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2023.01.29
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カテゴリ: 報徳
二宮先生語録巻の二【171】~【175】

💛「予め備えるという心を用いる」

1月28日放送の「チョイス」の番組は圧迫骨折についてだった。
身近で股関節骨折や骨粗鬆症をよく耳にする。
友人に「気をつけて。納豆のほかに、みかんも骨粗鬆症にいいというエビデンスが出てる」とメールしたら
「母も骨粗鬆症で毎週病院に行っています」と返信があった。
超高齢化社会、股関節骨折や骨粗鬆症はごく普通に対応すべき症状なんだ。
番組の骨粗鬆症予防のストレッチや壁付体操なども参考になった。
「ロコモティブシンドローム」に気をつけよう(3)/骨粗しょう症(骨粗鬆症)ホームページ
ストレートネックとは?症状・予防・チェック方法|ストレートネック改善

今度、骨密度を一度測ってみよう。


二宮先生語録【1】~【25】 | MM2022のブログ - 楽天ブログ

【一七一】貧民飢饉に遭て飢餓を免れざる者は、何ぞや。是れ其の心を予備に用いざるを以ての故なり。夫れ米粟は日に生じ月に実る者に非ず。唯春生秋実を期するのみ。然り而して周歳飢餓を患ひざる者は、何ぞや。是れ其の心を予備に用るを以ての故なり。若し夫れ米粟に或は間歳に一たび実り、或は三歳に一たび実らしむるも、亦心を予備に用いば、則ち何ぞ飢餓の患ひ有ん。況んや三十年若くは五十年一たび臻るの飢饉に於てをや。



【一七二】多才の士道徳に乏く書を著はし古語を引くも、亦専ら子史に在て、学庸論語に及ばざるなり。蓋し聖語は才を以て解き難し。抑々己れの心に合はざる故か。此等の人、学庸の道を以て難しと為すなり。思はざるも亦甚し。

《訳》多才の人は道徳に乏しく書物を著し古語を引いても、もっぱら孟子や史記の類いであって、大学・中庸・論語に及ぶことがない。なぜかといえば聖人の言葉(大学・中庸・論語)は才では解き難いからである。そもそも自分の心に合わないからであろう。これらの人は大学・中庸の道を難しいという。よくよく物事の道理を考え抜いていないことはなはだしいではないか。

【一七三】粟と葦と、一なり。故に葦の生ずる処、之を墾けば、則ち粟と為り、粟の生ずる処、之を荒せば、則ち葦と為る。我が神州上古豊葦原と称し、又瑞穂と称す。故に之を墾けば、則ち嘉穀を産す。是れ万国に冠たる所以なり。然りと雖も、之を耕せば、則ち粟と為り、耕さざれば、則ち葦と為る。豈力耕せざるべけんや。

《訳》稲と葦とは一つだ。だから葦の生ずるところを開墾すれば稲となり、稲の生ずるところを荒らせば葦となる。わが神州は大昔、豊葦原(とよあしはら)と称し、また瑞穂(みずほ)の国と称した。だからこれを開墾すればよい米を生産した。これが万国に優れた理由だ。しかしながら耕せば稲となり、耕さなければ葦の原となる。どうして勤めて耕作しないでいられようか。

【一七四】水に生死有り。地中に在る者、生水なり。上下を分たず、上山頂より、下地底に至る。地を離れ、形を見はす者、死水なり。必ず下きに就く。樹中の水気も、亦然り。根幹枝葉に達す。樹を離れば則ち下だる。人身の血も亦然り。頂蹠四肢に達す。身を離れば則ち下だる。

《訳》水に生死がある。地中にある水は生水で、上下を分けない。上は山頂から下は地底にまで達する。地を離れて、形を現わすと死水で、必ず低いほうにつく。樹木の中の水もまた同じで、根や幹、枝、葉に達する。樹木を離れれば下る。人の体の血もまた同じで、頭の天辺からかかと、手足まで達する。身体を離れれば下る。

【一七五】世人吝者を見て、輙ち倹と曰ひ、倹者を見て輙ち吝と曰ふ。論者も亦未だ其の分界を審にする者有らざるなり。倹吝は分に定まる。分定らざれば、則ち終日之を論ずるも、亦何の益ぞ。且つ倹吝の外形を以て弁ずべからざるなり。之を業と欲とに譬ふ然り。農夫有り。夙に興き禾を刈る。是れ業か欲か。誰れか能く之を弁ぜん。吾が田を刈らば則ち勤業。他の田を刈らば則ち私欲なり。士人有り。悪衣悪食矮屋に居る。是れ倹か吝か、誰か能く之を弁ぜん。禄命を守り以て其の職に供し、自奉を省き以て之を人に推す。是れ君子の業にして倹譲の道なり。若し其の禄を惜て肯て用ひず。米を蝕し金を秘し衣を腐し、以て其の職を缼く。是れ小人の欲にして、吝嗇の為なり。然らば則ち田畝の畔定まり、自他之分明にして、然る後に業と欲と、判ずべきなり。禄命定まり天分明にして、然る後倹と吝と、弁ずべきなり。勤業分を譲り以て人の為にする者、倹なり。私欲財を惜み以て己が為にする者、吝なり。苟くも人の為にせば、則ち国君にして悪衣悪食矮屋に居るも、亦誰か之を吝と謂はん。大禹の宮室を卑ふするは、力を溝洫に尽す為なり。然らば則ち倹は、君子の公道にして、吝は小人の私欲なり。豈其の外形を以て之を混合すべけんや。

《訳》世の人は吝嗇(りんしょく)な者を見て、倹約といい、倹約する者を見て吝嗇という。論ずる者もまたまだ吝嗇と倹約の境界をはっきりする者はいない。倹約か吝嗇かは分度で定まる。分度が定まらなければ、一日中これを論じてもまた何になろうか。また倹約と吝嗇の外形で判断してはならない。これを勤業と私欲で譬えよう。ここに農夫が有るとする。朝早く起きて稲を刈る。これが勤業か私欲か。誰れがよく判断できよう。自分の田の稲を刈るならば勤業で、他人の田の稲を刈るならば私欲じゃ。また武士が有るとする。粗衣・粗食で小さい家に住んでいる。これは倹約か吝嗇か、誰がよく判断できよう。天分の禄高を守って職務のために用い、自らの生活の費用を省いてこれを人に推譲する。これは君子の行いであり倹譲の道だ。もしその禄高を惜んであえて用いることなく、米を虫食いにし金を隠し衣類を腐らせその職務を全うできない。これは小人の私欲であり、吝嗇である。そうであれば田畑のあぜが定まって、自分と他人の境がはっきりして、その後に勤業と私欲と判断するべきで、禄高が定まって天分が明らかで、その後に倹約と吝嗇と判断するべきじゃ。勤業して分を譲る人は倹約の人で、私欲により財を惜んで自分のためにする者は吝嗇じゃ。いやしくも人のためにするならばすなわち国君であり、粗衣・粗食で・小さい家に住んでも誰がこれを吝嗇と言おう。古代中国の大王・禹が宮室を質素にしたのは、力を治水工事に尽すためであった。そうであれば倹約は、君子の公道であり吝嗇は小人の私欲じゃ。どうしてその外形でこれを混合してよいだろうか。





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最終更新日  2023.01.29 03:19:31


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