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2026.08.06
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カテゴリ: 坐禅
大智禅師偈頌講話 沢木興道


 仏成道 その4

  仏成道(一)
【佛成道】
歴劫操持成法身 (歴劫を操持して法身を成ず)
體如明鏡浄無塵 (体は明鏡の如し浄くして塵無し)
老僧用箇翳晴術 (老僧箇の翳晴の術を用いて)
教儞面南看北辰 (儞をして南に面して北辰を看せしむ)


 そこで「体は明鏡の如し浄くして塵無し」この明鏡というのは、前からだけ見るので、裏から見たら、うつらんというような鏡ではない。四方八方玲瓏透明なる鏡である。玲瓏透明なる鏡だから、もはやこれなら前から見ても、縦横無尽透明である。体は明鏡の如し浄くして塵無し。塵無しということは、もはや煩悩の垢はない。十方から見て、もはやどこにも隙間がない。それが法身なのである。それならばこれは、大円鏡智を表現している。
 仏の智慧に大円鏡智というものがある。それは「遠いところから拝んでおると立派だけれども、台所へ入って見るとさっぱりじゃ」それではどうにもならん。どこやらに「寺は本堂」までという標語があるが「台所に行ったらサッパリどうもならん。信心がさめる。本堂へ行って『なんまんなんまん』というたらいい。寺は本堂までや。台所へ行ったらもうあかん。坊んさんも生活を見たらもう一遍にどうもならん」それでは明鏡の如くではない。
 ところが、歴劫操持して法身を成ず。体は明鏡の如し浄くして塵無しと。こうなれば台所へ行けば行くほど、風呂場へ行けば行くほど、雪隠へ行けば行くほど。禅寺へ行って、雪隠へ入ってはじめて本当の信心が起こる。「ウワー、きれい」昔はそうであった。今はどうか知らんが、昔は雪隠に入って恐縮しよった。雲水は大勢おるが、知らん間に掃除してある。きたないところほど掃除する。(大智禅師偈頌講話p.132-134)





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最終更新日  2026.08.06 02:00:05


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