全11件 (11件中 1-11件目)
1

ついに6月も終りである。だからどうというわけではないのだが、帰国・催事に向けて、忙しい日々を過ごしている。作業が細かいので、日本語が読み書き、理解できる日本人スタッフがいないのは、本当につらい。社長自ら、すべてを背負い込むことになるのだから、寝る暇もない。こりゃ、帰国前にダウンしてしまう・・・・と思ったので、アンタルヤ在住の日本人のお友達にヘルプを頼む。おかげでこの数日でずいぶんはかどった。ミフリLTDも、一日も早く日本人社員を雇えるぐらいの大企業になってくれないことには・・・・と思うけど(・・・思ってない、思ってない)、弱小企業もいいところだから、しばらくは日本と日本語関連は社長一人でがんばるしかないんだけど・・・・・・・・。ああ、今年はまだ海でちゃんと泳いでいない。地中海リゾートを目指して国内外から訪れる人がたくさんいるというのに、地元にいると、意外と縁がないものである。(それは私だけか・・・・)日本での7月13日からの京橋でのギャラリーくぼた別館の催事、7月23日からの横浜高島屋の催事、あと少しである。下見を兼ねての展示のお手伝い、トルコ人スタッフとトルコ語会話のお勉強・・・・トルコ旅行、トルコ生活の情報収集、トルコの手工芸情報などなど、お買いもの抜きでも大歓迎。ミフリ社長とトルコ人スタッフ勢ぞろいでみなさまのお越しをお待ちしております。さて、どちらがイーネオヤで、どちらがトゥーオヤか・・・・・。当たってもなにもありませんけど・・・・・。前編「絨毯屋へようこそ トルコの絨緞屋のお仕事記」はこちら弊社「ミフリ」は外資系トルコ現地法人の貿易会社です。絨毯、キリム、手工芸品全般のほか、ファッション関連、ファブリック関連、食品、家具、キッチン用品、日用品、各種機械などの輸出・輸入、関連したアドバイス業、代行業などを行っています。トルコキリムと伝統手工芸ミフリ&アクチェ
2009年06月30日
コメント(2)

最近はイーネオヤで何でも作る。伝統のお花柄に限らず、変わりモノとして、虫がある。しかも立体・・・・・。昨年、あったものが「ハチ」。「チョウチョ」も作らせた。今年は某地方の新しいイーネオヤ商品で「トンボ」があった。「テントウムシ」もいた。虫じゃないけど、民族衣装を着た女の子もいた。いったい来年は何が登場するのであろう・・・・・。イーネオヤ・スカーフのセールは今月末で終了です。申込締切まであと3日、お買い忘れのないようにどうぞ!!前編「絨毯屋へようこそ トルコの絨緞屋のお仕事記」はこちら弊社「ミフリ」は外資系トルコ現地法人の貿易会社です。絨毯、キリム、手工芸品全般のほか、ファッション関連、ファブリック関連、食品、家具、キッチン用品、日用品、各種機械などの輸出・輸入、関連したアドバイス業、代行業などを行っています。トルコキリムと伝統手工芸ミフリ&アクチェ
2009年06月28日
コメント(0)

エフェオヤはアイドゥンのエフェたち(17世紀から18世紀)がつけていたイーネオヤである。円形や太陽、星などをモチーフにした、サイズも大きく大胆で力強いオヤである。大きいため芯が必要で、昔は芯に黒や茶系の馬の尻尾の毛を使っていた。アイドゥンが本場であるが、同様に男性がつけていたオヤを総称してエフェオヤと呼んだりしている。アイドゥン以外でもキュタフュヤ、イズミルでも出る。数量が少ないのと実際に使用されていたものが多いため、オールド品で現代に残っているものは稀少かつ貴重である。(最近作られているエフェオヤはテクニックや形体は伝承されているが、古いものは特殊なのでこれらとはっきり区別されるべきであると思う)ところで、アンカラでこんなものを見つけた。この村に住むおばあさんの考案したものだそうで、オヤとしては「すごい!」というものではないが、最初はそれほどではなかったが、見ているうちに愛らしく、見ればみるほどとりつかれてしまった。どこから、こんな発想が・・・・?と話しているうちに、形が何かに似ているぞ・・・・・と。円形、直径5cm前後、もしスカーフの縁にこれらがたくさん並んでいたら・・・・・。(・・・なんて素敵!!そう、エフェオヤである。(もちろんエフェオヤじゃないんだけど)というわけで、このオヤを「アンカラ・エフェオヤ」と名づけさせてもらう。補足であるが、このアンカラ・エフェオヤを画像の2点を残して、全てコレクションとして入手した某先生は、「これこそ、イーネオヤの原点だ」と喜びとともにコメントしていた。編「絨毯屋へようこそ トルコの絨緞屋のお仕事記」はこちら弊社「ミフリ」は外資系トルコ現地法人の貿易会社です。絨毯、キリム、手工芸品全般のほか、ファッション関連、ファブリック関連、食品、家具、キッチン用品、日用品、各種機械などの輸出・輸入、関連したアドバイス業、代行業などを行っています。トルコキリムと伝統手工芸ミフリ&アクチェ
2009年06月25日
コメント(0)

とうがらしのオヤは「辛い」から、厳しいお姑さんに対する抗議の気持ちを表すと言われている。この話は行く土地、行く土地で尋ねてみるのだけど、返ってくる返事はほぼ同様で、お嫁さんの必需品とも言える。で、今まで見つけただけでもとうがらしのオヤはイズミル、アイドゥン、マニサ、ブルサ、イズニック、アンカラ、ボルなどで実際にあった。きっと他の地方でも作られたことであろう。画像はアンカラのとうがらしオヤの1例。今回もとうがらしのイーネオヤを何点か持ち帰った。しかも黒海地方のもの。意味をおばあちゃんたちに聞いてみると、やはり同じ返答。ところで、実際にお姑さんの前でつけているお嫁さん、もしくはお姑さんにプレゼントしたことのあるお嫁さんを見たことある? なんて質問してみた。「う~ん、それはなかったなあ・・・・」。限定4点、あれっ? 5点だったかなあ。あるだけ手に入れました・・・・って感じです。そのうち弊社のHPに掲載するのでお楽しみに。他に黒海地方のレモンのオヤのついた細長スカーフも1点だけですが、掲載します。前編「絨毯屋へようこそ トルコの絨緞屋のお仕事記」はこちら弊社「ミフリ」は外資系トルコ現地法人の貿易会社です。絨毯、キリム、手工芸品全般のほか、ファッション関連、ファブリック関連、食品、家具、キッチン用品、日用品、各種機械などの輸出・輸入、関連したアドバイス業、代行業などを行っています。トルコキリムと伝統手工芸ミフリ&アクチェ8
2009年06月24日
コメント(3)

割礼式とイーネオヤ。関係ないようなんだけど、実は大あり。そもそもイーネオヤのスカーフって、女性が頭に被るもの、って思われているのだけど、実はそれだけじゃあないのである。日常的に使用されるものと、嫁入りの際に持っていくものと、大きく二つにわけて考えてみる。嫁入りの際に持っていくものが、その後、ほとんど未使用で残される。つまり日常的に使用されるものじゃないってことなんだけど、じゃあ、いったいいつ使うのか・・・・・。イズニックにほど近い、とある村の例を見てみる。ここは行ってみると驚くが、家の前などで女性たちが今でもごく普通にイーネオヤを編んでいる。しかも、この地方特有の巨大オヤ。売るためという例もあるが、一般的には自分のためや自分の娘や息子の結婚のためにため込んでいたりする。そしてその使用目的は・・・・・。1、嫁入りのときに相手方やご近所さんに見せびらかすため。 (もしくは花婿側の女性たちが花嫁にプレゼントをする)2、子供が生まれたときに、天井に吊るして祝うため。3、息子の割礼式のときのベットに装飾するため。・・・だそうである。2、の子供が生まれたときはこんな風に畳んで天井から吊るすそうである。3、の子供の割礼式のベットにはこんな風に折って、飾るそうである。で、実際にはどんな風になるかというと・・・・・・・・。で、全体的にはこんな感じ・・・・・。どこかの博物館の展示のための割礼式のベットではなく、とある村で、息子の割礼式を前にお披露目している伝統行事としてのイーネオヤの活用例である。何気に飾っているけれど、1点1点を見ると、今ではなかなか手に入らないタイプの巨大イーネオヤたち。ヨダレが・・・・・・。見れただけでも、幸せ・・・・・である。地方によってはイーネオヤやトゥーオヤのスカーフ以外に、4隅にモチーフのある各種刺繍やテルクルマ(金属リボン刺繍)の飾りハンカチを飾ったりする。この女性がこのベットを用意した男の子の母親。頭にはこの地方のイーネオヤのついたスカーフ。ベットに装飾として使われているイーネオヤは母親の嫁入り道具だったものと、他に娘、つまり男の子の姉たちが作ったものだそうである。割礼式で使った後は、自分の嫁入り道具として長持ちにしまうそうである。
2009年06月23日
コメント(0)

イーネオヤを訪ねて、ついに黒海地方まで来てしまった。目的地からさらに北上すること50キロ。ここもイーネオヤでは知る人ぞ知る土地だが、たぶん国外には全くと言っていいぐらい知られていないと思う。この辺りは民族衣装関連で馴染みがあったので、もしかしたらイーネオヤ文化もあったのでは? と調べたとこと、やっぱりあった、あった、なのである(ただし今はできる人もほとんどなく、昔の話であるけど・・・)。もう出なければいけないので、今日はここまでであるが、ここへ来る途中、穴場と言える古い街並みの山間の町を通った。建物がとても面白く、お金持ちの高原の避暑地だったんじゃないかと思われる。家を見て歩くだけで面白かった。中途半端でごめんなさい。イズニックの巨大イーネオヤにまつわる話もまた今度・・・・・。今日は大移動日、黒海地方からアフィヨンまで一気に戻ります。
2009年06月21日
コメント(0)

イズミール、アイドゥンを離れて、ベルガマへやってきた。ベルガマと言えば、遊牧民系のコットン糸の平面・幾何学モチーフのイーネオヤである。ベルガマの中でも特定の、この地域は16の村からなり、村というより、集落の大きいぐらいの規模で、何もない山の中に点在する。16の村で一番規模が大きいと思われるYB村。ここではほとんどの女性がイーネオヤの技術を知っているらしい。実際に編んでもいるようだ。ところが、この地方独特の幾何学オヤを知っている人というのが、不思議なぐらいいないのである。「おばあさんが持っていたような気がする」とか「昔はこういうのがあったらしいわね」とかなんだか他人ごとなのである。現在、編まれているのはナイロン糸のいくつかのパターン。これらもこの地方独特と言えば独特なのだが、私が求めているのはもっと古い時代のコットン糸、平面、幾何学モチーフの3つのキーワードがそろったもの。「こういうイーネオヤがこの辺りで作られていたはずなんだけど・・・・・・」と資料を見せても、実際に見たことがない人がほとんどで、もちろん持っている人もいないのである。とある年配の女性が言うには「これはここの地方のイーネオヤだけど、50、60年前ぐらいに作られたのが最後で、今じゃ残っていないよ」村の手芸屋でイーネオヤの取りまとめをしている女性いわく、「その昔はコットン糸を使用し、一時期シルク糸がつかわれるようになり、今はナイロン糸で作られている」という。各家から持ってきてくれて、見せてくれたイーネオヤは、全くの新しいものばかりで、でも若い娘さんが作っているというので、伝統は母から娘へと引き継がれていると思いきや「母は編まないの。私は村で職業訓練講座があって、そこで習ったのよ」と。う~ん。今持っている、この地方の古いイーネオヤを大切にしよう・・・・と心から思ったミフリ社長であった。どこへ行っても伝統としてのイーネオヤは終わり、職業としてのイーネオヤ。出来上がりの美しさや満足感ではなく、いくらで売れるかの金銭的興味のイーネオヤ。トルコのイーネオヤは本来の意味では作られなくなったのか・・・・・・と、かなりがっかりしていたところで、衝撃の事実と画像。続きは次回。でちょっとだけ予告。大きなイーネオヤで有名なイズニック。イズニックにほど近い、K村で。この大きなイーネオヤを嫁入りで持って行く意味。そしてこのオヤの使い道を、話しで聞いていた伝統行事を、実際に目にすることができたのである。まだ出張先です。イーネオヤの旅は続きます。ご注文のお返事や発送が遅れて、ご迷惑をおかけしております。日によってインターネットがつなげない状況があります。月末にはアンタルヤに戻りますので、もう少々お待ちください。すみませんが、よろしくお願いいたします。
2009年06月19日
コメント(0)

イズミールから約180km。かつてシルクの繊細なイーネオヤで有名だった山間部の村へ行った。この地区では、養蚕が行われ、20年ほど前までは蚕の繭からシルクをひき、自分たちで染色をした糸で、嫁入りのためにイーネオヤを編んでいたという。その頃に作られたイーネオヤのスカーフはほとんど使われることもなく、保管され、大部分は近年、放出され売られてしまっているが、今でも一部、手元に残されているものもある。ファットマおばさんは1941年生まれの69歳。15歳で嫁ぎ、16歳で母親になった、この村出身の女性である。嫁入りのさいは、この地区の伝統に則って、イーネオヤスカーフ100枚を嫁入りの品として持参したという。その100枚のイーネオヤは、婚礼の前後に壁に貼られ、親戚、ご近所さんにお披露目されたそうだ。今から54年前の話である。最近、市場では滅多にお目にかかれない草木染めシルク糸の、伝統モデルの古いイーネオヤのスカーフが続々と並べられた。溜息、吐息。ファットマおばさんに当時の話や、イーネオヤ1点1点のモデルの名称を教えてもらいながら、気がつくと1日が終わっていた。これだけのイーネオヤを作ったこの地区でも、伝統である「嫁入り時に100枚のシルクのイーネオヤスカーフ持参」・・・・も、今では昔話・・・・・・・・。
2009年06月15日
コメント(0)

実は先週からアンタルヤ県外に出張中である。現在、アンタルヤ県、デニズリ県、アイドゥン県を経て、イズミール県の辺り。スケージュールの調整のため、本日は急きょ丸1日観光日となった。何度か見ているところではあるが、用事はすべて済んで、何もできることがないので、思いっきり観光客である。で、本日の宿泊はセルチュク。セルチュクと言えば、エフェスの遺跡、マリアの家、アルテミス神殿跡、セルチュク城、シリンジェ村などなど・・・・と、好物のチョップシシを頬張りながら、マリア像に十字架とトルコの目玉のお守りナザールボンジューウという風変わりなコラボのお土産を買いつつ、フルーツワインを試飲したり、観光に徹した。画像はシリンジェ村で花冠を作って売っているお姉さん。でも、それだけじゃつまらないので、夕方からは知り合いの桃農家のある村まで一走り。途中からはトラクターしか通らない未舗装のデコボコ道でクルマが壊れるんじゃないかと思ったけど、なんとか無事到着。高原と言ってもよく、農園の中に家がポツリとあるだけ。隣は何キロ先であるか・・・・・。家の中はおばあさん、そのまたおばあさんの嫁入り品である手刺繍のカバー類が実際に使ってあって、感動。どうしても、どこへ行っても、手仕事ばかりに目がいってしまう。同じエーゲ海沿いであって、吹く風は涼しく、まさに天然のエアコン。寒いぐらいであった。灯りがなく、空気も澄んでいるから、満天の星空を眺めつつ帰路へつく。・・・明日はまた山村に戻って、民家訪問である。というわけで、ご注文のメールのお返事や発送が遅れることがありますが、すみません、ご了承ください。インターネットが使える日はできる限り、チェックしてお返事するようにしますが、日によってはお返事できないことがあります。商品チェックもミフリ社長本人ができないため、場合によってはお待ちいただくこともあります。今月末にはアンタルヤへ戻っています。
2009年06月14日
コメント(2)
先月、滞在(5年延長)と就労ビザ(3年延長)の期間延長を行った。ミフリ社長の場合、トルコ人配偶者がいるわけではないので、滞在理由は自社で働くための「就労」になる。ただトルコの場合、かなりおおらかで滞在するための許可は就労と無関係でも構わない。(就労ビザのみを条件に延長する場合は、就労ビザの期限と同期間滞在許可も延長されるのが通常であるが)特に日本人の場合、現在いくつかの理由と条件で適切と認められれば、比較的簡単に滞在の延長ができるようだ。条件として、一般的なのが1か月あたりの生活費として500ドル相当(外貨の種類は何でも構わない)の貯金または両替をしていること。通帳か銀行の両替証明書のコピーを提出すればいいだけである。例えば1年間延長したいのであれば、500ドル×12か月=6000ドル分を見せて、滞在の期限が切れる数日前に必要書類を揃えて申請すればよい。費用も現在、日本人の場合、1か月あたり約1ドル、1年で約12ドルで済む。何年か前には突然の値上げで1年で約400ドル・・・5年の申請で当時20万円以上も払わなければならなかったこともあったけど。・・・ここで、ミフリ社長が滞在ビザを5年間延長したということは、少なくとも30000ドル相当(約300万円)の貯金があるってこと・・・・? なんて計算された方もいるかもしれないが、もちろんミフリ社長にそんな貯金があるわけないのである。いい加減、トルコ生活も長く(17年間)、滞在許可証の認識番号も化石のごとく古いため、お情けでくれたに違いない・・・・。(過去に聞いた話によると滞在が長く、特に問題がない場合は条件が整わなくでも5年間あげる・・・と言ってもらえることがあるらしい。逆にトルコ人との婚姻などの理由をのぞき、滞在が短い場合はいくら貯金があっても、とりあえず1年間ね・・・・と言われるケースもあるらしい)一方の就労ビザは3年間の延長で304.10TL(約20000円)のビザ代がかかるけど、滞在ビザで費用を払い済みであれば、重なる期間は別途に許可証の費用はかからない。就労ビザは3年間の次は無期限になる、その上は就労する場所を特定しない許可(好きなところで就労できる)になる。まさにトルコ滞在者にとっては夢の就労ビザである。日本が二重国籍を認めることがいいのか、悪いのかの議論はいろいろな事情やケースがあるから別にして、でももし二重国籍が可能だったら、トルコ滞在に関してどんなに気持ちがラクになるだろう・・・・と思うこともある。いくらトルコ人と変わらない生活をしていても、気持ちはすっかりトルコ人でも、やはりここでは外国人なんだと思わされるのが、この滞在・就労ビザの申請時である。それでも滞在が長くなるにつれて、受け入れが優しくスムーズになり、このままいけば私もトルコに骨を埋めることになるのかも・・・・・なんて思ったりもするのだけど・・・・・・。前編「絨毯屋へようこそ トルコの絨緞屋のお仕事記」はこちら弊社「ミフリ」は外資系トルコ現地法人の貿易会社です。絨毯、キリム、手工芸品全般のほか、ファッション関連、ファブリック関連、食品、家具、キッチン用品、日用品、各種機械などの輸出・輸入、関連したアドバイス業、代行業などを行っています。トルコキリムと伝統手工芸ミフリ&アクチェ
2009年06月08日
コメント(2)
たぶん1年ぶりぐらいなるだろう、久し振りに骨董協会のオークションに出かけた。早めに別件で新聞記者のフセインと知り合いの骨董屋と会う約束があったので、オークションの開催まで1時間ほど時間ができた。店まで戻ってもよかったんだけど、それには時間も中途半端なので、フセインと一緒に近くの古本屋で時間をつぶすことにした。この古本屋はアンタルヤで一番大きい。ただ古い本が棚にぐちゃぐちゃと、また床に不規則に積まれていて、一応各コーナーごとに分類はされているようだけど、本を探すのも一苦労である。私は手工芸関係の本を、オスマン帝国時代の紙幣・コインと古文書のコレクターであるフセインはオスマン文字の手押し型の古い本がお目当てである。トルコ語で書かれた背表紙を頼りに探すので、面倒臭がりのミフリ社長はすぐに飽きてしまうのだけど、店主とフセインが代わりにいろいろ見つけてくれて、その中にちょっと面白い本があったので、手に入れた。嫁入りのチェイズ(長持ち)の中身に関する本である。いろいろな手工芸品が具体例と共に掲載されている。昔の豪華版の内容で、近年の村で見ることができるチェイズの中身とは各段に違い、見ているだけで楽しくなった。もう1冊、長い間、私の中でわかっていたようで、詳細に疑問があったトカットの木版のことが書いてある小冊子で、その昔(15年前に)最後に見た、今はなき、型押し布の工房の写真があって、懐かしく思いつつ、工房の閉鎖により抱え続けた謎も解けてすっきりした。古いイーネオヤのヤズマとして使われているものの中にも、ここで作られたものが多いので、特に興味を持って読んだ。他に、特定地域のイーネオヤに関する画像と解説の小冊子、イーネオヤのカタログのミニ版、昔の花嫁の頭の装飾に関する写真が載っている小冊子。本の方が面白くて、オークションは気もそぞろ。結局すごく欲しいものもなかったので、子供サイズのフェルトの長靴だけ落札して、早々と帰った。資料は・・・・・、とくに古い資料は大切だとつくづく思う。そう言えば、先日、オスマン時代の民族衣装の本を買った。これはヨーロッパで撮影された当時の服装の見本写真を掲載しているものであるが、100年以上前の古い写真というのが気に入って、ミフリ社長にしたら珍しく大枚を叩いた。今まで誰に聞いてもどうやって使うのか不明だった衣装パーツの具体的な使い方などがわかり、これも感動ものであった。情報に関しては現場に行き、そこにいる人に尋ねる主義のミフリ社長であるが、最近、情報に不安があるのを感じる。というのも15年前にはかろうじて話を聞けたお年寄りたちもいなくなり、年代が変わり、若い人たちはやってはいるものの、正しい知識がほとんどなかったり、知識があやふやなものが多くなっている。かと言って、本や雑誌から得た知識をうのみにするのも、現場で見たこと聞いたこと違いすぎて、できないのである。最終的には現場の声を含むいろんな資料から証拠を揃えて自分で組み立てるしかない、って思うのであるが・・・・・。だから最近は古い資料の読みなおし。おかげで慢性睡眠不足が、慢性無睡眠生活になりそうでこわい・・・・・・・。来週からはイーネオヤ関連でトルコ各地への長期出張。ブログはまたまたご無沙汰になってしまうことでしょうが、ミフリ社長は睡眠不足でも元気に仕事しています。
2009年06月06日
コメント(2)
全11件 (11件中 1-11件目)
1