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北海道札幌市も漸く桜の開花宣言がされました。 4月も終わります。京都観光シリーズもひとくぎり、サイクルとして明日から又繰り返し始めたいと思います。京都は何度訪問してもその時の季節で変化します相変わらずお付き合いのほどお願いいたします。 京の都の北西嵯峨野の山上に、桓武天皇の皇子「嵯峨天皇」の御陵をご紹介しましたが、その平安京を遷都された誕生の地が清水寺の裏手の東山ドライヴウエイを経て辿り着けます。京都の街を一望出来る【青蓮院別院】の庭園は皆様とても感動されました。 長岡京が乱れ、和気清麻呂が桓武天皇に狩りに行きましょうと 東山のこの地に誘われ、三方が山に囲まれ、中国の易にも敵う都造りに相応しいと、進言し、天皇も盆地を見下ろし納得されたようです。そして鎧兜を着せた将軍の人形をこの地に埋め都を護ってくれるようにと「将軍塚」も建てられました。 【平安遷都】10年後の794年(延暦13年)(なくよ うぐいす平安遷都)「長岡京」より「丑寅」「北東」に【平安京】が誕生しました。 【青蓮院別院・大日堂】天台宗 別名【将軍塚】 入口の門 本堂。石仏 大日如来が祀られています お客様が京都の街を一望出来る、東山三十六峰の「長楽寺山」の頂上に【将軍塚】があります。東山ドライブウエイの「花山天文台」とは反対の地で、「大日堂」境内に拝観券を納めて入園して下さい。展望場所は二ヶ所有ります。庭内展望台が高く築かれています展望台からの庭園 この将軍塚の地にて、【和気清麻呂】が狩に事寄せて、【桓武天皇】を案内し、三方山々に囲まれ、絶好の都の地として、「此処に都を移そう」と決意された場所でもあります。政治の中心として、都造りに、中国の「風水」とか「地相」「四神相応」も参考にされ、中国では「君子南面す、都は永久(とわ)に栄えるであろう」京都御所から南面した形に成っています。国名も、山を背にしてか、「山背」から「山城」と変えられました。 京都南方の市街展望京都御所が四角の森で囲まれて見えます君子南面すの形で 一般家庭でも、太陽の道として、南側に居間の有る建築様式が望ましいようですが、近代建築はそうも言っておられません。 【将軍塚】には、此処も王城鎮護のため武将像を土で造り、兜・鎧を着せ弓矢と太刀を持って、土壌の中に、西向きに埋められて居ます。 湘軍塚 3月ごろには、紅白の「枝垂れ梅」が可愛く咲き、4月には桜が、秋には紅葉と素晴しい庭園に成っています。 「三鈷の松」(さんこのまつ)と称して、松の葉っぱが「三本」と珍しく、「三つ願い事が適う」と言ってお客様に渡すと、100%持って帰られました。受付でも尼僧から戴けます。 三鈷の松(さんこのまつ)普通2本が珍しく3本あります 京都の景観、そして観光客もご存じなくってか、殆ど訪問されず、静かな「穴場的観光地」とも言えましょう。京の都は、恵まれて1200年余の歴史と文化伝統等遺し、日本全国の「故郷」として現在も憩いの場所として、皆様を待ち続けています。 因みにこの地で平安遷都を決められた日が延暦13年(794)10月22日で毎年、時代祭りを10月22日に行います。 比叡山・手前が大文字山京都五山の送り火は全部観られるところです
2014.04.30
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写真掲載 【東塔】 【阿弥陀堂】阿弥陀堂 阿弥陀如来像 阿弥陀堂前に【水琴窟】 根本中堂の本尊が、薬師如来でした。 【西塔】常行堂と法華堂弁慶が担ったという。 。【釈迦堂】国宝・釈迦堂 【横川】 (よかわ)【横川中堂】 慈覚大師円仁の開創 本尊 観音菩薩 【元三大師堂】(がんざんだいし)慈恵大師とも言われその住坊跡です。正月三日になくなられたので、「元三大師」とも言われ、【おみくじの元祖】とされています。 【四明ケ嶽】 (しめいがたけ)839m比叡山の頂上】 山頂の回転展望台比叡山の頂上には、遊園地と360度回転展望台があります。遊園地の各所に、「モネの陶画」が飾られ、池には、モチーフの蓮が咲いている時があります。回転台からは、京都市街・鞍馬・大原・琵琶湖大橋・大津・瀬田大橋が順次眺められます。 苑内各所に「モネ」の絵が見られます。 花壇 「将門岩」 (まさかどいわ)・「純友岩」(すみともいわ)が頂上近くに存在します。•935年 藤原時平(左大臣)・菅原道真(右大臣)の頃、平の将門と、海賊の首領藤原純友とが、この岩の上に立ち、広大な絶景を見渡していた将門が純友に「お前は西日本を取れ、わしは東日本を取る。同時に事を起こして、再び此処で会おう」と約束したが、反乱は鎮められ再会は適わなかったという、言い伝えが有ります。岩だけが未だに残っています。以前は「将門岩」の標識が立っていましたが、今は苑内の案内書からもなく、苑内の管理女性に聞いて確かめました。ロマンがなく惜しまれます。将門岩眼下に琵琶湖が見渡せます。琵琶湖帰りは、京都方面に、「空中ケ-ブル」と「ケーブル」で 「八瀬」(やせ)に降りました。 空中ケーブル 空中ケーブル ケーブル 八瀬(高野川の上流)明日は、京都観光のシリーズ サイクルの最終日京都の都が定められたという、穴場の【将軍塚】に参ります。人出は少ないです。
2014.04.29
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京都物語の今回も最終に近づきました。私の青春期に育った天台宗の環境でした。伯父二人が麓、坂本の地の大僧正で、特に二番目の伯父は天台宗第250世天台座主にまでなりました。昭和34年80歳で遷化しました。【比叡山】 【延暦寺】比叡山から琵琶湖を望む世の中に 山という山は 多けれど山とは比叡の 御山をぞいう 慈鎮和尚 根本中堂根本中堂延暦寺は東塔・西塔そして横川(よかわ)の三塔からなり、【根本中堂】 (国宝)(こんぽんちゅうどう)【阿弥陀堂】【釈迦堂】さして【横川中堂】があります。 見渡す緑の山林の一木一草にも、伝教大師の精神が染み渡り人々の心のふるさととも申すべき聖地でもあります。根本中堂 開基 最澄(伝教大師) 世界文化遺産に登録 平安京の王城鎮護の役も務める。都の丑寅(北東)鬼門の位置にあります。 今から1200前延暦4年(785) 伝教大師最長が、19歳の時に山上に草庵を結ばれ、山川草木一切のものに、「仏性」が宿ると感得され日本仏教の母山と称せられる様になりました。 伝教大師の教えで、 【亡己利他】 (もうこりた)己の欲を無くし、人の利になるよう、常に心掛けること。 (注 私のプロフイールの座右の銘としています。)【一隅を照らす。これ国の宝なり】 その人の存在により、その周囲を明るく照らす。されば世の中は、平和であり、国の宝となるでしょう。 【東塔】【大講堂】僧侶の学問所で、本尊 大日如来 脇侍 弥勒菩薩・観音菩薩延暦寺を本山とする、伝教大師を始祖とするも、経典の解釈に従って、山で修行の結果、各宗教の始祖として、分かれて行きました。空也・法然・親鸞・栄西・道元・日蓮・一遍 等その扁額が堂内飾られています。他には、桓武天皇・中国天台大師・聖徳太子・伝教大師・十大弟子大講堂【開運の鐘楼】自由にお願い事して撞けます。合掌されて余韻の音を聞かれると何ともいえない神々しさを感じます。【根本中堂】【国宝】【延暦寺の総本堂】三代将軍徳川家光が再建•1. 本尊【薬師如来像】は、伝教大師最澄が刻まれた•2. 本尊の前に1200年間と灯し続けられています【不滅の法灯】 が輝いています。織田信長の焼き討ちに会いましたが、山形県立石寺の分灯により、受け継がれています。ここから【油断】が生まれました。•3. 須弥壇のある【内陣】が【参拝者】の坐る中陣・外陣より低い谷底の様な場所にあり、仏像や法灯が参拝者の目の高さに来ているのは、「仏も人も一つ」と言う仏教の【仏凡一如】の思想を表現している意で、僧侶は低い内陣から祈祷されています。即ち天台宗の仏殿様式は、僧の謙虚さを表しているとも思われます。•4. 中陣は、挌天井形式で、板には、百花の図柄が掲げてあり、家光により、各大名が献花したもようです。•5. 太い檜の柱は、一本の木の芯を避け、4分の1の柱で、原木の太さが想像されます。同じ「東搭」ですが、「講堂」より西の方に、【阿弥陀堂】が有ります。阿弥陀堂阿弥陀如来像【西塔】 「東塔」から奥比叡ドライブウエイで自動車から降りて、暫く歩を進めますと、【常行堂】(じょうぎょうどう)と【法華堂】(ほっけどう)とが廊下で結ばれています。弁慶が両堂を担ったという伝説から「弁慶のにない堂」と称されています。この両堂で、修行僧が、「朝題目」そして「夕念仏」日毎に唱えておられます。【常行三昧】(じょうぎょうざんまい)慈覚大師円仁が五台山から伝えた修行法で90日間堂内を阿弥陀仏の名を唱えながら回る行といわれています。【転法輪堂】(てんぽうりんどう)【釈迦堂】三井寺の「金堂」を移築された建物で、山内で最も古いものとされています。 【横川】 (よかわ)【横川中堂】慈覚大師円仁の開創 本尊 観音菩薩【恵心堂】(えしんどう)恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)が念仏三昧にすごした所です。【元三大師堂】(がんざんだいし)慈恵大師とも言われその住坊跡です。正月三日になくなられたので、「元三大師」とも言われ、【おみくじの元祖】とされています。「横川中堂」からの道中に、西国三十三ヶ所観音霊場が第1番から順次観音像を辿っていきますと、「元三大師堂」に至ります。殆ど人気がなく、静かな雰囲気で回れます。明日は、西塔の写真と比叡山の頂上にまいります。
2014.04.28
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小野小町の伝説も此処でその環境を感じられる醍醐地区です。昨年6月の【勧修寺】(かじゅうじ)睡蓮が美しかったです。 京都盆地の東隣山科盆地の中央辺りに存在します。その南に【醍醐】があります。借景の睡蓮の池の背景の山が、【亀甲山】(きっこうやま)です。亀の甲羅を意味し吉兆を伴うことを願っての自然の配置です。伏見・深草より「深草少将」が醍醐・小野に【小野小町】を慕って「百代通い」をした山すその道が、労しいです。小野小町は「榧の実」(かやのみ)を99まで集めて、満願の日に深草の少将が雪道で病に倒れ恋は実らなかったとも云われています。 樹齢750年のはいびゃくしん 水戸光圀公寄贈の勧修寺形燈籠 観音堂 睡蓮と緋鯉勧修寺のカキツバタと睡蓮の池あまり知られていない、こじんまりしたお寺にも、自然との調和のとれた名勝がありました。醍醐天皇のおばあちゃまの霊を弔うために建てられました。【勧修】の名は、おじいちゃまの諡号から付けられたそうです。静かに眠られるには、素晴しい環境と偲ばれました。 【小野小町】 伝説は、日本各地に点在しているようですが、此処醍醐地区に隣接した小野の【隋心院】には、深草の少将の百夜(ももよ)通いのたびに、小町が遺した【榧の実】(かやのみ)が、展示されています。京都観光サイクルシリーズもあと三日世界文化遺産比叡山と、穴場の将軍塚を掲載したいと思っています。 榧の実そして老婆百歳の小野小町像も他の仏像とともに、飾られており、長寿とはいえ、人生感の無情を感じさせられます。
2014.04.27
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オバマ大統領、国賓として 天皇両陛下とも 人間愛を感じさせるほどに、無事 世界環境の落ち着かない状況で日本から帰られました。 伏見区【日野】は、醍醐寺のそばにあり、足利将軍の代々奥方の出身地でもあり、あの京都の悲劇応仁の乱の主役「日野富子」も此処の出でした。一方、浄土真宗(本願寺)の開祖 【親鸞上人】のお誕生の地として【日野誕生院】がのこされています。側には、宇治の平等院並みの国宝阿弥陀如来(定朝模様)の祀られた坐像が、【日野法界寺】として幼き頃より、親鸞さんも手を合わせていたのでしょう。 【親鸞上人お誕生日・承安3年(1173)5月21日】 【日野誕生院】楠が樹齢800年。得度を受けられた京都の【青蓮院】の4本の楠と同時期。 浄土真宗の開祖【親鸞上人】は今から約800年前、ここ「日野の里」でお生まれに成りました。醍醐寺の南方少し、離れた場所で京都市伏見区に属します。父は日野氏の一族で【日野有範卿】(ひのありのりきょう)母は、清和源氏の出身で【吉光女】(きっこうにょ)日本全国に浄土真宗の信者さんが多いですが、此処がその発祥の地とは言え、至って静かな、簡疎の地でも有ります。 【えな塚】 【産湯の井戸】【えな塚】とバックに【日野法界寺】の屋根が見えます。【乳薬師】とも云われ、安産・子育ての「薬師如来」が祀られて居ます。えな塚は、幼稚園の園内に属し、お断りをして、撮らして戴きました。さでした。 【日野法界寺】日野法界寺・国宝阿弥陀堂宇治の【平等院】の「阿弥陀如来坐像」は、仏師 【定朝作】(じょうちょう)で、此処も【定朝様作】として、本尊【阿弥陀如来坐像】も国宝に指定されています。建物は、鎌倉時代に再建されたもので、「応仁の乱」からは、焼失を免れています。写真の右手に屋根だけ見えますのが。【乳薬師堂】で、「えな塚」「産湯の井戸」と隣接した位置にあります。親鸞上人は、幼少のころより、この眼差し優しい「阿弥陀さん」に手を合わせ御育ちになったといいつたえられています。 親鸞上人9歳のお姿の銅像です。「日野誕生院の境内」に建てられています。 出家決意のおん歳9歳での歌碑です。お父上は、4歳時そしておん母上は、8歳のときに浄土に召されました。世の中で最も大切なご両親を幼児期に亡くされ、阿弥陀さんにすがりつつも、仏道に決意なさったのでしょう。明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に 嵐の 吹かぬものかわ 京都の【青蓮院門跡寺】【天台宗】で 【得度式】(とくどしき)を挙げられました。そして 比叡山で修行を受けられました。今や、「西本願寺」「東本願寺」を初め全国に、【浄土真宗】の信者さんが多く居られます。難しい、お経を唱えて救われるものでない。ただ「南無阿弥陀仏」と【念仏】を唱えることで浄土に召されると。大衆庶民を対象に布教されました。明日も我が町 勧修寺を訪問します。
2014.04.26
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京都市には、11行政区に分かれています。そのひとつ我が町【伏見区】にも、世界文化遺産に登録された歴史的古寺が近くに有りとても恵まれた環境にあります。でも地元ほど関心が薄く宝の持ち腐れかも知れません。エムケイタクシーの乗務員として、人に歓ばれる観光の勉強がお客さまにご案内することで、一生大切な観光を学ぶことが出来ました。宝物として大事にしそして感謝します。【醍醐寺】 世界文化遺産 真言宗醍醐派 京都府で一番古い五重塔【国宝】醍醐天皇を弔うために建てられました。高さ38m、屋根の上の相輪は約13m相輪が塔の1/3を占め、安定感があります。 【国宝】金堂です。醍醐寺の本尊【薬師如来坐像】【国宝】が祀られて居ます 弁天堂と取り巻く池の水面にも新緑が美しく映っています。【醍醐三宝院】 特別名所の庭園並びに仏像は、一般に撮影禁止で御紹介出来ないのが残念です。中でも池の中心に秀吉の名石狩りの頂点 【藤戸石】は天下人石ともいわれ、足利義昭・織田信長そして豊臣秀吉と続きました詳細は、Google画像で検索して見て下さい。【上醍醐】 西国三十三所観音霊場第十一番札所 彼方に見える山が、「上醍醐」です。山道3キロ、西国観音霊場の最難コースとされていました。新緑が美しいです。 観音堂霊場の納経は此処でして戴けます 国宝【唐門】勅使門真中が豊臣秀吉花紋「五七の桐勅使が入られるときは真中は開かれ菊の御紋でお迎え帰られたら桐の紋が真中に治まります。秀吉の考えそう?太閤秀吉が醍醐の花見行列をした場所この年の夏に伏見城で逝去します桜と五重の塔【醍醐三宝院】勅使門 表門の側にあります。門を四面に分けますと、菊・桐・桐・菊の紋が刻まれています。桐は「五七の桐の紋」で秀吉の紋です。菊は「皇室の紋」で、勅使の一行が訪問するときには、真ん中の桐の紋は、観音開きで隠れます。勅使を歓迎した意図の様ですが、閉めれば、桐が中央に構えた形になり、豊臣を謳歌したように工夫されています。 京都で此処の庭園だけ、写真禁止で、見張り役を置くぐらいでとても残念です。藤戸石・醍醐棚は、Google画像で確かめてみてください。表書院【国宝】揚舞台之間・孔雀蘇鉄の間。畳を揚げると「能舞台」になります。中段の間・上段の間は柳の四季を表し、床の間は松が画かれ、各部屋に段差があり、能の鑑賞が出来る様になっています。加茂の三石。川の流れに沿った縞模様が見掛けられます。激流または、緩やかな流れと変化した表現がなされています。藤戸石】(ふじといし)庭園の中心的存在で、【玉座】からも「真正面」に観られます。「三尊石」の形式を採り、【天下人石】十五代足利義昭・織田信長・豊臣秀吉と天下人が、引き継いで、自分の物にしたと言う名石となります。ふじとを「不死人石」に掛けて願ったのでしょう。庭園に「橋」が三種類あります。「石橋」「木橋」「土橋」と変化を表現しています。庭園全体が変化に富み、左方片隅から、瀧の水の流れと静かな雰囲気の音も聞えます。そして「鶴島」「亀島」が松の木を背負って飾っています。護摩堂。本尊「弥勒菩薩」(快慶作)「弘法大師」「理源大師」が祀られて居ます。前庭には、「苔」で瓢箪と杯(さかずき)とを現しています。藤吉郎時代、ねねの進言で、「功績」を成すにも誰も、「千成瓢箪」 【奥宸殿・玉座】正面に「藤戸石」が眺められます。喜んでくれずだだをこねる主人に、瓢箪を飾ることを始めたとか 【日本三棚】 「醍醐棚」「修学院離宮棚」「桂離宮棚」見所豊富で、桜の咲くころは、訪れる人で満杯となります。京都観光も此処まで訪問できれば最高と思います。明日は醍醐寺に近い日野法界寺そして親鸞聖人お誕生の地に参ります。
2014.04.25
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オバマアメリカ大統領が日本に国賓として来られました。本来なら、夫人も同行で天皇陛下にあってほしかったですが、今回は隣国との不穏な関係で、厳しい政治情勢下でお独りで重要課題を背負われての来日と、一見淋しさを感じます。もっと隣国も心を開いて、共に国益となるように平和であってほしいです。 宇治の最終黄檗山万福寺です。中国風の境内に浸ります。ツツジの三室戸寺の次の京阪電車の駅が 「黄檗山万福寺」です。そして2駅目六地蔵が私の家です。 禅宗には、臨済宗・曹洞宗そして本日の黄檗宗があります。曹洞宗では、観光寺院としてはなく黄檗宗では、庭園がありません。座禅・修行本意に造られています。 【黄檗山万福寺】 (おうばくさん・まんぷくじ) 黄檗宗総本山宇治は日本でも有名な茶処、JR黄檗京阪黄檗駅の近くにあります。【駒蹄影園碑】 が、総門の前に建っています。 駒蹄影園碑 鎌倉時代の初めごろ宇治の里人たちが、茶の種の蒔き方がわからず困っているところへ、通りかかった栂尾(とがのお)高山寺の明恵(みょうえ)上人 が、馬を畑に乗り入れ、その蹄(ひずめ)の跡に種を蒔くように教えたと伝えられています。この碑は明恵上人の感謝とその功績を顕彰するために建てられました。世界文化遺産の 【高山寺】の開祖です。 「栂山(とがやま)の 尾上(おのえ)の 茶の 木分け植えて 跡(あと)ぞ生(お)ふべし 駒の足影 明恵総門前の碑の側に龍の目の井戸がありました。 総門は、龍の頭 総門 龍の蛇腹を象った菱形の敷石 (禅寺では多く見掛けます) 龍の蛇腹を模した参道 菱形石 山門山門の前の碑 にんにく・酒を口にした人、入るべからず。中国風の門 「山門を 出れば日本ぞ 茶摘み唄 菊舎尼万福寺は、開山 隠元(いんげん)禅師で10代まで中国の僧でした。従って、境内は中国風の雰囲気に充ちているため詠われたもの。 【布袋尊】 (ほていそん) 都七福神 巡礼所のひとつ。正月には、七福神巡りで賑わいます。 布袋尊 みやこ七福神のひとつ写真撮影許可をもらいました。僧の姿だけは撮らない様にと 開版(かいばん)魚版で、木魚の原形となっているものです。 広々とした境内 開版 お魚の形 時を知らせるもので、禅寺の座禅で、魚は寝ていても目は開くことを諭しているとも言われています。本堂には、釈迦三尊が祀られています。一般には脇侍(きょうじ)は、釈迦如来の場合。【文殊】【普賢】菩薩ですが、此処では 十大弟子の筆頭 【迦葉】 (かしょう)【阿南】 尊者が祀られていました。 羅怙羅 (らごら)父の釈迦の顔を胸に抱いている姿の像羅怙羅(らごら)尊者 お釈迦さんの実子で、出家して修行の末悟りを開かれ、心に仏性を抱くとして、胸を開けた場所に仏の顔が仏像として祀られていました。法堂(はっとう)砂紋が素晴らしいです。 法堂 舎利殿隠元和尚の開山堂隠元は中国人で万福寺を創設されました。豆知識インゲン豆は、メキシコ・中央アメリカの原産ですが、1654年に中国の僧隠元和尚さんが、中国(明)から日本に持ち込まれたことからの説もあるようです。明日は、世界文化遺産・醍醐寺にまいります。
2014.04.24
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今年も桜前線青森が昨日開花との気象庁の発表でした。 私の住まいのお隣が宇治市で其処にある広々とした山肌にある寺院です。【三室戸寺】西国三十三箇所観音霊場代十番の札所です。宇治の平等院から、京阪電車一駅目に三室戸があります。 三室戸寺脊柱坂を上るまえの表門蓮池を伴う本堂前広場兎歳に作られた兎、地名を莵道(とどう)と名付け宇治上神社でご紹介しますが宇治の地名に繋がります。龍の蟇股本堂鐘楼と三重塔源氏物語【浮舟】歌碑三重塔本堂前のつつじ庭園庭園 【5月つつじの頃】昨年写しました。つつじの苑 新緑の三室戸寺 ツツジ 20,000本となっています。シャクナゲ・紫陽花そして蓮のときもすばらしいです。 新緑とつつじ つつじ苑 一人で鑑賞もよいですが、家族で「あつ、綺麗」とことばをかけあつて観るのも、また幸せを一層深めるものです。アジサイもツツジに代わって、 10,000株が見られます。明日は、黄檗宗万福寺に参ります。
2014.04.23
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盛岡が桜前線で満開と報じていました。オバマアメリカ大統領を国賓として23日から迎えるにあたり美しい日本の国がそのまま残してほしいです。 現代大阪府堺市にある、古墳【仁徳天皇陵】が話題になっていますが、宇治の地に祭神としても祀られています。兎角跡目相続で問題になりますが美談がのこされています。 あまり、世間で著名でなかったと思われる、古い歴史を残す宇治に【宇治上神社】の方が世界文化遺産に登録されました。直ぐ隣接して、「宇治神社」も有りますが、戸迷う感じでした。 宇治上神社の鳥居【宇治上神社】 (うじかみじんじゃ)日本最古の神社形式(平安・鎌倉時代)世界文化遺産に登録 京都に世界文化遺産に登録17箇所のひとつです。【祭神】菟道稚郎子命 (うじのわきのいらつこのみこと) 【宇治の地名】父・応神天皇に寵愛され皇太子に立てられたものの、異母兄・大鷦鷯尊(のちの仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという美談で知られるます。応神天皇第15代。菟道稚郎子命の父。仁徳天皇第16代。菟道稚郎子命の異母兄。宇治平等院から宇治川を渡った位置にあります。 宇治橋京阪宇治駅を宇治川に沿って、上に直ぐの所に、「宇治神社」が有ります。 宇治神社 近代的でまさかと思いきや、【さわらびの道】を 早蕨の道の入口付近 さわらびの道 更に通り過ぎて、少し坂を登った所に【宇治上神社】が有りました。世界文化遺産と言うことで、訪問しても、実にこじんまりとして、古さだけが目に映ります。 参道の紫陽花の花でも歴史的には貴重な建物【本殿】【拝殿】共に【国宝】に指定されています。 拝殿 清めの砂 上賀茂神社にもありました。 本殿 本殿の狛犬 阿吽の狛犬 祭神が【応仁天皇・仁徳天皇】そして【菟道稚郎子皇子】(うじのわきいらっこ) (応仁天皇の皇子で仁徳天皇の弟)宇治の地名の基とも言われています。父応仁天皇の寵愛を受けていましたが、兄との皇位継承を譲り合い、自殺して兄仁徳天皇を立てたと言われています。珍しく心優しい弟でしたね。宇治上神社の蟇股 ここでの見所は、 【日本三蟇股】 (かえるまた)【宇治上神社本殿】【上醍醐・薬師寺】(上醍醐ブログに記述)【奥羽中尊寺金色堂】【龍安寺】で由来を記していますが、 日光東照宮の左甚五郎作の有名な【眠り猫】も、蟇股の中で眠っています。裏には鼠が居るとか、要は、木製の建物は、火災から魔除けのために、水に関係する、蟇を飾ったと全国的に採用されています。清水が今でも湧きます 宇治の名水 桐原水 もう一つは、【桐原水】(きりはらすい)と言って、「宇治の七名水」の一つとして、未だに、清水が、湧き出ています。【源氏物語】にも関係するようです。自宅の付近で、歴史的に遠く昔を偲ぶことが出来る社寺があり恵みに感謝しています。明日は同じ宇治の【三室戸寺】に参ります。
2014.04.22
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軍師黒田官兵衛が戦が国時代を乗り切る陰の功労者的展開で石山本願寺の顕如と織田信長のやりとりがきがかりですが、石山は滋賀県でなく大阪で後に大阪城となる場所のようです。京都の本願寺も信仰を持つ人の力を恐れ家康も東西に二分しました。 鳳凰堂が 大修理が完成されて4月3日一般に公開されました。 私の住む伏見区のほんの近所に、世界文化遺産の社寺が三ケ所もありとても恵まれています。醍醐寺・宇治平等院そして宇治上神社です。 阿弥陀さん の指と手の形の組み合わせ しるしてみました。浄土にも段階があるようです。此処は最高位の上品上生の阿弥陀さんです。 【平等院】 宗派は単立(天台宗と浄土宗) 開基 明尊 琵琶湖「瀬田」から流れてきました「宇治川左岸」に「宇治上神社」と対峙して存在しています。 国宝・鳳凰堂 池に写される 初代仏師【定朝】 じょうちょう)作の【国宝】【阿弥陀如来像】が実に落ち着いて素晴しい一語につきます。付随した【天蓋】【雲中供養菩薩】そして【壁画】も【国宝】で 「藤原頼道」が1000年前に末法思想が取り沙汰された時代で、生前中でも「極楽浄土」を再現しょうと考え、(金閣庭園を足利義満も同じ)貴族と僧侶によって、建てられました。 阿弥陀さんの座します【鳳凰堂】(ほうおうどう)もそして屋根の両端に飾られる【鳳凰】一対も【国宝】です。お堂の前に池があり鳳凰堂を池越しに眺めますと、池にも反射してとても美しい情景が観られます。「十円硬貨のデザイン」ともなっています。 丸い窓を設けて、庶民にも阿弥陀さんのお顔だけ拝せる仕組み 頼道の思い遣りが、「阿弥陀さん」の顔の前面に、「丸窓」が見えます。「極楽浄土」を庶民にも一部垣間見ることが出来る様に、存在しています。 国宝・鳳凰堂 【日本三名鐘】「形の平等院」【国宝】 「音色の滋賀・三井寺」 「銘の高雄・神護寺」 日本三名鐘の形の美本物は宝物館で観られます。【鳳翔館】(宝物館)では、名鍾・雲中供養菩薩像・壁画・鳳凰【国宝】その他が展示されています。 【藤棚】藤の花が咲く頃は、とても美しいです。【阿弥陀さんの九印相】阿弥陀如来は、西国極楽浄土を支配されてると言う事で、鳳凰堂の壁画も、 【御来迎の図】 が画かれ、九壁画に分かれているそうです。 極楽浄土も九段階平等院の阿弥陀如来像は、 【上品上生印相】 (じょうぼんじょうしょうのいんそう)で最高位。阿弥陀さんの手の指が、「親指」と「人指し指」 【上品】「親指」と「中指」 【中品】「薬指」と「親指」 【下品】円く交わる事で、夫々、「上品」「中品」「下品」と称し、阿弥陀さんの両手の位置か゛「膝の前で結ぶ」 【上生】「両手を開いてお説教するように、上に揚げる」 【中生】「右手を揚げて、左手は手の平を開けて膝の上に」 【下生】 (施無畏・与顔)(施無畏・与顔) (せむい・よがん) Google画像で出て来ます奈良の大仏さんの形右手は不安畏れを無くす施し。 主の平安(キリスト教)左手願いを適う与えましょう。 求めよ開かれん(キリスト教)「上生」「中生」「下生」(げしょう)と称します。この組み合わせで、九印相の阿弥陀像が表されます。極楽浄土への位置付けでしょうか。「上品上生」「上品中生」「上品下生」「中品上生」「中品中生」「中品下生」「下品上生」「下品中生」「下品下生」太秦の広隆寺には、「中品中生」の阿弥陀像が見掛けられますが、殆どは、「上品」クラスのようです。 御家庭での仏壇では、「上品下生」(じょうぼんげしょう)の即ち、施無畏・与願の型で指は親指と人差し指を交えた形の阿弥陀さんが多いです。一度試してみてください。 宇治上神社から宇治川を渡って平等院への橋 魚の供養のための十三重の塔 源氏物語・紫式部の像宇治橋の側に建っています。 宇治橋明日は宇治上神社です世界
2014.04.21
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昨日は世界文化遺産の西本願寺をご紹介しましたが、本日はJR京都駅の玄関口から、最も近い寺院 東本願寺を訪ねてみます。国宝が無いので世界文化遺産には登録されていません。 でもなんでも西本願寺と対抗して、より大きくつくっています。御影堂の梁が余り大きすぎて当初上がらず、信徒の命の次に大切な女性の毛綱で、やっと持ち上がったとされています。信仰の力で達成したといわれていましたが、平成大修理では、毛綱は使いませんでした。東本願寺御影堂 (ごえいどう)親鸞聖人を祀り千畳敷の畳は日本一祈りと法話を聞く所東西のお堂の位置を何故か敢えて変えています。御影堂も読み方が 師匠の知恩院浄土宗の法然上人は「みえいどう」そして弟子の親鸞聖人の東西本願寺は「ごえいどう」とお寺さんにも意地があるのでしょうか。 西本願寺 世界文化遺産御影堂 阿弥陀堂 東本願寺阿弥陀堂 御影堂浄土宗開祖法然上人の弟子として親鸞上人は 浄土真宗の開祖となり師匠の受け継ぎで、一般庶民でも只「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで極楽浄土に阿弥陀さんを通じて召されるとして、全国に信者さんが大幅にふえました。時に、徳川家康は、信徒の結集に畏れ、本願寺に土地を与え東西に勢いを分けたことから東西の本願寺があります。京都タワーを望む右東本願寺勅使門左、イチョウの樹本願寺の火災の時に、水を吹きだして消火に役立ったとの謂れ。京都駅前が近いです本願寺前の噴水イチョウの樹平成の大修理で阿弥陀堂は平成25年までかかる予定です。御影堂はすでに完成しました。御影堂廊下堂内入り口 堂内撮影禁止千畳敷の一部を龍の手水京都タワーと伽藍 タワー建設に当たって東本願寺は伽藍にそぐわないとして反対しましたが、京都はお寺の多いことより京都駅前に「ローソク」を1本立てることでの妙案が生まれ現在の蝋燭型の塔が実現しました。そして人口130万人に合わせ高さ130mです。 JR 京都駅 JR京都駅正面駅構内の吹き抜け改札口入場した改札口1番線 2番線に電車右手の建物が 新幹線乗降の場所。京都駅のご紹介で、旅情を楽しんで下さい。明日は、京都駅から奈良線の沿線寺院 宇治からご紹介します。
2014.04.20
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西本願寺 御影堂(ごえいどう)浄土宗では(みえいどう)と分けていわれています。【西本願寺】浄土真宗本願寺派本山 世界文化遺産に登録 国宝 唐門常時、観られる国宝【唐門】(からもん)は、西本願寺の南通用門の側にあり、 西本願寺の境内にある龍谷大学 大谷学舎 黄石公の馬上 張良が沓をおし戴く 中国の故事が、表裏で物語っています。良く観ると馬上の白髭を生やした師匠 【黄石公】(こう せきこう)の沓(くつ)が片方脱げて有りません。その左側に跪いて、沓を捧げ持つ人物が観られます。【張良】その人でした。 黄石公が兵法の教示を願う張良を試す為に、幾たびか、沓を投げ飛ばし、それを、堪えて沓を捧げたと。結果黄石公から太公望の兵書を授けられたそうで、後に天下統一を果たしたと云います。 瀧の水で汚れた耳を洗っている 下流で牛に水を飲ませるのを汚れた水として、手綱を引きとめてのまさないように 滝が流れ一人の人物【許由】(きょゆう)が耳を洗っています。側に川流れに牛を連れた【巣父】(そうほ)が立っています。 許由は、中国の神話上の穏者で、当時の皇帝【堯帝】(ぎょうてい)が許由に帝位を譲ろうとしました。許由は思いも掛けない誘惑と大層心を乱す言葉を聞いたと汚れた耳を洗って清めています。一方その事を知った巣父も汚れた川の水を牛に飲ませまいと手綱を引き挙げている姿が観られます。 阿弥陀堂 御影堂 (ごえいどう)親鸞聖人を祀り、祈りと法話が行われます 国宝飛雲閣と国宝書院の特別拝観がされました。私としても一生で2回目の鑑賞ができました。 国宝が多く存在するので、世界文化遺産に西本願寺は、登録されました。 大徳寺の芳春院の呑湖閣も合わせると京の四閣とも、非公開です。 飛雲閣 池面に映されています。 水鳥が泳ぐ 飛雲閣への庭園 特別名所(国宝) 虎渓の庭 国宝 能舞台 日本最古のものと言われます。 次回は世界文化遺産ではありませんが東本願寺に参ります。
2014.04.19
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御室の桜は、京都でも遅咲きの桜として知られています。その数200本で 江戸初期に観桜の名所となりました。丈が低く根本から枝を張ることが特徴です。最近八重が1割と変化したと地元紙が報じていました。京都最後の桜です。五重の塔を背景 仁王門阿形の仁王像吽形の仁王像 仁王門より大内山を望む 本日は御殿をバスしました国宝金堂へ写真は中国語を話されていました 浩宮さまお手植えの八重桜 珍しい桜が宮様の隣に植わっていました 御衣黄桜です神々しいです御室の桜 五重の塔 真言宗 金堂前外人さんファミリーが説明碑を真剣に見ておられました 金堂 本堂堂内には阿弥陀如来 観音菩薩 勢至菩薩がまつられています建物は御所の紫宸殿から移築 御所の雰囲気が溢れています 霊宝館には国宝の阿弥陀三尊像があんちされています経堂説明では、釈迦如来 文殊菩薩 普賢菩薩が祀られ天台宗の学匠であった南光坊天海による【一切経】が収められています 此処でも家康の施策に貢献した南光坊天海の名がみられました南光坊は四国八十八しょ霊場第55番にあり、真言宗御室派とされています【関山】八重桜 少し坂を上って撮影 五重の塔を背景に 仁王門前からの風景手前が御室の桜苑 勅使門の前の桜 今回4月15日に取材に参りました。 肝心の弘法大師さんの【御影堂】そして【観音堂】は平成の大修理で見られませんでした次回は世界文化遺産西本願寺です
2014.04.18
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本日は何の日?徳川家康の亡くなった日で 元和2年4月27日(太陰暦) 1616年6月1日何でも鯛の天ぷらに食中毒してその後75歳でなくなったとか。たまたまその前の年1615年6月に大阪夏の陣で豊臣勢力を滅亡させた直ぐ後でした。豊臣秀吉 醍醐の花見行列4月の後慶長3年8月18日(1598年)62歳にして伏見城でなくなっています。両者とも当時としては天寿を全うしたともいえます。豊臣秀吉 豊国大明神徳川家康 東照宮大権現 【二条城3.】大広間を過ぎますと、更に奥に、【黒書院】と【白書院】があります。【黒書院】は、奥御殿で、将軍と親しい諸藩の大名の内輪の対面所です。特に紀伊・尾張・水戸の「御三家」で、「大政奉還」の審議は、この部屋で行なわれたといわれています。注目すべき襖絵は、「狩野探幽」の弟「狩野尚信20歳」の桜の絵が、描かれ、兄の豪壮に対して、とても和やかな、優しい 落ち着きを感じさせる襖絵です。【白書院】いわゆる、【大奥】で、将軍を囲み、将軍にお茶を運ぶ「女官」控える「局」と控える「女官」が、人形で表しています。襖絵は、狩野兄弟のお師匠「狩野興以」の「山水画」です。此処より、折り返し、牡丹の間・ソテツの間そして、二条城から手渡される、パンフレットに「鷹」の図がありますが、大広間の裏「四の間」に豪快な「老松にとまる鷹」の絵に、目を輝かせてくれます。この部屋の左方の欄間には、牡丹、往路大広間の三の間がその裏側になり、同じ欄間に「孔雀」が彫られている事に、ご注目下さい。厚さ35cmkの幅で、異なった「彫刻」がなされています。老中の間そして最後に「勅使の間」を見て、下足した場所に戻ります。部屋数33室・畳数800畳余り有るそうです。 とても広くって、第一段階ここから時間がないので、引き上げるが多いです。 特別史跡【国宝】・二の丸庭園更に、玄関の出て、右手に「庭園入り口」があり、【二条城二の丸庭園】(特別名勝・国宝並み)小堀遠州作庭。豪壮な石が並び、瀧が流れ、石橋・鶴島・亀島と配置良く、庭園の「要素」を備えています。 庭園入り口を入って、直ぐ右手に、先ほど巡った「二の丸御殿廊下」の軒下をのぞいてみますと、「鴬張りの仕組み」が見えます。本丸への門 内濠 本丸此処で、引き返す方も有ります。堀の橋を渡りますと第三段、【本丸御殿】天明の大火で、焼失、現在は京都御所に在った、旧桂の宮御殿を移築されました。庭園は明治時代に作庭、精洋風に作られています。 天守閣があった跡地【天守閣跡】天明の大火の直前、落雷で焼失しました。現在平坦な空き地に、なっています。帰路。【清流園】江戸時代に「角倉了以屋敷」から建物の一部と庭石800個を譲り受け全国から名石300個と集め、「和風庭園」と「洋風庭園」を作庭。茶室もあり、大茶会とか、国賓の接待所に利用されました。土蔵。収納庫(米蔵)そして台所・御清所には、人形が有り、「お毒見役」も、見られます。 清流園四季に季節の花が彩り、時間にゆとりがあれば、広域に散策を 楽しめる市民の憩いの場所でもあります。国宝二の丸庭園の桜二条城の苑内明日は世界文化遺産御室の桜をご報告します。
2014.04.17
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昨日 御室の桜取材してきました二条城3回が終わってからご報告します。真言宗仁和寺の経堂に天海の記したお経も収められているのを知りました南光坊のお寺は愛媛県にあり西国八十八ヶ所第55番の霊場で真言宗御室派となっています。天海は日光東照宮の建設に寄与しました。 只今から眼下の診察に行ってきます。70歳過ぎて知らぬ間に右目の緑内障を知りました。一応手術しましたが、治ることは断念、更に進むことを抑えるこんにちです。殆ど見えず不便ですが、左目が正常でお恵みに感謝しています。 国宝・二の丸御殿は、二条城訪問で最も貴重な見所です。旅で時間の忙しい人は、此処だけを観て帰る人が多いです。時代劇・特に徳川幕府のお城の御殿の雰囲気と襖絵の絵画は美術館を訪れた感激を覚えます。全て写真撮影禁止で残念です。 国宝・二の丸御殿の玄関 【二条城2.】 お城の中って、どんな構造に成っているのでしょう。下級武士から、殿様まで、そして「大奥」と、テレビで紹介されますが、実際に目の前に、見せてくれますのが、ここ【国宝・二の丸御殿】です。玄関には、龍安寺で、ご紹介した【懸魚】(げぎょ)が、目立ちます。下足を脱いで、スリッパに履き替えます。順次各部屋ごとに、説明付のボタンが、設置されています。短いですからね利用されると面白く見られます。【二の丸御殿】(国宝)桃山時代武家風書院造りの代表的な建物です。•1. 【車寄】(くるまよせ)・遠侍に付けられた御殿の玄関です。 欄間を見上げますと鶴・牡丹・鳳凰が見られます。聚楽第 の遺稿といわれています。豪華ですね。•2. 【遠侍】(とおさむらい)・柳の間・若松の間・勅使の間 お城に参上した大名や外来客の控え室と成っています。 柳の間・若松の間・襖の絵により名付けられました。 共に「目付役」が、来殿者の受付をする所で、来殿者の 心を和らげる雰囲気があります。 虎の間・三部屋に分かれています。大名の控え室で、 虎と豹の絵が描かれています。説明では、当時生きた 現物を見たことがないので。虎を雄・豹を雌との構想で、 微笑ましいです。城の威厳。武将の厳しさを表現したので しょう。何れも【狩野派】の絵とされています。3.【廊下は鶯張り】知恩院でも、紹介させてもらいましたが、皆様 が廊下を歩かれると、「きゅつ・きゅっ」と音がします。「忍びの 者が、潜入してきても直ぐわかる仕掛けとも言われています。 後ほど、庭園に出られたときに、建物の廊下の下部を覗きますと、 仕掛けが解かります。4.【式台】式台の間・老中の間。老中の間 老中と参上した大名と挨拶を交わした場所 【狩野探幽25歳】豪華な老松が襖(ふすま)に描かれています。 「切手」に登場しました。 東入り口の杉の戸の【八方睨みの獅子】何処から見ても正面を 向きます。5.【大広間】 「一の間・二の間」将軍と緒大名との対面所。最も大切な場所 です。人形がずらりと並んでいます。将軍は、小姓と、上座に 控え、「武者隠しの部屋」も控え、「桃山時代」の「武家風書院造り」 典型をなします。違い棚・付書院、天井は二重折り上げ格天井 (ごうてんじょう)この部屋で、【大政奉還の儀】が行なわれました。265年間の徳川幕府でした。明日は国宝二の丸庭園他を写真付きでご紹介します。
2014.04.16
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京都には、徳川に関係する遺跡が多いです。昨日の金地院に東照宮が建てられているように徳川家康には、側近の僧として金地院崇伝そして南光坊天海がいました。家康75歳で亡くなった後、神として祀るため贈り名に「明神」は先に秀吉が付けているので【権現】(菩薩の世を救う仮の姿)ときまったそうです。 御所の近くに徳川幕府は朝廷との交渉しやすく二条城を築城し伏見城は廃城となりました。徳川幕府は15代続き現代に至るまで、文化財は世界文化遺産の評価を得られるほどに客光を浴びています。 本日は、修学旅行生では、欠かせぬ二条城です。【二条城1.】 世界文化遺産登録 修学旅行生が、近年タクシー観光を各社利用される学校が増えて来ました。一見贅沢の様ですが、安内による【見所】貴重な時間の有効性、迷わずに目的地が、多く観られます。そして何より大切な事は、【安全管理】父兄の方が一番我が子の安全を心配。要所に先生方が、待機して生徒さんたちに、安堵感を与え、微笑ましい光景が、見られます。二条城の外周 二条城の周囲は、2km(京都御苑は4km)ジョギングされる方を多く見かけます。それだけに、観光コースも三通り1.二の丸御殿の内部だけ見て帰られる2.二の丸御殿と池を廻って帰る。3.本丸庭園も観られる方、でしょうか。 二条城のあらまし•1. 徳川家康が、上洛の際の宿所として、1603年造営•2. 徳川家康と豊臣秀頼との、二条城会見がここで行なわれました。•3. 家光の時、後水尾天皇をお迎えすることで、外堀の西半分を拡大し、城郭として、盛大な宴が、模様されました。後水尾天皇の中宮が、家光の実の妹で【和子】(まさこ)後の【東福門院】で尚更に盛大にお迎えの設備が整いました。•4. 家光以降は、将軍の上洛もなく、幕末14代家茂の上洛が有りました。•5. 1750年落雷で、天守閣焼失。1788年天明の大火で、建物一部焼失しました。•6. 1867年(慶応3年)15代将軍徳川慶喜の【大政奉還の儀】が二の丸御殿大広間で行なわれました。•7. 1884年徳川幕府の終幕で、宮内庁の所管となり、二条離宮と改称されました。現在は、京都市管轄となりました。•8. 【国宝・二の丸御殿】•9. 【特別名勝・二の丸庭園】小堀遠州作庭 順路•1. 駐車場前の受付。•2. 東大手門(重要文化財) 暴れん坊将軍によく出てきます。東大手門 •3. .番所 江戸から毎年2組(1組50人)が、4月に交代で派遣されます。裃姿(かみしもすがた)が上役の人形です。坐姿は、番士の人形です。•4. 土塀に5本の筋が見かけられます。【筋塀】と称し、門跡寺院等寺格を表すと申しますが、京都では殆ど5本です。寧ろ「飾り」と思えます。 国宝唐門•5. 【唐門】二の丸御殿の正門。西本願寺の唐門と同じく、「伏見城」から移築されたとの伝えです。良く観ますと「雲龍」「竹に虎」「牡丹に唐獅子」等豪華で鮮やかで、盛んにシャツターを切って居られます。 国宝・二の丸御殿•6. 二の丸御殿の入り口前庭、プロの写真家が記念写真をと待機しています。 他でも、シャツターチャンスと考えてよいでしょう。次回は、御殿内へ。
2014.04.15
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関連性をもつて、観ていただけますと、それぞれの意向に、共通する深い趣がうかがえそうです。 南禅寺は、鎌倉中期に禅宗として、建てられましたが、 応仁の乱または火災で焼失してしまいました。庭園は有る程度遺されました。徳川時代に再興された南禅寺そして塔頭が現代のこされています。本日の金地院(こんちいん)は徳川家康と懇意にあった崇伝和尚が庭師、小堀遠州に庭園を造りました。 【金地院】 東照宮への道 鳥居が立っています。 南禅寺の塔頭の一つで、「三門」の前の「中門」の外に位置します。徳川家康に仕えた「崇伝」が京の地に【東照宮】を造営し、今に残っています。 苔庭 参道 本殿入口 東照宮本殿 本堂の前には、枯山水の「鶴・亀の庭」として大きい岩が横たわっています。東照宮に対して吉慶を象徴した【祝儀の庭】とされ、「小堀遠州」 作と云われています。二条城の庭園も同じくです。 鶴・亀の庭枯山水庭園 方丈庭園「八窓席の茶室」は遠州好み「三畳台目」の茶席で名席とされています。私の京都観光周期も4月末で一区切りとなります。世界文化遺産の寺が残されていますので順次ご紹介します。明日は二条城です。
2014.04.14
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桜前線とモンシロチョウも東北に近付いてきたようですね。京都では最終御室仁和寺の八重桜が美しさを表しています。 石川五右衛門で有名な「ああ絶景かな・絶景かな」のセリフをのこしたという南禅寺三門のすぐそばに天授庵の庭園が三門の上からも眺められます。 本日は、南禅寺開祖の【大明国師無関善門禅師】をお祀りする開山塔で枯山水と池泉回遊式庭園と東庭と南庭に分かれた趣の深い庭園で三門の上からも垣間見ることが出来ます。【天授庵】 南禅寺の塔頭庫裏の入口 南庭への入口石畳が菱形で龍の蛇腹正門からの道も苔に満ちた石畳 此処の見所 正面が正門 苔庭南庭に通ずる書院 竹林も見えます 池泉回遊式庭園作者不明でも、南北朝時代の様相が伺われます。本日は写真だけで観察してみてください。800年の 遺された 平和な景色が 私たちの時代に壊したくないです。明日も南禅寺の境内にある塔頭に参ります。昨年秋の紅葉「行こう京都へ」の題材になった場所です。
2014.04.13
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春の京都御所一般公開も、天皇陛下傘寿のお祝いで、日頃滅多とみられない開門の姿を多くの皆さま方にも観て戴いて佳かったです。私も生まれて初めてでした。情報に駆けつけました。気温は上がらず、強い風にさいなまれました。東京でも皇居の一般公開が初めてされたことで皇室との親しみが近く感じる様になりました。 【南禅寺2】 南禅寺境内にある塔頭 天龍寺の庭園を造られた 夢想国師の作庭従って歴史が古いです。【南禅院】開基 無関普門 寺でなく 院です 南禅寺の境内で、【水路閣】レンガ造りのアーチ形を潜り石段を少し登った所に有ります。 入ったところの 庭園同じく「水路閣」を更に登り詰めますと、疎水の勢い良く流れる水路を眺める事が出来ます。 水路閣の上 水路閣コノアーチの右際に南禅院が佇んています 奥の庭園 こじんまりした庭園ですが、【夢窓疎石】の作庭で、庭の要素は、瀧を始め揃って存在しています。南禅寺の発祥の地で、徳川綱吉の母に当たる「桂昌院」の寄進により再建されました。奥の庭園 紅葉の時期も素晴しい景色を見せてくれます。次回も南禅寺の塔頭をご紹介します。
2014.04.12
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京都御所の春の一般公開が9日から始まりました。13日までです。今回は天皇陛下の傘寿を祝って、御所の正門である【建礼門】が開放始めてなので昨日取材に行ってきました。爽やかな天気と思いきや急に冷え込み、風が強く吹き付けていました。外人の方も多く観られました。京都観光が今年は可なり増加したと言われます。 天皇陛下の傘寿をお祝いして解放された正門【建礼門】 堺町御門葵祭・時代祭はこの門から外へ京都御苑の一部もみじの新緑が芽生えていました 山桜が満開でした開放された御所正門【建礼門】葵祭・時代祭の出発点です新御車寄玄関に飾られたうま年にちなんで馬の絵跳馬図と乗馬の打毬図紫宸殿の回廊紫宸殿の回廊紫宸殿の正面左近の桜紫宸殿右近の橘紫宸殿扁額 紫宸殿正面から開かれた【建礼門】を望む小御所の庭園小御所の庭園寿老人が杖と扇を持って鹿と対峙長寿を寿ぐ鶴の絵は、寿ぎから御殿内に200羽ほど画かれるいるとのこと昨年の御所の桜明日は再び南禅寺の塔頭に参ります。
2014.04.11
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足利義満の定めた、京都五山の上位は 【南禅寺】でした。 五山の上位 南禅寺第一位 天龍寺第二位 相国寺第三位 建仁寺第四位 東福寺第五位 万寿禅寺足利義満がきめたので、大徳寺・妙心寺は断ったそうです。 三門 義賊 石川五右衛門の 嗚呼絶景かな が有名です三門から参道 【南禅寺】 臨済宗南禅寺派大本山 開基 無関普門 山号 瑞龍山 禅宗五山の上位に格式が高いことが伺われます。五山の1位天龍寺2位相国寺3位建仁寺4位東福寺5位万壽寺とされています。【三門】は義賊「石川五右衛門」の楼上よりの「ああ絶景かな・絶景かな」と歌舞伎で有名に成った【楼門五三の桐】(さんもんごさんのきり)の一場面です。傾斜の急角度の梯子を伝って楼上に登りますと、その光景が体験できます。 法堂三門より参道の正面に【法堂】(はっとう)が有り、狭い窓から内部が見にくいですが、正面に「釈迦三尊」が天井には、龍が画かれています。 水路閣 【水路閣】 (すいろかく) 京都をイメージした明治の名所で、ポスターによく紹介されます。レンガ造りでヨーロッバ風のロマンチックな風情を感じます。 水路閣の上、疎水の流れ その上には「哲学の道」へと京都唯一の坂に逆らって北に向かって流されています【疎水】の分流が流れています。 田辺朔郎博士像 【琵琶湖疏水】 琵琶湖疎水開通式が昨日 ただのデブ0208さんノブログでご紹介が有りました。 1890年4月9日 正に四苦八苦の感性でした。120年前です。明治2年工部大学(東大)卒業論文に【田辺朔郎】(たなべさくろう)が運河により滋賀から京都への物資の運送に便を成し、そのうえ「蹴上の地」で傾斜を利用して「水力発電」を計画。日本で電車弟1号を発車させました。その論文を採り上げた京都府初代知事【北垣国道】 (きたがきくにみち)の英断で、苦難と財力の超過で完成。そのため知事を誹謗して「こんどきたがきは、ごくどうもの」と名前でなじったそうです。現代【水】に恵まれ、疎水の周りには、桜並木が何処も彩り、人の心の潤いに大いに寄与しています。銅像は「蹴上」に田辺工学博士が、平安神宮の西の方に「北垣知事」が今も見守ってくれています。 【本坊】受付の前に履物を脱ぐ場所に、 【脚下照顧】(きゃくかしょうこ)禅宗の教えで、履物を揃えて置く様な心掛けで、禅寺を鑑賞するとよりよく、理解出来る意味で書かれていました。確かに以前も何回か記していますように、禅宗の寺院では、修行僧の行事か、「塵一つ落ちていません」 清浄感を味わうことが出来ます。廊下には、「五山の寺院の名」「東山三十六峰の山の名」が掲げてあり、一つの部屋の向う小庭には、「シシ脅し」のセットが見られます。(詩仙堂参照) 方丈庭園 【方丈庭園】「小堀遠州作」と言われる、枯山水の立派な白川砂で覆われた広い庭園に縁に坐って、ボタンを押す事で、説明が始まります。片隅の岩の配置は、【虎の子渡し】 を象徴するように、豪華なものです。襖絵は、狩野派の親子三代「狩野元信」「狩野永徳」そして「狩野探幽」の立派な絵が観られます。特に「探幽」絵の「水飲みの虎」は、有名です。何故か「三尊石」を象った石群があちこちの庭に見られます。
2014.04.10
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4月8日は、小学校の入学式も各地で行われましたね。桜の花も祝福しているみたいです。ソメイヨシノが満開と言う事で醍醐寺に取材に行って参りました。毎年4月の第二日曜日今年は13日に 豊太閤の醍醐の花見行列が1時から行われるようです、桜の様子を映像だけご紹介してみます。 国宝五重の塔と桜醍醐寺総門の桜駐車場から桜のトンネル駐車場から入ったところ醍醐三宝院の入口勅使門と桜秀吉の知恵 勅使が来られると真ん中の五七の桐が隠れ菊の御紋がもてなします閉じれば真ん中に豊臣の家紋が憚ります太閤花見行列の道仁王門太閤花見行列の道本堂国宝金堂桐の葉 両側5枚 真ん中7枚五七の桐 豊臣の家紋国宝五重の塔京都で一番古い五重の塔本堂国宝金堂舞台では太閤花見行列の際に仕舞が興じられます准胝観音堂西国三十三ヶ所観音冷笑札所弁天堂可成り花が池に散っています弁天島での茶店谷川にはもう紅葉の若葉が新鮮です弁天堂の桜真言宗醍醐派の総本山のため弘法大師開山 理源大師 の祖師堂豊太閤花見行列の道京都はまだ桜を求めて訪れる方が多いです。お寺の内容については後日ご報告したいと思っています。
2014.04.09
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4月8日は、小学校の入学式も各地で行われましたね。桜の花も祝福しているみたいです。ソメイヨシノが満開と言う事で醍醐寺に取材に行って参りました。毎年4月の第二日曜日今年は13日に 豊太閤の醍醐の花見行列が1時から行われるようです、桜の様子を映像だけご紹介してみます。 国宝五重の塔と桜醍醐寺総門の桜駐車場から桜のトンネル駐車場から入ったところ醍醐三宝院の入口勅使門と桜秀吉の知恵 勅使が来られると真ん中の五七の桐が隠れ菊の紋がもてなします閉じれば真ん中に豊臣の家紋が憚ります太閤行列の道
2014.04.08
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昨日あたりから青空で気温もそこそこ暖かく成って来ました。京都の桜だより最終日となりました。本日は、京都らんざん大覚寺の大沢の池を巡りての桜の景色をご紹介します。 納経堂時代劇の撮影には良く出てくる場所です 遍照山が池に映る大沢の池遍照とは善し悪しに関わらず遍く照らすから太陽の意大沢の池 湖畔の入口左の建物大覚寺境内水鳥が遊泳左大覚寺境内 大沢の池大沢の池 大沢の池 赤い橋がみえます。此処も時代劇の撮影によく使われます。大沢の池を 振り返りますと嵐山の連山が借景となります。大覚寺境内の土塀ここもよく時代劇のロケによくつかわれます。大覚寺表門の桜桜の満開に合わせて、3度観桜の取材に出たのはこの歳で初めてです1週間京都の桜如何でしたでしょうか。明日から本来に戻って、京都の社寺をご紹介したいと思います。明日は、禅宗の南禅寺に参ります。
2014.04.08
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日本各地で、桜の花を謳歌していましたが、低気圧の影響で皆さんに惜しまれつつも、散って行ったようです。此れからは、東北・北海道へと変遷していくことでしょう。嵐山は、外人を含む観光客で賑わいました。渡月橋嵐電駅前にある【美空ひばり館】の桜渡月橋を渡ったところに【法輪寺の塔】がみえます。子供の十三詣まいり知恵と福徳を授かって橋を振り返らないで渡れば知恵が授かるといわれています。可愛い和服姿の子供さんたちの姿もちらほら見かけました。中之島の桜渡月橋を西側からの眺め保津川の堰対岸の山肌に桜の疎ら咲き桜シリーズも次回大覚寺大沢の池で最終回とします。
2014.04.07
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本日は京都府知事選の投票日、寒風あられも含むなかで今年度最初のゲートボール大会に参加ふるえていました。帰ってから今投票してきました。 昨日撮った地元藤の森の桜 開花宣言の時と同じ場所の映像です。 何れも琵琶湖疎水の伏見地区の満開の桜です今日の強い寒風で可成りちってしまったかもしれません明日は嵐山の昨年の桜ご紹介します。
2014.04.06
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冬への逆戻りの様に冷え込む昨日からの天候です。皆様体調の調節にご留意願います。桜の花は命が伸びるかもしれません。 本日は、世界文化遺産 二条城の昨年の桜をお届けします。気象庁では此処を基準の開花宣言される場所としています。外堀の櫓大手門二の丸御殿と桜二の丸庭園と桜二の丸庭園と桜二の丸庭園 小堀遠州作特別名勝(国宝)の庭園です。内堀清流苑清流苑の桜外人さんも櫻苑桜苑桜苑桜苑
2014.04.06
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冬への戻りの様な気象になりました。満開の桜が花吹雪の様に散りはじめました。4月3日に宇治の平等院鳳凰堂の1.5年に及ぶ平成大修理から内部拝観が再開されました。約7500人の観光客が訪れられました。再開二日目の 昨日取材に出かけました。鳳凰堂の内部拝観には、2時間待ちで見送りました桜の花の咲いているうちにと写真だけまずはご報告します。鳳凰堂 宇治橋から宇治川を望む宇治橋を背景に源氏物語の紫式部像 内部拝観の通路受付2時間待ち 再開二日目池にも写されています十円玉のデザイン池の対岸両方に鳳凰も煌めいていました右奥の人の群れは次に内部にはいれるひとたちです20分ごとに説明があります国宝阿弥陀如来像が祀られています藤原頼道は、現世でも極楽浄土を表そうとしました桜が寄り添うていますこちらも桜が満開です右手は、日本三名鐘の釣鐘で本物の国宝梵鐘は鳳翔館に置かれています形が美しいとしての梵鐘です桜とお堂が似合います鳳翔館の入口に蘭の花が綺麗でした国宝雲中供養仏など展示されています桜の花吹雪が見られました池面に浮いています惜しまれて短い期間の美しい姿でした赤い橋が何とも言えません鳳凰堂内部への路です州浜が美しいです内部の拝観を20分掛かりで終わられた方々です池を一周して帰って来ました。平等院のご案内は後日更新します。
2014.04.05
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本日は、 【哲学の道の桜】 です。琵琶湖疎水の支流に当たり、南禅寺の 【水路閣】の高さから水の流れは、鴨川とは逆に南から北上して 哲学の道を流れています。京都の街の北方 【松ヶ崎浄水場】 に達します。そして途中では、各屋敷の庭園の池にも注がれています。琵琶湖疎水の構想の趣の深さに感動します。 銀閣寺道の橋のたもとに石標 ソメイヨシノ桜の間から「大文字」南禅寺境内の「水路閣」「水路閣」の上を疎水の支流が勢いよく流れています。 哲学の道」の桜お日柄も良かったのでしょうか 大安 結婚式の艶姿が見られました。 哲学の道」の桜 1.8キロ川の流れと桜並木でした。哲学者、西田幾多郎先生は、何を感がへて、この道を散歩されたのでしょうか。明日は、世界文化遺産二条城の桜をご紹介します。
2014.04.04
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昨日京都気象台は、桜の花満開宣言しました。アクセス170,000は今朝早朝にたっせいすることができました。皆様方の温かいご支援によるもので深く感謝の意を表します。 ブログデータブログ名:京都観光をご案内し・・・総アクセス数:170020 アクセス(平均 109 アクセス/日)開設日数:1562日(開設日:2009/12/23)日記記入率:95.7%京都の桜二日目岡崎公園疎水べりのソメイヨシノの満開風景写真で送ります。蹴上インクラインから降りた場所の噴水観光船はここから乗船右手に岡崎動物園珍しく「黄桜」が咲いていました。向かいが岡崎動物園バックが大文字山京都市美術館観光船平安神宮の鳥居がかすかに見えます。平安神宮の橋から東を向いて平安神宮の橋から西を向いて。明日はいよいよ哲学の道のソメイヨシノ桜をたっぷりとお届けします。
2014.04.03
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昨年の桜です。此処暫く雨が降らない一週間の予報です。皆様方の応援のお陰で。本日170,000アクセスいただけそうです。感謝しております。昨日高齢者運転免許更新の講習並びに痴呆検査終了証書もらってきました、 【琵琶湖疎水】の一環として、琵琶湖から運河で、トンネルも幾つか超え此処蹴上の小高き水位から水を一気に落として【水力発電】 の構想を造り上げた場所で、運河を利用した荷扱いの船は、 【インクライン】 と言って傾斜鉄道で、平地まで運ばれました。桜の並木で順次その過程を写真で知っていただければ幸甚です。 地下鉄「蹴上駅」下車右手の斜めの坂が傾斜鉄道跡階段を上り詰めた蹴上公園以前にご紹介しました疎水考案者 田辺朔朗工学博士像東京工大(東京大学前進)の卒業論文が採用されました。銅像の前から望む銅像の前から岡崎公園を望む銅像の横に水力を利用する傾斜の土管傾斜鉄道の桜並木京都一流ホテル 「ウエスティンホテル都」日本初の水力発電所明治煉瓦造りインクライン 船を載せています。並木の桜並木の桜傾斜鉄道を望む傾斜鉄道が平地に無事到着下の水面にもぐり込み船は浮かびます。噴水が彼の偉業を感謝と讃えをしています。どれだけ多くの人たちが文明をあじわわしてもらったかを 明日は岡崎疎水の観光船着き場利用 1000円 時間待ちが長く歩きました。【蹴上】 (けあげ) 地名伝説源義経が16歳の時、鞍馬山から奥州平泉へにおもむくとき、此処で家来と一休みしているときに、平氏の群れ9名の馬が蹴上った土が義経の鎧を汚したことで 全員切り殺したということです。明日は、岡崎疎水の写真を送ります。
2014.04.02
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いよいよ4月に入りました。 祇園花街では、舞妓さん達の都をどりがはじまります。正に春到来の環境になってきました。 昨日は打って変わっての快晴に恵まれました。ソメイヨシノも満開近い最も美しい姿を見せていました。ゲートボールの親睦会の帰りに寺田屋の前の十石船の通う運河の桜と柳を撮って来ました。疲れ切ってしまって多くの方のアクセスそして温かいコメント頂きながらお返事出来なくってご免なさい。170,000がちかづいてきました。とても励みになり感謝しています。 港公園の桜ゲートボール親睦会の様子審判員も立つて見ていますお互い愉しくゲートボールの競技を行っています近くに坂本龍馬の寺田屋があります。月曜日定休で中まではご紹介出来ませんでした 寺田屋の前に伏見港があります運河に成って大阪難波に通じていきます桜と柳が調和していますユキヤナギもきれいでしたテレビによく出る大倉酒造の背景です月桂冠酒造桜と柳十石舟が見えます船着き場側に大倉酒造が見学できます舟の車庫京阪電車の高架橋桜も最も見ごろでした
2014.04.01
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