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メイさんから私が投げかけた質問へのお答えをいただきました。メイさんからのコメントはこちらから>>でも、そこまで英語をやらせるその教室は、インターへの進学や海外留学を目指している方のための教室なのでしょうか?>よくわかりませんが、やっていることが『英語』なだけで、 スタンスはピアノやバレエなどの芸術系の習い事に近いような…… つまり、見込みのある者や努力する者には、 どんどん課題を与えて「今より上」を目指させるというか。>問題は、出るか出ないかというより、 この努力と犠牲に相応しい成果かどうか?という点なのです。メイさんがその教室に入られる時に先生から特組の最終的もしくは数年後の習得レベルについてお話はなかったのでしょうか?教室のメインの指導者の方は、カリキュラムを作成しているもしくは決定しているはずなので一度、特、甲組のコア カリキュラム(共通的到達目標)を先生に尋ねて、努力するに値する=通うに値する(教室な)のかを判断されてはいかがかと思います。もちろん、メイさんご自身が、お子さん自身の英語習得に明確な価値観を持つことが前提では、ありますが。>小さな教室なので人数的に制約があるのと 「合わない子は早々に違う道を見つけた方がいい」 という考えからだそうです。違う道を見つけた方がいいということは目指している道があるということですね。バイリンガルなんて生易しいものではなくてまず、英語を習得させて、次に英語と距離の近い言語をマスターさせる。目指せ、マルチリンガル!と言うなら合わない子には他の道を道を勧めるのもさもありなん、と思えなくもないのですが合わない子は、バイリンガルの道を諦めた方がいいというのであれば、善し悪しではなく、私は共感できません。【送料無料】外国語学習の科学こちらの本にも書いてありますが、外国語学習の適性を測るテストは、いくつか存在します。最も有名なのがMLATという適性テストで(ただ、これはアメリカの外交官養成機関が 外国語学習者の候補を選別するために作ったテストです)1.音に対する敏感さ2.文法に関する敏感さ3.意味と言語形式の関連パターンを見つけ出す能力4.丸暗記する能力という四つの異なった能力を測るように作成されています。しかし、適性の他に外国語の習得には、モチベーション、学習開始年齢などもかかわってくると言われています。>仮にそうなった場合の、本人の心の傷が心配です。>今の段階なら「親の都合で辞めさせれらた」と不満には思うでしょうが、 英語を好きな気持ちは継続することが出来るのではないかと思います。 うちの子は勝気で競争することが好きなので、 今のところ井(乙組)の中の蛙で楽しそうなのですが、 最後まで甲組に上がれないまま終わったら、 どれだけショックを受けるかわかりません。競争が好きなお子さんなんですね。(英語習得に勝ち負けを持ち込むこと自体、空しさを感じますが)だったら、勝負には負けがつきもの。何事にも、上には上がいてすべての努力がその時の「結果」に報われるわけではなく自分の力の未熟さや至らなさを認識させられることは人生の中で誰でも経験することであり、その「負け」をどのように乗り換え、何を学ぶかがとても大切だと教えてあげることも競争好きのお子さんには、大事なことだという考え方もありますよね。ちなみに私は、英語ではなくテニスをそれこそ勉強そっちのけで、上を、上を目指してやっている時代がありましたので「この代表選手に選ばれなかったからと言って その努力が無駄になるのか?」とコーチに諭され、乗り越えてきた経験が、今の私の礎でもあります。そして、自分の経験から生徒たちには「自分のライバル(競争相手)は自分」と教えています。>>暗唱課題は、何だったのでしょうか?ある超有名英語教材のDVDとCDの○○○です。(法的に支障がありそうなので伏字ですみません)私が思っている4番目のアルファベットから始まる教材なら大問題になると思います。>>甲組のレベルと今いらっしゃる組のレッスン内容を教えていただければうちの子の教材は前述のDVDとCD(&手製のプリント)ですが、甲組以上の子はそれらを卒業して、今は英米の小学生の国語教材らしきものの○○○です。三文字(笑)の国語教材らしきものは、いろいろ思いあたるので、はっきりとはわからないですが、>乙組以下の子は暗唱の時、音を呪文のように覚えているので、 一度つまづいてしまうと立て直せませんでした。 そもそも、ちゃんと聞きとれてもいなさそうでした。>これに対して、甲組以上の子は、暗記の精度はいい加減でも、 全体的な意味が通じるように忘れてしまったフレーズを 別な言葉に置き換えてまとめることが出来ていました。学習量で乗り越えられないものではないと思います。半年後のお子さんが、今の甲組以上の子どもたちのように別な言葉に置き換えてまとめることが、できる可能性は多いにあると思います。お子さんのモチベーションが下がっていることが気になりますが…。>ただ、タイトルの「10分」で出来ること、の意味ですが、 同じ「10分」でも、才能のあるものと無いものでは 全く内容が違う10分なのだな……と。 ピアノの先生ではありませんが、 最初のレッスンで「この子はモノにならない」と思っても、 やめさせませんよね?ピアノでモノになると思われる=ピアノが上手になる=コンクール入賞者になる=職業ピアニストになるつまりモノになるということは「身を立てる」ということかと思いますが、英語でモノになると思われる=英語が上手になるここで終わりです。英語がいくら上手であっても、それだけでは身を立てることはできません。これからの世の中、英語を話すことが普通になりますから一層その傾向が強まるでしょう。英語の場合この先は、その人の別の能力があってモノになるかならないかが決まると私は考えているのです。私にとってモノにならないと思う生徒=習得を達成できない生徒は努力ができない子であり、努力ができる子は、必ず英語習得を達成するのでそういう意味では、すべての子がモノになる可能性があると思っていますので最初に会った段階で、モノにならないと思う子はいません。私は、メイさんのお子さんが通われている教室の先生と英語は誰にでも習得できる、と考えているので英語習得の価値観について大きな隔たりがあります。メイさんともあるかもしれません。社会人になった生徒たち(卒業生)を見ると英語力を必要とする仕事についている生徒たちも多いですが、あまり努力することがなく、さほどの習得もしていなかった生徒が大学で自分の専門分野を見つけ、留学し、英語圏で就職していたり高い習得をしていた生徒でも、英語とは無縁の仕事をしていたりと(もちろん原書を読んだりして楽しみの部分で英語は活かされていると思いますが)長い人生の中で、英語がどのように人生とかかわってくるのかがわからない段階で、他の大事なことを犠牲にして英語に入れ込ませることは危険なことではないかという強い思いがあります。所詮、英語はツールにしかすぎず、それをどのように使うか、活かす力を育てることが大切だという価値観で、指導を行っています。したがって、海外の大学に自分の学びたい分野があったら言語の壁を気にせずに、行くことができる英語力があれば十分と考えカリキュラムを組み、MLATで測られている4つの能力を学習開始年齢とトレーニングによって上げる取組みを様々な角度から行うことで、生徒たちは、適性いかんにかかわらず努力に応じて習得が達成するようになりました。適性がある子なら5分でできることを適性のない子は10分、20分かかるその10分、20分の努力ができるか、できないかが習得の分かれ道なのでありその努力する力をサポートすることが講師の仕事お1つだと考えています。私はこのような価値観の持ち主の講師なのでメイさんのご質問に上手に答えることができない。と感じていますし、きっと、別の価値観をお持ちの先生であれば、もっと上手にメイさんの気持ちを汲んで有意義な回答ができるのではないかと思い申し訳なく思っております。よい決断の為に役立てていただける箇所が1つでもありましたら幸いです。また、このブログをお読みいただいている方に考える機会を与えていただきましたこと御礼申し上げます。
2010年12月29日
昨日から冬期講習が始まった。小学校6年生の華奢な背中から高校3年生のがっちりとした青年の背中が並ぶ教室や20年前に小学1年生だった生徒が今は講師として生徒たちを指導する姿を見ていると正に、光陰矢のごとし、である。今朝、ネットのニュースで偏差値埼玉県で再導入という記事を読んで、私が修業時代埼玉県内の教室で中学生を指導している時は北辰テストという業者テストが、かなり幅を利かせていたことを思い出した。90年代の業者テスト追放に合わせて学校現場から消えたはずの偏差値だが、進学指導を学習塾に頼る傾向が強まったことから「復活」した。県教委によると09年度は423校のうち391校で公的テストが実施された。3年生約6万人が受けたとみられる。テストを作るのは中学の教師が中心だが、業者が問題作成、採点、データ作成をする地域もある。だからと言って進学指導を学習塾に頼る傾向は変わらないだろうと親御さんから学校の担任との進路相談の内容進学塾の先生との進路相談の内容の双方を聞いて判断を求められることの多い私は思う。そして、もちろん、文部科学省は「公的テストについては把握していない」と、言うものの埼玉だけではなく、東京の公立中学校でも先日、区内の公立中学に通う1年生の生徒が「この間、学校でやった実力テストの結果です。」と言って通知票に貼られいる偏差値が記載されたテスト結果を見せにきたようにかなりの学校で公的テストは実施されていると思われる。生徒が受験した私立高校の中には受験前の個別の面談で業者テストである模擬試験の結果を3回分提示するように求めたところがあったなど高校側も学校によってばらつきのある学校の内申点より業者テストの偏差値を信頼しているようにも感じられる。受験案内本には、学校の偏差値が記載されている。親はもちろん受験生が自分の偏差値が知りたいのは、当たり前だ。偏差値は偏差値数値以外の何ものでもないはずなのだが「偏差値にとらわれない進路指導を」と言いながら実際には、保身の為に偏差値を「悪」とし学校から追放したと考える親御さんが受験のプロである進学塾を頼るのは当然のことと思えるし思春期に向き合う高校受験では、本人の意志が主となり毎月のようにテストを行い詳細なデーターを示しながら学習方法(合格方法)を教えてくれる塾の先生を信頼するのは、ごく自然なことだと思える。ただ今回の決定で、塾に行けない受験生たちが学校でお金をかけずに偏差値という自分の今の立ち位置を知ることができるようになったことは実に喜ばしい
2010年12月26日
久しぶりに、「タイトルにひかれないで!」という本に出合ったので勢い余ってamazonにブックレビューを書いてしまった。まだ、子供に「ムダな英語の勉強」をさせますか?このページに来たあなたは、とても問題意識の高い方だと思います。英語ができない人は、学校の成績が上がらない…。英語ができない人は、難関大学に進学できない…。英語ができない人は、一流企業どころか就職もおぼつかない…。そういう時代が、もうすぐそこまで迫っています。日本人に合った、そして子供に合った「正しい英語習得法」が必要になります。「ウザワ式英語習得法」の開発者として国内だけでなく、海外でも高い評価を得てきました。もうあなたの子供は英語ができないでは済まされない!親が抱える漠然とした不安を煽り、つけ込むのもいいかげにしろ!である生徒の親御さんに「先生、この本ご存知ですか?」と紹介されてという経緯で、この紹介文を読んでも購入したが、帯にあった40年間で1万人のネイティブを輩出した…英語の天才を育てる…英会話もバッチリ!…卒業生の英語習得率100%…英語の天才って何?英会話もバッチリ、ってどの程度?卒業生の英語習得率100%って、みんな同じ習得レベル?バイリンガルを飛び越え?、ネイティブ!!???何を言わんや…である。どんな出版社なのかと、訝しく思い、検索をかけたら…なるほどね。と納得(時間のある方は是非ググってください)読んだ感想は、楽天ブックスでこの本のレビューを書いている★二つの方と同じこちらすべての人に同様の成果をもたらす指導法はない、=どんな指導法でも成果はもたらすつまり、どんな指導法であれ100%良い、悪いというものはなくよい指導法や講師かどうかは、成果が期待以上か以下などで生徒とその親御さんが判断するものというのが私の持論であり「ウザワ式メソッド」についても私には、体験認知型の指導理念に基づいている私の指導法や考え方とは異なるが成果の上がる指導法の1つである。としか言えない。しかし、第二言語習得を専門にしている教授たちの研究を重ねて構築した指導理論や指導法は専門書などで学習し、自分の指導にも取り入れているが、「ウザワ式メソッド」も著者の鵜沢戸久子氏が海外で高い評価を受けている方とも知らなかった。又、臨界期仮説を臨界期説とし「言葉の臨界期は、せいぜい8歳から10歳と言われている」や自説の正しさを証明するために、まだ研究途中である脳学的解説を用いていたりと根拠に乏しい、うすっぺらな印象を与えるのは、とても残念。著者が40年間生徒たちの習得と真剣に向かい合ってきたことはわかるし英語講師として全く同じことを感じ、共感できる部分もたくさんある。しかし、それらは、何も著者や私でなくても、長年この仕事をしていれば感じることであり、紹介されている「素晴らしい成果」についてもどの講師も試行錯誤の上、自分のメソッドを実践し同等の成果をあげている「普通」のことではないかと思うのである。この本を読んで家庭で「ウザワ式メソッド」を実践している方もおいでのようだが、鵜沢氏がこの本の中で書いている「子どもの学習への親の係わり」を守ってどこまで家庭で習得を達成できるのか、疑問を感じる。ここに書かれている同等の成果が上げられなくても、お子さんやご自身を責めないでいただきたいと思う。どんなに優れた指導法であっても学習者全員に 同じ習得をもたらすことは、ないのだから。(この事実を悪用している書が多すぎるのも、問題ですが)
2010年12月25日
メイさんからコメントが届きましたいただいたコメントはこちらから>不躾な質問にお答え頂き痛み入ります。いいえ。私もコメントのやりとりで勉強させていただいております。考える機会を与えていただき、ありがとうございます。>入会当初の説明では、未経験者の入会チャンスは小1の6月まです。>習熟度によって特、甲、乙、丙に分かれています。>たびたび編成替えが行われています。>毎週リスニングと暗唱の宿題があり、ここまでは、ウチの教室???と思うくらい同じですが… >うちの子供はその宿題をこなす為に毎日1時間前後CDを聞いています。1時間!!!…ウチは毎日15分程度聞けば覚えられる宿題です。(爆)>ママ友は「3年間もやれば旅行に必要な会話程度は喋れるだろう」 と考えているようです。 私はこれだけの犠牲と努力を払っているのですから、 小学校卒業までに英検2級程度はリスニング能力だけで パス出来ても良いのではないか? と考えています。私の教室は、小学生のうちに特別枠入試などで必要となるケースを除いて2級を受験させることはしていませんが(内容的におもしろくないし、 中学で取った方が学校で表彰されるなど喜びが大きい)小1から通い始め、週1回のレッスン、1日15分程度の暗唱課題で中1で英検2級に合格する生徒たちがいますから(語学のセンスがあるのではなく、母語の言語力が高く できるようになりたいとコツコツと努力する子たちです)>うちの子どものレッスン時間も週2から週3回になりました。週3回のレッスンを受け、毎日1時間家庭で英語を学習していれば、6年生時に英検2級なんて、たとえ『英語習得に関して特別向いているわけではない生徒』であっても、軽く合格できると確信します。(恐らくこのブログをお読みいただいている 英検2級を指導されている日本人講師の方や お子さんが英検2級に合格された多くの方は 同じように感じていると思います。)でも、そこまで英語をやらせるその教室はインターへの進学や海外留学を目指している方のための教室なのでしょうか?6年生で英検2級に合格させるためなら週3回のレッスン、毎日1時間もかかる宿題をやる必要はないのでは?と不思議に思います。>一種の参観日のようなものがあり、そこで生徒が一人一人暗唱をしたのですが、 うちの子のクラスのメンバーの殆どは、課題の音をオウム返しに喋っているだけで、 センテンスの大意すら理解していないようでした。 よく聞きとれていないのに、イントネーションだけ真似て 暗唱をしているフリをしているだけの子もいました。暗唱課題は、何だったのでしょうか?小学2年生の情緒レベルに合わないような課題だったのでしょうか?>他の指導法(パターン学習)の教室に変えることを検討しています。 もっと早くから始めさせていれば、あるいは特別な才能(語学センス)があれば 今の教室でも成果が出たのかもしれません。絶対に成果は出ますよ。それだけ努力して出ないわけがないです。>入会時に、小3の学年末に最終的なクラス分けをし、 その時点で甲クラス以上でなければ退会を勧めるので覚悟して欲しいと説明を受け、 子どもは今まで必死に努力して来ました。え?できないと小3で辞めさせられるんですか?本人が努力しても到達しないとダメそれは厳しい。その教室が目指しているものがわからないので何とも言えませんが、子どもには習得の特性がそれぞれあって5年生の後半すぎから伸びてくるケースもあるのに…>でも特、甲組の壁はあまりにも高すぎました。甲組のレベルと今いらっしゃる組のレッスン内容を教えていただければその壁が乗り越えられるものなか、られないものなのかアドバイスさせていただけるかもしれないのですが…>残り一年、わずかな希望に賭けて死に物狂いであがくか、 それとも今の時点で撤退・転向すべきか。 本人が可哀相なほどの努力を積み重ねて来ているだけに、 親としては悩ましい限りです。遊びや体験が大切な低学年の時期に週3日英語に取られ毎日1時間の課題をやるご本人の努力も犠牲も相当に重いものだと思います。本当にそこまでしなければ、クリアできないレベルとは何なのか…と教えている私は考えてしまいます。>私は身内に音大講師がいるのですが、 その者に言わせると「ものになる子(幼児)かどうかは最初のレッスンで判る」 のだそうです。 英会話もそうだったら良いのにな、と思います。同じことを生徒の親で私の友人でもあるピアノの先生に言われました。「ピアノなら、最初の音を出した時にどのレベルまでいくかわかるけど 英語もわかるもの?ウチの子才能ある?」と (笑) 音を掴むこと、再現することが得意な子は、語学習得に向いていると言われています。でも、母語の獲得が早かった子が、高い母語の言語力を有するわけではないように英語も同様だと思います。>私も「スタートは遅くても努力しさえすれば、必ず報われる」 と子どもに教え、励まし続けて来ました。 でも、うちの子が努力するのと同じ、いやそれ以上に、 特・甲組のメンバーも努力しているのですよね。 しかも基礎能力に差があるので、その差は開く一方です。開始時期が早ければ、それだけ長く英語学習をやっているそれも言語習得能力の高い時期に、ということになりますからウサギ と カメ の話しではありませんがウサギが寝なければ楽勝でカメに勝っていたでしょう。でも、英語は、コミュニケーションのツールにすぎません。何を英語で表現するかが問題になります。特、甲組のクラスと比べられるのはやはり、小3の終わりまでに甲に入らなければ退会させられるからなのでしょうか?クラスが下がるのなら、その教室で努力して復活するという道が残りますが、退会では、その教室で学習する道が断たれてしまいます。まだ小学校2年生のお子さんがそんな気持ちで英語を懸命に学習しているとしたら…正直、遣りきれません。>うちの子どもの英会話教室の先生も、 入会当初は同じようにおっしゃっておられました。 でもこの不況(と少子化)から、途中で経営方針が変わったようです。>先日の参観で、同じクラス(小1~2から始めた子と、 未就学から始めたけれど、本人の努力不足などで 成果の出ていない子の混合クラス)の様子を見て、「ああ、この子達と一緒のレッスンなんだ」とがっくり。お気持ちはわかりますが、今のお子さんのクラスが丙(一番下)ではない限り努力しない子どもたちは、段階的に今だけそのクラスにいる可能性もありますし、言語産出期に向けて、もうすぐ導入されるであろう今までの暗唱で培った力を使う段階のレッスンになれば下のレベルのクラスに移動になるのではないかと思います。(おそらく、3ヶ月から半年以内で)また、今後、パターンで指導する教室に移動する場合もその段階のレッスンを受けられてからの方がよいと思いますので、暫く様子を見られてはいかがですか?>つまらない質問にお付き合い頂き、ありがとうございましたいいえ、少しもつまらない問題ではないですよ。力不足でお役に立てず申し訳ありません。メッセージで教室やレッスン内容の詳細などを教えていただければもう少し具体的な(本音で?)お答えができるかもしれません。
2010年12月24日
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昨日で年内の通常レッスンが終了冬期講習開始まで2日ある休みで大掃除をする予定だったのだがちょっと体調を崩していることをいい口実に、掃除をサボり、自宅でゴロゴロと読書中(笑)私は、読んだ本の中の引用文や印象に残った文帯の推薦文を書いた人物を手繰って本を読みあさるネットサーフィンならぬブックサーフィンが好きで今回も 生徒のキャラ発言からスクールカーストに再度関心を持ちスクールカーストからいじめを分析したいじめの構造を読みスクールカースト以外に英語教師になった教え子が他区の中学に転任になって1年を過ぎて「不登校」になってしまった原因が本人が相談に来た時にはわからなかったが森口氏がこの本の中で「教員がいじめに鈍感になる理由」としてあげられていた職員室内での「いじめ」の例事なかれ主義が徹底している学校にあってやる気のある職員はうっとおしい存在である。に彼女の状況がピッタリ当てはまっており学校職員間のいじめであったことがわかり学校内部で何が起こっているのか知りたくなった。そしてもう1つ今時の先生だから(規範の内面化といじめ免疫の獲得)できるのです。これが一昔前の先生や、2007年度から退職し始める団塊世代の先生ではとうてい無理でしょう。なぜなら、彼らは「価値観の押し付け」は教育ではないという迷信に取り憑かれているからです。の「価値観の押し付け」にピン(理由は、こちらをお読みください。)とキィーワードを思いついたので、amazonで検索をかけ【送料無料】学校の先生が国を滅ぼすという元校長先生が書いた本を読んでみた。いくらなんでも、今はここまで酷くはないだろうが…現実の社会では到底許されない正に森口氏が著書で書いている中高年の教員の中には学校が治外法権であるかのごとき思い上がりを持った者がいますが、とんでもない話です。のオンパレードである。信じられないような先生の行動、いや、暴挙の数々が記されている。もちろん彼らは、罰せられることもなく今もなお、教職についている可能性が高い。民間なら当然「解雇」である。全うな考えを持って生徒と向き合っている先生たちがこのような先生たちに潰されないことを願うばかりである。なぜ彼らは、日本を愛せないのかと、この本の帯に使われている巻末の解説を書いているのはジャーナリストの櫻井よしこ氏そこで、氏の本をamazonで検索【送料無料】日本を愛すればこそ、警鐘を鳴らすを注文。「学校の先生が国を滅ぼす」のあとがき「おわりに」で著者が引用している田母神氏の思うに歴史を見るに二つの立場がある。1つはこの国を断罪する立場で歴史を見る見方である。もう1つはこの国に深い愛情を持ってみる見方である。普通多くの国は後者の見方で自分の国を見ていることが多い。しかし日本の学校で教えられている歴史は日本を断罪する立場で見ているのではないか。これが日本人が自信を失う大きな原因になっている。を読んで、以前読んだ比較文化学者でもある中国人作家の日中問題はある意味で、日本の内部問題でもあります。なぜなら、中国や外部からの「反日」以前の問題として、日本国内ですでに「反日」的自虐行為、自己嫌悪がはびこっているからです。日本に長く暮らして、これほど自国に対して嫌悪感を持ち、無限の自虐を生活様式に取り込んだ国民が多いことにわたしは、驚愕を禁じえません。言葉を思い出した。「キャラ」を振り出しに「戦後教育」まだまだサーフィンは続きそうだ。フィンランドメソッドのレッスンで1人の生徒が作文にフィンランドメソッドでの授業についてこんなちっぽけな本から、大木のえだのような調べ物ができるなんて、ゆめにも思いませんでした。と書いていたが、自分の感じたことを手繰って知識を深めていく「学び」こそ人生を豊かにする「喜び」であり「楽しさ」であるということを、私も常に生徒から学ばせてもらっているのだと思う。
2010年12月23日
12月14日付けの日記にいただいた質問にお答えしたいと思います。12月14日の日記とコメントはこちらメイは苺のメイさんへまず、文字数に制限のあるコメントでのご質問なので>うちの子は今、母語方式の英会話教室に通っていますが、一般に母語方式と括られている指導法は数多くありどのような指導法、クラス編成がなされている教室なのかわかりませんが…>その教室の主流というか主力というか・・・・・・は、 やはり未就学の頃から始めたお子さん達。>就学後の入会者は、一部の編入組を覗けば、 生徒ではなく「お客さん」として教室の経営を支えるだけの存在です。>同じクラス(レベル)の保護者達は、ただ未就学の頃から始めた生徒が多いだけではなくその生徒達の習得に合わせたレッスンを行っている。つまりレベル別クラス編成にはなっているが厳格ではなく母語方式を習得に結びつけるために必要なインプット量を確保する家庭での取り組みを行っていない教室なのではないかと推察できる。>このままその英会話教室をずっと続けていれば、 いずれは「英語が喋れるようになる」と信じていますが、今、何歳なのか?そして、「何歳」で「どの程度喋れる」ことを意味しているのか?>先日レッスン風景を見学して 「ここにいる限りそんな日は来ないな」と確信しました。また、レッスンの中にそのように強く思われた何かがあったことはわかるが、それが具体的に何かがわからない>夢先生のお教室には「このまま続けさせても・・・」 という生徒さんはいらっしゃらないのでしょうか?>そういう生徒さんがいた場合、 どのように指導なさっておられますか?『このまま続けさせても…という生徒』が=レッスンについて来られないレベルの生徒=お客さんという意味なのか、コメントのタイトルからの流れから『英語習得に向いていない生徒』を意味しているのか…>子どもにとって良い判断をする為の1つの参考意見として、 お聞かせ頂ければ幸いです。子どもにとって良い判断が、『他の指導法で指導している教室に変える』ことなのか『英語を習うことを止める』ことなのか…と、肝心な部分を推測、仮定で答えさせていただくことに加えてブログではお答えできる範囲に限度がありますので参考にならない可能性が高いことをご了承いただきたいと思います。英語だけを取っても様々な指導法、講師の考え方がありますが、私は、外国語が習得できないというLDでない限り誰でも、習得に必要な自主的で能動的な努力をすれば外国語は、母語である日本語と同レベルに習得でき、いくら幼い時から始めても、習得の為の努力を怠れば本来習得できるであろうレベルには到達できないと考え学習者のトレーニングを見守り、習得をサポートするのが講師だと思っています。その上で、同じ努力量なら言語習得能力に優れた5歳までに始めた方が、BISC(basic interpersonal communicative skills・日常会話能力)の習得は速いと感じられ、多くの方にこの時期から始めて欲しいまた、私の教室の指導法であるナチュラルアプローチ、インプット量を確保するための暗唱が受け入れにくくなる7歳前に始めて欲しい、という理由から 未就園や幼児枠を増やし、就学後(1年生のみ)の入会枠を減らしていますのでそう言った意味では、私の教室の主力、主流も未就学前に学習を始めた生徒たちです。しかし、言語能力には、もう一つCALP(cognitive/academic language proficiency)という学習のための言語能力があります。帰国子女の中にもBISCで止まってしまってしまっているケースがあり問題視されていますし、就学後から始めた場合でも母語の言語力が高く、能動的に努力を楽しむ生徒たちは中学年になると、未就園から学習を始めていた生徒たちと習得の仕方は異なっても習得全体から見えれば遜色ないレベルに達することから母語方式であっても年齢や習得に応じて指導方法やアプローチは変わるべきだと私は考えています。(実教室には、6つのレベル別カリキュラムがあり かなり厳しくレベル別クラス編成を行っていますので 1年生から始めた生徒たちのクラスと未就園や幼児から学習を開始した 同学年の持ち上がりクラスでは、アプローチや指導内容が異なっていますし 暗唱課題がスムーズに行えない生徒たちのクラスは 高学年になれば、パターンプラクティス主体のレッスンです)実教室は上記のような教室ですので私にとっての『このまま続けさせても…という生徒』は『レッスンについて来られない生徒』=お客さんや『英語習得に向いていない』と考える生徒ではなく『私の教室で学ぶことを能動的に楽しめていない や自主的な努力をすることが難しい生徒』です。複数年指導していく中で、私の教室とは異なった指導法や環境で学んだ方が伸びると感じる場合は本人、親御さんにその旨を話し退会を含めた最善策を話し合います。たとえば、小学生の場合は、1年生で入会後1年間で、本人へのアプローチはもちろん、親御さんに、英語の学習習慣がつくまでのサポート(声かけと確認)を担当講師が再三お願いしても、習得に結びつける最低限のインプット量の確保を家庭学習で行うことが難しい場合は、2年目の更新の時に このまま続けていても相応の成果は出ないことをお伝えし、努力しないから『できない』が『英語できない』というコンプレックスにすり替わる危険性から親御さんに、家庭学習が指導に影響を及ぼさない指導法を用いている他の教室に移った方がいいのではと提案します。私は、その生徒にとって自分の教室が指導を含めよい学習環境であるか?という視点で、常に生徒を見つめ、判断することは子どもの大切な時間を預かっている講師としての責務だと思っているので経営を支えるためだけのお客さんの生徒を作るのは講師として責務を果たしていないことになります。最後に、メイさんのおっしゃる子どもにとって良い判断が、『他の指導法で指導している教室に変える』ことなのか『英語を習うことを止める』ことなのかそのどちらでもないのかわかりませんが、教室を変えるかどうかと想定して、お答えさせていただきますと100%満足する完璧な教室ではなくても最低限『託す』気持ちになれないお教室に通わせるのはお金とお子さんの時間の無駄ではないかと思います。ただ、習っているのはお子さんですからお子さんが今の教室で習うことに問題を感じてない場合は、どのように納得させるかが、大切になると思います。お子さんが前向きに努力できる環境こそ習得に結びつく『お子さんにとって良い教室』ではないでしょうか。ご参考になる部分があれば幸いです。
2010年12月21日
昨日は、実教室のクリスマスパーティー今年も第1部、第2部、合計で90名ほどの生徒が参加した賑やかな会になった。通常レッスン以外のパーティーや発表会といったイベントに対して親御さんの考え方が様々なように教室運営者の考えも様々でイベントの類を一切行わない教室も多くあるが実教室では、通常のレッスンではできない体験をする機会として親御さんに協力していただきながら開設当初からずっと行っている。年長以上の生徒にとってハローウィーンが「異文化」を楽しむイベントならクリスマス会は、夏休みに暗唱した物語を劇仕立てにして発表したり高学年の生徒たちは、中、高校生と一緒に外国人講師が作成したクリスマスにちなんだ劇やフィンランドメソッドの授業で調べたことなど自分たちが学んだことをを、他の生徒や親御さんの前で発表する場だ。(と言っても、学芸会のように特別な練習をするわけではないので 衣装や舞台装置もない簡素なものです…)昨夜も練習では上手にできていたのに生徒や親御さんを前にした本番で、台詞が全く出てこなくなってしまった生徒もいたが皆で助け合い、協力して成し遂げる、という体験が大きな喜びとともにできるのは、「教室」だからこそ経験ができることの価値を認める大勢の親御さんが、我が子が出演する、しないにかかわらず参加させて、体験の「舞台」を作る協力をしてくださるからに他ならない。実にありがたいことである。「先生、毎年大変ですね。」と親御さんから労いの言葉をいただくが生徒たちの成長も見ることができるし私も毎年、クリスマス会で学ぶことがある。今年は、ケーキ屋さんのアウトレットでは、この時期、スポンジの切れ端で作ったロールケーキもどき(100円)は午前中の分は開店数分後には売り切れてしまうこと(開店前から並んでいたので買えましたが…)そして、青年海外協力協会に「ワールドボックス」という国際理解教育の為の民族衣装や教科書、生活雑貨などが入っている国別の貸し出し用教材があることを学んだ。(笑)(貸し出し料3000円+往復の送料約3000円)来年は、生徒達やスタッフからどんなアイディアが飛び出すのだろうか毎年、クリスマスパーティーが終わると、一気に年末、センター試験へと向かう体調に気をつけて、がんばらネバダ
2010年12月20日
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生徒たちの国語と算数の習得を見るようになって私が知りたかった(検証したかった?)ことの1つは早くから字を読める、書けることがその後の国語の学習に、早くから計算やパズルをやっていることがその後の算数の学習にどのような影響を与え、学習効果と言えるものを見ることができるのかである。英語については、学習開始時期や指導法によって習得が異なるので、先取りした=中学、高校、大学で英語ができる という図式は成り立たないが指導開始時期や指導法、そして個人の能動的な努力によってそのクラス全員が一定の成果をあげられることから効果があると私自身の経験から理解している。しかし、国語や算数については、今まで幼児教室などで早期教育すなわち先取り学習をしてきた生徒達の多くが小学校高学年以降に国語や算数が「できた」というわけではないし就学前にひらがなを書けたり、読めたりする生徒とそうでない生徒の獲得の差は、半年ほどで見られなくなるという実際に小学校で指導に携わっている専門家の発言もあり先取り学習がその後の学習に与える影響はもちろん早期教育=才能を開花させる教育という括りに対しても懐疑的だ。長年この仕事をしていると凡人である私には、とても理解できない才能を持った子どもに出合うことがある。そのような子どもたちは、他人が才能を開花させなくてもそのとてつもない才能の片鱗を感じさせる「違い」と輝きを放ってくる。こちらの本は、そんな才能を持って生まれてきた子どもを持ったお母さんたちによって書かれた本である。数学オリンピック選手を育てた母親たち英語では このような子どもたちをgifted childrenと言う。欧米では、人は神によって作られたと考えられていることがよくわかる言葉でもある。個性の違いを認めるということは、個が持っている能力の違いも認めるというスタンスである。才能は、開花させることよりも、大輪の花を咲かせ、実を結ばせる環境に出合うことが難しいと感じる。。まさに、天は二物を与えず、なのである。我が子の才能を開花させよう、とまでは思わなくても「やっておいて悪いことはないだろう」と幼児教室に通い始める親御さんも多いが早くやったがゆえに、早くから勉強に興味を失うケースも多いと教育関係者たちから指摘されるなど後悔している親御さんも少なくない。国語と算数の取り組みを始めて、そろそろ1年がたち取り組みによる影響が生徒達の変化となって見え始めると同時に先取りをした、しない生徒達の現時点での違いも見えてきた。確かに、巷で言われるように情報の信憑性の判断も親の自己責任なのかもしれないが親御さんが子どもにとって良い判断をする為の1つの参考意見として、私が生徒達から学んだことや先輩ママさんの声をなんらかの形で提示して役立ててもらいたいと考えている。
2010年12月14日
今日は、非常にローカルな話題です。年末に実教室の関係者の慰労を兼ねて行っている食事会最寄り駅の1つが再開発され、建った商業ビルには、それなりに有名なお店も入っているだが、マスターやシェフ、経営者の顔が見えるお店が好きなのでエリア的にお店はたくさんあっても満足できる店は少なくおまけに、駅から徒歩圏内となると毎年、お店選びに苦労する。今年もどうしようかと頭を悩ませていたら夫が「今年は、居酒屋や和食じゃない店がいい」と注文をつけてきた。夫が嫌がりそうな某有名イタリアンにしてやろうかと思ったがワインも高そうだし…(笑)隣駅から少し離れたところにある友人の誕生日会をやったイタリアンにタクシーで行くしかないなぁ思っていたらテニス仲間の食いしん坊の姐さんから「駅近くに小さいけど、まぁ美味しいイタリアンができたわよ」との情報がイタリアで食べ歩いた仲である彼女の「まぁ、美味しい」は信用できる!とちょうどその日に友人と食事をすることになっていたので待ち合わせの場所を変更して、下見を兼ねて第二教室の側の駅の路地の突き当たりにあるそのお店に行ってみた。古い民家をレストランにした、という友人の指摘どおり店名がついた看板がついていることを除けば、ただの古い民家である。玄関で靴を脱いで、廊下の左側が6畳二間をぶち抜いて、テーブル席が六つセットされたこぢんまりとした店内。雰囲気はである。定番のメニュー以外は、鴨居の上にある黒板に書かれていて食事のメニューは見開き1ページのみメニューの大半はワインリストそれも、赤、白に別れているだけではなくイタリア北部、中部、南部に別れてリストアップされている。私は北部(ピエモンテ)と中部(トスカーナ)のワインが好きなので白はハウスワインにして赤は、ちょっと奮発してバルバレスコをオーダー(市価の3倍くらい取るお店もある中、なかなか良心的な価格)すかさずオーダーを取りにきたシェフの奥さん?が「北部のワインがお好きということは、フランスワインがお好きなんですか? 私は、南部の刺激のあるワインが好きなので チリワインが好きなんです」と、さらり…。料理は、味もポーションも都会レベルなのに値段はエリアレベル徒歩で帰れるところで、この味が食べられるなんて~~幸せ~でした。(後半酔っぱらっていましたが…)一緒に食事をした夫の友人もデザートのパンナコッタも完食し、「やっぱり居酒屋と違って。 たまにはイタリアンもいいですね~」と大満足。でも、このお店、店名にオステリア(居酒屋)と…。聞けば先月オープンしたばかりとかがんばって欲しいな~。大人の隠れ家といった雰囲気の居酒屋さんなので子ども連れには向きませんが夫婦や友人とちょっとした食事会にはピッタリだと思います。もちろん、年末の食事会の予約をして帰りました。桜島先生、3月の食事会楽しみにしていてくださいね~不親切なお店ガイド店名にイタリア語の「栗」がついてます。第二教室近くの駅の改札を背に正面の道路ではなく右手に出て(前に持ち帰り寿司や)右、線路に並行して進み居酒屋の白木屋とむらさきの間の路地を入ると、突き当たり正面にある家です。(駅から徒歩1,2分)(路地の入り口にメニューが書かれた黒板のボードが目印)パスタランチ 880円より
2010年12月12日
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先週、小学生の生徒の親御さんから「先生は、学校(小学校)を休ませて 海外旅行に行くことをどう思われますか?」という質問を受けた。この問題は、web上でもよく話題に上がっているが親(大人)の価値観(倫理観)によって意見(判断)が異なる。先日紹介したフィンランドを学力世界一に導いたオッリペッカ・ヘイノネン氏が「大人の責任」についてオッリペッカ・ヘイノネン「学力世界一」がもたらすもので、このように語っていた。わたしは、フィンランド社会に成人らしさ親らしさの欠如を見ています。この変化、そしてあまりにもたくさんの選択肢があることがいまや人びとの重荷になっています。さまざな刺激に囲まれ、生きていく上での道しるべもありません。私の世代(氏は1964年生まれ)にはまだ存在していた手本となる生き方もありません。残念ながらこのことは、多くの人が決して大人になることのない社会を生み出しているように思います。彼らは自分の責任、自分の行いに対し責任を負うことがなくいつまでの自分のアイデンティティを探しているのです。次世代の大人になる力が弱まっています。これはあまり健全な状況だと思いません。同じような考えを著書【送料無料】一億総ガキ社会で述べていた片田氏も1961年生まれ私を含め次世代がとても気になる年齢なのかもしれない。ヘイノネン氏は、こう続けている。この変化のただ中にあっても変わらないものがあります。しかし、それに目を向けることは難しいことなのです。でも、私はある要素、すなわちある価値観が強固に存在し続けることはとても大切だと思います。(中略)彼らに何か道しるべとなるものを与えなければ彼らには何もないですし、反抗すべき対象を写す鏡もないのです。彼らが議論し、異なる意見を持つこともできなくなります。そういった力をつけることは、お互いを信じ、ひとりひとりがよい意味での自信を持つために非常に大切なことなのです。わたしが今日の世界に欠けていると思うものは、そういった大人らしさ、親しさです。子どもにコンピューターを教えるとき、われわれは子どもが人としての価値観や理性を持ち合わせていると思いがちですがそうではないのです。それを教えることは、大人の責任です。そういったことは、子どもはコンピューターの使い方を学ぶようには学びません。論理は、現実の大人、われわれの世代が示すものなのです。スクールカーストといじめにいじめについて書かれた本を何冊か読んだが、その中の一冊いじめの構造(先日紹介した同名の本をこの本の著者が独自の見解を加えて書いたもので こちらの方が理解しやすかったです。)で、著者で元中学教師だった森口氏が一昔前の先生や、団塊の世代の先生は、価値観の押し付けは、教育ではないという迷信に取り憑かれていると書いていたのを読んで、「教育」がもたらすものの大きさと恐ろしさを感じた。
2010年12月10日
先週のワークショップに参加し宿題でもあるフィンランド式読み聞かせを始めたお母さんたちが「先生、子どもが絵本を奪い取ろうとします。 どうしたらいいですか?」「絵を見たいといって怒り出し 最終的に逃げていきました。」と、奮闘(?)の様子を報告してくれる。今までのオーソドックスな形の絵本の読み聞かせが突然、まったく違うスタイルになったのであれば、子どもが、とまどったり、怒り出しすのは当然。「子どもが、今までと違ったスタイルを 楽しめるように考えてみましょう。」とアドバイスし、ヒントとなる例を上げると「そうか、そうすればいいんですね。 なんだか、楽しくなりますね。」と、子どもたちが、「わかった!」と言う時と同じ、ひまわりのような明るい笑顔に講師として、嬉しい瞬間である。人は学校のために学ぶのではなく、人生のために学ぶ中学校教師から29歳でフィンランドの教育大臣特別顧問になり「平等な教育こそ、フィンランドの大切な原則である」と教育改革を行ったオッリペッカ・ヘイノネン氏いわば学力世界一という今のフィンランド教育の仕掛け人が未来を開くためのキィーワードとしてあげた言葉だ。学校を卒業してからの人生の方が長いお母さんたちの笑顔を見ながらヘイノネン氏のこの言葉を思い出した。
2010年12月07日
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私は、キャラという言葉が嫌いだ。先日も低学年の生徒が「先生は、運動会の時に、駆け足で1位になったことある?」と尋ねてきたので、「あるけど、いつもじゃなかったよ。 何位になるかは、いっしょの組になった人によるでしょ。」と答えると「先生は、勉強も運動もできたんだ。 いいな~。でも、私、そういうキャラじゃないし」他の生徒たちもその場にいたこともあって彼女がどういう意味で「そういうキャラじゃない」と言ったのかを問い質すことはできなかったのだが彼女の寂しそうな顔とともにどうにも気になって仕方がない。キャラは、英語のcharacterから発しているのだろうが英語が語源であるギリシア語のcharakter(eの上にアッパーバーあり)"刻みつけられた印"から印刻→記号→性格となったのに対してキャラは、その語源であるギリシア語そのままに使われているような気がする。なぜなら、キャラという言葉の裏側にスクールカーストという言葉がちらつくからである。スクールカーストとは、人気を軸に作られるヒエラルキー(上下階層関係)で学校だけではなく、職場や社会にもあるが問題なのは、中学生以下の子供たちにとっては、「一緒にいておもしろい」「外見的魅力に優れている」「運動能力に優れている(ただし種目によって)」といたく感覚的な、それも本人にはどうしようもない部分で判断され作り上げられていることである。そして、「キャラ強制圧力」というおぞましい力を生み出す。「キャラ強制圧力」とは、クラス全員が作り上げる「場の期待感」が、個人に特定のキャラを演じる圧力となって働き、そこからの逸脱を許さない「空気」を作り上げるという現象である。これにより、「友人とキャラが被る恐怖」「自分に割り振られたキャラに納得できない」といった問題が発生することとなり、個人に強いストレスとして作用する。この圧力により、個人は容易に「キャラ換え」することが困難になり、スクールカースト階層は、より一層固定化されたものとなっていく。はてなキーワード スクールカーストより以前は、中学生、高校生の問題だったスクールカーストだが生徒たちの様子からどんどん低年齢化してきていると感じる。英語のcharacterは個性、特性、持ち味、特徴、特長、品位、高潔な人といった意味を持つ言葉で、それらは、尊重されなければならない。そんな当たり前の価値観を持ち合わせていない子供たちが増えた原因を知ることで、スクールカーストによるいじめを減少させる手だてや対処法が見つかるのではないだろうか?とこちらの内藤朝雄氏の本から読み始めた。いじめの構造
2010年12月05日
昨日、お母さんのためのワークショップの第一回目が終了しました。ここ数日の緊張が解けて、少々 脱力気味です(笑)昨日は、どうして受動的な子どもたちが増えてきたのか?から子育てと教育(家庭と教室・学校)パターン認知型と体験認知型 (思考力の源は感性)日本の教育とフィンランドの教育の違いフィンランドメソッド聴く力(聴く=情報を収集するという考え方-フィンランド流読み聞かせ)をフィンランドメソッドの手法を体験してもらいながら説明するというてんこ盛りの内容。まだ、文字でのフィードバックを受け取っていないので正確にどこまで伝わったのかはわからないが、やはり実際に聞き手の顔を見ながら話しができるというのは楽しい。そして、上の年齢の子どもを持つお母さんの悩みを聴くことができるのはまだ我が子が幼いお母さんにとっては、貴重な機会に違いない。フィンランドメソッドについて書かれている本を読んでも「よくわからない」という親御さん方の声から生まれたワークショップそれならフィンランド教育、そしてメソッドやキッズスキルの良さを理解してもらい子どもの為だけではなく、正解がない子育てに悩むお母さんたちにきっちり(笑)とフィンランドスキルを身につけ実践することで、悩みの中に楽しみを見つけてもらおうとワークショップと言いながら、単発ではなく6回もちろん課題(今回は、フィンランド式読み聞かせを我が子へ行ってみてのレポートを含む4つ)がありそのレポート提出が次のワークショップへの参加条件、という厳しさ(笑)来年、20年という節目の年を迎える実教室将来に必要とされる力の1つとして英語を教えようと自分の教室をスタートさせた私が、将来に必要とされる力を養うという概念のもと構築されたフィンランドの教育に可能性を感じ新しい活動を始めようと思うのは当然の流れなのかもしれないと新しい活動への第一歩となる今回のワークショップを終えて感じた。この19年間、私に経験という形でその方向性を示し、支え、勇気をくれた数多く生徒たち、そして親御さんたちの存在がなければ決して辿り着けなかっただろうただただ、感謝である。そして新しい活動を広げていくことで多少なりともその恩に報いることができればと考えている。
2010年12月03日
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