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EF641000番台:EF641040EF64シリーズで、今回はJR貨物の1040号機です。平成19年5月26日 大宮車両所にて平成22年4月29日 5585レ平成23年5月17日 5585レ平成23年7月9日 3071レ平成23年9月25日 2073レ平成23年12月15日 単8592レ平成24年3月18日 単3071レ平成24年6月16日 単5585レ平成25年4月25日 3071レ廃車まで原色であったことから、優先的に狙いに行っていたため、コマ数は多かったようです。1982.9.16 新製2013年度 廃車
2026.08.31
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エアーニッポン:YS-11私が最初に乗った飛行機がYS-11でした。地に足の付かない乗り物に恐怖を感じ、まったく飛行機を使用したことがなかったのですが、時間の都合で初めての搭乗。その頃には乗り物としての興味を持っており、YS-11が既に希少な機体になっていたことも知っており、一生の記念となる搭乗となりました。撮影は、平成11年7月17日、大島空港にて。羽田から到着したYS-11が空港ターミナル前へ。当時は大島便が3往復ありました。他に調布からの便と大型船がありましたが、ジェットフォイルが導入されたその後の悲惨な現状と違い、小さな機体のYS-11では満席となることも良くあったようです。現実、この時の旅程では往きの便はチケットが取れず、已む無く新幹線~高速船を使用しています。機体に何かマークが付いていると思ったら、エアーニッポンが25周年となった記念のようです。ちなみに、平成16年に便名をANAに統一、平成24年には全日空へ吸収合併された解散となっているようです。当時は航空機の写真を殆ど撮ったことがありませんので、エアーニッポン(ANK)としての記録もこの時限りとなっています。到着を見守ってからいよいよ初搭乗です。初めての航空機搭乗はジェットコースターの順番待ちをしている感じと似ていたかもしれません。間近でみる飛行機は大きく感じたかもしれませんが、ジェットと比べたら遥かに小さいですね。操縦席下の〒マークもご愛敬です。乗る間際もカメラを離さず、記念すべきプロペラも間近で。搭乗口からでは焦点距離35mmでも入りきれませんでした。機内は想像よりも遥かに狭く、在来線の特急列車よりも窮屈な印象。友人から「YSにはモニタを搭載していないので、搭乗案内が実演」ということを聞いていました。そんなこともあって、カメラはしまわずに手に持ったまま。同乗した娘は座席がないので抱っこしたまま、羽田までの航路を満喫しました。羽田~大島航路は有視界飛行のため、千葉~東京上空からは地上の様子が良く見えました。地図上で見ていたかつての職域であった江戸川区も、江戸川・新中川・荒川が本当に地図どおりなんだと実感。実際に空を飛んでいるのは30分強くらいだったか、あっという間でしたね。途中で空気の壁にぶち当たるような衝撃を3回くらい味わいました。まあ、今でも恐怖感はあります。その後、数回は飛行機に乗る機会がありましたが、2度目の航空機利用はなんと航空自衛隊のC-130で、またしてもプロペラ機となりました。
2026.08.30
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東武鉄道 8000系:大師線(標準塗装)過去ログにおいて、東武亀戸線で運用されていた8000系については全て公開済みとなっていますが、同じ編成で運用されていた東武大師線を1度だけ訪問したことがあり、ここで撮影したものが未整理となっていました。今回は、このとき撮影した写真を整理して、8000系2両編成のまとめにしたいと思います。※撮影は、平成29年10月1日、東武大師線にて。大師前駅 到着大師前駅 停車中西新井駅西新井駅にて 出発このときの運用は8565Fでした。できるだけ一筆書きにしたかったため、赤羽駅からバスで西新井に向かいますが、途中の大師駅近くにバス停があることを現場仕事の際に知っていたので、西新井大師へのお参りを行程に組み込み、大師線にも初乗車となった次第。本来ならリバイバル塗装車の運用を期待していたのですが、亀戸線でコンプリートすることが出来たので、これはこれで良い記録になりました。東武鉄道 8000系:8568F復刻塗装 東武鉄道 8000系:8575編成(復刻塗装)東武鉄道 8000系:8577編成(復刻塗装)
2026.08.29
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EF651000番台(4次車):EF651040~1049EF651000番台は、重連運用対応として導入されていた500番台F形に、上越線等の使用による寒冷地での問題点を改良し登場した番台で、それまでになかった前面貫通路を設け、連結向きが違っても連結できるように両渡り栓構造とした特徴を持っています。1000番台は客貨両用の機関車として製造されたため、PF形とも呼ばれました。前期形でPS17パンタグラフを搭載した1001~1055が昭和44~47年に掛けて誕生しています。今回は、撮影枚数の少なかった4次車として製造された1040~1049号機の中で、撮影していたものだけをご紹介したいと思います。なお、この4次車以降は、前面通風孔が廃されています。1040号機 既に別途ご紹介済みです。 JR貨物:EF651040(EF652040) 4次車で唯一2000番台化されました。平成20年8月2日 大宮駅にて EF651041牽引 貨物列車18きっぷでの撮影の帰路、撮影中に知り合った大学生君に得た情報で、初めて撮った原色のPFが1041号機でした。運転停車するという情報だったのですが、何故かスピードを落とさずに通過となったため、こんな写真しか撮れませんでした。1041号機 2012年度廃車昭和57年7月頃 大宮機関区にて EF651043(左)大宮操車場の職員輸送用キハの車内から大宮機関区を撮影したもの。余り知られていませんが、大宮操車場も機関車交換のターミナルとなっており、交代待機の電気機関車たちが多数休んでいました。同機はJR貨物に継承されましたが、地元で再会することはありませんでした。1043号機 2013年度廃車平成20年5月3日 佐倉~物井間にて EF651045単機同区間での撮影帰り、偶然の通った1045号機。昭和51年頃 上野駅にて 寝台特急「あけぼの」上野駅に到着する「あけぼの」を牽引する1045号機。当時はヘッドマークがなかったため、機関車を撮ることは殆どありませんでした。EF65牽引 20系寝台客車:寝台特急「あけぼの」 1045号機 2009.3.31廃車平成5年6月13日 蓮田~東大宮間にて EF651046牽引 上り貨物列車原色時代の1046号機で、ナンバーもまだプレート化されていないオリジナルの姿。JRマークがなければまだ完全オリジナルだった時代。平成23年6月26日 EF651046牽引 3055レ活躍晩年の時代。更新工事が実施されていないため、ナンバーは白色プレート化されています。休車明けで久し振りに動いたらしく、これを撮影するためにわざわざ出場し撮影したもの。この後、間もなく廃車となってしまったようです。1046号機 2012年度廃車昭和53年10月1日 EF651047牽引 125レEF651047牽引:普通列車(旧型客車) 昭和58年10月5日 宇都宮駅にて EF651047牽引EF651047牽引:「サロンカーなにわ」 同機も更新工事を受けていなかったらしく、比較的に早いうちの廃車となってしまったようで、民営化後の出会いはありませんでした。1047号機 2009.3.31廃車昭和60年3月17日 栗橋~東鷲宮間にて 「あけぼの6号」EF65牽引 24系寝台客車:寝台特急「あけぼの」昭和60年10月17日 東大宮~蓮田間にて 「与野市民号」EF651049牽引 12系オク座:団体列車「与野市民号」 平成20年3月29日この頃は記録を撮っていなかったので列車番号は不明ですが、夕方の下り貨物列車です。やはり更新工事を受けていなかったため、白ナンバーでプレート化されていました。1049号機 2010.3.19廃車
2026.08.28
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国際興業バス:いすゞキュービック(ノンステップ車)今回は、国際興業バスのいすゞキュービックで、ノンステップ車です。3005 平成18年11月4日 赤羽駅西口 赤羽営業所 98年式キュービックノンステップ車ですが、国際興業では30両しか導入されておらず、全体から見てもかなりの少数派となります。塗装は導入時から明るいグリーンに変わり、その後の同車の標準カラーとなりました。3026 平成20年5月18日 浦和駅西口にて 西浦和営業所 99年式浦和駅高架化工事の代行輸送取材時に浦和駅前で捉えたものです。付近を走る代行輸送バスとの組み合わせも思い出のシーンとなります。キュービック伝統の顔をそのままノンステップ車に付けた形態で、エルガ登場までの過渡期的存在でした。新塗装でありながら、方向幕式なのも好感が持てました。結構走っていたようにも思ったのですが、撮りに行ってみると以外に会う機会が少なく、記録できたのはこの2枚だけでした。
2026.08.27
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旧型国電 身延線:クモハユニ44803身延線クモハユニ44シリーズの最終回となります。最後はクモハユニ44803です。戦後、横須賀線から都落ちした4両のうちの1両(44003)は、他車が全低屋根改造を受けていた際には大糸線へと活躍の場を移していたため、原形のまま運用されていたようです。他車と同時に何故か44000と改番されてしまい、さらに大糸線から身延線に転属した際、低屋根改造を受けてクモハユニ44803へとさらに改番されたということです。44803が低屋根改造を受けた時代には、パンタグラフ部の部分低屋根化改造が一般的となっており、クモハ43のように前パン車についても、パンタグラフを後部に移設の上、部分低屋根改造されました。そのため、このクモハユニ44803のみ、他車とは違った風体となっていました。昭和56年7月23日 金手駅にて クモハユニ44803雨樋は丸化されてしまいましたが、全低屋根とされなかったのでいちばん原型に近いスタイルになっていました。特に改造当初は前面窓に桟が残っていて、さらに原型に近かったようです。パンタグラフを撤去した屋根前部にはベンチレーターが設置されなかったため、改造車らしい痕跡が残っていました。旧型国電に興味を持ち始めた頃には終焉を迎えてしまい、身延線については殆どの車両が最初で最後の出逢いで終ってしまいました。旧型国電 身延線:クモハユニ44801旧型国電 身延線:クモハユニ44802旧型国電 身延線:クモハ60旧型国電 身延線:クモハ51系旧型国電 身延線:クモハ51852旧型国電 身延線:クハ47旧型国電 モハ62系:身延線 アコモ改造車115系:身延線 ワインレッド色郵便・荷物合造車:クモユニ143(身延色・長岡運転所時代)
2026.08.26
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HB‐E300系海里:団体列車「月光(ムーンライト)海里」令和8年5月、通常では首都圏で見ることのないHB-E300系海里が上京しました。コロナ禍以前は、尾久車両センター公開にこのような地方イベント車両が姿を見せることがありましたが、近年は商売っ気丸出しのイベントのみが実施され、このような特殊な車両に触れる機会がなくなってしまいました。上野駅 海里 展示イベント(2026年5月16日) - 鉄道コム今回は、上野駅において飲食等を伴った有料イベントの実施と共に、往復の車両移動に乗客を募り、団体イベント列車として仕立てられたものです。しかも、通常であれば前日送り込み、当日又は翌日の返却が組まれるケースが殆どですが、今回は往路・復路とも夜行営業ダイヤが組まれており、いわゆる「夜行列車」と仕立てられた点において特異な存在でした。※撮影は、令和8年5月16日です。HB-E300系 9852D 団体列車「月光(ムーンライト)海里」歩道橋の反対側には既に4人がスタンバっていて、私と同着の方も反対側へ行きました。私はカブられるのを嫌って側面逆光側へ。それでも比較的に色がでましたね。後部も撮ろうと思っていたのですがすっかり忘れ、慌ててバックショット。しかし、どこを測ったのか真っ黒に潰れ、画像加工で最大限に明るくしてここまで補正しました。側面から乗客が乗っている姿が見えましたが、多分、満員御礼でしょうね。朝6時過ぎの到着はさぞや眠いことでしょう。新車はあまり興味が無いのですが、ネタになりそうな列車が全て消えてしまった地元では、地方に行かないと見ることのできないこうした車両が唯一のネタになります。JR東日本では、改造による新たな夜行列車も計画されているそうですので、一度は消滅してしまった夜行列車がまた時折姿を見せるようになることになれば楽しみです。
2026.08.25
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EF641000番台:EF641019EF64シリーズで、今回はJR貨物の1019号機です。平成21年9月6日 2073レ平成22年2月20日 8592レ 与野駅付近にて平成22年2月20日 2073レ 平成22年7月26日 6789レ平成24年1月9日 重単2085レ EF641019+EF641041平成24年5月19日 3071レ平成24年10月13日 8592レ平成25年1月12日 3055レ平成25年9月14日 3071レ最後まで原色青プレートであったため、他よりも多く撮影していました。他よりも早めに廃車されています。1981.7.30 新製2018年度 廃車
2026.08.24
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東武鉄道 1800系:急行「りょうもう」平成30年5月20日、東武鉄道で最後まで残っていた1800系最後の1編成である1819Fがラストランを迎え、その活躍にピリオドが打たれました。急行「りょうもう」用として誕生した1800系ですが、200系・250系化による特急格上げに伴い、殆どの1800系が改造に供され、普通列車やサポート的な特急列車等で使用されるようになりました。姿を変えて生き永らえてきた元1800系の車両たちも、普通列車改造組は早々に廃車され、臨時特急などに活躍した300系も平成29年春に引退。あとはわずかに残った350系と、1819Fだだけになっていました。1819Fについては『東武鉄道 1800系:1819F「臨時快速」』にてご紹介済みですが、急行「りょうもう」時代の写真はアーカイブしていませんでしたので、引退に合わせて整理しておきたいと思います。撮影は、平成2年6月24日、加須~羽生間にて。上から3枚が6×4.5、最後の1枚が6×6で撮影しています。フィルムスキャンをしていないのでプリントからのスキャンとなっていますが、この時のプリントが何故か色調が良くなく、さらにスキャンで画質が悪くなってしまいました。1819Fは最後発で、ライト形状やクーラーキセがに特徴がありますが、この時の撮影はいずれも初期車でした。急行「りょうもう」が特急化により新車が導入されるという告知があった頃で、慌てて押さえに行ったような記憶があります。この頃はクルマの運転も好きだったので、時間があればひょいとハンドルを握って走り回っていました。確か4両編成時代にも撮ったような記憶があるのですが、写真が見当たりません。出会いの頻度はそれなりにあって、とにかく地味な印象の東武鉄道の中でも一際目立つ存在であった1800系も、撮影の機会がまるでない車両でした。
2026.08.23
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1183系0番台:前面貫通扉を開ける特急電車の前面貫通扉の起源は、581系寝台特急電車に遡ります。その後485系クハ481200番台、そして、183系や381系へと波及していきます。この貫通扉、そもそもは将来の分割併合に備えたものとして位置付けられていたようですが、183系に導入された理由は、東京~錦糸町間に総武快速線の地下線区間が開業したため、災害時における避難用出口として、当時の法令基準において必要だから設置されたことに他なりません。そのため、581系(583系)やクハ481200番台とは、明らかに目的が違うと言えます。昭和52年頃 品川駅にて 貫通扉を開けた183系写真は、幕張電車区からおそらく大船工場へ検査に向かうための回送列車と思われます。品川駅で見るのが珍しかったために何となく写真を撮っていたら、運転士が何を思ったか、突然貫通扉の開け閉めを行い始めたのです。当然そのようなことをする必要性がなく、運転台へ出入りしながら、明らかに私たちを意識して行っているようでした。サービス精神としてやってくれたのかもしれません。当時、併結運転を行っていた特急電車は、「かもめ」「みどり」以外にはなく、東北方面から貫通型を取り寄せて設定されたのですが、肝心の貫通扉は使われなかったようです。確か、紀勢本線の「くろしお」増発時において、381系100番台増備までのつなぎとして485系を使用した際、改造により誕生したクハ481800番台(簡易貫通扉設置車)と200番台により、初めて貫通扉が使われるようなったと記憶しています。その後においては、「シュプール」の485・583系の併結や、房総地区における183系の基本+増結、「雷鳥」「しらさぎ」による基本+増結など、結構メジャーに見ることが出来るようになっています。途中駅での併解結のある列車では見ることは出来ますが、房総地区での併解結は電車区内で行われていた筈ですので、なかなか見ることのできないシーンではなかったでしょうか。
2026.08.22
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JR貨物:EF651072EF65PFシリーズで、今回はJR貨物のEF651072です。1072号機は、昭和51年度債務で組まれた6次車で、昭和52年5月27日に落成しています。首都圏の旧型電機の置換え用として大量に増備されたグループで、登場から廃車になるまで新鶴見機関区に配置され、専ら貨物用として活躍していました。平成21年12月5日平成22年5月30日 2071レ平成23年4月24日 4094レ平成23年8月20日 遅3074レ平成24年4月1日 4094レJR貨物では、終焉となるまで原色赤プレートで活躍し、注目を集めたカマでしたが、2000番台化には選定されず、2013年度に廃車となっています。
2026.08.21
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国際興業バス:いすゞエルガCNG今回はバスネタで、国際興業バスのいすゞエルガCNGです。一時期、都心では何処へ行っても見掛けることのできたCNGタンクを載せたバス。平成末期においてすっかり見ることがなくなりました。地元では見ることのできなかった国際興業バスのCNG車ですが、浦和駅の高架切換工事を取材に行った際、偶然にキャッチできたものがありました。この時のものだけしかありませんが、まとめにしておきたいと思います。※撮影は、平成20年5月18日です。南浦和駅西口にて いすゞエルガCNG 3912(H15年 西浦和営業所所属)北浦和駅西口にて いすゞエルガCNG 3913(H15年 西浦和営業所所属)いずれも浦和駅高架工事に伴う代行輸送に供出されたバスです。この日、現認した番号から39台のバスが各所から召集されて代行輸送に当たっていたと思われますが、CNG車(KL-LV834L改)はこの2台だけでした。CNG車には専用の充填スタンドが必要なため、稼働範囲が限られていたと思われ、台数もそれほど居なかったのかもしれません。他の方の情報では、CNG車は故障が頻発し、早期廃車になったものが多かったようです。
2026.08.20
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東京都交通局:7000形(7022・復刻塗装)都電7000形のうち、後年の7022は、冷房改造前の姿に塗装を復刻して営業運転を行っていました。自分の年代としてはリアルに見てきた姿ですので、その存在は嬉しいものでした。平成19年11月25日 熊野前にて都電撮影の帰り、熊野前電停で乗車待ちしていると、目の前に突然姿を現しました。なんのことかさっぱり分からずに、アタマの中が真っ白。おぉ、昔の塗装だ!とアタマが理解するまで結構時間が掛かりました。慌ててしまってあるカメラを取り出し撮影したもの。こんな車両が走っていることは全然知りませんでした。平成22年9月10日 鬼子母神にて現場での昼休み、電停が近かったのでちょっと撮影にと行ってみると、偶然にも7022がやってきました。この辺りは線形に変化があるので、4ショットも撮ってしまいました。それにしても、どうしてこいつだけシングルアームなんでしょう?平成24年11月13日 庚申塚にてこれも現場での昼休み、食後の散歩の際に捉えた7022。アタマが切れちゃっていますが、いつの間にかパンタグラフがひし形に変わっていました。平成26年1月13日 王子駅付近これは北王子支線の撮影のついでに寄ったもの。これも偶然。平成26年11月15日 王子駅付近これは尾久車両センター公開の帰り道ですね。都電荒川線での撮影はそれほど多くないですが、2回に1回くらいは7022号に遭遇していたかもしれません。2018年12月27日付で廃車になり、解体されてしまったそうです。
2026.08.19
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JR東日本 E721系:東北本線(黒磯~新白河)黒磯駅における交直流切替方式の変更により、東北本線黒磯口に運用されていた交流電車が運用できなくなりました。平成29年3月14日のダイヤ改正から実施されたもので、それまで駅構内で行われていた地上切替方式が、駅間における車上切替方式となっています。このため、黒磯駅構内がすべて直流電化となりました。これに伴い、黒磯から、新たな運用の切替点となる新白河間の運用が分断され、交直直通列車が消滅。この区間は新たに増備されたE531系及びキハ110系によるアクセスとなりました。過去ログで同区間を走る701系と719系はアップしておりますが、新車にしてやはり離脱を余儀なくされましたE721系をご紹介したいと思います。※撮影は、平成22年5月2日です。白坂駅にて白坂駅を出発するE721系4連。白坂駅はそのむかし「追い越しの要衝」とされるような駅で、急行「いいで」「ざおう」ですら運転停車をして特急「やまびこ」に追い越させるというような役割ももっていました。1面2線のホームは副本線となっており、その外側に本線通過線を備えていましたが、現在は上り通過線が本線ホームに、下り副本線が下り本線となっています。比較写真で、東北新幹線開業前の白坂駅です。ED75牽引の上り普通列車が退避となり、その横を特急「ひばり」が駆け抜けていきます。高久駅にて高久駅を発車するE721系4連の下り普通列車です。電車を低床化することにより、ドア付近のステップを廃し、バリアフリー化を達成しました。高久駅はむかしもこの時もあまり変わっていませんでしたが、乗客数が昔からすくなかったため、さすがに無人化されています。現在はE531系による運転となってしまったようですが、ホームを嵩上げしないとかなりの段差になってしまう筈で、今はどうなっているのでしょうか?JR東日本 719系:東北本線(黒磯~新白河) JR東日本 701系:東北本線(黒磯~新白河)
2026.08.18
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名古屋鉄道 7000系:パノラマカー豊橋口では名古屋鉄道と線路を共有しており、旧型国電末期に数多く飯田線を訪れ、豊橋口から撮影に入る際には7000系・7500系といった名鉄パノラマカーは嫌ってほど目にしていました。しかし、旧型国電にしか興味がなかった時代だったので、名鉄車両では旧型の荷電の写真を1枚撮ったきりで、パノラマカーが引退になると知った時は非常に悔しい思いをしたものです。時は流れ、平成17年。愛・地球博の開催にちなみ、名古屋の親戚を訪問するとともに、愛・地球博へ。そして、女房と娘が別行動をする日に名鉄の撮影に行ってみました。折しも中部国際空港セントレアが開港となり、名鉄特急の体制も大幅に変化しました。特に、元祖パノラマカーやその後継のパノラマデラックスさえも廃止になってしまうという。ミュースカイの誕生と共に、それまでのフラッグシップとなっていたパノラマsuperも4両編成は2つにばらされ、1200系と手を組むことになります。当時、この情報を得たのは鉄道ダイヤ情報のみ。どうにか最後の姿を見てみたくて名鉄撮影を試みたのですが、パノラマカーは既に運用が無くなってしまったのか、出会うことが出来ませんでした。撮影の移動の合間、枝線に停車していたパノラマカーを発見するも優等列車に乗っていたため戻ることもできず、名鉄自体に明るくなかったためどこを走っているかさえ分からない。なんとも情けない話。日没が近くなり、撮影を諦めて名古屋へ戻る際、停車中のパノラマカーを発見。撮影していると続けてやってきたため、最期の最後に写真に収めることができました。※撮影は、すべて平成17年7月23日、金山駅にて。既に特急運用からは外れ、おそらくは夕方のラッシュで運用が増えるときに車庫から出てきたのでしょう。まだデジカメの無い時代で、しかも中判カメラしかもっていませんから、駅撮りは苦痛でした。時間は覚えておらず、空が真っ暗になっていることから既に19時は回っていたのでしょう。どの編成か忘れましたが、撮影した後にわずかな区間ですが乗ることもできました。低い天井、パノラマ室に繋がる緩やかな床の傾斜の感覚は、今でも印象に残っています。昭和56~58年は、むしろパノラマカーばかりが走っていたイメージの名鉄で、ちょうど白帯車とか6000系顔の特急車とか、今考えれば1枚も撮っていなかったことは後悔でしかありません。
2026.08.17
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東海道新幹線:700系本記事は、2020-02-15に投稿したもので、当時の表現になっています。平成11年に量産化され、東海道・山陽新幹線で活躍した700系新幹線が、令和2年3月、東海道新幹線から姿を消すことになりました。カモノハシのようなユニークな顔の新幹線も、誕生から20年で東京~新大阪間で見ることができなくなってしまいます。0系や100系を追いやり、さらには300系から最優等「のぞみ」の座を奪った新鋭も、後継のN700系シリーズにその座を奪われ、山陽新幹線にわずかにその姿を残すのみとなります。撮影対象としては思入れもなかったため、殆どはついでに撮影した記録のみとなってしまいました。平成19年11月23日 小田原駅にて平成19年11月23日 大田区馬込付近にて平成20年8月16日 三島駅にて 「のぞみ76号」この辺りまでは、500系「のぞみ」の写真を撮影するついでに撮ったものばかりです。平成21年8月23日 近江長岡付近にて平成23年11月15日 汐留にて平成24年10月12日 新橋付近にて500系がなくなってから全く興味が無くなり、この辺りでは新幹線沿線に居たので「何かくれば良い」くらいに撮ったものでした。平成29年2月5日 東京駅にて 「ひかり461号」この方面からしばらく外れていましたが、103歳で亡くなった女房方の祖母の葬式に参列するため、名古屋まで行きました。仕事の関係で日帰りとなったため、早朝の新幹線に乗るために東京駅へ向かうと、隣には先々発の「ひかり461号」が停まっていました。この頃には既に700系の稀少感も高まっており、「700系を撮る」ために記録したものです。平成29年2月5日 東京駅にて同日の帰り、東京駅に到着すると、ホーム反対側に運良く700系が停まっており、側面のエンブレムを撮影することができました。たった20年ですが、その技術・経験は現在のN700系シリーズに確実に受け継がれており、東海道・山陽新幹線のスピードアップに大いに貢献した車両であることに間違いはありません。
2026.08.16
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185系:特急「踊り子115号」(大宮延長)※本記事は、2020-11-29に投稿されたもので、当時の表現になっています。令和3年春のダイヤ改正で185系の撤退が決まった特急「踊り子」。特急「踊り子」の運転区間は東京~伊豆急下田となっており、時代を追うごとに始発駅に変化をもたらしてきました。近年までは大宮始発の「踊り子」も設定されていましたが、利用状況が良くないこともあってか、平成28年くらいを最後に設定されなくなってしまったようです。大宮始発(延長運転)の伊豆特急は「スーパービュー踊り子1号」が定番で、検査等で車両が足りないときは185系による大宮始発の「踊り子」が設定されました。いずれも新宿始発となる「踊り子」の延長運転であるため、大宮~新宿間は貨物線経由でした。一方で、平成27年3月に上野東京ラインが開業したことにより、貨物線経由だけではなく、東京発の「踊り子」でも大宮始発着の延長運転が可能となりました。そしてこの年の夏臨において、初めて185系による大宮始発~上野東京ライン経由の「踊り子115号」「踊り子114号」が設定されました。平成27年8月15日 185系A6+C6編成 臨時特急「踊り子115号」定期列車の「踊り子115号」をそのまま大宮始発として設定したため、基本+付属の15連で運転されたのが特徴です。それまで運転された大宮始発では基本10連のみの編成となっていたため、15連での運転はこの時が初めてであったと思われます。運転日は8月13~15日の3日間のみで、その後の年末年始の設定もなく、以後において定期列車の延長運転が設定されることはありませんでした。185系電車の大宮配置化と上野東京ラインの開業による副産物でしたが、地元でフル編成の正調「踊り子」を見ることができたのはこのワンシーズンだけであり、大変貴重なシーンとなってしまいました。185系:特急「踊り子」(国鉄時代)185系:特急「踊り子」(東海道線)251系:「スーパービュー踊り子」EF651116牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」EF5868牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」EF5861牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」E259系:「マリンエクスプレス踊り子」(展示)185系OM08編成:臨時特急「上州踊り子」
2026.08.15
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EF66牽引:寝台特急「あかつき」「彗星」寝台特急「あかつき」は、昭和40年10月、新大阪~西鹿児島・長崎間に20系客車を使用して運転が開始されました。東海道新幹線の開業以降、関西から対九州への寝台列車需要が拡大し、新幹線博多開業の直前では、臨時列車を除いても7往復が設定されていました。一方、寝台特急「彗星」は、昭和43年10月に運転が開始され、大分・宮崎・都城の各行先が誕生し、やはり新幹線博多開業までに最大で5往復(臨時列車を除く)まで成長しています。新幹線博多開業により運転本数が減便され、特に鹿児島本線方面への寝台特急は「明星」へと名称を統合したことにより、「あかつき」は対長崎・佐世保に限定した列車名となってしまいました。その後の旅客需要縮小は顕著となり、昭和57年11月改正で「あかつき」は2往復化、昭和59年2月改正では1往復が長崎・佐世保編成、もう1往復の佐世保編成が廃止されて「明星」と長崎編成の併結運転となります。「明星」との併結列車は昭和61年に廃止となり、1往復のみが存置されました。平成12年に佐世保編成が廃止され、編成を短縮した「彗星」との併結運転となっています。平成17年には「彗星」が廃止、「なは」との併結運転となり、平成20年3月をもって廃止されました。※撮影は、平成14年3月29日 新大阪駅にて。EF66牽引 寝台特急「あかつき」「彗星」プリントからのスキャンなので不鮮明ですみません。レガートシート車の記録もこれのみ。従姉妹の結婚式に向かう際、新大阪で途中下車して撮影したもの。他の列車を撮影している最中に来てしまい、慌てて撮影したため構図も非常に悪いものとなってしまいました。新大阪止まりなら駆けて行って撮影するところですが、京都行のため停車時間が短く、これが精いっぱいの撮影でした。この時点ではまだ廃止されるとは思っていませんでしたので、執着していなかったのが仇となり、「あかつき」としても関西ブルトレとしても最後の写真となってしまいました。カニ24100番台・スハネフ15:寝台特急「彗星」583系:寝台特急「彗星」EF65:寝台特急「あかつき」
2026.08.14
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飛行船:メットライフアリコ&名探偵コナン今回は超レアネタです。もう二度とないかもしれません。近年は飛行船って殆ど見掛けなくなりました。20年前くらいは新宿の高層ビルの中から良く見掛けましたし、荒川や高崎線沿いに飛んでくることが多かったので地元でも良く見ました。特に静かな休日だと、ゆっくりとしたエンジン音が聞こえ、空を見上げるとふらふらと風に煽られながら飛ぶ飛行船を見て「酔いそう」と思いながら見ていました。数10年前は飛行機よりも安価な交通手段としても使われたようですが、機体の大きさの割には大勢の旅客を乗せることができないし、なによりも飛行速度が遅い。風にも弱い。私の知る限り、飛行船は「広告手段」でしかなかったと思います。沿線で列車の撮影中に出くわし撮影したものが数枚ありますのでまとめておきたいと思います。平成22年5月8日 名探偵コナン湘南新宿ラインと並進してきた飛行船。『名探偵コナン 天空の難破船(ロストシップ)』のCMでした。Wikipediaには載っていないようです。この映画は家族で公開初日に見てしまっていたので、インパクトはあまり感じませんでしたが、家に帰ってから家族に話したら嫁も娘も羨ましがっていました。平成22年12月18日 メットライフアリコ平成24年4月30日 メットライフアリコアリコジャパンからメットライフアリコにに社名を変更した際にPRで飛ばしたらしいですが、結構長い期間使用されていました。「スヌーピーJ号」という名前が付いていたらしいです。桶川の飛行場が基地になっており、人目に触れやすい新宿や渋谷方面に飛ばしていたのでしょうが、直接収益に繋がるほどのPR効果はあるのかな?という感じがしますね。経費も掛かるでしょうから、利用しようとするスポンサーが現れないのも分かります。しかし、こうした技術は一度立ち消えてしまうと復活させることは難しくなるので、淘汰されてしまって良いのか?という想いもあります。
2026.08.13
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国際興業バス「ぷらっとわらび」:ワーゲン・クセニッツ蕨市のコミュニティーバスである「ぷらっとわらび」。2002年の運転開始当初からオーストリアのクセニッツ製(シャーシはフォルクスワーゲン製T4)2台で運行を開始しており、ルート増設に伴い、若干スタイルの異なるもう1台を増備し、計3台で運行していました。(運行は国際興業バス戸田営業所。)当時、詳しくは知らなかったのですが、クセニッツ製は故障が多いらしく、コミュニティーバスにあるまじき余計な維持費が掛かってしまうことから、国内での需要が激減。メーカーであるクセニッツの輸入代理店も2005年に撤退してしまい、維持の困難から早々に国産に切り替えてしまった自治体が殆ど、という事態になったそうです。蕨市においても2007年頃に初代の赤塗装と緑塗装の2台が日野ポンチョに置き換えとなり、増備車オレンジ塗装の1台だけがクセニッツのまま運用されていました。しかし、それも2009年11月末で運用から外れ、12月1日からは同様に日野ポンチョに置き換えられてしまいました。平成20年5月14日 蕨駅西口にて増備車で最後に残った1台のクセニッツ。初期導入の2両とは若干印象が異なっていました。ボンネットスタイルがコミュニティバスらしくカワイイ感じでした。後部に停まっているのは置き換え後の日野ポンチョです。平成20年5月18日 蕨駅西口にて停車中は右側が大きく下がり、ステップが低くなるようになっています。現在のノンステップバスでは当たり前のギミックになっています。後部には車椅子乗車用の扉が付いています。前述のような事情から早いうちに撤退し、普通なら10~15年は使える自動車でありながら、たった5年ほどで廃車・解体されてしまったものの少なく無いようでした。市では税負担軽減のために同車をオークションに出品したようですが、当時のリンクは既に切れており、どうなったか分かりません。この記事を初期掲載した時からも既に16年以上が経過していますので、おそらくは現存していない形式かと思います。このような不出来な車両の話を聞くと、かつてのDD54のような不運な車両が思い浮かんでしまいます。
2026.08.12
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旧型国電 飯田線:クモハ53008飯田線旧型国電シリーズで、洗練されたスタイルで人気があったクモハ53008をご紹介いたします。戦前型2ドア車として誕生した32系電車。そのあとを追うように誕生したのが、電動車を20m化した42系電車です。42系電車は、32系を踏襲したスタイルとなって登場しました。一方、流電モハ52型誕生後の昭和12年に誕生した3次車は、保守や作業で不便であった流電スタイルから前面貫通型に大幅変更され、モハ43の追番が与えられました。しかし、性能はモハ52系と同じもので、52系に分類されるいわゆる合いの子流電の誕生です。狭窓がずらりと並ぶモハ42系とは対照的で、流美が特徴的な2ドアスタイルとなりました。先頭車となるモハ43は、038~041の4両が製造され、両先頭車がモハ43の編成となっていたため、クハは存在しません。038は戦災で廃車となり、040と041は出力アップでクモハ53に形式を変更、039は低屋根化の上クモハ43810となって身延線へ転身しています。クモハ53となった2両のうち、元43041のクモハ53008は、張上げ屋根から標準化改造が実施され、飯田線で活躍しました。最後まで張上げ屋根のまま活躍しいたクモハ53007に比べるとやや地味な存在ではありましたが、ノーシル・ノーヘッダーの流美な2ドア車は飯田線で最後の旧型国電となるまで活躍しました。昭和57年8月10日 辰野駅にて飯田線ホームで折り返しを待つクモハ53008。隣の貨物ホームも車扱いが行われています。当時としては何気ない日常の風景でした。昭和58年1月10日 豊橋駅にてこちらは反対側の起点となる豊橋駅。駅舎は大きく変わりましたが、今も同じ場所から飯田線が発着します。写真を撮っているホームは名鉄と共通で使われていました。2両編成の相棒はクハ47009で、こちらは20m級2ドア車ながら、モハ32系に属するクハ47となっています。昭和58年4月17日 向市場~城西間にてついでに撮った写真なのでいい加減な構図です。渡らない鉄橋で雨の中を待っていて、撮れたのはこの列車の前後部の2カットだけでした。昭和58年2月23日 伊那本郷~飯島間にてクモハ53008+クハ47009+クモニ83×2の4両編成。私の好きな車輌を全て連結しているお気に入りの写真です。昭和58年8月6日 伊那松島機関区にて 2026.09.24 追加同車は「さよなら運転」による最終編成まで使用され、最後を飾りました。ネガからスキャンしたのですが、カラーバランスが壊れていたのでモノクロ化してご紹介です。KATO クモハ53を出して見る(その2): マル鉄コレクション館
2026.08.11
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211系:東北本線・高崎線(東北貨物線迂回運転)浦和駅の高架化工事が実施された平成。工事規模が大きいため、数回に分けて大規模な変則運転が実施されました。その中で、湘南新宿ラインから撤退していた211系編成が貨物線を迂回運転し、久し振りに区間限定ながら貨物線運転が復活した時の写真をまとめます。平成20年5月28日 列車番号不明平成21年12月20日 いずれも列車番号不明平成23年3月6日 高崎線 列番不明平成23年3月6日 高崎線 928M平成23年3月6日 高崎線 932M?平成23年3月6日 高崎線 921M湘南新宿ライン開業前の一時期には貨物線を走る211系電車がありました。開業後はE231系のみの運転となってしまい、このように端っこを走る姿が見られなくなっていました。まだ211系終焉前ではありましたが、撮りたいときにはなかなか来てくれないのが常。そんな中でやっと撮ることができた少ない写真です。
2026.08.10
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EF641000番台:EF641018EF64シリーズで、今回はJR貨物の1018号機です。平成21年5月23日 2073レ平成22年8月24日 6789レ EF641018+EF641019 平成22年12月12日 2073レ平成24年5月26日 3071レ平成25年5月25日 3071レ平成25年6月1日 5078レ 西浦和~北朝霞間にて意外に撮影コマ数多めでした。1981.7.16 新製2023年度 廃車
2026.08.09
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EF15(東京機関区)牽引:荷2935レ 荷物列車EF15シリーズです。今回は最終回で、東京機関区所属機が荷物列車を牽引していたシーンをご紹介したいと思います。まずは1530号機です。EF15の正面窓には基本的にヒサシがついています。上越仕様のツララ切りタイプのものがありますが、上端が曲線になっているのが一般的です。しかし、30号機は何故か上端が直線になっており、さらにやや高い位置に設置されているため、EF15一族の中でも非常に特徴的な顔をしていました。昭和52年頃 上野駅にて EF1530牽引 荷2935レモノクロとカラーで違いますが、影の位置や汚れの状況から同じ時に撮影したもののようです。EF15と言えばれっきとした貨物用機であり、客車である荷物列車を日常的に牽くことがあるというのをこの時に初めて知りました。これは、隅田川駅から常磐線を経由し、品川駅まで運転され、さらに品川駅から汐留駅発の荷物列車と併結し、東海道本線を下って行ったということです。写真は上野駅停車中の同列車で、隣のホームには169系急行「妙高」が停車しています。昭和52年頃 東京駅にて EF1530牽引 荷2935レこちらも同じ頃に撮影した荷2935レです。やはり30号機が牽引しており、東京駅ではホームの無い11番線に一旦停車し、時間調整を行っていたようです。12番線に停車中の153系は、急行「東海」のようです。【参考写真】昭和51年頃 西川口~蕨間にて EF1530牽引 貨物列車(再掲)過去ログ『EF15(東京機関区)牽引:客車併結回送 』でご紹介いたしました、旧客を併結回送する貨物列車を牽引する30号機です。30号機昭和22年 9月30日 三菱製 新製配置 水上機関区昭和24年 4月10日 高崎第二機関区へ移動昭和33年 8月 9日 新鶴見機関区へ移動昭和38年 3月12日 宇都宮機関区へ移動(借入れにより37.8.11より在籍)昭和43年10月 9日 再び新鶴見機関区へ移動昭和47年 3月15日 東京機関区へ移動昭和54年 5月 7日 廃車次にEF1511号機です。EF15の中でも、廃車になるまで唯一テールランプが改造されず、引っ掛け式のまま残ったカマでした。昭和52年頃 品川駅にて EF1511牽引 荷2935レ戦前型の電機はほぼ引っ掛けテールでしたが、殆どの貨物機は埋め込み式に改造されてしまいました。EF15も埋め込み式テールしか見たことが無かったので、この11号機を初めて見た時はコーフンしちゃいました。地元では沢山の東京機関区のEF15のスジがあったにもかかわらず、1度も見ることがありませんでした。それでも何度か遭遇をしたことはありましたが、不意に出くわすために写真を撮ることができず、このときは運良くカメラを出していたために何とか撮ることができたのです。慌てていたためか、かなりの早切りでした。拡大してみました。EF15は埋め込み改造後のものばかりでしたので、むしろこの引っ掛けテールの方が余程違和感があります。でも、そこが良いんですよね。正面には大型の通風孔も残されており、かなり原型に近かったのではないかと思われます。しかも、貨物機が荷物列車を牽いている訳ですから、なんともレアな記録です。データ昭和26年 6月26日 日立製 新製配置 沼津機関区昭和26年 6月29日 浜松機関区へ異動昭和27年 3月12日 沼津機関区へ異動昭和36年 9月29日 岡山機関区へ異動昭和40年 9月27日 新鶴見機関区へ異動昭和47年 3月19日 東京機関区へ異動昭和55年 2月 2日 廃車
2026.08.08
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JR貨物:EF651068(EF652068)EF65PFシリーズで、今回はJR貨物のEF651068(EF652068)です。1068号機は、昭和52年度に誕生した増備車で、昭和52年2月9日に落成しています。首都圏の旧型電機の置換え用として大量に増備された後期第一弾として、PS22Bパンタを搭載した最初期のカマとなります。新鶴見機関区に配置され、専ら貨物用として活躍していました。同機は終始新鶴見を離れることがなかったようです。平成22年1月24日 EF651068牽引 2082レ最初にキャッチするのに時間が掛かったためか、既に2色更新色となっています。平成22年6月27日 EF651068牽引 2071レ平成22年11月30日 EF651068牽引 3075レ最初にキャッチしてからは、比較的に効率よく当たっていたようです。平成25年4月6日 EF652068牽引 8050レ少し時間が開いている間に、2000番台化されました。令和3年1月30日 EF652068牽引 遅2080レまた時間が開いてしまい、原色化されていました。令和3年6月26日 EF652068牽引 配8593レ最後に撮影した2068号機牽引の配給列車。2025年度に廃車になってしまったそうです。
2026.08.07
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京王バス:都庁循環東京都庁が新宿副都心へ移転した平成3年。当時はまだ大江戸線など跡形もなく、最寄り駅はJR、京王、小田急、東京メトロの新宿駅となっていました。新宿駅から都庁へは、一番近い山手線からでも10分強の時間を要し、埼京線の新宿乗り入れ工事は間に合ったものの、都庁からは一番遠く、歩く速さにも因りますが15分以上と結構な距離があります。都庁へは健常者ではない方の訪問もあるため、これを考慮して新宿駅西口~都庁~新宿駅西口へ戻る循環バスが設定されました。「都営バス資料館」さんによりますと、当初はまだノンステップの時代が到来しておらず、超低床バスを有する都営バスのみの運行となっていたそうで、平成11年から京王バスが参加し、共同運行になったとされています。以来、25年にわたって運行に参加してきた京王バスですが、令和6年春のダイヤ改正で都庁循環から完全撤退することになりました。令和7年度末で退職し、新宿へ行くことがなくなりましたが、朝の本数が激減してしまったため、何度か挫折感を味わったことがありました。大江戸線の都庁前駅ができたために不便さはあまりないかもしれませんが、一番影響を受けたのは都庁付近への通勤者でしょう。遅刻寸前の都庁循環バスの効果は絶大でしたから。令和2年7月27日 D211514令和3年12月9日 D211514令和3年12月17日 D211514令和3年12月23日 D211514基本的にノンステップ車しか運用されない路線なので、興味もなく写真も撮ったことは無かったのですが、社内の喫煙所が廃止になってやむを得ず新宿中央公園まで行く機会ができ、この頃から復刻塗装の車両が運用されるようになったため、主にスマホで撮影していました。令和3年12月24日 D21513さらに、ちょっと時間がずれてもう一種類の復刻塗装車が運用に入りました。令和4年1月24日 D21151復刻塗装車は主に午前中~お昼交代までの運用で車庫に戻りましたが、日によって午前も午後も違った復刻車が運用に入ることもありました。しかし、いつも同じ場所での撮影に飽きてしまい、帰り掛けに「居たら撮る」くらいしか撮影しなくなりました。令和5年4月12日 D21520令和5年7月11日 D21520そして月日が経過すると、今度は電鉄色のバスも転属してきたようで、異動初期は地上ロータリーでしか見ることがありませんでしたが、時折都庁循環でも見掛けるようになりました。最後の1年は現場メインの仕事のため余り利用することがなくなりました。また、新宿自体も1年の半分くらいしか出勤しなくなったので、あまり撮影する機会もないまま、終期を迎えることとなってしまいました。気が付けば、一般色を全く撮っていないことに気付き、ちょっとガッカリです。
2026.08.06
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伊豆急行電鉄 2100系(アルファリゾート):特急「リゾート踊り子」伊豆急行電鉄に2100系が登場し、基本的には伊東線~伊豆急線内で普通列車として使用されましたが、昭和60年7月より東海道線内にも乗り入れ、臨時特急「リゾート踊り子」として運転されるようになりました。むかしは全くこうした列車に興味が無く、わざわざ撮影に行ったことはありませんでしたが、寝台特急「富士」「はやぶさ」を撮影に行った際、偶然に撮影したものがありました。平成20年12月20日 熱海駅にて 上り 特急「リゾート踊り子」乗車してきた185系普通列車を下車して撮影していたところ、偶然に上りの特急「リゾート踊り子」が反対ホームに到着してきました。完全にノーマークでした。平成21年2月28日 横浜~東神奈川間にて 上り 特急「リゾート踊り子」こちらは横浜線の205系ヘッドマーク付きの写真を撮りに行った際、やはり寝台特急「富士」「はやぶさ」と共に、ちょうど良い時間帯で撮影することができました。これはF-1で撮影したため、少し画質が甘くなっている点で残念。この時代は一番グレードの高かったアルファリゾートのみが充当されていた時代で、この後アルファリゾートが「THE ROYAL EXPRESS」に転用されたことにより、平成28年5月期を最後に運転されなくなってしまいました。※現在のアルファリゾートは、ヘッドマークが無くなってしまったんですね。伊豆急行電鉄:2100系 リゾート21 伊豆急行電鉄:100系電車 伊豆急行電鉄:200系(タイプ3・元国鉄115系)
2026.08.05
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EF641000番台:EF641017EF64シリーズで、今回はJR貨物の1017号機です。平成20年10月11日 相模湖駅にて EF641017ほか重連牽引平成21年5月23日 大宮駅にて平成24年3月26日 8076レ 西浦和駅にて 平成24年4月7日 2073レ意外に撮影コマ数が少なく、しかも地元以外が多いという。1981.7.8 新製2023年度 廃車
2026.08.04
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185系B2編成:特急「踊り子175号」(大宮始発)すべての185系が大宮総合車両センターの所属となり、一部が「踊り子173号」として大宮始発で設定されましたが、設定は湘南新宿ライン経由のみとなっていました。平成27年、上野東京ラインが開業したことで東京始発の送り込みが本線経由で可能となり、定期列車を延長した185系:特急「踊り子115号」が3日間のみ運転されたことがありました。さらに翌28年、大宮始発「踊り子175号」が設定されました。地元で本線を往く185系「踊り子」の存在は目新しく、注目の列車となりました。平成28年2月14日平成28年2月21日平成28年3月13日いずれも185系B2編成を使用した「踊り子175号」です。本来のB編成はグリーン車1両を連結した7連となりますが、同編成については組替が実施されており、グリーン車なしのハザ8連となっていました。特急「踊り子」でグリーン車を連結しないのは、非常に珍しいことです。せっかくの時間ロス最小で伊豆へ直通できる特急の誕生となった訳ですが、やはり結果は思わしくなかったようで、上野東京ラインの開業によるお祭りに終わってしまいました。185系:特急「踊り子」(国鉄時代)185系:特急「踊り子」(東海道線)185系:特急「踊り子173号」(大宮始発) 251系:「スーパービュー踊り子」EF651116牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」EF5868牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」EF5861牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」E259系:「マリンエクスプレス踊り子」(展示)185系OM08編成:臨時特急「上州踊り子」183系1000番台:特急「あまぎ」
2026.08.03
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E257系5500番台:臨時特急「なぎ」令和8年夏、地元に異色の臨時特急が走りました。それは、臨時特急「なぎ」。国鉄時代を通し、初めての愛称名と思われます。※撮影は、令和8年8月1日です。E257系 OM-52 9010M 特急「なぎ」大宮~館山間の設定で、新宿経由。過去に大宮始発の房総臨時列車の設定は存在しましたが、いずれも武蔵野線経由であり、新宿経由の特急設定は初めてと思われます。しかし、翌々考えてみれば新宿始発の「新宿さざなみ」が毎年設定されていることから、同列車の大宮延長のようなものですね。9010M~9011M 大宮(7:58)~新宿(8:29-31)~館山(10:39)9012M~9013M 館山(17:04)~新宿(19:19-22)~大宮(19:54)異色の列車であり、近年における興味深さではピカイチの列車でしたが、ヘッドマークは「特急」表示。たった2文字のひらがなですら無視する姿勢にガッカリ感最高潮。撮影した後に通過する車内を見るとほぼ満席のよう。しかも一見して鉄ばかり。せっかくの臨時列車ですが、結局は実用性と関係なく乗り鉄の遊び道具に使われているだけのようで、なんとも疑問に思ってしまいます。<
2026.08.02
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ED751(保存車)交流機の先駆けであるED711やED75、ED77、ED78の各トップナンバー車などを保存していたJR東日本ですが、2020(令和2)年に殆どのカマを解体してしまったようです。確かに、東北方面やごく一部の地域しか走っていなかった地味なカマ達ではありますが、子供の頃から交流区間に縁のあった自分自身としては身近な存在であり、実際に接する機会があっただけに非常に残念でなりません。平成2年2月18日 福島駅にて ED751板谷峠で写真を撮った帰り、乗り継ぎの福島駅で見つけて撮影しました。隣にはED771のナンバーが見えますが、多分4両が繋がって留置されていたと思います。いずれも福島機関区で保存されていたらしいですが、新幹線工事や奥羽本線の改軌・山形新幹線の工事などで置き場が無くなり、福島駅まで引っ張って来たのではないかと思われます。1号機は、鋼体の裾までフラット(一枚板のように段差がない)であるのが特徴です。昭和38年12月30日落成の日立製。新製当初は勝田区の配置で、昭和42年に内郷区、昭和59年に長町区の配置となり、昭和62年2月7日付で廃車となっております。活躍期間が23年少々と、近年まで活躍していたED75と比較すると、かなり短命だったことが分かります。レンズの焦点距離や周辺障害物の関係で、端に居たED751しか撮影していなかったようで、すべてが解体されてしまった今となっては、もっときちんと撮っていれば良かったと後悔されます。
2026.08.01
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