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例えば色んな事情で妊娠の話を読みたくない方もいらっしゃるかも、と思い、単刀直入と言うか、身も蓋も無いタイトルで失礼致します。・・・と言う訳で、予定通りに行けば、ブル乃助は8月15日頃お兄ちゃまになります。何分今回は高齢出産ですので、悲観する訳でも心配してる訳でも無いのですが、「もしも」の時に、お気を煩わせてしまう人数は少ない方が良かれと思い12月に妊娠に気付いてからも、こちらでは黙って居りました。普段から、会う予定が有ったりする時以外はまめにメールしたりする方では無いのですが、妊娠したよ、と言う用件だけでメールを出すのもこっぱずかしくてまた先に書いたように先方の事情も考えたら浮かれたメールを一方的に出すのも憚られ、結局ここで知らせる事になってしまったお友達の皆さんにはお詫び致します、ごめんね。本当にごくごく数人しかまだ知らせて居らず、暫く静かに太って行こうと思って居たのですが現地では日本語補習校の4月からの役員決めが有って、そこでは皆さんにお知らせしました。お話は変わりますが役員が嫌な人って、本当に嫌なのね、日本で何か嫌な思い出でも有ったのかしらん?それともわたしが無知なだけで、失敗したら吊るし上げられたりするのかしらん??取り合えず今年は役員は無理なので来年か再来年か、また選ばれたら頑張ってお勤めしようと思います。「朝に道を聞かば、夕に死すも可なり」と言う論語の言葉の解釈は朝に(それほど凄い事を)知ったら、夕方には(古い自分は)死んで新しく生まれ変わる事も可能だ、と言うような事を本で読んだのですが、本当にそうだと思います。その「バカの壁」と言う本には、例えは極端ですが、もし今日の朝「あなたは癌で余命6ヶ月です」と聞かされたなら、朝と全く変わらない外の桜や風景も、あなたには違って見えるでしょう、とも。「知る」と言う事はそういう事で、何かを知る度に生まれ変わると言うのは大袈裟でも、やはり第二子の存在を知ると、今後の人生計画の全てを含めてわたしも生まれ変わった気がします。子供が居なかった所へ一人生まれたのも大変化でしたが、一人から二人になるのも、きっと同等くらいの大変化でしょう。こちらでいつもお世話になっている先輩の皆様のご助言を、今後も益々お願い申し上げます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこれより記録日記。クリスマスにジョージアで家族全員集まった時、どーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーうしても発表したかったブルルと、慎重にしたかったわたしと、何度も話し合った結果、前回の妊娠の時はミシガンで両方の家族に電話でしか報告出来なかったし、今回は全員集まる所でブルルがみんなの顔を見て言いたいと言うならそれでも良いか、と、結局わたしが折れて、そうする事になった。でも、それならばわたしも自分の家族に言いたい、と実家に電話した。なんだか普通の話をずっとしながら言い出さずに母の話を聞いていて、「あ、そう言えば来年お父さんのお誕生日くらいに帰れたらと思ってたけど無理そうなの。」と打ち明けたら「えええええ!!!」と母の歓声。それからも話が長引いて、結局もう遅かったので妹には母から電話してもらった。ジョージアでは、一通りプレゼント交換が済んだ後、ブル乃助を部屋に呼んだ。ブルルとわたしで「あのね、ブル乃助いつもお兄ちゃまになりたいって言ってたでしょ?」「You were always asking us when you are going to have a little brother or a sister, right?」(いつ弟か妹が生まれるの?っていつも訊いてたよね?)「うん・・・。」「ママに赤ちゃんが出来たからね、今度の夏に生まれるのよ。」「You're going to be a big brother, little mam!」(涙ぐむブルル)「僕、結構。I don't want it.」・・・え?「No, thanks.」・・・ええっ?そんな事言わないで、早くこのシャツ着て、20まで数えたらみんなの前に出て来るんだよ、そうしたら、「Everybody, look at my new shirt!」って言うんだよ、とブルルはてきぱき指示してわたしと部屋を出た。新しい服を着るのは好きなブル乃助は辛うじてわたし達の用意した、青地に派手に黄色でBIG BROTHERとアップリケで書いたTシャツを着て機嫌の良い顔でみんなの前に登場した。「Look at my new shirt, everyone!」みんなの視線がブル乃助のシャツ、わたしの顔、お腹、ブルルの顔の間を錯綜する。やはり勘の良いのは経験者で、ブルルの姉と妹が「キャーーーーー神様ーーー!」と泣く。ブルルママも号泣、Flipで撮っておいてと頼んだのにブルルも号泣、ブルルの叔母さんとブルルの姪達にハグされながら貰い泣きだかなんだかわたしまで泣いていて、その頃にはブルルの姉と妹の其々の夫も気が付いて「おめでとう!」。ブルルパパまで眼鏡を取って目をぬぐっていた、なんとも湿っぽい、でも嬉しい瞬間だった。ジョージアには、通いに通って文句ばかり言っているけれど、こんなに喜んでくれるなんて、と、一寸感動した。その後すぐ、ブルルママが浮かれついでに「わたしはもう孫が男の子二人女の子二人居るから、次が男の子ならもう一人女の子、 女の子ならもう一人男の子を産んで貰わないとね~~、 ま、双子で一人ずつでも良いけど、おっほっほっほっほ!」なんて口走っていたのは、超不自然に聴こえない振りをしたけれど。その夜はブル乃助は、みんなの喜びように少し混乱したようで、「僕、三人家族が良い。」言ってみたり「でも弟なら良いかな。」と言って葛藤したり「やっぱり神様に返品するようにお祈りする。」と言ってわたしの背筋を凍らせたりした挙句、ジョージアではいつもそうするように、わたしのベッドで一緒に寝た。以来、彼は彼なりに消化したようで、ノースキャロライナに帰って来てから突然、「僕、弟も妹も要らないって言ったけど、あれは混乱してただけで、 もうその考えに慣れたから大丈夫だよ。」と言ってまたブルルを涙ぐませていた。最近は可愛い女の子を見たら妹も良いな、なんて言ったり、先週大統領の日のお休みにモールでデートした時にベイビーズアラスへ寄ったら見るだけの予定だったのにあれもこれも赤ちゃんに買ってやりたがったり、ブルルが急ブレーキを踏んだらわたしが口を開くよりも先に「Daddy!! You've got to take care of the baby!!!」と抗議してくれたり、すんなり日常で「赤ちゃん」の事を考えているようだ。歯医者さんごっこの様に、わたしに大口を開けさせて「赤ちゃん~~?お、は、よ~~!」と気が向くとわたしの口の中に向かって話し掛けるのは、どういう理屈なのか謎だが、胎児は母親の胃の中に居ると思っているような気がする。あまり詳しい事を突き詰めて説明する気は無いので、出産について訊かれても「え?ブル乃助覚えてないの?ママも忘れちゃったなあ。」とはぐらかしている。
February 28, 2011
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「もうすぐみんなは一年生」で終わる、こういう歌が有る。今日本語補習校で年長さんを見送る為にブル乃助達年中クラスが練習している。5月生まれのブル乃助はこの4月に補習校では年長さん、現地校ではキンダーガーテンは準一年生みたいな感じで一年だけなのでこの9月に一年生だ。一年生になったら♪友達百人出来るかな?と合わせて、昔でも今でも日本の幼稚園で歌われている歌だと思う。今までは、この「思い出のアルバム」を聴いたらじーんと色んな事を思い出すので歌自体は嫌いでは無いけれど、ラジオなんかで突然流れるのは苦手だった。幼稚園の年中を終わる頃に引越しで幼稚園を代わり、そこで年長の子に目を付けられて酷く苛められた事。年長になってやっと慣れてもうすぐ一年生、と、卒園式の歌の練習も始まり、横浜の小学校へ上がる予定で身体検査までしたのにそこでまた父の転勤、引越しで今度は名古屋へ。小学校へ入る前の三学期後半だけ、新しい幼稚園でまた試練(子供なりにね・笑)多々であった。普通に育って来た子供の頃を振り返って、自分で通って来た過去の事をうじうじとマイナス思考で反芻するのは無意味なので嫌いだが、この引越しの続いた数年は、今思っても正直に、実りのある試練だったと思う。結婚を決めてからどこででも幸せに生きて行こう、日本を離れる事を決められたのも、どこでもついて行くよ、と言えたのも、言えたからこそ色んな経験が出来たのも、余り一つの土地に深く根ざさない性格が幸いしたと言えるだろう。勿論物事には見方が有って、これにも弊害が昔は有った。中学高校の時などは、余りグループとか友達に執着しなかったから、もっとべたべたして欲しい友達には薄情だと思われていた。電話も嫌いだったし、学校から帰ったら友達付き合いは終わりにして一人で本でも読みたかったし、その内卒業するし、どうせ今だけの付き合いだし、と、今思っても可愛げの無い、友達甲斐の無い人だったと思う。それが、大人になって子供を通じて知り合いが増えると、わたしのこのそのままの距離感が通用するので便利で嬉しい。友達甲斐は無いかもしれないけれど、たまにお役に立てれば嬉しいし、気晴らしにお喋りしてケラケラ笑うのは楽しいけれど、たまにで良いの、と言う感じ。そうか、わたしは距離の取り方が転校のお陰で大人だったのね、なんて。逆に、制服を着ていた頃べったりと友達付き合いをしていた人は、大人になったら寂しくないのかな、と心配にもなる。補習校にはいずれ日本へ戻る前提で国語・算数の遅れを最小限に留める為に通わせ、もう既に帰国されたご家族も何組かいらっしゃる。子供が出来て、習い事や学校に納得が行くようになると、わたしの場合は今度は動きたく無くなったので国境を越えてご自分の意思以外の決断で引越しをされる方々には、本当に感心する。「思い出のアルバム」を、わたしのピアノ伴奏でブル乃助に歌わせるのだが、音痴疑惑の絶えない彼にしては楽しそうに歌う。練習しながら、ふと、転勤であちこちへ引っ越しながらも暖かい家庭を保ってくれた両親と、彼ら自身の慣れ親しんだ世界との別れや新しい土地や職場に対する思いは勿論、わたしと妹への気遣いや不安を思ったら、改めて大変だっただろうな~と思う。「思い出のアルバム」を聴いて自分以外の人の事を思ったのは初めてだ。ブル乃助がふと遊びながらこの歌を一人で口ずさんでいるのを聴くと、週一回で制服も専用校舎も無い、年中から高3までエスカレーター式の補習校の、しかもお見送りの立場で歌うだけなのに、あんな事、こんな事、うんうん、有ったね、とじーんと来る。来年号泣したらどないしましょ。え、今年も心配って?そうかも。(笑)
February 18, 2011
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先日の入園100日目のお祝いのTシャツの写真を切り取って拡大した。伸ばしたので画質は悪いけれど、こんな感じ。ついでに、この前中華スーパーで見たラーメン(?)の日本語が面白かったのでご披露する。惜しい!と思って笑ってしまったけれど、買わなかった。小心者。幼稚園での親への宿題が多いと文句を言っていたら、また有った。大きい封筒に入った赤い画用紙のハートを持って帰って来た。付属のお手紙には担任の先生から「このハートを両親もしくは合法的保護者で子供の為に飾って下さい。愛のメッセージでも良いし写真でも良いし、何でも結構です。バレンタインの日に教室の前に飾って子供達を驚かせる計画です。子供達には内緒にしておいて下さい。」毎日自分でも何が入っているのか分からないリュックを背負って通う幼稚園児相手だからこそ出来る業だ。小さなイベントのお知らせの時には、シャツの胸の所にシールを貼られて帰って来た事もある。伝書バトの助ってからかってもきょとんとしている。幸い、こんな素敵な折り紙のサイトを見つけたので、ここで沢山色んな形のハートを有り合わせのピンクと赤系の和紙と折り紙で沢山折って、その20cm四方くらいの赤いハートの画用紙を縁取りした。昔クラスメートとお手紙交換した時に色んな折り方を覚えてその中にハートも有ったけれど、久しぶりにそれを見て懐かしいやら、そんな事やってないでもっと真面目に勉強すべきだったと反省するやら。手を使ってこちょこちょすると、結構自分と向き合えるので、嫌いではない。縫い物が嫌いなだけ。(笑)その真ん中にブルルが印刷してハート型に切ってくれたわたし達三人の写真、(出張じゃないなら彼にも働いてもらいますとも!)ハートの下の方にこの「ハートのてがみ」と言うのを貼り付けて、その中に英語でブルルから、日本語でわたしから、それからもう一枚日本語でブル乃助のぬいぐるみのぞうさん、くまちゃん、パンちゃんから、其々三枚のお手紙を入れて、上にOpen Hereとアリス風に書いてみた。今日、何も知らずに学校へ持って行った。うふふ。バレンタインの日にはどんな顔で帰って来るのかな。バレンタインが楽しみって・・・とってもとっても久しぶり。
February 9, 2011
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一月二月くらいには、日本の幼稚園ではどんな行事をするのか、もう年月が経ち過ぎて覚えていないし、覚えていても今はまた事情が違うのかもしれない。お正月とか節分とか、そんな感じかなあ?アメリカの、と言っても一つしか知らないのでそこはご理解頂くとして、幼稚園は、わたしの記憶の中の幼稚園と随分違う。折り紙やお習字が無いのは当然としても、お遊戯や楽器や、わたしが楽しかった思い出が、ブル乃助の毎日では繰り返されて居なくて、全く他の事で月日が経っている。ブル乃助の幼稚園では読書、書き方、算数をいっちょまえにやっていて、芸術(!)、音楽、体育、ダンス(!!)の授業(!?)が毎日順番に行われる。先々週はインターナショナルフェスティバルで、数週間に渡り地理のクイズを持って帰って来て、地球儀やネットを見ながらなんとか終えた。話は変わるが以前書いたオレゴン・サイエンスの喋る地球儀は、もう壊れた。8ヶ国語が出来るのが売りだったのに、日本語をダウンロードしようと思ったら全く喋らなくなった。なんたる粗悪品。ブル乃助の教室がたまたま「日本」でお箸選手権、絵本コーナー、文字の色紙、鯉のぼり作りなど色々体験出来るブースがあつらえて有り、思ったよりもずっと立派で驚いた。他にはインドや中国は勿論、ポーランドやイタリアなどの教室も人気が高かった。放課後6時から9時までのイベントで、いつも6時きっちりに晩御飯を食べる我が家はどうしたものかと悩んだのだが、豚カツとお味噌ソースを入れた名古屋風(?)おにぎりを沢山作って、込む前に到着した学校の駐車場でもぐもぐ家族三人で食べた。日本だったらこんな事出来ないよなあ・・・。先週から今週のイベントは入園100日のお祭りで、先月から100枚のペニーを持って来なさいだの、既成のケーキを寄付して下さいだの、色々印刷物を持って帰って来て、最後が「100日を記念するTシャツを着せて来て下さい。」クラフトショップへ行ってみたりしても、どうもこういう場所では創造力の全く働かないわたし・・・。Tシャツに何か書くにしても生地がつって難しいだろうし、一枚無駄にする訳だし、何か良いアイデアは無いかなあ無いかなあ無いかなあ、と、随分歩き回ったが徒労。結局クラフトショップの横に有ったオフィス用品の大型店で輪ゴムを100本買った。本当は340本入りなのだが、迷いに迷って、色合いの良いのを選んだ。それをブル乃助と一緒に色が均等になるように100数えて、三つに分けて、其々を繋げて、「1」「0」「0」と言う形に整えて、それから白いTシャツに縫い付けた。これだけで4日掛かりましたわよ、奥様。(ため息)なんか親への宿題が多くない?と一寸文句気味の近頃で有った。ほんとに、雪で休校になったり突然早く帰って来たり、先生の事務の日でお休みだったり、しかもこんな宿題が頻繁に有って一体全体どうやってお仕事をお持ちの母親はやりくりしてらっしゃるのかしらん?と思う。当日喜び勇んで車から降り立つブル乃助の胸の真ん中にジャケットの隙間から一つ「0」が見えるのをカープールでドアを開けて下さる先生が目ざとく見つけて何か言って微笑んで居たのを後に学校を後にした。夕方、帰って来てから聞いてみると、100枚のシールを貼った子が多かったそうだ。なんですって?そんなので良かったの?失敗したわ~。(歯軋り)普通の服の子も沢山居たそうだ。(青筋)しかも、面白がって引っ張られた輪ゴム達は100なんだか111なんだか良く見えない随分無残な形で帰って来た。でも、得意満面で車から飛び出して登園したあの顔が見られたから、ま、良いか。
February 7, 2011
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