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寒い日が続いた今年の春。だが、ようやく街路樹も芽吹き出した。そして気温が低いために長持ちしていた桜が、少しずつ散り始めた。待ちに待った家庭菜園のシーズン到来。昨日は長い間室内に取りこんでいた植木鉢を20ほど外へ出した。もう遅霜の心配はないだろう。 畑に堆肥を撒く。牛糞を加工したものと、我が家のコンポスト容器で作ったもの。それに石灰も。それらをすきこみながら土を耕す。このところの雨で玉ネギは順調に育っている。それ以外の畝に何を植え、何の種を蒔こうか。大した広さはないので種類は限られるのだが、そんなことを考えるのが楽しみなのだ。 引出しの中からゴーヤの種を取り出す。数えてみると10粒あった。これは去年我が家で作ったもの。果たして上手く行くかは知らないが、試しに育ててみることにした。先ずは小さな植木鉢に土を入れて1粒ずつ種を蒔き、如雨露で水を撒く。少し大きくなったら苗を定植する予定だが、どうなるか。 妻の依頼でバラの消毒液を買いに、近所のホームセンターへ行った。寒さが続いたのでまだ野菜の苗は売ってないだろう。期待してなかったのだが、育ちは良くないもののトマトの苗を発見して16本購入。そしてキュウリ、モロッコインゲン、小カブ、春菊の種も買った。帰宅後、早速植え付けと種蒔きを実行。今朝は寒かったけど、これから日毎に気温も上がってくれるはず。 今日は勤務帰りにミニトマトの苗を4本買った。昼食後早速畑に植えて支柱を施す。ヤーコンも植えたいのだが、どこにも売っていない。きっとどこかにはあるはず。毎年植えるトウモロコシやナス、ピーマンは止めた。値段の割には出来が良くないためだ。ついでに白のクリスマスローズを掘り上げて植木鉢に定植。赤い花の株と根が絡み合っていたため1本立ちさせたのだ。 連休中は何かと忙しい。庭仕事だけでも草取り、選定した枝の始末、堆肥の切り返し、そして支柱の強化など、色んな種類がある。花壇や庭には色んな花が咲き始めた。それについては改めて書いてみたい。暖かい日差しを浴びながらの庭仕事。頭を空っぽにして土と遊んでいると、とても良い気分転換になる。そんな日が明日から当分続きそうだ。< 今月のラン&ウォーク > ラン回数:15回 ラン走行距離:152km 歩き:毎日 距離161km 月間距離合計:313km 年間走行距離:804km 年間累計:1360km これまでの累計:71,394km
2010.04.30
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大雨の中を会場に急ぐ。この日の仙台は朝から雨。そして午後からは結構強い降りになっていた。会社のカラオケ大会がたまたまそんな日になってしまった。一旦帰宅してから再び街まで出かけるのは嫌。それも雨に濡れながらとはねえ。レインコートを着たのも久しぶりだった。 会場のビルに行くと、会社の担当者や管理職がにこやかに出迎えてくれる。そして会費500円を支払って折詰を受け取る。指定された部屋へ行くと既に何人かが来ていて、歌が始まっていた。同じ現場の仲間なので気は楽だが、歌の上手い人が最初に歌うと、後がやり辛い。それでもビールを飲みある程度酔って来ると、気後れが徐々に薄らぐ。 仲間の誰がどんな曲をどう歌うのか、それが私の関心事だった。そのうちの1人を除いて、彼らが歌うのを聴いたことがなかったからだ。最初に歌ったS司さんはアリスなどの歌を本格的に歌う。何年か前のカラオケ大会で優勝したことがあるらしいが、それもうなづける堂々とした歌いっぷりだった。 それに反していつもは何かと煩いS原さんは、音痴のせいか自信の無さそうな声だった。おしゃべり好きのIさんはあまり上手ではないが、古い歌ばかり選んで楽しそうに歌っていた。時々音程が狂うけど、それも愛嬌。責任者のYさんは声も良く、自分の音域に合う曲を選んで歌っていた。これは意外な一面。へえ~っと驚きながら聴いていた。一番若いOさんは歌わずに専ら食べるだけ。カロリーの高そうな料理やお菓子を次々と部屋に持ち込む。 さて私が歌ったのは「津軽平野」(吉幾三)、「酒と泪と男と女」(河島英五)、「なごり雪」(イルカ)、「昴」(谷村新司)、「ヘッドライト、テールライト」(中島みゆき)など。そして「銀座の恋の物語」をデュエットで。ただし、聴いてて素晴らしい曲が自分の音域に合うかどうかは別問題なのだ。それに普段から良く歌い込んでないと、いざという時に声が出ない。 酔うに連れて、色んな現場の人が部屋に入って来る。中にはハッとするような美人も。そして今年会社に入った新人や、広報担当の職員が写真を撮りに。何度か訪れる管理職は飲んでないのか、部屋の様子を窺うだけ。トイレに行った序でに、他の部屋も覗いて見た。中にはカラオケでしか会えない人もいるからだ。 何とか2時間の務めを終え、再び雨の中を濡れながら帰った。帰宅すると楽天はまた負けていた。そしてどういう訳かパソコンが開けない。仕方なく楽天が負けたスポーツニュースを、繰り返し観ていた私だった。
2010.04.29
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< 復路編 > 給水所でほんのわずかだけ休み、再び走り出す。復路は基本的に下り坂のためかなり楽。だが次々にスピードランナーに追い抜かれた。それぞれの走友会の中心選手だから速いのは当たり前なのだが。暫く「おんちゃん」ことT野さんと並走。 おんちゃんは同じ走友会の仲間だが、これまであまり話したことがなかった。去年はたった1回しかレースに出れず、それも途中リタイヤだったと彼。そんなことを聞いたのは初めてのこと。やがて仲間のO川さんが後ろから追いつき、おんちゃんと一緒に前へ行った。何とか追いつこうと頑張ったがとても無理だった。 この朝、私を除く走友会の仲間は、全員リュックを背負ってスタート地点まで走って来た。その中でもおんちゃんとO川さんは一番遠く、私より16kmほど余分に走ったはず。後で聞いたらおんちゃんは元サブスリーランナーなのだとか。道理で疲れを感じない走りだった訳だ。それにO川さんのストライドの広さ。地面に足を摺りながら走る私の草臥れた姿とは大違いだ。 仙台鉄人会のF田さんが2人の女性を引き連れて、颯爽と抜いて行った。抜きながら軽口を言う余裕。あれで69歳の最年長、それに現役の山男なのだから驚く。往路で引き返したM井さんは、重たいリュックを背負っていた。10km余分に走った上、さらに負荷をかけたのは、月末の「さくら道」を想定した練習なのだろう。そのたゆまない努力が本番で実を結ぶことを祈る。 道路を横切ろうとして後ろを振り返った時に「かんかね温泉入口」の標識を発見。危うくコースを間違える所だった。慌てて引き返し、坂を下ると桜の木の下に最後の給水所。スタッフの方が通過選手をチェックしていた。もしあのまま直進していたら、「行方不明」扱いになって迷惑を掛けたはず。バナナとおしんこをいただき、水を飲んでスタート。 たんぽぽRCのSさんが追い駆けて来た。コースを間違えないよう必死だったと彼女。もうここまで来れば迷子になる心配はない。そう言えば我が班のリーダーも折り返し点が分からなかったため教えてあげたっけ。その時、車の中から名前を呼ぶ声がした。「一体誰だろう。こんな所で」。 不思議に思って振り向くと、H岡さんのにこやかな笑顔がそこにあった。うひゃ~。隣の席にいるのは奥様で、家族サービスのドライブかな。こんなことがあるから人生は面白い。面白ついでにコースを外れ、妻へのお土産に「おはぎ」を買った。そして最後はホテルへの急な坂道を歩く。ところが明走会の名物男Aさんは、足取りも軽やかに走ってゴール。日頃はもっぱら山道を走っているのだとか。なるほどねえ。 ゴール後の温泉は気持ち良かった。少し濁って緑がかったお湯の色。ホテルの名はそれに因んだのだろう。秋保温泉の中でも、ここは源泉が異なるようだ。6つほどの走友会が入り混じった練習会と懇親会はとても楽しかった。50名近いランナーはレベルも目標も違うけど、若いランナーに交じってスピード練習が出来、とても刺激になった一日だった。 遠くのレースに出かけるのも悪くはないが、近場でこんな交流が出来るのはありがたい。わずか31kmの練習に疲れ、飲み放題のビールに酔った私は、その夜必死でブログへ報告を書いたのだった。そうそう、懇親会の最中、M井会長が気になっていた楽天の途中経過を報告してくれた。ファンの私には実に嬉しかった。苦戦したが、田中マー君が3勝目を挙げた試合だった。
2010.04.28
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先日参加した仙台明走会さん企画の「秋保夢舞マラニック」については当日の夜にレポートを書いたのですが、酔いと疲労のために気の抜けたような報告になってしまいました。そこで書き遺したことを中心に、少しだけ補足しておこうと思います。< 往路編 > スタート地点となるホテルは高台の上にある。そこに向かう道は深い切り通しとなっていて、苔むした土手には可憐なカタクリが咲いていた。スタートまでの合間に、私は良く手入れされた広い庭を散策していた。せせらぎには水芭蕉が咲き、クレソンと花ワサビが茂っていた。そして池の畔にはショウジョウバカマも。 鯉が泳ぐ池の傍で、私はゆっくり体を動かした。前日の土曜日は愛犬と朝夕の散歩をしただけ。それ以外は部屋に閉じこもり、コタツに入りながら音楽を聴き、本を読む一日だった。30kmも走るのだから、せめて準備体操くらいはしよう。そう思って自己流のラジオ体操を始めたのだった。 さて、この日の服装として選んだのが、半袖の黄色いTシャツ。背中には「会津魂」と大書してある。去年の10月に走った「東山温泉紅葉ランニング」の参加賞だ。下は黄色に紺のストライプが入ったランパン。滅多に着ない派手な服装にしたのは、コースにほとんど歩道がないため目立つ方が事故を防げると考えたからだ。手袋も赤にしたが、ちょっと目立ち過ぎたか。 秋保温泉から秋保大滝に向かうこのコースはほぼ名取川に沿い、周囲には幾つかの温泉場がある閑静な場所。通行する車が少ないため、ランニングの練習には持ってこいだと思う。秋保温泉の湯元付近には湯の神を祀る小さな神社がある。温泉が発見されたのは奈良時代で、その当時は「名取の湯」と呼ばれていたようだ。 第1給水所は名取川の畔。付近には満開の桜が何本もあり、復路通りかかった時は何組かの花見客が居た。そこから少し先に「かんかね温泉」の看板。不思議な響きだが漢字で書くと確か「神ケ峰」だったと思う。そして10km地点の第2給水所は、豆腐屋の前に設定してあった。ここの豆腐は美味しいので有名。わずかだが仙台市内でも売ってる店があるようだ。 この辺りまで来ると前方に真っ白い雪を戴いた山が見える。栃木県日光の男体山に良く似た山容で標高1366mの大東岳だ。そして折り返し点に近づくと急な上り坂が多くなる。川は深い渓谷になっていて、もう道路からは見えない。 15.5km地点の秋保大滝が折り返し点。ここには不動尊を祀った古寺や市立の植物園があり、坂を下った先には落差60mほどの秋保大滝がある。それらを観に来る観光客が結構多く、休憩所や売店、山野草の店などが賑わっていた。 駐車場の中に3つ目の給水所。と言っても、先ほどの場所から移動して来ただけの話。ここで選手たちは水やスポーツドリンクで喉を潤し、お菓子などでエネルギーを補充して引き返して行く。 この県道をさらに進むと二口渓谷と言う紅葉の名所に出、山道を登った山形県境の彼方に、奥の細道で芭蕉が詠んだ「閑けさや 岩にしみゐる蝉のこゑ」で有名な山寺立石寺に辿り着く。私は走ったり歩いたりして何度か山寺まで行ったことがある。家からだと52kmほどか。<続く>
2010.04.27
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< 歴史小説と専門書の違い > 吉村昭著「ふぉん・しいほるとの娘」の下巻を読書中であることは前にも書いた。最後まで読んでないためどんな結末になるのか分からないが、楽しみでもある。さて、シーボルトが長崎滞在中に愛妾其扇(そのおおぎ=本名お滝)と出会い、2人の間に女児お稲が誕生する。 シーボルトはその後国外追放処分となるが、やがて成人した稲は我が国最初の女医として活躍する。明治新政府誕生後再び日本を訪れたシーボルトは、お滝や稲と再会するようだ。このように本書の観点の一つが、シーボルトとお滝親子との交流。仮にこれを縦糸の「経」としよう。 もう一つの観点は当時の日本と世界の状況。これが横糸の「緯」だ。著者は縦と横の糸を巧みに織り成して、この小説をより鮮明で緻密なものした。この小説を書くに当たり著者は様々な文献を調査し、中には初めて発掘した資料もあったと聞く。その執念こそが小説を面白くし、幕末から明治に渡る緊迫した歴史に光を当てる。 シーボルトがオランダの密命を受けて日本に関するあらゆる資料を手に入れようと画策し、国禁の日本地図などを入手する動きにはハラハラさせられた。そしてそれに協力したために死罪などの重罰を受けた門弟達の苦しみに胸を打たれた。鎖国体制を守りぬこうとする日本と、何とか開国に追い込もうとする先進国との息詰まる戦いがその背景にあったのだろう。 これは小説と言うより歴史的ドラマそのもので、まさに「事実は小説より奇なり」の典型か。この小説から学ぶ点はとても多いし、著者の執念には頭が下がる思いだ。上下合わせて千ページ以上読んだが、まだ400ページ以上も紙数が残っている。これほど壮大なドラマに巡り会えたことに感謝している。 この後読む予定の本は、オールコック著「大君の都」全3巻とアーネスト・サトウ著「一外交官の見た明治維新」全2巻。共に幕末から明治期に日本へ派遣されたイギリスの外交官が書いた本。内容が専門的なのに加えて訳文も古く、きっと読破には難渋するはず。少なくても1年半はかかると覚悟している。外国人の目から見て当時の日本はどう映ったのだろう。新たな知見が深まることを期待している。
2010.04.26
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昨夜は早いうちから結露が生じていた。そして今朝は一面の霜で屋根も真っ白になっていた。最低気温は1.3度しかなかったようだ。今日は仙台明走会主催の「秋保夢舞マラニック」の当日。愛犬との散歩と朝食を済ませ、早々に駅へ向かった。 前日は一歩も走らなかった。走ろうと思えば走れたはずなのに、突然の雨や雹(ひょう)などの天候不順を理由に部屋に閉じこもっていた。同じ走友会のM井さんからは、10kmほどの会場まで一緒に走って行こうと誘いを受けていたが、お断りさせてもらった。普段の練習では7kmくらいしか走らないのに、10km走った後さらに本番で31kmも走るのは、今の私には無謀。それに仙台駅前でホテルの送迎バスに乗ると連絡済みだったためだ。 バスに乗ったのは31名。それに加えて直接スタート地点に向かう人も多いと聞いた。会場のホテル到着は8時ちょっと過ぎ。通されたのはナイトクラブの部屋。なるほどここなら夜まで空室になる。やがて全員が揃い、会長から挨拶と説明があった。9時ジャスト。5人ずつの班ごとにウエーブ出発。私は5班になった。 M井会長の配慮で色んな走友会をごちゃ混ぜにした班。そしてリーダーは明走会の方。だが走力が違うため、中には徐々に遅れる人も出だす。往来の激しい県道を避けて、暫く裏通りの市道を行く。ここは初めての道で、とても新鮮に感じた。5km地点に最初のAS.そして2つ目のASからは自由走になった。 折り返し点の秋保大滝前に3回目のAS。ここまででも結構アップダウンが厳しかった。復路は気温が上がり出し、手袋を外した。やはり練習量不足が祟って、途中からきつくなって来た。それでもこんな距離の長い練習は1人では出来ないので、最後までなんとか頑張った。途中店に寄り、妻の土産に名物の牡丹餅を購入。 ゴール後は早速温泉に入った。時間を間違え急いで出たが、疲労と空腹のため長湯は禁物だと感じた。入浴後は班ごとに席に並び、懇親会の部に突入した。皆一緒に走った後だけに、和気藹藹とした雰囲気が漂う。3千円の会費で走り、温泉に入り、ビールが飲み放題とはあまりにも安い。幹事をしてくれた仙台明走会の方々には感謝に堪えない。 普段走友会の練習をサボっているため情報不足なのだが、今日は仲間の消息を聴けた。宮城UMC3熟女の1人K村さんは今日「富士五湖」を、そしてH多さんは「奥熊野」を走っている由。この月末にある「さくら道」に参加するのはM仙人の他、D夫妻、M井さん、そして3熟女の1人K藤さんの合計5人とか。彼らの挑戦魂には頭が下がる。是非270kmを走破して欲しいものだ。 本来なら目下連載中の「密やかな愉しみ」第5回を書くべきところ、今日は急遽レースの報告をさせてもらった。早急に疲労を回復させ、明日は再び連載の続きを書きたいと思う。最後に補足を一つ。スタート地点の秋保温泉では真っ盛りだったソメイヨシノも、折り返し点の秋保大滝付近ではまだ蕾だった。15km奥まっただけで、桜の開花状況がこれほど違うとは驚きだった。
2010.04.25
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< 歴史小説編 その1 > 今年の正月から読み出したのが新田次郎著「アラスカ物語」。これは明治初期にアラスカに渡ってエスキモーを飢餓から救った日本人、フランク安田の実話。彼は宮城県石巻出身で、そのことが読書のきっかけだった。「アラスカ物語」自体は歴史小説ではないが、明治という時代を反映しており、幕末から明治にかけての歴史をもっと知りたくなった。 新田次郎の小説の面白さに惹かれて「強力伝・孤島」を読んだ後に急遽方向転換。「アラスカ物語」のテーマであった「海と船」への興味から次に選んだのが、吉村昭著「アメリカ彦蔵」だった。彦蔵は播磨国(現在の兵庫県)に生まれ、13歳の時に乗り込んだ船が難破して小笠原諸島で仲間と共にアメリカの捕鯨船に救助される。 やがて若い彼だけが現地で教育を受け、キリスト教徒となってアメリカに帰化する。その後駐日公使ハリスにより神奈川県領事館の通訳となり、明治以降は大阪造幣局の創設に協力し、大蔵省にも勤務して日本で死を迎える。この間アメリカではリンカーン始め3人の大統領と謁見。幕末期には攘夷に狂う日本に恐怖を感じ、何度か脱出している。 次に読んだのが吉村昭著「大黒屋光太夫」上下巻。伊勢国(三重県)出身の彼も船で江戸へ向かう途中に難破し、ベーリング海に浮かぶロシア領の小島に漂着。そこからカムチャッカ半島に渡り、親切なロシア人の支援により大変な苦労の末モスクワまで旅し、エカテリーナ女帝に謁見。 「南下政策」を採るロシア政府の意向で日本へ帰されたが、生きて日本へ帰れたのは十数名中わずか2名だった。ロシア語が出来た彼は、幕府の通訳として採用、重宝される。彦蔵や光太夫らの乗った船だけでなく、当時は多くの日本船が難破し、外国船に救助されている。だが帰国出来た者はごくわずかだった。 当時のキリシタン禁制が理由の一つ。外国で洗礼を受けた者は入国を拒まれた。そして多くの船が難破したのは、和船が外国へ渡れないよう舵を壊れやすくしていたため。難破船が救われたのは西洋諸国の船が開国と通商を迫って日本近海へ多数来航していたからだ。またアメリカは、捕鯨船の食料と水の補給を理由に寄港を要望していた。 長い間鎖国を守ってオランダと中国以外の船が近づけず西洋の事情に疎かった日本だが、近海にはこのようにイギリス、フランス、ロシア、アメリカなどの大型船が取り巻いていた。中国はイギリスとのアヘン戦争に敗北しており、日本も泰平の眠りに就いている情勢ではなかったのだ。 吉村昭著「ふぉん・しいほるとの娘」は目下下巻を読んでいる途中。オランダ人が居住した長崎の出島が、当時世界へ開かれた唯一の窓だった。だがシーボルトはドイツ人の医師。どうしても日本のことが知りたくてオランダ政府に頼み込んだものの、オランダ語は下手。一方、日本の詳しい情報を得たいオランダにとって、高名な医師であるシーボルトを日本へ派遣するのは好都合だった。<続く>
2010.04.24
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< テレビと歴史の勉強 > 初めに昨日書いた内容の一部を修正・補足しておきたい。「大仏開眼」に関して記した多賀城の「壺の碑」だが、多賀城を修築したのを藤原仲麻呂(恵美押勝)と書いたが、これは彼の四男である藤原(恵美)朝狩(正式には獸偏に葛の字)の間違いであることに後で気付いた。 仲麻呂(押勝)は太政大臣で東北へは来ておらず、陸奥守兼鎮守府将軍であった朝狩が多賀城に駐在している。不思議なことに石碑が建てられたのは天平宝字8年(764年)の12月。同年9月に藤原仲麻呂の変が勃発。参議として朝廷に仕えていた朝狩も、父と共に孝謙上皇の軍と戦って敗死した。 それらの事態を予測出来ずに造られた石碑は、仲麻呂・朝狩親子が賊軍となったため地中に埋められたのだろう。再び発見されたのは徳川時代の万治から寛文年間(1658~1672年)のようなので、約900年間眠っていたことになる。芭蕉が「奥の細道」でこの碑を見たのが元禄2年(1689年)だった。 「仲麻呂の変」の原因は病気を治癒してくれた道鏡を寵愛した孝謙上皇を諌めたことにあったようだ。いわゆる男女の仲だったのだろうが、皇室に遠慮したのかその辺の状況は「大仏開眼」には出て来ない。藤原氏の主流はこの後「南家」から「北家」へと移り、道鏡も和気清麻呂らによって追放される。 歴史好きな私だが、このような記憶違いや勘違いがたまにある。文章として公表する場合にはよほど注意しないといけないのだが、つい確認を怠る悪い癖。恥をかき、自分で調べ直すことで歴史の真実と面白さを知るのも勉強のうちか。 テレビ番組についてもう一つ記しておきたい。今年の大河ドラマは「龍馬伝」。幕末から明治維新にかけてのドラマはこれまでにも何度か観た。だが今回のドラマは一風変わっている。土佐勤皇党と吉田東洋との関係、坂本龍馬と岩崎弥太郎との関係など知らなかったことの連続。三菱財閥の基礎を作った岩崎弥太郎が、まさかあれほどの貧乏ぶりだったとは。脱藩した龍馬が勝海舟と出会うまでの経緯も今回初めて知った。 こんなことが関係して、元々日本の古代史が好きだった私が、幕末から明治にかけての近代史についても急速に関心を広めた。それを助長したのが歴史小説なのだが、その話はまた明日にしよう。<続く>
2010.04.23
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< テレビ番組編 > 密やかな愉しみ。字は「密輸」に似てるけど、内容はまったく違うので誤解の無いように。(笑)さて、今日は雨。それもかなり冷たい雨が降っている。今朝の4時半過ぎの天気予報では雨は午後からのはずだった。それを信用して自転車で出勤したのだが8時半ごろには降り出し、内心これは困ったことになったと思いながら勤務に就いていた。 第2現場での仕事が終了しても、雨は止みそうもない。そこでなるべく濡れず済むよう工夫したのだが、ズボンはびしょ濡れになった。帰途の途中、パチンコ店の前で行列する大勢の人。多分新装開店なのだろう。平日のまだ昼前と言うのに、出球を期待して群がる老若男女。趣味も人それぞれではあるが、煙草の煙の中で長時間いらいらするなんて、私にはとても考えられない。 帰宅ランには2つの楽しみがある。1つ目は走ること自体だが、2つ目は帰宅後のテレビ。つまり12時45分から再放送される連続ドラマを観ることにある。3月末から始まった「ゲゲゲの女房」は、漫画家水木しげる氏の奥様が書かれた実話だが、これがまた面白い。これからどう進展するのかと、興味津津で観ている。 3月まで放送していたのが大阪局で制作された「ウェルかめ」。徳島を舞台にした話だったが、視聴率はこれまでの最低だった由。私は徳島で5年以上勤務したことがあるせいかとても面白かったが、地元以外の人にとっては早々に興味を失う結果となったのだろう。 その点「ゲゲゲ」は実話に基づいているせいか展開が読めず、知らず知らずのうちに引き込まれてしまう。ストーリー性のある導入部はとても短いが注目を引くには有効だし、親しみ易いテーマ曲も明るくてなかなか良い。何よりも、戦後間もない時期の人々の暮らしぶりが、私達の年代には懐かしさを蘇らせるのかも知れない。 先日2回に亘って放送された「大仏開眼」も見応えがあった。時は聖武天皇が在位した奈良時代。登場人物としてはお后の光明皇后や彼女の側近だった藤原仲麻呂、僧の玄ぽう(日に方)。また、二人の娘である阿倍内親王(後の孝謙天皇、称徳天皇として重祚)とその側近の吉備真備、それに浮浪僧の行基など多彩だった。 それらの名前は知っていた。聖武天皇は熱心な仏教の信奉者で諸国に国分寺を建て、光明皇后も夫の遺品を正倉院に収めたことで名高い。だが、他の人がどんな人物で、どんな仕事をしたのかまでは知らなかった。まさか東大寺と大仏建立の陰に、あんなドロドロした戦いがあったとは意外だった。そして何故一介の浮浪僧にしか過ぎない行基が、大仏建立の中心になったのかも。 まして藤原仲麻呂の名には覚えがなかった。それが光明皇后の庇護を受けた恵美押勝と同一人物と知って驚いた。彼は蝦夷の反乱で焼け落ちた多賀城を修復した人物。壺の碑にその名が刻まれているを私は知っていた。野望に燃えた彼は政治を我がものにしようとし、終には吉備真備と戦い討ち死にする。 ドラマにはないが、謀反人の彼の名が刻まれた石碑は倒され、地中深く埋められて歴史から抹殺される。その名が蘇るのは約千年後。江戸時代になって偶然石碑が掘り起こされたことによる。たった2回の放送のために費やした制作費用は大変なものだったはず。天下のN○Kだから出来たドラマではあるが、私にとってはまたとない歴史研究となった。<続く>
2010.04.22
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< 音楽編 > アースマラソン中の寛平ちゃん。ヨーロッパからトルコへ入り、イランを通過した。その先はどこへ向かうのだろうと私は少し心配していた。パキスタンからインドを経由し、東南アジア周りで中国へ向かう場合は、治安と猛烈な暑さが問題と予想した。 一方、中央アジア経由で中国を向かうルートは昔のシルクロード。ここは人間が住んでるとばかりは限らず、難渋するのは目に見えているからだ。数年前にヨーロッパから日本まで走って来たイギリスのランナーは、確か中央アジア経由だったはず。結局寛平ちゃんはイランからトルクメニスタンへ入国し、中央アジアの道を選んだ。 だが日本をスタートして484日目、3万2500kmに達した時点で彼は走るのを止めた。理由は前立腺がんの治療。中央アジアルートには大きな病院がなく、信頼がおける医師から専門薬の提供を受けることが困難なためだ。急きょ中国経由でサンフランシスコへ向かい、手術を受けると聞いた。彼がトルクメニスタンの地から再び走り始めるのは2カ月後になる由。手術が無事成功することを祈りたい。 先日来「You Tube」の音楽にはまっている。実に色んな曲を聴いた。その中には、妻や子供たちが口にしていた歌手の歌も混じっている。歌手や曲名でも検索出来るから簡単。今日は歌詞の一部を入れてみたが、それでも正しい曲名が画面に現れた。流れる音に合わせて、つい歌ってしまう。一昨日妻にその話をしたら、こっぴどく叱られた。「そんな暇があるなら、毎日玄関を掃いて」がその答え。 だが雨にも負けず、妻の怒りにもめげず、私は今日も歌を聴き、口ずさむ。これまでに聴いたのはケミストリー、チャゲ&飛鳥、小田和正、徳永英明、河島英五、谷村新司、長渕剛ら。ポルノグラフィティーや槇原敬之も聴いたが私にはいまいちだった。そのうち森山直太朗や尾崎豊も聴いてみたい。古い歌手ならI・ジョージや伊藤久男なんてのはどうだろう。 女性歌手ではイルカ、古い頃のカルメン・マキ、石嶺聡子、松任谷由実、森山良子、中島みゆきなどを聴いた。美空ひばりの「林檎のふるさと」は昭和20年代の曲。レコードの針の音がして、とても懐かしかった。これから聴いてみたいのは岸洋子や加藤登紀子かな。 曲として好きなのが「昴」、「乾杯」、「なごり雪」、「地上の星」、「翼をください」など。ギター曲の「禁じられた遊び」や「アルハンブラの思い出」も聴いた。どちらかと言うと、私はしみじみとした歌や曲が好きだ。大昔観たギリシャ映画の「春のめざめ」。あのテーマ音楽がとても好きだったのだが、残念ながらまだ探せてない。楽器別の検索も試してみたいことの一つ。 そうそう。曲によっては歌詞が画面に出る。来週は社内のカラオケがあるから、その練習台に良いかもしれない。また妻を引き摺り込んで、我が家でカラオケ大会をするのも一興かも。私も妻も歌が好きな方。きっと面白いと思うのだが果たして妻が乗って来るかどうか。密やかな愉しみは案外身近なところに潜んでいたようだ。<続く>
2010.04.21
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< 何かが変わる > 気温が上昇した今日は、久しぶりにランパンでの帰宅ランになった。仙台市博物館(仙台城三の丸跡)周辺の桜がかなり開花していた。模様替えのため暫く休館していた博物館は今日から開館で、特別展「聖地チベット」を開催中のようだ。遊園地の桜はまだ咲き始めで、満開までにはもう少し時間がかかる感じ。 さて昨日話題にした上海万博PRソングの盗作事件は、その後急転直下の解決になったようだ。あれから同万博事務局から岡本真夜所属の事務所に、問題となった「そのままの君でいて」を使わせて欲しいと正式に願い出があった由。細部は詰まっていないものも、岡本本人は認可する意向とか。 完全に彼女の曲と同一ではないが、先方が違法性を認めたのは間違いない。盗作したことに対する謝罪や、その補償方法などはこれから話し合うようだ。何しろ5月1日からの開催に間に合わせるのだから忙しい話。パビリオンの中には建設が間に合わないものもあるみたいだ。 そもそもこの問題が明らかになったきっかけは、中国の若者がネットへ書きこんだこと。彼らが日本のシンガーソングライターを知っていたことと、彼らの行動が最終的には万博事務局を動かしたのが意外と言えば意外かも。グーグルが検索部門を撤退することも含め、中国で何かが変わることを期待したい。 一方、鳩山政権の反応の鈍さはどうだろう。政権が発足した当初、防衛に関してはアメリカと白紙の状態で協議する意向を示したし、沖縄の米軍基地は最悪でも県外へ移転することを表明した。そんなことが本当に出来るのだろうか。実現すれば本当に嬉しいことと、沖縄県民はもとより多くの国民が心から期待したはず。 だがその後の対応を見ると、政権交代の時点で民主党が何らの腹案も持ってなかったのは明白。あの剛腕幹事長が「きれいな沖縄の海に基地は作れないでしょう」と話していたのは一体何だったのだろう。仮定の話は誰にでも出来るが、もし現実に基地の移転候補地になったら、住民が命がけで反対するのは目に見えている。だから解決には長い年月を要するはずなのに、あの総理はいとも簡単に期限を示した。 普天間基地の移転問題は自民党でもてこずった重大案件。だからこそ北部振興とのセットで現行案に落ち着いたのに、民主党は沖縄県民に儚い夢を見せただけ。つまり寝た子を起こした訳だ。これはまったく罪な話で、まっとうな政治家のすることではない。嘘つきと言われても仕方がないし、沖縄県民が怒るのは当たり前だ。 先日も中国の潜水艦が宮古島沖を浮上したまま通過したばかり。中国本土から遥かに遠い南鳥島周辺にも中国軍の艦船が出没しているし、東シナ海における天然ガスの日中共同調査は、中国が再び工事を先行させる動きを見せている。朝鮮半島では韓国の艦船が何者かによって撃沈されたようだ。これはひょっとしたら北の仕業かも知れない。そしてその韓国も、竹島周辺で資源探査を開始する予定と聞く。 世界の平和実現のために一切の軍備を放棄する。それは理想ではあるが、現実的ではないと思う。最近色んなミニ政党発足の兆しがあるが、これまでの二大政党を中心とした政治から脱却する手掛かりになるかどうか。そんな重要な時期だけに新聞を始めとするマスコミも、支持率の低下を面白おかしく取り上げるだけでなく、本来の使命であるオピニオンリーダーとしての役割を果たして欲しいと思うのだが。 政治は人気投票ではない。また、人気が高い政治家が必ずしも素晴らしい政治をするとは限らない。政治家が自らを律し、国民や県民のための政治を志してくれたらどれだけ助かるか。大阪府の橋下知事、名古屋市の河村市長。今、この2人は極めて注目すべき存在だ。国政においても憂国の政治家が出現すると嬉しいのだが。
2010.04.20
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< 認識の差 > 今朝の散歩時にはまだ二分咲きだった近所の桜が、午後には三分咲きほどまで開いた。昨日の日曜、四国の長女から電話があった。妻にかけたようだが、生憎彼女は安達太良連峰を描くため、絵の仲間と福島県へ出かけていた。前日の土曜日に仙台で雪が降ったことを話すと、ビックリする長女。今年の冬は普段暖かい四国でも結構寒い日が続いたとか。 この4月に転勤した新しい学校の話を聞いてみた。始業式の日、下の孫娘は壇上の母親に気づいて手を振ったようだが、上の孫娘は友達に教えられて初めて気づいたとか。2人共きっと不思議な気持ちになったことだろう。娘がどんな用件があったかは聞かなかったが、妻が不在だったお陰でいつもより長く話せた。「70歳まで働く予定」と告げると驚く娘。家族も皆元気なようで一安心した。 パソコンが変わってから、新しい楽しみが増えた。その一つが動画を観ることだ。アイスランドの火山の溶岩が流れる様子は圧巻だった。火口の直ぐ傍まで人が近づいていることにも驚いた。自然の脅威を目の当たりに出来るのも、最新技術の為せる技と感心する。 今日はYou Tubeで音楽を聴いた。あるいは観たと言う方が適切かも知れない。古いパソコンはほとんどファイルを使ってなかったのに、何故か利用可能な領域が15%ほどしか残っておらず、スムースに動くことが少なかった。それに比べれば新機種は雲泥の差。まさか映像を観ながら自由に音楽を聴けるとは。 若い歌手に混じって、懐かしい歌手の歌も聴いた。古い映像にはどうしても心を動かされるものが多い。それだけ自分が歳を取った証拠だろう。それはともかく、最近中国で発表された音楽が論議の的になった。上海万博のPR曲がこともあろうか、日本人が作曲した歌に酷似しているとのこと。ニュースで聞いて、あまりにもそっくりなのにあきれ果てた。 岡本真夜さんが1997年にリリースした「そのままの君でいて」が問題の曲。感想を聞かれた岡本さんが「近いうちに解決するのでは」と大人の対応を見せたのはさすがだった。ことの発端は万博PR曲を聴いた中国の若者が、日本の曲にそっくりだとネットで指摘したことらしい。 コピーと言えば体裁良いが、あの国は偽物天国。商標や特許など知的財産権を簡単に奪うのはお手の物だ。偽ディズ○ーランドなどはその典型だし、北京オリンピックの時は、違う少女に「口パク事件」を起こさせて問題になった。さすがに今回は拙いと思ったのか、問題の曲を暫定的に使用停止にした由。 そう言えば、大問題になった「毒ギョウザ事件」の犯人が、つい最近逮捕されたとのニューズがあったばかり。どうもあの国では「認識」がかなり遅れていると思わざるを得ない。「日中の歴史認識に関する共同研究」でも、日本が「南京虐殺」を認めた途端に話がストップしたとか。日本が否定すればこそ追求出来たものが、数の根拠を求められると答えに詰まってしまうのだろう。<続く>
2010.04.19
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< ご近所付き合い > 愛犬が猛烈に吠えたのは、確か3月の半ば頃だったと思う。カーテンを開けると隣の敷地で何やら作業をしていた。普段は人がいない場所に3人もの人が現れたため、愛犬は警戒したのだろう。「何をしてるんですか?」。私がベランダから声を掛けると、「測量のための下準備です」との返事。 実際に測量会社が来たのは、それから3週間も後のこと。その前に、測量に際しての立会いを求める文書が届いていた。先月初めに引っ越して空き家になったその家は、持ち主の意向で解体し、更地にして売り出すのだと思う。20本近くある高い木が邪魔になっていたが、あれもすべて伐られるみたいだ。 その測量に立ち会って驚いた。何と我が家の塀は境界線の内側にあったことを初めて知った。この土地は結婚した年に買い、その10年後に買い増ししたもの。その間転勤に次ぐ転勤のため、私は仙台を離れていた。だからコンクリートの塀の工事は、まだ元気だった妻の父に任せたきりだったのだ。 工事を請け負ったのは生真面目な老人。頑丈な塀を作ったのは良いのだが、その際境界線の中心ではなく、柱の5cmほど内側に建てたようだ。奥行きが20mくらいあるため約1平米分が無駄になったのだが、今までそのことに気づかなかった私も迂闊だった。 別なある日、2軒前の家の奥さんが1人で木を切っていた。でも手に持っていたのは小さな鋸。とても木を伐り倒せるような代物ではない。そこで私も鋸を持って手伝いに行った。四苦八苦しながら作業していると、お向いさんが観に来た。「それは板を切る鋸で、木を伐るものではないよ」。彼は笑いながら近いうちにチェーンソーを借りて来ると告げた。 その作業が始まったのがパソコンが故障し、午後から温泉へ行く日だった。気は急いたが先日手伝った手前、抜けることは出来なかった。もう1人も小型のチェーンソーを持って駆け付け、男女4人での作業になった。結局伐った木は14本。いずれも硬くて高い木で、運搬も含め女性1人で片付く内容ではなかった。 彼女が焦っていたのは、隣家の解体に関係するからだ。隣が畑だったから木の枝が飛び出しても迷惑を掛けなかったのだが、新しく塀を作るとなれば邪魔そのもの。期日を迫られた彼女は、業者に頼むと莫大な費用がかかると考えて行動を開始したが、たちまち行き詰まったのだろう。 ある夜、チャイムが鳴って誰かが来た。2階まで届いた声では2軒前の奥さんみたいだ。後で聞いたら先日のお礼に北海道名産の海産物を持参した由。それに彼女の夫は仕事の関係で各地に出張していて、普段は留守がちなのだそうだ。ふ~む、それで町内会の草取り作業はいつも奥さんが出ていたのか。 妻の新しい自転車が届いた日、私と妻は日本酒とビールを持ってお向いさんへ挨拶に行った。先日の事故の原因は確かに彼にあったが、彼は壊れた自転車に代わって新しい自転車を買い、わざわざ見舞い金まで持参した。その誠意に応えたいと言うのが妻の気持ちだった。 さて、隣家は2軒分の土地として売り出されるはず。古家が解体されて更地になった後に、果たしてどんな家が建ち、どんな隣人が引っ越して来るのだろう。もし若い人なら、きっと我が町内会も少しは活発になるかも。 先日パソコンを届けてもらった電気屋さんからは、その後LEDランプを買った。新しい近所付き合いも悪くはない。むしろ余生を過ごすこれからの方が、より関係が深まるのかも知れない。お節介はいけないが、高齢化へ向かう町内の人間関係を大切にしなくてはと思うようになった。
2010.04.18
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< 何とかなりませんか~ > 今、半纏を着、コタツに入りながらブログを書いている。そして窓の外は雪。これがもうすぐ4月下旬になるという天候なのだから驚いてしまう。昨日の夕方、妻がたくさんの野菜をかかえて帰宅した。近所のスーパーで安売りがあったのだとか。 この冬は暖冬。それが昨年の晩秋の長期予報だった。確かに冬の初めは温かかったものの、今年に入ったらすっかり様子が違ってしまった。寒い日と暖かい日の差があまりにも極端なのだ。全国的な異常天候で野菜の成長が大幅に遅れ、価格高騰の原因になった。 仙台では桜もほとんどが蕾のまま。今朝の散歩時に、一瞬桜が咲いたのかと目を疑ったのだが、良く見たらそれは真っ白な雪だった。今日の最高気温は5度とか。テレビで観た中では、仙台が最も寒い表示になっていたのには驚いた。東京でも雪が降るくらいだから、仙台が雪でもおかしくはないのだが。 おかしいと言えば我が東北楽天も相当なもの。野村前監督が退団した昨秋の騒動。今シーズンが始まるギリギリで名誉監督への就任が正式に決まったが、楽天の凋落はあれから始まっていたのだろう。セリーグの4年間すべてBクラスだったブラウン氏を監督に迎え、大部分のコーチをも解任した楽天。 元々がIT企業のせいか、楽天球団は極めて厳しい経営感覚を持っている。選手の年俸の高騰を嫌い、少しでも安上がりな選手の獲得に奔走する。その代わり子供や女性など、野球を知らないファンを楽しませ、何とか球場に呼び込もうとする商魂は逞しいものがある。だが野球は勝負事。どんなに楽しいイベントを企画しようが勝たない球団には何の魅力もないという本質に、きっと上層部は気づいていないのだろう。 今季私が球場に足を運んだのはたったの1回。田中マー君が登板した日だったが、頼みの綱のマー君もあの日はやけに淡白な投球であっさりと点を奪われ、敗戦投手となった。対オリックス戦3連敗で終わった今シーズンの幕開け。あの時に感じた野村前監督とブラウン監督の采配の違い。結局はあれがすべてだったのかも知れない。 スポーツ紙によれば、ブラウン監督は年俸5千万円の3年契約。だが最初の年にAクラス入りを果たせなかった場合は1年で解雇との条件になってる由。さらに彼は単なる「あて馬」で、本命は仁村2軍監督の起用らしい。真偽のほどは定かではないが、昨年見せた勝利への執念が感じられないことだけは確かだ。 いかに楽しい雰囲気の球場を作ろうとも、出ては負けの連続でファンが喜ぶとでも思っているのだろうか。野村解任に抗議してファンクラブを脱退した私の選択は、どうも間違ってなかったようだ。私は彼が好きだった訳ではないが、弱いチームを何とか勝たせようとする作戦には心服していた。 アメリカ人特有の伸び伸び野球。選手の自主性を重んじるブラウン監督の姿勢は尊重しても、楽天の選手達が本当に信頼されるべき領域に到達しているかは別問題。「せいぜい5位か悪ければ6位」。シーズン初めの名誉監督の予想が、現段階では不幸にも的中している。選手にはもっと勝利への執念と覇気をもって欲しい。 しかし、楽天よりもっと深刻なのが鳩山政権。どうも彼には今の日本がおかれた立場が全然分かっていないようだ。絶体絶命の状況でありながら、彼一人だけは「ノープロブレム」だと思っているふしがある。一体何なのだろう、この形容しようのない閉塞感は。早く春が来て欲しい。明るさや暖かさが欲しいと願うのは私だけ?
2010.04.17
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< ランニング三昧 > 「伊豆大島ウルトラ」後、しばらくの間は草臥れて走ることが出来なかった。だが今になって見ると、伊豆大島の100kmも特段厳しいコースではなかったようにも思える。高低差500mを登るくらいの大会は結構あるし、14時間という制限もさほどきつい設定ではない。結局厳しかったのは、3番目と4番目の関門の制限時間だけなのではないか。 ただし、コースはアップダウンの繰り返しだった。実際に走った高低を「延べ」で計算したら、きっと1500mにはなると思う。1500mを走って登り、1500mを走って下るコース。あの絶え間ないアップダウンが、レース後も強い疲労感を残したと考えれば納得が行く。 あれから走ったのは、ほとんどが7kmの帰宅ラン。少し長めのLSDでも18km止まり。それもたった1回だけだった。天候が不順だったこともあって、私は無理をしなかった。この間、7月の「磐梯高原ウルトラ」(100km)をエントリーした。磐梯山を一周するコースが無くなった分、体は楽だが景色の雄大さと面白味には欠けるはず。 それを嫌って、参加しない走友が多そうな気配だ。他に予定レースがない私は、猪苗代湖を1周半走る単調なコースに敢えて挑戦することにした。結構気温が上昇する7月の猪苗代湖周辺。きっと我慢を強いられるレースになるはず。宿泊も含めて依頼したが、果たしてどんな人と相部屋になるのか。 参加許可書が届いた5月の「仙台鉄人会10時間走」は、早速料金を振り込んだ。これは6月にある「いわて銀河」(100km)の練習台と位置付けているレース。1周3kmだが、アップダウンが厳しくなかなか手ごわいコースだ。苦しみを楽しみに変えて走りたいと思う。 2週間後の「秋保夢舞いマラニック」は仙台明走会さんのイベントで、私は今回が初参加。31km走った後は温泉とビールが待っている。親睦を目的にした大会なので、大いに楽しむ予定。4月、5月と近場が続いたのは、パソコンの故障に備えて貯金しようと考えてのことだったが、早々に現実のものになったのには驚いた。もし遠方の大会だったら、パソコンを買い替えるのは無理だったかも。 「伊豆大島」で履いたシューズの底は、思ったよりは摩り減り方が少なくて済んだ。だから「仙台鉄人会」、「いわて銀河」、「磐梯高原」の3回は履けるはず。ウルトラ用のシューズを買えるのは、多分8月以降になると思う。パソコン購入に伴う影響が、こんな所にも表れている。 その「伊豆大島」で一緒だったT田さんから、昨日大量の写真が届いた。レース中に彼が撮った写真に混じって、大会の公式HPに載った私のゴールシーンの写真もあった。きっと大変な苦労をしたはずなのに、彼の手紙にはそんな様子がどこにも感じられない。持つべきものは走友。本当に有難いことだ。<続く>
2010.04.16
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< 故障と修理 > 我が家を建ててから13年目に入った。この間、ドアの取っ手は何度かネジが緩み、レースのカーテンも弱って来た。先月の末、洗面所の照明のスイッチがおかしくなった。消そうとしてもスイッチが戻らないため、点きっ放しになる。とりあえずガムテープで固定し、スイッチを入れないことにした。 さて弱った。どこに修理を頼むべきか。近所の電気屋さんで直してくれるかどうか。いや、あそこは電気工事士の資格は持ってないかも。それに売りっ放しでアフタケアをほとんどしてくれないお店。そこで思い浮かんだのが少し遠い電気屋さん。看板を見ると電気工事は無論のこと、ガス工事や水道工事までやっている。 冒険だが一度お願いしてみようと恐る恐る出かけた。まず8千円くらいは覚悟しないといけないかも知れない。だがご主人は不在で奥様が店番をしていた。住所、氏名、電話番号、それに故障個所をメモにして渡した。料金は5千円くらいだろうとのこと。案外良心的な店だと少し安心して帰宅した。 間もなく人の良さそうなご主人が修理のために来宅した。「建築後10年も過ぎれば、家のあちこちにガタが来ますよ」とご主人。そこで何故何種類もの工事をしているのか尋ねてみた。返って来た答えは、「仲間の店がたくさん倒産して危機感を持ったため」。売るだけでは駄目で、アフターケアを中心にしたのはそれからだったようだ。ふ~む、世の中には奇特な人もいるものだ。修理に来てもらって部品込みで3千円の価格にも驚かされた。 パソコンが故障したのはそれから数日後のことだった。ブログ掲載を日課にしている私にとって、パソコンの故障は一大事。困った末に尋ねたのが先日の店。そこではパソコンの修理も手掛けていたのだ。私も先方も忙しい日で、詳しい話は私が旅行から帰宅してから行うことになった。 結果的に、私はその店から新しいパソコンを買うことになった。料金は量販店並みとは行かないが、分からないことは聞けば教えてくれるし、有料で各種の設定までしてくれる。滅法メカに弱い私には願ったり叶ったりのこと。それに壊れたパソコンからデータも取り出してくれるのが助かる。そして昨日の夕方、ついに新しいパソコンが届いた。 パソコンを届け、設定してくれたのは息子さん。最新ソフト搭載のパソコンは同時に無線ランのルーターを変えたため、これまでとは比較にならぬほどスピーディーに動くようになった。画面もきれいだし音も良い。まだ使い勝手が分からず一部不満もあるが、私の新しい武器になることは間違いない。だが問題はその先だ。 代金をどうやって支払うかが最大の問題だった。私は既に9月までのレースエントリーを済ませている。走ることが第一義の私にとって、大会参加は重要なイベント。それにパートタイマーの私には、一度に代金を支払える貯えがない。乏しい小遣いをやりくりして分割で支払うしかないが、それを許してもらえたのが有難かった。 これから3か月間は節約に継ぐ節約になるだろう。自転車通勤の日を増やすのは無論のこと、楽天の応援やスポーツ紙の購入なども我慢せざるを得ない。厳しいけれどここは辛抱と心に言い聞かせ、何とか頑張るつもりだ。 それにしても親子2代にわたって修理に勤しむ電気屋さんは頼もしい。町も古くなり、住民も歳を取った。そんな時にどんな修理でも嫌がらずに引き受けてくれる店は、とても貴重な存在だ。町と共に生き、町と共に栄える電気屋さん。息子さんと娘さんが講師をしているパソコン教室へ、そのうちお世話になる日もあるように思う。<続く>
2010.04.15
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< これって大当たり? > 4月1日は私たち夫婦の結婚40周年記念日だった。40年前、挙式の案内状を持参した際、本当にその日に結婚するのかと驚かれた。エイプリルフールと間違われたのか、それとも新年度最初の忙しい日の挙式に呆れたのかのいずれかだろう。 あれから40年。私たちにはいろんなことがあった。転勤族になって全国を異動したこと。その赴任先で3人の子供に恵まれたこと。忙しく厳しい職場のストレスで、時には華々しい夫婦喧嘩をしたこと。そして別れ話が出たのも、一度や二度ではなかった。考えて見れば結婚生活が良く40年も持ったものだと思う。 25周年の銀婚式を迎えたのが大阪勤務時代。あの時は記念に格安の北海道ツアーへ参加したっけ。調べたら結婚40周年は「ルビー婚」と言うらしい。50周年の金婚式はお馴染だが、45周年はサファイア婚、55周年はエメラルド婚、60周年はダイアモンド婚の由。果たして我が家はどこまで辿り着けるのだろうか。 4月1日の吉報は他にもあった。さる生命保険会社の株式会社化に伴う株券譲渡が話題になったが、株が上場され初めて株価が明らかになったのがその日だった。我が家では私も妻も現金化の手続きを取ったが、数日後に振り込みの連絡があった。予想はしていたものの結構な金額で、我が家にとっては嬉しいボーナスとなった。 吉報はさらに続いた。かねて応募していた「警備員論文」が県の3位に入賞したとの連絡が上司からあったのだ。警備員になって4年。これまで4回論文を出して入賞が3度で入選が1度だからすごい確率。来月は表彰式に出席する予定だ。この他にも会社では「プロ野球観戦チケット」が当選し、サッカーJ1の観戦チケット(株主優待分)をもらえることになった。こんなことでも私には十分嬉しい出来事だ。 甲子園で行われていた高校野球選抜大会で優勝した興南高校は長男の母校。強敵を相手に連日堂々たる戦いぶりでとうとう優勝してしまったのには驚いた。監督は沖縄出身だが、若い日には北海道で実業団野球をしていたとか。暑い沖縄から寒い北海道へ渡って、相当苦労したと思う。 その豊かな経験が選手を厳しくかつ伸び伸び育て、栄冠へと導いたのだろう。溌剌としたプレーや、自信に満ちたバッティングを観ていて、そんな思いを抱いた。あの暑い沖縄で3年間私と一緒に過ごした長男も、きっと後輩達の快挙を喜んでいると思う。<続く>
2010.04.14
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< 2台の自転車 > 今年の天気はどこかおかしい。昨日の日中は3.5度Cまで下がり、雨に混じって霙(みぞれ)が降った。そして今朝は寒かったものの、最高気温は17度Cを超えたようだ。さて、「伊豆大島ウルトラランニング」を走ってから既に半月が過ぎた。 100kmを走った疲労が残る中での完走記執筆はかなりきつい作業だった。そしてその期間は、緊張に伴う睡眠不足の日々でもあった。私にとって完走記を書くことはレースを再現することに他ならず、神経を張り詰めることになる。何とか書き終えて今日で4日目。ようやく気持ちが和らぎ、安眠できるようになった。 完走記を読んだ皆様から、私の眼を心配する書き込みを多数いただいた。岡田港で目の前が真っ白になり、帰宅後出血に気付いた右目は、あれから数日後には出血が消えた。長距離のレース後に景色が白く見えることや、物が二重に見えることはこれまでもあった。眼の出血も数年に1度の頻度で現れることがあった。だが、「白化現象」と出血が同時に起きたことはこれまでにはなかったことだ。 だが、私はそれほど心配はしていない。伊豆大島でも毎朝きちんと血圧降下剤を服用していたし、帰宅後の血圧も全く正常だったからだ。となると、原因は疲労しかない。やはり100kmの道のりを走るという行為は、体にとってかなり過酷なのだろう。その疲労もようやく普通のものになった。 レース後に起きたことについて記しておきたい。良いこともあったが、悪いことも幾つか起きた。「禍福は糾(あざな)える縄の如し」。箴言が示すように、この世の中は良いことばかり起きるわけではない。だが、それがいつまでも続くわけでもない。そんなことを感じた2週間だった。 マウンテンバイクを自転車屋に持って行ったのは帰宅後間もなくのことだった。泥除けが壊れていたのと、降りて後ろ向きに動かす際に上手く動かないのを直してもらおうとしたのだ。私はごく簡単に考えていたのだが、修理には10日ほど掛かると言うのが専門家の意見。 泥除けは付け替えれば済むが、後ろ向きにスムースに動かないのは前輪の車軸が折れているのが原因とか。もしこのままの状態で乗り続けると、事故が起きるとのたまう。それにひび割れしているタイヤも危険だとか。それらの修理に必要な経費は約2万円とのこと。家までの2km余を、暗澹たる気持ちで歩いて帰った私だった。 妻が事故に遭ったのは確かその翌日だった。自転車で家の前まで来た時に、バックして来たお向いさんの車が妻に気付かずに衝突したようだ。妻は近付いて来る車に驚きとっさに横に逃げたが間に合わず、自転車ごと転倒した由。 ただちに病院に行ったが、幸いにして妻の怪我は軽く済んだ。それでも数日間は痛みが残ったようだ。そして妻の電気自転車は買い換えることになった。お向いさんが自転車屋さんで直してもらおうと持って行ったら、そのままでは危険だと宣告された由。どうも私が行った店と同じだったようだ。客を脅かして新品を買わせる訳ではないだろうが、ひょっとしたらそれに近いのかも。 ともあれ、私のマウンテンバイクと妻の電気自転車は、期せずしてほぼ同時期に修理と買い換えになった。もちろん妻の分はお向いさんの全額負担。事故の原因は100%彼にあったのだから。私のマウンテンバイクは既に修理を終えたが、妻はまだ代車に乗っている。とんだ災難ではあったが、一番喜んでいるのは案外あの自転車屋かも知れない。<続く>
2010.04.13
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今月選んだ温泉は磐梯熱海温泉。名前のように磐梯山の周辺にありますが、今は合併して福島県の郡山市になっています。私がまだ若いころはJRの駅名も確か「岩代熱海」(いわしろあたみ)と言っていたはずです。ほんの一時期ですが、陸奥国から分国した「岩代国」が置かれたように記憶しています。それが磐梯になったのは、その方が分かり易いからでしょうね。駅名も磐梯熱海駅(磐越西線)になっています。 宿は駅から歩いて5分ほどのところにありました。田舎ですから温泉のほかに何もありません。ホテルや旅館は10軒ほど。駅の看板には消された旅館がほかにも5軒ほどありました。昔は泊まり客も多かったのでしょうが、今はどこの温泉地も閑古鳥が鳴いているようです。 ホテルは五百川の畔にありました。文字通り「ごひゃくがわ」と呼び、阿武隈川の支流です。磐越道には五百川PAがありますが、新潟には同じ字で「いおかわ」と読む姓があります。確か五百旗部(いおきべ)と言う研究者もいましたね。 先月行った宮城県内の温泉は、塩素臭がして天然温泉とは思えないようなところでしたが、今度は源泉掛流しの正真正銘の温泉で、浴槽に入ると肌がツルツルして来ます。さすがに露天風呂は湯温が少し下がっていましたが、目の前に山が見えて良いですね。妻は3度、私は2度温泉に入りました。夕食の料理は一番安いのを頼んだのですがそれで十分。朝食のバイキングも大満足でした。 翌日の日曜日は早めに宿を出て、福島駅で途中下車。市の東南にある「花見山」へお花見に行きました。ここは今から50年ほど前、1人の園芸農家の方が自分の山を切り開いて桜の木など花の咲く樹木を植えて公開したことにはじまります。現在ではこれに共鳴した近所の園芸農家の方もそれぞれの山に花が咲く木を植え、文字通り「花見山」として有名になりました。 駅から臨時便が出ていて往復500円。大型駐車場には北は青森、南は関東から15台ほどの観光バスが停まっていました。かなり広大な地域一面に咲いている色とりどりの花々。元祖花見山を作った方の山は歩くと1時間もかかるコースになっています。この見物料が無料というから、太っ腹さには驚きますね。 咲いていたのは早咲きの桜(生け花の材料にする種類や寒緋桜など)、梅、桃、コブシ、モクレン、レンギョウ、ヒュウガミズキ、ボケなど実に多様で、それは見事なものでした。福島でもソメイヨシノはまだつぼみ状態でしたが、この地にはまるで桃源郷の雰囲気が漂っていました。私たちは山のてっぺんで、味噌味の大きな焼きおにぎり(1個200円)を食べました。 これらの園芸農家では、桜の大きな枝など(中には3m以上のものも)を全国に出荷しているようです。そして周辺には手作りの野菜や漬物などの土産品を売る農家の小母ちゃんの出店もたくさんあって、大変賑わっていましたよ。さて、来月はどこの温泉へ行こうかなあ。
2010.04.12
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今晩は~!! いつもご来訪ありがとうございます。さて、昨日の朝パソコンを立ち上げようとしたら、スイッチが入りません。前々から調子が悪かったのですが、とうとう故障してしまったようです。昨日は午後から温泉旅行へ行く予定でしたので、大至急近所の電気屋さんへ修理が出来ないかお願いしてみました。でも修理に3万円はかかるというし、困ったことになったとの思いで、旅行へ出かけたのでした。今日温泉と花見から帰宅し、再び電気屋さんへ出かけて新しいパソコンを買うことにしました。これは新しパソコンが届くまでお借りしたもので書いています。そんなわけで、皆様のところへも自由に出かけることができません。新しいパソコンが届いたら、また何とか手がかりをもとに、お訪ねしたいと思っています。そんな事情ですので、どうぞお許しくださいね。とりあえずご報告と、お詫びまで。
2010.04.11
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< さようなら椿の島よ > 翌朝7時過ぎに食堂へ行くと、足を引き摺りながら歩く若者がいた。「100km走れたの?」と尋ねると、「59kmで止めました」。どうやら最初の1周でリタイヤしたようだ。やはり若い彼らには荷が重過ぎたか。私が無事ゴールしたことを知ってビックリしている彼ら。この1ケ月は7kmの帰宅ランがほとんどだったが、そんな練習でも完走出来たのは、きっとリュックを背負って山道を走ったせいだろう。 朝食後オーナーに調べてもらうと、第1便の出航は岡田港だった。風が強い日は元町港からは出ないのだ。ラウンジには新聞も無く、中国の詩集、「世界を歩く」シリーズ、民事訴訟法、家屋のリフォームなど雑多な本が並んでいる。それは女性オーナーの遍歴を物語るかのようだ。きっと日本に留学中に世界を旅し、その後破産したこのホテルを買って自己流に改修したのだろう。 少し早目に宿を出る。風呂場の水の出は悪いのに、庭の小さなプールには溢れる水。そしてフェニックスの根元には、剪定された庭木の残骸が積まれていた。燻っていた薪はあれだったのか。こんな雨が当たる場所に置いたら、良く燃えないのは当然。2晩泊まった変なホテル。きっとここに来たのはホームページを見て騙された客だろう。 元町港前のバス停には「磐梯高原ウルトラ」の主催者であるE藤さんがいた。昨日はフルマラソンを8時間で完走し、これから三原山へ登るとのこと。直ぐ後ろから岡田港行きのバスも来た。車中から苦労して走ったコースを眺める。あっという間に懐かしい景色は遠ざかった。下りる時に運転手の名札を見てビックリ。実行委員長と同姓。滅多にある名前ではない。お尋ねすると、やはり従兄弟との由。 岡田港の待合室に座っているとやがてT田さんが来た。先ず土産を買い、T田さん差し入れのビールと缶チュウハイを飲みながらレースの反省会。彼の話を聞いて頷けることがあった。1つ目は練習方法。彼はほとんど1人で練習している由。2つ目はウルトラのレース後も暫く眠れないこと。緊張が持続しているようだ。磊落なT田さんですらそうなのかと一安心し、さらに親しみを感じた。実は私も全く同様だったからだ。 船の座席に落ち着いた時に異変が起きた。左目の方はちゃんと見えるのに、右目で見ると景色は真っ白でぼやけてしまう。レース後の疲労に加え、アルコールを摂取したことが目に負担を掛けたのだろうか。帰宅後に鏡を見たら、右目から出血していた。視野白濁の原因は血圧上昇に伴う出血だったのだろうか。 気がついた時左手に工事中の「第2海ほ」が見え、船は既に東京湾の真ん中に達していた。どうやら1時間以眠っていたようだ。眠ったせいか、視界は正常に戻っていた。竹芝桟橋で船を下りると東京の寒さに驚いた。この寒さでは桜の花も長持ちするだろう。そう思いながら浜松町駅へ向かった。 帰宅の翌日、お土産の明日葉と焼き海苔を食べた。レース中にも野生の明日葉を良く見かけた。野生の明日葉の新芽は、とても香りが強くて美味しいと島の人が話していたのを聞いた。そして焼き海苔は摘んだままの状態で焼いたものだった。島の名産は素朴で実に美味しかった。あの島へ行くことはもうないかも知れない。鴬色の完走メダルを見つめながら、私は椿の花が咲く島を思い出していた。<完>
2010.04.09
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< 完走メダルと晩飯 > 坂の途中を1人の青年が歩いていた。80km過ぎの下り坂を猛烈なスピードで走り去った彼だ。声を掛けて先行すると、もう登りは走れないとの返事。つばき小への曲がり角にスタッフ。ここからゴールまで後500m。先ほど抜いた青年が最後の力を振り絞ってスパートした。それでも私のペースは変わらない。 小学校の前でスタッフの人がゴールへ誘導している。近づくと「宮城県のランナーAさんがゴールです」とYちゃんが大声で叫んだ。薄暗いゴールへ両手を広げて飛び込み、腕時計のボタンを押す。ニコニコ笑って完走メダルを首に掛けてくれたのは、小学校高学年の女の子。ようやく長い戦いは終わった。 講堂に行って荷物と完走証を受け取る。100km男子の部で129人中61位。総合では152人中73位だった。結局12名の女子に抜かれたわけだ。完走メダルは伊豆七島の新島とイタリアのリパリ島でしか採れない石を材料にしたガラス製。参加賞はスポンサー提供の塩の小袋とサブリメントだけだったから、もしこのメダルをもらえなかったらきっと淋しい想いをしたに違いない。 まさかこの貴重なメダルをもらえるとは思ってもみなかった。それだけ過酷なレースとの認識が私にはあった。これは「当たりバナナ」のお陰かもしれない。だが感慨に浸る余裕が私には無かった。急いでホテルに戻って外出しないと、今夜の夕食にもありつけないからだ。 講堂の外で力士に扮したA野さんとバッタリ。自分が最終ランナーと話していたが、一体どこで彼を抜いたのだろう。だが校門まで行くと、ゴールを目指すランナーがすぐそこまで迫っていた。私が最後の関門から走り去ったのは制限時間の8分前。その後何人の選手が関門を突破出来たか分からないが、ほんの数人だと思う。するとO山実行委員長が話していた例年の完走率95%と言う数字もかなり怪しくなる。それとも今年が例外だったのか。 ホテルに戻り、無事完走したことを告げると、中国人の女性オーナーは目を丸くしていた。ウインドブレーカーを羽織って港に急ぐ途中、T田さんに遭遇。彼は御神火温泉に行っていた由。早速カメラを構える彼。大変な枚数の写真を撮りながら私より40分も前にゴールした実力は、並み大抵のものではない。 前夜、最終オーダーが7時30分と言っていた店に行くと、店は真っ暗。まだ7時20分なのだが、参った参った。朝通った時に確かめたラーメン屋にも灯りは無い。途方に暮れて歩いていると赤提灯が見えた。侘しそうな居酒屋。中を覗いてご飯が食べられるか聞くと、野菜炒めを1500円で提供するとママ。相場より高いと感じたが、ここしか開いてる店がないのだから他に選択の余地は無かった。 話しているうちに、ママと同い年だと分かった。糖尿病と診断されたばかりでしょ気ているママは、観光で仙台にも来たことがある由。大盛りの野菜炒めをゆっくり口に運びながら、私は完走の喜びを噛み締めていた。だが、アルコールは禁止。ホテルへ戻り、レース中に見聞きしたことを地図に書き込む作業が残っている。もちろん後日完走記を書くための材料だ。 馴染みの客が蕗の佃煮を差し入れしてくれた。しょっぱい味に戸惑いながらも、島の人情味を感じていた。その夜はようやく風呂に入れた。そして缶チュウハイを飲みながら、地図への書き込みに没頭した。だがレースの興奮がなかなか醒めないせいか、その夜も浅い眠りのままの私だった。<続く>
2010.04.08
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< 最終関門と夕日と秘密兵器 > 下りでも飛ばさずペースを守る。この先にもまだ登り坂が幾つかあるからだ。坂を下り切って見覚えのある集落へ出た。大島国際高校前通過。差木地中央通過。淡々と足を運び、1kmずつ確実に残りの距離を減らすのが私の戦法。最後の関門に近づいた時、後ろから猛烈な勢いで抜いて行った2人組がいた。背中にはY国大トライアスリート部とある。若者の恐るべきスピードに驚嘆。 91.3km地点の第9ASが最後の第4関門。ここへも制限時間の12分前に到着。OさんNさんの男女招待選手ペア、E名さんの知人である横浜のK池さんと弘前のHさんのペアも続いて関門通過。招待選手ペアは短い休息の後、直ぐにゴール目指して走り去った。練習不足と言っていたが、どうしてどうして。最後の最後まで走り切る脚をちゃんと残していたようだ。 実行委員長のOさんがここにも来ていた。完走率がどれくらいか尋ねると、例年は95%ほどとのこと。このレースに申し込む人はかなり練習を積んでいるためと彼。自分は普段7kmくらいしか走ってないと言うと驚いていた。作務衣を着た不思議な人が気になって名前を尋ねると、「三遊亭楽松です」との返事。この人が走る落語家の楽松師匠だったのか。平和を訴えながら日本国内を縦断している奇特な方は、とても謙虚な人柄だった。 ASのスタッフがお汁粉を食べて行けと言う。断ろうとしたが、「とても薄いから大丈夫」との勧めに、つい手を出した。これがなかなか美味しくてついお代わりも。きっとゴールまでの8.7kmを走るエネルギー源になってくれることだろう。 K池さんが弘前のHさんに「ここから歩くから先に行ってて」と話すのを聞いて私は言った。「駄目だよ。歩いたら時速4kmだからゴール出来ない」と。残りの距離を考え、ようやく彼も危ないと気づいたようだ。ウルトラレースでは途中の関門を全て通過しても、時間内にゴール出来ないと完走したことにならないのだ。 再びレースに戻り、長い坂道を登る。その途中にWさんがいた。ええっ、どこで抜かれたんだろう。2周目の都立大島高校前で抜いて行ったランナーがいたが、あれが彼だったのか。小用を終えると、彼は「ゴールで会いましょう」と駆け出した。何とも凄い72歳だ。先刻物凄いスピードで抜いて行った大学生が坂を歩いている。あれは関門を通過するためで、もう走れないと2人の青年。彼らがゴール出来たかどうかは不明のまま。 時刻は夕方の5時半過ぎ。前方の海を夕日が静かに照らしていた。時間は十分。事故さえなければゴールは確実。朝不安と戦いながら走ったこの道を、今は充実感に満たされながら逆走する。バームクーヘン(地層切断面)も無事通過。野増集落手前で、お母さんと男の子が選手に飴を手渡していた。確か朝はチョコレートをもらった。その気持が嬉しく、お礼を言って受け取る。 97.1km地点の野増火の見櫓前が最後のAS。給水しながらボランティアの婦人達と軽口を交わす。ここに宮城県出身の女性がいたのにはビックリ。故郷は加美郡とか。「毎年仙台から薬莱山まで練習で走るんだよ」と言うと、懐かしそうな口ぶりの彼女。これだから人生とウルトラマラソンは面白い。 いよいよ夕暮れが迫った。歩道のちょっとした段差にも要注意。より走り易い歩道を探しながら何度か道路を左右に横切っていたが、危険と判断してそれも止めた。ゴールのある元町集落が見えて来る。前方のスタッフが右折して山に登れと合図。いよいよ最後の登り。ポシェットから秘密兵器の懐中電灯を取り出した。<続く>
2010.04.07
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< 第3関門突破 > 後で確認したら、AS間の距離は6.1kmもあった。これでは喉が渇くのも当然だった。やがて前方に「裏砂漠」へ入る分岐点が見えた。その前に先ずトイレを済ます。すっきりしたところで第5ASへ駆け込み、水をゴクリ。そして黒々とした砂礫の道を駆け登る。1周目の時は片道1.3kmで折り返したが、今回はわずか350mで済むのが嬉しい。朝と同様、折り返し点でのナンバーチェックは全く無い。 誤魔化して途中から引き返すことも出来るが、気分が悪いだけの話。再びASに戻ってさらに給水と給食。だがASの距離表示と時計を確認して驚いた。次の関門までの8.2kmを45分で走る計算になる。一瞬頭はパニック状態。一体どこで時間をロスしたのだろう。つみれ汁が出た70.5kmの第2関門でも、約1時間の貯金があったのに。 慌てて走り出す。間に合わないとは思うが、何とか最善を尽くすしかない。島内一周道路へ出て間もなく、フルマラソンの部20km地点の距離表示発見。今考えればそれで正しいのだが、あの時はどちらかの距離表示が間違っていると信じていた。さらなる勘違いは残り時間。てっきり第3関門の制限時間を16時と思っていたのに、腕時計のメモをもう一度良く見ると16時30分の間違い。これは嬉しいミス。8kmを1時間15分なら十分間に合う。 80km地点から左折して再び山道へ入る。短い登りは手を強く振って歩き、下りは走る。第6ASには伊豆大島名物「あんこ姿」のスタッフがいた。絣の着物で頭には椿の模様が入った手ぬぐい。ここでは確かお汁粉を食べたはず。老若2人のあんこさんと握手を交わし坂を下る。 ここで1人の若いランナーと遭遇。下りになると猛烈なスピードで走り出すが、平地になると歩く人。追い越して行く彼に「坂で膝に来てるから、あまり無理しちゃ駄目だよ」と忠告した。85.5km地点の第7ASまでの下り坂を慎重に下った。やがて見覚えのある「波浮港見晴らし休息所」が見え出した。ここが第3関門。時計を見ると、制限時間の12分前。ASの横にはパトカーが待機していて、間に合わなかった選手は強制的にここで止められるみたいだ。 ASには稲荷寿司があったが食べられず、小ぶりの干瓢巻きを2個つまんで出発。出掛けに関門の時間をもう少し遅く出来ないか、大会委員長のO山さんに話す。彼はこのコースを考えた人。多分厳しいレースを売り物にしたのだろうが。最後の関門はここから5.8km先。そして残された時間は57分ほど。ゴール出来るかどうかは、次の関門突破に掛かっている。<続く>
2010.04.06
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< 「当たりバナナ」と最初の異変 > 59kmの部の選手は、「つばき小学校」がゴールだった。今このコースを走っているのは100kmの部の選手だけだ。1周目は「さくら小学校」入口から左折したが、2周目はそのまま島内一周道路を時計廻りに進む。岡田港へも下りず八幡神社前の曲がりくねった道を行くと、やがて小さなトンネルがあった。トンネルの中は向かい風になり、とても寒い。外へ出るとほっとする暖かさ。だが胃の調子が変。ひょっとしてAS毎にパンを食べたため、消化不良になったのかも。 「当たりバナナだよ~っ!」。65.9km地点の第3ASで女の子が叫んでいる。「当たりバナナって何?」と尋ねると、「シールがあるのが当たり」との返事。何のことはない。バナナの小片に商標が張られている。たまたま私がつかんだのがそうだった。「何が当たるの?」と意地悪い質問をすると、彼女は考えながら答えた。「完走メダルがもらえるよ」。 へ~え。それが本当なら嬉しいんだけどねえ。折角の「当たりバナナ」だが、鴬色のメダルをもらえる保証はどこにも無い。再び長い登り坂が始まった。高低差は250m。両脇にはうっそうと茂る椿の大樹。ここは通称「椿のトンネル」。日が全く差さず寒さを感じるほどだ。苦しみに耐えながら必死に登る。 綴れ折りの坂道を登った先に大島公園のASがあった。ここは70.5km地点。この先を考え、ポシェットから取り出した味噌汁の素を舐めた。しょっぱいが、これも塩分補給のため。このASで出されたのが「つみれ汁」。「これはキョンの肉?」。冗談を言うと、答えは「飛び魚」。へえ~っ、伊豆大島でもトビウオが獲れるんだ。ダブルの塩分補給に大満足し、再びレースに復帰。 さらに登り坂は続く。ようやく三原山登山道への分岐点まで到着。1周目の時は、この周辺でフルマラソンの部のトップ集団と出会った。まだ15kmを走ったに過ぎない彼らが、何故苦しそうな表情をしていたのか分からなかったが、250mもの坂道を上れば苦しいのは当然だ。 何気なく手を見て驚いた。たまたま手袋を脱いだために分かったのだが、いつの間にか両手が大きく浮腫んでいる。「立山登山マラニック」で標高2000mを超えた時にもこんな症状が出たが、あの時の原因は高山特有の低気圧によるもの。だが標高が低い伊豆大島で何故これほど手が腫れるのかが謎だ。左手の海上遥かに霞むのは、房総半島の突端か。 気温がようやく上がって来た。暖かくなるのは良いが、徐々に発汗が進み喉が渇く。給水は次のASの「裏砂漠」までない。塩分を摂ったのも喉が渇く元になったかも知れない。それはそれで仕方がないことだ。ここはじっと我慢。距離の長いウルトラマラソンには、「耐える」と言う言葉が良く似合う。 その時凄いスピードで私を抜いて行った人がいた。「裏砂漠のトイレに行きたいの。確かもう直ぐだよね~?」。走りながら叫ぶ後姿は女子招待選手のNさん。彼女がこんなにも開けっぴろげの明るい人だったとは。「確か1.5kmはあるね」。彼女と一緒に走っている男子招待選手のOさんは、さすがに冷静だった。「裏砂漠」の他にも黒い砂礫の川が3本はあったから、まだ少し先のはず。私はそう考えていた。それにしても早く水が飲みた~い。<続く>
2010.04.05
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< 長い下り坂 そして一人旅の始まり > サツキが咲いている。多分仙台より1ヶ月以上早いはず。白い花に見えたのは、名も知らぬ照葉樹の若葉か。適度に剪定されたアジサイは、花が咲いたら見事な彩の道になるのだろう。徐々に高度が上がる道を、息を整えながら登って行く。三原登山道路との分岐点が48.5km地点。水とエネルギーを補給し、さらに山道を登る。 やがて開けた草原が目の前に。のんびり佇む馬。コンクリート製の厩舎は、三原山が噴火した際の待避所を兼ねているようだ。まるで阿蘇さながらの風景。阿蘇の巨大なカルデラや外輪山にも広い放牧地が幾つかあった。さらに登ると「割れ目火口」の看板。ここは山腹から噴火した際の新しい火口みたい。三原山の山頂を見ると、微かな噴煙が2筋立っていた。あの規模だと機内からは見えないだろう。 52.5km地点の歌乃茶屋ASへは制限時間のちょうど1時間前の11時半に到着した。ここが最初の関門で標高は550m。ほぼ500m登った計算だ。2杯の明日葉ソバ、クリームパンの小片、バナナなどを食べた後、慌しく出発。まだ先が長い。折角作った貯金を極力減らさずに最後の関門を通過したいのが本音。 ここからのコースは「御神火スカイライン」。5km先の麓までの間に500m駆け下りる急激な下り坂だ。車が来ないのを良いことに、最短コースで突っ走る。30km過ぎでパンパンだった脚も、どうやらアップダウンに慣れたみたいで快調に動くのが嬉しい。やがて遥か下に元町港と青い海が見えた。後ろから女性ランナーが追い駆けて来るのを意識しながら、さらに飛ばす。 途中で歩いているランナーも何人か。きっと急な下りで脚に来たのだろう。ここで歩いていたら完走は無理。「100kmは大変ですね」。後ろで女性ランナーが声を掛ける。「後1周する脚を残しておかなくちゃいけないからね」。視線を前に落としながらそう答える。ほぼ下り終え「つばき小」へ右折した時、「ペースメーカーにさせてもらってありがとうございました!」と抜き去る女性ランナー。59kmの部のゼッケンだった。 ほどなく「つばき小」の校庭到着。何とか無事に1周した。冷たいそうめん2杯を慌しくかき込み、汁を薄めて飲み干す。気温は低いものの発汗はしている。汁は貴重な塩分補給なのだ。よ~し、いよいよ2周目突入。ここからが本番だ。愛嬌のあるYちゃんの声援を背に、校門を飛び出す。そしてここからは歩道を走るのが原則だ。 時刻は12時を遥かに過ぎた。晴れてはいるが暑さは感じない。1周目は全然気にしなかった緩い上りが、2周目ともなればやけに重たい脚。そして次のASまでが遠く感じるようになる。前方にランナーが見えたが追い着けない。そのうち後ろから来たランナーにも追い抜かれた。正確なリズムで走り去る背中を見ながら、トボトボと走る。長い長い一人旅の始まりだ。<続く>
2010.04.04
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< 裏砂漠とキョンのわな > さて、そうのんびりもしていられない。ここからはいよいよ本格的な登りになるはず。30km地点の通過は3時間16分ほど。そのペースも厳しい山道になればどんどん落ちて来る。コースは一周道路から別れ、選手達はうねる山道を必死に登る。ここで歩き出す人も多い。スピードは走るのとさほど変わらない上、スタミナを失わずに済むからだ。だが私は迷わず走った。 34.2km地点の第6ASで一休みしていると、後ろからT田さんが追い着いて来た。「良いペースですね」と彼。本当は飛ばし過ぎかも知れないと思うのだが、これから先の関門が気になって、少々無理して走っているのが実状。それよりも150枚もの写真を撮りながら、このスピードを維持している彼の底力こそ驚異的だ。まぶしい笑顔を見せ、T田さんは早くも走り去った。 再び坂を登ると間もなく、今度は急激な下り坂となった。両脚はもうパンパンの状態だ。まだ3分の1ほどしか走ってないのだが、厳しいアップダウンの連続できっと「脚に来た」のだろう。これから三原山の8合目ほどまで登らなくちゃいけないのに、大丈夫持ってくれるのだろうか。 左手に山が見えて来る。奥の三原山は標高755mの火山。そして手前が737mの白石山。度重なる噴火の影響か樹木は無く、無機質の山肌が見えるばかりだ。それと対照的に道の両側には、一斉に芽吹き出した木々が一足早い春を謳歌していた。良く見るとブドウの房のような花をつけた樹も。 前方でスタッフの人が紅白の旗を振っている。どうやらそこが裏砂漠への分岐点のようだ。1周目はここから1.3km走って折り返して来る。先ず第5ASに寄り、スポーツドリンクで喉を潤す。引き返す選手と行き交う。「裏砂漠」とはどんなところか謎だったが、暗褐色の細かい火山礫で覆われた川のような場所だった。ほどんど草の生えない道は、しっとりとして案外走り易かった。 折り返して来たT田さんが山をバックに写真を撮ってくれた。折り返し点まで行くと、目の前に珍しい風景が広がっていた。一心に下っていると昨晩会場で話したKさんの姿。やはり8分ペースでは拙いと悟ったのだろう。続いて神奈川のWさん。彼には「磐梯高原」、「佐渡島一周」、「立山登山マラニック」のいずれでも抜かれている。年齢は確か72歳のはず。その彼が、今日は少々苦戦しているようだ。2人とハイタッチして下山。 裏砂漠への寄り道は面倒な感じはしたが、きっと記憶には残ると思う。再び第5ASで給水し、島内一周道路へ戻る。相変わらず緩い登りが続く。風はひんやりしているが、寒さは感じない。長袖シャツと赤い手袋のお陰だ。裏砂漠と同じような砂礫の川を、その先でも3ケ所ほど見つけた。 45km地点の手前から左折して「アジサイレインボーライン」へ。ここは三原山への登山道や、標高550mのコース最高地点に行く道だ。文字通り両側にはアジサイの植え込みが続く。思ったほど傾斜はきつくない。44.2km地点の桜株ASでも給水。そこを出て直ぐの茂みに、「わな」が2個置かれていた。野生のキョンを捕獲するものとか。キョンは体高1mほどの鹿の仲間。千葉県などで生息しているようだが、有用な植物に食害をもたらす害獣なのだろう。
2010.04.03
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< 「バームクーヘン」と歌の港 > 「A野さん去年よりペースが遅いですね」。女子招待選手のN田さんが言うと、「夕べ飲み過ぎて気持が悪くて」。悪びれずに答える力士の仮装をしたA野さん。この姿で100kmを走るのも凄いが、2日酔いになるほど飲んでも走れると言うのがまた凄い。後で聞いたらこのA野氏はサブスリーランナーだそうだ。まさに化け物。 その彼を置き去りにして遊歩道を南下する。緩い下り坂をひたすら走り、14.4km地点で3回目の給水。私がウルトラレースでペットボトルを持たずに走るのは珍しい。エードステーション(以下AS)が25箇所もあるため、無用と考えたのだ。コースはいつの間にか、昨夜夕食を食べに来た店の前に出た。元町港だ。 念のために周囲を観察。ラーメン屋の赤提灯を発見。もし寿司屋が駄目な時はラーメン屋でも良いかと夕食の心配。港を過ぎると急にアップダウンが多くなった。そして島内一周道路に出た後は、歩道を走ることになった。傾斜や段差があって走り難いが、それも警察の指示のため仕方がない。 野増集落付近には椎の木の群生。頭上まで緑の葉が覆い、まるで森の中を走っているようだ。石垣を積んだ家並みが珍しい。そして芽吹き出した野生の明日葉が美味しそう。レース中でなければ採るんだけどなあ。火山礫の赤い軽石が積まれた地点では、小さいのを記念に1個拾ってポシェットに入れた。昨年走った八丈島のと良く似ている。 17.4km地点の第10ASで食べたのが菓子パン。清掃工場の敷地内には、大き目の軽石が山と積まれていた。噴火時に飛ばされたものだが、資源として残しているのだろう。三原山の西側に当たるこの周辺には、溶岩流を避けるための橋が何本か架かっていた。もちろん川底に水は無い。20km地点の通過は2時間6分ほど。 道路の左手にバームクーヘンのような褶曲地層が見えて来た。間伏の地層切断面だ。案内板を読むと1万5千年前のものとか。噴火の度に積もった火山灰が、30mもの厚さで曲がりくねっている。ここは伊豆諸島の遠望所でもあった。海上右手の尖がった島は利島(としま)。そして新島と重なって見えるのは式根島か。その左手遠くに三宅島が霞む。一瞬レースを忘れ、素晴らしい景色に見とれる。 コースはそこから急な下り坂になった。差木地集落にはうっ蒼としたイヌマキの群生。波浮集落から坂道を登り、波浮港見晴台ASで暫し休憩。ここは29km地点。眼下に紺色をした波浮港。有名なあの歌を思い出した。 島の鵜の鳥や日暮れにゃ帰る 波浮の港は夕焼け小焼け 明日の日和はヤレホンニサ なぎるやら 確か北原白秋作詞、西條八十作曲だったと思うが、この歌は想像上の作品と聴いた。島の最南端にある波浮港は三原山が邪魔をし、ここでは夕焼けが起きないのだとか。港が深くかつ円形なのは、多分火山性地形なのだろう。佐渡島の深浦港も火山性地形で、本当に良く似ている。<続く>
2010.04.02
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< ウグイスの声と夜明けの伊豆半島 > 3時半に起床し、早速レースの準備にかかる。弱点の左足底には丁寧にテーピング。ポシェットには味噌汁の素、塩、アスリートソルト、ビニール袋、小銭、草もちを入れた。準備終了後食堂へ。既に朝食中の若者達。卵焼き、ウインナー、レタス、トマト、味噌汁、バナナ、牛乳などが揃っていたのは想定外。これならレース前の食事としては十分過ぎる量と内容だ。最後に明日葉入りのお握りも出た。 若者の1人が「小父さんは100km走ったことがあるんですか?」と私に質問。見たところ彼らはフルマラソンすら満足に走ったことがないような雰囲気。「あるよ何度も」。そう答えると彼らが驚いている。このコースを完走するためには、かなりウルトラの経験がないと難しいことを、きっと良く理解していないのだと思う。 集合時間が4時半と彼らに聞き、キーを返却し懐中電灯を持ってスタート地点へ向かった。まだ暗い坂道。しかも結構風が強い。やはり予想通りだった。島のレースでは風の影響を考慮する必要がある。長袖が正解だったと頷いたものの、眼鏡をかけたまま出て来たことに気づいた。眼鏡ケースも忘れたけど、まあ何とかなるだろう。 T田さんも来ていた。前日話した神奈川のKさんやE名さんの友達のK池さんにも会えた。4時30分。出走前のコールを受けてから暖かい豆腐を食べる。へえ~、こんなサービスがあったのか。小さい豆腐2個だけど意外に美味しかった。サブスリー100回以上と言う大阪のK本さんはランパンランシャツの軽装。そんな服装で大丈夫なのかと心配したが、彼は結局8時間04分で走り切り、見事優勝した由。やはり噂通りの鉄人だった。 第4代親善大使でもある千葉のA野さんは、相撲取りの仮装。それも頭に大銀杏(力士独特のまげ)まで乗っかった本格的なもの。町長の合図で5時ちょうどにレースが始まった。まだ暗い校庭を先ず3周。舘ひろし似のK茂さんとスタッフのYちゃんに挨拶し、私は一般道へ飛び出した。シーサーに似たYちゃんは沖縄出身で、去年の「八丈島一周」で一緒だった人。 道路には大勢のお巡りさん達。彼らの指示に従ってコースを走る。信号では選手を優先して通してくれた。車がほとんど通行していないせいか、本来通るべき歩道でなく車道を走れたのが嬉しかった。心配だった急坂は慎重に下った。そのうちに先頭グループはあっと言う間に視界から消えた。次第に白み出す空。森陰からウグイスの鳴き声。その後も到る所でウグイスの音色を聞いた。 5km地点飛行場入口までの緩い登りも、両膝の軽い痛みもさほど気にならなかった。やはり緊張していたのだと思う。桜通りも快調に飛ばす。さくら小学校入口で一周道路と別れ、ここから長く急な下り坂が海まで続く。坂の途中にある校舎がさくら小。島内の小学校は「つばき」、「さくら」、「つつじ」と花の名。統合を機会に校名変更したようだ。 約100mもの高低差を下り切ると海岸に出た。前夜は灯りが見えた伊豆半島が、今は朝空の下に姿を現している。美しいシルエットは大室山か。噴火口の形まではっきりと望める。ここは「サンセットバームライン」と呼ばれる夕陽の名所。それと平行した遊歩道が私達が走るコース。1度しか通らないため、風景を心に刻みながら走る。前後には男女の招待選手。結局彼らとはこの後70km以上レースを共にすることになるのだが、この時はまだ知らない。10km地点の通過が1時間02分ほど。なかなか快調なペースだ。<続く>
2010.04.01
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