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今日からインドネシアへ出張昨日、私の配慮不足から言葉が足りずにお母さんの理解を得ることができずあろうことか信頼を損ないAちゃんの英語の道を断ってしまった。不徳の致すところである一生懸命努力して山を乗り越えて英語を楽しめるようになってきていたと担当講師から聞いていただけに突然、道を閉ざされてしまったAちゃんに申し訳なく、何かできることがあるのでは、ととても日本を離れる気にはなれないのだが、インドネシアで始めたいと考えている新しいプロジェクトの実現の為にすでに村議会や村の婦人部、学校関係者との会議などの予定が組まれてしまっているので今更取りやめるわけにもいかず…「ウチの子は遅いんですよね」という言葉をお母さんは繰り返して訴えていらしたが理解するのに時間がかかる、じっくり型の生徒たちが成長とともにその力を発揮していく様を目の当たりにしている私にとっては遅い=ダメという認識こそ危険でありお母さんの理解と見守りの中でじっくりと自分と向かいあって経験を積み重ねていくことこそじっくり型のよい面を伸ばしてく為には必要だと考えていてそこを理解していただきたかったのだが…力が及ばないばかりか、最悪の結果になってしまった。ごめんね。Aちゃんそうは言っても落ち込んでばかりではいられない。今回インドネシアで立ち上げようとしているプロジェクトはそれこそ価値観の壁が次々と立ちはだかるだろう。習得の道を楽しんで歩き始めていた英語である。再びどこかの英語教室でAちゃんが学べる機会を与えて貰えることを願ってやまない。
2010年02月24日
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思うところがあって mixiで早期教育について書き始めたのでこのところ早期教育関連の本や文献を読みあさったりサイトを見て回っているのだが、先日、あるサイトでどうして我が子を天才にしたいのだろうか?という書き込みにぶつかった。天才にしたい?まさに私がこのところ持ち続けている疑問である。ある育てられ方をしたり、あることをトレーニングして、できるようになったら天才になれるのだろうか?そもそも天才とは、天賦の才を持った人という意味ではなかろうか?もちろん、出会いによってその天賦の才は開花し開花することなく埋もれさせてしまうケースもあるだろう。しかし、何かができるようにすることで皆が天賦の才を開花させるとはどうしても思えないのだ。そして、早期に「何かをする」ことで散ってしまう才もあるのではないかと思えてならない。数学オリンピック選手を育てた母親たちそのサイトで、余計なことをしない重要性もさりげなく書かれていると紹介されていたので、時間がある時に読んでみたいと思う。
2010年02月21日
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今日も教育評論家の尾木直樹氏の「子ども格差」から子ども格差先日行ったフィンランドメソッドをベースにコミュニケーションスキル向上を目的とした新プログラムの体験レッスンを新1年生に行っていて いたことがあったのだが、この本の中にその一因と思われることが書かれていた。子どもたちは常に何かにせきたてられるようになり、時間的・精神的なゆとりの損失に襲われました。子どもたちは慢性的に追いつめられている状態になってしまったのです。大人の目でみた「よい子」の大量生産が目指されているようでもあり、これではアイデンティティの確立もままなりません。自尊感情やコミュニケーションスキルが低下していくのも当然であり、こうした精神状態が続いていれば、必ず子どもたちの心の成長が歪んでいきます。以前タイムリミット感覚とワークリミット感覚双方を育てておくことの重要性について書いたことがあるが、幼いときにワークリミット(満足するまでやる)を経験しておくことは、自己肯定感を育てる上でも問題解決力をつける上でもとても大切なものだ。「やればいいんでしょ」学習では、伸びなくなるからだ。ところが、幼児期から、いついつまでに、これをやりなさいと常にお母さんにせき立てられててタイムリミット感覚ばかりが育っている子が多いと感じる。尾木氏によれば、日本の子どものこのような状況に対して国連の子どもの権利委員会は、1998年(平成10年)に日本の子どもは高度に競争的な教育制度のストレス及びその結果として(中略)発達障害にさらされていることを懸念し、改善するようにと勧告していました。しかし、日本政府は、その勧告を深刻に受け止めることなく学力向上を目指した「詰め込み教育」を進めてきました。そのため、2004年(平成16年)にも国連は「以前にも勧告しているのにまったく改善されない」と再度の警告を出してきました。2007年度にはユニセフがOECD加盟国24カ国の15歳を対象に行った「孤独を感じる」かどうかの調査では、日本の子どもたちの29.8%が孤独を感じていると答え二番目に多いアイスランドでも10.3%と自分以外の人は皆ライバル他を認めない、なんでも「競争」が生み出すものの深刻さを感じる。私が実践しているフィンランドメソッドの目的の1つは相手の言うことにも一理ある自分の考えにも非がある、という自分の意見や考え方を批判的に見ることができるクリティカルシンキング(批判的思考)の育成でありお互いの意見を認め合う仲間がいなければ学ぶことができない。従って、一緒に学習するメンバーを競争相手ではなく仲間として受け入れ、尊重する心が学習者にも親御さんにあるかどうかが最も重要なことだと言える。自分の考えに耳を傾け、意見を言ってくれる仲間がいるその経験が社会に出た彼らをきっと支えてくれるだろう。
2010年02月16日
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来月からスタートする実教室の三つの新しいプログラムの1つは学童へ行きたがらない生徒達の受け皿としての側面を持っている。学童に行っている生徒は実教室では、少数にもかかわらず以前からなのだが、どうしたわけか学童に馴染めないと1年ほどで辞めてしまう生徒がほとんどでシングルマザーで働かなくてはならないお母さんにとっては死活問題である。実教室にも学童に行きたくないと不登校になりやむおえず実家の近くに転居、転校したケースさえある。親の価値観の多様化にともなって子どもの育ち方も多様化しているので「お預かり」の学童より先生の目がいきとどいているはずの学校ですらいろいろと問題が起きているのだから学童が子どもによっては厳しい環境になってしまうのも想像に易い。また、小1プロブレムのように集団的規律を確立できない子が増加していることは学童にも影響を与えているだろう。子ども格差「少子化」によって一人っ子が増え、兄弟という集団の係わりがなくなってきています。また「地域のコミュニティの崩壊」によって、親たちの子育ても孤立化しています。著者の尾木氏は、この小1プロブレムの解決法として今の社会の問題点を見つめ直し、子どもたちの成長によって、健全な社会になるように変えていく努力が必要です。小1だけでも25人くらいの少人数学級にしたり、担任を複数配置したり、親たちも学校にクレームをつけるだけではなく「応援し隊」など、協力し合うことも大切です。何よりも、子育てと教育のパートナーとして親と教師が手を携えることが重要だと思います。さまざまな価値観の親がいて直接親同士が手を携えることは難しくても先生を媒介にして手を携えることはできるのではないだろうか?以下、次回につづく
2010年02月15日
先週から新プログラムの参加希望者に対しての体験レッスンが始まった。といっても新プログラムの外部募集はしていないので受講者は、皆、実教室の生徒たちなのだが、中でもフィンランドメソッドをベースにしたプログラムの人気が高く、新1年生のクラスは定員6名に対して参加希望者が9名と体験レッスンを見守るお母さん方の熱い視線に生徒達は、がちがち(笑)一方で現在1年生たちは、お母さんの視線を意識して若干固めではあったものの発言に個性が表れていて、とてもおもしろかった。このクラスの体験に参加したY君は、読むことと書くことに苦手が意識があるのでお母さんは、まずその苦手意識を克服するために自立学習獲得の為の別プログラムを申し込んでいたのだが、当日、皆が第二教室で体験をすることを知り「ぼくも参加したい」といい出したのでよい経験になるかもしれない、と一緒に体験させることにした。体験レッスンでは、自己紹介文を書いて発表しもっと知りたいことを、互いに言い合い、書き加えていく、というアクティビティを行いY君も一生懸命書いていた。しかし、読み書きに対する苦手意識から書き言葉の習得が十分でないようで、他の生徒の半分程度しか書けず言葉から発想したものを文字にすることもすぐには難しかった。翌日、Y君のお母さんが、Y君の妹のレッスンにいらしたので体験レッスンについて尋ねると、いつもは3回の音読も嫌、嫌、それも途中までで止めてしまうこともあるのに昨日は、自分から5回やるそれも最後までやる、と言うので驚いてどうして?と尋ねたら夢先生に、たくさん読むと書くのも上手になるからがんばろうねって言われたからがんばると…。涙ぐみながらおっしゃるので思わず、もらい涙?をしてしまった。Y君の学習姿勢が変わったのは、なぜ、音読をしなければならないかを仲間との学習を通して彼自身が理解したからに違いない。人間にはよくなろうとする芽が備わっていてほんの小さなきっかけの積み重ねが大きな成果を導く。これは、学習にも言えるだろう。「嫌い」を乗り越えた先には「楽しい」が待っている。そんな体験をY君にもさせてあげたい。
2010年02月08日
南房総に来ていますが、な、なんと朝は、時折みぞれが降り午後から晴れても冷たい風が吹き付けていました。昨日の続き…多種多様、玉石混淆の子どもの英語学習環境友達には「玉」でも自分には「石」ということもありもちろん実教室とて例外ではない。「みんないい、いい、って言うけど (実教室の)何がいいんだか、私にはさっぱりわからない」や「客を客とも思わない態度は何なのか」というお叱りの言葉を頂戴したこともある。面接に行った先の英語教室で責任者から父母の要求はすべて受け入れる対応は最優先に、と言われたと外国人講師から聞いたことがあるが、実教室では、指導中であれば、優先すべきは、目の前の生徒である。アポなしで突然教室に来ていただいてもすぐには対応できないし、許容範囲を越えた特別な要求に応えることは公平さを欠くことになる。価値観によって「玉」にも「石」にもなってしまう。いくら口コミがよくても、やはり自分の目で価値観で教室を判断すべきだ。そして評判も信じ込むことなく、参考程度に…。第二教室の近くにある全国展開している大手のM英語教室が、閉鎖されることになり三つ先の駅の教室に統合されることになったらしくこのところその教室にお子さんを通わせている親御さんから問い合わせをいただいているのだが、1人の親御さんから「二つ先の駅にあるM英語教室を辞めて そちら(実教室)に移った方が たくさんいらっしゃると聞いているので 是非、この機会に…。」と耳にして驚いた。その教室から移ってきたのは、二人だけである。うわさをしんじちゃいけないよ~♪(ふ、古い…)噂とはそんなものである。大事な選択する時には冷静さが大切で先入観は禁物だ。第二言語習得で言うところのコミュニケーション能力とは少なくとも言語能力(音声・単語・文法)、談話能力社会的言語能力の総称であり、教室環境でなければ学べない部分も多い。学習者が幼い場合は、我が子にとっての「玉」を見つけ出せるのは、親御さんしかいない。是非、自分の目と価値観を信じてよい英語教室に出合っていただきたいと思う。
2010年02月06日
この2月、3月は、親御さんにとっては子どもの習い事の切り替え時期で、講師にとっては、出会いと別れの季節である。先週の金曜日に配布したチラシが新たな出会いと再会の機会をもたらしてくれた一方で幼児から通い続けている高校3年の生徒達は、来月には、巣立っていく。彼らの成長を喜ばなければいけないのだが、寂しさが先に立ってしまう。毎年のことなのだが、何年この仕事をやっていても、慣れない…。一方でこの時期は、教室の真価を問われる時期でもある。もちろん教室の真価には、講師、運営者も含まれ他教室に通っている方からの編入の問い合わせで現在通っている教室の不満を耳にするたびに我が身を振り返り、自問自答させられる日々である。耳にする不満の多くは、指導内容よりレベルが合わないに代表されるクラス編成、レッスン時間、振替、講師が度々変わるなど教室のシステムに対するものでシステム面の不満が、講師や教室への不信に繋がっていくことがわかる。それもそのはずで、実はシステムこそその教室の運営者の価値観(考え)の表れなのである。英語は、子どもの習い事でスイミングに次いで第二位今や、全国展開の大手から公民館のサークルまで英語を学ぶ場も多様化し、まさしく玉石混淆更に、他の子にとっては「玉」でも我が子には「石」の場合もあり教室選びをますます難しくしている。そこに、利便性や融通性、金銭という条件が加わるとそれこそ、どこで折り合いをつけるのか最終的には親の価値観による決断である。そんな複雑で重大な決断を金銭的な好条件をちらつかせて体験レッスンを受けた後にすぐに迫る教室が英語教室にも増えているが、これもシステムから教室の価値観(考え方)がわかる一例と言える。もちろん、私も欠点だらけの人間なので実教室も改善の余地が山積「石」と判断されても仕方がないのだが…。続きは、次回 「うわさをしんじちゃいけないよ~~♪」で
2010年02月05日
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