全17件 (17件中 1-17件目)
1
金曜日の夜出発したウルルンより、今晩無事戻りました。寒かったです。ですが、比較的いい天気で会ったこともあり、この時期にしては「極寒」ではなかったです。外気はウランバートルの寒さよりもちょっと寒い程度でした。ですが、ゲルの朝はぬくぬくアパートとは違い、零下になった(?)と思われるような寒さでした。2泊3日で、下着も上着も靴下も着替えた回数はゼロ、洗顔はゼロ、歯磨きは1回、手洗いも1回というまずまずの環境でした。明日以降、ゆっくりウルルンの様子をアップします。
2010.01.31
コメント(0)

テレビ局を出発しました。撮影は既に始まっています。車は「ナラン・トゥール・ザハ」と呼ばれるモンゴル最大の市場に向かいました。実は、私はここを訪れるのは今回が初めてです。私はどこの国へ行っても、時間があれば市場を覗きたい方なので、もちろんこの一番有名なザハのことは知ってました。ですが、あまり良い話を聞かないのです。とにかく危険だ、スリが多い。いや、スリどころか強盗もたくさんいる。しかも白昼堂々と皆が見ている前で集団でお金などを取る、などなどです。外国人は言葉でわかるので、特に狙われやすい、などです。現に身近な人にその旨聞くと、ほとんどの人が「絶対一人では行ってはいけない」と言います。とはいえ、今回はテレビ局の人も一緒だからいいでしょうと思いました。ですが、カメラマンさんも「このザハでの撮影は気乗りしない」と言ってました。トラブルがないことを祈ります。いよいよ到着です。財布や携帯などは、ズボンのポケットから出し、コートの内側のポケットにしまいました。カメラもあまり使える雰囲気ではなさそうです。驚いたのは、このザハが露天だということです。かなり広い敷地なのですが、ほんの一部を除き、ほとんど全部露天です。つまり寒さそのままということです。今まで他市内のザハや地方都市にあるザハにも行きましたが、全て屋根つきでした。ですが、ここは露天なのです。聞けば、食品関係の場所には屋根があるそうです。ちょっと信じられません。マイナス30度を下回る寒さなのに、お店が屋外にあるのです。マイナス30度以下での露天市場って他にあるんでしょうか?冷凍倉庫の中で市場やってるようなものです。とにかく寒いです。北海道の釧路とか根室とかの夜の最低気温よりも低い温度の中、屋外で商売しているのです。わずか1時間ほどで皮手袋の下の手は痛くなり、足も痛いです。手袋もブーツもモンゴルで買ったものです。街を歩いていて、ここまで冷たくなったことはありません。買い物客は、手袋もしてない人がいます。店員さんも辛いでしょう。動き回るわけではなく、同じ場所にずっといるわけですから。足が冷たいのには理由があります。地面がどこも凍っているのです。もちろん、地面は土ではなくコンクリートだからでしょうか?とにかく路面がどこも凍結しているのです。ですから、スケート場の上を歩いているようなもので、足がどんどん冷えて行きます。カメラマンさんもこの寒さの中、大変です。ここではデール(モンゴルの民族衣装、冬用のは内側に羊毛がついていて暖かい)とブーツ(これもモンゴル風の革製です)、手袋を買いました。デールは私の着ている分厚いコートを着たまま、その上から着る大きさのを買いました。相当大きいですが、確かにこれなら暖かそうです。手袋も、今の手袋をしながら二重にできる大きさのを選びました。ブーツは、インナーとアウターに分かれているタイプで、インナーはフェルト生地、アウターは革のです。買い物時の様子の撮影するため、私はモンゴル語で「いくらですか?」と聞きます。値段を聞いて「高いねー。安くして。」などと一応交渉するというものです。お金はスタッフが私に渡し、私がそれを店の人に渡すという段取りでした。更に「向こうでは、日本料理を作ってもらいます」と言われていました。「寿司とかてんぷら、できますか?」なんて言われても、ウランバートルでも作れないのに、そんなものゲルで作れるはずないです。「ま、カレーしかないだろうな」と。Mさんは「カレーって日本料理ですかね?」と言いました。「モンゴル人は和食と日本で食べる料理の意味の違いはもちろん知らないでしょう。日本で食べる料理ってことでいいでしょう。」と決定。ですが、私もMさんもカレー作戦が上手くいくとは思っていません。私は以前、レトルトカレーをモンゴル人に食べさせたことがありますが、一口で「もういい」と言われました。Mさんは、知人の話で「遊牧民は、あのカレーの色、形が嫌いだそうです」というのを聞いていたからです。ま、まずそうに食べる様子も、テレビ的にはいいのかもしれませんけど。ザハにも食品は売ってますが、カレー材料はスカイというスーパーマーケットで買うことになりました。もちろん、これも撮影の対象です。まずはスタッフがスカイに撮影できるように交渉します。しばらくして戻ってきました。撮影はOKですが、場所は食品売り場だけ、時間は10分だけというものでした。ですから、あれこれ悩まずにさっさと材料を買えということになりました。入店前に、スタッフにピンマイクを付けてもらっているMさんです。私はよくスカイを利用していますので、まずはカレー売り場へ直行。ここには中国製S&Bのカレーが置いてあります。味は日本製とはちょっと違うらしいですが、まあ大差ないでしょう。あとは、玉ねぎ、人参、じゃがいも。そしてお米です。これらを全部買って、この日の日程は終了しました。今日買えなかった、デールを着る時の帯とか毛皮の帽子などはスタッフが買っておくそうです。さて出発は、金曜日の夜の7時となりました。どうなるのでしょうか?
2010.01.29
コメント(2)

昨日27日水曜日、コンサルティングの新しいお客さんを訪問した後、ウルルン番組での市場での撮影が予定されていました。当初は「2時間程度で終わります」と言われていましたが、当然それで済むはずはありません。午後1時過ぎに、社長さん自ら社用車にて私のアパートまで迎えに来て下さいました。その後、モンゴル国立大学に関西の大学から留学に来ているMさんを迎ええに一緒に大学の寮に行ってから、テレビ会社に到着しました。そこで今後のことを打ち合わせました。スタッフに会うのは今回が初めてです。それまでは電話だけで「大丈夫ですか?」という程度のものでしたから。一緒に田舎に同行するスタッフの方々も紹介されました。田舎へは、私たち2人とカメラマン2人、照明、ディレクターそして運転手さんと総勢7人で行くそうです。車は会社のロゴマークの入ったデリカスターワゴンです。今日、ザハ(モンゴルの市場)に行って必要なものを買い物をし、出発は29日金曜日の夜ということになりました。打ち合わせを終えると、私が社長のUさんにお願いして社内見学となりました。テレビ局は結構大きなビルの5階、6階を借りているようでした。エレベーターを降りると、まず受付があります。受付はきれいなお姉さんなんですが、恥ずかしがってカメラを見てはくれませんでした。こちらの部屋はニュースの編集です。スタッフは全員女性でした。「男性はいないのですか?」と聞くと「男性は記者として走り回っています」と言ってました。なるほど、男性が集めてきた情報をこちらで編集しているようです。いよいよスタジオです。この部屋はいろんなセットで毎日様子が変わるようです。新しく観客用の席を作って、バラエティやトークショーみたいなのもやるそうです。私たちも、後日ここで撮影することになります。別なスタジオでは本番中もありました。これはニュースではないそうで、何かを解説していると言ってました。このスタジオの放送は、別の部屋で編集され流されていたようでした。本番中の女性が映っています。と、子供のようにテレビ局見学をしました。さて次はザハです。いざ出発です。「続く」
2010.01.28
コメント(0)
昨日、友人のBさんから「ちょっと新しいお客さんから、コンサルの話が来ているので明日同行よろしいですか?」と連絡がありました。ですが、その予定は無くなったということになったので、今朝は安心して例の小中高での日本語授業に行ってました。子供たちの反応は、毎回楽しいものがあります。で、授業を終えてすぐに「やっぱり今日これからなんですけど、いいですか?」とBさんから電話が来ました。ま、モンゴルのいい加減なスケジュール管理には慣れっこになっていたので、「40分後に行きます」と約束しました。そして初めて訪れる会社の社長さんに会いました。私のことは、前日までにBさんが紹介していたので、挨拶もそこそこに早速お話を伺いました。これは日本でもモンゴルでもどこでも同じです。最初から見たこともない「コンサルタント」なんて名乗る奴を頭っから信用している経営者はいません。基本は疑いの目です。「こんな日本人に本当にわかるのか?」「うちの業界は特殊だから(これはどの業界の人も必ず言います)一般論しかわからないんじゃないか?」とか。昨年コンサルをしたお客さんとは違い、今日会った社長さん以下幹部は、英語は全然だめでしたので、100%日本語でBさんの通訳を通じて話しました。でも「こいつは本当に使えるのか?」という疑いと同時に、当然わざわざ呼んだってことは課題もあるわけです。私はじっくり話を聞きました。そしていくつか質問をしました。質問をいくつかしていると「いやー、全くそこが私が問題と思っていたところなんですよ。」などと反応が出てきます。しかも「こいつわかっているな」という感じの笑顔です。20分ほどしたら私が聞いてもいないのに、社長さんはBさんにこう言いました。「ほんのちょっと話しただけで、わが社の”キモ”(Bさん通訳のまま)を理解するとはすごい。こんな人にお願いしたい。」と言ってくれました。ちなみに、結構いろんな業界をコンサル経験している私でも、この会社のいる業界の仕事は日本でも全く経験はありませんでした。だから業界知識はゼロです。こういうところが経営コンサルタントのだいご味というか、嬉しくなる瞬間でもあります。駆けだしのころ、雲の上の存在だった先輩らの魔法のようなやり取りを聞いていましたが、私もようやくそういう方々の足元くらいには来たかなと、勝手に喜んでいます。20分前までは、全く知らない異国の経営者が、こうして通訳付きのわずかな会話で信頼を寄せてくれるのは本当に嬉しいです。この後も話は進み、1時間ちょっとのミーティングは終わりました。で、これからです。Bさんはかなり嬉しそうでした。なかなかコンサルティングビジネスを立ち上げるのに苦労していましたが、ここへ来て昨年のお客さんのリピートオーダーが来たりで「パイプライン」なるものを管理しないといけないほどになってきたのです。ですが、同時に問題も。Bさんが忙しすぎてボトルネックになっているのです。実は2週間前にもある会社とコンサルティングの話をし、口頭では合意に近いところまで行った案件があるのですが、それも進んでいません。私は、ミーティングから戻って2日ほどでプロポーザルを作りBさんに渡したのですが、まだBさんの手元に眠ったままでモンゴル語にはなっていないのです。そこへまた、この話です。しかも、Bさんは既存のプロジェクトを2本抱えている上に、大統領も出席するというフォーラムの準備もやっています。かといって、私のプロポーザルをモンゴル語に訳せる人は簡単には見つからないし。そもそも私一人では、先方とミーティングすらできないわけです。とはいえ、今は必至で頑張るBさんを見守るしかありません。私は私で、今日のミーティングを受け、明日にでもプロポーザルを書き上げるでしょう。Bさんには何度も「プロはズピードが命」とは言ってますが、モンゴルではどうもそこが一番難しいかもしれません。
2010.01.27
コメント(0)
昨日薬を飲んでぐっすり寝たのが良かったのか、今朝は元気に目覚めました。熱を測っても、もう大丈夫でした。やはり子供のころから風邪にだけは強い体質は、まだ続いてるようです。当初、今日の午後に予定されていた「ザハ(市場)への買い物」撮影は、27日に延期されたので良かったです。少しは食べないとと思い、昼は雑炊を作って食べました。午後は、学部長が会いたいということでしたので会うことになりました。新年に入ってから一度も会ってないかったのです。ビザの問題や給与の問題など、いろいろ話さねばならないこともありました。約束の3時に学部長室へ行くと、鍵がかかったままです。そこから電話すると、「あー、今外です。3-40分後には戻ります。」と言いました。こういうやり取りは、モンゴル人の典型です。きっとモンゴルに住んでいる方なら理解されることでしょう。前にも書きましたが、モンゴル人の約束と日本人の約束は意味が違います。日本人にとっての約束というのは「その時間にその場所で会うことを意味し、そのためにできるだけその前の行動をそれに間に合うように努力する。」というものです。ですが、これまで1年半ほどモンゴル人と接してきた私なりのモンゴル人への見方はこうです。「約束とは約束した時点での単なる予測であって、何が何でも守らなくてはならないものではない。というか、約束を守るという概念はあまりなく、多分その時間にその場所にいるだろうというあくまでも「予測」でしかない。」ということです。さすがに、日本や欧米への留学経験者は約束の意味はわかっていますが、多くの普通のモンゴル人にとっては日本人が考えるほど約束は大切なこととは考えてないようです。ですから、今回のようなことは普通に頻繁に起こります。日本人なら遅れることが分かれば「すいません、40分ほど遅れます」と事前に連絡しますが、モンゴル人はまずそういう連絡はしません。ですから、その時間になってこちらが連絡して初めて知るのです。更に「3-40分遅れる」という場合は、大体その倍、つまり1時間から1時間半は遅れるという意味です。この辺も、モンゴル在住の日本人なら「そうそう」とご同意いただけると思います。なので、遅れて会う時も「すいませんでしたね、お待たせしてしまって」などという発言はまずありません。なぜなら、約束とは守るべきものではなく、その時点での予測でしかないからです。敢えて言えば「私の予測がはずれてしまってすいません」というところでしょうか。案の定、1時間以上遅れて会うことになりました。京都大学出身の学部長でも、時間感覚はすっかりモンゴル人です。給与の問題については、実は大学に来る直前に銀行残高を見たら全額振り込まれているのを知りました。当初、1月8日に振り込まれるべき給与が支払われてなかったのですが、1月22日付けで、22日に払う分と一緒に8日に払う分もまとめて入金されていたのです。で、学部長と会いました。話は拍子抜けするほどフレンドリーでした。給与を止めるというのは大きなことですし、よほどのことなのかなと思って行ったのですが・・・ まずは、ビザの話し。私がパスポートを見せながら事情を説明すると「そりゃあ、ひどいね。」と全面的に理解してくれ「マルチビザの指示は私も外務部に指示してますから、誤解なんてあるはずないです。」と言いました。で、今は一応マルチビザを出す方向で動いているので、その経緯を見守ることになりました。次は、コンサルティングの話し。学科長がその件で、私に大いに助けてほしいと言っている旨、改めてお願いしたという話です。それで「じゃあ、これからもよろしく」と言いました。あれ?給与の話は?私が、入金があったことを確認した旨話すと、笑っていました。当初は、私が無断で勝手に帰国したと勘違いしたようですが、それが誤解だったことを知ったのでしょうが、全くその旨は話さず笑うだけです。私は「なぜですか?」と追及するのを止め、アジア式に曖昧なまま「これからもよろしく」とお互いニコニコして部屋を出ました。要するにどうってことなかったってことです。話を終えて、自室に戻ると学科長が「どんな話だった?」と聞きました。私がありのままを話すと、学科長も「何それ?」と不思議そうでした。学科長は大きな問題になってはいけないと、私との契約書をよく確認し、学部長にもいろいろ話していただけに、何も話さなかったことを不思議そうにしてましたが、最後は笑ってました。「私は学部長に、なぜ?なぜ?などとは深く聞きませんでしたよ。」というと「もちろん、それが一番いいやり方です。もう、この話は終わりですね。」とHBS出身の学部長もアジア式曖昧解決に納得してました。というわけで、体調も戻り、給与問題もおしまいとなり、ちょっとすっきりした日となりました。
2010.01.26
コメント(0)
昨日から今日にかけてなんと12時間も寝てしまいました。昨晩、9時くらいにものすごく眠くなってそのまま寝てしまったのです。モンゴルへ来てからの最長睡眠時間ではないかと思います。で、朝から全く食欲がありませんでした。昼間、学校へ行ってもお腹が空きません。スーパーマーケットに行ったのですが、こういう状態の時はあまりどんどん買いたいという気にならないものです。結局、夜になっても食欲はありませんでした。熱を測ってみると、37.5度。まあ、微熱というか、ちょっと熱っぽいという状態です。何かお腹に入れなくてはと思い、ヨーグルトに瓶詰めストロベリーを入れて食べました。もちろん、日本から持ってきた風邪薬も飲みました。ちょっと筋肉痛もします。典型的な風邪の症状でしょう。社会人になってからも、「風邪で仕事を休む」という経験がないほど丈夫なので、多分数日で治るでしょう。ウルルンの週末までには完治させないといけません。ではおやすみなさい。(モンゴル時間で9時です)ですが、楽天のページが開かず、アップするのになんと50分もかかってしまいました!
2010.01.25
コメント(4)
先日、以前日本企業の駐在事務所長のお宅でおでんパーティをやった時に知り合った、テレビ局の社長のUさんから連絡が来ました。モンゴルの旧正月(ツァガンサルと言います。「白い月」という意味です。)に際して、日本人を田舎に行かせて、その様子をテレビで放送したいという旨の内容でした。なんだか「ウルルン滞在記」みたいな番組かな?なんて思いました。ネットで調べると、ウルルンは、“出会ウ、泊まル、見ル、体験(タイケン)をとってまとめたもの”なんだそうです。語調もいいし、こんな造語よく考えられたな、なんて感心してしまいました。で、今週そのUさんと、私のモンゴル語クラスでの同級生だった日本人のMさんと3人で会いました。Mさんは1年間の予定で関西にある大学からモンゴル国立大学に留学している女子大生です。その1年の期間をもうすぐ終えて帰国するのですが、今回の番組には十分間に合います。最初は「絵的にはやはり若い人がいいのでしょうか?おじさんでは困るのでは?」と聞いたのですが、全然問題ないということで私も出演することになりました。私は当初「日本人を何人くらい集めればいいですか?」と聞き、4-5人くらいかなと思っていましたが、短期間でありカメラの台数の問題もあるので「二人でお願いします」ということになりました。Uさんはこの番組についての説明をしてくれました。この番組はもう3-4年続いているそうです。基本的なコンセプトは「外国人にモンゴル伝統のツァガンサルを田舎で体験してもらい、それを視聴者に楽しんでもらう」というものです。「今までは、西洋人にお願いしていました。一見して外国人とわかりますからね。昨年はフランス人、その前はポーランド人でした。」とのことです。で、今年はアジア人で行こうということになり、日本人が選ばれたというわけです。「録画でツァガンサルに合わせて放送しますので、実際のロケはツァガンサルの前にやります。2泊していただく予定です。」とのことでした。「特に日本人の場合は、清潔かどうかとかとかトイレの問題、ゲルで寝ることなどいろいろ難しそうな部分がありますけど、お二人は大丈夫でしょうか?」と聞かれました。確かに日本に住んでいる日本人が急に来たらいろいろ文句は言うでしょうが、こちらは全てわかっている話なので「はい、問題ありません。」と答えました。その田舎というのは、ウランバートルから100kmほど西に行ったところにあるゲルで、本当に普通の人が住んでいるところだそうです。「やらせは一切なしで、観光客にも慣れてない人たちです。そこで彼らのツァガンサル準備を手伝うという企画です。多分、ボーズ(モンゴルの国民食と言えるもので、羊肉がたくさん入った小龍包みたいなもの)を2-3000個作るとか、羊の世話をするとか、掃除をするとかでしょう。」と言われました。多分、日本の年末のお正月準備のような感じでしょう。それがモンゴルの大草原のしかもこの時期、一番寒い季節にやるというのがすごそうです。マイナス30-40度と接する生活は、同じ温度でもウランバートルで24時間暖房の効いた部屋で過ごすのとは全く違うでしょう。友人のBさんにその話をしたら「それはいいですね。本当のツァガンサルは田舎でしか見れません。ウランバートルのはもうあまり大したことないですから。」と言ってました。ちなみに、UさんはBさんの友人でもあります。なんせ狭いウランバートルですから、日本留学組は皆知り合いです。とはいえ、説明はこの辺まででした。Uさんは社長ですから、それ以上のことは現場のディレクターでないとわからないそうです。ロケに行く前に、ウランバートルのザハ(市場のことです)で買い物をするところから撮影が始まるそうです。デールと呼ばれるモンゴルの伝統的民族衣装を買ったりするそうです。本当に寒いところへはこのデールでないと身体が持たないとか。多分、来週のどこかでザハ撮影が入ると思うのですが、未だに連絡ありません。ま、モンゴルですから「今日いいですか?」なんて急に連絡来るのでしょうね。予定では、この滞在映像を放送する時にも私たち出演者がスタジオでも出演するのだそうです。ちなみに今年のツァガンサルは2月13日ー15日です。ロケは恐らく今月末ごろになるでしょう。ちょっと楽しみです。最後に「あのー、ギャラですけど、ゼロでお願いします。」と言われました。ま、当然でしょうね、モンゴルでは。私は「撮ったDVDを下さい」というのだけお願いしました。
2010.01.23
コメント(2)
今朝9時半頃、友人のBさんから電話がありました。 数日前にBさんが「2月にモンゴルで初めてのフォーラムをやることになったんです。主要な企業トップなどの経済人に加え、政治家もたくさん集まって今後のモンゴルについて話し合おうというものです。大統領も首相も出席するんですよ。まあ、モンゴルのダボス会議みたいなものですね。」と言ってました。Bさんはそのフォーラムの主要スタッフとして協力してるのです。「パネリストはもう決まっていますが、それとは別にテーマ別にいくつかペーパーを用意して、それを集めた冊子を作る予定です。ですので、そこに何か書いてくれませんか?大統領にも首相にも渡す予定です。」と私に依頼していました。 Bさんは6つのテーマのうち「モンゴルの競争力の向上」というテーマを担当することになったそうです。 私は「いいけど、私はそんな大それたこと書けないよ。まだモンゴルのことを知らないし。」と言うと「知らない外国人という立場でいいですから、お願いします。」と言われました。 ですが、相手は企業というよりは国です。いつもとはちょっと違いますが、まあ、少しは考えたこともあるので「例えば、こういう考えは?」といくつか話すと「ああ、そういうの良いですね。お願いします。」と言われました。 とはいえ、まだ何も書いてないし、考えてもいません。昨日、やっと今期の最終授業が終わったので、今日あたりから何か考えようかなと思っていたところでした。 ですが、今朝のBさんからの電話はそんなのんびりした話ではありませんでした。 「実は、急に決まったのですが、今日午前11時から首相と会うことになったのです。こないだ話した件ですが、何か書いたものはありますか?首相に、どんな人がどんな内容のことを書くか、発表するかを事前に伝えたいのです。」と言うではないですか。 「11時?だってあと、1時間半しかないでしょ?書いたものなんて、何もないよ。で、Bさんは何時に出かけるの?正確に言うと、何時にパソコンから離れるの?」と聞くと「10時20分です。」と言います。 「わかりました。これからちょこっとだけ骨子を書くから、待ってて下さい。」と言って、書き始めました。 10時15分頃、なんとか簡単なストーリーがわかるくらいのものは書いて、メールで送りました。 10時25分過ぎに「今、プリントアウトしました。これから向かうので、車の中で読みます。ありがとうござしました。」と言って、首相との会議に向かったようです。 彼が少人数で会うのか、或いはたくさんのスタッフと一緒に「その他大勢」で会うのかはわかりませんが、うまく話せるといいです。私はなんだか彼の「簡易シンクタンク」になったような気がしました。 Bさんが東京で駆けだしコンサルタントだった頃から知っている私にとって、どんどん成長していくBさんは逞しくもあり、頼もしいです。 ま、私の案を持って行って、コケないことを祈っています。でも、「資料もなくたった40分で書いたんだから・・・」と今から言い訳を考えています。
2010.01.22
コメント(0)
ビザ問題で再び大学の外務部に行ってきました。SRさんらの後押しで、外務部もようやく動き出しました。基本的にはマルチビザを取得する方向で動くことになりました。ですがその取得のためには、まだまだ沢山のステップが待ち受けています。今私が持っているのは、モンゴルに入国してもいいというエントリービザと滞在してもいいという滞在許可です。それをマルチビザに切り替えるには、ちょっと複雑な過程が必要なのです。まずは、一度日本に帰ってから改めて申請し直す必要があるというのです。私は「2008年にマルチビザを取得した時は、日本へ帰らずにモンゴルにいたまま取れたのに、なぜ今回は帰国しないといけないのですか?」と聞きました。それに対して外務部は「前回はあなたのビザカテゴリーの変更をせずに、そのままマルチビザにしたからできたのです。」と答えます。当然のように「じゃあ、今回も同じようにやってください。」と言いました。「それはできないのです。あなたのカテゴリーは、例外的に1回だけマルチビザを出すことができますが、2回目はできないのです」と答えました。私は「じゃあ、なんで昨年9月にマルチビザの延長を依頼した時に”それはできません”と言わずに、”OK、ノープロブレム”と言って引き受けたのですか?」と聞きたかったけど、それを言うとまた話が進まなくなるので、そこは我慢しました。「なるほど、じゃあ私は一旦日本に帰らないといけないのですね。で、東京のモンゴル大使館でマルチビザを申請すればいいのですね?」と聞くと「いいえ、それはできません。マルチビザはモンゴルでしか発行しないのです。」と言います。私はそんなわけないじゃない!と心で思いました。東京にあるモンゴル大使館への申請書にはマルチビザを申請する欄があったのを覚えていたからです。ですが、私が彼女らの流れに沿わない話をすると、またしても作業を止めてしまうでしょうから、仕方なく「はい、わかりました。じゃあ、一旦日本に帰国するだけで、東京のモンゴル大使館へは行かなくていいのですか?」と聞くと、またしてもそれもダメとのことです。彼女は「まずは、ここで出国ビザを取得します。これは出入国ビザではなく、モンゴルを出るだけのビザです。ですので、そのままではモンゴルには入国できません。ですから、東京で新しいカテゴリーでビザを取得してください。こちらから新しいカテゴリーでの招待状を送ります。」と言いました。「ですが、そのビザは単に1回モンゴルに入国するだけのビザです。」とも付け加えました。つまり今現在私が持っているビザと同じということです。ただ違うのはカテゴリーが新しくなっているということです。ここで話を一層複雑にしているのは、今の私のパスポートに貼ってあるビザのカテゴリーがその新しいカテゴリーになっているのです。だから、これは実はもう今でも実現しているということが言えるのです。私が「要するに、今の私の状態ですよね?だったら、今からでもマルチビザ取得できるんじゃないですか?」と聞くと、いかにもモンゴルらしい素晴らしい答えが返ってきました。「ああ、それは東京のモンゴル大使館のミスです。」でおしまい。あっさり言います。そんなにカテゴリーを云々言ってるくらいだから、さぞかしカテゴリーは大切なのだろうと思っていたら、単なるミスでも発行できる程度のものなのです。で、その入国だけのビザで再びモンゴルに来てからどうなるのか?「で、その後マルチビザですか?」と聞くと「いいえ、その後はまずは滞在許可の申請です。」と言います。私が「いや、それはもう私は持っていますよね?必要ないんじゃないですか?」と聞くと「あれは前のカテゴリーでの申請ですから、その時点で無効になりますから、新たに取得しないといけません。もちろん、お金がかかります。」だそうです。「で、それが終わったら、マルチビザですか?」と聞くと「はい、そうです。それを今から申請しないといけないので、書類を出して下さい。写真6枚に市役所での登録証にHIV検査、さらに講義予定表に・・・」といろいろ言いだします。私が「そんなの9月に全部出したじゃない?またいるの?なんで?この外務部には私はもうそれらを3回も出してるんですよ?いい加減にしてください!」というと「そうですか、じゃあわかりました。HIVはいりません。市役所登録もいりません。」というではないですか。たった一回文句言っただけで「じゃあ、いりません」という書類って、一体何なんでしょうか?つまりこれから私がやることは「出国ビザ」「新カテゴリー入国ビザ」「滞在許可証」を経て「マルチビザ」に辿りつくわけです。もちろん、全て私からお金を徴収します。日本への旅費を入れれば、合計で軽くモンゴル人の一般の人の給与の4カ月分くらいは取るのでしょうね。しかも、これらは彼らとして「取得するつもり」でやるわけで、例によってコミットはしてないのです。要は「こうすれば、きっと取得できるでしょう。」ということなのです。ですが、まずはこれでやってみます。日本帰国は、まだ今月帰ったばかりですから、少し先になるでしょう。2月にはモンゴルで大切な旧正月(ツァガンサル)もありますし。なんだかマルチがどうだなんて言ってるうちに、9月からスタートした今学期も半年以上も経ってからのビザ取得になりそうです。これが初年度ならわかりますが、2年目です。何も学習効果がないのがモンゴル人の特徴と言えるでしょう。これだけははっきり言えます。多くのモンゴル人には「改善」という概念はありません。とにかく、100%信じてはいないけど、この流れでやってみるしかありません。
2010.01.20
コメント(0)
大学からの給料は月に2回に分けて支給されます。通常は、8日と23日頃に銀行に振り込まれます。ですが、モンゴルに戻ってから残高確認したのですが、どうも8日の支給がないようなのです。まあ、単なるミスかなと思いました。なぜなら、2008年の9月にこちらへ来た時も、2ヶ月間も給料の支払いがなかったのです。恐る恐る、他の先生に「お給料って、いつもらえるんですか?」と聞いたら、その先生はびっくりして調べてくれました。すると、契約はしたものの支払い手続きはやってなかった、という経験があったからです。それにこの国ですから、3-4日の差はどうってことないだろうと。ですが、10日も過ぎたので、さすがにどうしたのかな?完全に忘れたのかな?と思い、今日会計課に聞きに行こうと思っていました。ところが、同部屋の学科長であるBさんと雑談している時に、ついでにその話をしたら、彼の反応を見てびっくりしました。彼が言うには「それはあなたが日本に帰っていたから、その期間の支給がないということなんじゃないでしょうか?」と言うのです。は?何それ?一体どういうこと??彼の説明では、月に2回の支給には、一応それぞれの対象期間があるというのです。で、その対象期間にモンゴルにいなかったのだから、支給はされないのかもしれないと言うではないですか。私は驚いて「そんなの聞いてないよ。そもそも今までだって、何度も一時帰国したけど、一度もそんなことはなかったです。」と答えました。彼によれば、モンゴル人の先生だったら、そういうことは十分ありうるというのです。私は「それじゃあ、月給契約じゃなくて「日給契約」じゃないですか?」と聞くと、彼は「契約はどうなっていますか?」と言います。その場では「月いくらというだけで、日本へ帰ったら差し引くなんてどこにも書いてないですよ。」と言いました。念のため、家に戻って契約書見ましたけど、当然そんなことは書いてありません。彼は「わかりました。私が、学部長と会計に確認してみましょう。ですから、あなたから問い合わせる必要はありませんよ。」と言われました。真偽はともかく、モンゴル人の先生でも、田舎へ帰ったら、その期間は大学の仕事はしてないとみなされ、日数分減給されると聞いて驚きました。その割には、勤怠管理などはほとんどやってません。ですから、おそらく正直に申告した人だけが減らされるのでしょう。私の場合も、もしビザ問題で騒ぐことがなければ、多分給与は普通に払われたと思います。もちろん、学科長ら同僚には日本へ帰国する旨は事前に伝えてありましたが、多分学部長がその減給指示を出したのだろうと思いました。学科長に聞くと、どうも私を招いた学部長とその後の学部長との間では、ほとんど引き継ぎがなく、ルールの運用はかなり異なっているようです。私は学科長に「ありがとうございます。あなたの説明で、理由はわかりました。でも、納得したわけではありませんよ。」と言いました。銀行残高がほとんどないので、日本円を両替してしばらくしのぐしかありません。それにしても、海外へ行った日数や田舎へ帰った日数を減給なんて、正規雇用者としては日本ではちょっと考えられない発想です。契約書にはどこにもかかれていないんですけどね。ま、もう、この程度では怒ることもありませんけど。どっちにしろ、日本円にしたら「大した金額ではない」のが残念です。
2010.01.19
コメント(0)
今日は暖かかったです。 ここ数日、寒さが緩んでいます。特に今日の昼間は手袋をしなくても歩けるほどでした。というか、日差しを受けると少し暖かいほどでした。それでもマイナス10度ほどですから、人間の感覚というのはあてにならないというか、わからないものです。 一緒にいた友人のBさんによれば「東京の寒い日より、今日のウランバートルの方が暖かく感じますね。これは、湿度と関係があるのです。」と言ってました。さすがに東京で寒い日といえども、マイナス10度になるなんて滅多にないでしょう。私の記憶にはありません。 ですが、確かに気温が高いはずの冬の東京より今日のウランバートルの方が「暖かいかも?」と感じてしまいました。さすがに寒さに慣れた、というのが原因ではないと思います。ウランバートルの冬はほぼ無風であることと、乾燥しきっていることが体感温度をあまり低く感じさせないのでしょう。ハワイが夏の日本より過ごしやすいのと同じかもしれません。 また実際にも、道路などの凍結もかなり緩んでおり、走りやすくなっているのも事実です。ですが日本のように、雪が降った後気温が上がって、道路や歩道が溶けた雪でぐちゃぐちゃになるということはありません。上がったとはいえ、マイナス10度以下なのは事実ですから。 ですが、どうもこの暖かさはほんの束の間のことらしいです。来週辺りからまた寒さがぶり返し、マイナス40-50度近くになると聞きました。昨年日本から来蒙した友人は、例の「モンゴル風邪」に悩まされているようです。私も喉は絶好調とは言えませんが、年末年始に日本で受けた治療のお陰で、かなり良くなりました。 体調に一層気をつけて、あと数カ月の冬を乗り切りたいと思います。
2010.01.18
コメント(0)
別ブログですが、モンゴルの資源ことを書きましたので、ご参照ください。これはその第一回目です。http://blogs.yahoo.co.jp/uncle_summy/34230965.html
2010.01.16
コメント(0)
前月12月の一時帰国時に発生した、というか発覚した私のビザ問題です。昨年9月に、モンゴル国立大学の外務部(対外折衝部)に大学との新しい契約書とパスポートを持ってビザの延長に行ったにもかかわらず、なんと「ビザの取得すらしてなかった」という全くお粗末なものです。その後、日本にいる私とモンゴルの外務部とでメールのやり取りをしましたが、その内容も全くひどいものでした。ビザは個人の問題だから外務部は関係ないとか、私からのビザ取得の依頼はなかったとか、そもそもマルチビザは取れないだろうとか、ネガティブなものばかりで「なんとか取得しましょう。」という雰囲気のものは皆無で、当然謝罪もありませんでした。やはり外務部のような対内的な仕事だけをしている(外部は役所のみ)とこうなってくるのでしょうか?ですが、私の日本滞在の後半になるに従って、ちょっとトーンが変わってきました。実は、私は外務部とのメールのやり取りを一部の先生たちにCCで共有化していたのです。もちろんBCCではなく、受信者にもわかるようにしました。ですが、私はこの大学の外務部にはほとんど諦めていました。更には友人のBさんは「あんな大学あてにしちゃだめですよ。私の会社で取得しますから、その方向で進めましょう。」と言ってくれましたので、そっちの方がいいかなと思いました。ただ、そのためには私の主たる契約者を大学からBさんの会社に変更する必要が出てきます。それもあるので、大学ができないと言うならそっちの方向で行こうと決めました。大学に戻ってみると、いつも私をサポートしてくれるSRさん(例のイギリス式教育プログラムの責任者)はかなり怒っていました。彼女は「外務部は怠慢よ。私は外務部の仕事もしたことあるし、マルチビザなんてやろうと思えばできるに決まってるじゃないの!」と言って、目の前で外務部に電話しました。彼女とは別に、やはり学部長も動いていたようです。捨てる神あれば、拾う神あり、というのが有難いというか、これがなければとうにケツまくって帰るところです。ですが「この大学にマサミがどれだけ必要だってことが、外務部はわかってないのよ!」と言ってくれる人もいるのが嬉しいのです。その辺、私はかなり単純にできてます。SRさんは「今、外務部に電話しました。あなたたち嘘ばっかり言ってるじゃないの!って。いろいろ言ったけど、何にも反論せずにじっと聞いていたわ。普通は、あんなにおとなしい対応するはずないのに。やっぱり自分たちが悪いってことを感じてるみたい。とにかく、必ずやるようにって言ったわよ。」と言いました。するとその数分後、私の携帯に外務部から電話が来ました。まず話し方が全然違います。丁寧で低姿勢です。「ビザのことでディスカッションしたいのですが、お時間ありますか?」と言われ、私は「ディスカッションの必要はないでしょう。マルチビザが取れるか取れないかだけです。取れないなら、話す必要もないです。いかに難しいかの説明だけなら結構です。他に頼みますから。」と言いました。すると、今までとは打って変わって「いいえ、私たちのところで取ります。今日、あなたのビザのカテゴリーを変更することに決めました。そうすれば取得できます。」と言ってきました。カテゴリー自体、別に私が頼んで決めたわけでもないし、今もよくわかってませんが、とにかく取得の方向で動くようです。「そもそもなんでこんなことになったんだ?だれの責任なの?」と聞こうと思いましたが、思いとどめました。前日、友人のBさんから「モンゴル人は責任逃ればかりで、自分が悪いというのが一番嫌なんです。だれの責任?となった瞬間に、もう動かなくなるでしょう。過去のことには触れずに、今後のことだけを話して下さい。」と言われていたのです。私は「だから、進歩がないんだよ。だから、同じ過ちでも平気で何度でも繰り返すんじゃないの?改善努力がゼロなのは、責任をはっきりさせないからでしょう?」と言いましたが、Bさんは「その通りです。でも、今回大事なのは改善よりも、ビザ発行です。多分あそこの外務部は本当にダメなんでしょうね。だからと言って、責任をはっきりさせようとしたら、もっと働きませんよ。」と言いました。この辺にモンゴル社会全体に「改善」が全く見られない、同じミスを平気で何度でも繰り返す根深い要因があるようです。で、今日外務部へ行ってきました。ですが、ここでの目的はビザ取得ですから、私は「なんでこんなことが起こったんだ?」ということは何も言いませんでした。外務部スタッフは、何事もなかったかのように、でも以前よりはずっと丁寧に対応しました。「とにかく、明日イミグレーション事務所へ行って、どうすべきか相談してきます。」と言って、私のパスポートを預かりました。つまり、マルチビザ取得の方向で動き出した、ということです。ですが、努力するとは言いましたが、コミットはもちろんしていません。その後Bさんに「Bさんにお願いしようと思ったけど、いろいろあって大学がやらせてくれって言うから、頼んできました。」と言ったら、Bさんは「わかりました。でも、まだもうひと波乱はありそうですね。その時に、私の方でやることになるでしょう。」と言いました。私の今回の件での一番の不満は、なぜ9月の時点で素直に「マルチビザは取れませんでした」と言ってくれなかったかということです。マルチどころか、シングルビザも取ってなかったのですから、論外ですけど。その時点でわかっていれば、いくらでも手が打てたのに、全くひどい話です。このブログは、結末が見えてない問題もそのまま書いてますので、もしかして「やっぱり外務部ではダメでした」になるかもしれません。まだまだその可能性は否定できないです。数日以内には「方向性」はわかるでしょう。Bさん経由なら、1カ月程度かかるかもしれないけど、取れることは取れるようですが。
2010.01.14
コメント(4)
今日は、友人のBさんの紹介でモンゴルでPE(プライベート・エクイティ)を始めたいという外国人(国籍を言うとこの狭い世界、すぐにわかってしまうので、個人情報保護のためすいません)のMさんと会いました。彼に限らず、最近は投資をしたいと考えている人からの話が増えています。正確に言いますと、「投資家から資金を集めて投資をしたい人」という意味です。考えてみれば自然の流れです。それまで盛り上がっていた鉱山関係などへの投資ムードは、リーマンショックで一遍に醒めてしまい、現在モンゴル国内には資金不足、投資不足の会社が多くあります。他方、多くの新興国では景気低迷も底をついたようですし、天然資源が重要な投資先であることにはなんら以前と変わらないのですから、モンゴルが見直されても当然です。回復基調にあるものの、モンゴルではいまだに銀行からの融資はほとんど期待できないので、外国からの投資が有力な資金調達と考えられるのも、自然な流れです。とはいえ、中国やベトナムという大市場を抱えた国々とは違うモンゴルでのPEはいくつもの課題があります。一般的なPEの場合、必ずしも鉱山関係の会社だけをターゲットとするわけではなく、普通の事業会社に買収も視野に入れています。モンゴルでPEをやる場合は、当然いくつかの問題があります。最大の課題は、どうやって海外から投資家を引っ張って来るかですが、それを別にしてもいくつかあります。まず、ターゲット会社の透明性をどうやって確保するかです。当然ですが、ほとんどがオーナー非上場会社です。しかも、監査という概念がまだほとんど浸透していません。せいぜい「税務署対策」です。となると、一体どの数字を信用したらいいのかわからないところがあります。公私混同などは普通に行われているでしょうから、その辺をどこまで理解できるかは重要です。国際的な監査法人の事務所はあることはありますが、一部の上場企業向けが中心で、M&Aのデューディリジェンスまではとても手も回らないでしょうし、コスト的にも合わないでしょう。ローカルの監査法人がどの程度の能力なのかは疑問です。次に、どうやって経営者をコントロールするか、も大きな課題でしょう。コントロールというと、言い方としてあまり良くないですが、要はいかに真面目に、正直に経営していただくか、です。そもそもマジョリティを取れるかどうかもかなり難しそうです。この辺は、私がPEを日本で始めたころ(20年前?)と似たような状況とも言えます。美しい姿は、PEと経営者が同じ目標に向かってお互いに協力し合い、戦略を共有化した上で、日々の経営は任せるというのが良いのでしょう。けど、そこはモンゴル人、なかなか一筋縄ではいかないでしょう。私がMさんに「多くのオーナー経営者は、アホな外国人投資家からお金だけもらって、あとは知らん顔になると思うよ。」と言ったら、笑いながら頷いてました。そして、一番大きな問題が、エグジット戦略、つまりどうやって売却するのか、です。一般的には、上場するとか、同業他社に売るとかなどがありますが、モンゴルの資本市場はまだその受け入れ先としては不十分ですし、戦略的なバイヤーも、規模の観点から外国企業であるとすると限られてしまいます。というか、あまりないでしょう。まあ、この辺が私への相談ポイントでもありました。こんなに課題が多いのを承知でなぜ投資したいかといえば、ほんの数年でGDPが2倍や3倍になるのが見えている国で、何かをやりたいということなのでしょう。更に、Mさんはファイナンス出身であるために、ターゲットとなった会社のマネジメント評価や戦略作りをして欲しいということもありました。私はとても興味深く聞きましたが、今まで似たような話はいくつか聞いていたので「要は、投資家が本気でお金を入れるかどうかですね?」と聞きました。彼が言うには、ここへ来て環境が変わってきており、国際的な公的金融機関が彼のファンドに投資家として名乗りを上げ、更に香港系、ドイツ系なども投資しそうだということでした。そして韓国系も多分投資するだろうと言ってました。残念ながら日本系は全く聞こえてこないようでした。私自身のキャリアは、PEとコンサルティングが半々くらいですが、こういう新興国へ来ると「その道のプロ」というのはなかなかいないので、私のように両方やっている人間は、どっちも中途半端かもしれませんが、相談相手としては便利なようです。Mさんは外国の投資家を説得するには、私のようなキャリアを持つアドバイザーは必要だと考えているようです。こう書くと、なんだか随分いい仕事がありそうに聞こえるかもしれませんが、今までこの手の話は3つありましたが、どれも実現していませんし、もちろん1円にもなっていません。(笑)そして、これで4つ目です。これもそういう「話だけで終わる」のか、もう少し具体的に動き出すのかは、まだわかりません。ま、いろんな国からこのモンゴルというこれからの国に、利益目指してやってきている外国人投資家と話すのも楽しいものです。今の日本は「何に投資しても儲かりそうもない」という雰囲気ですから、少なくともアグレッシブでやる気満々の外国人投資家は、私に多少の刺激は与えてくれます。ちなみに、今日の話でも、上手く行ってもスタートするのは半年ほど先のことのようです。半年イコール未定と同じと考えるのがモンゴル流です。
2010.01.12
コメント(0)
昨日、今日と買い物したり、友人と会ったりでウランバートルでの日常生活が再開しました。で、やっぱり寒いです。ネットを見ると、今(夜です)の気温はマイナス36度です。更に、明日の天気予報ではマイナス42度だそうです。いよいよ40度突破となりそうです。次の金曜日には、かなり寒さが緩んでマイナス27度との予報が出ています。ちなみに、その日の最高気温はマイナス14度です。ここまで来ると、「ちょっと寒さが緩むな」という気がするから不思議です。寒さ自体の生活への直接の大きな影響はないのですが、一番の問題は道路です。文字通り「カチカチ」です。こちらは雪がたくさん降るということはありませんが、ほんの少しでも降ると、それが水分のベースになり「氷道」といえるような状態になります。歩道も見た目は雪もなく普通なのですが、歩くとスケートリンクのようです。道路はもっとでしょう。平坦な道を時速15km程度で走っていても、ブレーキをかければ足の裏にABSの感触がググッと来ます。つまり、タイヤが滑っていることを感知しているということです。幸いウランバートルは、東京のように坂道が多いわけではないのですが、それでもなだらかな坂はあります。非常に緩い坂でも、下りの場合は2速ではなく1速に減速してエンブレ効かせないとやばい感じです。とはいえ、一番心配なのは自分の車ではなく、周囲の車の方です。私のは4輪駆動でブリヂストンのスタッドレスも新品で買ったばかりですから、かなり良い方です。ですが、こう言ってはなんですが、やっと買えましたという感じのヒュンダイの古い小型車は、そもそも冬用のタイヤを買えるかどうかもわからない人がたくさん乗っていますから、あちこちでズルズル滑ってます。ヒュンダイはFFなので、タイヤさえ冬用であればいいのですが、怖いのはそこらじゅうで走っているマーク2系のFR車群です。FRで夏タイヤだったら、もう無理でしょう。今日も、目の前で超低速走行にも関わらず、お尻を振りながら走っているマーク2を見ました。こんな車にぶつけられたら、面倒この上ないです。この国では、接触があったら絶対に両車は動かしてはいけないそうです。しかも、外は極寒ですし、言葉もわからないですし・・・想像しただけで、面倒なので、とにかく車の接触だけは避けるべく、超慎重運転をしています。こんな中でも、一つ良いことは、いつもは急発進、急停車、割り込みなどなんでもござれのドライバーたちですが、さすがにほとんどの車がノロノロ運転をしています。ですので小さな接触はそこらじゅうでありますが、大きな事故は滅多にないことでしょう。天気は良いので、昼間は太陽が出ています。ですが、強大な太陽エネルギーが降り注いでいても、路面が融けるということはありません。とはいえ、やはり夜の方が一層滑る感じはします。去年はどうだったかな?と思いだしてはいますが、今年の滑りの方が強いような気がしています。多分、あと2カ月くらいはこんな感じが続くでしょう。
2010.01.10
コメント(0)
先ほどモンゴル時間の18日深夜(もう19日になってしまってました)、ウランバートルの自宅に帰ってきました。マイナス30度の世界は、やはり日本帰りには異次元の寒さでした。ですが、そんな直接外気に触れたのは3分もなく、友人のBさん手配のぬくぬくのレクサスに乗り、自宅に戻れば主のいない間もずっと部屋は暖かいままでしたので、皆さんが想像されるほど大変ではありません。今回も思いましたが、東京からソウルはガラガラだったのに、ソウルで停機後は満席でした。いかにモンゴルが日本よりも韓国と交流が深いのかよくわかります。しかも、東京からモンゴルへの便は週に2回なのに、ソウルは毎日便があります。社会主義時代は、日本も韓国もほとんど交流はなかったでしょうから、この10年ちょっとで大きく差が出たのでしょう。「差が出たって、モンゴルのような小国や途上国は別にいいよ」という考え方もあるでしょうが、韓国企業は、ヒュンダイ・キアしかり、サムソン・LGしかり、日本企業が「本気になっていなかった」途上国市場をしっかり開拓してきたので、ここへ来て先進国、大市場依存型の日本企業と、成長率において大きく差が出たのではないかと思います。前から不思議だったことが一つあります。ソウル経由で行ったり来たりの時は、必ずソウルで機内から全員降ろされ、手荷物&ボディチェックをするのです。そのまま機内に残しておけばいいのにと思います。或いは、一旦機内から降ろしても、そのゲートの待合室で待たせておいて、また搭乗させればいいと思うのですが、なぜなんでしょうか?もちろん、同じ飛行機ですし、清掃した様子もありません。特に、今回の東京行の時は、降りてから搭乗までわずか20分しかなかったので、全員で移動して手荷物検査や身体検査して、そのまま戻ってギリギリでした。なぜ気になったかと言いますと・・・成田でモンゴルの友人にお酒を買おうとしたら「直行便ですか?それとも乗継ですか?」と聞かれました。私が「同じ飛行機だけど、一旦ソウルで降ります」と言ったら、「それでしたら、液体であるお酒は没収される可能性があります。」と言われたのです。結局、買えませんでした。お土産の定番であるお酒を空港の中で買っても、その飛行機が1度でも他の空港に停まったら持ち込みできないというのは、なんかおかしい気がします。今まで乗って来た人をわざわざ再チェックするために外へ出すというのは、一体どういうリスクがあるからなのでしょうか?ショッピングしたいとかならわかりますが、たった20分しかないのにです。ともあれ、とにかく無事に到着しました。これから、ビザ問題や新しいプロジェクトの話など頭の痛いことや楽しそうなことが来週明けからありそうです。
2010.01.09
コメント(0)
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。またしてもビザ問題で終わった昨年末でした。結局、根本的な解決はなく、「入国ビザ」という入国だけのビザをもって今日モンゴルに戻ることになりました。大学側の対応は、「日本で普通に考えられる」態度や状況では全くなく、ひどいものです。今までも何度も感じてきたことですが、多くのモンゴル人は自分たちのミスを直視せず、子供でも言わないような言い訳や責任転嫁、更には無視(店の店員などもそうですが、結構これが多い)などで対応しようとしますが、今回も責任ある人たちもほぼ全員がこんな感じでした。どこからこういう習慣というか認識が生まれてきたのか不思議なほどです。個人レベルの問題であれば、どこの国でもある話でしょうが、モンゴルの場合は明らかに国レベルというか、国民レベルでしょう。が、友人のBさんがいろいろサポートしてくれるということで、戻ることにしました。まだやりかけたことや、途中の仕事もありますし。日本での滞在は、20日間近くにのぼり、今までで一番長い一時帰国でした。おいしいもの(何を食べてもおいしい)をたくさん食べ、友人や旧友らと楽しく語り、いい滞在でした。ですが、多くの人々から出てきた現状についての話や実際に見える日本が、何やら老大国化しているのがわかるような気もしました。何事もきれいでスムースに行く生活レベルと、ほとんど刺激のない生活や経済の中で、ゆったりと時間が流れているようです。これは私が初めてヨーロッパへ行った時の先進国と呼ばれていた老大国に近い姿なのかな、と思いました。ですが、このまま落ち組んでいくシナリオもあるでしょうが、いくつかのヨーロッパの国々のように、再び成長軌道に乗せるシナリオもあるでしょう。モンゴルは正反対で、やることなすこと、ひどい話ばかりですが、成長に向かっている実感はあります。国も生活も毎日エキサイティングです。今後、このとんでもない国と私はどう付き合っていくのか、まだわかりませんが、必要としてくれる人がいる現実がある限りは、前向きに進もうと思っています。無事に極寒のウランバートルにたどりつけるといいのですが。
2010.01.08
コメント(4)
全17件 (17件中 1-17件目)
1