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昨日の日記で書いたように今年の年末は本格的な「お片づけ」を実行していた所為で、年賀状なんて後回し。それでも年が明けちゃう前に書いて投函しなくちゃ、と気ばかり焦ってる割には、GREEとか楽天日記とかやってしまい、矢鱈と時間ばかりが過ぎ去って行く。とりあえず文面側は印刷してあるので、まずは宛名側を印刷するための名簿データを更新しなくちゃいけません。例年ならば正月にもらった賀状でデータを更新してある筈なんだけど、何故か今年はそれをサボっていたと見えて、Excelファイルの更新日付は1月3日になったままです。それ以降に届いた分が反映されて訳です。幸い、お片づけの途中で今年もらった年賀状の束をガラクタの山から発掘して回収する事ができたので、元ネタは入手済みだ。ここで「さあ作業を開始」となれば問題ないんですが、まだ「お片づけ」が完了してない。家族はみんな寝てしまった。楽天日記も未記入の日数がだんだんと増えてきた。え~い、ネットだぁ~。ということで、年が明けてしまった。→ 宛先印刷がまだじゃん。今年こそ、去年よりも更に良い一年でありますように…
2004年12月31日
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オマケとかミニチュア玩具みたいなのが好きで、コンビニで見つけるとつい買ってしまう質である。グリコのタイムスリップ・シリーズとか、小さなラムネが入ってるけど「メインはオモチャ」みたいな「ぷちサンプル・シリーズ」とか、250円ぐらいだし、酔って帰る途中などでコンビニに寄るとついつい誘惑に負けてしまう。また、飲料系でもオマケが付いているものを選ぶ傾向が強い。そういった小物を陳列しておく場所なんてないから、紙製の箱に入れたままでうず高く積まれていたりする。雑誌や本などでも読んだ後に処分せずに「とっておく」のが基本なので、これらも貯まる一方。クレジットや携帯の利用明細とか、ダイレクト・メールで送られてくる書類関係も、目を通した後で捨てちゃうことができず、「何かで参照することがあるかも知れない」から「とっておく」ことになる。同窓会関係の資料なども捨てられない。落語とか行ってもらってきたパンフなども捨てられない。こうして何でもとっておくので、奥の部屋のパソコン・コーナー近辺は山のようになっている。それだけじゃない。リビングの私の椅子の上や周りにもどっさりと物が溢れ返っているし、テーブルの上も20cmぐらい積み上がっている。毎週土曜の夕食時になるとそれらの内から、最低限、私が食事ができるぐらいのスペースを確保するために、一旦ピアノの近くまで退避するんです。でも日曜の夜とか月曜の朝になると、元あった場所に全てを戻す。という生活が続いていた事に対して、カミサンの不満エネルギーが、まるで海洋プレートの断層にエネルギーが次第に蓄積していくように、少しづつ貯まっていったのでした。ある日、「リビングのパパの席の周りのものを年内に片付けないと捨てちゃうよ」という強硬手段に乗り出してきたのでした。捨てられちゃあ困る。でも、何%かは捨てられるものもある筈なのは確かだった。ところが前にも書いた通り、何事にかけても「間際になるまで腰を上げない」という性格が災いして、今日までほとんど手付かずの状態だった訳なんですね、これが。という訳で、年賀状の印刷もせずに「お片づけ」作業に没頭。しかし、はなから不要だと判りきった物を捨てるのは簡単なのですが、「これはとっておきたい、だけどそれほどでもない」という中ぐらいの者達が曲者なんです。簡単にポイッと捨てられない。例えばだいぶ前にもらってきた営団地下鉄のメトロニュース。こういったものはどうするのか?「お別れの儀式」を執り行うんですな、これが。つまり、メトロニュースを手に取ってパラパラと読む。いろんな記事を読んで、「うんうん、これはもう私には不要なんだ」という意識を高めていく。そして、「よ~し、もう捨てちゃうぞ~」と、ゴミの山に放ってしまう。いろんなもの達に対して、こんなことをいちいちやりながら、お片づけをしていたら、一向に捗らないのは当たり前ですよね。こうして、深夜→未明→夜明け、という具合に時間だけがどんどん過ぎ去って行き、ガラクタの山はなかなか減ってくれない。レンタル・スペースでも借りて、み~んな放り込んじゃえば楽かなぁ~?
2004年12月30日
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私の中学では当時、3年間クラス替えが無くて、担任も継続でした。その所為か、比較的クラスの結束が固いと思います。更に、運動会などの全校行事では学年を横断して、同じクラスが3学年分団結してスコアを争うので尚更です。私はA組だったので、1年~3年のA組がまとまって、競技や応援をするんです。Aのクラスカラーは“赤”でした。あとはB:白、C:緑、D:紫、E:黄だったかな?騎馬戦では男子3学年合同で戦うので、1年生の騎馬などは3年生に捕まらないように逃げ回ってました。中学1年と3年では相当に体格が違うのですごく恐かったなぁ。という訳で、クラスの仲が良かったため、クラス会も絶えることなく2年毎に開催していました。更に2001年からはクラスのメーリングリストを立ち上げたことも有って、一部の仲良しグループでちょいちょい呑み会をやるようになった訳です。今回は男3人、女3人の予定でしたが、埼玉から実家に帰るついでに初参加の予定だったアケちゃんが、あの関東を襲った「雪」のために断念となり、とても残念でした。残りの5人は少なくても年に1度は会っている気心知れたメンツなので、いつもの様に集まって、いつもの様に飲んで、話して、そうして二次会はカラオケで盛り上がって、というお決まりコースだけど、それが良いんですね。今回はヒトシくんと二人で楊州ラーメンに寄ってから帰りました。
2004年12月29日
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16:30 やりかけの仕事をホッポリ出して納会の始まりで~す。フロアの一部のデスク上を片付けて、模造紙とかラインプリンタ用紙などを敷き詰めて、缶ビール、乾き物、寿司折り、マック・チキンナゲット、コージーコーナーのお菓子、いろいろ並べて。普段はまず言葉を交わさない、お偉いさん達が登場して、いざ乾杯。同じフロアでもちょっと部署が違えば全然話したことも会ったこともない人々に混じって一緒にビールを飲む。変な感じだけど毎回のことだし。早めに帰る人、いつまでも一升瓶を抱えるように飲んでいる人、二次会のメンツを集め廻っている人、麻雀のメンツを集め廻っている人、いろいろだよね。僕等は、久しぶりに二つ隣の島にいる人々と二次会が決まって、電車で移動。京橋近くの元帥ってお店で23:40まで。ああ、今日も飲みすぎ警報発令!
2004年12月28日
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先週、4年前から名古屋に単身赴任しているM下君が一日早く帰京して明日は出社しないということで、呑み会のお誘いメールを同期の10数名に投げていた。ほとんどの宛先の人々は返信すらしない状態だったけど、M下君に会いたいと思ったかどうだか分らないけれど、5人だけは集まることになった。遠路はるばる熊谷からN口先生、同期の誇りH最高技術責任者、M下本人、紅一点のN村、それにこの目玉おやじ。場所は、年に4回ぐらい同期会を開催している天狗東京駅前店。これも忘年会と数えると、私は今年11回目の忘年会です。天狗はメニューがいろんなジャンルに豊富でしかも安いので嬉しい。やっぱり同期の連中と飲んでる時にはなんだか、まだ学生気分の抜けなかった研修中の頃を思い出して、日常を忘れる。二次会は、もっと八重洲口に近い「五大陸」で軽く。「じゃぁ、良いお年を!」と言って解散。
2004年12月27日
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先日(12/23日記参照)、ラジカセを買いに行く道すがら、美味しそうなインド料理屋さん「シャリマール」を発見しました。これは一度チェックして置きたいお店だ、という印象だったので、帰宅して夕食時にカミサンに提案したら、直後の土曜日に行こうか、ということになったんです。ところがところが、どうした事か、当日になったらカミサンすっかり忘れちゃって、「今夜はすき焼き」とかほざいてるし。まあ、スキヤキだって美味しいから嫌だとは言わないけれど、五香のインド料理屋さんはどうなったのよ?と問いたい。問いただしたい。小一時間問い詰めたい。←どっかのFLUSHムービーの真似(W)仕方ないので、本日、カミサンが忘年会で留守だから娘二人を連れて行ってみることにしたんです。私と娘二人の三人で食事に行くなんて初めてかも知れない。いやいや、幼少の頃にはあった筈だ。大学1年と高校2年の二人を連れて、家を出て、電車に乗り3駅。歩いて店の前まで来たら、お店の感じは二人にも好印象だったらしい。店はすいてて他にはカップル一組と、一人客だけ。折角インド料理屋さんまで来たのだから、カレーだけ食べて帰るのは癪です。メニューを広げて、3人であれこれと頼む料理を検討。タンドリーチキンは味が想像できそうなので止めて、シーク・カバブー、サモサ、もう一つマライ・ティッカという鶏の焼き物、それからヨーグルトにキュウリや玉葱といった生野菜を刻んで放り込んだライタ。まずはこういったカレー以外のお料理を注文。インド人のお姐さんにオーダーを頼んでから、次はカレーを何にしようかと相談。マトン、ベジタブル、ほうれん草のサグ・パニーアで3種類と、ガーリック・ナン(平べったいパンみたいな奴ね)に決定。辛さはマトンだけが中辛で、他はマイルドにしました。私はインドビールを、長女はオレンジ・ラッシー、次女はお冷を頼んで、お料理が出てくるのを待ってました。するとしばらくして次から次へと出てきて、3人とも結構美味しいねと満足しながらタラフク頂きました。途中でビールのお代わりなど聞きに来たけど、後でいいですと追い返しちゃって可哀想だったかな…ちょっと注文し過ぎたのでカミサンにお土産にしようとドギーバッグを頼んでみたら快諾してくれ、きれいに詰めてくれました。レジの所の壁にはシャリマールの系列店の写真が貼ってあり、お茶の水とかにもあるそうです。料理4種+カレー3種+ナン+飲み物×2で、3人でタラフク食べてお土産ちょっと付いて、6660円は安いかも。あんまり辛くなかったので、次回はもう少し辛いのを狙おうか…
2004年12月26日
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プラモデルも数多く作って行くとそのうちに動力機構を備えて電池で動作する物にも手を出すようになる訳です。キャタピラで動き回る戦車とかブルドーザー。プラスティック製のレール上を走る電気機関車。スクリューが回ってお風呂で走らせられる潜水艦。スーパージェッターの乗り物「流星号」。これなどは尖端に機械式のセンサーがあって、壁など障害物にぶち当たると自動的に回転しながら少しだけ後退して向きを変え、別の方向にまた前進し始めるという優れものでした。こういった動作可能なプラモデルを模型屋さんとかオモチャ屋さんで購入する時には、店のオジサンに「モーターはどうしますか?」とか訊かれる訳です。「お願いします」と頼むと、モーターの型番がパッケージの蓋の端とか側面に記載されているので、それに合わせて、マブチモーターの13型とか11型とか或いはマブチベビーなどを一緒に買うことになります。当時、模型用のモーターは特にプラモデル用だとマブチが9割以上のシェアを誇っていたんではないでしょうか。基本的には型番によって大きさが異なるだけで、確か一番メジャーな13型が90円とか100円だったと思います。説明書と一緒に小さな紙の箱に入ってました。当然、電池が必要になるので、これも一緒に購入します。単3とか単2を2本ぐらいってのが主流でした。プラモデル作成中に電気系統の配線には「半田付け」などという高級な作業をしなくても大丈夫なようになっていて、ビニールのリード線の被覆をボンナイフなどのカッターとかニッパーできれいに取り去り、10芯ぐらいの銅線を指でねじってから、電池ホルダーの端子やスイッチの接続部分の穴に通して、よじり付ければお仕舞いでした。モーターの回転数では速すぎるので、ウォームギア、ピニオンギア、などで減速して動作部分に回転を伝えてから、クランクとかアームで回転運動を直線運動などに変換してやり、目的の動作をさせるようになってましたが、今のようにプラスティックの金型製作の精度が良くないので、上手く組み立てないと旨く動かないことがありました。出来上がったプラモデルが意図したようにちゃんと動かないと悲しいもんです。まあ、一度ぐらいは肝の部分を組み立て直してみたりする訳ですが、それでも駄目だと諦めて折角のモーターは通電される事無く、陳列棚に飾られるだけの運命となるのでした。つづく…
2004年12月25日
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例年は24日には早く退社して家で鶏のモモを頬張り、ワインかシャンメリーでお祝いをしてから、ケーキのロウソクに火を灯して、歌を歌って(何の歌だっけ?)からケーキを切って食べているのです。しかし今年は違いました。どうしてか…別に、ことさら大した理由があった訳じゃあないんですけど。23日の祝日に繰り上げてやっちゃった、という訳。←なあんだ私にはなんにも相談無く「23日にやるから…」と突然言われて、「うん判った」状態。今年のワインは11月に買っておいたボジョレー・ヴィラージュ・ヌーボー(赤)を開けて頂きました。ケーキは自家製だけど、スポンジ部分は山崎パンの安いロールケーキを買ってきて、家で作ったチョコレート・クリームを塗りつけてから、パウダー・シュガーを振り掛けて、飾り物を付けて、ローソク刺して、といった簡易ケーキなんです。プレゼントの交換がないのが淋しいけれど、家族そろってご馳走だから、まいっかぁ。P.S.ケーキの画像があるんだけど、どうやって日記に貼り付けるの?
2004年12月24日
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それもカミサンのリクエストで。しかも条件付きで。曰く、ダブルカセットで、CDが付いてて、MDが付いてたら尚良し。今時そんなの有らへん。大体やねぇ~、ダブルカセットなんちゅうのんは10年以上も時代遅れやし。とは言え、普段から自分のコーナーやらパソコン・コーナーやらを想像を絶するほどに散らかしたままになっているという負い目もあり、「年内にはなんとか片付けないと、みんな捨てちゃうよ」と脅しを掛けられていたこともあり、二つ返事で引き受ける事にした。どうしてダブルカセットが必須なのかと言うと、在宅講師の教材テープを編集するのに、再生側と録音側の両方がカセットじゃないとやりにくいそうです。で、本部からCDで来る場合もあり、CDからカセットにもコピーしたい。そしてMDは、最近の家庭にはカセットを再生するファシリティがないご家庭が結構あるそうで、宿題に渡すのにMDが良いと言ってくるお子さんが居るらしい。最初に訪れたオリンピックは最近テレビ・ビデオなどの家電コーナーを復活させていることは評価するけど、何しろ置いている機種が圧倒的に少ない。これじゃあ玄人衆は逃げまっせ~。当然のことながら置いているラジカセは5種類ぐらいで、ダブルカセットなんて無い。次に三つ隣まで電車に乗って、サトー無線。ここは流石に家電やパソコン専門なだけあって、ラジカセも豊富な品揃えでした。ダブルカセットも二機種も置いてあります。一応、機種と価格をメモってから次なる店に移動。もう一つ電車に乗って、テニスの帰りによく寄る西友の家電コーナー。まあ流行のテレビ・ビデオやDVDレコーダーなどはいろいろと置いていたけれど、家電専門店じゃないのでラジカセは6種類ぐらいでダブルカセット無し。ということで、二件目のサトー無線に戻って、しばらくパソコンコーナーをうろうろと眺めてから、2種類あるうちで操作の単純な方の機種を買って帰りました。
2004年12月23日
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鎌ヶ谷大仏駅の近くにある笑笑(わらわら)にて、KIFA(Kamagaya International Friendship Association)の交流部会の忘年会で、8名のうち私が下から二番目というぐらいに珍しく平均年齢が高い会でした。ここんとこGREEでの会が多かったので異様に若かったもんで…飲み放題で3,000円だったので大した料理は出ませんが、腹に入れば、あとは飲めて話せれば構わない連中ばかりなので、それでもまるっきり大丈夫。例に依って二次会はカラオケ。Kさんはコーラスやってるだけあって発声が本格的。6名で一時間だけ。
2004年12月22日
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9月に月島で開催された「もんじゃネットワーク」のオフ会で行った「けい」というお店で、帰り際にみんなにくれた福引券を私が預かって後日また月島まで行ってガラガラを回した結果、残念賞として44枚も割引券をもらったのでした。4等だとかに当たって中国酒も一本もらいましたが。その券の有効期限が今年一杯だったので、というだけの理由でもないんですが、急遽12月のオフ会として月島で開催する事になりました。間際の勧誘でしたが6名も集まって、しかも今回初参加の方も来てくださり、楽しいもんじゃでした。何とその方は「マイはがし」持参で来たんですよ。「はがし」とは、焼けてきたもんじゃをちょっとずつ剥がしながら食べる、ヘラのようなスプーンのようなやつ。家が鉄工所だそうで、自作のはがしを3枚も持ってきてくれたので借りて食べてみました。一般のやつと違って、持つ部分の幅が広くて力が入れやすかった。二次会は、以前も書いた、銀座泰明小学校の近くにあるシェリー酒専門店まで移動しました。一人は自転車で月島から銀座まで。でも電車組よりも10分も早く着いてビックリ。
2004年12月21日
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鉄道模型が好きだったということは、模型屋さんもやはり好きだったわけです。ということで自然とプラモデルにも興味を覚えちゃう訳ですね。そういう訳で小学生の頃にはいろいろとプラモデルを買ってもらって作ったもんです。やはり鉄道のプラモデルなどが多かったんですが、アトムや鉄人28号といったアニメのキャラクターや、戦車や飛行機といったバトル関係など、ジャガーなどクルマなど、いろんなジャンルのプラモデルを作ってましたね。当時、日本製のプラモデルは彩色してあったので、セメダインで組み立てたら、あとはデカールとかいう、水シールを何箇所かに貼り付けてやれば完成っていうものがほとんどでした。紙の台紙に薄っぺらなビニールがぺったりと付いていて細かい印刷で完成品の細部を飾るための図などが印刷されてます。これを台紙ごと皿に張った水にしばらく浸けておくと、ビニールの部分がヒラリと剥がれてくるので、そいつをすくって目的の場所に上手く貼り付ける訳です。しかし、銀座の天賞堂などで売っていた舶来ものは大抵は違ってました。パッケージの蓋に描いてあるのはちゃと色が付いているのに、箱を開けてみるとがっかりしちゃう訳です。だって、全ての部品が白だけだったり、銀色だけだったりで、色が付いてないんですね。元々、組み立てる人がプラカラー等で彩色する事が前提になっているプラモデルは多かったんです。で、設計図のあちこちには、その部分を何色に塗れば良いのかを示すために、色番号が指示してあったんです。舶来のプラカラーには社名を覚えてませんが有名なメーカーがあって、番号で色が判る仕組みになっていたんですね。うちはお金持ちだった訳じゃないですから、そんなに何色もプラカラーを買って彩色することなんて、できないとか、できるとかというレベルじゃなくって、そもそも彩色する事など念頭にない状態でした。全体が銀色の双プロペラ式のヘリコプターなんかを作った訳です。それなんか、内部まで精密に作られていて、しかも乗員もいて、細かく色指定があったのに全部が銀色。なんだかプラモデルが完成した喜びよりも、その情けなさの方がちょっとだけ勝っていたような記憶があります。でも、一度だけプラカラーを買ってもらって彩色した事がありました。やはり舶来ものでしたが、1/25縮尺ぐらいで、ジャガーのオープンカーでした。これは全ての部品が白いプラスティックだったので、真っ白なジャガーでした。そうそう、タイヤのスポーク・ホィールとかバンパーは、さすがに銀色の部品でした。でもそれじゃあ、余りにも淋しいということで、赤と黒の二色だけプラカラーを買って、ボディは真っ赤、屋根の部分を黒に塗りました。屋根は二種類有って、折り畳んで後部ボディの上にまとめてある状態と、座席の上に広げて被せた状態が、取り替えられるようになってました。ボンネットを開ければエンジン部分も細かなディテールが作り込まれていたんですが、そこらは全て真っ白。つづく…
2004年12月20日
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使用済みの切符をコレクションする。と言っても、当時うちの家族には定期券を使っている人は居なかったので、どこかに旅行した時などで珍しい切符だったりすると、改札出口にいる駅員の小父さんにお願いして、もらって帰ることぐらいしかできませんでした。しかしこれまた助っ人が居たんですねぇ。Oゲージの湘南電車の模型セットを送ってくれた親戚の家には私の従兄妹が4人もいて学生さんでしたから、通学区間から足を伸ばしてどこかに行った帰りには、学校のある途中の駅までの切符を買えばあとは定期ですから、降りる時に定期を見せれば切符は持ち帰れるわけです。そうして集まった切符をどっさりと100枚以上も頂いてしまって、子供心にもなんだか突然にコレクションが増えて、妙にリッチな気分でした。叔父さんなども同様にして私に切符をくれました。昭和30年代で大人料金で10円とか30円といった切符があります。実家の自分の部屋には、そんな昔のコレクション達が眠っているので、こんど見に行ってみようかな…ただ残念な事に、幼かった私は先のことに思い至らず、何枚かの切符に対して、子供料金指示用の切り取り線を実際に切ってしまったり、複数の切符をセロテープで貼り付けたりといった、荒業をやってしまった記憶があります。5年生とかになった頃には後悔しましたが後の祭でした。つづく…
2004年12月19日
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1998年に卒業30周年の大同窓会を企画して小学校同期の学年が集まりました。先生方も4人全員が参加してくださり、合計60名ぐらいが集まって、4次会ぐらいまで盛り上がったのは良い想い出になりました。その記憶が薄れないうちにということで昨年の暮れに忘年会を企画してくれたシンゴちゃんが今年もメールを寄越してきました。断る理由なんて全く有りません。二つ返事で参加表明して、何人かの女子にも声を掛けてみました。船橋小学校の友達。同じ6年1組の仲間が6人も集まって、暮の慌ただしい時期に普段の生活を一瞬忘れて、楽しい一時を共にする。お店の外見はちょっと見ると普通の民家としか見えないような所で、タクシーの運ちゃんもすぐには見つけられなかったぐらいです。突き出し、4種類のお刺身、カワハギの煮物、茶碗蒸し、いろんなお料理が出てきましたが、懐かしい面々との話の方が重要で、あっと言う間に2時間半。船橋の港から駅に向かってゆっくり歩きながら懐かし話の続きを語りつつ。途中で、今回は参加しなかったしんちゃんの家の前に来たので、玄関のベルをピンポーン。奥様が出てきて、外出で不在とのこと。失礼を詫びてまた駅に向かう。途中で女性陣が分かれて、男4人で二次会。
2004年12月18日
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待ち焦がれていた検定試験の結果が届きました。まあ、一番簡単な5級とは言え、合格率が93%とは言え、やっぱり「合格」っていう響きは嬉しいもんです。なんだか、やっぱり、ハングルをやってきて良かったな、と思える瞬間です。ハングル能力検定は半年に一度なので次回は5月に、4級を目指して頑張ってみたいと思います。また、2月ぐらいに韓国へ行きたいなぁ~
2004年12月17日
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GREEのコミュニティ「飲みコミュ」の忘年会として、渋谷道玄坂の道頓堀劇場の近くにあるお店「當」に行ってきました。ここは梅酒だけで20種類ぐらい置いているお店で、料理はチゲ鍋チームと海鮮しゃぶしゃぶに分かれて。場所が場所だけに隠れ家ムード満点の落ち着いた雰囲気。渋谷駅からは結構歩きました。http://r.gnavi.co.jp/g653800/ WA dining BAR ATARI 當平成元年に仕込んだという「元年梅酒」はすっごくコクが有って最後の方でもう一度頼んじゃいました。SHIBAKOさんとは初のご対面でしたが、何だか話し易そうな優しいお姉さまで、早々と次回にも期待してしまいました。お仕事で早退なさったのが残念。日暮里とは正反対だったので終電の時間を気にして少し早めに失礼しましたが、その後は皆さんどうだったのでしょうか…
2004年12月16日
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小三治の独演会は、台風の中を10/9に行った船橋市民ホール以来です。いえ、その後に川口であった柳家花緑との抱き合わせは行ってるんですが、独演会となると2ヶ月以上ぶりって訳で。もう、こんな時間なので詳細は改めて記入しますね。----ここから追記開始----この会場は昨年のちょうど同じ頃にも小三治独演会を開催してました。まあ、ここだけじゃないんですが地方のホールで有名処を招いてやる会というのは、結構、定例化しているようで、来年の3月にやる松戸での独演会も毎年ほぼ同じ時期にやってますな。これも行きますが。新富町という東京メトロ(もう営団地下鉄なんて言わないんで味気ないですが)の有楽町線の駅で降りてすぐにある中型ホールです。今回は2階席の前から3列目ほぼ真ん中。2階は客席の傾斜がすごいので前の人の頭に邪魔される危険性が非常に少なくて良いんですが、何しろステージから遠いのと、上から見下ろすような感じなので、やはり落語を聴くにはちょっと、って感じです。前座 柳家三三 湯屋番柳家小三治 厄払い -中入り-柳家小三治 死神厄払いの時のマクラはゆうに30分以上で、ここ中央会館の話題から新しいお札の図柄や人物肖像。野球の事。でまたお札の福沢諭吉の関係から、大分の中津のふぐ。諭吉記念館と続きました。厄払いは時節ものですね。よたろうが「元手の掛からない商売」を教わって、それをやりに出かけるが。というやつ。20分ぐらいで、マクラより短かったのは小三治ではごく普通のこと。前のマクラを引きずってお札の透かし。透かしの方が肖像よりも人格があるとか。非常に短い枕から突然に。「ちょいと、おまいさん」で夫婦喧嘩が始まった。その喧嘩のやり取りを聴くうちに「そうか、また死神だろう」と思った。11/6に府中まで「追っかけ」した時のトリが死神でした。http://plaza.rakuten.co.jp/medamaoyajikabu/diary/200411060000/6代目圓生の死神がクライマックスで、消えそうなローソクを指して、「ほらっ、けぇ~るぞぉ、けぇ~るぞぉ~」と言うシーンが思い出されます。終って、銀座までぶらぶらと飲み屋を探しながら歩いちゃいました。夕食は落語前に放り込んだサンドイッチだけなので腹が空き、ウェンディーズでチリのLをトッピングのオニオンとチーズ込みで注文し、「あの辛いやつを沢山下さい」と言っておいたら、お姉さん4袋もくれちゃった。そうそう、確かこの近くに、11/2の日本酒オフ会の帰りに寄ったシェリー酒専門店が有った筈だなぁ、と気付いたのでウェンディーズを出て探し始めたら、なんとすぐ横の路地を曲がったら有るではないか。http://plaza.rakuten.co.jp/medamaoyajikabu/diary/200411020000/前回は日本酒オフの後なので酔った口で味わったんだけど、今日は大丈夫。特徴などが記載されたシェリー酒リストを眺めながら幾つかを味わいました。カウンターでバーテンというかソムリエと言うのか中瀬さんという方にいろいろ教わりながら。http://f1.aaacafe.ne.jp/~sherry12/29には開いているシェリー酒を年越しさせないように全て飲み切ってしまうという、飲み放題イベントが有るそうです。私も行きたいけど中学の友人と忘年会だから駄目だな。
2004年12月15日
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職場の忘年会でした。私が幹事だったのでメンバーの希望と、自分が会員になっている「レストラン・ワンダーランド」系列ということで、タイ料理レストランで、タイスキ(タイの海鮮しゃぶしゃぶ)+飲み放題=5000円の宴会コースにしました。http://www.wonderland.to/お店は有楽町のマリオン裏手の角にあったレトロ風なコカ・レストラン有楽町が、地域再開発の影響でビックカメラ・ピー館に移転・新装開店してコカ・レストラン日比谷としてオープンしたばかりなので、そこを予約しようとしたら12月は全て一杯。ということで、仕方なくコカ・レストラン・アトレ上野になりました。会社からちょっと遠くなったけど、行って良かった。タイ料理ではトムヤムクンなどは何度か食べたことがあったけど、タイスキは初めて。辛味は具を取り鉢に取ってから好みで適宜つけるタイプなので、辛さの調節も各自勝手にできて辛いのが苦手な人でも大丈夫。魚の切り身や、イカ団子、小さなタコ、生の牡蠣×3、海老団子などが人数分出てきて、あとは野菜が適当にどっさり。店のお姉さんが鍋にどんどん入れちゃったので、自分が何を食べたのかをちゃんと認識してないと、人の分と間違ってしまう。私は最初は生ビールだったけど、次からは紹興酒で飲み放題。他の人はビールばかりとか、ワインを頼んだり、烏龍茶などといろいろでした。テーブルには調味料として乾燥した鷹の爪を刻んだものや、葱のみじん切り、ナンプラーがあって、好みで味付けして頂きます。塩味は薄めになっていたので私はナンプラーを多用して、チリ調味料も全部使い果たしてしまいました。隣のテーブルでは、ナンプラーの壜をラー油だと思って全然使わなかった人が居たので、最初に教えてあげればよかった。←反省点。まあ、とは言え、概ね好評で良かったけど、個室じゃなかったので一人一人に「今年の反省と新年の抱負」などを話してもらう事は断念しました。鍋の最後はご飯で雑炊か、ベトナムの麺で仕上げということでした。うちらのテーブルでは鍋が二つずつだったので、雑炊と麺の両方を試せました。呑み放題の時間制限は有ったけど、店に滞在する時間については何も言われず、最後のデザートが出た後も居座って、結局3時間ぐらい呑んでました。
2004年12月14日
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鉄道模型に関する話は後(のち)になってあることをきっかけにHOゲージの世界にちょっとだけ足を踏み入れるようになってしまうという風に、まだまだ発展して行くのですが、時系列的に考えると、この話題だけで進めて行く訳には行きません。それに鉄道以外の趣味だって有った訳で。鉄道が好きだったので、使用済みの切符というものにも愛着が湧く訳です。今の切符みたいに薄っぺらのペラペラの切符とは違って、当時は厚さ0.6mmぐらいの固い厚紙でできていました。しかも自動販売機で目的の金額を瞬時に印刷して出てくることなど有り得ない世界です。ほとんどの切符は全て、発駅から目的地の駅まで、或いは目的地付近の複数の駅を含んだ範囲まで、という区間が決められた形で印刷されたものでした。東京近郊の場合だと、発駅から着駅までの図が描いてあったものが主流です。範囲の場合には、その部分の路線が太線で描かれてました。出札窓口でおじさんに目的地の駅名を告げると、おじさんの座っている席にある机の上にデーンと据えてある切符ホルダーとも呼ぶべき金属製の大きな装置(と言っても動力はない)に、縦横にたくさん並んだ多くの切符達から、目的のものを見つけて、そこから一枚をペロっと取り出して、金額を言ってくる訳です。お金を払うのとほぼ同時に、日付刻印機のスリットに切符の日付欄の部分をスルッと通して、その日の日付をカチャンと印字して、その切符をガラスで仕切られた出札窓口の下部に開いた隙間から、お金と交換でくれる訳です。プリ・プリントしてある切符群の中に無いような珍しい駅とか、遠い目的地の場合には、専用の切符用紙が有って、そこにおじさんがペンで記入するんですね。手書きの切符です。まあ、駅名のスタンプがある場合はそれを使ったりもしましたが。旅行で使う周遊券などもほとんど手書きだった気がします。改札口では、切符に使用済みの印として鋏を入れるために駅員さんが立ってるんですが、客が通らないで暇な時には、のべつ鋏をカチャンカチャンと鳴らしていた訳です。この鋏は切符に切れ目を入れるんですが、これが駅毎に形が違っていて、どこの駅で鋏を入れたのかが判るようになってました。と言っても、そうそう形にバリエーションを持たせられる訳も無く、比較的に近い駅同士で識別できれば良いんじゃないの?みたいなレベルだったと思います。子供用の切符なんてのは無くて、普通の大人用の切符の、日付欄と反対側の辺を斜めに切取る為の線が印刷してあって、そこを鋏(改札用じゃなくて、普通のチョキチョキばさみ)で切り落とすと、それが子供用になる、なんてぇ仕組みだったと思います。つづく…
2004年12月13日
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Oゲージっていうのは、車輪が乗っかる二本のレールの間隔が32mmになっている鉄道模型で、二本のレールの間に第3のレールがありました。今いちばん流行っていると思われるNゲージの3.5倍ぐらいもでかいサイズです。体積で比較すると何と40倍以上。これだけデカければ車輌の細部まで精密なディテールを施すこともできたのでしょうが、精々、可動式のパンタグラフとか、台車や、密着式連結器ぐらいまでで、床下機器などは皆無でした。長円につないだレールの上で湘南電車を只ぐるぐると走らせるということの繰り返しだけで、いつまでも満足している訳はありません。他の車輌も欲しい。ポイントなどでレールのバラエティを増して、いろんなレイアウトの線路を組み立てて走らせたい。駅や踏切などの小道具も欲しい。貨物列車のために電気機関車といろんな貨車が欲しい。誕生日やXmasが来る度に、父母、祖母、叔父など総動員で、いろんな機材をプレゼントしてもらうべく、綿密な計画の下に契約が取り交わされていった訳です。時には予期しない人から予期しない機材がプレゼントとして転がり込んで、模型遊びのバラエティが飛躍的に向上したりしました。特にレールのポイントや片渡りなどは殊更に嬉しかったものです。両渡りとかダブルスリップなどは夢のまた夢でした。段々と機材が増えてくるのは良いのですが、なんせOゲージですから保管場所を食うわけです。遊び終わったら大きなダンボール箱に上手に順番を考えて収納しないと入りきらないものが出ちゃう。お片付けまでパズル感覚で遊べた訳です。って、子供時代には思ってませんでしたよ。つづく…
2004年12月12日
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テニス・スクールの仲間たちと忘年会でした。メンバーの二人のお宅にお邪魔して、寄せ鍋です。スクールが終わってから一緒に材料の買い物に行って、あれこれ買い込んでから、「じゃあ、後ほど」と別れて一旦帰宅し、テニスの道具を置いて出直し。途中のスーパーで飲み物を買って持参。私の担当は、タレと鶏団子。まずは鶏の挽肉を生卵で満遍なくとろとろになるように良く混ぜて、塩コショウと、卸しニンニクで味付けをして、つなぎの小麦粉で硬さを調整します。これで出来上がり。あとは鍋が始まったら、適時・適宜、カレースプーンで一口大の分量を鍋に落とせばOK。タレは、牛乳沸かしに水を入れて火に掛けます。まず砂糖と醤油と味醂で程よい味になるまで大まかな味付け。七味唐辛子も少々。甘さと辛さの加減が良くなったら、火を止めて用意しておいた卸しニンニク2/3かけを皿に取ったタレを冷ましたものに溶かし込んで、それをタレに混ぜる。直接に熱いタレに入れると固まってしまうことがあるのでこうする訳。もう一種類は、出来合いのポン酢+紅葉卸しを好みで付けてもらうようにしました。さて、野菜や春菊や鱈の下準備もできて、参加者もぼちぼち集まってきて、いよいよ忘年会スタート。ワイン、ビール、サワー、ジュースと思い思いの飲み物で乾杯。鶏団子は結構好評でした。タレは甘いのが苦手な人も居たので薬味の葱や紅葉卸しを適当に足して使ってもらいましたが、概ね好評。まずはヨシとしましょう。こうして楽しいひと時はあっという間に4時間でした。
2004年12月11日
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今日は楽天広場の日記を見てくれた方が参加しに来てくれました。でも最初はどの人なのか判らず、いろんな人に聞いて回ってやっと見つけました。おお、あなたがそうでしたか。っていう感じで。こうやってネットで知り合った方々といろんなコネクションが拡がっていくのって素晴らしいことです。今回は韓国人の参加者が少なかったんですが、常連のミョンスさんはやはり来てくれてました。テホさんも二次会から駆けつけてくれました。嬉しいことです。次回は来年ということで、良いお年を…
2004年12月10日
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そのうちに、私の鉄道好きが親戚にも知れ渡るようになったのは幸運でした。あのロングビーチで有名な大磯に住んでいた親戚の家には10幾つ年上のいとこが居て、彼等も鉄道が好きだったのでした。正月とかに遊びに行った時に見せてもらった鉄道模型が事の外、私の注意を引いてしまったのです。その場ではあれこれと見せてもらったけれど、家に帰ってすっかり忘れ去っていました。そんなことが有った事など、まるっきり忘れた頃に、小包が届いたのでした。それはもう、考えられないような、大変な贈り物だった訳です。Oゲージの鉄道模型が一揃い、セットになって送られてきたんですから、夢のような話です。三線式のOゲージのレールが、曲線と直線を組み合わせて、ぐるっと一周を長円軌道で走れるようになっていて、もちろん交流のトランスで電圧を制御できるようになってました。そして、レールの上に乗せる車両は、グリーンとオレンジの、いわゆる湘南電車の先頭車両が二両、背中あわせに連結して二両編成で走れるようになってました。夕食の後で、レールを組み立てて、トランスからリード線を引いて、車両をレールに乗せて。いよいよ試運転。もう有頂天っていうのは、あのことを言うんだろうな、というぐらいの感激だったと記憶してます。直流じゃないので、バックする場合は手元の制御じゃなくて、車輛の床下にある切り替えスイッチの向きを変えて、逆転させていました。昭和35年頃の当時は、各家庭にテレビなど無くて、何か一大イベントの番組が有ったりすると、近所の子供たちがテレビを見るために、うちに集まって来た時代です。当然、珍しい玩具の場合も例外ではありません。両隣の家のお兄ちゃんたちを呼んで運転会でした。そんな平和な時代の、出来事だった訳です。つづく…
2004年12月09日
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お馴染みハオロンさんが主催する亀戸もんじゃの第3回に参加しました。第2回の時に開催日も決定していたので皆さんしっかりと集まりました。お店もおんなじ。店に入ると前回とおんなじ場所に一つのテーブルを8人分の椅子で囲んで予約席がセットされていました。美味しいもんじゃを食べながら、幅広い年齢層の人々が集まって、呑んでお話して。もちろんもんじゃを焼くのはいいづか隊長を筆頭に、数回のもんじゃオフ会で修行を積んだ面々。今回はメニューの左側にある、これまで注文しなかったゾーンのを頼んでみました。これがすごく美味しかった。次回はもっと他にも左メニュー行って見ましょう。さて第4回の日程も決まったので、つづく…
2004年12月08日
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天狗会とは、以下の日記に書いたように「同期入社の飲み会」です。http://plaza.rakuten.co.jp/medamaoyajikabu/diary/200409010000/前回から3ヶ月というのと、忘年会シーズンというので、そろそろ開催しなくちゃね、と幹事団仲間のヒデキと相談していたら、本当に久しぶりにアメリカに転職したイッキュー氏からメールが来た。毎年、仕事とかプライベイトで一時帰国してるんだけど、今回は12月6日の週なんで、その頃に天狗会をやるんだったら教えて。という内容だった。彼が天狗会に来てくれたのは5年前だから、ここは一つ彼の予定に合わせて開催しようということで、今日になった訳です。今回は、ほとんどレギュラーと呼んでも良いぐらいの常連さんが3人も来られないのに、珍しい久々の参加者が居たりして、結局はいつもとおんなじぐらいの12名でした。場所だけ予約でコース料理など一切頼まないから、3時間半も居たのに一人3,000円弱。天狗は安くて良いなぁ。次回は、今回来られなかった常連さんを考慮して、2月頃に遅めの新年会かな。
2004年12月07日
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電車や鉄道の絵を描いたり、交通博物館に行ったり、そんな幸せな日々を送っていた或る日に、まだ高架線になってなかった総武線の市川駅でした。当時、稲毛、幕張、津田沼、船橋、下総中山、市川といった駅には、上りと下りの停車ホームの他に、間に待ち合わせなどの列車が退避するためのホームがありました。上り線路と下り線路のどちらにも行かれるようにY字形のポイントで接続された2番線には、急行電車の追い越しを待つ各駅停車の鈍行電車が停車するのが一般的でしたが、たまに貨物列車などもダイヤの調整で止まったりしていたもんです。その日は親父の用事で市川まで行ったんですが、丁度、貨物列車が退避線に停車していたのです。もちろん動力車は蒸気機関車でした。何を考えたのか突然、親父が機関車の運転手に話し掛けて、ちょっと運転台に乗せてもらおうという交渉が成立しちゃったんですね。間隔の大きくあいた梯子を懸命に登ったような記憶がありますが定かではありません。覚えているのは、何しろ暑かったことです。特に、石炭を放り込む為にお釜の蓋を開けようとペダルを踏むと、重たい鉄の蓋が左右に割れるようにして開くんですが、中は石炭が盛んに燃えさかる炎で真っ赤で、放射熱がこちらの顔を炙るかのように照り付けて、とても熱い。暑いなんてもんじゃなくて、熱い。いろいろと説明してくれたような気もしますが、よく覚えてません。ありがとうと言って、親父が先に降りて、さて私が降りようとした時に、サービスの積もりなんでしょうか、汽笛を「ボォ~~ッ」と鳴らしたんですね。私は慌てて飛び降りました。だって発車しちゃうのかと思ったんです。ホームに降りても、まだ顔は火照っていました。いい想い出です。つづく…
2004年12月06日
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KIFA (Kamagaya International Friendship Association) 鎌ヶ谷市国際交流協会毎年、この時期になると開催されるパーティです。鎌ヶ谷市に在住の外国人が地元の人々や社会と交流を図れるようにという目的のKIFAが主催する年中行事の中でもメインとなるイベントです。今年も14ヵ国(中国、フィリピン、スリランカ、バングラディシュ、パキスタン、イラン、米国、ドイツ、イタリア他)49名の参加を含めて、総勢205名という盛大なパーティとなった。http://www.kifa.gr.jp/05kifa_party/2003kifa_party/031123kifa_party.htmパーティの詳細は上記のページを参照してください。私は主催者側のスタッフとしてボランティアで、会場設営・料理の配膳・使用済み食器の回収などに参加しました。外国人の参加者だけでなく地元の日本人の方々も多く参加して楽しんで頂けたのは、とても嬉しいことです。只、今年は料理もアルコールも大幅に足りなかったようで残念でした。KIFAの年中行事には、他に、日帰りバスツアー、お花見BBQ大会、お国自慢料理教室、青少年国際交流イベント、などがあります。
2004年12月05日
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じゃあ二次会は「久々にカラオケだよね」ということで、Mさん、Aさん先輩二人と一緒に、銀座6丁目→新橋というルートでカラオケ屋を探したけれど、どこも50~90分待ち。ということでカラオケは諦めて、先輩二人に「鰻の串焼き」を出す店があるんですけど、どうですか? すると、珍しくていいじゃないか。ということで、以前にも書いた「うな新」に向かいました。http://f26.aaa.livedoor.jp/~tingyo/unagikusi.htmこういう串焼きを食べさせてくれるんです。ところが店に着いたらちょうど看板。という訳で、新橋駅のすぐ近くにありながら、新橋らしくないトロピカルな雰囲気のショット・バーにお連れしたんですが、これが結構、好評でした。「SL広場」のすぐ横にこんな店を知っているなんて。と褒められてしまいました。GREEの二次会で教わったばかりだったので、ラッキーでした。
2004年12月04日
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うちの大学は卒業してからも結束力がとても強いんです。学園祭ならぬ「同窓祭」とでも呼べるようなイベントが毎年開催されます。これは現役の学生さんは一切関係なくて、卒業10年目、20年目、30年目の節目の卒業生から約2000名の運営組織を編成して、キャンパスを借り切って、芸能人のコンサート、討論会、飲食店の出店、10月の日曜日に朝9時から夕方4時までの大イベントです。同窓会のホームページに謳っている「○○に入学して良かったと思うのは、大学を卒業してからかも知れません」という一文を見ても良く分かると思います。という訳で、学部・大学院の時代に同じ研究室に所属した、学年の近い方々が、毎年正月に先生のお宅に集って新年会をやっているんですが、それだけだと正月は故郷に帰るとかいう人など、参加できないので、数年前からは「暑気払い」と「忘年会」が恒例になってきました。皆さん、学部を卒業してから25年以上経ってますが、集まれば昔と同様に和気あいあい。先生方もいらして下さりました。研究内容の似通った幾つかの研究室が密接に関係していたのと、或る研究室から丁稚奉公のように別の先生の部屋に研究課題を頂いていた学生もいるので、間接的な関係も結構ありました。今回の会場は、銀座にある、卒業生や教員・元教員だけしか会員になれない専用のクラブでした。入会金とか年会費があるのでとても会員にはなれませんが、今回みたいに先生方が一緒だと名誉会員ということで予約が取れたのです。先生宅にての新年会の予定も決まって、お開きの後は何組かに分かれて二次会の場所を求めて夜の銀座に消えていきました。
2004年12月03日
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江東区豊洲文化センターで開催される都笑亭。こう書いて「トワイライト・テイ」と読ませます。平たく言えば「素人の落語会」ですが、これがなかなか侮れない。結構上手い人が出てきます。普段はサラリーマンとか学校の先生などの本職を持っている方々ですが、趣味が高じて自分でも落語を演るようになって、そういう同じ趣味の仲間が集まって発表会のような乗りで、いっちょうやってみようじゃないか、と会場のホールを借りていわゆる「素人落語会」を開催する。前座を務めるようなレベルの人から、中にはそこいら辺の下手な真打よりもず~っと上手い人まで居たりします。なんたってもう48回目です。年に4~5回ぐらいの開催ですが、初期の頃は年に3回ぐらいだったので、もう10年以上になる訳です。出演メンバーはレギュラーが何人か居て、そのうちの一人はほとんど必ず出ますが、あとは2回に一度とか年に一度みたいな感じです。で、こうした同好会+αの会が、日本全国いたる所にあって、それらが相互にコミュニケーションを取り合って、お互いに招待したり呼ばれたりしながら、双方の会にゲストとして出演するという関係を保っています。ですからたまには珍しい方にお目に掛かることもある訳です。今回の演目は以下の通りですが、職業が判るような名前もありますね。南亭八つ頭 堀の内久寿里菊之助 まんじゅうこわい 中入りぬりた亭津久蔵 小言幸兵衛河内家るぱん 替り目なんてい・やつがしらさんは小学校の先生です。くすり・きくのすけさんは製薬会社か薬屋さんかな。ぬりたてい・つくぞうさんはペンキ屋みたいですね。かわちや・るぱんさんはIT関係の会社です。久さんと河さんが上方落語で、高座の前に講釈台のようなものと、衝立みたいなものを置いて、拍子木で場面の転換などを表現したりしています。観客は、主催者の会社関係の人が1~2割ぐらい居るようですが、あとは豊洲近辺にお住まいの地元の方々が多いですね。毎回、100人ちょっとぐらいお見えだと思います。次回のVol.49は2月18日ですが、スペシャル・ゲストに笑福亭鶴光を呼ぶそうです。ゲストにプロが来る時には、いつもの来場者数を大きく上回るので、早目に行かないと自分で勝手に決めている指定席に座れません。ちなみに最前列の一番左端です。年に一度ぐらいこうしたスペシャルが開催されます。普段の木戸銭は500円ですがスペシャルだと1500円ぐらいだった気がします。寄席のように、会場内で持ち込みの缶ビールやおつまみを飲食してもいいので、職場を出て会場に向かう途中にコンビニに寄って、缶サワーとかおにぎりやピーナッツ、するめそうめんなどを買い込んで行きます。開演前におにぎりやサンドイッチで軽食をとって、いよいよ始まるという頃に飲み物のプルトップをプシューっと開ける訳です。いや~、何だか早く次回に行きたくなっちゃいました。
2004年12月02日
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恵比寿にある、くつろぎのワインカフェ「イーネ・イーネ」http://members.jcom.home.ne.jp/icewine/icewine/にて、貴腐ワインとアイスワインを飲もうという企画でした。どっちのワインも出してくれるお店があんまりなく珍しいので前から一度は飲んでみたいと思っていました。ああ、やっぱり行って良かった。仕事的にはちょっと無理してきちゃったんですが。blue&grayさんと堪能してきました。恵比寿の駅から少し歩いたビルの裏に隠れるように、こじんまりとしたお店で、是非とも隠れ家的なお店にしたい所です。オーナーの方とも結構お話できて、ものすごく楽しかった。貴腐ワイン、アイスワイン共に、とっても甘~い。食後酒に良いそうです。お料理もいろいろバラエティに富んでました。大勢でワイワイやるんじゃなくて、4~8人ぐらいのオフ会に良さそうです。アイスワインは2種類とって、半分ずつシェアしましたが、貴腐ワインは一杯ずつじっくり堪能。貴腐ワインとは:http://tamagoya.ne.jp/potechi/2000/20000327.htmエッセンスを引用すると:1775年のこと。白ワインの名産地であったドイツの片田舎で、収穫が大幅に遅れてしまったぶどう園があった。ぶどうは無残にもシワシワにかびてしまい、腐ったかのように見えた。ぶどう園ではそのまま捨てるわけにもいかず、しかたなくそのぶどうでワインを仕込んだところ、今までに無いすばらしい甘口のワインが出来あがったというわけ。
2004年12月01日
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