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「日曜日、走ってましたよね?」。歯医者に行ったら、受付の女性が私に話しかけて来た。「へえ~っ」。私は驚いた。車の中から走っているのを見て、良く私と分かったもんだ。よほどランニングに興味でもなければ、一瞬で過ぎ去るランナーを見ることもないはず。聞けばお子さんが学生時代に走っていた由。それ以来駅伝などの番組が好きになったようだ。 ランニングのフォームがきれいだったと言うのを否定し、専らウルトラマラソンに取り組んでいることを話した。50代で100kmに挑戦し、60代で200kmに挑戦したことを教えるとビックリした顔。逆に私が驚いたのは、彼女が歯科医の奥様だったこと。あの先生が選びそうな優しい奥様。それにしてもランナーは意外なところで見られているものだ。 明日からいよいよ12月。つい最近福島のEさんから、彼が主催する来年のレースの案内が届いた。現時点でエントリー済みなのは、1月の「勝田マラソン」と2月の「いわきサンシャインマラソン」。これらはフルマラソンだ。ウルトラで申し込んだのは6月の「いわて銀河」のみ。これはアーリーエントリーの恩典があるためだ。 勇んで申し込んだ「東京マラソン」は今回も抽選に外れ5連敗だった。もし当選しても参加は無理かも知れない。理由は極度にオシッコが近くなったこと。寒さの中で何千人もの人がトイレに並ぶ姿は恐怖そのものだ。いっそのこと大都会での冬季のレースは、全てパスしても良いくらいだ。 私の場合、出場するレースは原則的に月1回と決めている。体力、気力、経済的理由からだが、妻と付き合うのも大きな理由。彼女の希望を入れて一緒に登山、ハイキング、旅行に行くには、週末の予定を空けておく必要がある。それに11月辺りは毎年悪友との麻雀大会の予定で、極力レースを入れないことにしている。 3月はレースなしでも良い。4月は密かに「長野マラソン」を希望していたが、エントリー当日にヘマをして失敗に終わった。5月は例年「仙台鉄人会10時間走」に出ているが、来年は「洋~湖~海」の初日だけ走ろうと思っている。あいにくその日は連休の谷間のため、休暇が取れるかが問題だが、考えれば方法はあるはず。 前のレースと期日が近い場合も日程的に無理。そうなると4月は中旬開催の「かすみがうらマラソン」になる可能性が高い。7月は「磐梯高原ウルトラ」に参加する予定。ただし来年は猪苗代湖一周の途中から布引高原へ登るようコースが変更される。これは14時間でもかなりきついだろう。 8月はレースを入れず、マラニック三昧で過ごす予定。宮城UMC主催の「薬莱山マラニック」のほか、リュックを背負っての峠越えを2、3度実行してみたい。これも体力があるうちだけの勝負だ。9月の「秋田内陸」は動かないだろう。来年もまた「チャレンジ賞」受賞に挑戦してみたい。そして10月は今年行けなかった「伊南川ウルトラ遠足」。どちらもコースや制限時間が厳しい100kmレース。 11月にもし走るとすれば「つくばマラソン」くらいか。これはフル。私は原則としてフル以上のレースにしか出ないことにしている。そして12月はレースを入れない公算が高い。これはあくまでも現時点での予定であり、場合によっては変更もあり得る。ただし、ハーフマラソンに出ないのは確かだ。こんな風にこれから出るレースを検討してる時が一番楽しい。それでもそろそろ妻の要請に従って、来年の計画を決めておく必要がありそうだ。<11月のラン&ウォーク>走行回数:24回 走行距離:240km ウォーク回数:毎日 ウォーク距離:138km(職場での80kmは含まず) 年間走行距離:2489km 年間距離合計:4340km これまでの累計:74,373km
2010.11.30
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大相撲九州場所は横綱白鵬が14勝1敗で17度目、今年5回目の優勝を果たした。2日目に稀勢の里に敗れて連勝がストップした時はそのまま崩れるかと思ったのだが、その後何とか持ちこたえた。これで年間の勝利数は86勝。勝率が95.6%もの高率なのはさすがだ。 一方千秋楽も本割で勝って優勝決定戦に臨んだ豊ノ島だったが、横綱の落ち着いた相撲に送り投げで敗れた。野球賭博で謹慎休場となって十両に落ちたものの、十両優勝で幕の内にカムバックし、2場所連続で優勝を争ったのは立派だった。技能賞、敢闘賞のダブル受賞は当然だろう。賭博に手を染めたことを強く反省していたようだが、上位に定着できる力士になって欲しいと思う。 白鵬の土俵態度には敬服する。たまに顔を張られてカッとする時があるが、大抵の場合は横綱相撲。日頃からの熱心な研究には頭が下がる。自分よりも連勝数の多かった過去の大横綱、千代の富士、谷風、双葉山について良く研究していたし、特に崇拝する双葉山に関しては、取り口や土俵態度についてまで学んでいるようだ。 夫人が日本人であることや相撲道を極めようとしている姿からは、彼がモンゴル人であることよりむしろ日本人であることを強く感じる。そして彼の後に続く日本人力士がいないのが寂しい。この差は当分埋まることはないし、きっと彼なら一人横綱でも慢心しないで土俵を務めるはず。 さて、「龍馬伝」が昨夜で終わった。海援隊を動かし、薩長をつなぎ、主君に大政奉還を説いて新しい時代の先駆けとなった若者が僅か30過ぎで命を落とした幕末。龍馬の命を懸けた働きがなかったら今の日本はなかったのだと、つくづく考えさせられた。武士の世を万民の世に創り直すための戦い。彼の破天荒な行動に共鳴する者もいれば、武士の尊厳を傷つけられたとして強く憎悪した者もいたのだ。 志は高くても、自らの栄達を望むことはなかった龍馬。彼の死が明治新政府誕生の僅か2か月前と言う事実はとても残酷に感じた。もう少し彼を生かして、新しい時代、新しい日本を見せてやりたかった気がするが、きっと龍馬にはその光景が見えていたのだと思う。武士でありながら全ての人の幸せまで考えていた龍馬。日本を愛し、西洋人に負けない日本人の姿を描いていた龍馬。 一方、龍馬の幼馴染である岩崎弥太郎の苦労と苦悩も、この大河ドラマで初めて知った。武士のプライドを捨て、どうしたら商売を繁盛させ、利益を上げることが出来るかを追求した弥太郎もきっと新しい時代に相応しい日本人だったのだろう。三菱財閥の創始者である彼が、あのような人生を送っていたことに驚いた。 来年の大河ドラマは「お江」~姫たちの戦国~ とか。それよりも私には「龍馬伝」に続いて日曜日に放送される「坂の上の雲」の続編の方が楽しみだ。幕末の動乱を乗り切った日本人が、明治になって世界とどう対峙したかが分かるからだ。江戸から明治になって、日本人の価値観はどう変化したのだろう。わずか150年ほど前のことなのに、明治も遥か遠くになった。
2010.11.29
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妻が午前中から走りに行った。「2時間以上走れるようになりたい」と言っていた妻。確かに練習で2時間以上走れるようになれば、かなり持続力はつくと思う。今日は11月28日(日)。香川のTANさんは「タートルフルマラソン」出場予定で、新潟の銀のねこさんは「角田山トレイルレース」出場予定のはず。 昨日23km走った私だが、今日も少しは走りたいと考えていた。1週間後の日曜日には「NAHA」マラソンを走っているはず。そしてその前日の土曜日には沖縄本島南部を30km走る予定。来週はスケジュール的に3回ほど帰宅ラン出来れば良い方なので、長距離の練習は今日が最後になるからだ。 寒い中で汗をかくため、長袖シャツにロングタイツにした。そしてコースはいつもの帰宅ランのコースを逆走することに。きっと逆向きに走ると景色の見え方や疲れ方も違うだろう。いつもの下り坂を登ると結構きつい。青葉城の手前からT大工学部方面に向かう。この坂も結構な登りだ。広大な工学部キャンパス内の何箇所かで工事中。 理学部手前で右折せず、さらにMK大方面に向かう。地下鉄青葉山駅の工事は塀が高くて見えない。ゴルフ場跡地では新キャンパスの造営工事中。馬術部厩舎裏から成田山へ出、亀岡の急な坂を下る。川内の国際会議場付近では文化財の発掘調査中。ここは仙台城の二の丸跡地で明治以降は陸軍の練兵場などがあり、戦後は進駐軍のキャンプがあったところ。 花壇から評定河原橋、霊屋橋を渡り、米ケ袋、土樋を経由し愛宕山に登った。途中でミッキー会長の自宅を発見。愛宕神社の神門で天狗と烏天狗の神像を初めて観た。仙台出身の詩人石川善助の詩碑とは10年ぶりでの対面。私がとても好きな詩が、それほど大きくない石に刻まれている。若くして死んだ詩人の言葉の一つ一つが強く心に響いた。 途中でパラパラと雨が降ったが、2時間13分ほどで帰宅。多分距離は17kmくらいだと思う。昨日と合わせて40km走れたので良しとしよう。レース前の良い練習になったと思う。妻の方は1時間40分走れた由。やはり2時間走るのは無理だったようだが、徐々にスタミナがつくと思う。 今日は大相撲九州場所の千秋楽。泣いても笑っても今日で今年の大相撲は全て終わる。1敗同士の白鵬と平幕の豊ノ島がどんな相撲を取るか。そして大河ドラマ「龍馬伝」も今日が最終回。今夜は1時間15分の特別番組になるとか。龍馬の最期はどうなのだろう。いずれにしても幕末に龍馬のような奇想天外な愛国者がいたからこそ、日本が救われたのだと思う。素晴らしい番組の終了を惜しみつつ、最終回を楽しみたいと思う。
2010.11.28
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昨日は歯科と内科を「はしご」した。歯科では歯石を取ってもらい、内科では診察を受けずに薬だけもらった。昨日は給料日。私はインターネットの接続料のうち、小遣いから6500円を負担している。それを歯科、内科、薬の代金と相殺して差額だけ妻に差し出す。「借金」がないのは気持ちが良い。そして愛犬の腹具合も治まって、昨夜は何の心配も無く安眠出来た。 昨日の大相撲は白鵬が魁皇を下した。魁皇も頑張ったが、所詮心身共に充実している横綱の敵ではなかった。広州アジア大会は相変わらず面白い。陸上やり投げは男女とも日本が金メダルを獲った。男子サッカーもUAEを下しての優勝。男子バレーボールも堂々の優勝だった。女子陸上の400mリレーは惜しくも銅メダルに終わり、福島選手の3冠はならなかった。 今朝も畑からレタスと大根を採る。朝食時には早速大根おろしにして食べた。ジューシーで甘い大根は煮物にしても美味しい。妻が裏のお宅に上げたら、「売ってるものより立派」と言われたとか。作った本人としてはとても嬉しい言葉だ。朝から果物にヨーグルトを食べ、バランスの良い食事。食後はお湯を沸かし、日本茶を飲む。 今日の広州アジア大会の目玉はマラソン。9時半から女子マラソンを観戦。日本代表の2人は共にクラブチームのセカンドウインドAC所属。こんなことも滅多にないだろう。レースは10km付近で早くも嶋原が脱落。加納はついて行ったものの18.6km付近で中国選手がスパートすると直ぐに置いて行かれた。 中国選手が十分に力を発揮して1,2フィニッシュだったのはさすが。実力に加えて地の利もあったのだろう。銅メダルだった北朝鮮の選手はまだ若く、今後の活躍が期待されそうだ。4位のインドネシアの選手がレースの途中で被っていたスカーフを捨てたのが印象的。イスラム教徒の女性は宗教上の理由で他人に肌を曝さないのだが、暑さにたまりかねてのことだろう。彼女は6日前に1万mをトラックで走ったばかりと言うから驚く。 嶋原がその後追い上げて5位、加納が7位に入ったが出場選手11人中なので、彼女たちにとっては失敗レースと言えよう。暑さ、地面の堅さなどが原因だろうが、それは皆同じ条件のはず。レース終了を見届けてから走りに行く。帽子を被り両手に手袋。下はランパンで上は半袖シャツ。穏やかな晴れの日は、一旦走り出すとそれでも暑く感じる。 坂道を登ると頭から汗。それでも来週走る沖縄の暑さを想定し、帽子と手袋は着けたまま。今日は汗をかく練習だ。山の上からは遥か遠くに牡鹿半島まで見えた。23kmを2時間16分で帰宅。まだ干してあった布団と洗濯ものを取り込んでから着替えし、遅い昼食を摂る。 テレビを点けるとアジア大会の男子マラソンを放送中。37km地点でスパートした韓国選手がぶっちぎりの金メダル。そして何と銀メダルはゴール寸前でカタールのシャミ選手をかわした北岡選手(NTN)が獲った。彼は今年の「びわ湖毎日マラソン」で初出場、初優勝した選手。それでアジア大会の代表に選ばれたラッキーボーイだ。だから今回がマラソン2回目。これで来年の世界陸上選手権マラソン代表の切符を手にしたことになる。 早稲田大学の斎藤投手じゃないけど、きっと「何かを持ってる」選手なのだろう。だが、それだけでは勝てない。実は日本選手のうち彼だけが、事前に現地でコースを視察したのだとか。銀メダルはそんな努力の賜物なのだ。新人でありながら用意周到かつ飽くなき挑戦心の持ち主の今後が楽しみだ。旭化成の佐藤智之選手は、出場選手22人中7位に終わった。こんな風に最後まで「広州アジア大会」には楽しませてもらった。
2010.11.27
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参議院本会議での仙谷官房長官に対する問責決議案が今日にも可決するとか。柳田前法務大臣はとんでもないことを言って実質的に罷免されたし、馬渕国土交通大臣に対する問責決議案も控えている由。官房長官問責の理由は、中国漁船による海上保安庁船艇衝突事件への対応の拙さなどのようだが、先日の「暴力装置」云々の説明には驚いたものだ。 「暴力装置」は自衛隊に対して使用したもの。ずいぶん古めかしい左翼的な表現だと感じたが、やはり「マルクスエンゲルス全集」に出て来る用語なのだとか。マルクス経済学はとっくの昔に破たんした理論だし、ソビエト連邦を初めとする共産主義国家の大部分はその後解体している。革命家ならそんな用語も必要だろうが、政権にあるものが使う言葉ではなく、見識が疑われても仕方がないところ。 外交問題でも経済問題でもなかなか次の手を打てない民主党。やはり彼らの実力はこんなものだったのだろうか。つい最近、小沢前幹事長が1年生議員を中心にした「小沢派」を再編成する動きが激しいようだ。政治資金問題で裁判沙汰になっている彼は、本来の「壊し屋」としての力を最大限に発揮する積りだろうか。政界最大の「暴力装置」の動きに注目したい。 北朝鮮のヨンピョン島砲撃には驚いた。たまたま漁民が漁に出ていたため死者が少なかったが、小さな島に80発もの砲弾が降ったのだから島民の驚きは大変なものだったと思う。情報によれば、北の将軍様親子が砲弾を発射した基地を数日前に訪れ、砲撃を命令したのが実態のようだ。先日の韓国艦船沈没事件と言い、今回の砲撃と言い、あの国はまさに東アジアの暴力装置そのものだ。 韓国は直ちに首脳会議を開き、国境の5島に対する軍備の強化を図るそうだ。そして人道的な立場から中国に預けていた北への支援物資を、直ちに回収する措置を採った由。民間レベルで行っている北の乳幼児への支援も今後は厳密に判断するとか。そして初動対応への遅れの責任を取って、国防相の辞任を決めた。国境を接しているからではあるが、我が国と比べて何と対応が速く、適切であることか。 歌舞伎俳優の市川海老蔵が頬の骨を陥没骨折し、前歯が欠ける怪我を負った。暴力を振るった相手は初対面で、暴走族と話していたようだ。この夜は本来舞台挨拶が予定されていたが、急遽体調不良と言う理由でキャンセルし、仲間と飲みに行って泥酔した挙句の事件だった。本人は日頃から酔うと態度が大きくなる癖があったとか。どうやら梨園の御曹司は、事件に巻き込まれ易い性向のお坊ちゃんのようだ。 大相撲界の暴力装置と言えば朝青龍だったが、彼がこの世界を去ってから既に久しい。今年最後の九州場所は2日目にして横綱白鵬の大記録が潰えたが、その後気持ちを切り替えて1敗を保っているのはさすがだ。驚くのは大関魁皇が同じく1敗の好成績。傷だらけの大関の奮闘に拍手を送りたい。さらに驚くのが平幕の豊ノ島。彼は今日も勝って12勝1敗。もし優勝すれば先場所の十両優勝との連続で初の快挙とのこと。結びの一番はその白鵬と魁皇が当たる。両者に勝たせたいところだが果たしてどうなるか。
2010.11.26
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過日の「宮城県駅伝競走大会」に参加した我が南仙台走友会チームが32位だったことを走友会のHPなどで知った。今年は精鋭を交え、事前にタイムに基づいて選手を選抜したとか。参加チームは大学や、実業団など全部で43チーム。きっと走友会として出場したのは少なかったはず。7区間54.7kmの長丁場にも関わらず、昨年の記録を5分以上縮めたのは立派の一語。選手のみならず、監督や応援された会員の皆様、本当にお疲れ様でした。 先日開催された「国際千葉駅伝」を最後の方だけ観ることが出来た。いやはや驚いた。何と大学選抜チームが外国勢や日本代表チームをかわして堂々の優勝だった。最終区間で学生選抜と日本代表が競り合っているところにケニアが追い着いて来たのだが、最後のスパートで見事な逃げ切りを見せたのにはビックリ。大学生チームの優勝はもちろん今回が初めての快挙だった。 連日の広州アジア大会だが、案外見応えがある。日本選手が活躍していることも大きいけど、中国との時差がさほどないため、良い時間帯にテレビで観られるのが幸いしてるのかも知れない。北朝鮮との決勝戦に勝った女子サッカーチーム、なでしこジャパンの優勝は立派だった。 男子も良く準決勝でイランに勝ったと思う。相手はオーバー25枠を3人も入れていたのだが、日本チームはロンドンオリンピックを意識し、全員が21歳以下だった由。今夜の決勝対UAE戦では、果たしてどんな活躍を見せてくれるか。陸上競技では室伏妹のハンマー投げと円盤投げの両方を観た。また女子100mの福島選手の優勝は見事だった。今夜の200m決勝で連覇がなるかどうか。 昨夜の男子バレーボール対韓国戦も見応えがあった。2セット先取されての逆転勝利には興奮した。ここ暫く韓国には負け続けていたとか。昨夜の勝利はきっと今後への自信につながると思う。スポーツだけでなく文化的な種目も設定されているようで、囲碁の試合があったのには驚いた。でも囲碁は中国、韓国、日本の3つ巴で結果は見えているだろうに。 既に競技は終わったが、カヌーの男子ダブルスカルで懐かしい名前を見つけた。銀メダルを獲った武田選手がその人。彼とは7番目の職場で一緒だった。と言っても当時の彼はまだ学部の学生でマラソン仲間。その彼がその後ボート競技に転向し、国体での優勝からアジア大会、オリンピック出場と腕を上げたのにはビックリ。もう40歳近い年齢になったはずだが、たゆまぬ努力で栄冠を勝ち取る姿には敬意を表したい。 来季は星野新監督の下で優勝を目指す我が東北楽天。岩隈選手とアスレチックスとの交渉が決裂したとのニュースには驚いた。双方の契約金額にかなり隔たりがあったとの報道がある。まだ期間は残されているが、もしだめならポスティングシステム適用で初の失敗事例になるようだ。来季大リーグでの活躍を望んでいた岩隈にとってはかなりの打撃だろう。 それ以上にショックが大きいのは楽天球団だ。今季は18億円と言う巨額の赤字を出した球団にとって、アスレチックスから入る15億円は喉から手が出るほど欲しかったはず。きっと岩本や松井稼頭夫との契約を控えて、密かに当てにしていたと思うのだ。それが一転破談になれば、岩隈への年俸も必要となる。 多額の赤字はいわば球団の自業自得の結果。あれだけ人気の高かった野村監督を、CSの最中に解雇発表と言う馬鹿なことをしでかし、今季は成績不振で入場者が激減したのだから。その反省か人気のある監督や元大リーガーを呼んだのは良いが、きっとその財源に苦慮していることだろう。岩隈選手の代理人である団野村氏が、野村監督の義理の息子なのは何とも皮肉だ。
2010.11.25
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また一つ謎が解けた。先週の土曜日のLSDで拾った実はヤマナシの実だった。ヤマナシはバラ科の高木で、秋になると直径2~3cmの実をつけるという。そしてその実はやはり果物の梨の元祖の由。山中で育つ木のようだが、あれは民家の庭先に植えられていた。きっと山から採って来たのだと思う。 ネットで注文していた沖縄出身の版画家である名嘉睦稔(なか・ぼくねん)の来年のカレンダーがようやく届いた。縦型のかなり大きなもので、表紙を入れると全部で13枚の版画が綴られている。いずれも沖縄らしい色遣いだ。表紙はひまわり。1月「降臨連飛」。2月「花咲く島道」。3月珊瑚華華二「流下」。4月「月夜の踊り」。5月「五月晴れ」。6月「いいときに花開く」。 7月「南の緑門」。8月「馨しき森」。9月「白南風の向日葵」10月「191:アバレルカラ」。11月「月の路」。12月「山鳴」。1枚ごとに入っている作者のサインは印刷だ。残念ながら、1枚ずつ切り離さないと「次の月」が出て来ない仕組みになっていた。仕方が無いので切り離した後は、1枚ずつ額に入れて鑑賞しようと思っている。 久しぶりに雑誌「ランナーズ」を買った。1月号の記事を読むというよりは、付録の「ランナーズ・ダイヤリー」が目的だった。他のランニング雑誌にも付録の日記がついていたが、こちらの方が慣れているせいか分かり易くて便利。これに毎日の走った(歩いた)距離、コース、かかった時間を書き込み、月間、年間、累計の記録を残している。巻末の2012年のカレンダーは、早めに参加レースを検討する際に重宝だ。 今日は沖縄本島南部の地図をコピーした。これはNAHAマラソンの前日に本島南部を30kmほど走る際にメモを書き込むためのもので、余白を十分に空けてある。このメモが後日完走記を書く際の参考資料になる。実は3枚に分けた沖縄本島の巨大な白地図があるのだが、過去2回の縦断走(西海岸及び東海岸)時のメモでほとんど埋まって書き込む隙がないのだ。 そんな風に少しずつ準備を進めているのだが、心配なのが体調。12月2日(木)から翌日までに3連続の勤務となってしまったためだ。2日が早番と遅番。そして3日が早番。4日(土)は沖縄到着を早めるため、早朝の福岡経由便と休む暇がない。このため3日(金)夜の宮城UMC忘年会は、残念ながら欠席させてもらうことにした。 もう一つの心配が愛犬の体調。昨夜も未明に起こされ、結局2時過ぎからほとんど眠れなかった。原因は餌の変化による下痢の可能性が高そう。兎も角寒い真夜中に起きて暫く彼に付き合うのは草臥れる。妻も眠れなかったようで、睡眠薬のお世話になったとか。私は4時間半ほどの睡眠だったが、今日も寒い中を走って帰った。果たして今夜は安眠出来るかな。
2010.11.24
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今日は昏い日だ。おまけに雨も降っている。どういう積りなのか、妻は朝から換気扇の掃除を始めた。だが油で固まったのか、枠が外れない。そんな状態がここ数年続いている。家を建ててからもう13年目。きっと換気扇も寿命なのだろう。そう言えばインターフォーンは今年新しいのを買った。 あれは何だったのだろう。昨夜も愛犬が吠える声で目覚めた。パジャマのまま彼をつないでいるガレージまで行き、リードを解いてオシッコをさせた。その後、いつものように玄関に入れたのだが、夜半再び吠えた。玄関を開けて愛犬を外に出したが、どうも彼の様子がおかしい。ゆっくりゆっくり家の周囲を歩くばかり。その様子はまるで徘徊老人みたいだった。 少し前から食べた草を吐くことがあった。そしてその後に、餌の配合を変え、本来の1種類だけに戻したのだ。これまで草を食べても吐くことはほとんどなかった。それが立て続けに3度吐いた。餌の配合が変わって、ウ○チが少し軟便になった。ちょっとした変化で腹具合が悪くなる、案外繊細なところがある我が家のマックス。 だが、あの行動はどうみても異常。その後も何度か吠えたが、私はもう起きなかった。朝になってみると、彼は大人しく玄関に座っていた。いつもなら私の顔を見ると、散歩が出来ると喜んでジャンプする元気な犬なのだが。彼の体調にどんな変化があったのだろう。それともこれが加齢の予兆なのだろうか。 あれは何だったのだろう。昨夜の夕食時、珍しく胃の調子がおかしかった。重苦しい痛みと圧迫感。一つ考えられるのが消化不良。目下歯が2本抜けたままなのだ。それをいつものスピードで食べたため、食べ物が良くこなれなかったのだろうか。結局消化の良さそうなものをゆっくり時間をかけて食べ、アルコールは飲まなかった。晩酌と言っても焼酎の薄い水割りを1杯、食事と共にとるだけなのだが、それも我慢し胃薬を飲んだ。 その後もげっぷは続き、風呂の中ではガスも出た。それで少し胃の具合も良くなり、床に就いたのだが、今度は夜中に愛犬に起こされたのだった。今朝も朝食をゆっくりと食べた。どうやら胃の具合は悪くなさそう。我々パートタイマーの健康診断には胃の検診はなく、造影剤を飲んでの撮影も暫くやっていないが、やはり加齢を考慮して受診すべきかどうか。 先日近所に住むT君からF君が亡くなったことを聞いた。共に2番目の職場の後輩で、野球部の仲間。ガッチリした体格のF君はキャッチャーで、当時から太っていたT君はセカンドだった。因みに足の速い私はセンター。F君の死因は心筋梗塞で亨年61歳。40年ほど会ってないが、まさかあの元気だった彼が若くして死ぬとは。奥さんの顔も含め、思い出すのはみな若かりしころの顔だ。 T君は目下水泳をしてるとか。太めの彼はグランドゴルフで膝を傷め、ドクターに減量を勧められたようだ。彼が無理なく出来る運動は水泳なのだろう。命あるものに死はつきものだが、生きている限りは極力健康でありたいと願う。さて、これから老後とどう向き合い、心身の健康をどうやって守るかが切実な問題だ。
2010.11.23
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湯神社に立ち寄る。境内の片隅に古い石碑。彫った字が掠れて読めなくなっている。説明板によれば奈良時代に時の天皇が皮膚病で苦しんでいた由。霊験あらたかな名取御湯(当時の呼称)に入ったところ、たちどころに快癒したとの説があるようだ。皇室が入った歴史的に古い温泉は、兵庫の有馬温泉と愛媛の道後温泉が有名だ。遠く離れた都からわざわざここまでやって来たとは思えないが、古い温泉であるのは確かなのだろう。 少し先のスーパーの前が大混雑。ここの店は「おはぎ」が美味しいことで有名だ。わざわざ車で買いに来るのか駐車場が満杯状態。先日テレビの全国放送で紹介しているのをたまたま観たが、きっとあの影響も大きいはず。秋保里センターでトイレ休憩し、ペットボトルに水を補給。 名取川の奇勝である磊々峡には寄らず、県道を真っ直ぐ進む。新しい歩道を作るための工事がかなり進んでいる。天然の秋保石のアーチを潜って谷川が流れる。秋保電鉄が通っていた頃を彷彿とさせる残り少ない場所だ。農家の軒先には大量の干し柿。いかにも晩秋らしい風景に心が和む。 道端に何かが落ちていた。直径2cmほどの小さい実だ。これがひょっとして「サルナシ」だろうか。猿が木の窪みに蓄えたサルナシが自然に発酵して酒になったのを、たまたま見つけたのが日本人が酒を知ったきっかけと聞いたが、あれは確かキウイの仲間だったはず。これは小さいけど色も形も梨そのもの。一体何の実なのだろう。 さほど傷んでない実を2個拾ってポシェットにしまった。帰宅後皮を剥いて試食してみたが、とても堅くて舌触りが悪い。甘みも乏しかったが、ちゃんと梨の味はした。きっと果物の梨の祖先だろう。国道286号線との合流地点を過ぎてから、生出への旧道に入る。 喉が渇いて来たが水は飲みたくない。自販機で缶入りのスポーツドリンクを買い、ペットボトルに移す。冷たくて甘みのあるスポーツドリンクだと簡単に体が受け容れる。あっと言う間に半分ほど飲み干す。目の前に珍しい姓のお店。2番目の職場の学生がこの集落の出身で同じ姓だった。もう40年以上も前、学生に混じって日本史研究のクラブに入っていた頃の話だ。 午後3時過ぎにようやく帰宅。休憩した時間などを除き5時間20分もかかったが、何とか無事に走れて一安心。翌日の日曜日も上天気。妻は友人と連れ立って絵を描きに出かけた。これは良い。再びLSDをと思ったのだが、自転車に乗った時膝に痛み。やはり久しぶりの長距離で膝に来たようだ。 しばらく様子を見、午後3時過ぎから近所の坂道へ走りに行った。日が陰ると半袖では寒く感じた。膝の調子はまあまあで、ゆっくりとなら大丈夫。だが、冷えたせいか腹痛が起き、1時間ほどで敢え無く退散となった。12月初旬のNAHAマラソンまで、後1回はLSDを敢行したい。 今日はツーリストに寄り、チケットの残金を支払って来た。ついでに郵便局で来年6月のレース「いわて銀河」のエントリー料も振り込んだ。帰宅するとNAHAのゼッケンナンバー通知が届いていた。少し大きいナンバーだが、今回は6時間15分かけてゴール出来れば良い。レースの日まで、何とか良いコンディションを保ちたいものだ。
2010.11.22
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八幡町から葛岡へ抜ける。文殊菩薩堂手前の小さな橋が補修中。広瀬川の両側は紅葉の真っ盛りだ。国道48号線に沿った「四谷水道」が時々右側に見える。郷六付近で広瀬川から取水しているようだが、川と道路にはかなりの高低差があるはず。どんな仕組みになってるのか、竹藪に隠れて分からない。 生瀬橋を渡らず県道を直進。眼下に広瀬川の澄んだ流れ。暫く行くと権現森への登山口が見えた。ここは仙台市民のハイキングコースのようだ。橋を渡って国道457号線に出、JR陸前落合駅前から左折して栗生へ。途中のラーメン店はまだ12時前なのに長蛇の列。よほど美味しいのだろう。国道48号線の西道路から右折して西へ向かう。 蕃山(ばんざん)、西風蕃山(ならいばんざん)の紅葉がきれい。ここも大梅寺からのハイキングコース。愛子付近から錦が岡方面へは向かわず、サイカチ沼経由で秋保へ向かうことにした。諏訪神社の境内で休憩。ここには元々山神があっただけだが、源頼朝が奥州戦争で平泉の藤原氏を討伐する際に、戦勝を祈願したところらしい。戦に勝った頼朝は、早速家来に命じて社殿を建立させた由。裏山には山城の跡があるようだ。 蒸しパンとミカンを食べて出発。気温は結構高いのに喉はほとんど乾かず、ペットボトルの水がほとんど減らない。山道に入ると急に空気が冷たくなった。やはり長袖にして正解だった。徐々に高度が上がる。ようやく月山沼が見えて来た。落葉が進んだため沼の全容が見渡せる。宮城ナンバーの他に山形ナンバーの車が道端に。釣り客が静かな湖面に釣り糸を垂れていた。 サイカチ沼にはさらに釣り客が多い。昨年この周辺まで来た時、警察に止められた。道路工事中と言うので脇を通らせてくれと粘っていたら、ようやく警察手帳を示した。暴力団による「死体なき殺人事件」の捜査現場だったようだ。山林を掘って死体を探していたのだろう。ここから引き返して錦が岡へ逆戻りしたせいで、42kmの予定が50kmの練習になったのだった。 今回も足止めがあるかと心配したが、何事もなく無事通過出来た。ここを通ったのは何年振りだろう。美しい紅葉に別れを告げ、ひらすら県道との合流点を目指す。こんなに狭く貧弱な道がかつては県道だったことに驚く。県道に出ると間もなく「峠」の頂上。ここから遥か前方の奥羽山脈を一望する。大東岳、仙台神室、蔵王連峰などの懐かしい眺め。 そこから道は一気に秋保温泉へと下る。温泉手前のコンビニでお握り2個を購入。稲刈りが終わった田圃の脇で昼食タイム。昆布と鮭入りのお握りは、海苔がとても美味しかった。そして水はまだ十分残っていた。どうやら足は何とか大丈夫のようだ。ここが約30km地点。橋を渡って秋保の元湯に向かう。新しい歩道橋が完成していた。<続く>
2010.11.20
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今朝も目覚めはゆっくりだった。このところ真夜中に愛犬が吠え、その都度起こされていた。きっと寒さが厳しくなったため、オシッコが近くなったのだろう。それで昨夜は玄関に入れた。案の定大人しくしてくれたため、私もグッスリ眠れたと言うわけ。散歩に行く前、畑から春菊とレタスの葉を摘む。レタスは株ごと抜かないで外の方から葉をちぎれば、長い間食べられる。 朝食後連続ドラマを観、新聞を読んだ後は再び畑へ。先ず堆肥の切り返し。1週間ほど空気に曝したせいか、もうほとんど悪臭はない。次に白菜の葉をビニールひもで結束。葉が巻き易くなるが、寒さ対策でもある。邪魔な葉は取り去り、隙間に鶏糞と化学肥料を追肥し、如雨露で水を撒く。玉ネギの苗が何本か枯れたため東の畑から移植し、散水。最後にサンザシの実を10個ほど拾い、肉料理には重宝と妻に教えた。 やるべきことは終えた。これから長距離を走ると妻に告げる。今日はとても天気が良さそうだ。洗濯ものを干し終えた妻も走りに行くとのこと。ここ数日腰が痛かったようだが、新聞に載っていた「腰割り」をしたら軽快した由。それなら好都合、何も気兼ねは要らない。早速支度をして走り出す。 コースは既に決めていた。愛子から秋保温泉に抜けて一周する42km。2週間後に沖縄で苦しまないためにも、それくらいの距離は走っておく必要があるだろう。国道286号線に出て愛宕橋方面に向かう。長町中学校まで来た時、前方に見覚えのある後姿。帽子の色から判断してあれはEちゃんか。で、横を走ってるのはYちゃんだろう。追い着くとやはり走友会の仲間だった。 10月の「伊南川ウルトラ遠足」で、Eちゃんは50kmでリタイヤした由。それでも厳しい山道を登れたことに満足していた。紅葉がとても良かったようだ。リタイヤした選手が全員現金を持ってなかったため、大会本部が急遽マイクロバスをチャーターしてくれたとか。海宝さん主催のレースらしい話だ。 一方のYちゃんは15時間30分ほどかかったものの無事完走。最後の4時間は懐中電灯のお世話になったとか。Eちゃん以外の仲間は全員完走したようだ。「来年はAさんも参加したら良いよ」と彼女達。「そうだね」と私はうなずいた。既に太白山方面を1時間半ほど走ったと言う2人は、これから大年寺の石段を登るとか。その門前で別れ、再び単独走になった。 愛宕大橋を渡る。先日K野副会長のHPを見たら、広瀬川に架かる市内の橋を往復したレポートが載っていた。眺めの良い川辺を走るのもきっと楽しいだろう。いつか挑戦してみたいものだ。土樋から左折して米ケ袋へ出、霊屋橋、評定河原橋を渡る。橋の上から川を覗いたが鮭の姿はない。もう遡上の時期は過ぎたのだろう。グラウンドのイチョウが見事に黄葉。 大橋の手前で大柄のランナーに抜かれる。歩幅が私とはかなり違う。あれじゃ抜かれるのも無理はないと思いつつ後を追う。大橋の上で反対側の歩道へ。彼は追廻住宅前の信号で止まった。国際会議場側の私は既に信号を渡り川内方面に右折。さらにT大教養部方面に渡る。後から追い駆けて来たが私の方が常に先行。どうやらレースの経験が少ないため、コース取りが下手なようだ。 澱橋を渡って小公園の中を左折し、広瀬川河畔の道へ出た。ここは1kmほどタータン状の道で、とても走り易い場所。暖かさに誘われたのか、大勢のランナーがここで走っていた。広々とした景色。天気は上々で風も無い。シューズはいつもの重たい練習用ではなく、軽いレース用のもの。嫌でもペースが上がる。牛越橋の河原では、芋煮会をしてる人の姿が見えた。右折して大崎八幡神社への坂を登ると、大きな鍋を抱えた若者の群れ。どうやら彼らも芋煮会に行くようだ。<続く> 注)タイトルのLSDとはLONG SLOW DISTANCEの頭文字で、長い距離をひたすらゆっくり時間をかけて走る練習のことです。決して怪しい薬のことではありませんので、お間違いのないように。
2010.11.20
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「すみのびあいあい」。そう読んでみたけど、どうも意味が通じない。一昨日届いた版画のタイトルだ。原題の「隈之美藹藹」を昨夜ブログを書いた後、もう一度考えてみた。隈は阿武隈川の「くま」とも読める。之は「の」で良いだろう。美は「み」とも読める。合わせると「くま・の・み」となる。藹藹(あいあい)はそのままでも良いはず。 分かった。くまのみはきっとクマノミのことだ。スズキ目スズメダイ科の魚で、サンゴ礁に棲む魚。25種が知られているが、日本近海に棲むのはこのうち6種だけのようだ。サンゴイソギンチャクとの共生でも有名。クマノミは歌舞伎の化粧法である「隈取り」から来たとの説もあるとか。それだけ派手な模様を身にまとっている。 版画には幾つかのサンゴが見える。その周囲を乱舞する魚達。その多くはクマノミか。きっと豊饒な沖縄の海を描いたのだろう。画面の中央には2人の男女。これはきっとアマミキヨとシネリキヨだろう。日本のイザナギノミコト、イザナミノミコトに相当する沖縄の神だ。アマミキヨのアマミは海洋民族であることを表わし、奄美にも通じる。沖縄の海、ひいては沖縄の地が永遠に豊かであって欲しいとの願いが込められているのだと思う。これで疑問の一つが解けた。 我が家の庭に赤い実をつけた低木がある。サンザシだと妻は言うが、私のイメージの中にあるサンザシとはどこか違っていた。 この道はいつか来た道 ああそうだよ サンザシの枝も揺れてる この歌のサンザシは風で枝が揺れるくらいだから、かなり大きな木だと思う。だが我が家の木は40cmほどしかない。それに中国のお土産でサンザシのお菓子を食べたことがあった。棒状の平たく甘いお菓子だ。だが、我が家の赤い実は堅く、ほとんど匂いもしない。本当にこれがサンザシなのだろうか。疑問に思った私はインターネットで調べてみた。 サンザシはバラ科の落葉低木で、高さは1.5mほどに成長するようだ。中国では乾燥した実を漢方薬として用いる。中国名は山査子。果実を潰して砂糖や寒天と混ぜ、棒状にした中国のお菓子がシャンザーズガオ。シャンザーズがサンザシに当たる部分で、私が食べたお菓子はどうもこれのようだ。実はジャムにもなるし、肉や魚を軟らかく煮る時に役立つとか。これで2つ目の疑問が解けた。 今夏、私は幾つかの峠越えを敢行した。「崩壊の二口峠越え」は3つ目の峠越えをした際のレポートだが、9月16日のブログを見たgoing soloさんがほぼ2ヶ月後にコメントをくれた。何と私のブログを参考に、マウンテンバイクで二口峠まで登ったようだ。数年前に山形県側で発生した大規模の土砂崩れ現場にも遭遇し、ほうほうの体で脱出した由。まさかあの現場に居合わせた人がいたとは。 彼は関山峠を越えて山寺から二口峠を越えた経験を持つとのこと。そこで関山トンネルを走って抜けられるか尋ねてみた。トンネル内には狭いけど歩道はあるとのこと。背中を張りつけるようにして進めば行けないことはないとの貴重な情報を得た。トンネルもそうだが、国道48号線の県境付近はとても道幅が狭く危険。厳しい状況に変わりはないが、来年あたり決行してみる価値はあると見た。これで3つ目の疑問が解決した。 インターネットでの情報が3つの疑問解決につながったことに、不思議な縁を感じてならない。疑問は他にもあり、今後も発生するはず。直ぐに解決する疑問もあれば、解決に歳月を要するものもあると思う。だが、自分に答えを求める気さえあれば、疑問は必ず解ける日が来る。面白きかな人生。そして楽しきかな人生。
2010.11.19
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昨日の夕方、画材屋さんが名嘉睦稔の版画を届けてくれた。待ちに待った作品をようやく自分の部屋に飾る。版画の大きさは縦28cm?横52cm。それを収めた額縁は2回りほど大きい。タイトルは「隅之美藹藹」。「すみのびあいあい」とでも読むのだろうか。藹藹は茂るさま、盛んに多いさま、心の和らぐさまを意味し「和気藹藹」のように使われている。 中央に「太陽の塔」のような顔の人物が2人。その周囲をたくさんの魚達が泳いでいる。ブルーを中心にした色調で、元々ポスターとして作られたようだ。何とも不思議な雰囲気が漂う版画。海洋博記念公園の「ちゅら海水族館」と関係があるかどうか。作品の右下に鉛筆で作者のサインがあった。 平成元年4月から3年間、私が沖縄に勤務した当時の彼はまだ売り出し中の版画家だった。南の島の豊かな自然を、極彩色を使って表現していたような印象がある。ところが今回購入した版画は形はより抽象的になり、色彩もかなり落ち着いたものに変わっていた。伊是名島出身の第二琉球王朝始祖尚円王の彫像も彼の作品とか。私が沖縄を去ってから20年近くになるが、彼は芸術家としてかなりの変貌を遂げたのだろう。 その沖縄へ行く日が近づいて来た。12月4日(土)は仙台発福岡行きの飛行機に乗り、乗り継ぎ便で早めに那覇空港へ。先ず「NAHA」マラソンの受付を済ませてからホテルに行き、その後タクシーで旧具志頭村へ移動。そこから本島南部を半周して与那原町までの30kmを走る予定。残りの5km、具志頭三叉路から摩文仁平和祈念公園までは翌日の「NAHAマラソン」本番で走る。これで3年がかりでの「沖縄本島一周単独走破」を達成する予定。 今日の帰宅ランは上下とも黄色にした。ランパンはハイビスカスの柄が入ったもの。半袖Tシャツの背中には「会津魂」の墨痕。「幸せの黄色いパンツ」作戦とでも名付けようか。こんな風に少しずつ沖縄で走る気持ちを高めている。少し心配なのがナンバー通知表がまだ届かないこと。帰宅してパンフレットを確認したら、今月下旬に発送するようだ。ついでに今回の「沖縄本島一周」と「NAHAマラソン完走10回目」の話をハガキに書き、主催の新聞社あてに投函した。 もう一つの心配はツーリストへの支払い。さっぱり請求がないと思っていたら、来週初めに残金を持参してチケットを受け取る段取りになっていた。これで一件落着だが、果たして12月でも暑い沖縄で、連日30kmとフルを走れるかどうかが残された心配。2回ほど少し長めの練習をして臨めば何とかなるとタカを括るしかない。冒険に挑戦する際に多少の不安は避けられないこと。そしてそれを乗り越えた時、喜びは倍増するのだ。
2010.11.18
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数日前の夕方、玄関で声がした。夕食時に妻に聞くと、義兄が野菜を届けてくれた由。ビニール袋にたくさん入っていたチヂミ菜は、結構大きく育っていた。我が家の白菜も、そろそろ紐で縛る時期が迫ったようだ。お向いさんからはラ・フランスと柿をいただいた。旅行した際はお互いにお土産を買って来る仲。果物は大好きなので大歓迎だ。 10番目の元勤務先から、郵便物が届いた。創立20周年記念誌だった。冊子の厚さはさほどでもないが、良く出来た内容だった。勤務したのはわずか1年。それでも役職者の欄に当時の職名と私の名前が掲載されていた。色んな面で苦しかったあの1年間でどれだけ私が役立てたのか考えると冷や汗ものだが、過ぎ去った日とはそう言うもの。当時の上司が4代目の学長になっていた。温厚な人柄を懐かしく思い出す。 喪中ハガキが届く季節になった。4番目の職場の上司の奥様からいただいたハガキで、かつての上司が今年79歳で亡くなったことを知った。10年間勤めた懐かしい土地。3人の子供達もあそこで大きく育ったのだ。転勤族の喜びと苦しみを、今さらのように思い出す。 職場の後輩の父上が亡くなった由。そこを去ってもう26年になるが、未だにその時の仲間と年1回麻雀を楽しんでいる。それも今回は喪中のために中止になった。年々増える喪中ハガキの枚数。そろそろパソコン上の住所録を整理すべきかも知れない。こちらが出している人から年賀状が来ないことも多くなったためだ。寂しいがこれも人生の一面かも。 9月に受けた健康診断の結果が届いた。暑かった8月から9月にかけて、峠越えなどであれだけ体を酷使したのに今回は全く異常なし。健康そのものの「お墨付き」には自分でも驚いた。やれやれ一安心。でも油断は禁物。これまでと同様に運動、栄養、休養などを心がけたいと思う。帰宅後一番に検診の結果を妻に報告。私が健康でいられるのも、妻によるところが大きいからだ。 そして今日は待ちに待った荷物が届く予定。名嘉睦稔の版画がそれだ。そろそろ部屋を片付け、額を飾る準備をしておこう。そしてその後には、別途彼のサイン入りのカレンダーも届くはず。好きな版画に囲まれて眠るのはどんな気分だろう。きっと緑豊かな沖縄の夢が見られるのではないか。
2010.11.17
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先週末は仙台でも黄砂が降ったようだ。第1現場の役職者を送り迎えするハイヤーにも、うっすらと黄砂が積もっていた。そして懸案のAPECがようやく終わった。アメリカ、ロシア、中国、韓国などの首脳が横浜に集まり、これからの方針について協議したようだが、あまり進展はなかったように感じた。 会議終了後、オバマ大統領は子供のころに訪ねたことのある鎌倉へ行き、抹茶アイスを食べたとか。そしてさほど手腕を発揮出来なかった菅総理に代わって、夫人の方は外国の首脳夫人と交流を深めたようだ。春先からAPEC終了までの間ビルの出入り口に張っていた「特別警戒中」の張り紙をようやくはがすことが出来た。 昨日の夕方、散歩から帰る途中に寒さを感じた。これはいけない、外に出している植木鉢を急いで室内に取り込もう。そう思って帰宅すると、妻がシャコバサボテンの植木鉢を玄関に入れていた。どうやらお向いさんが忠告してくれたようだ。先ず2階の日当たりが良い部屋へビニールを敷き、次に植木鉢を置く受け皿を用意。 最後が植木鉢の掃除と移動。底の土を落とし、伸びた根を鎌で切り、植木鉢を雑巾で拭いてから2階へ。ゴムの木、ハイビスカス、シャコバサボテン、ゼラニウム、オリヅルラン、ノボタン、シンビジューム、クリスマスローズ、クンシラン、シクラメンなど合わせて20鉢。作業を終えた頃には、すっかり汗だくになった。 大相撲を見ながら夕食。結びの一番では、稀勢の里がやる気を感じさせながらも落ち着いていた。一方63連勝中の横綱白鵬は、いつもと違って「軽い」感じ。「お母さん、白鵬は負けるかも知れないよ」と言っているうちに負けた。稀勢の里に頬を張られ、カッとした横綱は体勢が悪いのに無理に攻めた。そこに上手く体を密着させた稀勢の里は、終始攻め続け堂々の寄り。横綱はたまらず土俵外に転落した。 白鵬が前に54連勝でストップした時も破ったのが稀勢の里。きっと日本人力士としての意地があったのだろう。だが、彼が今後優勝争いに加わるかどうかは別問題。場所2日目にしてあまりにも大仕事をしたため、息が続かないことも考えられる。モンゴル出身でありながら、大横綱双葉山を手本にするなど日本人の魂を持った白鵬の連勝記録がストップしたのは残念だが、若い彼のこと、きっと今後も記録更新に挑戦すると思う。 前日の予報だと今朝の仙台は2度とのこと。だが4時半現在で5.5度あった。厚い雲のせいで、放射冷却現象が起きなかったのかも知れない。それでも最高気温は10度を割ったと思う。半袖Tシャツでの帰宅ランでも結構汗をかいた。昼食後、郵便局へ行って振り込み。これは名嘉睦稔の大型カレンダーの料金。作者のサイン入りであることや、13枚の版画があるのが楽しみだ。 帰宅後は歯科医へ。今日は前回治療した箇所の確認のほか、炎症を起こしている新たな部分を診てもらった。3日後の次回は全ての歯周ポケットを検査し、全ての歯のレントゲン撮影をする予定。良心的な歯科医で、写真を見せながらの説明がとても丁寧。良い先生に巡り会えて幸いだった。季節はこれから冬に向かうけど、心はほんのり暖かくなった。
2010.11.16
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タイトルの字がつぶれているけど読めますか~?「bakubaku」ではなく「pakupaku」。今日はパクパクと口を開けて、果物を食べる話です。 女房がリンゴを買って来ました。黄琳(おうりん)つまり黄色いリンゴです。彼女、昨日は仲間と絵を描きに行きました。そのお土産に買ったのです。果物、我が家では大好きですよ。今あるのはリンゴ、柿、ラ・フランス(洋ナシ)、ミカン、そしてバナナ。冷蔵庫の中にはイチジクのワイン煮も入っています。 女房は歯応えのある硬いリンゴが好きなようです。私は種類は問いません。また軟らかいのでも食べます。ちょうど歯が弱ってるので、軟らかいのでも十分美味しいんです。リンゴは血圧を下げる効果があるようです。カリウムが多く、塩分を体外へ排出するため血圧が下がるんですねきっと。高血圧の人が多い東北でも、リンゴ農家の人は良くリンゴを食べるため、長生きなんだそうですよ。 ミカンもこれからがシーズンですね。簡単に食べられるし、ビタミンCが豊富で良いですね。長女が四国で暮らしているため、良く柑橘類を送ってくれます。無くなると女房が娘に電話して送ってもらっているようです。四国は柑橘類の宝庫。色んな種類がありますよ。甘みの多い種類からさっぱりした種類まで様々です。私は八朔(ハッサク)などが好きですね。 今年は柿もたくさん食べました。まず我が家の甘柿。仙台は甘柿の北限地らしく、あまり美味しくはありませんが、無駄にせず落ちたのまで食べてます。渋柿が熟したのも美味しいですよね。渋柿の木の下に落ちている立派な熟し柿。ほとんど傷がないのはもったいないから拾って来ます。今はベランダに干し柿を吊しています。仙台では正月料理の「なます」にもこの干し柿を入れていました。きっと昔は甘いものが少なかったためでしょうか。 ラ・フランスはお隣の山形県で作っている洋ナシの仲間です。でも普通の洋ナシとは全然美味しさが違います。堅いうちはまだ早い。暫く放置しておき、触ると表面が軟らかくなり、良い匂いがするようになったら食べごろですよ。これがトロリとした食感で、表現出来ないほどの美味しさ。たまりませんねえ。本場では高いのですが、値段の安い小ぶりのものでも十分美味しいですね。 「これ食べられるよ」。女房が私に手渡したものを見ると、ナツメのようでした。秋の初めごろに実っていました。食べられるのは知っていたけど、食べるのは初めてのこと。青い実を齧ると、リンゴのような味がしました。「へえ~っ、こんな味だったのか」と思わず感心。お家や公園でも実った実を良く見ます。ナツメヤシという木もあるけど、あれとは木が違いますね。 裏の家に大きなクルミの木があります。毎年初秋の頃から大量の葉が、我が家に落ちて来るんです。時々文句を言うのですが、あまり効果がありません。今年はさらに強い口調で迫ったら、仕方なく枝を申し訳程度に伐りました。でも大分我が家に枝が伸び、相変わらず大量の落葉。先日その下にクルミを1個発見。試しに金槌で叩くと簡単に割れ、その後は手でも割れました。どうやら鬼グルミではなく西洋クルミだったようです。味は淡白でしたが、しっかりクルミの味がしました。 裏道でムベを1個拾いました。壁に這わせているお宅があり、秋には大量の実が実ります。ムベはアケビの仲間ですが落葉はせず、常緑の葉をつけています。実は赤紫色。葉も実もきれいな色なので、鑑賞に適しているのでしょう。実はアケビのように開かず、閉じたままです。でも切り開けば食べられます。ちょうど葛湯のようなほのかな甘さです。 カリンは良い匂いですね。漢字で書くと花梨。バラ科の落葉樹で、古い時代に中国大陸から伝わったとか。カリン酒は喉の薬になりますよね。生食は出来ないけど、砂糖漬けにしたら食べられるようです。秋田県旧森吉町の名物のマルメロは、何とカリンの別称みたい。今度落ちていたら拾って来ようかな。何だか食べる話から、最後はまたまた拾う話になりましたね。
2010.11.15
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妻が私が寝ている部屋へ入って来た。洗濯ものを干すためだ。それですっかり目が覚めた。2日続けての8時間睡眠。これでかなり疲労は取れたはず。慌てて飛び起き、愛犬との散歩。妻はもう出かけていた。今日は油絵の仲間との写生会。今年最後の写生は、やはり蔵王方面に行くらしい。 散歩から帰宅後、急いで朝食。今日は町内会の草刈り。これも今年最後で、午後からは町内会主催の芋煮会もある。鎌を持って集合場所に指定された公園に行ったが、雑草はなく大量の落ち葉ばかり。それにしても同じ班のメンバーが誰もいない。竹箒を取りに家に戻る途中、バス停の前で草刈りをしている班のメンバーを見つけた。 いつもの場所で、いつものように草刈りをする仲間。数は少ないけど、気持ちが通じるせいか気楽に作業が出来て良い。雑草と落ち葉を集めて袋に詰め、30分ほどで作業を終了。帰宅後は朝食の続き。ヨーグルトや果物を食べ、お茶を飲む。最初に飲んだお茶はシイタケ茶。コショウが入った珍しい味だった。 政治番組は連日続く国際会議や、中国船衝突映像流出事件が話題の中心。菅総理の表情は相変わらず硬い。中国の胡主席との会談でも笑顔はなく、短い挨拶ですらメモを観ながらのものとは情けない。また一層支持率が下がった由。ビジョンも定見もなく手詰まりの外交問題に加えて、厳しい財政問題など国内状況も悲惨だ。どうなる民主党。どうなる菅政権。 結局今日は町内会の芋煮会へもランニングへも行かずに、テレビ三昧。昼食は激辛ラーメンを作り、午後は政治番組の合間に囲碁と女子駅伝を観る。昨日買った名嘉睦稔の版画だが、気になって彼のHPを観ると、来年のカレンダーを売り出していることが分かった。もちろん毎月の暦1枚毎に彼の版画が入ったもの。出来ればこれも買いたいと思い、メールを出した。 日が陰る前に洗濯ものを取り込み、夕食用の米を研ぐ。何もしなかった今日一日。せめて夕方の散歩くらいは長めにしよう。そう思って愛犬と近くの山道を訪ねた。木々の葉は見事な紅葉。久しぶりのコースは、すっかり秋の装いだった。朝と夕方の2回合わせて5kmの散歩になった。帰宅後苦労して書いたブログは、何故かちょっとしたはずみに消滅。時にはこんなこともある楽天ブログだが、困るんだよなあ。 白鵬は九州場所初日の今日も勝って63連勝。双葉山の大記録69連勝まで後6勝で並ぶことになる。ゴルフの遼君は最終日もトップを守って優勝。今季3勝目を挙げ賞金王に後1300万円余りに迫った。中国の広州ではアジア大会が始まり、日本選手の金メダル獲得も順調。バレーボールのワールドカップは世界ランク2位のアメリカを逆転で破って銅メダルゲット。我が東北楽天は大リーガーの岩村を獲得したようだ。これで少しは望みが湧くかもね。
2010.11.14
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よほど疲れていたのだろう。今朝の起床は6時過ぎ。8時間以上の睡眠時間は久しぶりのことだ。散歩に行く前に畑から春菊とレタスを採り、台所へ置いた。その前日、妻が今シーズン初めての大根を抜いて煮ものと浅漬けを作った。種は昨年蒔いたのの残りものだが、良く育ってくれた。春菊も残り物の種。茎が硬くなって来たため、美味しいうちに食べた方が良いと思ってのこと。 散歩から戻ると、果たして春菊はお浸しになっていた。今朝は妻もゆっくり起きたようだ。朝食後、妻が洗濯ものを干している間に食器を洗い、お湯を沸かしてポットに入れておく。そして妻と2人でティータイム。2杯目の濃いお茶を飲んだ後、資源回収ゴミの仕分け。古新聞1束、古雑誌1束、段ボール1束、雑紙1束、そして古着1袋を所定の場所まで持参。 いつものニュース番組を観た後、妻が走りに行った。後で聞いたら近所の公園内を1時間半ほど走ったようだ。少しずつ持久力がついて来たのだろうか。私が仕事を辞め、かつ妻に走力がついたら、ひょっとして2人でレースに参加するのも夢ではないかも。妻が帰宅するまでの間、愛犬を庭に放ち、畑と庭の草むしり。そしてその後、ブログに書き込んでくれた人に返事を書く。 妻の帰宅を待って外出。今日は妻のお供で、画材を買いに行くことになっていた。絵が趣味の妻は安売りのキャンバスをまとめて買いたいようだ。そこには以前友人と行ったようだが、あまり地理に明るくないため心配だったのだろう。「卸町」に行ったのは私も1度だけだが、荷物運びくらいなら出来る。 案の定、バス停で下りると、妻は間違った方向に進み出した。葉書を観て場所を確認すると行き先は正反対。途中の喜多方ラーメン店で昼食にする。値段は激安ラーメンチェーンのちょうど2倍くらい。画材店はそこから直ぐの所にあった。8号キャンバスを10枚、油絵の具を10本、そして紙製のパレットを2枚購入。バスの時間があったため2階の展示場で絵を観た。 そこで運命的な出会いがあった。何と名嘉睦稔の版画2枚を見つけたのだ。1枚はモノトーン調で、もう1枚は彼らしい華やかな色遣いのもの。いやはや驚いた。まさか彼の版画がこんな所にあるとは。名嘉睦稔(なか・ぼくねん)は沖縄の離島、伊是名(いぜな)島の出身。作風は天才版画家棟方志功と爆発する芸術家岡本太郎を足して2で割った感じ。私がとても好きな版画家だ。 昨年11月、私は沖縄本島の東海岸を縦断した。その第2日目。北端の辺戸岬を朝の8時25分にスタートして、ホテルに着いたのが夜の10時半ごろ。走行距離が限界の75km先で唯一泊まれるホテルが1泊7万2千円のリゾートホテルだった。わずか5時間ちょっとしか眠れなかったホテルの高かったこと。その広い部屋に、名嘉睦稔の版画があったのが救いだった。 値段は額つきで2万1千円。それが2割引きの16800円で買える。「この版画良いでしょ?俺好きなんだよなあ」と妻に言う。「お父さん買ったら」と妻。暫く版画を見つめていたが思い切って買うことにした。妻から9千円を借金し、残りは財布から取り出して支払う。キャンバスを持参すると、額縁入りの版画はとても持てず、配達してもらうことに。家に届くのは水曜日になるそうだ。 思い切った買いものだった。妻もまさか私が本当に買うとは思ってなかったようだ。これが本物なら多分その10倍はするはず。多分大量生産のリプリントだと思う。それでも好きな版画家の作品を自室に飾り、その下で休み、眠れるのが嬉しい。 帰宅後、妻が午前中に走った公園へジョギングに行った。次第に黄昏れる晩秋の公園は、徐々に足元が暗くなってとても危険。それでも私の心は明るかった。本物かどうかも分からないたった1枚の版画のために。
2010.11.13
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繁華街のすぐ裏に小さな公園がある。ベンチも遊具もないが、街中のオアシスのような存在だ。すぐ近くにフリースクールのようなのがあって、日中は世話係の女性が何人かの幼児を連れて遊びに来る。外国人の女性が引率者の場合、幼児との会話は英語。子供達も素晴らしい発音で返事するのには驚いた。この幼児達、悪戯で雑草を抜くことがある。雑草ならまだしも、時には花壇の花まで抜いてしまう。まさかフリースクールだからすべて自由ではないのだろうが。 昼休み近くなると、サラリーマンが公園にタバコを吸いにやって来る。禁煙族が増えた今、彼らも肩身が狭いのだろう。勿論喫煙の後は吸い殻だらけ。おまけに目の前がコンビニと来ているので、植え込みの中には飲んだビンや空き缶、弁当の容器などが散乱することも多い。子犬2匹をカートに載せた婆さんが時々顔を出す。そのちびワンコの煩いこと。私はただ公園を掃除しているだけなのだが。 この夏の猛暑で公園の雰囲気が変わった。むさ苦しいホームレスが3人植え込みのレンガの上で連日昼寝。彼らの周囲には缶ビールや焼酎の瓶、それにどこから探したのか残飯が散乱。アルコール類は格下の男2人が、親分のために買って来るみたい。こんな時は責任者を通じ、ビルの警備員に連絡する。この公園は私が働いているビルの所有物なのだ。 警備員に追い出されて日中は居なくなるホームレスも、夜になると再びここに戻るのだろう。少し奥まった場所には小便の臭いが立ち込め、たまにはウ○チが残されていることも。ある時、残高ゼロの新しい通帳が落ちていたことがあった。振り込め詐欺にでも使おうとしたのか分からないがゴミとして処分した。泥だらけのジャンパーの下から、数匹のゴキブリが這い出たこともあった。 公園に野良猫が居就いていた。初めは私の顔を見ると、慌てて植木の陰に逃げ込んだ太った野良猫。だが徐々に慣れて来ると近くに寄っても逃げなくなった。その猫が突然姿を消した。そして数日後に猫の死骸を処理した話を聞いた。さらに数日して、今度は市の動物センターの職員が訪ねて来た。瀕死の猫がこの付近にいると通報を受けた由。 念のためビルの裏側の原っぱを探してみると、痙攣している野良猫を発見。動物センターの係員は手慣れた感じでそちらへ向かった。しかし何故2匹の猫が立て続けに死んだのだろう。ひょっとして退去させられたのを恨んだホームレスが、罪のない猫に何か悪さをしたのかどうか。 公園を掃除をしていると、口の中からピュっと種を飛ばす男がいる。11時過ぎに自転車でやって来、先ず公園の普賢菩薩に一礼をする男。普賢菩薩は白象に跨った姿の仏様。男にも少しは信仰心が残っているのだろう。その男がサクランボかユスラウメのような種を私の方に飛ばすのだ。最初は黙って箒で掃いていたのだが、あまりの態度に腹が立ち、それ以降は無視することにした。 あれから公園の片隅ではナツメの実が実った。今ではその葉も散り始め、ひっそりと静まっている。そうそう、あれは夏の終わりごろ、1人のボランティアが黙々と公園の雑草を引き抜いていた。その雑草をどう処分したら良いかと私に尋ねるので、早速責任者に報告。翌日聞いた話によれば、彼が抜いた雑草は50リットルのゴミ袋32袋分に上ったそうだ。人間とは実に様々。そんな人間の行いを、普賢菩薩は白い象の上から今日も見守っている。
2010.11.12
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たまに走る練習コースの途中に、気になる会社がある。名前は「アストモスガス」。ガスと言うのがついてるくらいだから、ガスに関係する会社なのだろう。ところで私が気にしているのは漢字に変換した際のイメージだ。「明日灯すガス」。ガスは生活に欠かせない重要なエネルギー。それなら「明日灯す」では困る。私ならきっと直ちに社名を変更するだろう。「キョウ(今日)トモスガス」と。 駅が近づくとバスの車内に放送が流れる。「○○小路のカケタ歯科」云々。つまり車内広告の放送だ。これにも私は敏感に反応する。歯科なのに「欠けた」はないだろうと。言って見れば病院の名前が藪医院みたいなもの。実際は「懸田」でインプラントも扱う名門の歯科医なのだが、音だけだと折角直した歯が「欠けた」ように聞こえて、何とも印象が悪い。 運送会社に福山通運と言う名の会社がある。多分中堅どころの会社だと思う。このままの社名だと特段の問題もないが、略称が拙過ぎる。会社自体が呼ぶのが「フクツウ」。まさかクール宅急便で「生もの」は扱ってないだろうねえ。「腹痛」が起きるような気がして、とても生鮮品は頼めないのだよね。 ダスキンと言う名の会社は誰でも知っているはず。住居を清潔に保つための道具を取り扱っている会社で、有名なドーナツ店もその傘下にある。横文字なら何の問題もない社名だが、これを漢字変換してみると「出す菌」。んんん?これでは会社のイメージが壊れてしまうではないか。これは日本人である私が長年日本語に親しみ、無意識のうちに漢字変換してしまうためだろう。 先日中国の暴動関係のニュースを観ていたら、イトーヨーカドーの現地での漢字表記が確か「伊藤洋貨堂」になっていた。思わず「へえ~っ!」と感心。元が日本語だから漢字変換も容易なのだろうが、これが外国語ならどうだろう。例えばローソン。「労損」では誰も働いてくれないし、「老孫」でもピンと来ないかな。 クルミ、キュウリ、あぐらを漢字で書けば、それぞれ胡桃、胡瓜、胡坐といずれも「胡」の字がつく。「胡」は中国から見て西方の国や西方の民族を意味する。つまりクルミもキュウリもあぐらも、西の方から伝わったことがこれで分かる。漢字が表音文字ではなく表意文字である特徴だ。スイカ(西瓜)は西で、カボチャ(南瓜)は南から。漢字で書けばそれらが辿った道まで一目瞭然だ。 だが同じ漢字を使うからと言っても油断は禁物。日本の「勉強」は、中国では無理に強いる意味で良くない表現。中国語では「学習」が勉強の意味なのだとか。一方中国の「愛人」は奥様のこと。これを日本で使ったら、たちまち家庭争議の原因になるだろう。中国で発明された漢字だが、遥々旅をしているうちに元の意味が変わることがある。隣国である中国も、今はきっと遠い国なのだろう。
2010.11.11
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「尻もち事件」で尾てい骨を強打してから3週間経った。こちらの痛みはかなり引いたが、同時に傷めた右肩がまだ痛み、本調子ではない。右上半身を酷使する肉体労働者には、かなり厳しい状況が続いていた。歳を取れば痛む個所が増え、治りも遅くなる。おまけに目は見えなくなり、耳は聞こえなくなって来る。 歯の痛みにも長い間苦しめられて来た。貧しかったせいで歯を磨く習慣がなかった幼少期から青年期。家庭的に恵まれず忙しく過ごしたせいで、歯医者に行く暇もなかった。家庭を持ってからさえ、歯の痛みには二の次で対応していたように思う。老年期に突入した今でも歯医者通いは億劫で、少しの痛みならじっと耐えていたのが実態だった。 あれは5年ほど前だったか。あまりにもしつこくインプラントを勧める歯科医を嫌って病院を変えた。次に行ったのは上手で丁寧な歯科医だったが3年前に行ったきりになっていた。理由はあまりにも混み過ぎて長時間待たされるためだ。「予約時間」もほとんど無関係だった。インプラントの個所は最後に診ると言っていたにも関わらず、「前に行ったところで診てもらって下さい」と言われ、信頼が薄れたことも大きな理由だ。それに私がインプラントを受けたのは沖縄と山形。とても通院出来るものではない。 そんな私がようやく行く気になったのは、近所に新しい歯科医が開院したからだ。人口密集地でもないため多分空いているだろうし、新しいから親切だろうとの判断だ。外から見る雰囲気も悪くない。ひょっとして女性の歯科医かも。そんな暖かさが漂う外装だった。「問診票」に必要事項を記入し、初めての診察を受ける。 「私はインプラントは出来ません」。男の先生は開口一番そう言った。それで信頼が一気に深まった。インプラントが出来るのは医学部で口腔外科を学び、かつ歯学部を卒業して歯科医の資格を取った人だけなのだ。歯科医の卒業校とこれまでの勤務先が待合室に掲げてあった。国立大卒の歯学博士。暖かい人柄と相まって、とても好感が持てた。 1回目はレントゲン撮影を行い下顎骨に病巣があるのを確認。「ずいぶん長い間放置していましたね」。歯科医は静かにそう言った。2回目は金属製の冠を切断して患部を診察。3回目は麻酔を施し、折れていた歯根1本を抜いた。アルコールと入浴を禁止され、3日分の抗生物質を処方された。今後は炎症を抑える治療を施し、その後保険適用で義歯を造る予定。 人間にとって歯はとても大事な器官。歳を取ればその有難味がより一層身に沁みる。かなり前に観た「世界不思議発見」によれば、古代エジプト人はほとんどが歯槽膿漏だったとか。食べ物に混じった砂のせいで長年のうちに歯が摩り減ってしまうためらしい。文字通り「砂を噛む」ような生活だったのだろうか。 11月8日は語呂合わせで「イイ歯」の日とか。これからはもっともっと歯を大切にしたいものだ。「歯無し」になってからでは「話」にもならないからね。因みに11月22日は「イイ夫婦の日」。これもなかなか容易ではないが、少しでもそうなるように心掛けてみよう。
2010.11.10
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3対0の見事な圧勝。久しぶりにスカッとした一戦だった。昨夜のアジア大会サッカー予選対中国戦の話だ。「尖閣問題」で大揺れに揺れた日中関係。銃を構え、装甲車が出動する厳重な警備のお陰か、心配された暴動は起きなかった。 それにしてもあれだけ我が国への批判が喧しい中国で、経済活動に従事している邦人の苦労は大変なものがあると思う。レアアースの輸出規制問題もその一つ。世界の産出量の97%強が中国産のようだ。中国のほかにも埋蔵はしているのだが、中国では精錬の過程で出る放射性物質を放置しているため超安価で生産出来、他国の追随を許さないのが現状とか。恐るべき事態で、近い将来中国が新たな公害に苦しむのは目に見えている。 その中国でもこのまま掘り続ければ後15年しか資源が持たないとも言われているレアアース。今後中国依存体制を改める動きが一層強まりそうだ。ベトナムとの共同開発もその一つだし、いわゆる「都市鉱山」もかなり資源として有効のようだ。つまり使用済み機器からレアアースなどを抽出し、再利用する活動の徹底だ。「壊す」ことの簡単さに比べ、「造る」ことの困難さを改めて思い知る。 「壊し、造る」と言えば、この1年以上現場の隣のビルの解体と建築過程をつぶさに見て来た。建築基準を満たさなくなったビルをどんな風に解体し、狭い敷地の中に新しいビルをどうやって建てるのかが分かり、とても面白かった。外壁すら半完成品をクレーンで吊り上げ、ネジなどで固定して行くことを知って大変驚いた。大きな鉄球をぶつけてコンクリートを破壊したのは、もう昔話になった。 近所の道路工事が始まって6年ほどになる。わずか3kmにも満たない短い道路が遅々として進まないのは、市の財政が乏しいせいだろう。それでも最後に残った1棟が立ち退いてから、進捗の度合いが早まったように思う。私が走って帰る坂道は半分が完成し、妨げになっていたお寺のお墓が、ようやく移転し始めた。墓地だけに進むのはボチボチだろうけど。 地下鉄工事の大半は地下で進んでいるせいかほとんど目に入らないが、全ての駅舎が工事中らしい。竜の口峡谷では吊り橋増設に伴うケーブルの土台の工事が進んでいるし、その延長となる計画道路の橋脚が3本、団地と療養所の間の谷間に造られていた。それらの道路は5年後の地下鉄工事が完成に照準を合わせているのだろうか。 近所で工事中だった住宅が完成し引っ越して来た。こちらは個人が建てたオール電化の家。工事中に断層が発見されたと言う裏の建て売り住宅も完成したが、こちらはまだ契約までには至ってないようだ。そしてため池跡の大きな空き地では、老人施設の新築工事が来春から始まる。近所の風景がどんな風に変わるのかが楽しみだ。
2010.11.09
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昨夜の日本シリーズ第7戦もまた延長戦に突入。翌日は早朝に起床することもあって、11回の裏まで観て10時半ごろに就寝。旅行中の妻が帰宅したのは10時過ぎ。気配は感じたものの、自室でテレビを観ていた。荷物を片づけ、風呂に入り、妻も10時半ごろには眠ったようだ。 今朝のニュースでロッテが優勝したことを知った。12回の表に決勝点を奪ったようだ。前日の延長戦でも点が取れそうな中日に対し、ロッテの投手陣が良く抑えた感が強かった。これでパリーグ3位のチームが日本一。CS制度始まって以来の快挙となった。今年はセパ両リーグとも上位3チームの接戦だったが、各チームのレベルの高さが証明出来たかも。 愛犬との散歩から帰宅すると、起き出して来た妻が2日間留守番をした私に礼を言った。長野の旅は天気も景色も最高だった由。唯一不満だったのが乗ったバス。後部座席にはシートベルトがなく、椅子はガタガタ動き、乗っていて気が気ではなかったとか。朝食後には早速お土産のリンゴを剥いて食べた。味も硬さもしっかりしていて、さすがはリンゴの本場だけあった。 さて今日は第2現場のビルに行くと、たまたま来ていた上司が黙って私に封筒を差し出した。中に入っていたのは9月に走った「秋田内陸」の新聞記事。執筆者は走友のT田さんだった。この上司、高校時代に陸上競技をやっていたせいか、ランニングを趣味にしている私への理解が深い。今ではメタボ体形の彼だが、何とか時間を作ってウォーキングから始めたいのだとか。 T田さんの記事は、宮城UMCの掲示板に書かれたこととほぼ同様の内容だった。お婿さんである彼のランニングに対する最も良き理解者が、今年亡くなられた義母上だった由。その遺影を忍ばせて走り、その遺影を高く掲げて見事ゴールしたようだ。その「秋田内陸」の写真が先日業者から送られて来た。小さな「見本」ではあるが、厳しかったレースの良い思い出になりそうだ。 同大会の記録集では、「不明者」の中に横浜のT下さんの名前を見つけた。今回もエントリーはしていたようだが、参加はしなかったようだ。確か年齢は70歳を越えたはず。「秋田内陸」で初めてお会いしてから既に10年以上になる。それ以来、「しまなみ街道」や「宮古島ワイドー」などでも一緒だった彼。どうか元気でいて欲しいと願っている。 一方10月の「伊南川ウルトラ遠足」のコースはかなり厳しかったようだ。実力者のKさんが、「これまで参加した中で一番きついコース」と言うくらいだから、よほど高低差があったのだろう。朝の最低気温は1度で、最後の5kmほどは砂利道だったとか。制限時間は16時間とゆっくりだが晩秋は日が陰るのが早いため、真っ暗な道が怖かったと言っていたランナーもおられた。来年参加する際の参考にしたい。 さて、落盤で33名が地下に埋められたチリの銅鉱山事故だが、34歳のエディソン・ペニャさんはあの地下道で毎日5kmから10kmを走りながら救出を待っていたのだとか。そんな彼がニューヨークシティーマラソンに招待され、膝痛に苦しみながらも見事5時間40分で完走したようだ。地下700mの暗黒の中でも諦めずに走り続けていたランナーがいたとは驚異だ。 アースマラソンの寛平ちゃんは、黄河を越えて目下中国大陸を東進中。こちらは前立腺がんと闘いながらの偉業。それに引き換え、私はわずか7kmの帰宅ランで草臥れているのだが。たかがランニング。されどランニング。走ると言う行為には実に奥深いものがある。
2010.11.08
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昨夜の日本シリーズ第6戦。私は最後まで観た積りでいたのだが、どうも12回裏まで観た後、眠ってしまったようだ。試合が終わったのは深夜の0時5分前だったとか。あれだけ両チームとも得点のチャンスがあったのに、結局は15回の裏まで2対2のままで、再試合になったようだ。そんなこともあって、今朝の起床はゆっくりだった。 先ずは洗濯機のスイッチを入れてから、愛犬との散歩へ。帰宅後はご飯を炊き、味噌汁を作る。ご飯が蒸ける間に洗濯ものと布団を干す。それが済んでからようやく朝食。昨夜のうちに米を研いでおいたため、ご飯は美味しく炊き上がった。おかずは赤魚の煮物、納豆、筑前煮、ブロッコリーのお浸し、残り物の刺身など。食後にカスピ海ヨーグルト、バナナ、ミカン。このバナナが余分だったみたい。 新聞に隈なく目を通した後、テレビのニュース番組に切り替え。亡くなった大沢親分の代わりの元野球選手は優しい人で、張本の勢いに気圧された感じ。名前を思い出さないほど印象が薄かった。やはり大沢親分は存在感があった。番組の途中から庭に出て草取り。夏と違って雑草の勢いは弱く、量もバケツ一杯で終了。 10時過ぎからは大学駅伝やバラエティー番組などを観ながらコーヒータイム。おやつはバウムクーヘンと揚げ饅頭。昼食は肉うどんとクロワッサン。その後、会社に提出する「年末調整関係書類」に必要事項を記入し、保険会社などの証明書を添付。確定申告と共に恒例の行事ではあるが、一つ終わると何故かほっとする。 午後からはテレビで囲碁を観戦し、その後は「そこまで言って委員会」に切り替える。この番組は出席者が本音で自分の意見を言うのが良いところ。タカ派の人が多いのだが、今の政情を見れば、彼らの率直な意見の方が受け容れ易いように感じる。何度も言うが、目下政権を担当する民主党には、外交や領土問題などに関する確固たる信念や定見が無さ過ぎる。 問題の中国漁船追突事件だって検察に任せず、国の責任で最初から映像を公開すべきと私は考えていた。司法手続きも大切だが、あれはどう見ても中国側がおかしい。大きな影響は出るだろうが、断固として国際社会にことの是非を問うべきだったと思う。沖縄在留米軍の移転に関しても、少なくても県外などと出来もしないことを簡単に口にし、その後全く収拾がつかないでいる。 領土問題は竹島、尖閣諸島から、今度は北方領土へ飛び火。どさくさに紛れてロシアの大統領が我が国固有の領土である国後島へ視察に渡る始末。為政者の見識の無さ、断固たる信念の無さがもたらした結果の不始末だ。過去ロシアは日露戦争で、中国は日清戦争で我が国に負けているが、それ以来の恨みもあるように思うのは短絡だろうか。 まだ日が暖かいうちに洗濯ものと布団を取り込み、自分の洗濯ものは畳んでしまい、夜遅く帰宅する妻の布団を敷いて置いた。3時過ぎから近所の坂道を走りに行く。1時間33分ほど走って帰宅。距離は12kmから13kmの間くらいか。その後、愛犬と夕方の散歩。そして日課のブログに取り掛かる。 6時過ぎには夕食の準備。主菜はロールキャベツ。そして今日も日本シリーズを観戦の予定。この週末は2日間とも穏やかな秋晴れの日だった。さぞかそ妻も旅行を楽しめたことだろう。そんな時に気の毒ではあるが、政治家にはもっと気合を入れて働いて欲しい。日本の置かれた状況は極めて厳しいと思うので。
2010.11.07
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「お父さんのリュック借りて行くね」。そう言って妻は旅立って行った。行き先は長野県の戸隠。紅葉と蕎麦が目的のバスツアーらしい。今日は長野に1泊し、帰宅するのは明日の夜遅く。それまでは冷蔵庫の中の食品で、何とか食いつなぐしかない。 ゆったりめの散歩と朝食。そしてそれが終わると新聞に目を通す。先日来大問題になっている尖閣諸島での中国船体当たり事件の映像がUチューブに流失したことが判明。昨夜から今朝にかけてのニュースは、そのことで持ち切りだ。 先日の文化の日は、一日中ほとんど何もせずに過ごした。今日こそ何か有益なことをしよう。そう考え、気になっていたことを片づけることにした。先ずは布団干し。そして玄関とガレージの掃き掃除。油断すると枯葉が直ぐに集まってしまうからだ。次の作業は裏庭のコンポスト容器から腐った堆肥をスコップで取り出すこと。 その作業をしようとコンポスト容器に近づくと、何やら小さな死骸が地面に横たわっていた。ネズミだ。割と小型の家ネズミ。きっと夏ごろ、物置に置いたドッグフードの袋の中で、私が掴んだヤツに相違ない。あの時は物置の片隅に隠れたが、その後コンポスト容器の外側から地中にトンネルを掘った形跡があった。きっと中に侵入して食べ物を漁ろうとしていたのだろう。 「畑の方に逃げて行くネズミを観た」と妻が話したことがあった。その時は「まさか」と信じてなかった私だった。何故家ネズミが近辺にいたのかが謎。我が家は案外気密性が高く、ネズミが家の中に侵入し難いはず。唯一思い当たるのが6月頃まで我が家の前にあった古い家。あれはあばら家同然で、至る所に隙間があった。ネズミが棲むには最適の環境のはず。 それが大家の意向で取り壊し、更地にして売られた。その時住処を失ったネズミが、我が家の周囲をウロチョロしていたのだろう。だが運悪く、我が家にはつけ入る隙がなかった。哀れなネズミはこうして飢え、コンポストの前で倒れたのが真相だろうと思う。 堆肥も野菜屑だけなら始末が容易だが、魚の残骸などが混じると腐臭が凄く、メタンガスも発生する。そして厄介なのがウジなどの発生。これはハエになるだけだが、時々フナムシに良く似た気持ち悪い虫が集団で湧くことがある。本当は人体に影響を与える薬品はなるべく使用したくないのだが、止むを得ず殺虫剤の厄介になる。 昼前から久しぶりに走りに行った。当初は40kmくらい走る積りだったが、暫く長い距離を走ってなかったため、無理をせず18kmのコースにした。今日の楽しみは橋の上から鮭の遡上を観ること。途中で左膝に痛みが出た。やはり7kmの帰宅ランだけで、いきなり長距離は無理だったようだ。 太白大橋の上から名取川を見下ろすと、やはり何十匹かの鮭が上って来ていた。中には尾びれで砂利をどかし、産卵場を造っている鮭もいる。その周りを泳ぐオス。そして既に息絶え、川の中に白い残骸を横たえた鮭も。散歩中の若夫婦に教えると、驚いた表情で眺めていた。毎年この時期にしか観られない崇高な光景だ。見物で休憩したせいか、膝の痛みは治まっていた。 2時間以上かかって帰宅すると、近所の犬が庭に出ていた。15歳の老犬の名はシンバ。目は白内障で耳も遠くなった彼。でも匂いで誰かは分かるようだ。飼い主の話だと、耳を痒がって引っかき、獣医で手当てを受けたとか。猛暑の今夏は食欲がかなり落ちて心配だった由。その点我が家のマックスはまだまだ元気。芝生に寝転ぶ彼の頭を撫で、遅い昼食を摂った私だった。
2010.11.06
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< 静かなる怒り > 同じ料金を支払ったのに一方はガイド付きで湖畔の遊歩道を散策し、一方は添乗員に言われた通り普通の道を歩いてゴールした。それが主に3回目の参加者の不満だった。妻は言う。「もし添乗員がちゃんと説明してくれたら、五色沼ハイキングコースも時間内に完歩出来た」と。私達は五色沼を半分だけ観られたが、五色沼も湖畔の遊歩道も歩けなかった大半の客は、相当残念だったと思う。 割り切れない想いを抱きながら、私は温泉に入った。休暇村と言うからさぞ貧弱な施設だとばかり思っていたが、ホテル並みの装備を備えていたことに驚いた。私は温めの湯船にゆったりと浸っていた。通りかかった義兄が、露天風呂がなかなか良いと教えてくれた。透明な内風呂に対して、露天風呂は少し温度が高い茶褐色の湯。なるほどこれは温まって良い。ジェットバブルから始まり、露天風呂、サウナ、広い大浴場とはしごをした私だった。 風呂から上がって休憩コーナーまで行くと、数人の客が添乗員達の行動について説明を求めていた。まだ納得が行かなかったのだろう。聞くともなく聴いていると添乗員が言う。「湖畔の遊歩道は全員で歩くのは無理なんですよ」。私は唖然とした。「それなら最初からある程度の人だけで行く積りだったのか」。不信感が一層深まった。 過去2回はフリーでもガイド付きでも同じ道を歩いたから苦情は出なかったのだろう。だが今回は途中で道が別れ、選択肢が幾つかあった。それならばきちんと事前の説明が必要だったし、遊歩道だって2列で歩けば全員でも行けたはず。観られたはずの絶景が人によって観られなかったのは不公平だし、やはり添乗員の判断ミスと言わざるを得ない。 別な人との話で、添乗員は初級の登山も担当していることが分かった。来年も妻と一緒に登山を楽しむ予定なのだが、彼のような勝手な判断をする添乗員と一緒なら最悪だ。いやはや参ったと思いながらホールまで来ると、義兄達がビールを飲んでいた。呼び止められて、勧められるままビールをご馳走になる。連れの人は3回とも一緒で、隣の席になった人らしい。 義兄は怒っていた。第1回の担当も彼だったが、食事の場所やトイレ休憩の説明が不適切だった由。老婦人が多いツアーでは考えられないことだ。それに集合時間に遅れて来たのが当の添乗員で、遅れた理由が「この辺りで最高のホテルを観て来たため」とのことだったとか。研究熱心なのは良いが、客を待たせ最後に現れる添乗員の気が知れない。 金曜日の夜に彼から連絡があった時に私が受けた「自己中心の人」と言う印象は、やはり間違ってなかったようだ。バスが発車して間もなく、添乗員は今回の経緯を説明して皆に詫びた。だがその弁明が私には心からのものでないように感じられた。何故なら「遊歩道を全員で歩くのは無理」との虫の良い言い訳を聞いたばかりだったからだ。 車中で配られたアンケート用紙には、かなり厳しい意見を書いた。その用紙が会社に届けられるかどうかは分からない。不都合な意見は彼が握り潰すことも可能だからだ。それでも何がしかの反省材料にはなるはず。「添乗員の全てが正社員じゃないんだよ」。義兄がそんなことを話していた。彼らも必死なのだろうが、中にはことの本質を見抜く厳しい客がいることを忘れてもらっては困るのだよね。<完>
2010.11.05
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< 遅れて来た人 > この辺りには立派なホテルが多い。そして湖畔には土産物屋の建物がずらり。その建物を通って行くと湖畔に出、遊覧船に乗れる仕組みなのだ。噴火記念館や3Dワールドなどの施設もある。桧原湖周辺では一番の観光地だろう。郵便局などもその雰囲気を壊さぬよう、レトロ調の建物になっている。 今日のコースで道沿いに桧原湖が見えるのはここだけ。木々の間から見え隠れしていた湖水も、やがて見えなくなった。剣ケ峰の交差点から左折してゴール方向に向かう。この道は一度だけ通ったことがある。確かスカイバレーの白布峠から山形県の白布高湯に出、米沢経由で帰ったバスツアーの時だった。 あの時はあっと言う間に通り過ぎた道を、今は妻と二人でテクテク歩いている。ここまで来るともう観光地の華やいだ雰囲気はなく、時々道路脇に現れる寂れたペンションや喫茶店などが、わずかにそのことを偲ばせるだけだ。景色は平凡そのもの。安くも無い料金を支払って舗装道路を歩き、セイタカアワダチソウを見に来た訳ではないのだが。まあ、これも運動になって良いと考えよう。 やがて前方に同じツアー客と思われる人が何人か見え出した。彼らも単独行動で歩いて来た人のようだ。小野川と言う名の小さな川を渡る。きっと桧原湖から小野川湖へ流れ込んでるのだろう。左手には中瀬沼遊歩道への案内板。まだ時間があるので寄ろうかと妻に言うと、クマが出そうなので嫌だとの返事。この辺には出ないと思うのだが、妻の気持ちを尊重しそのまま直進した。 間もなく「休暇村裏磐梯」の駐車場にバスが停まっているのが見えた。添乗員からはもし集合時間前に着いた場合は休暇村へ入らず、バスの中で待つようにとの指示があった。ガイドさんと一緒のグループはまだ来ていない。その時道路を横断して湖の方に向かう人影。どうやら時間を持て余した客が、散歩に出かけたようだ。私達もその後を追った。 林の茂みの奥に、小さな湖沼がいくつか点在するようだ。案内図によれば先刻見かけた中瀬沼遊歩道ともつながっているみたい。残り時間を見て周囲700mのレンゲ沼を周回することにした。湿地や小川の上に架けられた木の橋。整備状況はまあまあか。紅葉した木々に枯れた水生植物。どうってことのない風景だが豊かな自然が残されているのは貴重。散歩中の若夫婦とラブラドル犬にも出会った。 沼を一巡しベンチで休んでいる時に、義兄が近づくのが見えた。だがこちらには気づかず、遊歩道方面に向かったようだ。集合時間が迫り、私達はバスへ戻った。だが、いつまで経ってもガイドさんと一緒のグループは現れない。痺れを切らした頃、添乗員だけが1人でやって来た。残りのグループは既に休暇村で待っている由。 バスの中が急に騒がしくなった。トイレに行くのを我慢してバスで待ってた人達が多かったようだ。それなのに集団の人は、集合場所を守らなかったと言う不満の声だ。さらに不満が高まったのは、彼らが湖畔の遊歩道を通って帰ったと知ってからだ。朝の注意では、ぬかるみが酷いためそこは通らないとの説明があった。その約束を添乗員自身が破ったのだ。<続く>
2010.11.04
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< 五色沼を歩く > 地図を見ると、道路と桧原湖との間に京ケ森と言う山があるようだ。標高は1019mもあるのだが、道路からは全く見えない。林に隔てられているとは言え、何故1000mを越える山が見えないのが不思議だ。多分この辺りは700mを超えているはず。だとすれば京ケ森の実際の高さは300mほどで、林に隠れても当然なのかも知れない。 やがて右手に磐梯山ゴールドラインの入口が見えた。磐梯山の中腹で標高1200mほどの八方台を経由し、猪苗代湖側に抜ける有料道路だ。ここは第4回まで「磐梯高原ウルトラ」のコースだったところ。登りもきつかったが、八方台から麓まで一気に高低差700mの坂を駆け下りる下り坂もきつく、コース最大の難所だった。 妻の歩く速度はゴールドラインを過ぎても変わらない。これは何か生じたかと心中穏やかでなかった。彼女が立ち止まったのは五色沼入口付近。ここは最初にトイレ休憩した箇所に近い。ようやく追い着いてどうしたのか尋ねたら、トイレに行きたくて必死だったようだ。生理現象は誰にも止められないが、歳を取ればなおさらのことだ。 戻って来た彼女に、ここからは国道ではなく五色沼ハイキングコースを歩くことを告げる。妻はここが五色沼の入り口だったことに気づいてなかったようだ。ずいぶん前、別の会社の企画で、反対側から五色沼を歩いたことがあった。その時は時間が足らず、半分だけ観て同じ道を引き返した。だから今回はまだ観ていない部分が観られるはず。妻も反対する理由はなかった。 何の行事なのか、広場では賑やかな歌謡ショーが行われていた。その横をすり抜けて、初めての道へと一歩踏み出す。不案内なコース。そしてここを歩くには時間が足らないと言っていた添乗員の言葉が気になっていた。兎も角急いで歩こう。だが舗装していないハイキングコースは前日までの雨で泥だらけ。登山用のスパッツは必要ないと思いバスの中に置いて来たが、まさかこんなことになるとは。 不安を他所に、周囲の風景は見事だった。最初の柳沼はまさに紅葉の盛りで、真っ赤なモミジが真っ青の沼に照り映えていた。妻も大喜びでカメラのシャッターを押す。行きかう観光客が多い。私達が参加したツアー会社の別のプランで来た人が、反対側からどんどん歩いて来る。 小川に架かる小さな橋。そこを流れる水の青さが一際鮮やか。きっと特殊な藻でも生えているのだろう。次に観たのが青沼。文字通り青々とした沼がひっそりと身を横たえていた。この沼は前にも観たことがあった。念のため地図を確認すると、この先には弁天沼、深泥沼、毘沙門沼と続き、コースの出口は今回のゴールからかなり離れてしまうことが分かった。 時間はギリギリで大丈夫だと思うが、そこから本来のコースまで戻る自信がない。妻にここから引き返すことを伝えた。前回と合わせればコースを縦断したことは確実。妻も反対はしなかった。戻る途中、ルリ沼に立ち寄る。ここでも夢中になってシャッターを押す妻。一方私は気が気ではなかった。残された距離を残された時間で歩くことが果たして可能なのか。夫の心配を余所に、妻は上機嫌で歩いていた。 出来ればこのコースを最初から最後までゆっくりと歩き、景色を堪能したかった。でも時間が無いのだから、これで満足すべきだろう。私には不満は無かった。スタートした広場まで戻り、休憩所のベンチで遅めの昼食を採った。今日の弁当は飛び切り粗末。小さなお握りが2個と鳥の空揚げ3個、ウインナー1本が全て。私はコンビニで買ったお握りとミカンなどを食べた。 一旦休むとどんどん体が冷えて来る。それに風も冷たい。これではトイレに行きたくなるはずだ。それにしても他のメンバーはどうしてるのだろう。昼食を採る場所と指定された土産物屋にいるのだろうか。バラバラの行動が許されるとは、全く不思議なツアーだ。この先のコースが分からないので、急いで昼食を済ませ、再びゴール地点に向かって舗装道路を歩き始めた。<続く>
2010.11.03
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< ガイド付きから単独行動へ > 車中で桧原湖周辺の地図が配られた。今日歩くのは、湖の西南端にある雄子沢(おしざわ)駐車場から、湖の東側にある「休暇村裏磐梯」までの10kmのようだ。良く見れば、歩く予定の道路は湖からかなり離れた位置にある。第1回、第2回は文字通り湖畔の道なのだが、最後に残った今回は景色としては一番劣るみたい。これは仕方が無いと諦めるしかない。 添乗員の説明によれば、東側の湖岸に沿った遊歩道は降り続いた雨のためぬかるんでおり、今日は歩かない由。そして湖の南東に位置する五色沼ハイキングコースは、時間が足らないため歩くのは無理とのことだった。そして現地ではガイドさんが案内してくれる由。恐らくは全員がガイドさんについて歩くのだろう。少なくても私はそう理解していた。 バスは磐越道の猪苗代磐梯高原ICから裏磐梯へ向かった。空は曇っていたが、猪苗代湖の湖水も、標高1819mある磐梯山の威容も車窓から望めた。ここは「磐梯高原ウルトラマラソン」で3度走っている。参加するごとにコースは異なっていたが、馴染みのある風景が続く。猪苗代湖畔の道、磐梯山を周回する道。それぞれに懐かしい。 猪苗代湖側から見る磐梯山は割とたおやかだが、桧原湖側から見る磐梯山は一変して荒々しい風景だ。明治21年(1888年)、会津富士こと磐梯山は大爆発を起こす。この大爆発で頂上付近の約3分の1が吹っ飛んだ。爆発で飛ばされた土砂や溶岩が、川をせき止めて大小100以上の湖沼を作った。私達が歩く桧原湖もその時に出来た湖で、晴れれば湖越しに一本の草木も生えていない磐梯山の裏側が望めるはず。 五色沼周辺でトイレ休憩。ここで弁当が配られ、ウォークに必要なものだけリュックにしまう。雄子沢駐車場でツアー客を下ろすとバスはゴール地点へ。準備体操の後、添乗員から最後の説明。ガイドさんと一緒に歩いても良いが、単独行動でも良いとのこと。第2回まで参加している人達はそれなりに準備していたようだが、私達には驚きだった。ツアーで行動がバラバラになるのは初めてだったからだ。 義兄は既に上下とも合羽のフル装備を済ませ、両手にストックを握っていた。直ぐ近くの席のアスリートらしい夫婦も気合十分の出で立ち。半分以上の人が単独行動で自由に歩き、ガイド、添乗員と一緒なのは半分にも満たなかった。私達はガイドの直ぐ後について歩くことにした。この辺りは観光地から外れた場所で自然が豊か。それに素晴らしい風景だった。一帯が「磐梯朝日国立公園」なのだ。 歩き始めて直ぐに雄子沢川を渡った。この川は雄国山にある雄国沼が水源で、ニッコウキスゲの群落が見事だとガイドの説明。ハイキングコースの入り口も教えてもらった。ナラとブナの木肌や実の違い。白樺とダケカンバの生態の相違点。山ブドウ、サワクルミ、カラマツなどの説明がとても新鮮に聞こえた。これは楽しいウォークになりそうだ。 30分ほどはそれでも良かった。だがあまりにも歩くペースが遅く、しょっちゅう立ち止まる。一定のペースで歩き、運動の一環と考えていた私達には、次第に耐えられなくなって来た。妻も単独で歩こうと言う。同じような考えの人が隊列から離れて先へ行った。添乗員に断って2人で歩き始める。ところがある個所から妻の速度が一層早まり、私がいくら急いでも追い着けなくなった。<続く>
2010.11.02
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< 第一印象と懸念 > 「何だろう、こいつは?」。初っ端から受けた印象が良くなかった。金曜日の夜、ツーリストから電話があった。週末のバスツアーの場合、大抵金曜日の夕方ごろに最終確認の電話がある。担当する添乗員から、集合場所、集合時間、簡単な注意事項などが申し渡されるのだ。 私が最も気がかりだったのは天候。この時点で台風14号はまだ紀伊半島の南に位置し、進路予想では房総半島周辺に上陸する恐れがあった。問題は台風の今後の進路と雨がどうなるか。ツアーの行き先は福島県の裏磐梯で、強風は心配ないはず。ただツアー前日の土曜日から当日の日曜日にかけて、どれだけ降るかが懸念された。連絡して来た添乗員はかなり若いらしく、台風の心配はほとんどないと断言し、ツアーは決行されると言う。 話し方が一方的なことに先ず驚いた。終始マイペースなのだ。参加予定者全員に連絡するため急いでいるのは分かるが、台風が気になる客の心配などほとんど無視。大雨ともなればそれなりの覚悟が要る。それに前日からかなりの雨量となれば、歩くコースが気になるのは当然だと思う。 あまりの無神経さに私は怒った。「あなたは心配してなくても、こちらは台風の影響を心配してるんだよ。それに足元はどうなの?」。若い添乗員は答えた。「これまで同様に舗装道路を歩きます」。ふ~ん、そうか。桧原湖一周なので足元の心配をしていたのだが、歩くのが山道ではなく舗装道路だったことを初めて知った。 このツアーは一周約33kmの桧原湖を3回に分けて歩く企画。申し込んだ時、私達はそれに気づいてなかったのだ。一方、彼は今回が3回目なのでコースの概要は全員知ってると考えていたのだろう。だが初参加の私達にはほとんど情報がない。10kmを4時間かけて歩き、終了後は付近の温泉に入ることと、弁当が出ることくらいしか書かれてなかったためだ。 スタート地点とゴール地点の名もあったが、そこがどこなのか全く見当がつかない。ただ紅葉がきれいな湖畔の道を4時間かけて歩き、温泉に入れるのが楽しみだった。さて、ツアー決行となれば最悪の場合を想定し、山の服装で参加するのが良いだろう。そう考え、前日にはトレッキングシューズ、登山用のスパッツと雨具などを準備していた。 奇跡的とでも言うべきか台風は太平洋上へ逸れ、激しかった雨も止んだ。これでもう4時間ものウォーキングに不安はない。後は最初から不信感を抱いてしまった若い添乗員が、果たしてどんな人物なのかを確かめることだ。楽しい旅になるのも、詰まらない旅になるのも添乗員の人柄が大きく左右するからだ。取り敢えず最初は黙って観察だ。私は不信感を封印することにした。 乗るべきバスと添乗員は妻が見つけた。担当する添乗員の表情は硬く、想像していた通りの若者だった。バスに乗り込んだ時、車中に顔見知りがいてビックリ。何と妻の兄が前から3番目の座席に座っていた。それに気づかず、妻は奥の方へ進んだようだ。義兄に挨拶し、慌てて妻に教える。妻も予想外の事態に驚いた様子。今回のツアーにも、やはりハプニングがあった。 バスが発車すると添乗員が挨拶し、これからの予定を話し出す。その話を聞いて、電話で話した時の彼の印象がやはり間違ってなかったことを知った。一方的な説明。長く丁寧な説明ではあるが、全然真心が籠っていない。乗客の心配などどこ吹く風。おまけに一日お世話になる運転手さんの紹介もしない。義兄の注意で、暫く経ってからようやく紹介する始末だ。さて、この生意気そうな若者と一緒の今日は、果たしてどんなツアーになるのだろう。<続く>
2010.11.01
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