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< 奇妙なホテル(2) > ホテルでは夕食が出ないため、フロントで飲食店の場所を聞いた。島では店が早く閉まり、スーパーの閉店は7時とのこと。慌てて外出し、最初にスーパーに寄って食料などを買う。万一食事にありつけない時の用心だ。それに明日のレース後も心配だった。買い物を済ませ、元町港方面へ下る。港の前に1軒だけ開いてる店があり、そこへ入った。 どうもお寿司屋さんのようだ。何人かのランナーがビールを飲んでいる。私は刺身定食を頼んだ。お品書きには刺身4点盛りと書かれていたので期待していたのだが、そのボリュームの貧弱なこと。明日も開店しているか確認すると、ラストオーダーは7時半までとのこと。ゴールの最終が7時だから、その30分後にここに来るのは無理かもと、少々不安になった。 帰路、為朝の屋敷跡である赤門へ立ち寄る。源為朝は平治の乱で兄と戦って敗れた武将で弓の名手。弓を引く左手が右手より12cmほど長かったと言う。左肘の関節を外されこの伊豆大島へ流されたが、島の代官の娘を娶り伊豆七島と伊豆半島を手中に入れたものの、やがて討たれる。だが沖縄には為朝が琉球に渡り、琉球王朝の先祖となったとの伝説が伝わっている。英雄伝説と、日琉同祖論が一体化したのだと思う。 次に寄ったのが吉谷神社。祭神は大山祇命と三原山の火の神。肥前(長崎)、肥後(熊本)は元々一つの国で「火の国」と称した。肥前には雲仙岳が、そして肥後には阿蘇山があり、どちらも噴火を繰り返す怖い山だった。伊豆大島の三原山も同様で、噴火の度に大きな被害が出た。そこで火の神を宥(なだ)めるために、神社を建てて祀ったのだろう。 ホテルへ戻って風呂へ入る。ところが熱過ぎて湯船に入れない。多分60度は超えているはず。湯船には蛇口も無く、水を入れることが出来ない。仕方なくシャワーのみで我慢。そのお湯の出も今一。2日分の入湯税300円を取られたが、温泉の証明も効能書きもない。多分インチキだろう。洗面用の水を飲むと塩味がする。これは水道ではなく、きっと井戸水だ。それにしてもしょっぱい飲み水とはねえ。 タオルは新品でなく、浴衣もクリーニングへ出したものではなかった。きっと備え付けの洗濯機で洗い、何度も使っているのだろう。洗面所に歯ブラシはあったが、歯磨き粉は家庭用のを皆で使うよう置いてあった。先刻冷たい風しか出なかった空調機は、リモコンの電池を交換してもらったお陰で、何とか暖かい風が出るようになった。 食堂でお湯を入れ、部屋でカップ麺を食べた。煙の原因は食堂の薪ストーブだった。薪は剪定した庭木の残骸を使っているようだ。良く乾燥してないため、いぶっていたのだろう。「薪をくべる」とか「煙がいぶる」と言う言葉を久しぶりに思い出した。 缶チュウハイを飲みながらレースの準備。「椿の島」に合わせて、一旦は赤の半袖Tシャツにゼッケンを付けたものの、どうも手触りがおかしい。タグを見ると「オール木綿」。これでは汗でビショビショになり、長いレースには不向き。白の長袖シャツにし、せめて手袋だけは赤にした。 翌日の準備を終え、家から持参した目覚まし時計を3時半にセット。部屋には時計はおろか電話も無い。結局翌日の天気予報は確認することが出来なかった。まあ、前日とさほど変わらないだろう。そう信じて床に就いた。 だが真夜中に異変が起きた。閉めていたはずのドアが開いて冷たい風が吹き込んで来る。入口に立っているのは、あの中国の女だ。何なんだ今頃。一体どうしたんだ。叫ぼうとしても声が出ない。おまけに体も動かない。もがいてるうちに目が覚めた。どうやら夢を見ていたようだ。まだ真夜中の2時半。仕方なく布団の中で目をつぶり、体を休める。<続く>< 3月のラン&ウォーク >ラン回数:16回(うちレース1回) ラン距離:233km ウォーク距離:147km 月間合計:380km 年間走行距離:652km 年間距離合計:1047km これまでの累計:71,081km
2010.03.31
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< 奇妙なホテル(1) > 岡田港に降り立つと、数台のマイクロバスが選手達を待ち受けていた。私はホテルが受付会場の近くのため、直接「つばき小」へ向かうバスに乗った。港からは急な上り。島内一周道路に出ると、運転手さんが島の案内をしてくれた。街路樹がきれいな島だ。フェニックスの並木や桜の並木。 椿はもう咲き終わる頃だが、まだ山の上では咲いている由。そして島の桜は色が白いのが特徴らしい。今走っているこの道が明日のコースとのことで観察に努める。やはり予想通りアップダウンが絶えない道路だ。きっと厳しいレースになるとの予感。特に小学校へ向かう最後の坂道がとんでもない急斜面。ここを駆け下ったら脚を傷めないかと不安になった。 受付を済ませ、開会式までの間にT田さんと歓談。そこへ神奈川のKさん。去年の「佐渡島一周」を走った仲間だ。その彼が言う。「明日はキロ8分ペースで走ろうと思うのですが」。私は耳を疑った。途中の関門がない佐渡ならそれでも良いが、特に第3、第4関門の制限タイムが厳しいここは時間との勝負になる。 私は「キロ6分30秒ペースで行く予定」と言って、腕時計に張った関門と制限タイムのメモを見せた。うなづくT田さん。ウルトラの経験が豊富であれば、予め大会本部から送られたコース図、高低図、各関門の制限時間を一瞥して、厳しいレースになることが予想されるはずなのだが。驚いてコース図を見直すKさん。 前夜祭のない開会式は退屈だった。まあ挨拶が短くて助かったくらいか。歴代の親善大使紹介で驚いた。昨年若くして亡くなったR子さんが、何と第2代の大使だったのだ。この伊豆大島をこよなく愛したと言う彼女の逝去を悼み、全員で黙祷する。安らかにねR子ちゃん。第3代大使が舘ひろし似のK茂さん。彼は今回走らず、ボランティアに徹する由。 明日の健闘を祈って散会。私は1人歩いてホテルへ向かった。途中でお婆さんにホテルの場所を尋ねた。だが名前を言っても知らないとの返事。変だとは思ったが、そのまま坂道を下った。走って来たランナーに聞くと直ぐそこらしい。なるほどフェニックスの陰に、それらしい建物が見え出した。それにしても雰囲気がどこかおかしい。 フロントには誰もいない。何度か大声で呼ぶと、ようやく1人の女性が現れた。この人は中国人。宿泊予約を巡ってメールの返事が来なかったため電話で話した人だ。変なアルバイトと思ったら、どうやら彼女がオーナーらしい。メールをよこさないのに送ったと言い、今回は前金で払えと言う。チェックインはノートへの記帳。変な話の連続に戸惑う。 どこかで薪が燃えているようだ。その煙と臭い匂いが建物の中に漂っている奇妙なホテル。部屋に入るとさらなる異変。寒くて暖房を入れようとしても温度が上がらない。コップはあるが飲料不適と書かれた水道の蛇口。ハンガーがあってもそれを吊るす場所がない。お茶も水もなく、煎餅が1枚だけテレビの上に置かれていた。一体何なのだろうこのホテルは。これで明日レースを走れるのか心配になった。<続く>
2010.03.29
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< 一抹の不安 そして伊豆大島への旅へ > 東北新幹線の車中で読んだのは、吉村昭著「ふぉん・しいほるとの娘」上巻。ちょうど間宮林蔵がシーボルトから贈られた品物を怪しんで奉行所に届けたことから、書物奉行で幕府暦方だった高橋作佐衛門が国禁の日本地図をシーボルトに渡した疑いが持たれる緊迫した場面に差し掛かっていた。 これから関門の制限時間設定が厳しい「伊豆大島ウルトラランニング」に向かうことや、浜松町から竹芝桟橋までの道を知らないことも重なって、私の心には一抹の不安があった。ただ明るい材料だったのが家を出る時に妻が笑顔で見送ってくれたことと、暫く見つからなかったランニング用の帽子が、出発前夜になって見つかったことか。 JR浜松町駅北口で山手線を降り、海に向かって歩く。途中に旧芝離宮の跡地。ここはモノレールから見える緑の公園だろう。少し心配になって竹芝桟橋の方向を通行人に尋ねると、直進すれば良いとのこと。やれやれこれで一安心。乗船時間にも十分間に合うはず。街路樹の桜を眺めながら港へ急ぐ。 東海汽船のビルに入り、旅行会社が発行したチケットを窓口に出して正式の乗船券に交換。それに住所や名前など書き終えた時、思わぬ人が目の前に現れた。宮城UMC仲間のT田さんが、いつもの笑顔で目の前に立っていた。「ん?」何が起きたのかとビックリ。笑いながら彼が話したのは、私を驚かそうと数ヶ月前から隠密裏に行動していたことだった。 道理で宮城UMCの掲示板や彼から来るメールにも、レース参加予定が書かれてなかった訳だ。誰か仲間が参加しないかと微かな期待はしていたのだが、まさかT田さんが同じ大会に申し込んだとは。ベンチに座って仙台駅で買って来た弁当を食べる。宮城県の名産を集めたと言う割に内容は貧弱。とてもウルトラランナーの胃を満足させるものではなかった。 T田さん差し入れのビールで乾杯後乗船。座席指定が彼は1階、私は2階に分かれてしまった。東京湾を船で行くのは初めて。目の前のレインボーブリッジすら珍しい。高速船セブンアイランド号は伊豆七島に因んだ名前なのだろう。出航後数十分で東京湾アクアラインの換気孔である「風の塔」が見え出す。銀色にブルーの線が入った塔の向こうには、木更津や君津などの工場群も。 富津岬の先に「第一海ほ」が見えた。ここは明治期に東京湾の守りとして砲台を置いた人工島だ。高さ56mの東京湾観音が遠く霞む。右手には神奈川県の久里浜や城ヶ島。幕末期、ペリー率いるアメリカの黒船つまり4隻の蒸気船が現れたのがこの海。泰平の世を破られた日本人の驚きは相当なものだったに違いない。 瞳を凝らしても見えない富士山。その代わりに伊豆半島が望めた。1時間半ほどで伊豆大島が目の前に迫る。海上から100mほどの断崖が続く険しい地形。きっと島の一周道路は、あの火山台地の上を走っているのだろう。いよいよ岡田港への上陸が近い。はたして伊豆大島はどんな島なのか。不安と共に期待が膨らむ。<続く>
2010.03.28
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26日(金)伊豆大島へ向かうため東京の竹芝桟橋に行ったところ、宮城UMC仲間のT田さんが待っていたのはビックリ。彼は私を驚かせようとこの5ヶ月近く内緒にしていたとのこと。まさにハプニングでした。会場で受付後、ホテルへ。この夜は5時間ほどの睡眠時間でした。 レース当日の27日(土)は3時半ごろに起床して準備。5時のスタート時はまだ真っ暗でした。コースは思っていた以上にタフで、良くこんな厳しいコース設定にしたと感心したほどです。でも景色はなかなかのものでしたよ。 予め覚悟した関門との戦いは、第1、第2関門が約1時間前の到着。第3、第4関門は制限の僅か12分前の通過でしたが、この後は夕日と競争しながらのランになりました。13時間36分25秒でのゴール時は真っ暗。最後の最後に懐中電灯が役に立ちました。 出発前、そして留守中に応援のメッセージをお寄せいただいた皆様には心から感謝しています。お陰様で何とかゴール出来、そして無事に帰宅することが出来ました。レースの完走記は明日以降書く予定です。また皆様のところには近くお邪魔し、お礼を申し上げたいと思っています。簡単ですが御礼とご報告まで。
2010.03.28
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お早うございます。今日はこれから愛犬と朝の散歩を済ませてから朝食。7時台のバスに乗って、いよいよ伊豆大島へ出発します。では、行って来ますね~
2010.03.26
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昨夜長女から電話があったと妻が教えてくれた。何でも4月1日付けで異動があるようだ。でもそのことを2人の子供達にはまだ伝えてない由。来月始業式のために小学校へ行った日、母親の姿を壇上に発見した孫達はきっと驚くに違いない。 似たような経験が私にもあった。ある年の4月、長女が学ぶ大学へ転勤になったのだ。人事は命令のため、異動先を選ぶ権利はないのだが、今になって考えれば何らかの配慮があったのかも知れない。不思議な気分を味わいながら、同じキャンパスで勤務したものだ。 今日は春先には珍しい雪になった。3時半にはまだ降り出してなかった雪がちらついたのは4時半ごろから。玄関に長靴を用意しておいたが、外へ出るとさほど勢いはない。それに水分が多いため積もらないと判断。職場へは革靴で出勤した。その雪も午後から雨に変わり、今はそれも止んだ。 勤務終了後チケットショップに寄り、東北新幹線の回数券を購入。帰宅後は伊豆大島行きの準備をした。レース当日(土曜日)の現地の天気は「曇り時々晴れ」。最低気温が4度で最高気温が11度の予報。思ったより気温が上がらないみたいだ。スタートは朝の5時だから、風があればきっと寒く感じるに違いない。 多分薄手の長袖シャツを着ることになるが、赤い半袖シャツも持参するつもり。下はロングタイツに決定。帽子は必携だし、手袋は念のために赤と黒の2種類を用意した。ポシェットに入れるのは、塩、アスリートソルト、味噌汁の素、保温用のビニール袋、そして懐中電灯。食料は持たず、すべてASを頼るつもり。 腕時計には、4箇所の関門の位置と制限時間を記入したメモを張った。最初はボールペンで書いてみたが、眼鏡を外すと字が小さ過ぎて読めない。このため細字用の油性ペンで書き直した。これなら何とか走りながらでも確認できるはず。ただ、絶えず関門の制限時間を意識しても、完走はちょっと厳しそうだ。 第1関門は52.5km地点。そこまでに高低差500mの山道を登って制限が7時間30分。第2関門は70.5km地点で、制限が10時間。ここまでは練習不足でもクリヤー出来るはず。問題は次の第3関門。高低差300mの坂道15kmを1時間30分で走らないと失格。これは無茶苦茶厳しい。 5.8km先の第4関門までは50分間で走れば良いから楽だが、ここは91.3km地点で、制限が12時間20分。500mと300mの2つの山を越えての制限時間としては、かなり厳しいと思う。つまり100kmを14時間かけてイーブンペースで行けば何とかクリヤー出来るのに、途中の関門の制限時間設定が厳し過ぎるのだ。 このため前半にかなり飛ばして「貯金」を作っておかないと完走は困難だと思う。そして高低差が大きく、坂道の多いコースで貯金を作るためには、必然的に無理をすることになる。それが後半のバテにつながる原因になるのは必定だ。警察の指導だし、決められたルールだから守らざるを得ないのだが、何故そんな無理をさせるのか、説明会の折にでも真意を問い質したいと思っている。 暖かい椿の島で、美しい景色を見ながら楽しく走る。14時間の設定なら本来はそれが可能なはずなのに、前回の参加者は100名ちょっと。多分この条件だとリピーターは少ないかも知れない。決して安くない経費をかけて観光の島に行くのだから、心に残る思い出を作り再びこの大会へ参加したいと感じるよう企画すべきと思うのだが。 まあ、自分が出来る範囲で全力を尽くすまで。懐中電灯は暗い夜道を走る時に必要と考えての持参。無事ゴールに辿り着けるかは不明だが、結果は甘んじて受け入れようと思う。初めて訪れる伊豆大島、そこにどんなドラマが待っているか楽しみだ。明日の朝に伊豆大島へ出発し、帰宅するのは日曜日の夕方の予定です。それまで留守にしますが、よろしくね~
2010.03.25
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明日の天気は「雪時々雨」のようだ。そして最高気温は5度までしか上がらないとか。「ええっ、まだ雪が降るの~?」ってのが正直な感想。もう直ぐ4月だと言うのに、なかなか春らしい天気になってくれない。西日本ではとっくの昔、桜が開花したと言うのにねえ。 先日の日曜日の「荒川市民マラソン」が天候不順のため、急遽中止されたとか。暴風雨が荒れ狂う中でのマラソンはきついだろう。特に河川敷のコースは風が強く、給水用のコップもテントも吹き飛ばされてしまう。楽しみにしていたレースを走れない上にエントリー料金も返って来ないのだから、まさに踏んだり蹴ったりと言うべきか。 どうも泣いたのは人間だけでないようだ。先日テレビを観ていたら、上野動物園のボス猿が涙を流していた。別に「政権交代」があったわけではなく、原因は花粉症とか。猿の世界にも花粉症があったとは驚いた。涙クシャクシャで目をしばたいているボスの姿を、「ウチの親分もだらしがないなあ」と見たかどうか。 昨日、同僚のSさんが第2現場で私を見つけるなり言った。「野村の呪いだってよ」。熱烈な野村ファンのSさん。それが球団の解雇通告以来、楽天を応援しなくなった。今年はライオンズの帽子を被っている。今季開幕戦でオリックスに3連敗したのは、野村前監督をあんな形で解雇したためと言うのが彼の主張。 まさかそんな「呪い」があるはずはないが、野村前監督が抜けた穴は確かに大きい。それに一軍のコーチがほとんど入れ替わり、あれで勝てるのかなあとファンが心配するほどの新体制だ。昨年はたった4敗しかしなかったオリックスに対して、早々と3連敗では「呪い」のせいにしたくなる気持も分かると言うもの。大丈夫なの~?東北楽天。 休んでいた会社のバス通勤仲間が1週間ぶりに顔を出した。父君の葬儀だった由。92歳の父上は亡くなる当日まで税理士の仕事をしていたとか。そして今年61歳になる娘の確定申告もしてくれた由。「来年からは自分で確定申告しないとね」と彼女。不幸にして亡くなったとは言え、父君は立派に天寿を全うしたのだと思う。 今日は私の66歳の誕生日。それを祝って、昨夜の食卓には「ヘソ大根」の煮つけが出た。宮城県南部の丸森町で作られている名物で、輪切りにした大根を茹でて寒風に曝したもの。これを水で戻して調理するのだが、凝縮した甘みがジワジワ~っと染み出て実に美味。千葉県産の生カツオも脂が乗って最高だった。妻のささやかな手料理だが、栄養のバランスは抜群。先ず健康第一で、少なくとも70歳までは現役のランナーでありたいと願っている。
2010.03.24
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2日間に亘って吹き荒れた風がようやく治まった。墓参りから帰宅した夜、妻はシャンプーをしたようだ。飛んで来た砂や土ぼこりで髪が汚れたからだ。帽子は被っていたのだが、それも飛んでしまうほどの猛烈な風だった。汗かきの私はもちろん毎日シャンプーをしている。 そのシャンプーの件で、理容業組合が県にいちゃもんをつけたそうだ。今流行のチェーン店ではカットだけでシャンプーをしない。そのため時間は速いし、料金がとても安く済む。私が通っている店は千円で、しかも平日はポイントが2個もらえる。ポイント30個で1回分が「ただ」だから、平日に15回行くとただになる計算だ。 これに危機感を感じた理容業組合は、「カットした後にシャンプーをしないのは不衛生だから、シャンプー台設置義務を法制化するよう」県に要請した由。これには抜け道があって、既に営業中の店は除外されるとか。だが「カット後のシャンプー無しは不衛生」なんて、誰が信じているだろう。風呂に入った時に自分で洗えば済む話。現に外国ではそんな店が多いと聞く。 オバマ大統領が肝いりで進めていた医療保険改革法案が、この度下院を通過したそうだ。この法案が昨年提案された時に、「医療の自由を奪う」と猛反対を受けたようだ。アメリカでは何らかの医療保険に入ってないと、べらぼうな医療費を請求されることで有名。保険に入っていない貧困層は、これまで十分な医療を受けられないのが現実だった。 「自分達の負担が増える」と言うのも反対の理由とか。つまり国民皆保険は国庫補助を伴い、その分税金が高くなるからだろう。一方、鳩山政権誕生した日本では、高校授業料無償化や新たな子供手当てに関する法案が次々に可決された。これに対して自民党は、「社会主義化するのはどうか」と反対したようだ。 高校の授業料無償化や子供手当ての支給がなぜ社会主義化なのかの論旨は不明確だが、厳しい国家財政をさらに逼迫させるのは確実。税収が伸びず、「予算の無駄遣い」も思ったほど省けなかった。野次っていれば済んだ立場から、責任を持って政治を担当する立場に変わった民主党には、現実を直視した堅実で誠実な政治を是非ともお願いしたい。 グーグルが中国から検索事業部門を撤退させる意向のようだ。中国政府からの厳しい検閲要請がその理由。自由主義を標榜する国の代表的な情報産業と見かけだけの統制国家とでは、根本的に相容れない部分があったのだろう。「本当の自由とは何か」を外国企業が身をもって示すことは、あの国にとって何らかの教唆になると信じている。 さて、連日熱戦が続いている甲子園。和歌山の向陽高校が昨年の選抜で準優勝した島根の開星高校を2対1で破った。この向陽高校の遥か前身は旧制の海草中学とか。甲子園の外野壁には歴代優勝校の名前が掲示されるが、その名前を確かに見た覚えがある。勝った向陽の選手が「大先輩に勝利を捧げることが出来て良かったです」と語っていたのが印象に残った。 一方、敗れた開星の監督が試合後に「21世紀枠の相手に負けたのは末代までの恥。死にたいくらいだ」と発言したとか。きっと前年の好成績で天狗になったのだろうが、高校野球はただ勝てば良いと言うものではない。県の代表として恥ずかしくない言動が求められると思うのだが、どうだろう。
2010.03.23
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私は平成元年4月に沖縄に赴任した。国際通りを歩いて驚いたのが宝石店。宝石と言ってもダイアモンドのような貴金属だけではなく、べっ甲、象牙、珊瑚などのお土産も置いてあった。それがとても安かったのだ。大きな亀の甲羅が2万円以下で買えた。鮮やかな赤い珊瑚はてっきり沖縄産だと思ったら、台湾産の由。これまた、へえ~と驚いたものだ。 お月さん桃色 誰が言うた アマが言うた アマの口引き裂け そんな不思議な歌をラジオで聴いたのは四国勤務の時。その歌にはとある秘密が隠されているのだとか。本当の意味は「大月の珊瑚は桃色って誰が言ったの? 海女が言ったよ 秘密を漏らした海女の口を引き裂こう」なのだそうだが。 高知県宿毛市の南に位置する大月町は豊後水道に面した町。海水温が高いこの海では、昔から天然の珊瑚が獲れた。長い鎖国の日本で大月産の鮮やかな珊瑚は特に貴重な存在。だからこそ、その珊瑚が何処で獲れるかは重要な秘密だったのだと思う。そしてその秘密をばらした者は、無条件に殺されたのだろう。 それら「宝石珊瑚」の国際取引禁止が、やはりカタールのワシントン条約批准国会議で審議されていた。だが、賛成票が上回ったにも関わらず取引禁止にならなかった由。理由は3分の2以上の賛成票を集めることが出来なかったためとか。そんなルールの内容も初耳だった。 那覇の国際通りで見かけたべっ甲や象牙はその後国際取引禁止の対象になったが、珊瑚だけは辛うじて生き延びた。それが果たして珊瑚のために良かったかどうかは別問題だ。 バンクーバーで行われていたパラリンピックが今日で閉幕した。先だっての冬季オリンピックは十分な放送時間が確保されたのに、こちらの方はあまりテレビで観戦する機会がなかった。その中でも日本選手は金メダルを幾つか取るなど、良く健闘したと思う。 今回知った話だが選手の中には会社をリストラされ、その退職金で練習を続けて来た人もいた由。また海外への遠征でも300万円の費用を自腹で支払った選手もいたとか聞いた。外国の場合、選手の育成にはオリンピック選手と同様の援助をした国も多かったようだ。それがわが国では篤志家やボランティアの援助に多くを頼るざるを得なかったのは、極めて残念なことだった。 今日も風が強かった。仙台市内では最大瞬間風速が20mを超えたとか。その風の中を自転車に乗って墓参りに行った。妻の実家のお寺は田んぼの中なので風が強烈。帰路は向かい風になり、昨日よりも疲れた。途中兄宅に寄って仏壇に線香を上げ、兄に古希の祝いを述べた。口が不自由な兄が文字盤を指して言った。「お前も明後日で66歳だね」と。兄はちゃんと私の誕生日と歳を覚えていたのだ。 この2日間で牡丹餅をいくつ食べたのだろう。アンコ、黄な粉、そしてゴマ。妻の作った牡丹餅は不細工だが、なかなか美味しかった。この牡丹餅は春の名前。同じものを秋には「おはぎ」と呼ぶのをご存知だろうか。春は牡丹の季節。そして秋は萩の季節だからだそうだ。日本人がつける名前には優雅なものが多い。そんなことより、我が楽天が今日も1点差で負けた。う~む、どうにかならないのかねえ。
2010.03.22
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強風警報が出ている中、墓参りに行って来た。あまりにも風が強いため、今日は我が家の墓だけ。最寄のJR駅に行くと、列車が強風のためストップしていた。已む無く地下鉄に切り替え、K駅から歩くことに。どんよりと空が曇っているのは黄砂のせいか。墓地に向かう途中、猛烈な砂煙を浴びる。 墓前に花と線香を供える。兄夫婦が供えたフリージアが風で飛ばされ、外へ出ている。茎の途中から折って、それも一緒に入れた。妻が作った牡丹餅と伊予柑も墓前へ。隣の墓に穴の開いたリンゴ。皮だけ残して上手に中身が食べられている。カラスの仕業だ。墓に眠る父母と姉の冥福を祈り、2人で牡丹餅を食べる。備えた食べ物は持ち去るのがルールなのだ。 昨日は悲しかった。5ヶ月間待っていたプロ野球がようやく開幕したのだが、応援している楽天がエース岩隈で敗れたためだ。昨年は圧勝していたオリックス戦だが、0対1の完封負け。午前中から走ろうと思えば走れたのに、やはり楽天のことが気になって走れなかった。 1時半。テレビのスイッチを入れ、目をさらのようにして観ていた。相手の先発投手も確かに良かったが、楽天が点を取るチャンスもなかった訳ではない。だが走塁ミスや強攻策の失敗で無得点に終わった。何故バントをして得点圏にランナーを進めなかったのか。やはり野村前監督と作戦が違うと少々ガッカリ。 野村前監督の解雇を巡って不満だった私は、今季ファンクラブを脱会した。特に彼が好きな訳ではない。だが立派な成績だった野村監督に対して、あのタイミングで解雇通告する球団側にはどうしても納得が行かなかった。多分ファンの球団離れを防ぐため名誉監督に推挙したのだろうが、契約が公式戦開始直前までもたついたことにも私は不満だった。 ブラウン新監督にアメリカ式の指導を期待するなら名誉監督の存在は邪魔なはず。野村氏にもきっぱり球団から去って欲しかった。「やはりお金が目的だったのか」。そう思われたのでは、氏も浮かばれないだろうから。目ぼしい補強もせずに今シーズンを迎えた楽天。それでも新監督の采配と手腕を楽しみにしていたのに、全くの無策だった。 今日の第2戦の先発は田中。強いハートを持つ彼ならきっとやってくれるだろう。その期待も空しく、今日は抑えの乱調でサヨナラ負けだった。公式戦開始に先立つ評論家の楽天に対する評価は、決して高いものではなかった。そして名誉監督も5位を予想したらしい。そのことに新監督は強い怒りを表わした。だから選手達も新監督の下での初勝利を意識し、緊張していたのだと思う。 開幕から7連勝した昨年と打って変わっての2連敗。岩隈、田中とエース級を注ぎ込んでの連敗は痛いし、勝つチャンスは十分にあったとも思う。これを名誉監督はどう見ているのだろう。「やっぱり俺の言った通りだろう。」。そうボヤイテいるのだろうか。たかが2連敗。されどショックが大きい2連敗でもあった。 庭のクリスマスローズが咲き出した。たった1輪だけど、梅も咲いてくれた。そして福寿草がようやく土の中から芽を出した。明日こそは楽天にも何とか勝って欲しい。マラソンは完走してこそ。そして勝負事は勝って「なんぼ」の世界だと思うから。
2010.03.21
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暖かい日差しに誘はれて庭に出るツピツピと澄んだ声で鳴く鳥は四十雀か先だっての散歩では鶯の初音を確かに聴いたこんな日は長い距離を走れば良いのだらうが「なあに レース本番で苦しめば良いだけの話」と俺は気楽に考へる愛犬を庭に放って雑草を取る厳しい冬の間にも耐へて来た雑草その命をかうして俺は奪ふ花の芽が伸び出した あれほど冷たかった土の中から毎年のことではあっても生命の不思議さを感じる季節だその花の名を忘れる時々は思ひ出すのだがそのうちにまた忘れるかうして俺はまた一つ歳を取って行くのだらう隣の庭で犬の鳴き声ボーダーコリーのテリーは14歳になったと言ふそして散歩が嫌ひになったさうだ我が家のラブラドルレトリバーは11歳と半年その黒犬が芝生で腹を見せ 転げ回ってゐる顎鬚が真っ白になったマックスがいかにも長閑な早春の日だがまだ寒い日が幾日か続くだらう長い冬よ そして待たれる春よだが 美しい花々が貧弱な庭を埋め尽くす日が確実に来る南から吹き寄せる春風を伴って
2010.03.20
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ドーハで開かれていたワシントン条約締結国会議で、モナコが提案した大西洋産クロマグロの国際取引禁止が圧倒的な大差で否決されたようだ。EUなどが賛成したものの、日本、韓国、UAE、チリ、トルコ、リビアなどが日本に同調した由。今後本会議で再提案される可能性はあるものの、賛成票が上回ることは困難の見通しとのこと。 反対票が多数を占めた裏には、日本のほか中国のロビー活動の存在があったようだ。同会議ではクロマグロだけでなく、「フカひれ」問題も議題に上がっていた。中華料理に欠かせないこの食材を確保するため、経済援助しているアフリカ諸国等に対して、中国は猛烈な働きかけをしたのだとか。 クロマグロ禁輸の危機は当面薄れたが、やはり何らかの規制は必要と思う。日本ではその昔大量に獲れたニシンが獲れなくなったのは事実だし、近年沿岸でのイワシが極端に減っている。我々が口にしているシシャモはアイスランド産の亜種で、本物は大きさが違うみたいだ。食べ過ぎ、獲り過ぎは禁物。資源の有効活用は、人類の未来のためにも大切だと思う。 一方普天間飛行場ヘリ部隊の移転問題だが、移転先の政府案がほぼ決定したようだ。その内容はまだ明らかにされていないが、報道によればキャンプ・シュワブ地上案と、ホワイトビーチ先の海上埋め立て案らしい。いずれも前政権が米国と合意した場所とは異なり、米国や沖縄県の合意を取り付けることは極めて困難と予想される由。 民主党は選挙で提示したマニフェクトに拘るあまり後手を踏んだ。「出来れば国外。最低でも県外」と主張し続けて来たことや、連立を組んだ政党の主張を聞く必要もあって迷走に迷走を重ねた。飛行距離がそう長くないヘリ部隊の性格や、防衛上の地理的条件を考えれば国外への移転は無理なことは容易に想定出来たはずなのに、面子に拘り短絡過ぎた民主党。 これまで政権担当の経験不足が、彼らの判断を狂わせたのだと思う。その結果、沖縄県民には過度の期待を抱かせたし、名護市長と政府との間に大きな齟齬が生じた。ただ格好をつけるだけでは政治は出来ない。時には厳しい決断を下すことも為政者の責任だと思う。 先日の国会で鳩山首相は自民党の女性代議士からこんなことを言われた。「ツルは千年、亀は万年、鳩はテンネンと言われているがご存知ですか」と。首相の天然ボケを皮肉ったものだが、最近の動きを見ているとどうも「テンネン」は兄だけに止まらないようだ。 ブロバイダーのシステム変更に伴って行われた工事関係の請求書が先日届いた。ブロバイダーの説明では工事に伴う料金は発生しないとのことだったにも関わらず、今回新たに提携する会社から請求書が来た。何とも腑に落ちないため電話で確認したら、必要不可欠な工事で料金が発生するとのこと。 結局A社にとって工事費が不要なだけで、B社とは無関係だった訳だ。同様にA社の利用料金は今後少し安くなるが、B社からの料金請求と併せれば以前よりも高くなりそう。業者の都合で行ったシステム変更だが、利用者にとってはただ迷惑なだけ。実に困ったものだ。 今朝出勤して「連絡ノート」を読んだ。そこには遅番の担当者に代わってここ何日か勤務した私に対する謝辞が、丁寧な文章で記されていた。勤務時間が離れているため直接顔を合わせることのない同僚。最近ノートを読んでもなかなか掴めなかった彼の真意が、今回は幾分感じられたように思う。さて、明日はパリーグ公式戦の開幕。我が東北楽天は、今季どんな戦いを見せてくれるのだろう。
2010.03.19
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私が出勤する時、彼は私の方を見るだけで尻尾は振らない。私が帰宅する時、彼は微かに尻尾を振る時がある。夕方の散歩時、私が玄関の扉を開けるや否や、彼は猛烈に尻尾を振る。そして朝。彼は近寄る私に喜んで飛び掛り、ありったけの力で尻尾を振り続ける。朝の散歩を終えると、食事が待っていることを彼は良く理解しているのだ。 昨日の朝は曇っていて、彼がつながれているガレージ周辺が良く見えなかった。そのせいでもないが、いつもは物干し竿に掛けているロープが見当たらない。思わず「紐がないな」とつぶやく私の目の前に、彼は咥えたロープ(リード)を差し出した。 妻と私は、愛犬と散歩する時に使うリードを「紐」と呼んでいる。彼はたまたま私がつぶやいた「紐」という言葉に反応して、風のため下に落ちたリードを拾って私に渡そうとしたのだ。「紐」と同じように、彼に「袋」と言えば、嫌々ながら自分のウ○チが入った袋を咥えて取ってくれる。 散歩しながら、彼には色んなことを話しかける。「引っ張るな」とか、「つけ」とか、「早く帰ろう」とか。「つけ」はきちんと私の横について歩くこと。だが、他の犬のオ○ッコの匂いなどに反応して、ついつい自分が行きたい方向へ引っ張ろうとする。その時発するのが「引っ張るな」。 時々彼は自分の鼻先を私の膝に押し付けることがある。その意味は良く分からないのだが、たまに私の言葉を理解してると思える時や、彼が散歩に満足していると感じる時もある。ゴミ出しの日にはゴミ袋を咥えて収集所まで運ぶのが得意技だし、お父さん(私)やお母さん(妻)もちゃんと理解している。そんな彼のことを仕事で巡回中や長距離のレース中に思い出して、彼の名を呼ぶことも多く、時々寝言で「マックス」と叫んで妻に呆れられる。 馬好きな人の話によれば、馬は首で抱きつくことがあるとか。つまり馬にとって首は腕なのだ。だから心が通じる人には首で親愛の情を示すのだろう。同様に彼らの唇は人間の指に該当する由。ふざけてブラジャーの紐を引っ張る時があると、その人は嬉しそうに話してくれた。話が出来ない動物は、そんな身ぶりで飼い主と「会話」をしているのだ。 先日「ビューティーコロシアム」と言うテレビ番組を観た。劣等感の強い女性が美容整形を受け、化粧やヘアメイク、服装の専門家の指導の下、美女に変身する様子を映し出す。以前は暗かった表情や話し方が、術後は一変して明るい顔、自信に満ちた言葉に変わる。その落差の大きさに驚いた。 先週の金曜日、今週の月曜日と水曜日、私は早番と遅番を兼務した。午前中の仕事を終えると走って帰宅し、急いで昼食を済ませて新聞を読み、ブログを仕上げて愛犬との散歩を済ませ、今度は自転車で出勤し勤務後帰宅。9時頃遅い夕食を摂り、ブログを確認してから入浴。睡眠時間は短くなって疲労が溜まり、ブログ仲間の所へもなかなかお邪魔出来なかった。 先週は同僚が研修のための代務。そして今週は彼が身内の不幸で休んだための代務だった。3年間に10回目の忌引きだった彼だが、今日は6日ぶりに出勤したはず。果たして連絡用のノートに、彼はどんな言葉を記すのだろう。明日の朝、私はそれに目を通すことになる。
2010.03.18
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先日佐渡島のトキを襲ったテンは、野ウサギを減らすため島に持ち込まれたのが発端とか。結果的にはそれが大切に育てていたトキを殺すことに繋がったのだから、何とも皮肉な話。あの飼育場ではテンが出入り出来る大きさの穴が200箇所以上見つかったが、これはもう論外と言わざるを得ない。 先日巡回中のビルの屋上で骨を見つけた。細い骨は鳩のもの。きっと広瀬川の断崖に棲むハヤブサに襲われて食べられたのだろう。太い骨はスペアリブ。これはカラスが運んだものに違いない。初出勤の1月4日、飢えたカラスが出されたばかりのゴミに群がっていた。彼らの食欲は旺盛で、我が家の畑でも穴に捨てた生ゴミを漁って食べている。 だが食欲旺盛なのは人間も同様。そして鳩を食べるのは何もハヤブサだけとは限らない。鳩は高級食材だし、カタツムリ、サナギ、昆虫、蛇など、実に色んなものを人間は料理の材料に使っている。中国や韓国などでは犬の肉も食べる由。 第82回アカデミー賞では、「コーブ」と言う作品が長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。テーマは和歌山県太地港のイルカ漁を隠し撮りしたものとか。残忍な漁の実態を世界に知らしめることが目的だったのだろうか。だが、太地はクジラやイルカを400年以上獲って来た港で、そこではそれらが重要な食料だったのだ。 能登半島には縄文時代の真脇遺跡があり、今でも浜を掘ると大量のイルカの骨が出て来る。この静かな入り江では、縄文時代から昭和の半ばまでイルカの追い込み漁が約4千年以上続けられて来た。理由はもちろん食べるためで、黒く変色した土器や長い木の棒もここから出土している。 土器は見事な模様のついたランプで、黒く変色したのはイルカの脂を照明用に燃やしたためだ。そして棒は栗の木。研究者は「送り」の儀式をしたと考えているみたいだ。捕獲、殺戮したイルカの霊を慰めて天上へ送り、再びこの地への来訪を祈ったのだろう。アイヌの熊祭りと同様の儀式がこの浜辺で行われていたと思うと興味深い。 頭が良く人懐こいイルカの殺戮は現代人から見れば残酷の一語だろうが、縄文人は彼らなりの方法でイルカを大切に扱ったのだと思う。同じ理由で日本の捕鯨調査船が自然保護を標榜する団体に妨害され、被害に遭っている。また、クロマグロの商取引を全面的に禁止する運動が、今国際的な話題になっている。 考えてみれば、水揚げされたクロマグロのうち日本人が8割、中国人が1割食べているのはさすがに異常だと思う。いくら日本人がマグロ好きだと言っても、種の保存を維持出来なくほど獲り尽すのは行き過ぎ。ただ、私はクジラを食べて育った年代で、もしクジラが無ければ栄養失調になっていたはず。クジラのベーコンや、霜降りの刺身の美味しさは今でも忘れることが出来ない。 かつてアメリカはクジラを獲るために日本近海へやって来た。そして大量の肉はそのまま捨てて、脂だけ持ち去った。クジラの脂は織機の潤滑油となり、照明にも用いたのだ。江戸時代、難破したわが国の船が、アメリカの捕鯨船に救われた記録が幾つか残っている。その捕鯨船の飲み水や食料補給のためにも、わが国との通商を望んだアメリカ。 今、情勢は大きく変わった。食糧難の国がある一方で飽食の国が確かに存在する。近畿大学の水産学部ではクロマグロの養殖に成功したそうだ。天然物だと大トロはほんの一部分だけだが、「近大マグロ」はほとんどがトロなのだとか。そのうち養殖もので我慢する時代がやって来るかも知れない。ただ、非論理的な主張や危険な妨害だけは何としても止めて欲しいと願う。
2010.03.17
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10日ほど前にアカデミー賞の発表があった。今回は例年以上に注目されることがあった。共に受賞の有力候補と目されたキャスリン・ビグロー監督とジェームズ・キャメロン監督が元夫婦だったからだ。結果は元妻のキャスリンが作品賞や監督賞など9部門中6部門で受賞。元夫のジェームズは3部門の受賞に止まり、元妻の圧勝に終わった。 注目度が高かったのはむしろジェームズの方だったかも知れない。何故なら彼が製作した話題の3D映画「アバター」は、興行収入ランキングの堂々1位だったからだ。一方キャスリンの作品はイラクにおける米軍爆弾処理班を描いた戦争アクションとのこと。 キャスリンはコロンビア大学芸術大学院で映画理論や映画批評を専攻したエリート。これに対してジェームズはカリフォルニア州立大で海洋生物学と物理学を学び、後に英文学に転向した。大学卒業後はトラックの運転手などをしながらも、映画製作への夢を捨てなかったとか。 この2人が夫婦だったのは僅か3年間だけ。ジェームズは3回離婚を繰り返し、目下4度目の結婚生活のようだ。女性初の監督賞を受賞した元妻を、元夫は心から祝福したそうだ。男と女が出会って一緒に暮らし、やがて破綻の後の別れ。彼らが作った映画もさることながら、彼らの人生そのものがかなりドラマチックに見える。 人生のドラマで思い出すのが2人の後輩。1人はアフリカから留学した黒人と結婚してアフリカへ渡り、もう1人は妻子ある男性の子を身ごもって、シングルマザーになる道を選んだ。2人とも勇気ある選択をし苦労の連続だったと思うが、幸せに暮らしていることを願っている。 ある年の正月、妻が1枚の年賀状を私に見せた。「干支」の赤いスタンプが押してあるだけで、何のメッセージもない年賀状。差出人は妻の高校時代の親友だった。10年ほど前に彼女の夫が病気で倒れたことは知っていたが、医療費が嵩み貯金が底をついたのだろう。夫君が元気で商売が繁盛していた時は、パリやローマへ遊びに行った話を何度か聞いたものだ。若い頃アン・ルイスに似た美人だった彼女が、まさか40年後に生活保護を申請する身になるとは。 ある時、妻は別のクラスメートの自宅に招かれた。彼女の夫は元銀行員で脱サラ後金融業を開業し、今はパチンコ店を幾つか経営している。家はカラオケルームもある豪邸だったっと妻。だが、友人は膝を痛めて車椅子でしか移動出来ないとも。若い頃から良妻賢母の印象が強かった彼女が、今は車椅子生活を余儀なくされているとは。 方やお金に困窮している友。方やお金には不自由しないけど、健康に不安がある友。男と女の巡り会いは実に不思議な出来事だし、人生とは時に残酷なもの。我が家は経済的な余裕はないけれど、夫婦揃って健康に過ごしている。これで案外幸せなのかも知れないと、最近は考えるようになった。
2010.03.16
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昨日の日曜、妻と連れ立って市の農業園芸センターへ行った。目的はクリスマスローズ展を観ること。場所が海の傍と言うのは分かっていたが、そこへ行くのは初めてだった。工事中の地下鉄東西線の終点に近いが、周囲には畑や田んぼしかない。そして遥か遠方には雪を被った奥羽山脈が見渡せた。 先ず花の即売店に入る。色鮮やかな花々から漂って来る花の香。高いものもあれば、案外手ごろな料金の花もある。ごった返す人の群れに紛れながら色んな花に見入る。「シルコツキー」と言う名札の付いた小さなランを400円で購入。手入れの方法が分からないが、何とか無事育ってほしい。 次いで食堂に入って昼食を済ます。私が頼んだのはラーメンセット。ラーメンにミニかき揚げ丼つきなのだが野菜のかき揚げとは名ばかりで、中身は全て長ネギだった。これには驚いたが、味は見かけほど悪くはなかった。食後は再び即売の花を眺め、ラナンキュラス3株を500円で購入。これはキンポウゲ科の植物で、パステルカラーの花弁が八重になっている。 最後に入ったのが大温室。入場料は400円だが、私は65歳以上の人に市から配布されるカードを見せて無料。そんなお年寄りがたくさん観覧に訪れていた。サボテン、椰子、ブーゲンビレアなど南国の植物で溢れた温室。大きな花弁のハイビスカスや、世界各地の食虫植物が珍しかった。 「クリスマスローズ展」はその一角で開かれていた。元々地味な花だが、不思議な存在感があって私は好きだ。原種のものは葉も花も小さいが、たくさんの花がついていた。中には八重の花もある。即売の花々同様に、市内の園芸店からの協賛出品が多かった。今は冬で花の種類が限られるが、春になれば広大な敷地で咲くバラなどがきっと見事だと思う。帰宅後、妻は大きな植木鉢にラナンキュラスを植え替え、「シルコツキー」を室内に飾った。 我が家のクリスマスローズも順調に育っている。庭に植えてから早1年。株がかなり大きくなって来た。冬は雪の下で辛抱していたが、目下ムクムクと花茎を伸ばしつつある。花は白系統のもの、黄色や緑系統のもの、紫系統のものと合わせて5株。今年初めて花芽をつけたものもあり、果たしてどんな花が咲くか非常に楽しみだ。 さて、この日から始まった大相撲を観ていた時、突然グラグラと大きく家が揺れた。それとほぼ同時に地震速報が画面に。震源地は前日と同様に福島県沖だが、場所はほとんど宮城県境の延長上だ。福島県では震度5弱もあったが、宮城県内はほとんどが震度4以下。それでも2日連続の地震には肝を冷やした。 2月中旬にあった南硫黄島沖にある海底火山「福徳岡ノ場」の噴火。つい先だって起こったチリ地震に伴う津波。そして今回の地震。これらの一連の現象は地球が未だに息づき、私達人間に強大なエネルギーを見せ付けているように思えてならない。
2010.03.15
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晴れてはいるが風がある。そんな天気の土曜の午後、私は走りに行った。いつもの帰宅ランは、7kmか8kmの距離しかない。そんな距離の練習だけで月末の100kmマラソンに向かうにはあまりにも無謀。少しは長い距離を走っておく必要があるし、幾つか確かめたいこともあった。 コースは走友会の練習コース。これを自宅から走ると23kmになる。標高150mほどの山は、少しでも三原山を登る練習になるだろう。またコース中には溶岩などの硬い岩と考えられる未舗装部分が4kmほどあり、それに対応するには底の硬い練習用シューズが良いのだが、アップダウンの多いコースではその硬さが逆に足に負担をかけることにもつながる。また、強い風は伊豆大島の海風に立ち向かう練習になるはず。 長袖Tシャツ1枚では少し寒いかも知れないが、それもまた練習。そして赤い手袋の保温効果はどうだろう。多分山の雪は、このところの高温でほとんど溶けているはず。それを確認出来たら、来週から山道を通っての帰宅ランを再開する予定だった。 風は予想外に冷たかった。そしてニットの赤い手袋は簡単に風を通し、ほとんど保温効果が無いことが分かった。春や秋の大会には使えても、真冬のレースにこの手袋では無理。山道の雪はほとんど消えており、風が止むと結構暖かく次第に汗ばむ。ところが名取川の堤防上は風を防ぐものがないため、今度は急速に体が冷えて来る。 前回は工事中でも通れた道が、今回は完全に閉鎖中。だが、強引に潜り抜けて左岸方向へ渡った。地下鉄の終点では道路がつけ代わるなど環境整備の進行を感じた。ザル川は雪解け水で溢れていた。遊歩道が水浸しになり、その水が普段は水の無い旧ザル川へと流れていた。日が落ち始めると一層寒さが厳しい。2時間半ほどで帰宅すると、郵便物が届いていた。 それは待ち兼ねていた「伊豆大島ウルトラ」の大会要綱など。コースの全貌が初めて明らかになった。島をほぼ2周するコースは33km地点から50km地点までの間に、約500mを一気に登る。ここが最大の難所だが、三原山の頂上ではなく中腹を横断するみたい。そして60km地点からも約300mの登り。そのほかも平らな部分がほとんど無い厳しいコースだった。 さらに厳しいのが85.5km地点の第3関門と91.3km地点の第4関門。制限時間が14時間もあるため、通常ならもっと遅くしても十分ゴール出来るはずなのに、警察の指示で厳しい関門通過が求められている。ゆっくりランナーの私にとっては重大問題で、腕時計のベルトに関門の制限時間を貼り付けて注意するしかない。最悪の場合は85km地点でリタイアも有り得ると覚悟。 こうなると、シューズは履き慣れたウルトラ用を使うのが賢明だろう。気温は仙台より高いため半袖でも良いが、スタート時及びゴール時の気温と海風による体感温度がどうかが問題。天気予報はギリギリまで確認するが、用心のためビニール袋と赤い手袋のお世話になりそうな気配だ。 夜9時43分ごろ福島県沖を震源地とする地震発生。震源地の深さは80kmで、最大の震度は4、マグニチュード5.7。仙台市内は震度3だがかなり揺れ、一時は「いよいよ宮城県沖地震発生か」と覚悟。この夜は草臥れて熟睡。睡眠時間は7時間ほどか。
2010.03.14
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昨日の朝は、美しい三日月を見上げての散歩だった。そして今朝の散歩では、ウグイスの初音を聞くことが出来た。寒く長い冬だったが、これでも少しずつ春が近づいているのだろう。昨日は同僚が研修のため、早番と遅番を兼務した。その疲れが出たのか、朝食後コタツで寝入ってしまった私だった。 先日妻と訪ねた白石市のことで書き忘れたことがあった。1つ目は白石の「三白」について。第1は温麺(うーめん)。第2は和紙。そして第3は葛(くず)とのこと。ただし、それを教えてくれた老女は、どうも本物の葛を知らないような口ぶりだった。葛の名産地で有名なのは奈良県の吉野。もちろんその根っこを粉にするのだが、最近では大きな葛の根が取れないとも聞いた。 2つ目はわざわざ高知県から白石まで訪ねて来た若い女性の話。何でも「歴女」と呼ばれる女性の間で、「バサラ大名」が人気になっているとか。本来のバサラとは、通常とは違った感覚や美意識を持った人や物を指すのだろうが、終生政宗に仕えた片倉小十郎がバサラだったとはとても思えない。ゲーム感覚で人物像を追うのではなく、本物の人間と歴史とを学んでほしいと私は願っているのだが。 大事に育てられていたトキがテンに襲われて死んだとのニュースには胸を痛めた。トキは確か国際保護鳥とかに指定され、日本のトキも一旦は絶滅したはず。中国から譲ってもらい、厳重に飼育、繁殖をしていたのが、放鳥を前にして無残に殺されたとは、きっと管理する人間の側に油断があったのだと思う。 事件の「犯人」がテンだったことにも驚いた。その毛皮がコートの襟巻きになることは知っていたが、野生のテンが新潟にも生息していたとは。そしてテンの凶暴性にもビックリした。直径6cmほどの穴があれば侵入可能だし、金網などを広げることも出来るそうだ。トキを襲って食べたとしても、10羽全部を丸ごと食べた訳でもないだろうに。 愛子様が学習院初等科で「いじめ」にあったとのニュースには胸を痛めた。心痛は愛子様本人が一番だろうが、「誰一人このことで犠牲者が出ないように」との天皇陛下の言葉には心打たれるものがあった。名門教育機関の「学級崩壊」はとても信じられない。宮内庁発表の前に、何故教育の現場で善処出来なかったのかが不思議だ。 2週間後に走る「伊豆大島ウルトラランニング」についての疑問点が解けた。先ず三原山での未舗装区間は全体の4%らしい。通称「裏砂漠」と呼ばれる地区が岩だらけなのだろう。シューズの底がかなり傷む可能性があり、目下練習用のシューズで走ることを思案中だ。 もう一つの心配の種は宿からの返送メールが来ないことだが、思い切って今日ホテルへ電話してみた。返事は出したとの答えだが、実際にメールは届いてない。それでもレース当日の朝食はお握りを出してくれることが分かったし、他のランナーも泊まるみたいなので、きっと何とかなるはず。ただ、電話に出た人が外国人のイントネーションだったので、本当に大丈夫かが少々気がかりだ。
2010.03.13
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大雪の水曜日と翌日の木曜日は、とても走れる状態ではなかった。今日こそは走れるか。そんな思いで今朝はランニングシューズを履いて出勤した。車道はほぼ乾燥した。問題は歩道と裏道の雪がどこまで融けるかだ。今日は気温が上がるみたいだし、勤務が終わる頃には多分走るような状況になってるはず。ただ山道を帰れるのは来週からか。 その読みは当たった。久しぶりの青空と太陽。その恵みを受けて、みるみるうちに雪が融け出した。街中を通ってゆっくり走って帰る。帰宅すると愛犬が芝生で横になっていた。ただし、気をつけないと音を立てて屋根から時々雪が落ちて来る。ヒヨドリに先端を啄ばまれた白菜も、雪の中からようやく顔を出した。 先日、2月に走った「いわきサンシャインマラソン」の完走証が届いた。ん?と不思議に思ったら出場したランナーの中に、チップの装着方法を間違えた人がいるらしく、順位に変動があったためらしい。どうでも良いのだが、総合の順位が1つ上がっていた。これと併せて記録証も入っていた。10km毎のラップタイムが記されているので、参考にしたい人にとっては良い試みだと思う。 「磐梯高原ウルトラマラソン」の実行委員会からは、パンフレットが届いた。昨年は開催が中止されたが、その後多くのランナーから復活の要望があったそうだ。だがこれまでと異なって磐梯山を一周する高原の道が無くなり、猪苗代湖を1周半するコースに変更したようだ。この大会は毎年若干コースが変わるのが、今回は「猪苗代湖ウルトラ」と変更した方が適当と思えるほどの大変身になった。 7月開催のこの大会は私にとっては厳しくもあるが、楽しみな大会でもあった。磐梯山麓の素晴らしい景色が眺められないのは残念だし、平板な猪苗代湖を巡るだけではどこか物足らない感じが否めないが、大会復活と聞いては参加せざるを得ないだろう。今年の7月は釜石市から北上市へ抜ける山道をマラニックする予定でいたが、これは8月にずらせば済む。 先週の週末は走友会の有志数名が、福島県松川浦までの50kmをマラニックした由。小雨の中を良く頑張って走ったものだ。旅館では生きの良い魚をたくさん食べたみたい。きっと頑張って走った後だけに、お酒も料理もさぞかし美味しかったことだろう。骨折していたT脇さんや、足首を痛めていたE名さんも無事完走との話には驚いたが、スピードランナーのA部さんが翌日も単独で50km逆走し、2日間で100kmの練習をこなしたことは、さらなる驚きだった。 さて、今月の予定レースは「伊豆大島ウルトラランニング」(100km)。伊豆大島の天候はどうなのかチェックを始めたが、仙台よりははるかに気温が高い。ただし島のためアップダウンが厳しく、海風が強いはず。三原山への登山道は舗装なのか、岩だらけなのかが問題。そしてEメールで申し込んだ宿から何の返事も無いのが少しだけ気がかりになっている。
2010.03.12
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昨夜、私は9時前に寝た。そして今朝の通勤バスでは、本を読まずに眠っていた。どうも疲れが出たようだ。昨日の朝、起きてビックリ。窓の外は一面の雪。それも一晩のうちにかなりの量が積もった感じ。これは大変。愛犬を玄関に入れたまま、長靴を履いて外へ飛び出る。先ずは玄関前の雪かき。新雪はきれいで良いが、春先の湿った雪は思いの外重たい。 ついでガレージへ下りる階段。30cm近い雪をスコップ一つで処理する作業は案外重労働だ。玄関までのアプローチと裏の物置までの半周を片付け、速攻で愛犬との散歩を済ます。新雪がズボズボで、とても歩き辛い。割と近所でウ○チをしたのを幸い、急いで帰宅し朝食にかかる。 きっとバスは遅れて来るはず。そして停留所まで歩くには、かなり時間がかかるはず。歩道はとても歩けないため、雪が踏み固められた車道を急ぐ。いつも乗る一つ手前の停留所で、雪を被りながらバスを待つ。そして最初にやって来たバスに飛び乗った。経路は違うが、途中から地下鉄に乗り継いだ方が確実と判断したためだ。 「作戦変更」でも通常より10分遅れの到着。現場のビルでは清掃担当の責任者であるMさんが、必死に道路の雪かきをやっていた。急いで警備服に着替えて引継ぎノートなどを確認。管理会社のKさんもかなり早目に出勤し、屋上の巡回は危険だから止めた方が良いと私に警告。その言葉に甘え、屋上への鍵を開けるだけに留めた。 玄関ホールでの立哨中も、Mさんは頭を雪で濡らしながら雪かきを続け、小母さん2人も清掃作業開始までの間手伝っていた。彼らの姿を見て、私は最初の現場を思い出していた。大雪の朝、周囲1kmほどもあるその現場では除雪作業に3時間近くかかり、とても大変だった。警備員の今はそんな苦労をせずに済むのが助かる。 だが、Mさん達の必死な姿を見て考えが変わった。立哨時間が終わって管理室に戻ると直ぐ、私は責任者のKさんに申し出た。「長靴を履いて来たので、屋上の雪かきをやらせてください。もちろん危険なことはしませんから」。困った様子だったKさんも私の決意が固いことを知って最後に言った。「絶対無理はしないでくださいね」。 まず屋上の周回部分を人が通れる幅だけ除雪。ここは鉄管を跨ぐ階段が特に危険なのだ。次に螺旋階段。ここは狭い上に急角度で、上部に行くほど雪が深くなる。転べば大怪我は必定だし、打ち所が悪ければ死ぬ可能性もある。慎重には慎重を期して1段ずつ除雪。塔屋はさらに深刻で、風に煽られた雪が吹き溜まりになっていた。貯水タンクまで一直線に除雪して作業を終え、次の現場に行くため急いで着替えた。 この日はバスで帰宅した。そして昼食後は再び除雪作業を敢行。庭の半周分を終え、次は2階のベランダへ。朝は大変な状況だったのに、その後手すりに積もった大雪が下へ落ちたのだろう。残った雪はプラスチックの「ちり取り」で掬って下へ放り投げた。その時は緊張していたせいか疲れはさほど感じなかったのだが、夕食時にワインを飲んだ後、急に疲れが出始めた。 夕方のニュースによれば仙台の降雪量は24cm。3月では過去3番目の記録で、多数の電車が運休した由。今朝バス停に行くと、「昨日は休んだの?」と同じ会社の人に聞かれた。いつものバスは30分遅れて来、結局彼女は遅刻した由。やっぱり私の判断は間違ってなかったようだ。気温が上がった今日、道路はグショグショ。明日は早番と遅番の兼務だが、果たしてどんな状態だろうか。
2010.03.11
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夕食後、妻は再び温泉へ入りに行った。その間、白石市が作成した観光パンフレットを読む。これがなかなか良く出来ていて、白石市の歴史や主な観光地などが手に取るように分かった。やがて妻が部屋へ戻り、次に私が温泉へ行くために妻が使ったタオルを持った。ところがどうも匂いがおかしい。タオルから結構強い塩素臭が漂って来るのだ。 もし正真正銘の温泉なら、塩素臭などしないはず。再び浴槽へ入って驚いた。最初に入った時には薄いオレンジ色をしたお湯で良い香りがし、肌を触るとツルツルしていた。それからまだ2時間ほどしか経ってないのにお湯は透明でサラサラに変わり、確かに塩素の刺激臭がする。そして源泉掛け流しではなく、お湯を循環させているようでもあった。 脱衣所には温泉の成分証明書と効能が張られていたが、これは看板に偽りありか。経営者が公的機関からとあるセンターに代わったようだが、それも関係しているのだろうか。折角温泉が楽しみで来たのに、それがインチキ臭いとは興醒めだ。新しく掘った井戸の水が美味しいと書かれていたが、ひょっとして新しい源泉の掘削に失敗したのか。それで乏しいお湯を循環して使い回すため塩素を入れたのかも。 翌朝の朝食はバイキング方式だったが、前夜ほどの豪華さは微塵もなかった。それも健康のために良いと私は直ぐに割り切った。さて、妻も私も朝風呂へ入り、塩素の投入は間違いないと確信。妻が予約していた「足軽饅頭」を受け取っている間に、私はフロントの女性に塩素のことを尋ねた。「ええ、少し入れてます」。係員は悪気もなく答えた。「やっぱりね」。そう思ったが、それ以上の追求はしなかった。 宿のマイクロバスで送ってもらい、駅から雛人形を展示しているイベント会場まで歩いた。駅前の中央通りも、それとクロスする商店街も、中心街とは言えない寂れようだ。小さな地方都市の現状は、どこもこんなものなのだろうか。蔵のある場所に一発で着いたことに妻は驚くが、私の頭の中には昨夜確認した地図が見えていたのだ。 イベント会場は旧家の一隅だった。勧められて「たたき」から座敷へ入ると、囲炉裏には赤々と炭火が熾きていて、小さな雛飾りが並んでいた。珍しかったのが、寺子屋の教習本。この家の先祖が子供達に読み書きを教えたものの由。雛人形を前に、1人の老女がにこやかに話し出した。何でも白石の「語り部」を目指しているとか。 彼女が話してくれたのは、真田幸村の遺児が片倉に託された所以、戊辰戦争後に片倉家中が北海道へ渡った話、白石城下での女敵討ちなどだった。この老女熱心で民話が好きなようだが、歴史の真相は知らない感じ。「大坂夏の陣」を「関が原の戦い」と間違えていたことでそれが分かった。でも新しい知見と、これまでの謎を解く鍵が幾つかあったのが収穫。 例えば伊達政宗の正室だった愛姫の父、田村清顕の墓が白石にあること。戊辰戦争の際、陸奥、出羽、越後の各藩が集まって善後策を協議したのがここ白石であったこと。この会合が後の奥羽越列藩同盟に繋がる。北海道へ渡った片倉家中だが、片倉氏は明治末期に白石へ帰ったこと。その子孫が仙台青葉神社の神職をしていることなどだ。 帰路、老女の話に出た真田幸村の遺児阿梅(片倉重長の後妻)、大六姉弟の墓がある当信寺にも寄ってみた。小さな墓だが今でも白石の人から親しまれているようだ。寺の前の通りがかつての奥州街道で、旧国道4号線であることも初めて知った。 宿の温泉と武家屋敷は若干期待外れではあったが、小さな城下町への今回の旅は案外面白かった。そしてお土産に買った「足軽饅頭」は、皮が味噌味のとても美味しい饅頭だった。さて、次回の温泉旅行は4月。花見を兼ねて福島へ行く予定だが、今から妻と心待ちにしている。さて、どんな温泉だろうね?
2010.03.10
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お城のある益岡公園から北へ向かって降りる。武家屋敷を見学するためだ。丘の下に県立白石女子高の校舎。その壁に「さようなら白女」とある。どうやら今月末で廃校となるようだ。県立高校の改革の一環で、男子校である白石高校と統合されるのだろう。 校舎の脇を、沢端川の清らかな流れ。この小川は白石城の堀の役目を果たしていたようだ。観光地図を見ても武家屋敷の位置が良く分からない。遊んでいる子供に場所を聞くと、小路を左折するとのこと。なるほど、小川の向こうにそれらしい門が見えて来た。 お掃除をしている管理人に聞き、ここが目的の場所だと分かった。料金200円を支払って門を潜る。小川に囲まれた閑静な藁葺き小屋は、庭木が良く手入れされていた。屋敷は思ったよりも狭い。中級の武士の住まいとのことだが、当時のつつましい暮らしぶりが偲ばれる。台所も狭く、居室は3室のみ。屋根裏部屋もないため大勢は住めなかっただろう。 あっと言う間に見学は終わった。市内に残った武家屋敷はこの1軒だけらしい。管理人の話によれば、戊辰戦争に敗れた片倉の家臣団は白石城を売り払い、屋敷を片付けて北海道へ渡ったそうだ。開拓したのは現在の札幌市白石区ほか1箇所。白石に残ったのは病弱のために北海道で暮らせなかった士族とのこと。 片倉製糸について尋ねると、白石とは無関係の由。そして城が再現される相当前に、多くの武家屋敷が解体されたとも。JR東日本のポスターには、吉永小百合が白石の武家屋敷を訪ねるシーンが写っているが、実態とあまりにもかけ離れたPRにちょっとガッカリ。かつて訪ねた萩や金沢には多くの武家屋敷が残っていて、金沢では無料で見学出来たのだが。 駅まで歩いて戻る。多少通りが入り組んでいるのは、敵の侵入を防ぐ城下町の特徴だろう。途中に「人形の蔵」の看板や、蔵を展示館にしている酒造メーカーがあった。駅前には白石名物の温麺(うーめん)を食べさせる食堂があったが、多分宿の夕食に出るはずだ。宿へ迎えを頼むと、10分ほどで車が着いた。 車中で運転手さんに尋ねると、白石市の人口は3万8千人ほど。宿のお風呂は大浴場、露天風呂共に天然温泉であること。白石高校と白石女子高を統合した新校舎が国道4号線バイパス付近に建設されていることなどを教えてくれた。宿に着き、チェックインして間もなく、早速妻は温泉へ向かった。 妻に続いて私もタオルを持って浴場へ。少し熱めの温泉だが、香りとツルツル感が嬉しい。小さな露天風呂は外気温が低いためか、さすがに湯温が下がっていた。それでも大満足で夕食会場へと向かった。 夕食の内容は、柚子のワイン、合鴨のミルフィーユ、甘エビ、ホタテ、雪女マスの刺身、蔵王高原豚と水菜などの鍋、銀タラの塩焼き、アンコウのから揚げ、カニの茶碗蒸し、イクラの釜飯、温麺のお吸い物等々と盛りだくさんで、ここまでは何の文句も無かったのだが。<続く>
2010.03.09
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門を潜って早速城内へ。中は思ったより広々としている。かつては存在した書院などが全て取り払われ、きっと天守閣だけが残されているためそう感じるのだろう。幕府への遠慮のためか、ここでは天守閣とは呼ばずに「大櫓」と称していた由。3層の大櫓はとても風格があり、30万石近かった土佐藩高知城の天守閣や、宇和島伊達家8万石の居城である宇和島城の天守閣より遥かに立派だった。 さすがは太閤秀吉や家康に見込まれた小十郎の城だけある。片倉家は仙台伊達氏の一家老ではあるが、特別の配慮により江戸に大名屋敷を置くことが許されていたし、仙台城下では大橋を渡った追廻地区の角に屋敷があった。場所は大手門のまん前だから、まさに別格だったのだろう。因みに伊達の家臣では城主と親戚関係にある「一門」が最有力で、家老の片倉家はそれに次ぐ「一家」扱いだった。 階段を登って櫓へ入ると中に3人の老人。きっとボランティアの管理要員なのだろう。ヒノキの良い匂いが漂って来る。中はいたってシンプルで、甲冑は軽量の模造品。現存する最古の小十郎の肖像画(仙台市博物館蔵)は明治期のもので、この時点で残された甲冑類は皆無とのこと。道理で展示物が少ない訳だ。 櫓の最上階から見渡すと周囲のほとんどが山で、わずかに東方が開けている。ここ白石は狭い谷あいを奥州街道が通る要衝の地なのだ。鎌倉時代の初頭、頼朝は奥州藤原氏を追討するために28万騎もの大軍を送った。迎え撃つ西木戸国衡は4代藤原泰衡の異母兄で、率いる手勢はわずか2万騎だった由。白石の地で勝利した頼朝軍はさらに平泉へと進軍し、ついに奥州藤原氏は滅亡する。 ここ白石は、戦国時代にも激しい合戦の場となった。初代城主白石氏はやがて伊達の家臣となる。天正19(1590)年には秀吉の奥州仕置によって蒲生氏成が入城。蒲生氏の国替え後は会津若松が本拠の上杉領となり、昨年の大河ドラマ「天地人」でパパイヤ鈴木が扮した甘粕景継が入城する。そして慶長5(1600)年、伊達が上杉を破り再び白石を手中に入れた。 そんな経緯から、政宗は最も信頼がおける片倉小十郎景綱を交通の要衝である白石に置いたのだろう。そして彼の力量を買う家康も「一国一城令」に反してまで、白石城を残すことを許したのだと思う。ネットの知人らむかなさんはかなりの城好きだが、白石城が再建された際にわざわざ訪れており、本格的で素晴らしい城だとほめていた。 1987年の大河ドラマ「独眼竜政宗」では、政宗の父輝宗役を北大路欣也が、母義姫役を岩下志麻が、政宗役を渡辺謙が、政宗の正室愛姫(めごひめ)役を桜田淳子が、片倉小十郎役を西郷輝彦が、そして小十郎の姉喜多役を竹下景子が演じていたことを懐かしく思い出す。 大櫓を出た後、城内の公園へ向かう。その一角に第18代横綱の大砲(おおづつ)万右エ門(1869年~1918年)の銅像あり。身長192cm、体重132kgの横綱は当地の出身で、当時としてはかなりの巨漢だったようだ。横綱になって以降の成績では、何と「引き分け」が多かったので有名らしい。<続く>
2010.03.08
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朝起きると直ぐにブログを仕上げ、朝食後は犬小屋をガレージに移動した。これは妻と2人の作業。留守の間に愛犬が雨などで濡れずに済むためには、屋根のある所に犬小屋を持って行くのが一番。その方が少しでも心配が減る。妻が仕事へ出かけた間にこの日2回目の散歩を済ませ、愛犬にも2度目の餌を与える。それは明日の分の前渡しだった。 妻の帰宅を待って昼食を済ませ、最寄のJR駅までバスで。電車の発車時刻がギリギリだったため、取りあえず小銭で買える範囲の切符を買い、下車時に精算することにした。今日の目的地は県南部、白石市にある温泉だ。新幹線や観光バスで白石市を通り抜けることはあっても、これまで途中下車したことはなかった。 白石市へは小学校の遠足以来だから、57年ぶりくらいの来訪だろうか。あの時は、確か製糸工場を見学したはず。お湯に浸かったマユから白い糸が伸びるのが不思議で、独特の匂いがしたことを今もはっきりと覚えている。伊達家の重臣だった片倉小十郎の城下町と言うことくらいしか知識がないが、果たしてどんな町なのだろう。 在来線の白石駅前へ降り立つと数台のタクシーが待ち構えていた。だが、観光地図を見てもお城まではさほど遠くなさそうだ。真っ直ぐ西に向かって歩いて行くと、右手に古めかしい土蔵が見え出した。「寿丸屋敷」の看板がかかり、中から出て来た人が「無料で見られますよ」と教えてくれた。それは良いと、早速覗いて見ることにした。 玄関へ入ると座敷の中から歌声が聞こえる。明日のイベントの練習のようだが、なかなかの美声。障子を開けると2つの和室を開放して、雛人形などが並んでいた。ピアノの伴奏で女の人が歌っているのは幾つかの曲を歌曲風にアレンジして繋いだもの。その声に聞きほれていたが、中年の女性が奥にも部屋があるから見て行けと言う。 ここは古くからの醸造業で資産家だった由。数年前に市に寄贈され、若干の整備後市民へ開放されたのだとか。もらった資料を見たら、何と県内各所でひな祭りに因んだイベントを公開中だったようだ。白石市内では他にも協賛する催しがあるようだ。次に向かったのが白石城。駅前通りから丘の上に立つ城が見えたため、方向は間違いない。 坂道を登って行くと「歴史探訪ミュージアム」の大きな建物が見えた。だが映画の上映時間が迫っていたため諦め、城内に入って天守閣だけをみることにした。小さな城の割には立派な天守閣だ。一国一城令が出された後も、仙台の伊達藩と阿波の蜂須賀家だけは国内に複数の城の保有を許されている。この城は平成7年に昔の工法で再現された本格的なものの由。 城主片倉小十郎景綱は伊達政宗が幼少の頃からの傳役(もりやく)で、姉は政宗の乳母だった人。政宗の成人後は数々の殊勲を立てた功により家老職として1万3千石を与えられ、白石城を預かる。この間太閤秀吉から人物を見込まれて三春5万石の大名として取り立てる話があったが、これを固辞。また、秀吉の死後天下を統一した家康からも同様の話があったがこれも固辞し、終身政宗の重臣として仕え続けた。<続く>
2010.03.07
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大地震があったハイチとチリでは、共に甚大な被害が生じた。ハイチでは建築の構造に問題があったようだし、チリでは津波の情報が住民に知らされないと言う信じられない欠陥があった。それ以上に驚いたのは、2つの国で略奪が続いたこと。治安維持部隊が出動するほどの騒ぎになった。住むところだけでなく食べ物も飲み物も失った住民にしてみれば、略奪行為は我が身を守るために仕方が無い行為だったのだろう。 つい最近、奈良県で5歳の男児が死亡した。死因は餓死。両親が与えたのは1日1食だけ。そして家族が食事中、男児だけはその横に座らされていたとか。両親は日常的に体罰も行っていた由。男児はどんな想いで、食事を摂る家族を見ていたのだろう。とても人間とは思えない両親。両親であっても良心は無かった。 節分の日の夜。妻は静かに豆まきをしたようだ。私は翌朝、台所や玄関に落ちていた殻つきピーナツを拾って食べた。戦後の食糧が乏しかった時代に育った私にとって、食べ物を粗末にすることは出来ないのだ。今でも妻が食べ終わった魚を、食べるところがないか「点検」して私が食べることが多い。 先日のひな祭りの日の夕食は、うなぎ入りの散らし寿司だった。そして、その後にみすぼらしいケーキが食卓に出た。手作りのようでイチゴとチョコレートとドライフルーツが入っている。食べると蒸しパンだと分かった。どうやら妻が訪問先からいただいたものらしい。 妻の話によれば、作ったのは80代のお婆さん。50代でまだ独身の息子に食べさせようと作ったものらしい。だが息子は目もくれず、捨てるのもどうかと妻が引き取った由。こうして老母の貧しいケーキは、何の関係も無い私の胃に納まることになった。年老いた母の愛も食べ物の大事さも感じない中年男に代わって。 つい最近、中高年男女3人組が県内の山で遭難する騒ぎがあった。3人は共に山のベテランらしい。日帰りの予定で入山し、雪の山で道に迷ったとのことから、とても助からないだろうと私は観ていた。だが、70代2人、60代1人のベテラン登山家達は3日後に無事生還した。救助隊の指示を守って雪室に閉じこもり、体力を消耗しなかったことが生還につながったようだ。 冬山を甘く見て、入山届けも出さずに山へ入った3人。あの日、山では天候が急変し大荒れになったようだ。日帰りの予定にも関わらず、彼らは2日分の食糧を持参していたらしい。3日目に残ったのはチョコレートだけ。寒さを防ぐため時々雪室から出て足踏みをし、眠気を堪えるため趣味の話をしていたのだとか。 そんな状態でも助かったのは、乏しい食糧を食いつなぐなど冷静な判断があったからだろう。あれは老年だからこその知恵。命を保つ食糧のありがたみを、彼らは十分に理解していたのだと思う。
2010.03.06
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今日は暖かかった。予報では17度になると言っていたため、帰宅ランは半袖にした。それでも吹き出る汗。昼食後、愛犬と散歩がてら郵便局へ行った。昨日届いた「秋田内陸100km」のエントリー料を早速送金したのだ。往復の道のり、愛犬の息遣いが変。何だかゼイゼイいっている。昨年辺りから顎鬚が白くなり出したが、足にも白いものがチラホラ見える。彼も年老いて来たのだろうか。 昨夜たまたまN○Kの「ツレがうつになりまして」と言う番組を見た。確か漫画家である奥さんが夫の病気のことを漫画にしたものとの記憶があった。奥さん役は藤原紀香で、夫役は原田泰造。紀香も売れない漫画家の雰囲気を良く出していたし、平凡な夫が職場のストレスでうつ病を発症する過程が悲しいほどに理解出来た。 そして感心したのが風吹ジュンが演じる精神科医。若い頃はチャランポランなイメージがあった彼女が、まるで音羽信子みたいな名優になっていた。きっと苦労を重ねた結果、人間的に成長したのだろう。とても自然な演技が光っていた。放送後に知ったのだが、私が見たのは再放送だったようだ。今やうつ病は社会問題化しているほどフツウの病気。今後の放送が楽しみになった。 テレビと言えば、つい最近元巨人軍の元木を観かけた。芸能界にでも入ったのか知らないが、かなりの長髪になり風貌が変わっていた。もっと驚いたのが清原。「もみ上げ」が白かったのは前からだが、腹は出っ張り顔つきはまるでやーさんか勝新太郎。あれでは元スポーツ選手には見えないし、あの風貌でキャンプに来られたら現役選手はきっとビビルだろう。まあ、存在感があるのは間違いないが。 2日ほど前にバンクーバーオリンピックで活躍した男子スピードスケートの長島選手と加藤選手がテレビに映った。職場の会長が2人の活躍を祝って報奨金と2階級特進の役職に就けたと言うニュースだった。会長は自分のポケットマネーからも半分出した由。太っ腹な会長は「今後金メダルを2回取ったら社長だ」とも話していた。 加藤選手がそれを受けて「次期社長の加藤です」とおどけて見せたが、あれは最早試合で見せた厳しい選手の顔ではなく、一社員の顔だった。さすがは創業者会長。2階級特進でようやく主任になった若者とは貫禄がまるで違っていた。 結婚詐欺と殺人の疑いで逮捕された埼玉と鳥取の2人の女の顔も、最近になってようやくテレビに映り始めた。「う~ん?」と首をひねる容貌で私には何の魅力も感じないのだが、世の中にはまんまと騙される男もいるんだねえ。人間の顔には色んな情報が秘められていると思うのだが、それを読み取る力がないと、とんでもない結末を招くことにもなるんだよね。
2010.03.05
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3日連続で郵便局へ行った。初日は市民税・県民税の引き落としの申請書を受け取りに。記入した翌日に書類を持参したところ、印鑑と通帳がないため受け取れないと聞き、あえなく帰宅。そしてその翌日に再び郵便局へ。今度はちゃんと受け取ってもらえた。そこで若い職員に言った。「印鑑や通帳が必要なら、書類を渡す時にそう話して欲しい」と。青年局員は申し訳なさそうに謝罪した。 初日に書類をくれたのは課長。中年の男性だった。私は直ぐにもらえると考えていたのだが、番号札を取って順番を待つ必要があった。あの時にきちんと説明があれば、無駄足を踏む必要がなかったのだ。ついでながら局長は30代と思える女性だった。きっと旧郵政省に上級職として入ったエリートなのだろう。郵便局も今は会社になったのだから、もう少し親切心がないとねえ。 先日第1現場の管理室に来客があった。あいにく他に人がいなかったため私が応対した。用件は会議室の使用状況の確認。そこで予約ノートを渡し、彼女自身に確認してもらった。やがて管理会社の職員が戻ってノートを返却させた。来客が帰った後、彼が私に言った。「ノートには個人情報が書かれているので、直接見せちゃいけないんです」と。 「あのなあ!」危うく私は口に出す所だった。経済活動や社会活動を行う団体名や電話番号が、どうして秘匿すべき個人情報なのか。相手が契約先の職員なので黙っていたが、「個人情報保護」に過剰に反応する最近の傾向が、私にはどうにも解せないでいる。 それより彼女がくれた名刺の肩書きが気になった。そこで大学時代の親友の名前を出すと、「職場の先輩です」と彼女。そして親友は現在別の財団の事務局長をしていると教えてくれた。5年前に天下りした時は、まだ事務局次長だった。その後も勤務し、とうとうトップになったのだ。喜ばしいことではあるが、財団の業務内容と実績が貧弱としか思えない。税金の無駄遣いとの直感が誤ちでないことを祈る。 一昨日の雪の日は街中を走って帰宅した。山道だと融けた雪でびしょ濡れになることを怖れたのだ。中間地点くらいまで来た時、前を歩いていた若い男性が、後方から迫る私に気づいて急に走り出した。ウインドブレーカーの上下にランニングシューズ。そして背中にはリュック。てっきり彼もランナーなのかと思った。 あっさり彼を抜いた後、公衆トイレに寄って用を足し、水を飲んで再び走り出した。その間にも走り続けていたのだろう。彼は後方を振り返って再び走り出した私を確認。そして抜かれるのが嫌だったのか、道路の向こう側へ渡りとうとう歩き出した。さて、一連の行動をどう理解すべきなのだろう。 ひょっとして、初めは簡単に引き離せると考えたのかも知れない。私のスピードはそれほどでもないからだ。そして風采の上がらない白髪頭の爺様になんて、若者が負ける訳がないとも。だが、いくらのろくても私はウルトラランナー。それなりの服装をし食料と水があれば、リュックを背負って100kmくらい走ることも可能。つまり、見かけによらずスタミナがあるのじゃよ。 イランを通過中の寛平ちゃんは、ようやくテヘランでの映画撮影が完了して再び走り出したようだ。映画のタイトルは「ラン・エンド・ラン」だが、英語名は「I RAN & RUN」。つまり「私は走り、そしてこれからも走る」。このI RANを縮めると国名の「IRAN」になる仕掛けだそうだ。 寛平ちゃんを足止めした5日間には停電の時もあって、撮影には相当苦労したようだ。だがイラン国内を走り抜けて地球一周する寛平ちゃんの姿に感銘を受けた監督が、どうしても寛平ちゃんを主人公にした映画を作りたかった由。まさに不思議な縁と言えよう。イランと言う国に抱いていた私達日本人の誤解が、このことをきっかけに氷解することを願っている。< 謹告> 2007年5月28日に開設したこのブログですが、本日ヒット数が10万件に達しました。これも偏に愛読者の皆様のお陰です。この場を借りて心から御礼申し上げ、併せて今後ともよろしくお願い申し上げます。
2010.03.04
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第1現場の隣のビルの解体作業がかなり進んだ。既に最終段階で、目下地下2階部分を解体中だ。「1度に地下2階まで壊したら足場が無くなり、ダンプカーも入れないだろう」。との心配は見事に覆った。面積の3分の2ほどを解体して基礎工事をし、そこに鉄製の足場を組み立てたのだ。ダンプカーはその足場から出入りし、工事には何の支障もなかった。なるほどなあ。 3年間勤めたこのビルが解体される前、清掃の責任者が皆に言った。「どうせこのビルは壊されるんだから、ゴミはそのまま置いとけば良いんだ」。私は呆気に取られた。彼は本気で言ってるのだろうか。まさかと思ったが、意外に彼は本気だったようだ。 ビルの解体に先立ち不要なゴミは分別廃棄するだけでなく、ビルの建材そのものも分別しなければいけないのは常識だ。今ではコンクリートすら適度の大きさに破壊して再利用するし、鉄骨や鉄筋などは溶かして再利用するのは当然。ボイラーや窓枠なども予め取り外すのが鉄則。それを彼は一緒くたにゴミとして考えていたのだろうか。 自宅の近辺が急に静かになった。直ぐ前の家が数日前に引っ越したのだ。ここへ来たのは私達より少し早く、14年ほど住んだ由。転居の理由は大家さんからの立ち退き要求のためらしい。築40年を超えた隣家は風で飛ばないよう、何本かの古タイヤがトタン屋根に乗っかるボロ家。 困ったのが全然立ち木を剪定しないことだった。大きなヒノキや杉の枝が我が家の庭に入り込むし、柿の枝には毎年毒蛾が卵を産みつけ、その毛虫に刺されて何度か腕が腫れ上がったことも。樹木の剪定をお願いしても埒が明かない。了解を取り付け、結局は私が剪定することにした。毛虫ウジャウジャの柿の枝もバッサリと剪定。 それが原因かは分からないが、隣家の様子が変だった。奥さんと次男は温和に挨拶を交わすけど、ご主人、長男、近所に住む長女が挨拶をしても返事もしない。きっと我が家に対して快く思ってなかったのだろう。「そのうち2階建ての家を建てる」と周囲に言い触らしていたのは、我が家に太陽が入らぬよう邪魔しようとしていたのかも。 散歩させないため飼い犬は良く吠え、狂犬病の注射をしないためちょっと怖かった。鬱蒼とした樹木のせいか、夏は蚊が大量発生する。きっと水はけが悪いため、水溜りにボウフラが湧くのだろう。落ち葉が詰まった樋は腐り果て、雨が降ると滝のようなトタン屋根は実に異様だった。 気を遣う隣家ではあったが、引越しすると聞き妻がお餞別を持参した。ご主人が急ににこやかになったのはそれからのこと。まあ人間とは面白い。彼らが去った後古家は壊され、120坪ほどの土地は更地になって売られるのだろうか。今後の顛末は皆目不明だが、邪魔な樹木が全て伐られることを望んでいる。そして願わくば、付き合い易い隣人が引っ越してくることも。<続く>
2010.03.03
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今日は雪かきから一日がスタートした。昨夕から雪がちらついていたことは知っていたが、まさかこれほど積もっていたとは。それでもやはり3月の雪。気温が上がればたちまち融けてしまうだろう。そう考えて、今日も帰宅ランの準備をして出勤。 現場のビルに着いて屋上まで登ると、塔屋への螺旋階段に深い雪。ちょうどそこが吹き溜まりになっていたようだ。玄関での立哨時。寒さを堪えながら姿勢を正していると、妙齢の婦人が私に近づいて来た。それもなかなかの美人。一体爺さまに何の用?一瞬訝ったのも束の間、婦人が小声で言った。「済みません。トイレを貸してください」。ふう~っ。 寒さでお腹が冷えたのだろうか。ややもして婦人はお礼を言ってビルから出て行った。これなんかは良い方。つい先日、とんでもない事態が生じた。いつものように玄関ホールで立哨していると、前方からビルに近づいて来る1人の老人。そこへ1台のタクシーが来て、玄関へ横付けした。 降り立った運転手に対して、老人が物凄い剣幕で怒鳴っている。ひたすら謝る運転手。老人はどうやら自分の進路を妨げられたことを怒っているようだ。玄関ホールへ入って来るなり老人は、目を吊り上げて私に言った。「何故注意しないんだ!!」。私は答えた。「関係ない。それにあんたは何なの?」。 私達警備員はどんな人に対しても丁寧に対応するよう、研修の都度指導されている。だから普段はこんなぞんざいな言葉も使わなければ、乱暴な態度を取ることもない。実はタクシーはビルの重役を送り迎えする契約車で、朝夕このビルへやって来る。一方の老人は中折れ帽を被りスーツを着た立派な身なりだが、このビルへはトイレを借りに来るだけの人なのだ。 トイレを済ますと黙って裏口から立ち去る老人。きっと裏通りにある病院に通っているのだろう。つまりこのビルは彼にとって近道であり、かつ生理現象を処理するだけの存在。人の良い運転手はそれを知らず、老人の身なりと剣幕に恐れをなしてビル関係者と誤解したのだ。ひょっとしてあの老人、現役の頃は相当偉かったのかも知れない。それが彼に尊大な態度を取らせたのだろうか。だが、それにしてもあの怒り方は尋常ではなかった。 さて、同じビルで遅番を勤める同僚の反応がおかしい。勤務時間が違う彼とは直接顔を合わせないため、連絡は全て1冊のノートを通じて行っている。ところが最近彼が書き込む内容が今一理解出来ないでいる。業務上必要な提案をしても乗って来ないし、研修出席のための代役を依頼しても良い返事がない。 遅くまで勤務する管理会社の方に様子を聞いてみると、彼は腰が痛くて玄関での立哨が辛いようだ。目下治療中だが、迷惑がかかるため辞職を決意しているとも話しているみたいだ。それでようやく理解出来た。腰痛は昨年の夏屋上を巡回中に階段を踏み外して怪我をしたのが原因。 その後私が安全対策を提案し、それが実行されたことで優秀職場の表彰を受ける運びになっているのだが、ひょっとしてそのことも彼にとっては悩みの種だったのだろうか。ちょっとした誤解が人間の判断を狂わす。たかが誤解、されど誤解。人間とは何と厄介な存在なのだろう。<続く>
2010.03.02
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今日から3月。日差しが春めいて来ても良いのだが、どうにも寒い。そして今、窓の外では雪が舞っている。明日はもっと気温が下がるとか。この冬は暖冬傾向との話だったが、結構雪が降ったし寒い日も多かったように思う。 庭のウメモドキの赤い実が一つも見えない。全てヒヨドリが食べつくしたようだ。そして次の標的になったのが白菜。我が家の小さな菜園に、この冬14個の白菜が育った。重宝して食べ、まだ7つほど残っていたのだが、そのうち2つほどに穴が開き、その穴が次第に大きくなりつつある。 ヒヨドリ達もよほど餌が乏しくなったのだろう。妻にそのことを話すと全部取るよう指示されたが、「全部取っても最後は腐るよ」と言うと、「ヒヨドリにも餌を上げなくちゃね」と一旦は諦めたようだが、暫くしてから大き目の白菜を2個取って来た。 冬を越した白菜は見栄えは悪いが、凍結をしないよう自ら糖分を蓄えるためとても甘い。それを割いて日に干し、漬物にすると実に美味しい。お茶が好きな妻は、漬物を食べながらお茶を飲んでいたようだ。 一方、30本ほど土の中に埋めた大根はどうだろう。おでんや煮物、大根おろしなどで結構食べたと思うのだが、まだ何本かは埋まっているに違いない。遅れて蒔いた大根はさすがに育ちが悪かったが幸い凍らずに済み、葉っぱごと味噌汁の実になったり即席の漬物になって、全て私と妻の胃に納まった。 連日熱狂したバンクーバーオリンピックもとうとう終わった。次のソチ大会は4年先。この4年に1度の開催が選手達に大きな影響を及ぼすのだろう。潔く第一線から退く選手、周囲は当然引退すると見ても本人は4年先まで戦う意欲を失っていない選手、そして今回は実力を発揮出来なかったけど、次回には中心になって活躍すると思われる選手。4年先までモチベーションを保ち続けることは、いかに困難なことか。 一昨日からのチリ地震に伴う津波に関して、今日気象庁が「予測過大」であったことを謝罪したようだ。規模が予想したほど大きくなかったこと。そして警報を解除するまでの期間が長過ぎたことに対してだ。私が住む宮城県内は高さ3mもの津波が襲う「大津波警報」が出され、東北線以下JRの各線や一部の飛行機が運休した。 そして相当多くの住民に、避難指示と避難勧告が出された。だが、県内で実際に避難したのはわずか5.6%だった由。50年前の「チリ地震津波」で膨大な被害があったはずなのに、その教訓が生かされなかったのだろうか。幸いにして人的な被害は出なかったものの、海岸部ではカキ、ノリ、ワカメ、コンブの養殖いかだが大量に流出する被害が生じた。 今回の津波に関して東北大学の今村教授(地震学専攻)がニュースの中で、気象庁の予報は適正だったと話していた。近く発生が予想される宮城県沖地震では、高さ3mの津波が地震発生後わずか10分で襲う由。前回は転勤のため仙台にいなかった私達夫婦。海から遠いとは言え、「長町ー利府活断層」のほぼ真上にある我が家としては、戦々恐々だ。 昨日の東京マラソンは氷雨で寒かったようだ。スタート時点の気温は5度だった由。雨の中で長い間スタートを待っていた大勢のランナーは、きっと寒さに震えていたことだろう。尾篭な話で恐縮だが、オシッコが近い私などはとても我慢が出来なかったと思う。果たして参加した仲間達は、体調を崩していないだろうか。どうぞ大事にされ、早く回復されますよう。
2010.03.01
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