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2026.07.31
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カテゴリ: 遠州報徳
福山瀧助翁 

第七章 養嗣子虎之助に家督を譲り報徳仕法に専念す

弘化元年二十八歳にて独立してより、四十二歳になるまでおよそ十五年間は実に幸福な日々は送ったが、気の毒にも同年夫人を失い翌安政元年には寵愛比なく育てた三歳になる男児に先立たれたのであった。
そのところに養嗣子虎之助を迎え家督をゆずり、多
喜蔵なる名をも譲り自らは改名した瀧助といった。
こうした重ね重ねの不幸にもいよいよ翁の報徳熱は盛んにこそなれ、決して衰えなかった。
これより先、翁は既に小田原社の重世話人となっていたが、隠退後、閑散の身となったので、これから後は一意専心報徳の道の為に心を尽し、小田原社のみならず近在の各社の世話を進んでなし、かたわら心学の勉学に余念がなかった。
この心学は梅岩先生石田勘平を始祖とするものである。梅岩先生は丹波国に生まれ、二十三歳の時、京都に上り一商家に仕え、四十三歳に至るまで二十年間、丁稚(でっち)、番頭として送った。その間に修養を続け、遂に晩年一派をなし心学を起し、平民の教師として世人を開発した人である。彼の学問は朱子学より出て、一心の練磨が取りも直さず学問であった。この心学と報徳とは精神において相通ずるところがあり、この心学による精神修養こそ、翁の
報徳実践を本当に信念にまで到らしめたものであろ
う。人間信念にまで行った程強力なものはない。

その頃、報徳の教えは二宮先生の郷里なる足柄の平野、長年仕法に従事された上野国のみならず、山のかなたの駿河、遠江、の国にも既に行われ始めていた。慶応三年三月遠江より師としての懇請を受けたが、なかなかの大事であることを思い承諾しなかったが、福住正兄先生の重ねての依頼により遂に死を決して遠江の仕法をなさんと決心し同地に赴かれたのである。時に先生五十一歳、この新しい門出より逝去されるまでの二十六年間の遠江における粉骨砕身、不惜身命の仕法こそ我々郷土後輩をして奮い立たせるものがある。特に明治維新に当り、世は転変著しく民心定まらず、表面四民平等とはいうものの、長い間、国民の脳裡に深く彫刻された封建制度の階級的観念の消えやらない時に、一町家の次男より身を起し、遂に他国の仕法に出て行かれる事になった。翁にはいよいよ敬仰の念を深くせしめられるのである。





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最終更新日  2026.07.31 04:00:04


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