの「みつめていたい」はずーっとしつこく韻を踏んでいくし、ボブ・ディランには、韻を踏むのに懸命で、わけわからなくなってるのもある。向こうの曲を日本語になおすと逆で、無理に意味を通そうとして失敗する。しかし、上記した漣健児氏訳詞の曲知ってるなら、歌ってみて。韻踏んでないのに、全然おかしくないでしょ。「赤鼻のトナカイ」も「ミッキーマウス・マーチ」もなんだか、日本の曲みたいにピッタリしてる。それはですねえ、漣健児氏が、ポップスの言葉とは、意味よりもまずはリズム、口にして気持ちのいい言葉優先。そう理解していたということではありますまいか。たとえば、飯田久彦「ルイジアナ・ママ」には、 髪は金色目は青く ほんものだよディキシークイーン という歌詞がある。「ほんもの」とは何ぞや? 恋の手管にかけたなら 誰にも負けない僕だもの アタリキシャリキというのもある。東京ビートルズ(!)の「キャント・バイミー・ラブ」の出だしは、 買いたい時にゃ 金だしゃ買えるであります。そりゃまあ、そうだろうけど(笑)。話は逸れますが、この「東京ビートルズ」というグループの「ツイスト・アンド・シャウト」(64)はなんとか聴いてもらいたいなあ。これを聴くと、当時の大人の方々が(ロックン・ロール)というものをどう捉えていたかがよくわかるから。気の抜けたバックとは無関係に、文字通りシャウトするボーカルにも感動を覚えざるをえないが、、バックに「マリンバ」が入ってるのね。薄くだけど(笑)。ドラム・ベース・ギター2本では心もとなかったんだと推測する(笑)。で、このマリンバが途中で一音ハズす(爆笑)。聴くたびに、僕の腰は砕け散る。しかし、同じ大人でも、漣氏のように「わかっている」人もいたわけで(東京ビートルズも漣氏の訳詩だが、ゲラゲラ笑いながら書いてたでしょう)、なんだかホッとするなあ。このボックスには、大瀧詠一、山下達郎、桑田佳祐、井上陽水、財津和夫、各氏が序文を寄せています。「外国のメロディーに日本語をのせる」ことを真剣に考えてきた人たちが、氏を高く評価するのは当然だと思うし、また嬉しいことでもあります。心よりご冥福をお祈りします。
2005年06月10日
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いやー、今回はちゃんと(?)見ましたよ。サッカー。無観客試合って、なんか居心地の悪いものでしたね。視聴率58パーセント?。しかし実は、僕はどっちかというと、堺正章と井上順のナツメロ番組をメインで見ていたのでした。非国民と言われても仕方ない(~_~;)なぜかというと、サッカーが始まる前に、60年代ポップスの訳・作詞家、漣健児(さざなみ・けんじ)氏が亡くなったことを知っちゃったからです。漣氏とナツメロ番組のことは明日書くとして、今日はとりあえずめでたいと。2つのゴールとも見逃した僕が言うのもなんですが・・・(>_
2005年06月09日
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今日はサッカーをみるぞ。早く帰ってきたし、日記もサッと書いて決戦に備えるのじゃ。ぬふふ、寝過ごしてしまったバーレーン戦の轍は踏まぬぞ。しかし、この頃眠いのよなあ。昨日なんか、9時に寝ちゃったもんね。今日ももうビール飲んじゃったら、目がトロトロ。油断はできぬ。そこで、帰りのバスの中ででっち上げた、替え歌をひとつ。吉田拓郎「どうしてこんなに悲しいんだろう」の替え歌(世代限定で申し訳ない)。「どうしてこんなに眠たいんだろう」 眠たいだろう みんな同じさ おんなじ夜を 迎えてる フロに入って ビールを飲むと 入れ歯が肩に 噛みつくよ これが50というものかしら 50になると眠たいのかい ひとりものです 気にとめないで 時にはこんなに思うけど 8時になると イビキをかいて ヨダレを垂らして いる僕さ作ったときは面白いと思ったんだけどなあ(~_~;)まあ、いいや。どうせ今日は、みんなサッカーに夢中で、わしの日記なんか見に来ないもん。しかしそれにしても、昨日の日記と落差ありすぎ。そういう振幅の激しさが、ワタクシの魅力である、と言わざるをえません(-_-;)
2005年06月08日
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今日は違うことを書こうかと思いましたが、父のこと、もう少し続けて書いておきます。父がヘンだ、とは思ったものの、母とその話をする勇気はありませんでした。なかったことにして、とりあえず先送りする・・・最もいけないパターンですが、そんなはずはない・そんなはずはないと自分に言い聞かせてました。そしていつか、正面から現実を突きつけられる日がくることも、わかっていたはずなのですが。ケーキの次はタバコ。仕事から帰ってくると、父が気分が悪いと寝ていた。自分の部屋に入るとタバコ臭い。買い置きのタバコの箱が開けられていて、中に吸殻が2本入ってた。戻しておけばバレないだろうというように。父はもうずっと前にタバコをやめていた。そりゃ、いきなり2本も吸えば気分も悪くなろう。この時も母には言えなかった。どうすればいいんだろう。ひとりで頭を抱える毎日でした。現実と向きあう日が来ました。日曜日の夕方です。母が夕食の準備を終え、僕がそれをテーブルに運ぶ。父は、外にある風呂のガス栓をひねる・・・というのが、僕らの役割でした。ガス栓というのは、まず栓をひねって種火をつけ、隣の栓でメインの火をつける、というものです。勝手口の外にあります。料理をテーブルに並べ終え、母がごはんをよそおうとして、気がつきました。父が、入ってきません。2人で行ってみると、父は腕組みをして首をひねってました。そして僕らをみて、ふふふと笑いました。「フロは、どうやって沸かすんやったかね」母がいきなり、大声で泣き出しました。母も、いくつか僕と同じような場面に出くわし、僕に言えず、ひとりで思い悩んでいたのでしょう。母は、泣きながら父の手をとり、「こうやるんでしょう、こんなこと忘れるわけないでしょう。やりなさい」と栓をひねらせようとしましたが、父はふふふと笑うだけでした。僕はなにもできず、つっ立っているだけでした。この日から、堰を切ったように、ドッと痴呆症状が出始めました。
2005年06月07日
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今日から、とりあえず平穏無事に終わってとくべつ書くこともないなあ・・・という日は、父のことを書いていこうかと思います。父のことはいつか始める「開設」のページで、と書きましたが、フリーページに書きたいことは山ほどあれど、タイプがついていかぬ。ボケの症状と、その介護の日々を書くことに意義があるか?よくわからないが、これから施設を始めるうえでの僕の「決意表明」としての意義はあるかと思います。こちらで書いて、必要なところだけを「開設」のページに貼り付ければよいではないか!そうビビッと閃いちゃった僕です。そうすれば、一石二鳥・一挙両得・双方一両損(?)ということで、いざ。僕の父は、マジメが服着てるような人でした。フツーの会社員でしたが、戦争中は満州にいて、満鉄(わからないか(~_~;))のエリートだったそう。満州で母と結婚した。引き揚げてからは、苦労をした。薪を拾って生活をしてたこともあったらしい。そして運良く、大手の製鉄会社に就職でき、この地に移ってきた。父の近所でのあだ名は「時報さん」だったそう。○○さんが帰ってきたから6時だね・・・とか。酒もタバコもほんのチョッピリ。趣味もなかったと思う。そして、躾は厳格であった。我が家では、テレビとは「NHK」のことであった。なので、僕は昔話をしても、テレビのアニメやらウルトラマンみたいな話になると、ひとり「蚊帳の外」になる。そんな父がなぜ、母のような超さばけた(あるいはぶっとんだ)女性と一緒になったのかフシギ。母が満州でなにしてたと思いますか?「玉突き」です。ハスラーです。母は、満州で終戦を迎えた時(お腹に長男がいた)、いまさら日本へ帰ってもしょうがないから、(モンゴル側へ)国境を越えて馬賊になろうと父に言って、このバカタレと、死ぬほど殴られたそうです。これはすべて母からの聞き書きなので、どこまで信用できるかわかりませんが(笑)、母を直接知ってた人なら、ありえる、と思うはず。僕も、母ならありえるなあ、と思う(笑)。母は継母に苛め抜かれて、家出して満州に渡ったのだが(これはホント。確証とれてる。スゴイでしょ)。そのうち母のことも書きたいと思ってます。波乱万丈ですよ(笑)。さて、父のことです。僕は18歳で東京にでて、30過ぎて九州に戻ってきた。父の様子が変だ、と最初に気がついたのは、僕がショートケーキを買って帰った夜だった。なんでケーキを買ったのかは覚えてない。ケーキが2コ余ったので、それを冷蔵庫にいれて寝た。夜中、台所で物音がするので行ってみると、父が暗いなか、ケーキを持って立っていた。開けっ放しの冷蔵庫の灯りが不気味だった。父は僕に気がつくとこう言った。「○○(僕の名前)、これ食べていいか」僕がうなずくと、父は「立ったまま」ケーキにかぶりついた。11年続く苦闘の日々の始まりでした。 この項、続きます。
2005年06月06日
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今日は真面目に、エクセルを使って施設の開設にいくら必要か計画を立てておりました。思った以上にかかるなあ。こうなれば、頼みは競馬じゃあ、ということで(これはもちろん冗談ですからね。競馬で施設作ろうなんて思ってないですからね。世の中、想像以上に真面目な人が多いみたいなので(~_~;)一言申し上げておきます)、「安田記念」、「愛知杯」の2レースをやったが、「安田記念」が45万、「愛知杯」が200万馬券ですと。わはははは。かすりもせぬわ。競馬で儲けようなどと考えたわしがバカであった。もう競馬などやめ、マジメに額に汗して働くのだ!メーデーには、日比谷公園で多くの労働者諸君とともに「がんばろーう、突き上げる空にーっ!」と叫ぶのだ!ウォーレン・ビーティーの「レッズ」も居眠りせずに鑑賞するのだ!歌声喫茶で、リーダーの指導のもと「想い出の赤いヤッケ」を歌って、連帯感を高めるのだ!若いもんは、このオッサンのゆうとること、まったくわからん、と思っておるだろうが、それでもいいのだ!!!!マークを撒き散らし、オッサンは夕陽を見つめながら、決心するのであった・・・しかしオッサンは、この決心が2日持たないことも知っている、かしこいオッサンでもあった。
2005年06月05日
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ああ、なんということ。昨夜のサッカー楽しみにしてたのに、まだちょっと時間があるなあ、と思ってウトウトしてたら、そのまま朝まで眠ってしまった。いくらなんでもひどすぎるなあ。勝ったからいいようなものの。けしからんぞ、わし!では昨夜は何をしていたのか。ぼんやり「競馬ブック」(そういう雑誌があるのね)の先週のレース結果を見てて、突然、結果のなかに「ある法則」を発見したのである。さっそく、エクセルのありとあらゆる関数を駆使し、自分の画期的な発見が正しいかどうか分析を行った。結果は正しいとでた。わはははは。これでわしも大金持ちじゃ、成り上がりじゃ、ヨロシク。善は急げ、本日早速実験のため、小倉競馬場へと赴いたのである。そして、壮大な実験を(身銭をきって)終え、さきほど帰宅したわたくしは、「机上の空論」という言葉を、しみじみと噛み締めているのでありました。どんな法則かというと・・・、今はまだ語るべき時期ではない。もう少しデータを集め、実験も繰り返さねばならぬ。パイオニアはいつの世も孤独である。
2005年06月04日
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ブック・レビューということにしておいたが、そちら方面からは、誰も見にくるまい。自信がある(笑)。「ハヤカワ文庫」。今でも手に入ります。一応名作とは言われておるが、この小説を読んだ、という人に僕はまだ会ったことがない。特に女性は、ほとんど読んでないのではないか。でもこれ、大傑作なんです。ジャンルでいうと「ハードボイルド・ミステリー」ということになるんですが、これ、そんなくくりで捉えられる小説ではありません。主人公はリュウ・アーチャーという私立探偵。シリーズもので、初期の二作が、「動く標的」、「新・動く標的」(魔のプール)として映画になってます。そしてこれは、シリーズの最高傑作。この人、日本での評価はものすごく低いです。歴代のミステリ・ベスト100みたいな企画だと、この小説はだいたいいつも14,5位にいます。でも僕はそれでも「ものすごく」評価が低いと思う。僕はそういう企画のなかのベスト100すべて読んでる。自慢してるんじゃありませんよ。すべて読んだうえで、評価が低いと言ってるのをわかっていただきたい。評価が低いのはナゼか。「ハードボイルド」というジャンルに多くの読者が求めるであろう甘さ、あるいは甘え、がカケラもない・・・せいであろうと思う。僕はレイモンド・チャンドラーもダシール・ハメットも好きだが、でもだからといって、この優れた小説を差別することはなかろう。たとえば、冒険小説協会会長・内藤陳の書評のなかで、ロス・マクドナルドの名を見たことがない。それはないだろう・・・と僕は思う。この小説がわからないのであれば、話は別だが。本格ミステリーの王道が密室殺人なら、ハードボイルドの王道は行方不明の人間さがしだ、とマクドナルドは語っているが(あっ、自作について語りすぎるのも評価が低い原因かも知れない)、この小説はまさしく王道である。新婚旅行の初日に、花嫁が失踪するのが発端である。しかし、ストーリーはそこからしだいに横道に逸れてゆく。読むうちに、悲劇的な結末が待ち受けているのは想像できてくるが(「さむけ・THE CHILL」というタイトルにご注意あれ)、構成の鉄壁さで、読むのをやめることができない。なにしろこの小説のマクドナルドの視線は神の目のようだ。一生に一度しか書けない小説だと思う。そして、あっと驚く結末(これ以上ツラい結末があったら教えてくれ)を迎える。この小説には大きなトリックがあるが、それが暴かれるのは最後の一行なのだ。そう、これは最後の一行を読むための小説です(僕は、この一行をそのまま書いてる書評を見たことがある。この国にはルールなどないのです)。20代前半、初めて読んだ時僕は30分くらい衝撃で立てなかったように思う。後にも先にも、そんな小説はこれだけ。この小説を読んだことで、僕の人生の何パーセントかは変わってしまったと思う。ロス・マクドナルドは晩年、アルツハイマーで苦しんだようです。この完璧(こういう言葉をむやみに使ってはいかんと思うが、この小説はそれが許される)に構築された、そして哀しい物語の作者がそういう最後を迎える。結末の一行を読んだ者として、ある感慨を覚えざるを得ない。このページに来てくれた方のなかで、ひとりでも、読んでみようか・・・と思ってくだされば幸いです。
2005年06月03日
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僕らの世代にとって、貴ノ花といえば、30日に亡くなった初代のほう。若者たちはわかるまいが、息子たちより人気があったと思う。なんというか、ものすごく悲痛な表情で相撲をとる人だった。勝っても負けてもつらそうだった。そこが、人を惹きつけてやまないところなんだろうけど。引退してから、なんといっても面白かったのは、輪島と共演したCM「資生堂アウスレーゼ」。映画館で、上映前によく見たが、さあこれから映画を観るのだ!と力の入りすぎた気持ちをいっぺんでリラックスさせてくれる、二人の絶妙な間の悪さでした。今思い出しても顔がほころぶ。今回コメントしてた輪島は悲しそうでしたね。仲よかったんだろうなあ。息子たちには、あまり興味ない。なんで仲が悪いのかも知らない。喪主なんかどっちでもいいじゃねーか・・・と僕は思うが。母が亡くなった時、うちも長男が喪主を務めた。兄嫁は、近所の人から、どうして喪主が(母の面倒をみた)僕じゃないのか、と文句を言われたそうだ。でも僕はそんなのどうでもよかった。経験のない方はご存知ないでしょうが、葬式にも簡単なリハーサルみたいのがある。最後の挨拶のひな型みたいな文面も渡される。僕は最後の挨拶も兄や姉にやってもらった。挨拶の文面を必死で暗記したりしたくなかった。なんだかすべてが、母の死とは関係ないところでテキパキと進んでいて、僕はただただそういうのから離れていたかった。しかしまあ、僕のような一般庶民と相撲界を較べちゃいけないんでしょうけどね。晩年(といっても、僕とそんなにかわらないんだよなあ)はあまりいい事もなかったでしょうけど、みんなの記憶のなかには、現役の頃の姿だけが残っていきます。安らかに眠ってください。
2005年06月02日
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皆様、おかげさまで、このページを始めてから、今日で丸1年となりました。まさしく、おかげさまで、という他ありません。ありがとうございます。去年の今頃、僕はもう仕事を辞めることも遍路にでることも決めていて、数少ない友達や姉に、なぜそう決めたのかを知ってもらいたい。そう思って始めたページでした。古いタイプの人間なので、母の死に対する気持ちも、なかなか言葉では言いにくいし。あとは、「宅老所」を作る!と宣言して自分を鼓舞する気持ちもありました。最初の頃見にきてくれてたのは、友達のりゅう君をはじめ、1日4・5名でした。1年経って、訪問してくださった方は約8000名。たぶん少ないほうなんでしょうが、僕には充分です。タイプは一向に上手くなりませんが、その分「書きながら考える」ことが習慣になったようです。なんだか、長い間、ひとつひとつの事について考えることを忘れていたような気がします。思いださせてくれた皆さんありがとう。いろんな方の日記に刺激を受け、音楽もまた聴くようになったし、小説も読むようになった。そして、なにより嬉しいのは、このページを通じて多く(数少ないかな(~_~;))の友達ができたこと(友達・・・と呼んでいいんですよね)。ロン@ゴスペルさん、チルチルさん、Jazzさん、魚と蕎麦好きさん、ありがとう。遍路の同志・magicelvisさん、basil oさん、ありがとう。通りすがりでも来てくれた皆さんありがとう。そしてなにより、最初からずっと変わらず僕を励まし続けてくれる、りゅう君ありがとう。りゅう君以外顔は知らないが、僕はその方々を思い浮かべながら毎日日記(最近はただの与太話だらけであるが)を書いております。今日初めてこのページに来てくださった方は、たいしたページでもないのに、こいつ何をそんなに感動してんだ?と思われてるでしょうね。でも、それでもいいんだもーん。僕にとっては大事な事なんだもーん。一度ちゃんとみんなにお礼を言いたかったんだもーん。であります。あらためて。皆さん、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
2005年06月01日
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