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9月23日、母・眞野美佐子の第12回ソプラノリサイタルが岐阜県県民ふれあい会館・サラマンカホールにて開催され、無事成功いたしました。お越しいただいた約350人の観客の皆様、厚く御礼申し上げます。リサイタルが成功し、私もホッとしています。母は、この7年間ほど、私のうつ病の看病や介護で、ほぼ活動休止の状態になっていて、「また声が出るだろうか・・・」と心配していたこともありましたが、見事復活し、コンサートができるぐらいまで私が回復してきたということでもあり、二重に喜んでいます。私はリサイタル当日、体調がはっきりしないのと、弱った祖母の介護で会場に行くことができませんでしたが、また次の機会に楽しみを残しておこうと思います。祖母も高齢になり、だんだん自分の力だけで生活するのは難しくなってきました。今まで私はたくさんの人に厚いサポートを受けてきましたが、今度は私が祖母をサポートしていく番だという気がしています。やってもらったことは、どこかでお返ししないと、バランスが取れませんからね。ではまた、今日から新たな流れに乗って、進んでいきます。今日も天気は荒れ模様です。地球のエネルギー変化は日に日に激しくなっています。頑張っていきましょう!
2008年09月26日

今日は美術展のお知らせです。2008年9月23日(火)~9月28日(日)まで、滋賀県彦根市の「ひこね市文化プラザ」にて、第57回彦根市美術展覧会が開催されます。私は「井伊の赤備え」という30号のアクリル画を展示します。お近くの方は、ぜひお越しください。 『井伊の赤備え』copyright(c)Takaaki Mano all right researved.この絵は、去年の11月に制作したものです。彦根城・井伊藩に仕えた戦国武者を描いています。この絵にはかなりのエネルギーを費やしていて、完成後、1か月ほど寝込んでしまいました。実物のほうが迫力がありますので、ぜひ会場でご覧くださいね。
2008年09月22日
フリーページに新作の絵を追加しました。ここ数日は、台風の影響で体がしんどく、体力が消耗していました。毎年、この季節になると、台風が来るたびに寝込んでしまいます。私にとっては困難な季節です。今日は台風の影響も和らいで、少し楽になっています。アセンションというものは、次から次からといろんなことが起こってきて、まさに体力勝負だと認識させられます。そんなことで、ここ数日は、絵を描く体力もなく、静かに本を読んでいました。何か月か前に読みだしたファンタジー小説『錬金術師 ニコラ・フラメル』をようやく読み終わりました。魔法や魔術が出てくるファンタジーは、私にはあまり向いていないのがわかりました。魔法や魔術は使えて当然だし(実際はまだ使えませんが)、ヴァンパイアなどの架空の生き物も実際にいて当然だと思っているので、それほど新鮮味がないのかもしれません。この小説は、実在した伝説の錬金術師・ニコラフラメルが主人公なのですが、今でもまだ生きているかもしれませんね。また、ようやく東野圭吾の『探偵ガリレオ』も読み終わりました。これはもう、何度もブログで書いていますが、著者はよく科学を勉強したんだな~、と感心しています。もう一つ突っ込んで、量子力学や超ひも理論に関する推理小説を読んでみたいという欲求に駆られました。そして今、美術家の横尾忠則さんが書いた小説『ぶるうらんど』を読んでいます。私もいつか、あの世とこの世に関する小説を書こうと思っていたのですが、もう横尾さんが書いてしまわれましたw死後の世界がどうなっているのか、だいぶ本を読まれたのがわかりました。もし私が書く場合は、輪廻転生も織り交ぜて、壮大なスケールにしないと横尾さんと同じようなものになってしまうな・・・と感じました。それと並行して、神との対話シリーズの最終巻『神へ帰る』も読んでいます。これは結構ボリュームがある本なのですが、1冊を通して「死」のことが書かれています。「死」は人生のうちで、最もエキサイティングな、祝福されるべき創造の機会である、というような独自の解釈が展開されています。この本を読むことで、「死」に対する恐れが軽減し、逆にハッピーになり、力強く生きていけるのではないでしょうか。「死」については私も思うことが多く、書くと長くなりますので、また別の機会に譲りたいと思います。台風の季節は読書に限りますね
2008年09月20日
ここ数日は、私の過去生である、胸に傷を負った少年を癒していました。数日前、体が緊張して、うまく動かなくなり、疲れて寝込んでしまいました。ここのところ、ヒーリングは受けていなかったのですが、これは普通じゃないと感じて、いつもお世話になっているヒーラーの方にサポートをお願いしました。胸に深い傷を負った過去生の男の子が出てきていて、その影響で全身が緊張しているようでした。過去に、槍か何かで胸を突かれたことがあるようです。そのときの肉体的な痛みと精神的ショックから、未だ立ち直れていないということでした。その少年をヒーリングをしてもらったら、だいぶ楽になったのですが、まだ傷口が塞がっていないということで、自分で聖母マリアや天使たち、大天使ラファエルを呼んで、2日ほどずっと自分の胸を抱きしめたり、さすったりして、少年を癒して安心させてあげました。今ではだいぶ楽になり、傷口も塞がり、癒えているようです。過去生のことが現世まで影響する、典型的な事例を体験したようでした。癒された少年とともに、また一歩ずつ、歩いていきます。人生は長い旅のようですね
2008年09月17日
ここのところ、TVドラマ「ガリレオ」(再放送)のことばかり書いています。もうこの話題にはうんざりされている方もおられるかもしれませんが、もう一回だけ書かせていただきたいと思います。昨日、ようやく最終回が放映され、やっと本当に一段落したような気持ちがします。TVドラマを真剣に観たのは、私がまだ中学生だった’91年の「東京ラブストーリー」以来のことです(笑)今回熱中したドラマ「ガリレオ」は、私に大きな変化をもたらしました。私の学者魂というか、研究者魂を刺激されたというか、より多くの愛を感じるようになりました。スピリチュアル世界とは対極に位置する科学の世界への愛情、学問への愛情、そして天才に対する愛情です。原作よりも、ドラマのほうがおもしろいんじゃないかと思う部分も多々あり、ドラマを作った作家さんには感心しました。ドラマでは科学者の湯川学が天才であることの特徴が見事に表現されていて、「そうそう、これが天才なんだよ」と納得することが多かったです。私自身、奇人・変人の類で、10代の頃に「自分は天才じゃないのか」と思い込んで、タイトルに「天才」という文字が入っている本を、片っ端から集めて読んでいたことを思い出しました。このドラマで、私の天才性が刺激されたようで、愛すべき歴史上の天才たちが次々と目に浮かんでは消えていきました。これからまた、私の意識は新しい旅に出るようです。東野圭吾作品とも、まだまだ付き合っていきそうな気配です。できるだけ「普通」を装い、自由に生きていきたいものです。
2008年09月13日
ここ数日は、絵画制作の合間に東野圭吾さんの小説「探偵ガリレオ」を読んだり、TVドラマの「ガリレオ」を観たりしていました。私は、一度何かに熱中すると、納得するまでハマってしまう性格のようです。ようやく少し、落ち着きましたw東野圭吾さんの小説の書き方も、学ぶことが多かったです。このようなミステリーものに熱中できるようになってきたというのは、私もだいぶ地球の波動に慣れてきているように感じます。だいぶ地球の波動が上がっていますので、私としては、徐々に暮らしやすくなっています。さて、ここ数日の「ガリレオ」ブームがひとまず落ち着いて、少し分かってきたことがあります。なぜ今、東野圭吾作品の中でも天才科学者が主人公である「探偵ガリレオ」がドラマ化されたのか。なぜ近年、脳科学者の養老孟司がもてはやされてきたのか。なぜ今、若き脳科学者、茂木健一郎が注目されているのか。ということです。これは、私なりの解釈では、目に見えない世界、未知の世界に対する大衆の「恐れ」が顕在化している現象のように思います。そしてその一方、意図的な力が働いているようにも感じます。大衆の「恐れ」と意図的な力が噛み合わさって、これらの作品や人物が表に出てきているように感じます。私見では、脳とはエネルギーを受信し、変換する装置であると理解しています。それ以上でもそれ以下でもありません。大切な身体機器であることには違いありませんが、強調し過ぎるのもどうかと考えます。まあ、あまり固いことは言わずに、ドラマ「ガリレオ」の楽しかったところ、おもしろかったところを心に残しておきたいと思います。私の興味は今、「天才」に移行しつつあります
2008年09月11日
今日はいつになく、蒸し暑い日になっています。ブログの画面をマイナーチェンジし、これからはアート作品の販売・紹介は左のフリーページで行っていきますのでよろしくお願いします。ここ数日は、午後4時から始まる「ガリレオ」というTVドラマを毎日観ていました。東野圭吾さんの原作で、再放送なのですが、なんとなくTVをつけた時に映ったのがきっかけで、毎日観るようになりました。毎回、一話完結で、天才科学者の湯川学が、警察が解決ができない事件を、科学的分析に基づいて、ことごとく解決していくストーリーなのですが、これが結構おもしろく、ハマッテしまいました。僕にはとても書けないような内容で、東野圭吾さんの頭の中はどうなっているんだろう・・・、原作の小説ではどのように書かれているのだろう・・・、どのように作ったんだろう・・・と強い興味を覚え、さっそくアマゾンで原作の「探偵ガリレオ」を注文してしまいました。科学といえば、私は子供の頃、とても科学が好きで、物事の神秘を解明するのが好きでした。科学の限界に気づいたのは18歳の頃でしょうか。この世は科学で説明のつかないことがある、いや、説明のつかないことがあるどころか、科学で説明できることは、この広大な宇宙のほんの少しでしかない。そういうことに気づいてしまった。それからは180度の意識の転換で、スピリチュアル世界、精神世界を10年以上もさ迷ってきたわけです。しかし、今回観ることになったドラマ「ガリレオ」は、それはそれでおもしろい。科学的分析、論理的思考というのも、結構おもしろいな・・・と感じています。さて、ここから私なりの「科学」というものの解釈になりますが、科学とはやはり、宗教の一種であるということです。こんなことを書くと、びっくりされる方が多いと思いますが、私も天才です(笑)これぐらいのことは書きますw科学法則というものは、実は時代によって変わるものです。時代によって変わるというよりも、人々の集合意識によって変わります。人々の意識が「科学法則は絶対で、完璧に信頼できるものだ」と固く信じていますので、実際にそうなっています。これは一つの信仰といってもよいもので、宗教を信じる心と同じものです。しかし、最近では、その絶対不変の科学法則が通用しなくなりつつあるようで、科学者のリサ・ランドールさんが先駆的な研究をされています。科学もおもしろい時代に入ってきたものです。さて、今日はどうやって最後の文章を締めようかと考えていますが、終わり方がよくわかりません。ガリレオ万歳!リサ・ランドール万歳!ということで、強引に今日の書き込みを終わらせていただきます
2008年09月06日
先日、あるヒーラーの方のエネルギーワークを受けてから、また意識に大きな変化が起こり、頭がボ~っとしてしばらく書き込みをしていませんでした。いろいろなことが頭に渦巻いてはいるのですが、なかなかまとまらない状態でした。今日はなんとか力技で頭をβ波に近づけています。ここ数日でもたくさんのことがあって、なかなか考えがまとまらない状態です。福田総理が突然辞任されて、メディアは連日、次期総裁選のことを報道していますね。二代続けて政権放棄とは、国民も白けてきているのではないでしょうか。これでまた、政権の交代が一歩近づいたように思います。蟹工船ブームで、この1年間で共産党に新規入党された人が1万人もいるということで、空前の共産党人気になっていますが、これからの日本は共産主義に戻ることはありません。そして、資本主義にも限界が来ていて、そう長くは持ちません。有名な経営コンサルタントの方は、次に来るのは「本物主義」だ、という曖昧な表現の仕方をされていますが、私が思うには、社会主義と資本主義がミックスされたような形になるのではないかと思っています。個は個として認められ、尚且つ全体の一部であるという感じです。これは、ある宗教家が悟りを開いた者として、「場所的個としての人間存在」という言い方をされていますが、社会そのものがそういう存在になっていくのではないかと思っています。ただ、人々が当たり前のように宇宙の法則や真理を理解するようになりますので、宗教はいらなくなるでしょう。そして、国境もなくなっていきますので、今のような中央集権国家というのもなくなっていくでしょう。地球を管理・監督する小さな機構はできるかもしれませんが、基本的には地方自治による多彩な文化が花開いていくことになるでしょう。なんだか未来予測のような書き込みになりましたが、私はだいたい10年ぐらい前から、このような地球の未来をイメージしています。
2008年09月04日
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