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2024.06.29
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カテゴリ: 報徳
山中兵右衛門(万吉)、1685年(貞亮2年)生れ、豪商近江日野商人。醸造業。

山中家は代々蒲生氏の配下の家柄だったが父、山中頼常の時、日野漆器業に始めるが商運に恵まれず。山中兵右衛門は父の意思を継ぐべく、

1704年(宝永元年)、20歳の時、日野碗を持ち御殿場へ行商を開始した。帰路、米、大豆、絹布を売りさばいた。片道400キロの往復行商を14年続け、勤倹力行、質素倹約の結果、

1718年(享保3年)34歳で御殿場で店舗「日野屋」を開設した。その後、多岐多様の商品を扱ったが巨利を得たのは米商売だったと言われている。


結果、
山中万吉(後の山中兵右衛門)を始祖とする山中兵右衞門商店は近江日野商人で中井源左衛門家に次いで規模が大きいと目された。

山中兵右衛門家は、本店含め五店舗体制を築いて御殿場地方の一大商家(主に酒造業)に成長した。
全店に共通する主な販売品は酒、醤油、酢、米、大豆、塩などで醸造品や穀類,原料品が中心である。
小田原店は酒及び醤油の醸造、御殿場酒店は酒造、沼津店は酒の販売、伊豆店は醤油醸造を中心に経営していた。


創業300年の「山中兵右衛門商店」は、現在もなお、静岡県で存在し、日野商人の末裔が「酒類・食品卸売業」を営んでいる。

株式会社 山中兵右衞門商店
所在地 静岡県駿東郡清水町卸団地92番地
http://www.yamahyo.co.jp/company-histry.html

ヒストリー
1704年(宝永元年) が、20歳の時、江州日野(現在の滋賀県蒲生郡日野町)より行商へ旅立つ
1718年(享保3年) 小田原藩御厨(現在の御殿場市御殿場)に店舗を構える(34歳)(店印: やまかのう)→山中兵右衞門商店「日野屋」(創業年)
1770年(明和7年) 沼津店(店印: かぎかのう)を開設し、次男与兵衛へ分与
1800年(寛政12年) 御殿場名主 平右衛門より酒株24石を譲受、御殿場酒店(店印: まるやま)を開設 ※酒造開始
1812年(文化9年) 相模国足柄上郡関本村に酒店を開設(店印: かくなか)
1813年(文化10年) 小田原藩への貸付始まる

1836年(天保7年) 伊豆国南条村に醤油醸造店を開設(店印: まるふと)
1851年(嘉永4年) 沼津店 分家与兵衛より引受ける(店印: いちかのう)
1875年(明治8年) 伊豆南条店で酒造を開始
1923年(大正12年) 関東大震災により、御殿場酒店倉庫倒壊・小田原池上店全壊
1924年(大正13年) 東京浅草蔵前に酒卸販売店を開設

1931年(昭和6年) 御殿場本店を廃業し、本店を沼津に移す
1932年(昭和7年) 資本金50万円、株式5000株にて株式会社山中兵右衛門商店を設立
1933年(昭和8年) 海軍御用商人指定を受け、神奈川県横須賀汐留町に出張所を開設
1939年(昭和14年) 戦時体制により、横須賀出張所の閉鎖
1941年(昭和16年) 戦時体制により、沼津本店・東京支店を閉鎖し、御殿場酒店に本店を移転
1942年(昭和17年) 戦時体制により、伊豆南条店を閉鎖
1950年(昭和25年) 沼津出張所開設(昭和40年に支店昇格)
1954年(昭和29年) 御殿場営業所開設
1956年(昭和31年) 小田原支店醤油醸造の廃止
1970年(昭和45年) 小田原における酒造業を廃止し、御殿場工場に製造を集約
1973年(昭和48年) 沼津卸商社センター内に沼津支店移転(現本社)
1975年(昭和50年) 小田原卸商業団地内に小田原支店移転
1981年(昭和56年) 日野本宅を町に寄付(現在の近江日野商人館)


日野商人のこころ
日野商人は長年の他国商いで培った体験や教訓から、出店先において、自分たちが「よそ者」であることを身をもって実感していた[35]。そのため、自分の立場をわきまえて誠実に商い、商売人として周りの人たちに信頼されるような行動をとらなければ成功はないという考え方が家訓や店則を通して受け継がれていった[35]。

また、日野商人は「陰徳善事」の精神に基づき、出店先や本宅のある日野などにかかわりの深い社会に対して、商売で得た利益を積極的に還元していた[35]。日野商人の行った社会貢献はさまざまで、飢饉や凶作、火事などの災害時には、金銭はもちろんのこと、米や生活用品なども提供したとされる[35]。他にも地域にある寺社に対して造営費や修繕費を寄進するなど、多くの社会貢献を重ねた結果、日野商人たちは人々の信頼を勝ち取り、商いをより発展させていった[35]。

日野商人のたしなみ
日野商人は商いのかたわら、さまざまな文芸活動に取り組み、新たな文化や学問を日野へともたらすきっかけとなった[36]。日野商人が行った文芸活動は、国学・儒学や心学といった学問から、俳諧・狂歌・和歌などの詩歌、能・歌舞伎・浄瑠璃などの演芸、茶の湯、生け花など多岐にわたっている[36]。俳諧では、日野の仲間内だけでなく湖東地方をはじめとする近江国の俳人や、他国の人たちと句を詠みあうなど広い範囲で交流が行われていたとされる[36]。また財力があり、文化に理解のある日野商人のもとには、画家・蘭学者として有名な司馬江漢や幕末の平安四名家の一人塩川文鱗など多くの文化人が訪れた[36]。
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最終更新日  2024.06.29 00:28:15
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