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楳図
あまりにも面白いから、『新宝島』だけじゃなくて、『火星博士』だの、『ロストワールド』だの、『来るべき世界』だのと、当時出ていた手塚さんの作品をなんとかして手に入れて、読みまくりました。ところが、友達に「漫画を貸して」と言われて、いやだぁと思ったけど貸してあげたら、後で「返して」と言っても「借りた覚えがない」と言う。子供心に、世の中のいやな面を見せつけられてしまいました(苦笑)。
藤子不二雄がプロになる前、手塚治虫に自作の漫画を見てもらった逸話は有名だが、楳図かずおもそうだった、という話は手塚治虫からも楳図かずおからも聞いたことがない。送った本人ももらった当人も忘れてしまっていたのかもしれない。
生前の手塚治虫が、売れっ子になったあとの楳図かずおを評価していたとも思えない。いや、むしろ楳図かずお作品には否定的だったのではないかとさえ思える。
だが、アシスタントが楳図少年の漫画ノートを手塚治虫の仕事部屋で「発掘」したということは、手塚がそれを捨てずに長年持っていたということで、なにかしら才能の片鱗を楳図少年に見い出していたのではないだろうか。
藤子不二雄Aの『まんが道』から『愛しりそめし頃に…』は、自伝的フィクションの大傑作だが、この中で藤子不二雄Aは手塚治虫の『新宝島』が自分たちの一生を決めたと繰り返し述べている。
『愛しりそめし頃に…』の一場面。才野茂(さいのうがしげってる)は藤子・F・不二雄。藤子不二雄Aこと安孫子氏のパートナーにして『ドラえもん』の生みの親。
同じく『愛しりそめし頃に…』から。左上の少年が赤塚不二夫、右下が石ノ森章太郎。のちに「ギャクの神様」「漫画の王様」と呼ばれる漫画家になる二人の道を決めたのも手塚作品。彼らが手塚チルドレンだということはよく知られているし、手塚治虫との交流も名高い。
楳図かずおは、はやくから意識的に手塚漫画を「読まなくなった」と語っている。それは手塚治虫という絶対的存在の影響から逃れるためだ。
また、漫画家になり、作品が認知され出してなお、編集者は楳図の原稿を取りに来てもくれず、自分で送っていたのだとか。そんな扱いでも、「自分の漫画は雑誌の売れ行きに貢献している」という自負が楳図を支えていたと自ら語っている。
若いころから天才の名を欲しいままにし、決まった「手塚番」が常にやってきて、遁走すれば追いかけてくる漫画界の一大スター手塚治虫とのなんという扱いの違いか。
晩年になって楳図かずお作品は、主にフランスで評価され、それに伴って日本での名声も高まったように思う。
完成された楳図漫画は手塚漫画とはまったく違うが、子供時代にわざわざ自作の漫画ノートを手塚治虫に送っていたという事実を鑑みるに、楳図かずおもやはりまごうことなき手塚チルドレンの一人だったということだろう。
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