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< 忘れた風景 > 朝の7時には7度だった道路脇の気温表示が、8時過ぎには10度になっていた。気持ち良い青空の下、爽やかな朝風を受けて走るランナー達。それを道端で熱心に応援する地元の方々。秋田内陸部を縦断する国道105号線。そしてほぼ平行に走っている第3セクターの「秋田内陸鉄道」の電車が時々通る。わずか1輌だけの車内から手を振る人が見える。 西木温泉ふれあいプラザ「クリオン」は1度泊ったことがあったので覚えていた。ここは旧西木村。今は合併して仙北市になっている。小学生が並んで手を差し出していたのは、どこの集落だったろう。私は女の子達とハイタッチした。家々の庭先には色とりどりの花々。きっとお年寄り達が丹精を込めて育てているのだろう。 秋田内陸部は典型的な過疎地帯で、お年寄りが多いところ。だから道端の応援も大抵はお年寄り達だ。年に1度のウルトラマラソンを楽しみにしているお爺さんやお婆さん。その笑顔に応えて手を振りながら走る選手達。「花街道」は長い1日、選手と地元の方との交流の場に変わる。お年寄り達は、元気に走り去る選手達からパワーをもらうらしいが、恐らく選手も同様のはずだ。 15km辺りまでに抜いた何人かの仲間を含め、30km辺りではほとんどの仲間に抜かれてしまった。初参加のS村さんは途中でトイレを済ませたら元気を回復したようで、そのまま前へ行った。坂道では走る筋肉を休ませ、歩く筋肉を多用したとか。結局彼は初ウルトラを11時間台でゴールした由。いやはやもの凄い新人が現れたものだ。 昨年500km超級の「川の道」を走破したDさんは、実力通り前へ行った。多分道端で立ち小便をしている時にM井さんに抜かれたと思う 。彼の姿はあっと言う間に見えなくなった。Kさんは「ギリギリでもゴール出来ると良いね」と言い残して走り去った。スピードランナーの彼女にしてはおかしいなと思ったのだが、あれは私に対する激励だったことに後で気づいた。 わざわざ愛知から参加したY川さんは、「今回は予定を変更して50kmで止めるかも」と言いつつ前へ行った。秋田空港発の飛行機にどうしても間に合わせる必要があるのだ。70歳同級コンビのF田さん、H多さんにも相次いで抜かれた。2人は元気良く走り去った。 T田さんに抜かれたのは30km過ぎ。彼にとって今回のレースは、亡き義母上の「弔い合戦」と位置付けていたようだ。いつものように走りながら数枚の写真を撮ってくれた彼に、大覚野峠の登りが始まったのかどうか尋ねた。5年ぶりの参加で、周囲の風景をすっかり忘れてしまっていたからだ。「峠はまだだよ」。そう言い残して、彼も軽快な足取りで走り去った。 彼が言った通り、確かに坂道は直ぐに終わった。だが、このコースは峠に差し掛かる前から徐々に高度を上げて行く。序盤無理してスピードを出した「つけ」が、脚の痛みとなって出だす。多分軽いシューズを暫く履いてなかったため、筋肉が着地の衝撃に耐えられなかったのだろう。でも今はそんなことは言ってられない。 36.9km地点の第7AS(エイドステーション:以下ASと表記)で休んでいたところ、Y田さんが追い着いて来た。ここは最初の関門。何とか完走を果たすため、私は腕時計に関門の制限時間を書いたメモを貼り付けていたのだが、さすがにここはパス。書いたのは64km地点の第3関門以降だ。休んでいるY田さんに声を掛けて先行する。登りに強い彼だが、結局80km地点で時間切れになったことを後で知った。 いよいよ峠への本格的な登りが始まった。この辺りの風景は良く覚えていた。毎回苦しめられているため、自然と記憶に残るのだろう。大勢のランナーが黙って坂道を歩いている。私も何とか頑張っていたが、ついに脚が止まり走れなくなった。これじゃ完走は無理と考え直し、大きく手を振り、極力歩幅を広げ歩いて登る。<続く>
2010.09.29
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< 走友達 > コースは角館の古城山から右折し、国道105号線に出た。この辺りで同じ走友会のS田夫妻に会った。6月の「いわて銀河」では共に苦戦した夫妻だが、気温の低い今回は絶好調のよう。ハイペースで飛ばしていたが、それぞれのペースでゴールへ向かったようだ。結果は「おしどり賞」。夫妻は見事に完走された由。 故郷の愛知へ帰ったY川さん、東京へ転勤したS水さんも、わざわざこのレースへ来られた。この日、S水さんは8時間台でのゴールを目指したとか。超ベテランのM仙人はクリスタルランナーの青いゼッケンを着け、S木さん、M井さん、Y田さんら馴染みの顔もあった。Dさんは単身赴任中の秋田から直接参加された。初参加のS村さんとは、角館までの車中で歴史などについて大いに語り合った。 他に宮城UMCからはH多さん、F田さんの70歳コンビ。Cちゃん、魚人さん、Sささんの住吉台チーム。G島さん、F士さんの明走会コンビ。1週間前に140km超級の「雁坂峠」を完走したばかりのK彦さん、亡き義母上の遺影を懐に忍ばせて走ったと言うT田さん、そしてS木さんの古川組。「いわて銀河」では80km過ぎまで8時間台で走ったものの、レースを中止したと言うG藤さん、スピードランナーのI本さんの姿も見かけた。 一方女子では安定した実力を持つKさん。彼女もDさんと共に完走し、見事何度目かの「おしどり賞」を受賞した。1週間前の「佐渡島一周」に参加したばかりのK藤さんとH多夫人、そしてK村さんの名物トリオにも会った。足を傷めているEちゃんは杖を突きながら50km地点まで走った由。ベテランO友さん、若手のK野さんの姿もあった。 各地のレースで知り合った北海道のH賀さんや、沖縄出身のY良ちゃんの顔も見つけた。プログラムによれば100kmの部の参加者は合計で1370人ほど。だからトップグループの顔を見ることはないし、逆に最後尾のランナーと出会うこともない。レース後に知ったのだが、水戸黄門の姿をしたうちの1人は、ブログを拝見しているHockeさんだった。彼はあの姿で9時間台でゴールしたようだ。 スタート時に放送されたこの日の最低気温は11度だが、途中で見た表示は7度になっていた。保温用のビニール袋はレース前に脱ぎ、手袋はそのままにした。半袖Tシャツでも寒くなく、むしろ気持ちが良いくらい。5km地点の通過が32分ほど。そして10km地点の通過は1時間3分台。だがそのスピードが徐々に苦しくなって来た。 15km地点過ぎで出会ったのが昔馴染みのH景さん。だが仙台国際ハーフを完走するスピードランナーと話しながら並走するのはとても苦しい。これは困ったと悩んだが、やがて彼はスピードを上げて走り去った。やれやれこれで助かった。 独り言を言いながら走る若いランナー発見。暫く前では「このマラソンは町角が多いねえ」と繰り返していた。だが道端でオシッコした時は「オシッコして抜かれても良いんだよね」の繰り返し。「はて?この話し方はどこかで聞いたことがあるぞ」と考えたら、テレビで見た心に障害を持つ青年が「かすみがうらマラソン」に挑戦し、見事完走するドラマを思い出した。 きっとあの青年がその後もランニングを続け、とうとう100kmマラソンに出るまで成長したのだろう。「いくらオシッコをしても良いんだよ」と私が言うと、彼は安心したようにスピードを上げて走り去った。彼は気になっていることを繰り返し言葉に出していたようだ。きっとあのまま100km走ったのだと思う。<続く>
2010.09.29
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< 焦る気持ち > 午前5時。花火が鳴った。「第20回秋田内陸リゾートカップ100kmチャレンジマラソン」がこうして始まった。まさかこの日の夕方、レース中に再び花火の音を聞くことになるとは思いもしなかった。満を持して、12時間台から13時間台のプラカードの所からスタートだったが、 もし「13時間台」のプラカードが用意してあれば、私は躊躇なくそこへ並んでいただろう。 だが「秋田内陸」の制限は13時間以内。ここが最後尾なのだ。白いゼッケンナンバーの一般選手に対して、10回以上完走した「クリスタルランナー」は青。ここ「秋田内陸」では男女の色分けはない。だが、例え青いゼッケンナンバーを着けていても、完走出来る保証もない。全ては実力が物を言う世界だ。 これまでの「秋田」への参加は7回。このうち100kmの部では4回完走している。そして1度は78km地点で、またもう1度は80km地点でリタイヤ。いずれも疲労骨折後の影響で、まだ足に痛みが残っていた頃だ。ゴールする喜びから遠ざかっていた私は、翌年堪りかねて50kmの部に出場し5時間を切ってゴールした。だが、心からの満足は得られなかった。 その翌年100kmの部に出て12時間02分08秒での完走。これが100kmの自己最高記録になった。だがその後5年間、「秋田内陸」へは出場しなかった。同じ9月に開催される200km超級の「佐渡島一周」へ出場したり、主催者側の事情で「秋田内陸」が2年間開催されなかったこともある。またこの間に「立山登山マラニック」で生じた足の怪我と加齢は、その後のランニング生活に大きな影響を与えることになった。 足に故障を抱える66歳のランナーが制限13時間の「秋田」に挑戦することの無謀さは本人が一番良く知っている。今の実力で簡単に完走出来るほどこのコースは甘くない。だから今回はゴールテープを切る自分の姿が、どうしても脳裏に浮かばなかった。今の私の力は13時間30分程度。その差30分をどうして縮めるかが鍵だった。結局は時間との戦いになる。 選択肢は2つ。一つは先行逃げ切りで貯金を作る方法。だが、完走したいと言う思いがあまりにも強過ぎるため、ついついオーバーペースになる。若いうちはそれでも何とかゴール出来るが、歳を取ると最後は脚に来てしまう。本当は出来るだけイーブンペースが良いと分かっていながら、レースの雰囲気に呑まれてしまうのだ。 「いつも一番後からゆっくり行くのよ」と話していたKさんを尻目に、私は前へ前へと出た。幸いフルマラソンと違って参加人数の少ないウルトラレースは、直ぐに選手がばらけるため案外前へ出るスペースは残されている。「ワンマン電車」を抜く。これは四角いダンボール箱に赤く色を塗ったもの。きっと「秋田内陸鉄道」をイメージしたのだろう。 ギョッとしたのがバルタン星人。彼はその格好で視覚障害者の伴走を勤めていたのだ。和服姿の「秋田こまち」は先へ行った。牛に扮したスピードランナーの姿も見えない。彼らが仮装するのは、絶対的な自信の表れだろう。そして会場で私を見つけてくれた秋田のJunさんも、とっくに先頭グループで走り去ったようだ。 薄暗い角館(かくのだて)の街で、早朝から手を振り声を出して応援してくれる大勢の人達。5年前よりずっと人数が増えているのが嬉しい。そして武家屋敷通りの閑静な佇まいが懐かしかった。だが観光地の雰囲気を楽しむ余裕が私にはなかった。必死になって前へ前へ。まだ数km走ったばかりなのに、早くも足が痛くなって来た。やはり1度履いただけでは、新しいシューズに馴染めなかったのかも知れない。<続く>
2010.09.28
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留守中のエールとコメントをお寄せいただき、ありがとうございました。今年最後のウルトラマラソンから無事帰宅しました。 結果は何とか「完走」です。でも制限時間に僅か30秒ほど及ばず、「記録なし」つまりリタイヤ扱いになりました。これは自分自身の中では立派な「完走」と誇りを持っています。 今年参加した100kmの「伊豆大島」、「いわて銀河」、「磐梯高原」の制限時間は14時間。これに対して「秋田内陸」は13時間なのです。1時間制限が短いこのレースで、どうすれば完走出来るかと、スタートからゴールまで懸命に頑張りましたが、残念ながら力が及ばなかったようです。 でも最大限の努力の結果ですから、私自身はとても満足しています。残り20kmからは凄絶な時間との戦いでした。足もかなり傷んでいましたが、坂道でも一歩も歩かないでゴールを目指しました。最後はエードステーションをパスして時間を稼いだのですがねえ。 まあ、こんな風にして5年ぶりの「秋田内陸」は終わりました。目下、虚脱状態の私ですが、「完走記?」は明日から書こうと思っています。先ずは応援とご心配を、ありがとうございました。心から御礼申し上げます。
2010.09.27
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仙台ではここ2、3日、涼しいと言うより寒い日が続いています。最高気温が15度以下で、11月ころの気温のようです。妻の話では愛犬が真夜中に吠えているのだとか。私はそんなことを知らずにグッスリ眠っていました。そこで今朝は犬小屋を暖かく改造してみました。でも、試しに彼を犬小屋へ入れようとすると、猛烈に怒ります。犬の12歳は人間の68歳に相当するみたいです。でも、それにしては案外元気なので安心しています。 先日間引きして肥料を撒いた畑を見ると、野菜の苗の様子が変です。近づいて良く観察すると、大きくなった青虫がたくさん潜んでいました。元気がなかった原因は青虫に食べられていたこと。せっかく大事に育てた苗が食い尽されるとは悲しいです。蝶々も子孫を残すために必死なのでしょうが、野菜を育てている身にとっては憎らしい存在です。葉が穴だらけの白菜の苗、筋しか残ってない大根の葉。その勢いが再び戻ってくれるのを祈っています。 中国の猛抗議に屈したのか、尖閣諸島で逮捕された漁船の船長を釈放した海保。どうもそこには日本政府首脳の意志が働いていたようですね。周到な戦略で次々に手を打った中国に対し、日本は国家戦略なしで立ち向かった感があります。あの地域に領土問題はないと言うのが日本の立場。それに対して中国は自国民および世界に向けて、尖閣諸島は自国の領土であることを示したのです。 民主党政権へ交代後、外交や防衛に関するスタンスが変わりました。その変化を逃さず中国はすかさず反撃を加えて来たようです。世界第一の大国を目指す彼らの戦略は呆れるほどの執念に貫かれています。大きな経済力も強大な軍事力を背景に成長しつつあるようです。その恐るべき隣国に対応する日本には何の智慧もないように見受けられて仕方ありません。 外交力や周辺諸国への影響力などは一朝一夕には創ることは不可能。長い積み重ねと綿密な検討で国家戦略は構築されるのでしょうから。それらも無しにその場凌ぎの対応しか出来ないのは、よほど国民と国家が平和ボケしてしまったのでしょう。極端な話、このまま行けば日本は中国に隷属する時代が間もなく来るように思います。党内で争ったり、政党間で争っているうちに、日本の立場はどんどん脆弱になって行くように思います。沖縄の基地問題も含め、意見が分裂している暇はないと危惧しています。 さて、間もなく秋田へ出発します。今日は夕刻までに選手登録を済ませ、その後は前夜祭へ参加。明日のレース当日は5時に角館をスタートし、鷹巣のゴールには夕方の6時までに着く必要があります。果たしてどんなレースになるのでしょうか。明後日は仙台に向かい、夕方までには帰宅する予定です。その間は留守になりますが、どうぞよろしくお願いしますね。では、行って来ます。皆さん御機嫌よう!!
2010.09.25
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明日は大勢の仲間と一緒に「秋田内陸ウルトラマラソン」へ出発します。お天気が心配ですが、台風12号の影響は少なそうですね。レース当日の秋田内陸部は最低気温が12度で、最高気温は21度の予報。案外天気が良さそうなのが嬉しいですね。 この夏は猛暑の中でも結構走り込みました。あの暑さに耐えながら走ったことを思えば、秋田内陸部は涼しくてとても走り易いはず。上は半袖Tシャツ、下はハーフタイツで走る予定ですが、朝夕は寒く感じるかも知れません。用心のため、ポシェットに手袋を入れておきましょうか。 普段は割と重い練習用シューズで走っていました。レースは一転、軽いシューズで走る予定です。「アースマラソン」がスタートした頃に寛平ちゃんが履いていたものの後継シリーズ。試し履きはまだ1回だけですが、このシリーズとは付き合いが長く全幅の信頼を寄せているため、全く心配してません。 この夏3度試みた「峠越えマラニック」と勤務後の帰宅ランでは、小さなリュックを背負って走りました。特にマラニックの場合は食料や水などを持って走るため、結構負担になります。その点レースでは給水、給食体制がしっかりしているため、ほとんど何も持たないで走ることが出来ます。これはとても楽ですよ。 練習はずっと1人でした。仕事を持つ妻の都合に合わせて週末の予定を組み、歳を取った愛犬の体調に合わせて朝夕の散歩をすると、所属走友会の練習会にはなかなか行く暇がないのです。大勢で走るレースでは、他のランナーの雄姿を間近で観られて良い刺激になります。またレース独特の雰囲気が、自分を奮い立たせてくれます。 何度か長距離の練習を積んだお陰で、100kmと言う距離への不安はありません。ただし、13時間の制限時間内に完走出来るかどうかは不明です。66歳以上の完走者に与えられる「チャレンジ賞」受賞を目指して、頑張れるだけ頑張ってみようと思っています。 5年ぶりに参加する「秋田内陸路」の風景はどう変わったのでしょう。5年間のブランクと加齢は、果たしてどんな影響を与えるのかを確かめるのも楽しみの一つです。焦らず、挫けず、淡々とあの美しい「花街道」を走り通したいものです。全国のレースで活躍した仲間との再会まで後2日。さて、今夜はどんな夢が見られますか。
2010.09.24
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昨夜から降り続いていた雨。今朝起きると、窓ガラスが全面結露していた。外はよほど気温が低いのだろう。トレパンの下にステテコを穿き、上も長袖と半袖の重ね着に。秋物のセーターをまだ出してないので仕方がない。その格好で愛犬と朝の散歩へ行く。帰宅すると、大雨の影響で東北本線にかなりの遅れが出ているとのニュース。 それでも私は出かけることを決めていた。行き先は多賀城市にある博物館。最寄りの駅が東北本線なので影響はあるだろうが、家の中でぼんやり過ごすよりは良い。駅の売店でサンドウィッチとお握りを買って電車に乗った。福島ー白石間にかなりダイヤの乱れがあるようだが、仙台からは定刻通りの発車だった。 東北歴史博物館の特別展は特別史跡多賀城跡調査50周年を記念する「多賀城・大宰府と古代の都」。古代史ファンとしては見逃せないテーマだ。気温14度の氷雨に震えながら、博物館の裏口から入場。シニアの割引券を出すと団体並みの料金で入れた。と言っても100円安いだけなのだが。 第1章「多賀城とは」は、陸奥国設置と多賀城創建に先行する官がや関連施設の紹介と多賀城の構造に関する展示が中心。出羽国分国との関係などが分かって面白かった。第2章「多賀城の機能」は、行政、仏教と祭祀、軍事と治安、外交と経済面からの考察で、手向かう蝦夷を征服しながら東北地方を北上して行く大和政権の姿が分かる。 第3章「大宰府」では古代山城の大野城や水城などの防御施設、外交のために造った鴻臚館などの施設の概要が分かって面白かった。また北方の「蛮族」に対応する多賀城より、中国大陸や朝鮮半島からの使節に対応する大宰府の方が、使用していた調度品のレベルが高かったことが確認出来た。 第4章「平城京」、第5章「長岡京・平安京」では、それぞれの宮都の構造や政治と祭祀の実態が展示の中心。平城京では長屋王邸宅跡地の発掘で出土した大量の木簡から、貴族の生活ぶりが明らかになった。また当時の「水洗トイレ」の模型も興味深かった。 初めて航空測量された昭和35年から数えて今年は50年目。何次にも亘る発掘調査で次第に実態が明らかになった多賀城。この間、漆紙文書など我が国で初めて発掘された貴重な資料も多い。古代の刀で東北から出土例の多い「蕨手(わらびで)刀」を初めて見たのは収穫だったし、発掘調査が始まった頃の古い写真にも胸を打たれた。当時は相当な苦労があったはず。 北九州の防御に当たった防人(さきもり)の存在は万葉集などでも有名だが、ここ多賀城にも主として関東地方から送り込まれた大勢の兵士達が駐留していた。彼らの生活ぶりを示す遺物が、地下にはまだ多数眠っているはず。多賀城の碑が正確な学術調査の結果本物だと分かったように、古代東北の新たな真実が解き明かされるのを期待したい。
2010.09.23
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登山から帰宅すると愛犬がいなかった。あれ~っ、どこへ行ったのだろう。名前を呼んだがなかなか姿を現さない彼。犬小屋の陰を見ると大きな穴が2つ。ははあ、きっと叱られると思って姿を隠したに相違ない。でもそんなことで鎖を引っ張ったままエスケープするだろうか。 暫くしてから愛犬が出て来た。どうやら素直に「出頭」すべきか悩んでいた感じ。24時間以上留守番してくれたお礼に頭を撫でると、ようやく安心した様子。そして「真相」は翌日になって判明した。畑の畝に大盛りのウ○チ発見。普段は敷地内でウ○チをする習慣のない彼も、きっと2日分の餌を食べて我慢が出来なかったのだろう。苦しくて鎖を引っ張ったらたまたま抜けたのが「事件」の真相か。彼の健康のためにもそれで良かったと思う。 その夜は栗ご飯を炊いた。ずいぶん前の果物狩りでイガつきのままもらった栗。私は捨てる積りでいたのだが、剥いて実を取り出して欲しいとの妻の要望。成長が止まったせいで実はしなびていたが、登山に行く際水に漬けていたのだ。帰宅後渋皮剥きを手伝ったが、さほど甘みはなかったものの案外美味しく食べられた。 登山で痛めた個所も、数日後には痛みが取れた。やはり厳しいコースだとキャラバンシューズでは足への負担が大きいのだろう。出来れば本格的な登山靴や泥除け用のスパッツ、厚手の靴下、登山用の帽子、雨で濡れないためのザックカバーが欲しいのだが、徐々に揃えて行くしかない。妻が洗って干したシューズを、ようやく物置へしまった。 登山後の連休を、私はのんびり過ごしていた。次の日曜には秋田で100kmを走る予定。出来ればそれまでに疲れを全て取ってしまいたいためだ。庭の草取りをし、畑の野菜の最初の間引きをした。大根、白菜、小カブ、春菊の種は昨年の残りものだが、皆立派に発芽してくれた。大きく成長させ、かつ虫の被害を避けるためにも早めの間引きが肝心。そして雨が降り出す前に、化学肥料を少し撒いた。 夏の盛り、気温が30度を超えていた頃に移植したレタスが少し大きくなった。あの時は畑の土は乾燥しており、苗はまだ2cmくらいだった。直ぐ枯れた苗もあったほどの猛暑に良く耐えてくれたものだ。もう少し経ったら今度は定植する予定。専門の種苗店で買った縮み菜の種も順調に発芽中。初めて手掛ける地元の冬野菜だけに、成長がとても楽しみだ。 春先に枝を剪定したイチジクと柿は、大きく枝が伸びた割には実が少ない。きっと今年は裏年なのだろう。それでも幾つか熟したのを見つけ、取ろうとしたら既に鳥が啄んでいた。手頃のイチジクだけを目下冷蔵庫に保管中。そのうち妻がワイン煮を作るはず。明日の秋分の日は一日雨の予報。さて、何処へ行こうか。
2010.09.22
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< 自慢話 > 私が進もうとした道は行きどまり。そんな道が幾つかあったが、いずれも短いため直ぐに気づく。右手に廻ると低木の陰に頂上への道が隠れていた。やはりここは頂上ではなかったようだ。緩い坂道を登ると、間もなく標高1172mの頂上へ出た。スタートしてから約1時間半で登った計算だ。だが折角の頂上は、木々に囲まれて視界が悪い。 左手に行けば眺めが良い場所があると聞いて、北泉ケ岳方面に向かって歩き出したが、間もなく引き返した。別なルートを下山しながら休もうと考え直したのだ。選んだのはカモシカコース。最後はスキー場のゲレンデに出るようだ。バスの終点付近のため、多分最短コースになると思う。ここならバスに乗り遅れる心配は少ないはず。 ところがこの道はとんでもなく急な道だった。岩が多く、土の部分は滑り易い。足元への注意に加えて、転ばないよう適当な立木や草を掴みながら下りるのはとても疲れる。おまけに視界が木で塞がれ、休める場所も少ない。下から登って来る人を、狭い道の脇に寄って避ける。暫く下りた所で休憩し、水を飲んだ。勢い良く水を飲む妻に、飲み過ぎないよう注意する。 時間内での下山は可能だろうが、途中で何が起こるか分からない。用心のため、最後まで飲み水は確保しておく必要があるだろう。私が必死なのだから、体力の劣る妻はもっときつかったはず。それを半ば無視しての下山だった。6月に開催された第1回のトレイルレースでは、確かこのコースを下山したようだ。キャラバンシューズでも滑るのだから、ここを走って降りるのは、到底無理だと感じた。 幾つかの分岐点を経て、ようやく中腹の「岡沼」に到着。山道から草原へ出たせいか、全く違う風景が目の前に。「あれっ?ここは前にも見たことがあるぞ!」。私は心の中でそう叫んだ。初めて通った道だとばかり思っていたが、独特の雰囲気には見覚えがあった。多分大学の後輩と一度下りたのだろう。 スキー場のゲレンデに出ると、視界が急に広がった。だが急なこう配で、岩だらけの道とは違った厳しさがある。粘土質の道は滑り易く、注意していたもののとうとう派手に転倒してしまった。後を見ると、ズボンの尻が赤く汚れている。離れて歩いていた妻は必死で、私が転んだのを知らなかったようだ。 何とかゲレンデの下まで辿り着くと、パラグライダーの翼を畳む人。雪の降らない期間は、パラグライダーの練習場にでもなっているのだろうか。休憩所に立ち寄り、トイレと給水。そしてバス停の位置を確認後、遅い昼食を摂った。苦労して入手したお握りには4つとも鮭が入っていた。冷たいお茶とグレープフルーツが美味しい。 バス停に行くと、既にアフリカの若い女性が並んでいた。1人の老人が私にカードを見せた。この山に登った記録のようで、今年は既に70回を超したとか。アフリカの女性はこの爺さんと一緒に北泉ケ岳経由で下山したようだ。敬老パスを持つ70歳以上の老人はバス代が無料のため、トレーニングを兼ねて週に2、3回は登山してるのだとか。 登りの途中に聞こえた「登山70回云々」の声の主は、この爺さんだったようだ。どうも自分の元気さを自慢したかったのだろう。初めはスポーツジムでベルトの上を走っていたそうだが、それに飽きて登山へと転向した由。そこで私もお返し。「先日蔵王エコーラインを越えて、山形の蔵王温泉まで74km走ったんだよ」。それ以降、爺さんは急に静かになった。 秋晴れの一日は良い登山日和だった。私達夫婦の次の登山予定は来月の10日。そして登る山は宮城、岩手、秋田の県境に聳える栗駒山。ここも学生時代に何度か一緒に登ったことがある。きっと美しい紅葉が見られるのではないか。頼りない中高年登山者の端くれだが、何とか頂上に立って見たいものだ。<完>
2010.09.21
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< 40年ぶりのコース > 県道に出て、山の方に向かって登り坂を歩く。停留所がなかなか見つからないが、この辺りは手を挙げると停留所以外の場所でも停まってくれるフリーゾーンのようで、追い抜かれる心配はない。途中には無人のスタンド。小さなケイトウの花束が100円だったり、大きなカボチャを200円で売っていたり。これから登山するため買えないのが残念。 かなり歩いた頃、ようやく停留所が見つかった。後5分くらいでバスが来る。やれやれと安心した時に、1台の車が停まった。「今から登山ですか。良かったら乗りませんか」と中から声。声の主は老夫婦。やはり登山に来たそうだ。有難く厚意を受ける。話をすると案外近所の方だった。終点の駐車場で下ろしてもらい、帰りの時刻を確認。予めネットで調べた時間と全然違っていた。やはりチェックして良かった。 泉ケ岳の頂上に登り、再びここまで下る間に許された時間は4時間。さてその時間内に帰るためにはどのコースを行くか。私達の後からバスが着き、既に登山客が歩き出している。あれは水神コースのはず。比較的緩いコースなので大丈夫だろう。だが時間が気にかかってしょうがない。 何しろこのコースを登ったのは、もう40年以上も前のこと。あの時とすっかり辺りの様子が違っていることに驚く。唯一変わらなかったのが「屋敷川」。これは麓の集落の屋敷の傍を流れ、生活用水となる川の上流なのだ。立派な「少年自然の家」の施設。昔、こんなものはなかったし、登山道はもっと明るかった。あれから40年もの間に、草原が林に変わっていたのだ。 目の前に若い登山客の集団。その後について行く黒人の若い女性。彼女はきっと留学生だろう。その集団を追い越す。だが暫くすると黒人の女性に抜かれた。何と彼女が履いていたのは普通の靴。きっと濡れた山道が滑るはずなのに、身体能力が高い彼女は身軽に登って行った。どれくらい登ったのだろう。いつしか「水神」の石碑まで来ていた。 石碑が建てられたのは明治初期で、建てたのは当時の「泉ケ岳村」の有志。きっとこの谷川の水が、田圃の水や生活用水としてよほど貴重だったのだろう。私がまだ高校1年の時、クラブの先輩に連れられ、麓の集落からこの場所まで夜道を歩いたことがあった。あれが初めての登山経験。昔はこの「水神」にテントを張って1泊したのだ。 道はここで別れるが、私達は泉ケ岳を目指す。初級者向きの緩い登りの記憶があったのだが、大きな岩がゴロゴロして意外に厳しい。次第に妻が遅れ出す。実は妻も大学の同窓で、学生時代に何度かこの山も一緒に登ったことがある。まだ若かった頃はほとんど疲れを感じずに登れたのだが、今では滑る岩や不安定な石に悪戦苦闘する歳になった。 「私はこれで70回以上登ったよ」。上方でお年寄りの声がする。誰かに自慢しているようだ。登って行くと中高年の集団が休んでいた。だが、アフリカの女性の姿はない。「お父さん頂上はまだなの?」。「まだだよ。この先にガレ場があるはずだから」。疲れて来た妻に答える。私はコースの状況を覚えていたが、妻はすっかり若かりし日に登った山のことを忘れてしまったようだ。 厳しい登りの連続の末、ようやくガレ場に出た。青空の下、右手には大倉ダム方面と標高1422mの後白髪山が、そして前方遥か彼方には仙台の街が遠望出来た。素晴らしい眺めに、これまでの苦労が吹っ飛ぶ。だが、休んでばかりはいられない。頂上まではまだ少しあるはず。疲れた妻を励ましながら、さらに前進。だが、道の様子がどこかおかしい。<続く>
2010.09.20
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< たかがお握り、されどお握り > これまで泊ったホテルから葉書が届くことがある。いずれも閑散期の割引サービスの案内だ。中でもお気に入りは山の中腹にある郊外の温泉。施設が清潔で気持ちが良いし、ほとんど無人状態の温泉も良い。そして心がこもった料理もなかなかのもの。そんな温泉宿が通常より格安に泊れるのは嬉しいものだ。迎えのバスが駅まで来てくれるのも有難い。今回はただ温泉に入って泊るだけでなく、翌日に登山することにした。 問題の一つは愛犬だが、こちらは早めの散歩後、翌日の分の餌を与え、水を入れたバケツを犬小屋の近くへ置いておけば大丈夫。一頃のような厳しい暑さも去ったため、一日くらいなら大過なく過ごせるはず。次の問題は登山時の食料。果物やお菓子は持ったが、どうしてもお握りが欲しい。料金別払いでお握りを作って欲しいと予約時に頼んでみたが、食中毒の怖れがあるので出来ないと断られた。宿は山の中腹で付近にコンビニなどはない。さて、困った。 登山予定の山では、最近大量の雨が降ったようだ。車中から山を見ると、雨雲が少し晴れて来たようだ。山道が濡れている可能性は高いが、明日は何とか登れるはず。広大なホテルの敷地に入ると出迎えに来た女将の姿が見えた。早速女将に事情を話し、お握りの件を頼んでみる。あまり乗り気ではないようだが、何とか承諾を得られた。 チェックイン後、宿泊棟へ。お茶を飲んで一休みしてから早速温泉へ向かう。男女の湯船がいつもと逆で、少し狭い方に変わっていた。他に誰もいない温泉は贅沢そのもの。熱い内湯に温めの露天風呂。黄色い秋の田が見える1kmほど先までがホテルの敷地だから、人の姿は皆無。遥か遠くに仙台の高層ビルが望めた。 落ち着いた和風レストランで、ワインを飲みながら夕食をいただく。いつもながらの良心的な料理は決して豪華ではないが、私達夫婦にはちょうど良い量で極めてヘルシーな内容だ。自室に戻り、天気予報とニュースを観る。翌日の天候は全く心配はなさそう。横綱の白鵬がついに千代の富士の記録に並んだみたい。落ち着いた後、2度目の温泉行。遠くで輝やく仙台の街明かりを観ながら入る露天風呂。90度Cのサウナにも3分間だけ入って汗を流す。 翌朝の目覚めは4時半。妻の方が少し先に起きていた。お茶を飲み5時になるのを待って温泉へ。男女の湯船が前日と交代していた。やはり広い方が気持ちが良い。7時からの朝食はバイキング方式だが女将の姿がない。心配になって厨房の方にお握りの件を話すと、聞いてないとの返事。料理長に相談したようだが、原則論を言うばかり。「分かりました。そちらの立場もあるでしょうから」とあっさり引き下がる。 フロントで早めの清算をしていた時に厨房の方が近づき、出勤途中の職員がコンビニでお握りを買って届けてくれると言う。例え不本意でも、前日女将がした約束を破ることを申し訳なく感じたのだろう。ホテルを出る頃には4個のお握りが届いていた。代金を支払うと、フロントの係がホテルの割引券500円分をくれた。こうして昼食の心配がなくなった私達は、安心してバス停へと向かった。<続く>
2010.09.19
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温泉と登山の旅から無事帰宅しました。昨日は愛犬に翌日分の餌を与えてから出発。山の温泉は施設も温泉も素晴らしく、ワインと夕食を美味しく戴きました。私も妻も昨日は温泉に2回入り、今朝は朝風呂に入りましたよ~♪ 今朝は朝食後間もなく登山へ出発。何せ水神コースは40年以上前に登ったきりだったものですから、すっかり様子が違っているのに戸惑いました。頂上まで1時間30分ほどで到達。そこから初めて通るコースで下山して来ました。 何とか無事帰宅しても愛犬の姿は見えず、名前を呼ぶと、叱られるのが怖いと言うような面持ちで、家の裏から出て来ました。何と犬小屋につないでいた金属製の鎖が抜けてしまっていたんですねえ。でも姿が見えたことで一安心。家族の誰もが大きな怪我に遭遇しないで済み、感謝です。 さて、詳しいことはまた明日以降の日記に書かせていただきますね~。♪
2010.09.18
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3回目の峠越えの完走記を何とか書き上げました。いつも走ったことを文章でどう表現しようかと悩むのですが、今回も苦しみながら無事連載を終了することが出来ました。いつも熱心にお読みいただいて、ありがとうございます。 さて、無事に終わったのは完走記だけではありません。昨日は職場の健康診断を無事終了しました。受診したのが午後だったため、前日の夕方に夕食を食べて以降、約20時間断食していました。体を使う仕事なので、朝食を食べた日でも10時ころには空腹を感じるのですが、昨日は朝食、昼食抜きで仕事をし、健康診断に臨んだためフラフラでした。まあこれも修行の一つでしょう。はっきりした結果はまだですが、結果が分かった項目は合格のようです。 大騒動の民主党代表選挙もようやく終わりましたね。影の実力者が当選しなくて良かったと安堵しているのですが、菅さんも頼りないところが多いので、しっかりやって欲しいものですね。あの選挙で相当期間、国政が留守になった感があります。国民の苦しみを他所に、政治家が権力争いに終始しているようでは、残念ながら政治家失格と言われても仕方ないでしょう。菅総理には右顧左眄せず、自らが信じる道を堂々と進んで欲しいと願っています。 さて、間もなく妻と郊外の温泉へ出かけます。今夜はそこへ1泊し、明日はそこから山登りに行く予定にしています。留守番をしてくれる愛犬をこれから散歩に連れて行き、「明日の分の餌」を与えてから出発です。この夏は4回のマラニックでずいぶんたくさん足を使いました。今夜は久しぶりに温泉に入って足を休めます。 帰宅は明日の夕方以降。従って皆さまのところに伺うことが出来ません。どうぞご了承くださいませ。では、また明日。どちら様もご機嫌よう!!
2010.09.17
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< 可愛い生物と暖かい言葉 > 堆積した土砂は思ったほどではなかった。そこは8年前に走った時に土砂崩れしていた場所の直ぐ傍。当時はさらにノリ面だけではなく、道路自体が崩壊した場所が近くにあった。切り取った山側は強くても、土を盛った谷側はどうしても弱いのだろう。5年前に通過した時は全ての補修が終わっていたが、道路の亀裂を埋めた痕跡が多いのは、その後も補修を加えた証拠だ。 元々の土壌がもろいのに加え、最近の大雨でノリ面が崩壊したのだと思う。土砂崩れ現場へ立ち入れないよう厳重なバリケートが設けられていた。そこも苦労して乗り越え、前進する。険しい下り坂を3kmほど走ると、再びノリ面が崩壊している現場。そこは表面のコンクリート片だけが崩壊したようで、その脇を通り抜けることが出来た。そして県境から数えると3つ目のバリケード。これでは峠の登山口に達することは到底無理。笹が茂っていたのはこのためだったのだ。 さらに下ると「綴れ折り」の4回分に土砂崩れが発生した箇所があった。こちらは緩い傾斜の坂なのだが、上方からかなりの量の土砂が幅40m長さ数百mにわたって流れ落ちたようだ。木々を根元で伐り、土砂を取り除いた様子が窺える。結局は山形県側も宮城県側同様に、崩落を繰り返していたのだと思う。そしてここにも簡便なバリケードが設置され、人々の入山を阻んでいた。 宮城の秋保温泉から山形の山寺へ通じるとなれば、観光道路としてはかなり有望だと思うのだが、こんな災害が多い状況では長年閉鎖され林道に降格したのもやむを得ない措置のように思える。そして閉鎖中の道を無理に通り抜ける冒険はしない方が良いと感じた。 ようやく安全な地点まで下った時、道路の上で動くものが見えた。枯葉にしては風が無い。何だろうと近寄って見ると、それは小さなネズミのような生物だった。ひょっとしてこれがヤマネ?リスにも似てるが大きさは5、6cmしかない。それが木の葉に隠れた。枯葉を除けると慌てて逃げる様子がとても可愛らしい。初めて見る山の生き物に、ここまで走った疲れが飛んだ。 13時43分、下りに下って遊仙峡の入口まで来た。ここはかつての峠道への入口で、上流まで大きな石がゴロゴロ転がっている河原が数kmも続く。ここまで来ればゴールは近いと安心した途端、雨が降り出した。これも想定内のことと、雨の中を走り出す。13時51分、麓の集落手前まで来たところで、大きな雨粒に変わる。リュックから取り出した傘を差し、さらに走る。 その時、車中から声。「どこまで行くんですか?車に乗りませんか」。見ると子供を乗せた若い母親だった。「山寺の駅までです。仙台から走って来たんです。走るのが目的ですから大丈夫です」。私がそう答えるとビックリした様子だった。こんな雨の中を走る人がいること、それも仙台から閉鎖された林道を通って。車はそのまま走り去ったが、私の心は急に温かいものに包まれた。 笹谷峠越えの時は、峠の茶屋の女主人が冷えたスイカをくれ、お土産に3個の黄粉餅までくれた。そして今回は、車に乗せてくれると言う。山形の人は本当に親切な人ばかりだ。人情が今でも残る土地柄にとても親しみが湧いた。 14時10分。仙山線の線路を潜り、山寺が目の前に見える河原へ到着。ここが今日のゴールだった。9時間45分の冒険が今ようやく終わった。直ちに身障者用トイレで着替えを済ませ、駅に向かう。途中でロング缶1本を買い、駅の待合室でお握りを食べながら飲んだ。冷たいビールが美味しい。これで今夏3つ目の峠越えを無事達成。 帰宅したその夜、私は幾つかの地図を広げて調べ始めた。宮城県から隣の県に行く峠がまだたくさんあることが分かった。そしてそのうちの幾つかについては距離も測って見た。走れそうな峠もあれば、かなり困難そうな峠もある。今年もどこかへ行くとして、残りは来年以降の楽しみに取って置こう。思わぬきっかけで始まった峠越えだが、体が動くうちはこれからも挑戦したい。そんな強い想いが胸に過った私だった。<完>
2010.09.16
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< 悲鳴を上げる道 > 暫くすると物音が聞こえて来た。近づくと道路工事の車両が忙しそうに働いている。「あれっ、確か土曜日は工事はお休みで通れるはずだったのに」と思いつつ、傍に寄った。「どうも済みません」と謝って通り抜けると、別段叱られる雰囲気もない。道路の凸凹を削り、側溝を治しているようだ。 そんな工事をしている個所が他にも3か所あった。最後は崩壊したノリ面の修復工事中。山道を走って登る私に驚く建設会社の人達。結局工事をしていたのは、宮城県側の5分の1程度の距離だけ。名目は林道の修復工事で、工期は来年の2月までのようだ。あれを全部治すにはきっと後、4、5年はかかるはず。大変な経費になると思う。 それにしても何故林道なのか不思議だった。最初に私が通った40数年前は「県道塩竃ー山寺線」となっていた。10数年前が「県道仙台ー山形線」だったはず。それが林道に格下げになったのは、道路の崩落が激しいため閉鎖せざるを得なかったからではないか。一時はバリケードの脇が開き、バイクだけは通れた時代もあったのだが。 登るにつれて道路の状況はますます劣悪になって行く。雨で削られ凸凹になった路面。石がゴロゴロの道。雑草が生い茂り、通るのもやっとの個所。そして崩落したノリ面のコンクリート片が重なっている個所。それらを越えて進むと、上方の空が開けて来た。左手に見えるのが通称仙台神室こと神室岳のようだ。途中長靴を履いた人が2人歩いていたのはキノコ採りの人か。 11時47分、展望台と書かれた場所で休憩。ここは今登って来た道が見下ろせる場所。目の前に磐司岩が見える。あれは表磐司の断崖で、裏磐司、南磐司は見えない。カロリーメイト1本を食べ、水を飲む。5年前に来た時はここへタオルハンカチを忘れた。あの後、風で飛ばされたのだろう。11時52分スタート。 突然目の前に人が下りて来た。登山靴を履いているので、どこかの山へ登って来たのだろう。ビックリしたがクマよりは良い。その先はガードレールが谷に落ち込むなど、もう道路とは呼べない状態だった。5年前に走った時とは全然雰囲気が違う。長年閉鎖し、人がほとんど通らなくなると、道は急速に荒廃が進むのだろう。 12時03分、ようやく二口峠に到達。標高は800mほどか。本来の峠道はここから谷に沿って下るのだが、かなり笹が茂っているようだ。10数年前に通った時は、丸木橋が朽ち果てていた。さらに林道を登るが、雑草が邪魔で仕方がない。12時13分頂上部の県境に到達。「土砂崩れで危険」。「進入禁止」と書かれた看板がある。頑丈なバリケードで塞がれているが、脇のパイプをよじ登って山形県側に入る。ここでバナナ、カロリーメイトを食べ味噌を舐める。12時20分スタート。 山形県側は全面舗装なので気持ちが良い。眼下遥かには村山地方の盆地が臨めた。だが、登山道の入り口が笹で覆われている。相当の期間誰もここを通っていないようだ。走り出して間もなく目の前に大量の土砂が見えた。何とノリ面が崩壊して3mの高さまで道路がすっかり埋まっていたのだ。前進するにはそれを乗り越えるしかない。幸いノリ面を見ると、もうそれ以上崩落する危険性はないようだ。思い切って土砂の山に登る。<続く>
2010.09.15
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< 道の歴史 > 9時20分、山の中に交通信号がある。どうしてこんな場所にと訝るが、右側が谷で左側が山のため道路が狭く、上りと下りを交互に通行させているのだ。ここは名取川の上流の釜渕。小さな滝壺が4つほど見える。昔この渕に棲む河童が旅人を呼び止めて相撲を取ったとか。だが力自慢の男が挑んでも、この河童は軽々と投げ飛ばしたそうだ。 9時33分、野尻集落を通過。戦国時代、二口峠は伊達領を狙う山形の最上義光にとって、最短の侵入地点だった。これに備えるため先刻通った秋保には幾つかの城が築かれていたが、義光と密通した政宗の家来が成敗されている。義光と政宗は伯父と甥の関係だが、激しい領土争いをしていたのだ。義光は家康によって近江へと改易され危機は去ったが、政宗は二口街道の守りを固めるためここに22戸の足軽屋敷を配置した。街道沿いに向かい合って足軽屋敷が並ぶ当時の雰囲気が今でも良く残っている。 10時01分、二口ビジターセンター到着。センター前に1台のパトカーが停まり、警察官がベンチで休んでいた。ここが最後の自販機。スポーツドリンクを買い、お握り2個とバナナ1本を食べる。登山客はこのセンターに入山届けを提出する必要があるのだが、走って峠を越えるだけの私は10分間休憩し、そのままスタートした。 道沿いに説明板。「二口峠」の名は、かつて頂上部に「山伏峠」と「清水峠」と言う2つの峠があったことに由来するようだ。かつて仙台領から山形領へ抜けるには、南から「七ヶ宿越え」、「笹谷峠越え」そしてこの「二口峠越え」があった。ところが明治期に入ってから、新たな道路である「関山越え」と、国有鉄道の仙山線が開通したため、この二口街道は一気に寂れたとある。 山伏峠と言うほどだから、古代はこの周辺の山々を山伏達が自由に闊歩していたのだろう。秋保大滝の西光寺に残る慈覚大師円仁伝説と言い、この山伏伝説と言い、奈良時代の山岳宗教が盛んだった頃は、修業を目的に修験道(山伏)達がこんな山奥まで入り込んだ。最初は細かった山道が江戸時代には人と物が行き交う街道として賑わったが、明治期には一転して寂れてしまう。道路にも栄枯盛衰があるとはねえ。 いよいよ本格的な登り坂が始まる。最初に現れるのが大東岳への登山口。次いで二口キャンプ場への入口。周囲は鬱蒼とした森で、左手には名取川の源流。道路はとても走り難い砂利道。そこをえっちらおっちら登って行くと、やがて「姉滝」の標識。昭和30年代までは「穴滝」と呼ばれ、甌穴の中を滝が流れ落ちていたようだ。今は甌穴が崩落し、普通の滝になっている由。 さらに登ると山から冷たい湧水が出る場所があり、大量に水を汲む人が数人。私もここでペットボトルの水を入れ替えた。その先に磐司岩展望所。高さは最大130mほど、長さが約3kmほど続く柱状節理の絶壁だ。一説によれば磐次郎、磐三郎と言う兄弟の山伏が棲んでいたとか。日本民俗学の父柳田國男は、磐神つまり巨大な岩に対する原始信仰だろうと言う。秋は紅葉の名所でもある。 この先で道路は閉鎖され、車は進入禁止。落石が酷く、危険性が高いための措置だ。ゲートの脇にも岩が積まれ、バイクの通行も不可。その岩を越えて前進すると、道路の状況はさらに悪化する。底の摩り減った古いシューズでは滑って危険。やはり底のしっかりしたニューシューズを履いて来て正解だった。<続く>
2010.09.14
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< 走りながら郷土史を学ぶ > 足首を回し、アキレス腱を伸ばして4時25分に出発。空には星が幾つか見えた。夜明けは確実に遅くなったみたい。新しいシューズの調子は悪くない。これまでも帰宅ランで何度か履いてはいるが、ロングランは初めてのこと。疲労はあるが気が張っているためか、ちゃんと走れる。だが、どうも腹の調子が良くない。5kmほど行った林で、たまらず用足し。やれやれティッシュペーパーを持ってて良かった。 生出(茂庭)集落付近で夜明け。国道を通らず裏道を行く。国道の歩道は雑草が茂ったり、段差があって走り難いためだ。5時42分、国道286号線と別れて秋保方面に向かう。秋保温泉に差し掛かると、歩道の工事がかなり進んでいた。6時24分、このコース最後のコンビニに到着し、再びトイレ休憩。これで何の心配もなくなった。お握り4個とスポーツドリンクを買い、6時32分出発。お日様が出て暑いため帽子を被る。 6時35分、秋保温泉湯元前を通過。7時05分、神ケ根温泉入口通過。田圃の稲は黄色く色づき、収穫を待っている。一面の白い花はソバ畑。長袋手前の坂で「さわやか朝市」の開店準備。近所の農家から朝どりの野菜が集まっている。秋保小学校前が、川崎町方面に向かう国道457号線の分岐点。 暫く行くと道路脇にある「十三仏」の標識につられて左折。裏通りに何体かの石仏があった。江戸時代後期の安永8年(1779年)から天明4年(1784年)にかけての干ばつと凶作によって餓死した13名を弔うものの由。相次ぐ干拓事業で伊達藩は潤っていたとばかり思っていたのだが、仙台近郊の村でも餓死者が出ていたことに驚く。 7時50分、秋保神社前通過。おりしも秋の例大祭の日で、旗が何本か立っていた。7時57分、著名な豆腐屋前で一休みし、お茶を購入 。付近の大雲寺には秋保家の廟所がある由。秋保氏は平氏の末裔と伝えられる旧家で、後に伊達の配下として仕えた。長くこの地を拝領したが、後年現在の蔵王町へ所領替えとなったようだ。 間もなく馬場の眼鏡橋横を通過。旧道に架かる秋保石で造られたこの橋を、人や馬車が通った時代があったが、今は昔ながらの姿で保存されている。家々の庭に、女郎花(オミナエシ)、ホウセンカ、黄花コスモス、ケイトウなどの花。この辺りは秋の訪れが早いようだ。滝原周辺の農家で、二口峠への道路が工事中であることを教えてもらった。ただし、土日は工事がお休みで通れる由。やれやれ、一安心。 8時53分、秋保大滝到着。西光寺通称大滝不動は慈覚大師円仁が開いたと伝えられる古刹。だが、仏教嫌いな領主から追われた大師はこの地を去り、山寺でかの有名な立石寺を建立したと言う。寺の直ぐ裏には、人々の安寧を願って名僧が飛び下りた高さ60mの秋保大滝がある。ここの公衆トイレでペットボトル3本に給水。ピーナツ煎餅とクッキーを食べる。出発は9時05分。<続く>
2010.09.13
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< 3つ目の峠越えへ > 9月10日(金)朝。第1現場での巡回中に、屋上から奥羽山脈を眺めた。青空にくっきり浮かび上がる山々。左から蔵王連峰。中ほどに笹谷峠周辺の山々。そしてその右に大東岳。特異な山容の大東岳の左側に二口峠が通っているはずだが、案外高度はありそうだ。エコーラインも笹谷峠も走って登った。残るは二口峠だけ。それをいつ決行するか。この週末の天気はあまり良くない。 同日の夕刻。私は再び第1現場のビルに出勤した。この日は同僚が研修だったため、遅番も引き受けたのだ。立哨中に明るい西空を眺めていると、運転手さんが「明日は案外天気が持ちそうだね」と言った。彼はかつて自衛隊でヘリコプターを操縦していた人。そんな関係で気象に関する知識はある方。その一言で私は二口峠越えを翌日決行することを決めた。疲労を抜くためには日曜日の方が良いのだが、天候はさらに悪化する可能性が高いからだ。 勤務を終えて帰宅し、遅い夕食を摂りながら、翌朝二口峠越えに行くことを妻に告げた。案外あっさりと妻は了承してくれた。きっと前回、前々回と何事もなく長距離を走れたことで信用してくれたのだと思う。出来れば天気予報をチェックしたかったのだが、妻が他の番組を観ていたため未確認のまま終わった。だが日中にパソコンで確認した内容とさほど変わらないはず。 夕食後、手早くマラニックの準備を始める。今回のマラニックでは幾つかの実験をしようと考えていた。先ずシューズは新しい、少し底の硬いものにした。前回履いた古いシューズでは脚に負担がかかると考え直したのだ。上はこの春以降初めて半袖Tシャツを選ぶ。これは月末の「秋田内陸」を想定してのもの。この時期に半袖Tシャツで暑がらずに走れたら、2週間後の秋田ではきっと大丈夫のはず。 そして下は、最近買ったA社のハーフタイツを初めて着用する予定。これは内側に縫い目がない優れ物。100kmの長距離になると、たとえ僅かな突起でも擦り傷の原因になる。少しでも肌に優しい服装が楽なランニングを保証してくれる。50kmを越える今回のマラニックは、それらを試す好機なのだ。 コースは過去2度走り、3度歩いているため地図は不要。その代わりに小さなメモ用紙と筆記用具を持参。お握りはコンビニで買うことにしたが、朝食のために味噌汁だけは作っておいた。後はどれくらい眠れて、どれくらいの疲労が体に残っているかだけが心配。週末には一週間の疲れが溜まっているが、果たしてどれくらい回復出来るか。 目覚ましは4時半にセットしたが、実際に目覚めたのは3時40分だった。体調は今一だが、そのまま起床。歯を磨こうとすると吐き気。鏡に映った顔は腫れぼったい。そしてトイレでもスッキリはしなかった。昨夜の遅い夕食が原因か。それでも朝食が食べられるのは、長いウルトラマラソンの経験の為せる業だろう。 全ての準備を終え、リュックを背負って玄関を出る。多分妻を起こさずに済んだはず。背中でクマ避け用の鈴が鳴る。今回走る峠は土砂崩れが多い所で道路が閉鎖されている。滅多に人が通らないからクマが出る可能性はある。そして雨がどうなるか。宮城も山形も午後は雨らしい。出来れば大雨になる前に峠を越えたいのだが。<続く>
2010.09.12
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今年3度目の峠越えに行って来ました。今回の峠は二口峠。土曜、日曜と雨の予報でしたが、土曜日の方がそれほど雨の確率は低いと判断し、急遽今日の早朝に出かけて来ました。実は昨日の金曜日は同僚が研修だったため、早番と遅番の両方勤務したこともあって、疲労が回復するであろう日曜日に決行する予定でした。 確かに疲れてはいましたが、やれる時にやるのが私流。妻も気持ち良く了承してくれたことも決行への引き金になったように思います。ただ、前回走った「笹谷峠越え」や「エコーライン越え」と異なる点は、この峠は目下閉鎖されていることです。従って車も通らず、道路の状態も分かりません。クマも出没する可能性があります。 雨の心配、道路状態の心配、そしてクマの心配。53kmと3つの峠越えの中では最も距離が短く、峠の高度も低いと思われる二口峠でしたが、3つの心配と言うハンディがありました。ともあれ9時間35分かかって無事ゴールし、夕方には無事帰宅することが出来てホッとしています。マラニックの詳細については、明日以降に書きたいと思っています。どうぞお楽しみに♪
2010.09.11
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< 峠越え編 > 今夏は峠を越えて、お隣の山形県まで走ることを思いつきました。トレーニングを兼ねた冒険の旅です。地図を持ち、リュックを背負って山道をテクテク。厳しい道のりでしたが、結構楽しかったですよ。「笹谷峠越え」、「蔵王エコーライン越え」は既に実行済み。あと一つ「二口峠越え」がまだ残っていますが、とりあえず紹介しますね。(笹谷峠) 湧水で喉を潤す峠道 (笹谷峠の宮城県側には、笹谷トンネルを掘った際の湧水が滾々と流れ出していました。その水の冷たく、かつ美味しかったこと。でも出発の際、サングラスを忘れて来てしまったのがちょっぴり心残りです♪) 山道や笹戦(そよ)ぎたる峠あり (笹谷峠は文字通り美しい笹が生い茂った峠でした。目の前には蔵王連峰の一角であるハマグリ山(1146m)や前山(1393m)が聳えていましたが、2つの山とも全山笹だらけ。ちょっと不思議な光景でしたね♪) 涼風や峠守りし地蔵尊 (この峠にはかつての街道が通り、「有耶無耶の関」と言う関所がありました。冬は雪が深く、命を落とす旅人が多かったそうです。亡くなった旅人を弔い、道案内を兼ねて峠に建てられたのが六地蔵。今回はそのうちの一体にお目にかかりました♪) 松と杉 お暗き道を越へし夏 (峠を越えて山形県側へ入ると、美しい松林や杉林が見られます。苦しい走り旅の中でも心を洗われる個所の一つでしょうか。またあの道を走ってみたいものです♪) 萩尾花 峠で分かつ花ありて (面白いことに、宮城県側には萩の花が多く見られたのに対し、山形県側ではススキの姿を良く目にしました。季節の進行が異なるのか、それとも植生が異なるのか、興味深いところです♪) 力得て西瓜食らひし峠茶屋 (山形市新山まで下ったところに「峠の茶屋」がありました。ここで一休みしてラーメンを食べたのですが、なんと店の女主人からスイカの差し入れがあったのです。良く冷えたスイカの美味しかったこと。そしてお土産に渡されたのが3個の黄粉餅。旅の情とはこんなことを差すのでしょうね。私がまた走りに行きたいと思うのは、こんなドラマがあるからです♪)(蔵王エコーライン) 喘ぎつつ竜胆眺む山の道 (苦しみながら蔵王エコーラインを登って行くと、徐々に風景が変わって来ます。そして頂上が近くなるにつれて、道端にはリンドウの花が目につくようになります。その鮮やかな花に、どれだけ励まされたことでしょうか♪) 果てしなき蔵王の道よ蒼き空 (蔵王エコーラインを麓の遠刈田温泉から登ると、道はどこまで行っても登り坂の連続です。高低差はきっと1300mはあるでしょう。その絶望的な厳しさに耐えながら登る道の彼方に、青く澄み切った空が広がっているのです♪) 夏山の幾重に見へし峠かな (エコーラインを登り切って山形県側へ入ると、たくさんの山々が折り重なって目に飛び込んで来ます。残念ながら私は名前と山の姿が一致しないのですが、朝日連峰(山形)、西吾妻山(福島)、飯豊山(山形・新潟)などの名峰が眼下に広がる光景は、とても壮大なものがあり感動的ですよ♪) 登れども未だ遠かり蔵王の湯 (今回のゴールは山形県の蔵王温泉でした。県境からドンドン道は下りますが、上山市永野から道は再び登り坂となります。疲れた足には過酷な旅。でもそれも自分で決めたことですから、最後まで歯を食いしばって登るしかありません。そして辺りは徐々に夕暮れを迎えます♪) 夏の日の落ちて寂しき道走る (長く暑かった夏の一日。ゴールの蔵王温泉間近では、とうとう日が暮れました。14時間以上走ってもまだ見えないゴール。でも気持ちを切らさずに蔵王温泉目指して走り続ける私でした♪)
2010.09.09
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今夏の猛暑は113年ぶりの出来事だったようですね。仙台でも真夏日の日数がこれまでの新記録でした。熱帯夜もあって、寝苦しい夜が続きました。その暑さも、台風9号に伴う雨のせいで急激に治まった感があります。苦しかった今夏を、下手な俳句で私なりに表現してみました。ご笑覧くださいませ~。<我が家の野菜編> 夏ばてや梅酢の実まで食らひけり (昨年仕込んだ梅酢が、意外に美味しく出来上がっていました。夏の前半、梅酢にはずいぶんお世話になりました。この梅の実がまた美味いんですよねえ♪) 蜂忙(せは)しゴーヤの花に群がりて (最近とんと見かけなくなったと言われるミツバチですが、家庭菜園のゴーヤの花に群がり、忙しそうに働いていましたよ。ゴーヤの花は南国の香りがします♪) 採れ過ぎてゴーヤジュースとなりにけり (ずいぶん採れたゴーヤ。ご近所にもかなり配りました。チャンプルーや煮物に大活躍だったゴーヤ。最後はミキサーで粉砕し、ジュースにして飲みました。美味しいですよ~。私はソーメンチャンプルーにも入れましたがね♪) 苦瓜も胡瓜も塀に蔓延ばし (東側の畑は幅80cmほどしかありません。その壁際にネットを張り、ゴーヤとキュウリの苗を植えました。この夏は両者仲良く、大豊作でしたね。この手前にはミニトマトが。狭い畑も有効利用で大活躍です♪) 曲がりたる胡瓜古漬に変身し (南側の畑には20本以上のキュウリの苗がありました。これは種を蒔いたものです。キュウリも最後は弱って、ひねたものが多くなります。この夏、妻はキュウリの古漬けの作り方をある老婆から教わって来ました。酸味のある古漬けがずいぶん食欲をそそりましたね♪) 古漬の汚れし水を見ざるべし (古漬けは優れた発酵食品です。発酵の過程で、キュウリからは大量の水が滲出します。その水は臭く、泡を立てています。美味しい古漬けも作っている最中は、あまりその姿を見たくないものです♪) トマト切りて猛暑を凌ぐ夕餉(ゆふげ)かな (今夏の猛暑は水分の嫌いなトマトを美味しく育てました。大豊作で完熟のトマトも我が家にとっては、夏を乗り切るための大切な食品でした。夕食のテーブルにザクっと切ったトマトが何度上ったことでしょう♪) ミニトマト両手に余る夏の朝 (トマトの苗は15本でしたが、ミニトマトは4本だけ。それでも今年は大豊作で、一度に40個も採れたことがあります。完熟のミニトマトはトマトよりも濃厚な味。朝、昼、晩と果物代わりに食べたものです♪) 古漬に刻みて添へし茗荷かな (今夏は雨が少なく、夕方は毎日のようにホースで水撒きをしました。そのお陰で裏の畑のミョウガが大豊作。お汁に入れても良し。素麺の薬味にも良し。そしてキュウリの古漬けに刻んだミョウガを混ぜると、味が一層引き立つのですよねえ♪) 暑き日や茗荷刻みて薬味とす (暑い時には麺類が最高です。と言っても私は一年中昼ごはんはほとんど麺類ですけどね。冷やし中華、つけ麺、そして素麺。その素麺の薬味にはネギ?それともシソ? いやいやミョウガもなかなかグーですよ。是非一度お試しあれ♪ )
2010.09.09
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< 米沢から喜多方へ > バスは再び米沢市へと向かう。昼食会場の料理屋は名産の米沢牛を扱う店だった。奥のホールが団体用の席で、清潔な空間が心地良かった。用意されていたのはすき焼。普通バスツアーの昼食などは料金が安いため質素なものが多い中、この店のは高級な肉ではないものの良心的な内容だったことに驚いた。味も量も満足だったが、ご飯がもう少し多いと嬉しかった。 店を出ると、誰かが庭の垣根を観て「ウコギ」だと教えてくれた。米沢藩中興の祖である上杉鷹山公が推奨したこの木は、摘んだ若い芽が食用になる。120万石だった会津から4分の1の米沢に転封された上杉氏だが、家臣の数は減らさなかった。このため荒れ地を開墾して田を増やしたほか、堀では鯉を飼って貴重な蛋白源とした。 鷹山公の様々な改革断行が、何とか藩の財政を立ち直らせ、家臣の生活を守ったのだ。その上杉家の廟所が一瞬バスの中から見えた。バスはさらに南に向かう。福島の会津地方へ抜ける国道121号線だ。前方を新潟ナンバーのバスが走っている。この道は米沢から磐越道への近道でもある。昔の大峠は厳しい山道だったようだが、今では立派なトンネルで楽々通過出来る。 目が覚めた時は喜多方市内だった。どうやらその間にグッスリ眠ったようだ。喜多方は福島県会津地方にある小都市で、人口は5万人ほど。この小さな街に4千以上の蔵があると聞けば誰でも驚くだろう。ここには新潟と山形県境に聳える飯豊山(いいでさん)の伏流水が湧くようで、その水を利用して醸造業が盛んだったようだ。また北の米沢や南の会津若松へ向かう街道の町でもある。 かつて町は大火で甚大な被害に遭った歴史がある。その時に燃えなかったのが昔ながらの蔵。それを観て、町の人はこぞって蔵を建てたのがこれだけの数になったようだ。今も住まいとして使われている蔵。店として使われている蔵。中には貸倉庫になった蔵もあった。さらに住居性を改善した現代の蔵の家まで造られていた。 耐火性を高めるために、明治以降はレンガを用いた由。その積み方よって、フランス式、イギリス式、ドイツ式の3つに別れる由。江戸時代の蔵には防火性を高めるため、3重の扉を持つものもあった。火事の怖さを心底味わった経験からの工夫なのだ。それらの話はガイドから聞いたもの。今や喜多方市の蔵は、立派な観光資源。蔵の中に入ると、敷かれた割り竹の床がヒンヤリとして心地良かった。 妻はお土産にお盆を買った。漆器も喜多方の名産の一つ。漆器の木地になる木材に恵まれ、漆の保存にも程よい気候なのだろう。木目の美しいお盆がわずか3千円とは安い。この地でもう一つ有名なのが喜多方ラーメン。多分、鰹節をベースにした出汁だと思う。味噌味もあるが、基本は醤油味。しつこくない昔ながらの味に親しみが持てる。少し早めの夕食がこの喜多方ラーメンだった。 次に向かったのが北会津村のナシ農園。今年は猛暑で玉の太りが悪いとか。悪いのはナシの成長だけでなく、園主の態度。取って良いのはわずかに3個だけ。それを園内で食べるか、持ち帰るかのいずれかを選ぶ由。ラーメンを食べたばかりなので、迷わずお土産として持ち帰ることにした。全部で6個のナシは結構重たかった。 ツアーの最後に寄ったのが、猪苗代町の「世界のガラス館」。チェコ、イタリア、ドイツ、イギリスなどの優秀なガラス製品が数多く陳列されていたことに驚いた。中には「何でも鑑定団」で知った著名なガラス工芸家であるガレの作品もあった。イギリス製のガラス容器のデザインが気に入った。 今回の旅では、果物だけでなく蔵やガラス工芸品まで見ることが出来て満足だった。それに車中では本当に良く寝た。それだけ疲労が溜まっていたのだと思う。心身共にリフレッシュ出来て良かった。妻は「良くそんなに眠れるねえ」と呆れていたが、眠れるほど気持ちが寛げたのだと考えよう。<完>
2010.09.08
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日曜日の朝、4時半に目覚ましが鳴る。直ぐに起床し、そのままランニングへ。日中の帰宅ランだと、あまりの暑さにスピードが出ない。その分涼しい朝は、何となく速く走れそうな気がするから不思議だ。コースは近所の坂道。緩い坂だが、ここを走っていたらトレーニング効果がありそうに思える。いわゆる「ヒルトレーニング」だが、朝走っても夜走っても「ヒルトレ」になってしまう。 その後愛犬との散歩と朝食を済ませ、自転車でJRの最寄り駅へ。そこから集合場所までは1駅。今日のツアーの名称は「狩り物!お土産!盛りだくさん!秋の大収穫ミステリーツアー」と言う長たらしいもの。内容からして行き先は福島だろうと推察していた。ところが新聞を読み一眠りしているうちに、「山形道へ入ったよ」と妻が私を起こした。 おやおや、山形だったか。でも山形も果物の産地だから別に不思議はない。特にブドウは東北で一番のはず。山形道から先日走った「笹谷峠越え」のコースである国道286号線、そしてその一週間後に走った、「エコーライン」へ向かう鈴蘭峠方面も見えた。懐かしい記憶が胸に蘇る。厳しい峠越えマラニックだったが、今日は一日のんびりして徹底的に疲れを癒そう。そんな想いでツアーに臨んだ私だった。 笹谷トンネルも峠からの下りもあっと言う間に通過し、バスは山形市内から国道13号線を南下。その途中に蔵王温泉への分岐点があった。最初の行き先は南陽市。ここは山形では有名なブドウの産地。小高い山の上まで、ブドウ栽培用のビニールハウスが広がっている。ブドウ狩りが山の上でなく、平地で助かった。今育っているのは小粒のデラウェアと大粒のベリーAに似た種類。 今年の猛暑はブドウには幸いしたようで、どちらもとても甘い。30分間食べ放題だが20分で満腹状態に。1篭1200円で詰め放題と言う園主の話に、夢中になってブドウを詰める妻。これだから食べ物が絡むと怖いのだ。この後トイレ休憩のため、わざわざ米沢市の△△センターまで移動。ツーリストと店との間で乗客を連れて行く約束が出来ているのだろうが、我々にとっては無駄な移動時間でしかない。 そこから引き返して、再び南陽市の果樹園へ。ここは先刻ブドウを摘んだ果樹園とそんなに離れていない場所。ここで栗拾いをし、お土産に1人1kgの栗がもらえることになっていた。ところが猛暑のため栗の育ちが悪く、まだ採れる段階ではないとのこと。折角なので栗の木を観に行ったが、イガはまだ青々として開いているものは皆無。それでは申し訳ないと思ったのか、1人につきイガグリ10個が入った袋をくれた。 そのまま4、5日放置しておくと成長が進み、自然にイガが開いて栗の実が出て来るとの説明。???とは思ったが、信じるしかない。2人で2kgの栗があれば、美味しい栗ご飯が食べられたのにと言うのが本音。別に小さな丸ナス500gもついている。このナスを山形ではカラシ漬けにするのが一般的。野菜の豊富な山形は漬物の名産地でもある。<続く>
2010.09.07
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ちょっと古くなりましたが、北朝鮮の将軍様が中国を訪問したニュースがありました。例によって今回も「お召し列車」での旅でした。3か月前にも訪問したばかりなのに、何故このタイミングで?と不思議がられたのですが、経済援助の要請のほかに、どうやら三男のキム・ジョンウン氏を自分の後継者として認めさせる意味もあったみたい。社会主義国で三代にわたる世襲政治なんて、どうなんだろうね? 野田聖子元郵政大臣の不妊治療のニュースにも驚きました。おしどり夫婦として注目された自民党の某代議士とは事実婚を解消していたのですね。そして現在の事実婚の相手の精子と、米国で提供を受けた卵子による受精卵を子宮に着床させて、母親となる道を選択したとか。出産時は50歳になる彼女。何としてでも「自分の子供」を産みたいと言う執念の凄さを感じさせられたニュースでした。 執念と言えば、小沢前幹事長が民主党の代表選に立候補したニュースも驚きでしたね。マスコミによって悪人にされた(?)彼に、果たして代表となり総理大臣となる道が開かれるのか注目ですね。裏で画策するより、表舞台で堂々と力を発揮した方が日本のためなのか、それともこれまでの「悪事」を反省して、さっさと政界から引退した方が日本のためなのか、果たしてどちらが良い選択なのでしょうね。 チリの鉱山で数十名の鉱夫が生き埋めになってから早や1カ月。全員が生存していたことに世界は驚きました。直径10cmほどの導管を命綱にして、日々戦っている彼ら。チリ政府も一日も早く救助すべく、色んな手を尽くしているようですね。狭い空間の中で大勢の人が息を潜める様子が、私達にも伝わって来ます。彼らへの食料提供や、精神的なフォローもさることながら、排泄物の処理などが気にかかるところです。 超高齢者の「行方不明」事件が続いています。中には「年金搾取」などの犯罪に巻き込まれた人もいるようです。事件発生に伴う調査によって、何らかの事情で戸籍から除籍されていない方も多いことが分かりました。中には江戸時代の方も戸籍上はまだ生存していたとか。驚きですね。でも平均寿命などのデータは5年に1度の「国勢調査」によるため、信用性には全く疑問がないとか。本当かなあ? 「アースマラソン」中の寛平ちゃんが、ついに最後の国である中国に入って走り続けています。次の大都市はウルムチとか。選んだコースは昔のシルクロードだったんですねえ。前立腺がんの治療を受けながら、1日約50kmずつ日本に近づいている寛平ちゃん。寒い土地、暑い土地、様々な悪条件の中を良く頑張ってますね。頑張れ~!!寛平ちゃ~ん。 来年で第5回を迎える「東京マラソン」の人気が物凄く、とうとう申し込み者が33万人に達したとか。目下4連敗中の私も懲りずに申し込みましたが、果たして抽選はどうなるのでしょう。「24時間テレビ」で恒例の100kmマラソンに挑戦したはるな愛が85km走ったとか。だがある方が自転車で追跡した所、実際に「彼女」が走ったのは65kmだった由。 感動とチャリティーを売り物にする同番組。なかなか感動的な話題も多いのですが、ウルトラマラソンを寄付集めの手段にするのは止めて欲しいですね。「芸能人が100km走った!」なんて嘘をつかなくて良いんです。「一生懸命頑張ったけど、△△kmしか走れなかった」で十分では。本当に大切なのは「美談」ではなく、「真実」なのですから。
2010.09.06
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今日はミステリーツアーのフルーツ狩りでした。盛りだくさんの楽しみがあるはずだったのが、この夏の異常な猛暑で異変。栗の成長が遅れて1kgのお土産が無し。ナシは雨が降らないためかなり小ぶり。その上食べ放題ではなく3個だけ自分で採って、お土産にするか食べるか。 唯一存分に食べられたのがブドウでした。これは2種類のブドウを枝から好きなのを採って、食べ放題でした。昼食は米沢牛のすき焼。夕食は喜多方ラーメンでした。愛犬には一日留守番をしてもらいました。今日も大変暑い一日でした。詳しい日記は改めて書く予定です。
2010.09.05
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8月28日(土)に「蔵王エコーライン越え」を実行しましたが、その後のことを簡単にメモしておきますね。8月29日(日)畑仕事7時間8月30日(月)病院へ8月31日(火)床屋へ9月1日(水)畑仕事:畝3本半を耕す。「いわきサンシャインマラソン」申し込み。9月2日(木)春菊、小カブ、大根の種まき9月3日(金)肥料、石灰などを購入し、畑に散布9月4日(土)白菜の種まき、レタスの苗を定植。ハーフタイツなど購入9月5日(日)妻と「ミステリーツアー」でフルーツ狩りへ。帰宅は夜遅くなります。
2010.09.04
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< 臭くてゴメン! > 18時13分。とうとう樹氷原ロッジ方面への分岐点に到達。ここにも「ハードロック・コンサート」の案内係の若者が2人立っていた。「蔵王温泉まで後どれくらい?」と尋ねると、1人は5kmと言う。それをもう1人が3kmくらいですと訂正した。これは嬉しい。後もう少しでゴール出来る。 最後の坂を登ると、目の前に見覚えのあるトンネルが。ここまで果たしてどれくらい登ったのだろう。きっと500mではきかないはず。18時19分。標識が上山市から山形市に変わった。道路脇の気温表示は26度。黄昏が迫る中、標高1362mの瀧山が見えた。あの麓がゴール地点の蔵王温泉だ!! 次第に薄暗くなる山道。でもここまで来たらもう大丈夫。懐かしいカーブを下って行くと、蔵王温泉のホテル街が見え出した。良くここまで来れたものだ。日はすっかり暮れて辺りは夜の風情が漂い、浴衣姿の観光客が歩いている。最後のカーブを曲がって山形交通のバスターミナル方面に下る。18時42分ゴール。74kmに及んだ長い長い戦いはついに終わった。 バスターミナルには誰もいない。そして山形行きのバスは2分前に出たばかり。慌てて時刻表を確認すると、約1時間後に最終便がある。何とか最終便に間に合って本当に良かった。楽しみだった日帰り温泉へ入る暇は無いと判断。急いでトイレへ行き、裸になる。もし人がいたらビックリするだろうが、そんな心配はなさそうだ。濡れタオルで体を拭き、汗臭いシャツなどは全て水洗い。 一段落したところで、近所のラーメン屋さんへ。ここは走りながら開店してるのを確認した所。冷たい水を2杯立て続けに飲み干し、出て来たラーメンと漬物を完食。しょっぱい汁に体が喜ぶ。店の女主人に仙台から15時間かけて走って来たと言うと、驚いて声も出ない。バスターミナルから妻に無事到着を電話し、缶ビールで1人祝杯。 バスからの夜景がきれいだった。乗客は私を入れてもたったの6人。山形駅では次の電車まで1時間待つため、急遽バスにした。15時間以上走った疲労があるはずだが、神経の興奮が治まらないせいか眠気も出ない。それにラーメンの汁、缶ビール、冷たい水を0.5リットル以上飲んだにも関わらず、帰宅まで尿意を催さなかったのが不思議。あれだけ走りながら水を飲んだ積りなのに、体内ではまだまだ水分不足だったのだろう。 仙台到着後、家までバスで帰った。隣の席に座った青年が変な顔をしている。異臭の発生源が分からないのだろう。ランシャツなどは水洗いしたが、15時間10分かけ、74kmを走った分の汗がリュックに沁みついたままなのだ。自分でも臭うくらいだから、他人には堪らない悪臭だったはず。「犯人は私のリュックです。ゴメンナサ~イ!」と心の中で謝った。 翌朝シューズを見たら、左足の底だけが異様に摩り減っていた。きっと弱点のある左足が、下り坂で無意識にブレーキをかけたのだろう。この古シューズで笹谷峠とエコーライン越えをした。大役を果たしたついでに、次の二口峠越えでも履こうと思う。それが多分最後の役目になるはず。この夏冒険に付き合ってくれたシューズよ、本当にありがとうね。そして今回も最後まで頑張った自分を、誉めてやりたいと思う。<完>
2010.09.04
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< 思い出した「言葉」 > 16時11分。ようやく坊平スキー場のリフト前まで下山。県境から1時間以上走って降りた計算だ。ここは標高1100m。空には珍しいパラグライダー。きっと上昇気流があるのだろう。16時21分、60km地点のライザワールドへ到達。ここには宿泊施設やスポーツ施設があり、夏は各種の合宿で賑わっているみたい。折しも芝生で走るランナーが何人か見えた。いやはや、遠い道のりだった。 凄い勢いで流れる小川の脇に「御田神」の石碑。16時25分、その傍に腰を下ろしてお握りとお菓子を食べる。2時間20分ぶりの休憩だった。休みながら石碑の意味について考えてみた。一般的に蔵王山系の水は酸性のため飲用には適さないものが多い。蔵王温泉を流れる川は酢川。きっと飲むと酸っぱい味がするのだろう。 ところがこの小川は「田圃の神様」と崇めるほどだから、きっと飲めるに違いない。試しに水を掬って飲むと、なかなかの味。喜び勇んでペットボトル2本に清らかな水を満たした。見ると川の底に黒い導管が2本。やはり飲用水に利用している証拠だ。16時35分、下山開始。間もなく蔵王温泉まで12kmの標識発見。自宅からここまで62km走ったことになる。 上山市永野の交差点まで下りた。蔵王温泉まで9kmの標識あり。ここでエコーラインは終わり、名称が「蔵王ライン」に変わる。ところが道はどこまで行っても登り坂。「おかしいなあ。こんなはずではなかったのだが」。そうは思っても現実の道は、ひたすら上へ上へ。後で考えたら娘の運転で蔵王温泉からエコーラインに向かったことがあったが、あの時も確か途中で一旦下り、再び登った気がする。 両手が浮腫んでパンパンに腫れ上がっている。顔の周りを小さな蚊がブンブン纏わりつきながら飛んでいる。思いがけない登り坂の連続。疲れて重たい脚。そしてその上にしつこい蚊。ヘレンケラーほどではないが、こちらも三重苦との戦いが続く。その時「人の一生は重き荷を負ひて長き坂を行くがごとし」と言う家康の言葉を思い出した。 幼い頃から長い間人質として親から離れ、他国で暮らした家康ならではの言葉だと思う。ウルトラランナーもまた然り。背中の荷物は重たく、擦り傷が痛む。長い坂道はどこまで続くのか分からない。でも、この厳しさ、辛さに耐え抜くのがウルトラランナーの使命。しつこい蚊を払おうと自分の顔を叩く。鼻も、耳も叩く。この野郎~ その時、遠くから「ズンズン」と言う低い音が響いて来た。あれはドラムスの音。一体誰がこんな山の中でドラムスの練習をしているのだろう。見渡しても人家などはない。不思議だなあと思いつつ、必死に坂を登り続ける。次第に音が大きくなって来た。坂を曲がると目の前に突然リフトの黒姫駅が見えた。そして大勢の若者も。 どうやらハードロックのコンサートみたい。ここでは低音だけでなく、様々な楽器の高音まで聞こえた。とても音楽とは思えない大騒音が、静かな山の中に響き渡る。駐車場係の若者に蔵王温泉までの距離を尋ねると、「走る距離ですか?」と逆に質問された。距離にランも車もないだろう。どうも地元の人じゃない感じ。諦めて再び坂を登る。 道路の左右にリフトがあるのを何箇所かで見かけたが、あれではスキー客が車と衝突するだろうと不思議に思っていた。後で地図を見たら、道路は「冬季閉鎖」とある。なるほど、それであんな風に配置されていたのかと納得。それにしても山形時代の職場の山荘への分岐点がいつまで経っても現れない。あの場所が出て来ないのは、まだゴールは遠いと言うことか。<続く>
2010.09.03
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< ついに山形県側へ > 茹でた蕎麦をザルに盛ったのがザル蕎麦ならば、蒸籠(せいろう)に盛ったのがせいろ蕎麦なのだろう。そば粉10割の蕎麦は硬くて喉越しがあまり良くない。これで800円は高いと思ったが、決してそうではなかった。蕎麦を食べた後、残った汁に大根おろしの汁と蕎麦湯を入れて、全て飲み干した。蕎麦湯には独特の栄養があると聞いたし、大根の汁だって体には良いだろう。 そして最大のポイントは3本のペットボトルに水を満たしてもらったことだった。結果的には合計1.5リットルの水が、私を山形県側まで連れて行ってくれたのだ。13時05分、店を出て走り出す。店の外にある水飲み場は渇水してるようだ。頂上の方から宮城交通の路線バスが降りて来る。行き先はJR白石駅。時刻表を確認した訳ではないが、夏場の週末にでも運行しているのだろうか。2台見たので、1日に何本かは刈田岳頂上まで走っているのだと思う。これが私には意外な出来事だった。 13時58分、駒草平到着。自販機でお茶を買い、大福と揚げ煎餅を食べる。「何処から来たんですか?」と私に話しかける若夫婦。私が必死に走ってる姿を車の中から見ていたようだ。「仙台からですよ」と言うと、ビックリしている。まさか50km近く走って来たとは思わなかったのだろう。14時05分若夫婦が見送る中、再び走り出す。 14時15分。大黒天前通過。ここには標高1432mの標識があった。道路の脇から刈田岳への登山道がある。前回の「エコーライン練習会」の時は、Y田さんの案内で逆に登山道を降りて来たことがあった。14時40分、標高1758mの刈田岳頂上へ向かう「ハイライン」の分岐点前を通過。ここが50km地点で、道はさらに登り続ける。 左手には杉ケ峰(1745m)、屏風岳(1817m)、不忘山(1705m)など、南蔵王の雄大な山々が連なり、右手には荒々しい火山地形が見える。まもなくエコーラインの最高地点に到達。高度は1550mくらいか。そこから緩やかな下り坂となる。15時03分。練習会の折り返し点になる茶店前到着。だがお店は閉まっていて休むことが出来ない。 この辺りは夏でも天候によっては寒い時があり、店の中でストーブを焚いていたことがあった。今回も頂上は寒いと聞いていたため、長袖シャツ、トレパン、着替え用の半袖シャツ、手袋を持参していた。ところが実際は汗が滴り落ちるほどの暑さ。全て無駄になったが、山とはそう言うものだと諦める。 15時05分。山形県側に到達。標識が山形県上山市に変わる。目の前には朝日連峰など山形県の山のほか、西吾妻山など福島県の山々も見える。道路左側の湿地帯に木道を架ける工事をしていた。長い長い下り坂。宮城県側のような急激な綴れ折りではなく、非常にゆったりとしたカーブ。それだけ起伏が緩やかなのだろう。 疲れた脚には優しくて助かるのだが、どこまで行っても目印になるものがない。適当な間隔で自販機もあると聞いたのだが、そんなものは全く存在しない。3本の水だけが頼りだが、それも徐々に乏しくなる。それにしても坊平高原の遠いこと。ひょっとして道を間違ったのではないか。そんな錯覚に陥るほど何もない山道が続く。<続く>
2010.09.02
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< 蔵王エコーラインを登る > 7時55分、25km地点手前の前川小学校前で休憩し、お握り、揚げ煎餅を食べる。8時04分にスタート。後で考えたのだが鈴蘭峠を登って降り、遠刈田温泉経由でエコーラインへ行くよりは、前川小学校の横から青根温泉経由でエコーラインへ向かった方が、高低差の点でロスが少なかったかも知れない。 鈴蘭峠入口が29km地点。いよいよ最初の登り坂だ。だがまだ元気なせいかさほど苦にならず、所々に日影があるのが嬉しい。標高300mほどまで登ると、今度は緩やかな下り坂。途中にゴルフ場と某大学のラグビー場があった。県道12号線で右折し、遠刈田温泉方面に向かう。ここから山頂まではすべて登り坂だ。 9時45分、35km地点の遠刈田温泉に到着。ここで10分間の休憩。大福2個と揚げ煎餅1枚を食べ、お茶で喉を潤す。ついでに急行バスの停留所を確認。10時05分、遠刈田公園のトイレで、ペットボトルに水を補給。ここは所属走友会のエコーライン練習会のスタート地点。公園の裏にある篭山(かごやま)は、江戸時代の金山跡。採掘中に超高温の温泉が沸き大勢の犠牲者が出た由。その霊を慰めるため観音像が建立されたようだ。 10時15分、大鳥居前を通過。いよいよここからが蔵王エコーラインで、高低差1300mを一気に登ることになる。今回のコース最大の難所であるこの道は蔵王連峰を東西に貫く山岳道路で、昭和37年に開通。11月初旬から翌年4月下旬までは積雪が多いために閉鎖されている。開通当初は有料道路だったのだろうか。軽快な「蔵王エコーラインの歌」のメロディーと歌詞を、今でも良く覚えている。 11時18分、40km地点の滝見台到着。この直前から歩き出していた。もっとも坂がきつ過ぎて、歩いても走ってもさほどスピードは変わらないのだが。2つの滝を見ながらお握りを食べる。高いのが「不動滝」で、その下に3段に見えるのが「三階の滝」。福島の観光客が、私に何処から来たのかと尋ねた。「仙台から走って来た」と答えると、目を丸くしている。11時32分スタート。 12時03分がが温泉(がは山に我)分岐点通過。観光バスや自家用車がひっきりなしに通る。オレンジ色のランシャツを着ているせいか、良く目立って危険性は感じない。高度が上がるにつれて蔵王連峰の雄姿が見え出す。左手に1402mの前烏帽子岳。そしてその奥には1681mの後烏帽子岳。その山容も登るにつれて不思議なほどに変化する。 道路脇には紫色のリンドウの花。ようやく前方に宮城蔵王高原観光ホテルの白い建物が見え出す。ここが45km地点。12時50分、ホテルの向かい側の「山のそば屋」へ到着。ここで昼食を摂ることにした。ランシャツから強烈な汗の臭いが広がるが、自分ではいかんともし難い。800円の「せいろ蕎麦」を注文。<続く>
2010.09.01
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