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2026.08.07
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カテゴリ: 鈴木藤三郎

日本醤油醸造株式会社々長 鈴木藤三郎(実業の日本,11(16),1908-08)

余はいかなる辛抱で今日に至りしか
 一口に辛抱するというが、これには二種あると私は思う。
 道理により一貫してする辛抱と、他は道理も何もなく、ただ辛抱すれば利益であるという、いわば自然的ともいうのであろう。同じく辛抱するのであるから、何らをとったからといってわるいとことはない。どちらの辛抱から収める結果も同一である。
 しかし一貫した道理に基づいた辛抱は強固の基礎がある。この道理を離れない限りは決して辛抱を欠くことがない。道理にも何にもよらぬ辛抱はちょっとは強い、相当な程度まではこらえて行くことが出来る。しかし一大事変が起きると必ずこれに対抗することができない。固い基礎がないからである。それゆえ、どうしても一定の道理で一貫した辛抱でなければ十分にその力を発揮させることが出来ない。
一貫する道理とは事業に対する観念である。この観念が正当であるなれば、必ず辛抱ができる。不肖ながら私が今日まで一事業に辛抱しその大成を期して来たというも畢竟(ひっきょう)するに事業に対する観念が間違っていなかったからと自分は信じている。

肥取人らもその職務は大切
 では事業に対する観念はいかなるものであるか。
 世間の人は自分の仕事を卑下して他人の仕事を大層うるわしいもののように思う。かの人のやっている云々(うんぬん)の仕事は気が利いているが、自分のする仕事はいかにも気が利かぬ。かの人の仕事は容易で面白味があるが、自分のは苦痛ばかりですこしも面白味がない。うらやましい。位地を代えてみたいとこういう考えを懐いている人がすこぶる多い。

元来世の中の仕事というものは、貴賤上下があるべきはずがない。いやしくも法律が禁じていない限りの仕事はいずれも多少社会を裨益(ひえき)するもので、その間に軽重上下すべきことはない。早い例が地方から出て来る「肥汲人(こえくみにん)」。あれは普通人が最も卑下するものである。臭くもあれば労力もいる。しかしもしこの肥汲人がなければ東京全市は糞の海となるであろう。地方の農家は大切な肥料を得ることができなくなる。人が最も卑下する肥汲人すらもその職務としては大切な、尊重すべきものである。いわんやその他をやである。もし下等だからといって、各自がその職務に勤労しないことになれば、社会の進歩するに従い、人生はかえって死滅することになる。
こういうと極端のように聞こえるが、社会の道理は実にこれを教えている。

先人の大恩はいかに報ゆるか。
 今日世間に現存している人間はいかなる身分のものでも天地の恵みと祖先の遺徳とによりて現代の開明に浴している。すなわち学問でも教育でも政治でも宗教でもはた農工商その他いやしくも人間社会における一切の事物はことごとく我らの祖先が数千年前の穴居時代から今日までに経験工夫のかずかずを積みて遺された賜物である。たとえどんな大学者がここに出てきても先人が学問を遺されてなければ学ぶことが出来ない。数千年前の吾人の祖先は一歩、外へ出れば猛獣に噛まれるの危険があったけれども、今日はいかなる所に行くも危険なく、また極めて容易に簡単に往来することが出来る。これらはすべて先人の遺徳にほかならない。そういうわけで人は生まれながらにして天地の恵みは申すまでもなく、祖先の遺徳を受けていることの大なるは到底言語で言い現わすことが出来ることではない。既に大変な恩を受けている。故にその恩に報じなければならない。それが人の道である。既に受けている恩に報ずるということをもって生涯勤めなければならない。たとえて言えば我々を先人という相手から品物は受け取っているのであるから、今日はその代を払わなければならない。お互いの間に些少の貸借関係があり、期限が来ても返さなければ催促される。返金しなければ直ちに信用が墜ちてしまう。我々が天地先人(せんじん)から受けている恩は広大無辺のものである。返せといって催促こそせぬ。けれども些少の貸借さえも必ず返金せなければならぬ我らがこの大恩(たいおん)を看却(かんきゃく)すべきはずがない。

我らは何ゆえに職務に勤めねばならぬのか

こういうように事業を観念したならば、いかなる職業位地でも決して辛抱の出来ぬものでない。いな出来ないどころではない。最初から辛抱などということは起こるわけがない。この事業は面白くない。骨ばかり折れて利益がない。同窓はあんなに好位置にあるに自分はまだこんな位地にしか上れぬなどと不平を言い、辛抱が出来なくなるのは一言でいえば利己主義のためである。根本において間違っている。

 私は22歳の時からこの主義を信じ、すでに30年間この主義をもって、馬車馬的に一直線に進行してきたのである。もし私に多少の成功があるとすればそれはこの主義を行うにつれて生じた副産物である。最初に私が一貫した道理のもとに辛抱するといったのもこの理由から割り出したことである(もちろん道理は各人により多少異なるであろうが)





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最終更新日  2026.08.07 02:00:05


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