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昭和40年頃のテレビでは、子供向けの番組といえば「お母さんといっしょ」とか「ロンパールーム」といった幼児向け番組以外にはアニメぐらいしか余り有りませんでした。そんな中、舶来物のアニメが結構なお気に入りでした。ワーナーブラザーズやハンナバーバラといった映画会社が配給するシリーズをたくさん放映してました。トムとジェリー(或る家の飼い猫とネズミのどたばた劇、バグス・バーニーのシリーズに出てくる小鳥のトゥイーティーと猫のシルベスターのやりとりに似ている)フィーリックス(クルマとか何にでも変形して使える不思議なカバンを持った賢いネコと、それを盗もうとする悪役の大博士とその息子である発明家の豆博士がやりあうという短編物。豆博士は良い役にもなる)珍犬ハックル(犬が主人公でキャラクターの見た目は覚えているがストーリーの設定などは全く覚えてない)空飛ぶロッキー君(空を飛べるビーバーと仲間のカモシカであるブルー・ウィンクルが活躍する短編物。悪役は覚えてない。1回30分番組が3話で成り立ち、真ん中の一話だけはロッキー君じゃなくてピーボディー博士がでてきて童話みたいなマンガをやっていた)ドラ猫大将(町の裏道横丁に住んでいる野良猫たちの物語で、大将の部下にはベニ公、ちゅーちゅー、たまといったネコが登場してそれぞれ特徴あるキャラを演じてた。時々おまわりのディーブルさんが巡回に来て騒動に巻き込まれる)ディック・トレーシー(警部物アニメだがキャラがカッコいい。ヒスパニック系のゴーゴー・ゴメス警部とか、何故か橋本さんという、どう見てもチャイニーズにしか見えない人も出てきた)東京12チャンネルで夕方6時台に「まんがキッドボックス」という番組があって、ここでも舶来アニメをいろいろとやってた。ワニのワリー、ハイエナのリピー、トッカン亀君。おお、やっと1月が終わりました。書き込んでいるのは既に2月27日です。4週遅れですね。頑張らねば…
2005年01月31日
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昭和33年頃には家に白黒テレビがありました。よく見ていた番組で覚えているものを書き留めていきたいと思います。大村昆の「とんま天狗」は、丸めがねをかけて頭巾を被ったいでたちとかは覚えているのですが内容は全く思い出せません。でも、おもちゃの刀を背中に差してゴッコ遊びをよくしていた気がする。NHKの人形劇シリーズでやった初期の番組は「チロリン村とくるみの木」でした。野菜や木の実の主人公達が織り成す日常の出来事や問題などに、みんなで力を合わせたり知恵を絞ったりしながら、仲良く社会生活をしていくというものでした。玉葱のトンペイちゃん、くるみのくる子ちゃん、ピーナッツのピー子ちゃん、くる子のお祖父さんのガンコ親父、いが栗のキントンちゃん、チューリップの赤ちゃんで「リップ、リップ」しか言えないリップちゃん、あとは思い出せないなぁ。「チロリン…」が終わって始まったのが御存知「ひょっこりひょうたん島」です。「みなっさぁ~ん」が口癖の元大統領のドン・ガバチョ、スーパー経営の元海賊のトラひげ、遠足に来ていて島に残された学校の生徒達にははかせ君、チャッピー、テケ、それとサンデー先生、元殺し屋のダンディー、それと何故か人と話せるライオン君などがレギュラーでした。10回程度で完結するストーリーにはいろいろなゲスト・キャラが登場しました。覚えているのを列挙すると、海賊のガラクータ+トーヘンボク、魔女のマジョリカ、ウクレレマン「ダン」、あれっ他は思い出せないなぁ。マジョリカのテーマソングなんかも断片的に覚えてますね。魔女、魔女、マジョリカ、魔女の中の魔女、マジョリカ、どこへでも行く~♪アメリカ、アフリカ、ドミニカ、マジョリカ、どこへでも行く~♪お芝居あり、歌あり、詩の朗読あり、まるで人形でミュージカルをやっていた感じでした。NHKの人形劇は他にも、「宇宙船シリカ」、「ネコジャラ市の11人」、「八犬伝」、「孫悟空(ドリフよりずっと前のやつ)」、などがありましたがほとんど覚えてませんね。
2005年01月30日
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1月6日に引いた風邪が長引いていた。やっと大丈夫そうになったので一ヶ月ぶりにテニスに行った。たくさん休んじゃって振り替えが溜まっているけど、久々のレッスンなので無理をせず、連荘振り替えはやめておいた。夕方から鎌ヶ谷三田会の新年会があるので坦々麺などの寄り道をせずに帰った。新年会は昨年オープンした和風レストランで30人近くが集まって、鮟鱇(あんこう)鍋をメインにいろんなご馳走を食べ、ビールやいいちこ(焼酎)を飲みながらテーブル毎に会話が弾んだ。お開きとなったので、急いでテニススクール仲間の新年会をやっているTさん宅に向かった。既に男女6名で盛り上がっていたけど、こっちも充分アルコールを摂取していたので、瞬間合流。おでんなど、お手製の料理を頂きつつ。途中で一人が帰ったけど残った6人は深夜1時を過ぎてもしゃべり続けていた。
2005年01月29日
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土木機械関係の仕事をしている中学の同級生Hが二週間ほど津田沼の仕事現場に来ることになり、この日記にも時々でてくるSALAに行ったという話題がクラス会のメイリングリストに流れた。SALAからすぐ近くのホテルに滞在しているらしい。普段は横浜方面に住んでいるし、しょっちゅう全国各地に仕事で短期滞在しているので滅多に会えないので、またと無い機会だからとSALAで会うことになった。彼と会うのは昨年1月に開催されたコンサート(詩朗読と音楽のコラボレーション)以来である。そのイベントも実はクラスメイトの一人が中心だった。彼女の名前が太陽系にある或る小惑星の名前として正式に登録されたことの記念コンサートだったのだ。待ち合わせ時間をちょっと過ぎたところで軽やかな足取りで登場。二人だけで飲むのは生まれて初めて。SALAにはいろんな飲み物があるので、あれこれ頼みながら下らない話をしていた。段々と外人客も増えてきて、賑やかになってきた。SALAのお薦め料理も幾つかとって盃を重ねた。すると突然、クラスメイトの女性Nが現れた。そんなの聞いてないよぉ~状態だけど、麗しきご婦人が予告無く来てくれるのは大歓迎である。一気に嬉しさが64倍ぐらいに跳ね上がった。彼女を真ん中に座らせて男二人で挟む形となって宴会は続いた。しばらくすると今度は別の女性Aが来た。えぇ~?どうなってんの状態。そうかぁ、H君に会いたくて、お話したくて二人も女性が来たのだな。これで嬉しさ4096倍になった訳だ。段々H君のろれつが怪しくなってきたけど、忘年会に引き続いて二ヶ月連続のミニ・クラス会は閉店時間までノンストップでした。
2005年01月28日
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昨年ぐらいから爆発的に流行り始めたSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)最大手の一つにmixiがあります。これもGREE同様に会員からの招待が無ければ入会できない仕組みになっていて、私も興味は有ったのですが入会できずにGREEだけ活用してました。昨年秋に招待メールをもらって早速登録したのですが、しばらくは放置してました。これまでGREEのオフ会には20回以上も参加してきたけどmixiのは未経験でした。機会があれば参加したいと思い、幾つかのコミュニティをウォッチしていたところ、「食道楽」コミュニティで「牡蠣を食べる」オフ会が開催されるのを発見したので参加者一覧を眺めたら、GREEでの知り合いも居たので安心して早速エントリ。北海道の産地から直接取り寄せて、メンバーの方のお宅に集まってホームパーティ形式での開催というのもアットホーム的で楽しそうでした。急遽そのお方の都合が付かなくなり場所を変更して、渋谷と表参道の中間ぐらいにあるJail Houseというお店を貸切で開催することになりましたが、逆にその方が気兼ねせずにできたので正解だったかも知れません。まあ数名のGREE知り合いが来ることは判っていたのですが、やはり初めてのmixiオフ会ということで、表参道から歩いてお店に近づいてくるに従って段々と緊張していきました。案の定、開始時刻ちょっと前にお店に着いた時にはまだ誰もGREE仲間が来てなかったのでドキドキでした。なんだかGREEのオフ会に参加するようになって初期の頃に感じたワクワク感が久しぶりに味わえた気がしました。そのうちぞろぞろとメンバーも集まってきてGREEの人もちらほらで、20名ぐらいになり会が開始されるとビールで乾杯して、剥かれた牡蠣がたくさんお皿に盛られて出てきました。う~ん、生牡蠣おいしい。牡蠣の他には貸切のお店が出してくれるお料理と飲み放題の飲み物です。時々は生じゃなくてオーブンか何かでちょっと炙った牡蠣もでて、それもまた「んま~い!」。いろんな新しい方々と名刺交換とかお話をしながら牡蠣を堪能しました。途中でテーブルを移動しながらできるだけ多くの方とご挨拶ができたと思います。GREEで参加しているオフ会は、幾つかの限られたコミュニティのイベントなのでメンバーに関してはあんまり変わり映えしなくて新鮮味が薄かったのですが、今回はmixiということで別の楽しさがありました。あっという間にお開きでしたが、ぞろぞろと渋谷方面に歩いて二次会のお店へ。結構ワインを飲んでいたので、どこにあるお店なのか把握せずにただ付いて行きました。入ると10数名ぐらいが入れる小ぢんまりとしたビール系の飲み屋さんでした。渋谷だったので山手線の反対側から千葉県に帰らねばならず、銀さん達と少しお先に失礼してきました。その後でちょっとした事件があったのですが、それはまた別の機会に。
2005年01月27日
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昨日も明日もオフ会なので今日はおとなしく帰ろうと思っていたけど、虫の知らせか変な予感がしたのか、八柱の店にちょっとだけ顔を出したら、4ヶ月ぐらい会ってなかったN村さんが居て、久々のご挨拶。すると「久しぶりだから一杯ご馳走する」と言って、レモンハイをご馳走になった。とは言え、明日もあるので長居はせずに失礼した。一杯ご馳走になったのにお先に失礼してごめんなさいね。と書いておこう。N村さんがこのページに来てくれる可能性は限りなくゼロに近いけど…
2005年01月26日
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GREEの「飲みコミュ!」という、お酒を美味しく飲みましょうというコミュニティのメンバーになっている。このコミュニティでも、もう何回もオフ会を開催しており、その内の幾つかに参加してきた。今回はきちっと幹事を決めたりせず、場所や時間も割と曖昧にいい加減な設定で、気心の知れたメンバー中心に、新宿の「思い出横丁」に集合して軽く引っ掛けながら腹ごしらえをしてから、ゴールデン街に繰り出しました。クリシュナという店。インド風の内装やお香の匂いがエキゾチックで、なんとも言いようの無い雰囲気を醸し出していた。今日は「下見」という色合いが強く、あんまりヘビーに飲もうとする気配も無く、3軒目へと移動。これがすごい所だった。○○診療所という名前で、ママさんは白衣をまとっている。注文した飲み物だって、理科実験で使ってたビーカーに入って出てくる。その時点で客はうち等ともう一人の女性だけだったので、そのうちにママさんがテーブルの方にやって来て、いろいろと話をしてくれた。話題はかなりディープで、SとかMとか、詳しく書けないので詳細は別の機会に譲りたいと思いますが。こちらのメンバーはおじさん3名に若いお姉さん1名で、少し刺激が強いかなと心配しながら聞き入っていたけれど、私があんまりコメントしなかったもんで、後日、仲間の一人から指摘されちゃいました。
2005年01月25日
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今日はオフ会も何もないので、会社で残業をしてから行き着けの店の一つである沖縄料理の飲み屋さんに寄りました。沖縄出身のママさんが経営するお店で、常連のお客さんがほとんど。食べ物はゴーヤー・チャンプルー、そうめんチャンプルーのような炒め物、ポーク卵、豚足(テビチ)、ミミガー(豚耳)、チラガー(豚顔の皮)、スクガラス(小魚の塩辛)、トーフヨー(豆腐を発酵させたもの)などの沖縄料理が豊富で、もちろん泡盛の種類も数多く置いている。甕に入った古酒(クース)もあるので嬉しい。更に特筆すべきことは、カラオケが一曲100円というリーズナブルなお値段。これなら10曲歌っても1000円ですから、心置きなく歌えちゃう訳です。夜遅い時間に行っても普通に歌えるのが嬉しい。家の近所の店だと12時までしか歌えないんですよ。って、そんな遅くまで歌うなよ、と自分つっこみ。その時その時で、居合わせるお客さんの層が違うので、選曲にも腐心する。若いお兄さんお姉さんが居る時には「浜崎あゆみ」などを入れてみたり、ご年配の方がいらっしゃる時には「東京ラプソディ」なんかにしたり。横文字系とか、演歌系なども、客層を見て考える。でも、こんなに考えて歌っても、本人が気にしているほど、みんなは聴いちゃいないんだよね。ま、良いけど…
2005年01月24日
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地元のボランティア組織に参加している。その会のオフィシャルな新年会は今月の定例会の後で会議室にて簡単な持ち寄り宴会をして済ませたのだが、それとは別に有志だけでの会があった。津田沼パルコの近くの「月の雫」という名前だったか、ちょっと洒落た飲み屋にて6名だけで小ぢんまりと。今日は二次会は無しでおとなしくお開き。新京成に乗って、おしゃべりだけの二次会でした。日曜日の飲み会は、どうしても翌日のことが気になって、控えめになってしまうなぁ。
2005年01月23日
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昨日、会社に母から電話がありました。子供の頃からお世話になっていた「大磯の伯母ちゃん」が亡くなったとのこと。この日記の「チュイミガ ムォエヨ」シリーズでも触れた、Oゲージの鉄道模型をプレゼントしてくれた従兄弟のお母さんなのです。小学校の5年ぐらいから大学2年ぐらいまで毎年、正月と夏休みに何泊かの泊り掛けで遊びに行っていた。家が、元々はどこかの偉い人が住んでいたらしい建物でとても広かった。なにしろトイレが三箇所(3個室ではなくて、個室の数にしたら7ぐらい)あり、お勝手も大きなのと小さなので二箇所。部屋は14ぐらい、風呂も二箇所。それと離れの仏壇堂があった。敷地は3000坪。正月に親父の兄弟がなん組も家族連れで泊り掛けで集まってもぜんぜん大丈夫な世界でした。ある会社の委託で管理人として住んでいたという経緯もあり、夏になればその会社の社員が「海の家」として利用するので海水浴客として何家族も泊まっていく。それなのでお手伝いさんも二人いた時がありました。夏休みには一人で宿題を持って10日ぐらい泊まりに行ってたので、昼間は伯母ちゃんと二人っきりなんてこともありました。絵日記などの宿題をしたり、海岸まで遊びに行ったり、時にはいとこのお姉さんにボーリングに連れて行ってもらったり、いとこのお兄さんに模型屋さんに連れて行ってもらったり、大磯ロングビーチに行ったり、テニス大会に付いて行ったり、沢山遊んでもらいました。まだ回転寿司なんてなかった時代。10円寿司というのが流行り始めてお兄さんと一緒に食べに行き、二人で50個以上食べた記憶があります。そんな思い出のある大磯の親戚。もう何年も前に伯父ちゃんも亡くなり、従兄弟達が全員結婚して出て行き、伯母ちゃんだけになるので大磯の家は引き払ってしまったけれど、私にとってあの場所での想い出は一生忘れることのできない幾つものページを形成しています。その最後の生き証人と思える伯母ちゃんがこの世を去って行った。やっぱりちゃんとお別れをしなくちゃと思い、茅ヶ崎まで行って、告別式、斎場、お骨揚げ、初七日に列席してきました。すやすやと眠るような伯母ちゃんのお顔に会えて、やっぱり行って来て良かったと思いました。
2005年01月22日
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蒐集というほどでもないけれど、小学校の4年生~5年生の頃にけっこう集めて遊びに使っていたものです。ケロッグという食品メーカーが出している「コーンフロスト」などのいわゆるシリアル系の乾燥食品が流行った時期がありました。今でも売ってますが最近は余り食べたことはありません。コーンフロスト以外にも姉妹品として、シュガーポンなどがありました。それらの製品の販売促進のために「オマケ」が付いて来たのです。そのオマケが今回のコレクション対象物です。大きさが2cm~3cmほどのプラスチック製のミニチュア・フィギュアで、いろいろな形をした架空の宇宙人で、色は黄色、橙色、緑色、水色などでした。覚えているキャラクターを列挙してみます。サマサカ星人 からだ全体が人間の顔で、鼻や目が逆さまで手足が顔から生えている。帽子被ってる。コロ星人 小さくて丸くてコロコロしている。クラウン星人 丸い頭に三本足でヒョロッと背が高くて、何故かカンムリを被っている。タコ星人? いわゆる火星人みたいな蛸みたいなの。あれっ、他に何種類もあったのに、思い出せないや。と思って検索してみたら、「ケロッグのおまけ PART2」というページを見つけました。http://www.ne.jp/asahi/techno/drome/toypr10.htmここにある「ゆかいな宇宙人シリーズ」が、ほぼ私の記憶にあるものに相当するでしょう。もう一つ別のページには「ゆかいな宇宙人シリーズ」として(くっちゃね星人・たこ星人・あかんべ星人・てなが星人など…)と書いてあり、これを見て名前を思い出しました。http://taiga.hp.infoseek.co.jp/keijibanrog04.htmlで、これら集めたミニ・フィギュアでどんな遊びをしたのか? その頃よく一緒に遊んでもらったタケヤス君と、宇宙ごっこをしたのです。舞台は太陽系という規模でした。まだワープ航法を知らなかったので仕方ありません。なぜか地球からこれらの宇宙人が太陽系のいろんな惑星をパトロールしに行くというストーリーが多かったような記憶がありますが、それは定かではありません。そんな「宇宙ごっこ」をどこでやっていたのか? 昭和40年ぐらいで船橋の中心地でしたから、空き地のような所はほとんど無くなってました。もちろん駅の北口側に行けば、田んぼや工場の跡地みたいな広場はけっこうありましたが、手近な所としていつも利用していたのは、市の公民館(今では立派な市民ホールになっている)の裏手にあった小さな墓地でした。小さいと言っても、30m×100mぐらいはあって、お墓だって500ぐらい有ったのではないかと思います。中心に少し広い通路があって、両側に幾つもの路地があるといった区画でした。かっこいい墓石を見つけて宇宙基地に決めて、そこからパトロールの出発をしたのです。墓地で遊んでいると、時々墓守のおばあちゃんが見回りにやって来た時に見つかると、「墓場で遊ぶんじゃねぇ!」と怒られました。懐かしい想い出です。ここの墓地には、もっとず~っとすごい、想い出となった出来事というか行事をしたのですが、それは別の機会にご紹介しましょう。
2005年01月21日
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昨年の4月に発足したプロジェクトは、先端技術を学んでビジネスに活かせるようにしよう、というもので、私も6月ぐらいから参加していた。まあ、その技術の名称の頭文字を取って、通称「G研」と呼んでいたんだけど、年末に社内の発表会に参加して成功を収め、一応の区切りということで、打ち上げ宴会を開催することになった訳です。隣の月島にある和風の小料理屋といった風情のお店で、どうやら統括部長の行きつけらしい。最初はビールで乾杯したけど、焼酎のボトルが入ってて、お湯割りセットが運ばれてきた。統括部長が慣れた感じでポンポンと頼んだ料理がでてきたけど、カツ煮とか、おでんとか、結構おいしくて箸が進みました。しかも、何と言っても統括部長の奢りだったのが最高のご馳走でした。
2005年01月20日
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第4回となる亀戸もんじゃ。メンバー固定で、いちおうGREEのハオロン・コミュニティにはイベント板が出るんだけど、最初から「〆切」状態。でも、少数の固定メンバーで和気藹々ともんじゃ焼きながら食べながら呑みながらくっちゃべるって、すんごく楽しいんですね、これが。誰かが仕事であった話をすれば、別の誰かはGREEオフ会での体験談。またハオロンがテレビ番組「あいのり」収録での裏話などを面白おかしく話してくれたり。はたまた誰かが恋愛について告白したり、それとなく相談したり。結構打ち解けた感じで。途中で、注文するもんじゃについてや、焼き方について出たり。そこのお店の名前が付いたもんじゃは毎回たのむんですが、内容的には「たらこ・チーズ・もち」もんじゃなんですが、タラコが特殊な形に型で打ち抜いてあるため、そういう名前になっているらしい。19:30~23:30の4時間なんて、あっという間に過ぎ去り、次回の日程をすり合わせてからJR亀戸駅まで、会の余韻を味わいつつおしゃべりの続きをしながら、ぶらぶらとぞろぞろ歩いて移動。改札にてハオロンとバイバイして、総武線の上りで帰る人、下りで帰る人、それぞれ別れて。電車内では2~3人に減ってしまった仲間で続きのおしゃべり。2月の会も日程が決まり、たぶん明日の昼頃には参加表明が全員そろうのではないだろうか…
2005年01月19日
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さて、切手コレクションの話をしましたが、蒐集といえば以前に鉄道の切符を集めていることを話題にしました。最近でこそ入場記録と出場記録の照合がなされて普通に乗車する場合は切符を持ち帰るなんてことはできなくなりましたね。ところでコレクション関係でしたら他にもいろいろな物を集めた訳です。今回お話しするのは牛乳瓶のキャップです。昔は牛乳などはお店で売っている物ではなくて、牛乳屋さんが毎朝、早い時間に家まで配達してくれるものでした。しかも紙パックなんて洒落たものは「テトラパック」と呼ばれるほぼ正4面体の形をした紙パックが世に出てくるまでは無くて、ガラス瓶に注入されて厚紙のキャップをしてあったものです。このキャップは専用の「牛乳栓抜き」という、太さ1mmぐらいの針に取っ手がついたもので突き刺して「パカッ」と開けるものでした。安全の為に針の周りにプラスティックの取っ手から輪になってガードする部分が付いているものもありました。で、このキャップなんですが、牛乳のメーカーとか、種類によってまちまちで、カラフルでいろんなデザインのキャップが有った訳です。例えば普通の「白牛乳」ならば大して凝ったデザインになっていた訳でもありませんが、「コーヒー牛乳」だとか「フルーツ牛乳」や「パンピー」や「りんごジュース」などでは、それぞれ工夫を凝らしたデザインでそれと判るようなものが被せてあった訳です。普通はキャップなど気にせずに中身を飲むだけだったと思うのですが、これまで書いてきた様に私には独特の拘りが有った訳です。という訳で、いろんな綺麗な牛乳キャップも私のコレクション対象として集められてしまう対象になってしまったのでした。普段、家で飲んだり銭湯で飲んだりしただけでは、そんなに集まりませんが、出先や旅先で飲んだ珍しい飲み物のキャップなどは希少価値があって大事に回収されました。これらのキャップは実家にある私の部屋に行けば、まだ大事に保存されている筈ですので、機会が有ったらデジカメに収めてご紹介したいと思います。
2005年01月18日
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会社で仕事中にカミサンからメイルが届いた。新しいPCでWordから印刷しようとしたら旨くできない、とのこと。おっと拙いぞぉ~!会社に居ては何がどうなっているのか皆目見当も付かない。今日は寄り道もせずに急いで帰宅。我が家のプリンタはエプソンのMJ-800Cというインクジェットなんですが、何しろ1995年発売の機種なもんで、WinXP用のドライバが無いんです。で、仕方なくXPに標準で付いているESC-Pのドライバにしたら、IEとかの印刷では何とか使えているんだけど、どうやらWordみたいな高度な印刷だと駄目みたい。で、今まで使えていた古いPCのパラレルI/Fにつないで、ネットワーク・プリンタとして印刷してみたら何とか使えたという訳です。新しいPCで何かしら印刷する時には、プリンタの電源を入れるだけじゃなくて、古いPCの電源も入れないといけない、という状況なんです。こりゃ~めちゃくちゃ不便です。仕方が無いので新しいプリンタを買うしかないなぁ~、という諦めがモヤモヤと浮かび上がって来たんだけど、問題は買い溜めしてあるインク・カートリッジなんです。年末年始シーズンは何かと印刷が多いだろうと、モノクロを3個、カラーを2個、買って有るんですね。これだけで1万円近くするから、最近のエントリーモデルならプリンタが1台買えてしまいます。という訳で、インクが無くなるまでは我慢して、プリンタドライバ専用に古いPCの電源を入れるという不便を強いられることに甘んずることになりました。まあ、電源だけでWinMEにパスワードとか入れないで済むのがせめてもの救いですが。だって、モニタは1台しかなくて新しいPCから切り替えるなんて芸当は家族には無理ですから。
2005年01月17日
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WindowsXPのインストールも無事に済んだ自作PCですが、これまで家族4人で使っていたPCからソフトウェアやらデータやら設定やら、いろんなものを引っ越さねばなりません。各自専用のデータフォルダーはもちろんのこと、メールソフトで使われるメールデータが格納されたフォルダとかアドレス帳、IEのお気に入り、などなど。XPはこれまでのMEと違ってNT系の流れを継ぐOSなので、ユーザ毎の設定やファイルがきちんと分けて管理されているのが嬉しい。しかし、これまでのME環境をXP用に分離して旨く収めるのは一苦労でした。MEの時にはユーザを分けてログインしたりせずにWindowsの立ち上げでは共通のユーザでした。メールソフトだけはちゃんとユーザを分けていましたが、いちいちユーザの切り替えとかするのは面倒なので、バッチファイルを作って、その中でレジストリエディタを実行してデフォルト・ユーザを強制的に変更してからOutlook Expressを起動する仕組みを作ってました。ところがXPではメールソフトの設定などもユーザ毎にちゃんと独立して管理されているので、ログインし直す手間は増えるけど、それによってデスクトップのレイアウトや壁紙なども各自の好みで変えられるし、IEのcookieもユーザ毎なので前回の続きからWEBできるし便利です。
2005年01月16日
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何人ぐらい集まるのか楽しみだった「B型オフ会の第3回」でした。雪だった所為もあって参加者が減るかなと思いきや、すんごい人数。しかも北海道から飛行機で駆けつけたお姉さんもいらっしゃいました。すごぉ~い!とても全員とはお話できなかったけど、第2回の時に知り合った方で、お互いに覚えていたケースではご挨拶して、新しい方々とも少しは知り合えて、まずますの会だったと思います。環状線の反対側なので少し早めに帰宅しないといけないのが残念でしたが、若い衆は朝までガンバル組もいらしたようで羨ましいやら。次回も楽しみです。GREEとmixi合同ってすごいね!
2005年01月15日
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いつものように御徒町のとあるオフィスビルに向かった。開始時刻ちょうどぐらいに到着したら、もう大勢の人々で盛り上がり始めていました。缶サワーを開けて、ハンバーガーをかじって、いつものように話していたら、一人の女性が「今日が最後なんです」と言いました。秋に日本に来て、インターンとしてお仕事をしていた方が、韓国に帰ってしまうそうです。そして春には大学を卒業して就職するそうです。この日韓交流会にも何回か来てくれたので、何度かいろいろお話した思い出が浮かんできました。彼女は釜山の出身なので、次回かその次に韓国に行く時には連絡するよと言いましたが、どうなることやら。
2005年01月14日
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久々のタイトルなので言葉の意味をもう一度。「趣味はなんですか?」という韓国語です。さて、Oゲージの鉄道模型、切符コレクション、プラモデルと来て、ここで少し転機がやってきます。東京オリンピックを記念して郵政省が記念切手をたくさん発行しました。小学校でも教室毎に注文をとって団体購入するほどの盛り上がりようでした。とりあえずシート買いは要らないけど、一枚ずつ買っておこうか、ぐらいのつもりで買った記憶があります。それと前後してグリコが世界各国のきれいな使用済み切手コレクションをオマケとしてキャラメルに付けました。しかも「世界の切手カタログ」なる本まで出版して有償で頒布するという。確か50円だったか200円だったかぐらいの切手を同封して申し込めばもれなく入手できました。←まだ所有している筈。という経緯もあって突然に切手を集めるようになりました。そこに更なる拍車を掛けたのがノブちゃんという友人でした。それまではデパートの切手売り場とか、美術館や博物館の売店コーナーなどで見かけた、世界の記念切手などをたまに買う程度だったのですが、彼に教わったのは郵便局で発売日に買うというワザでした。記念切手は年間の発行予定が決まっていて、そこに書いてある日に買いに行けば「原価」で買える訳なんです。当たり前のことですね。デパートなどの切手屋だと値上げされた価格で流通してますから私にとっては目からウロコでした。学校からの帰り道にあった太陽神戸銀行の前に切手を売る露店が出るようになったのも大体おなじ頃でした。毎日のように寄っては眺め、時々は購入するようになって常連気取りに似た立場を築いていました。余談ですが、昭和35年発行の50円玉に値打ちがあることを教えてくれたのはこの切手屋のおじさんでした。つづく…【追伸】値打ちのある貨幣について検索しました。http://asahistamp.com/HP/koin_1.htmlhttp://www.sky.sannet.ne.jp/bomb/coin.html
2005年01月13日
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さて、おとといと昨日で大体完成した自作PCですが、ずるをして手持ちのOSをインストールしようとしたら駄目でした。ということで、OSを買いに秋葉原に。単独で買うとそれなりの値段になってしまうけれど、OEM価格で買う手があります。つまりハードウェアと抱き合わせで買えば良いのです。どうせ私はバックアップ用に二台目のハードディスクを接続する予定だったので、HDDと抱き合わせにしてWinXPのホームエディションを14000円ぐらいで購入。ついでにモデム・ボードも買う。「じゃんがらラーメン」は、いつもの様に結構並んでいたので諦めて、九十九本館並びの元牛丼屋だった所にできた「だるまのめ」という店に入って、だるまラーメン(麺硬め)650円を注文。カウンターには、炒ったニンニクの細かい顆粒状、辛味ペーストがある。各自には小さなすり鉢に入った胡麻が出される。(可愛いミニ擦りコギ付き)出来上がってくる前に胡麻をスリスリして待つ。スープは豚骨なのにあっさりと言うか薄味。まあまあ美味しいが、やっぱりちょっと薄味なのでリピートはしないと思う。麺はすごく細くて硬めが美味しい。50円の替え玉も硬めでお願いしました。帰宅後は、二台目のHDDとモデムを移植する手術は難なくこなし、いよいよWinXPインストール開始。CPUが速いのか、シリアルATAのお陰なのか、30分ぐらいでインストール完了。でも、大変なのはこれからなんですね。家族全員の環境を古いPCから移行しないといけません。データ類の詰まったフォルダ群。メイル環境。その他もろもろ。しかもモニターは共用なので、いちいちコネクタを差し替えながら。まあ、ゆっくりとやって行きましょうか…
2005年01月12日
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なんかの呪文? それとも暗号化された短文かな? 或いはSF小説に出てくる異星人の名前かも?同様に「ヒスタレパキヒチス」とか「ナミンンンンヤユイ」とか「クポーンンリン」などがあります。まだ妹が幼稚園に通っていた頃に購読していた「キンダーブック」という月刊の教育雑誌に出ていた言葉なんですよ、これ。裏表紙いっぱいに草花の絵といっしょに大きくひらがなで読み易く書いてあったのです。「ヒスタレパキヒチス」「ナミンンンンヤユイ」「ギレポゲジセシーセ」「ク ポ -ンンリン」「 カスッ 」「 プ 」等幅フォントで表示しないと読みにくいのですが、この6行を横に読まずに縦に読むと草花の名前になるんですね。つまり縦書きしてあった花の名前を無理やり横に読んでみて、その不思議な言葉というか、普段聞きなれない魔法の呪文みたいな変わった響きに驚き、そして更に「日常に普通に有るものたちだって、ちょっと見方を変えれば、まったく違った面が見えてくるんじゃないか」といった視点に気付かせてくれた発見の喜びを味わった記憶があります。この“呪文”を発見したばかりの当時は妹と二人して大きな声で唱えたもんです。ゲラゲラ、ぎゃーぎゃー笑いながら「ギレポゲジセシーセ」なんて叫んでいる幼い兄妹の図…昭和の良き時代の想い出です。
2005年01月11日
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先日も書きましたが現在自宅で主力マシンとして活躍している富士通PCはOSがWinMEな所為か、しょっちゅうフリーズします。ブルー画面になることもしばしば。正月休みにリプレイスを実現できなかったので、この連休で何とかしたい、ということで秋葉原に行って来ました。どうせ新しいPCを買うなら自作に挑戦してみたいと考えていたので、まずはショップブランドのキットを探してみました。ショップブランドと言ってもいろいろあって困ります。何軒か覗いてみました。DOS/Vパラダイスのあるビルの4階辺りにあった「フロンティア神代」が無くなってました。TWO-TOPとか見て回ったけど、どこのショップでも大抵の客はちゃんと買いたいものの型番などを控えて来ていて、それを探してレジに持っていくだけです。私のように現地で適当に見繕って一揃い買ってしまおうなんてアバウトに考えているのは他に居ないようでした。ということで、比較的にヘビーユーザよりも初心者~中級ぐらいの客が多い「Laoxザ・コンピュータ館」に行きました。優しそうな店員を捕まえて、PC一揃いの部品集めに付き合ってもらいました。インテルのマザーボード、ペンティアム4 3GHz、400W電源付ケース、1GBのメモリー、DVD-RW等が可能な光学ドライブ、160GBのHDD、FDDなどを相談しながら決めて、結局一時間ぐらい部品選びに同行してもらいました。しめて84000円ぐらい。さてどうやって持って帰るか? どこかで手荷物用のカートを900円ぐらいで売ってたなぁ。聞けば、ザ・コン館内のどこかでも売っているらしい。館内を探すと1000円と3000円のがありました。安い方を買い、さっきのフロアに戻って荷造りしてもらいました。さあ帰ったら、今夜はPC製作だぁ~
2005年01月10日
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毎月第1月曜日に開催されている交流部の月例会は地元のコミュニティセンターの部屋を借りて開催されています。そして、会の終わった部屋で「持ち寄りによる簡単な新年会」を執り行うのも毎年の恒例行事として定着しました。ところが先日の告別式で寒かった所為か、風邪が少しだけひどくなって、体調が優れず食欲もあまりでなくて、折角手作りで持ってきてくれたお料理などもほとんど食べないままでした。アルコールもほんのちょっとだけでした。それが良かったのか、お開きが近くなってきたら少しは食べられるようになってきたので駆け込みで掻き込みをした感じでした。ここで体調が良ければいつものOさんとIさんと二次会というコースでしたが、今日は風邪の影響か頭が重いのでまっすぐ帰りました。
2005年01月09日
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お元日の日記に書いたのと全く同じセットでした。お袋の弟達つまり私の叔父さん二人が実家に来るので私にも来るようにお誘いがあった訳なんです。それで出掛けてみたら何と先週と全く同じ献立だそうで。おいおい、それじゃあ全く工夫がないじゃん。まぁ、良いけどね。↑何を贅沢言ってるんだ、俺! 普段顔を合わさない親戚の人々と美味しいものを食べながら、美味しいお酒を飲みながら、楽しくて他愛もないおしゃべりするってのが大事なんでしょう? それ以上何を求めるんだ?
2005年01月08日
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GREEの「飲みコミュ!」というコミュニティ主催のオフ会で韓国料理でした。料理のメインはチジミとサムゲタンとカムジャタンでした。他にいろんな煮物や漬物で食べきれないぐらいでした。チジミはご存知「韓国風お好み焼き」といったもので、最初に出てきたので一気に腹が膨れました。←幹事の作戦だそうです。サムゲタンは参鶏湯という字の通り、鶏の体に米や野菜・朝鮮人参などを詰め込み、白いスープで煮込んだもので、おじやのようで美味しかった。カムジャタンは豚だか牛の背骨の部分を辛いスープで煮込んだもの。背骨に付着しているお肉を削り取りながら食べました。飲み物はマッコリと焼酎。またしても、あっという間に二次会の時間になってしまいました。
2005年01月07日
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大学時代の研究室仲間が亡くなり、告別式が昼過ぎからありました。その時のお坊さんの読経が変わっていて、途中に歌うような所があったり、声色をいろいろと変えて、ある時は美空ひばり風、またある時は井上陽水風みたいな。目黒駅から近いお寺でした。夕方からは、カミサンの叔父さんのお通夜でした。終わって二階に上がり、お酒やお料理を頂きながら久々に会う親戚の人々と懐かしい話題。また、叔父さんの奥さん方の親戚の人々とは初対面だったので、少しアルコールが回った段階で話をしました。すると中に一人のおじさんが元国鉄で機関車の運転手をしていらしたそうで、しばし鉄道の話題で盛り上がったら、その方はとても嬉しそうでした。こういうハシゴは初めてです。それにしても前者の、大学友人の場合は外食中に食べ物を喉に詰まらせたのが原因だったと聞き、気を付けて食べなければいけないと思いました。この日はとても寒い日で、告別式では外気がそのまま席まで通じていたのですごく寒かったのにコートを着る訳にも行かず、どうやら風邪を引いてしまいました。この日記を実際に書いている未来(1月22日)にもまだ直ってないということは、想像できませんでした。
2005年01月06日
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昨日はまだ正月休みらしく閉っていたけど、今日はやっていたので少しだけ寄ろうということで入った。正月ということで樽酒を振る舞っていた。枡で一杯。常連のT代さん、イネさん、U山さんが盛り上がっていたので、そのテーブルに合流した。この3人は60歳~74歳ということで、今晩の飲み仲間の平均年齢は一気に高齢化した。まだ仕事始めから遅い帰宅も気が引けるので、遅くなる前にさっと帰宅。店を出る時に、玄関にでも飾るようにと、干支の形をした寿石鹸をくれた。
2005年01月05日
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を作ろうと思ってたんですが、物の見事にその夢は消え去りました。「お片づけ」「年賀状」「年始回り」これだけしかしてない。何だか虚しい。で、前々から家のデスクトップ機(決してディスクトップじゃありません、キッパリ)の調子が悪かったんです。まあ、WinMEなので仕方ないのですが、それにしても一日に何回もフリーズしたりブルー画面になったり。家族からも何とかして!と言われてたので、正月休みに新しいのを買おう、と宣言してました。それが、どうでしょう。結局、パソコン雑誌を買って自作関係の記事や、パーツ関係の記事を読み漁っただけに終わりました。近いうちに何とかするぞ~
2005年01月04日
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明日から仕事。しかも早番の当番なので7:30ぐらいには会社に着かないといけない。シクシク(TxT) それはさて置き、年末に年賀状を書かないまま新年を迎えちゃった訳ですが、1日2日両日ともに年始回りで結局、書き終わらず。両面とも印刷がやっと完了したけれど、このまま出してはまずい。やっぱり手書きの一言コメントを書かないと、パソコンで印刷しただけの賀状って、やっぱり少し悲しいと思うから。という訳で、ほんの一言書く積もりが、相手のことをあれこれ考えて数行にもなってしまうから、時間が経っても一向に捗らない。結局、夜中の3時になってもまだ2/3ぐらいしかできなかった。でも明日の早番があるから、もう寝なくちゃ。という訳で遣り残しを抱えたまま初出社になってしまう私であった。そうそう、年末から開始した「お片づけ」も完了してないし…
2005年01月03日
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毎年2日はカミサンの実家に年始挨拶に向かうことになってましたので、今年も同様なスケジュールなんですが、研究室でお世話になった教授のお宅に集合して新年の挨拶と正月を祝おうという会も恒例になっています。ということで目黒に出発しようとしていたら、今年は2日にも年賀状の配達があったらしく郵便受けに届いていた。以前は目黒の実家でも、親戚が集まって新年の宴を催していたけど、親達が高齢化した所為も有って最近は簡略化されてきて全員集合も掛けずに、お茶やお菓子を頂きながら近況報告とか他愛も無い親戚やご近所の話題をおしゃべりしてお暇する、というパターン。航星日誌、宇宙歴2005.010216。帰りは私だけコースを離脱して一路、大倉山に向けてワープ6にて巡航を開始した。カミサンと娘達の進路は我が家のある千葉星系。←何故かここで唐突にスタートレック風の表現を採用してみたけど、多分だれにも受けないので戻しちゃう。先生のお宅に着いたら私が一番乗りでした。みんなが集まってくるまで紅茶を頂きながら、先生が最近購入された大画面液晶テレビと、地上波デジタルチューナー付きHDD+DVDレコーダーの話題。時計コレクションの一つで100年ぐらい前の骨董品が動かなくなったので分解掃除でもしてみようと考えている話とか、旅行に行かれた時の写真を見せてもらっているうちに、何人かの集団が到着した。和室に集まって、先生が点てて下さるお抹茶を頂くタイムとなった。一人だけ小学生のお子さん連れで来ていたので、その坊やも参加。和菓子を食べながら順番にお茶が来るのを待ちながら、しばし会話が盛り上がる。座るのが苦手な二人を除いてみんな飲んだところで、テーブルに移動して宴会が開始。段々と各家庭のお子様達の年齢が上がってきたので、同伴で来る率も下降傾向なのは致し方ない。持ち寄った飲み物や食べ物、先生の奥様とお母様の手料理、いろんなご馳走を頂きながら4時間ぐらいはあっと言う間。次回は暑気払いで集まりましょう、と約束して解散。おお、その前に毎年恒例の「研究室OB合宿」をやらねばなりません。関係者にメールしてトリガーを掛けないと…
2005年01月02日
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あけまして おめでとう ございます今年も 宜しくお願い 申し上げます年賀状を出してないまま元日になってしまった(泣)お屠蘇でお祝いしてお節料理とお雑煮を食べて、年賀状が届いてるか見に行った娘がドッサリ持って来て、宛先ごとに分類してくれた。普段顔を合わせることなどない人からの賀状は念入りに読んで近況を知り、最近の様子に思いを馳せる。本当ならばここですぐに、出してない年賀状を書く作業を開始しないといけないんですが、もう昼近くなので早く初詣に出発しないといけません。私がグズグズしていたもんだから、カミサンと娘達は先に出て駅に向かって歩き出しちゃった。慌てて着替えて、さあ家を出ようと思ったら鍵が無い。あっちこっち探しているうちにどんどん時間が経っていく。やっとのことで見つけ出して、後を追いかけたが追い付けず駅で待っているところで合流した。ここ何年も、初詣といえば「亀戸天神」に参拝するのが恒例となっている。それは私が大学受験した時に、あんなに成績が悪かったにも関わらず、あんな大学に合格できたのは、ひとえに亀戸天神にお参りしたからに他ならない、というご利益を信じての事でした。ということでJR亀戸駅から天神様の入口に向かって歩いていったんですが、今年は家を出た時間が遅かった所為か、去年よりもずっと長い列ができていました。「ああ、これじゃあ40分とか1時間ぐらい並ばないといけないかもね」という諦めムードで列の最後部に付いたんですが、これが意外と速く列が進んでいきました。30分は掛からなかったのではないかと思えるぐらいでした。お賽銭を投げて拝んでから、脇の社務所で巫女さんからお守りを買って、屋台でたこ焼きを買って、道端で4人で分けて食べてから、また亀戸駅へと戻るのでした。その後は船橋にある実家に向かって総武線。今日のご馳走は、お刺身(鮪、中トロ、カンパチ、帆立貝柱)+タラバ蟹の寄せ鍋+お鮨。かつて実家では元日の夕食に、よくお好み焼きをやったりしましたが、孫である娘達が大きくなった事もあるのか、最近はお鮨+お鍋のパターンが多くなってきたような気がします。P.S.実はこれを書いているのは1/9の未明。まだ追い付かないよぉ~
2005年01月01日
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