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昨日の日記のあと。ビデオを観終わったチビたちとちょっとまったり過ごしていたら、とうとうなっちのほうが泣きだしてしまった。まだ環境の変化にあまり慣れていないこの二人にとって今はどんなに不安で寂しいだろうかと思わずにはいられなかったのだ。私が泣きだすと、お嬢がすぐに飛びついてきて私をぎゅーっと抱きしめた。そう、お嬢はいつもこうなんだ。私がお嬢にしがみついてわんわん泣いていると、お嬢は今度はティッシュを取りに走って行った。そのスキに、今度は坊が私の膝に乗って一緒に泣き始めた。二人でまた大声で泣いているとお嬢はまたティッシュを取りに走って行った。大量のティッシュを両手にわしづかみにして戻ってきて私の顔を拭き、坊の顔を拭いた。それでもまだ足りないと思ったらしく、2度、3度、お嬢はティッシュが空になるまでそれを繰り返した。その最中、何度もお嬢にも「こっちへおいで」と抱こうとするのにお嬢はティッシュを取りに走って行ってしまう。やっと私が坊と一緒にお嬢を抱いてもお嬢はその間中私と坊の顔を忙しそうに拭いている。それでまたすっと腕の中から逃げ出してしまう。お嬢は、いつもこうやって、自分が最後の砦になって踏ん張っているんだな…。お嬢の姿を見ていて切なくなった。そして私たちが泣きやみかけたころ、お嬢はテーブルについて一生懸命絵を描きながらこっちへ向いて小さい声で「心配しんでもいいよ」と一言言った。そして描いた絵を持ってきて「ママ描いたの。カメさんも描いたの」。あわてた感じで4つの絵が書いてあった。お嬢はこんなふうに、いつもいつも自分が周りを励ます方法を考え続けているんだろうか。お嬢が一人で抱え込んでいてはあまりにもかわいそうだ。でも、私が何度抱こうとしても、呼びかけても、あれやこれやと理由をつけて逃げていく。こんなに苦しいのだったら、今私がそれを無理に受け止めようとしても無理かもな。そう思ってそのとき一度はあきらめた。それから数十分後。ふと気付くと、お嬢は膝にガーゼを巻いて、ガーゼ用のテープを大量に使って貼りまくっている。「わぁぁ!何やってるの!!!」と怒鳴ったとたん、ほら、来た!!…と思った。私がここ数日、眉間の間にヘルペスが出ていて、ガーゼもテープも残り少なくなってきていたからこれだけはいたずらしないでね、とお願いしてあったのだ。お嬢はわざわざそれをいたずらしたのだ。明らかなSOSだ。私が第一声怒鳴ったので、お嬢は「だって、だって…」と泣き始めていた。私はお嬢の背中をさすりながら、「ほらね、お嬢もそんないたずらしたくなるくらい苦しかったんでしょう」と言うと大暴れが始まった。「放してよ!」「おしっこ出る!」「坊くん!」とやたらめったら泣き叫んで大暴れ。「お嬢も寂しかったね」「保育園変わるのいやだったね」「自分も苦しいこと、早く気付いてほしかったね」「もっといっぱい泣きたかったね」「自分がもっともっと助けなきゃって思ってたんだね」何を言っても、大暴れだった。「もしかして、もっと自分がみんなを助けていたらそしたら坊くんもママもこんなにつらくならなくて済んだのにって思ったの?」それでまた、大暴れした。大暴れして、おえっ、おえっ、と吐いた。「坊くんのこと助けたいって思い続けていて、でもお嬢も坊くんに助けてほしいって思ってた?」それでもまた大暴れして、またおえっ、と吐いた。「お嬢も、嫌だけど新しい保育園に行くよ、って頑張ろうとしているの?」そのあとは、おえっ、おえっ、が続いていた。お嬢は、いろんな気持ちをたくさん抱えすぎていて、泣き叫びながら、それでも気持ちを吐き出しきれずにそうやっておえっ、と戻してしまうのだ。この一回では、きっとお嬢の気持ちは吐き出しきれないだろうと思った。でも、自分の力が続く限り、なんとか付き合えるところまで付き合い続けた。坊は、お嬢の姿を見ながら「ぼく苦しいよう!」と泣き出したけれど「ごめん、今はちょっと待っていてね」とお願いした。坊は「苦しいよう、苦しいよう」と泣きながらも「嬢ちゃん、ぼくずっと一緒にいるよ」とお嬢の足をさすっていた。前の夜泣きのあと、お嬢が「Mさんに会いたい」と言ったのはもしかして、自分がもっともっと苦しい気持ちでもがいていることをMさんなら分かってくれると思ってのSOSだったのかもしれない。私はたぶん、そこでまた見落としていたのだ。いつも黙って頑張るしかできないお嬢が、まだまだ何か抱えているだろうことは分かっていたけれど、お嬢はきっと、まだまだ私はあっぷあっぷしているんだよう、と言いたかったのかもしれない。結局、夜中近くにパパが帰ってきて、そこでいったん抱っこは終了になった。でも、お嬢はパパが帰ってくると、泣きながらパパのところへも抱きついていった。夜、布団の中で、考えた。私が小さかった頃、外食に行けば、一人で食事をしている人を見るのが苦しかった。この人は寂しいんじゃないかと思って自分がご飯を食べるどころではなくなってしまうのだ。募金箱を持って立っている人を見るのが苦しかった。周りの人たちがその人を無視して通り過ぎていくのを見るのがつらかった。お母さんがせめて募金してくれたらいいのになぁと思うのだけれど母親にそれを言うだけの勇気も持てない。年老いた人が買い物袋を持って歩いているのを見るのもつらかった。この車にお母さんが乗せてあげてくれたらいいのになぁと思って、それを母親に言えない自分に罪悪感を感じていた。そしてその私は周りからどう思われていたかと言うと、保育園ではみんなの先頭にたつしっかり者で気が強く、家ではウソつきでとても関わりにくい、大人にとってはちょっとやっかいな子どもだった。今の大人になった自分を考えると、もちろん、周りには店で一人で食事をしている人はたくさんいて、それを当り前に思っている。募金箱を持って立っている人がいても、そのすべてに毎度毎度募金をしてまわることはできない。でも、もしかしたら、普段自分の気持ちを言えないお嬢は、昔の私と同じように自分が本当は寂しいから周りの人たちも寂しいかもしれないとひそかに思ってそういう細かいことも自分で抱え込んでしまうような一番繊細で毎日耐え続けている子なのかもしれない。そして自分が苦しくなってもそれを母親の私にすら言い出せないくらい繊細さのかたまりなのかもしれない。お嬢のことを、もっと見よう。せめて、彼女の抱えなくてもいいはずの苦しさくらいは、少しでも一緒に共有しよう。彼女がしっかり者に見える裏にはきっともっと私の知らない彼女の気持ちが隠れているはずだ。
2008.03.29
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坊、今日の最後の保育園生活も元気いっぱいに過ごしました。お嬢、私が途中で寄った時に「ママがいい」とおお泣き。お嬢がそうやって感情を出せることでほっとした。そうやってぐずることで、先生たちによしよしってしてもらって甘えたかったんだよ。最後の最後に泣いたのはなっちのほう。午後ひとりで干してあった遊び着をたたんでいた時この遊び着はもう必要ないんだ…とふと思い涙が止まらなくなった。もっと早くにお迎えに行こうと思っていたのに泣きやむことができず、結局いつもの時間になってしまった。それでも保育園へ向かう途中、やっぱり涙が出て止まらなかった。今日帰ってから、明日、明後日、坊が今までの保育園へ行けないことでどれほど泣くだろうかと思うと苦しくて苦しくて、つらかった。坊とお嬢、帰ってきてからお菓子とジュースをほおばり、素知らぬ顔。トトロのビデオを見る約束だったから、それをつけっぱなしにして途中から坊のピアニカで遊び始めた。しばらくすると、ピアニカの取り合いで喧嘩を始める。さぁ始まった、と、そのときはとりあえず坊のほうが悪かったから坊を叱り飛ばした。坊、泣き始めた。泣きながら膝に乗ってきた。もちろん、叱られたことが原因で泣いているのではない。どういう形で声をかけるべきか、私は正直迷っていた。「保育園終わっちゃったね。寂しいね」と言うべきだったが私がつらすぎて言えなかった。だから黙って坊が泣くのを抱きしめていた。寂しいだろうなぁ、寂しいだろうなぁ、そう思いながら、ずっと抱いて背中をさすり続けた。しばらく泣いて、泣きながら、坊は言った。「ぼくM保育園行くのいやだけどーーー、4月から頑張ってM保育園に行くーーーーー!!」大声で泣き叫んだ。私の前で、初めて新しい保育園へ行くと宣言したのだ。分かりきっていたことのはずだ。坊は、もともと、こうやって頑張る子なのだ。何もかも、すべてをちゃんと理解している子どもなのだ。その後ずっと「ぼく4月からM保育園行く!!」「お休みしたくない!!」「M保育園行きたい!」「M保育園行きたい!」「M保育園行きたい!」「M保育園行きたい!」と狂ったように泣き叫んだ。あまりに繰り返し言うので、途中で疑問に思い、「坊、M保育園っていうのは新しい保育園のことだよ。今日まで行ってたのは、T保育園だよ」すると坊、「T保育園にはもう行きたくない!4月からM保育園に行きたい!!」「ママ、ごめんなさい、M保育園行きたい!!」そう言って大声で本当に狂ったように泣き叫ぶのだ。彼はそうやって自分に言い聞かせている。お嬢は、ティッシュを5枚ほども手にわしづかみにしてぱたぱたとあわてて走ってやってきて、坊の涙を拭き、鼻水を拭いてやっていた。お嬢は坊が泣いているからと言っていつもそんな行動をとるわけではない。坊が本当に苦しんで泣いているとき、そういうときだけ自分がティッシュを取ってきて坊の顔を拭いてやるのだ。そう、子どもというのはこういうものなのだ。坊は、今までの保育園に通い続けていた間、家で「寂しい」「保育園変わりたくない」と吐き出して繰り返し泣き、そうやってダダこねすることでなんとか充電しているのだからと私もその気持ちにふたをしてはいけないと思って受け止め続けた。それはもちろん、私にとってはとてもつらいことだった。そうやって毎晩毎晩、家にいる間はダダこねして充電しながら彼は保育園では一度も泣かずに元気で過ごし、しかもこの一か月はぴたりと喧嘩もしなくなったという。そう、彼が昨日まで「保育園をかわりたくない」と毎日家で泣き続けていたのは寂しくても保育園では笑顔で元気に過ごすために必要なことだった。新しい保育園へ気持ちを切り替えるために、寂しい気持ちを吐き出しきることが必要だったからなのだ。今日私が泣いていた姿を見たからか、それともこのしばらくを充電しながら過ごしていたからか、昨日まで毎日「寂しい」と泣き続けた彼は今までの保育園での生活を終えた今日、私の前では初めて、新しい保育園へ行くと宣言して泣いた。とても苦しそうな宣言の仕方ではあっても。彼は本当はちゃんと分かっていたのだ。頑張って新しい保育園へ行かなければいけないことを。寂しい気持ちと闘いながらも、4月から新しい保育園へ行くために、昨日までは「保育園をかわりたくない」「みんなと一緒にいたい」と寂しい気持ちを吐き出し続けることが必要だったのだ。この先も、この子どもたちの生き抜く力を信じよう。坊もお嬢も、苦しみや悲しみに押しつぶされることはない。私がその気持ちをまるごと受け止めさえすれば、こうやって自分たちでちゃんと前へ進んでいくのだ。坊が泣き、お嬢が苦しみもがいて、それを受け止め続けるここしばらくの毎日は私にとっても本当につらかった。でも、彼らはちゃんと分かっていたのだ。その気持ちに寄り添って受け止めさえすれば、ちゃんと自分の足で前へ進んでいくのだ。これからも彼らを信じよう。こんなに素晴らしい力を持った子どもたちなのだから。
2008.03.28
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今日、最後の保育園生活を終えた。帰り際、園長が話しに来てくれた。そして、こう言ってくれた。「お母さんが最後に言ってくれたこと、言ってもらって良かった。お母さんに言われてぐさっと来たし、正直悔しい気持ちもあったけど、今年はいろいろ忙しいことが増えてでもそれにかまけて確かに子どもたちの中に入ることが減ってた。この数日、各クラスの中にちょっとずつ入って、やっぱり楽しいな、と思った。ぶつけてくれてありがとう」お嬢は、普段あまり事務所には近寄っていた姿を見たことがなかったのに、昨日、今日と、帰りに自分で勝手に事務所へ入っていき、なかなか帰ろうとしなかった。坊は、最後の別れの時、園長にぎゅーっと抱きしめてもらった。普段こうやって寄ってきてくれる園長でなかっただけに最後に自分から寄って来てくれたときはそうとうの勇気を振り絞ってきてくれたのに違いない。それでも最後の最後をいやな思いで終わらせないようにときっと頑張って近づいてきてくれたのに違いない。だから、園長の言葉を聞くより早く、私は園長が来てくれたそのときにはもう嬉しかった。やっぱり、この保育園で過ごせて良かった。本当に本当にありがとう。本当にありがとう。
2008.03.28
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今の保育園での生活も今日で最後。ここしばらく、坊は毎日家では泣き続けた。残り3日となったとき、坊はベッドで長い時間泣き続け、坊の姿を見ていて私はとても苦しくなった。その様子をあとで連絡帳に書いているときに、最後の残り数日、私はこの子どもたちの母親として精一杯の悪あがきをしようと決意した。そして、自分の気持ちを手紙にして、保育園の全部のクラスの先生に渡してきた。――――――――――――――――――T保育園での生活があと残りわずかとなるにつれ、坊は毎日家で泣くようになりました。「T保育園におりたい」「みんなと、先生と、一緒におりたい」いつもそう言って家で泣きました。そのたびに私も、なんとかT保育園に残れる方法がなかったか…と考えました。そしてやはりその都度、この先の年長としての一年が彼にとっては負担になるだろうこと、自分だけが休憩や気分転換をしながら練習を重ねることに罪悪感を感じていること、さらには、運動会前のように忙しい時期になれば坊が先生方の重荷になってしまうかもしれず、そうなったときに坊自身がそれを感じ取らないはずがないこと、などなど考え続け、やはり保育園をかわるしか仕方がないのだ…という結論に至りました。母親の私自身にとっても、仲の良いお母さん友達とのお別れや、せっかく一緒に過ごしたお友達とのお別れ、坊に一生懸命愛情を注いでくださった先生方とのお別れは大変寂しく、つらい決断でもありました。ただ、坊自身がいつまでも「ぼくが頑張れてさえいればT保育園にいられたのに…」という思いを抱えたままではあまりにも可哀想で、この間の日曜日、「T保育園の行事が多すぎて、ママがぜんぜんできなかったんだ。だから本当は坊やお嬢が頑張れなかったからじゃないんだよ。坊もお嬢もすごく頑張ってくれたのに、ママが全然できなくて大変だったから、だから保育園をかわるしかなかったんだ。ママのせいで寂しい思いをさせちゃってごめんね」と話しました。坊には、「ぼくは一生懸命頑張ったけど、でもママのせいでかわるのなら、ほかに選択の余地はなかったんだ、これしか仕方無かったんだ」と、私のせいだと思うことでふんぎりをつけてもらったほうが良いだろうと思ったのです。でも坊はそのとき、「ぼくがもっとお手伝いすればよかったんだ…」と言いました。坊、いったんは次の月曜日に担任の先生に「ぼく四月からM保育園(新しい保育園)行くよ」と言ったそうです。火曜日には朝の会で、坊が四月から保育園をかわることをお友達のみんなに伝えてもらいました。その日も一日保育園では元気に過ごしました。ところがその夜、坊はベッドで大泣きを始めました。「ぼくみんなと一緒におりたい」「T保育園におりたい」「先生と離れたくない」と言ってずっと泣き続けました。私が何度も「寂しい思いをさせちゃってごめんね、寂しいのは当たり前だからいっぱい泣いていいんだよ」と言うと、「ママは悪くない。ぼく文句言ってごめんなさい」と何度も私に謝り、「もう大丈夫」と泣きやんで、「ぼくトイレに行ってくるわ」と言ってトイレに行くとまたトイレから泣き声が聞こえてきました。そうやって夜遅くまでずっと泣いて過ごしました。最後になって、突然「ママ、ぼくこのあいだお散歩に行ったでしょう」と言い出したので、聞いていると、「そのときさぁ、ママお弁当作ってくれたでしょう。」「ママのお弁当美味しかったよ」「でもさぁ、ママ、お弁当の準備大変でしょう。ぼくさぁ、お弁当なくてもいいよ。だからママお弁当作らなくってもいいよ。ぼくが先生に、ママがお弁当作らんでもいいようにお願いするわ」。彼は残り3日となったそのときにもまだ、なんとかT保育園に残れる方法がないかと一生懸命考えていたのです。ママの負担が少しでも減ればT保育園にいられるのではないかと思っているのです。私が「ごめんね。でもお弁当だけじゃなくてさ、持ち物とかいっぱい、ママにはできないことが多かったんだ。だからどうしようもないんだよ。本当にごめんね」と謝ると、坊は「そっか…。ぼくどうすればいいのかなぁ。…明日もう一回考えようっと」そう言って眠りにつきました。その様子を、あとで連絡帳に書いているとき、最後の最後に私は怒りが湧いてきました。坊がこれほどT保育園に残りたいと思って悩み考え続けているのに、この一年間坊が悩み続けてきた姿を伝え続けてきたのに、なぜ最後となった今になっても当の保育園の園長が毎日毎日事務所にこもりきりでこの我が子の苦しんでいる姿をたとえ一日のうち5分でも10分でも自分の目で見てくれないのだろうか、と思ったのです。保育園を経営するお二人が、なぜ、自分たちの保育園を選んで入園してくれた子どもたちに対して、朝や帰りに外へ出てあいさつすら交わそうとしないのだろうと不思議に思いました。運動会前、坊はカラーガードやピアニカの練習で、集中力が足りなくてよく怒られ、登園拒否になりました。その挙句、保育園当日は鼓笛が始まったとたんにトラブルを起こして泣きだし、結局何もせずにその場を退場しました。そのとき私はずっと教室に入って泣いている坊を抱っこして、「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝る坊に「今まで練習いっぱい頑張ったんだから、それだけでいいんだよ。何にも悪くないんだよ」と話し続けました。鼓笛が終ったあとに「みんなのところへ戻りたい」と言うので、坊を抱いて入場門のところへ戻りましたが、担任の先生方はクラスの子どもたちと写真を撮ったりするのに忙しく、どこで坊が待っていればよいのかを聞こうにも、他の先生は誰もつかまらず、私と坊はその中をずっとうろうろ歩きまわっていました。とうとう坊が「帰りたい」と言い出したので、その日我が家は運動会途中で帰りました。私が怒り狂ったのは、坊が鼓笛をやれなかったからではありません。大変な思いをしながらもなんとか練習を重ねた坊が本番ではやることができず、泣いて退場したとき、なぜ前で見ていた園長が、「だれか坊くんの様子を見に行ってやって」とでも心遣いをしてくれなかったのか、それに腹が立ったのです。担任の先生方は本番の最中はサインを出していて離れることができません。鼓笛が終ったあとも、子どもたちとの大切な時間があります。だからこそ、そこからはみ出してしまった子どもに対しての心遣いは、園長の役目だと思います。私は坊が本番でできずにそのまま誰に気にかけてもらえず、孤独なまま放っておかれたことに怒り狂っていたのです。運動会が終った頃、坊に「先生たちに会いたい?」と聞くと、担任の先生には会いたくない、M先生に会いたい、と返事が返ってきました。彼は寂しいながらも、誰かには気にかけて欲しくて、それでも本番にできなかったことで担任の先生には合わせる顔もないと思ったのかもしれません。保育園へ戻ると、園長は自分から声をかけに来てはくれませんでした。だから私が坊を園長のところへ連れて行き、「よく頑張ったねと言ってやってください」とお願いしました。これが感性の欠如です。自分が都合が悪いからと言って逃げるようでは、子どもたちを守ることはできません。だから今回、最後の最後になって坊がこれほど苦しんでいるのを見て、私は最後にもう一度園長とY先生(園長の奥さん)に訴えました。せめて一日のうちたとえわずかな時間でも、自分たちの保育園に通っている子どもたちの姿を自分の目で見てほしい、と訴えました(正確には怒鳴りまくりました)。私立の保育園である以上、鼓笛や保育祭など、多くの行事があることも仕方のないことです。でもそれをやるからには、やらせている張本人である園長が、子どもたちがどう頑張っているか、外から来る先生がどう指導しているか、それをそばで見守る姿勢が必要です。そうでなければ保育士の先生たちにすべて丸投げになり、外から来る先生の指導も野放しで、保育士の先生方がどれほど大変であっても、事務所にまる一日こもっているだけでは何も分かりません。保育士の先生たちが毎日どれほど頑張っているか、どれほど大変な思いをしているか、それが分からなければ保育士の先生たちを守り支えることは不可能です。保育士の先生たちが大変であっぷあっぷの状態になってもそれを経営者のお二人が支えられなければ、肝心な子どもたちを支えることができません。我が子をこの保育園に預けている母親としての残り2日間の間に、私はせいいっぱいの悪あがきをしようと決めて、昨日も今日も仕事も休みました。今まで直談判を重ねてもその場限りで終わってしまっていたから、それだけではだめなこともよく分かって、こうして保育士の先生たちにもお願いしようと思いました。この先経営者のお二人がどう変わっていくのか、ちゃんと子どもたちの顔を見て保育園を続けていくのか、それを保育士の先生方にも見守っていただきたいと願っています。どうせ何も変わらないよ、と周りの人たちは言っています。それでも私は、坊のこの苦しい気持ちをたとえ残りの2日間でも、園長にも一緒に分かち合って欲しいと願います。保育士の先生たちのたとえ一人でも、坊の気持ちを共有してやってほしいと思います。子どもたちの気持ちをたとえ1%でも共有できる園長になってほしいと思います。そうでなければ坊が頑張り続けたT保育園での2年間も、T保育園で過ごしたいと今も思い続けている気持ちですら、まるまる全部無駄になってしまいます。――――――――――――――――――私は、園長に仕返しをしたかったわけではない。この前日、保育園で主任の先生とも話をしていて、担任の先生も泣いた姿を見て、個々の頑張ってくれた先生たちがこれほど坊に対して申し訳ないという気持ちで苦しんでいるのに、なぜ園長がその先生たちの苦しい気持ちも一緒に背負ってあげられないのだろうかとそれに疑問を持ったのだ。坊は、誰も悪くないと思っている。自分ができなかったから、自分がママを手伝わなかったから自分が悪いから保育園をかわるのだと思っている。そうして毎日家で泣いて、保育園では無理に笑顔で元気に過ごして、その坊の姿をなぜほんのわずかでも自分の目で見てくれないのだろうかと腹が立ったのだ。園長は、都合が悪くなるとすべて主任の先生と担任の先生に任せて、自分はいっさい事務所から出てこなくなってしまう。そのくせ、担任の先生たちが鼓笛の指導やピアニカの指導であっぷあっぷになっていても「あんたたちは保育のプロやろ。やれるようにやる方法があるはずやろ」と丸投げしてしまうのだ。だから私は、坊の姿が特別ではないこと、坊が今まで悩み苦しんできたことはすべての子どもたちにあてはまること、それを担任の先生たちだけが抱えて苦しんでいてもそれに園長が耳を傾け一緒に考えなければ何も変わらないこと、そのことを、この保育園の保護者であるうちに訴えていこうと思ったのだ。私は、連絡帳にも書いた。昨日の朝、保育園から借りた遊び着の、のびきったゴムを入れなおしておいてあげようと思った。保育園から借りた遊び着は、首のゴムがのびきっている上にそののびきったゴムが15センチあまりも外へ垂れ下がっていたのだ。そしてそれを直しているうちに、疑問に思った。なぜこの保育園の経営者のお二人は、自分たちの持ち物である園の遊び着のゴムすら直しておいてやろうとしないのだろう。いつも、自分の遊び着が汚れると保育園の遊び着に着替えさせてくれるが、その遊び着は本当にひどい状態のものばかりなのに。その答えは明らかだ。経営者のお二人は、子どもたちの姿を見たことがないからだ。自分たちの保育園から貸し出す遊び着がどんなひどい状態で子どもに着せられているか、見たことがないのだ。うっとうしい保護者だと思われても結構。おかしな母親だと思われても結構。何も変わらないならそれでも結構。私は、寂しい思いをしているわが子二人の母親として、自分にできる精一杯の悪あがき、精一杯の闘いをしただけのことだ。
2008.03.28
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3歳のお嬢、めずらしく夜泣きをした。5歳の兄貴のために、兄を支え、我慢し、常に寄り添ってきたお嬢。ついこの間の日記に書いたように、兄のことは少しは安心できると感じ、彼女にやっと「甘えていいんだ」という気持ちが出てきたところだった。それでも今までにさんざんお嬢は我慢を重ね続けてきたから、お嬢は起きているときにはどうにも歯止めがかかっていたんだね。坊が新しい保育園に訪問に行くことを心配していたお嬢が、坊が元気に訪問から帰ってきたことでいったんは「ついていく」と言わなくなった。でも、「甘えていいんだよ」と伝えたら、再びしつこく「嬢ちゃんも行きたい」と言うようになった。11日は坊が津の発達障害支援センターへ行く日だったけれど、今まで一度も「一緒に行く」と言わなかったお嬢が今回だけは一緒に行くと言って聞かなかった。てっきり私はまたお嬢が坊を心配し続けているのだと思って、一緒に連れて行って安心させてあげよう、と、連れて行った。結局、坊が車の中で吐いてしまい、この日の通院はキャンセルになってしまったけど、そしたらとたんにお嬢は「保育園行きたい」と言い出したので体調不良の坊だけを休ませて、お嬢は保育園へ送って行った。お嬢の家でのこの数日は、ささいなことで泣きだしても、私がちょっと抱き上げているだけで苦しくなってしまうらしく、暴れて泣いて「放して!」とか「おしっこ!」とか言って逃げてしまう。これはそうとう苦しい気持ちが出てきたんだなぁと思って保育園のお嬢の連絡帳にも、「この数日、お嬢は家ではとても苦しそうな行動を見せます。 甘えていいんだとわかったのはいいけれど、甘え方が分からないのだと思います。 ポーカーフェイスのお嬢は、強く見えてしまうけれど、 我慢をすることに慣れすぎてうまく甘えられないだけなので、 知らん顔しているように見えてもできるだけマメに関わってやってください」と先生にお願いを書いておいた。その日の帰り、迎えに行くと、お嬢はすごくテンションが高く、ふざけたりさわいだりして照れ隠しだらけなんだけれど明らかにそれまでと違って先生に甘えられている様子。お嬢のいちばんお気に入りの先生は、ふざけているお嬢を抱きながら「今日は嬢ちゃんといっぱい話そうかなぁって思っていたんですけど話しかけるたびずーっとこんな感じなんですよ」と笑っていた。私はあらためて、「今までひとりで我慢することにパワーを費やしてきたから、お嬢は甘える方法がよく分からないんだよね。でも、先生と関われることがうれしくて、照れ隠しみたいになっちゃってるんですね。これも、この子なりの不器用な甘え方なんですよ」と話した。そのあとトイレに行ったお嬢は、私がタイツをはかせてやろうとするとタイツを足でつつきながら「先生がいい。先生にやって欲しい」。おお、今まで先生に遠慮していた子が…!!私が先生にお願いすると、嬉しそうに先生にはかせてもらっていた。そして、その夜中。熟睡していたお嬢は、突然大声で泣き始めた。長いこと泣き続けるので、やっと気持が出てきたのだから…と私も起きて抱っこの体制に入った。私の顔をつかもうとしたり、首を押しのけたりするのにそれもお嬢は自分で手加減している。「おしっこ行きたい」「パパー!」「坊くん!」と泣き叫んで逃げようとするのをベッドの上だったから、私も逃がさず必死で抱っこを続けた。「いっぱい頑張ったね」「頑張ってたから、ママたちも頼りすぎちゃったね」「こんなに小さいのに、おうちを一番支えてくれてたね」「ママたち頼りすぎちゃって、甘えられなくなっちゃったよね」と話しかけるたび、足をバタバタさせて大暴れ。30~40分くらいそうやって抱っこしていたかな。私が「お嬢の気持ちをママに教えてくれる?」と言うと。「坊くん!坊くん!坊くん行っちゃったぁ!坊くん行っちゃったぁーー!!」お嬢は、坊が新しい保育園に訪問に行くことをすごく心配していたからそれで自分が寂しいことにいったん蓋をしてしまったらしい。…というより、お嬢が坊のことを心配しているから、私がお嬢に「坊は大丈夫だからね、安心してね」と、全部にいっぺんに蓋をしちゃったんだな。お嬢は、坊を心配しながら、同時に、「自分にとっても坊が必要である」ということを、言えないでいたんだ。もしかしたら、坊が訪問から元気に帰ってきたことで、余計に自分は坊にとって必要じゃなくなったんじゃないか、と寂しくなってしまったのかもしれない。「お嬢、坊くんがいないと寂しいんだね」「坊くんが行っちゃうと、坊もひとりぼっちだけどお嬢もひとりぼっちになっちゃうんだよね」「お嬢だって、坊くんにそばにいてほしいんだね」お嬢はしばらくすると、やっと暴れずに泣けるようになった。「そうだよね、お嬢は坊くんの役に立ちたいってずっと思ってて、そのくらい坊くんのこと大好きなんだもんね。坊くんがいなかったらお嬢はいっぱい寂しいよね。お嬢だけ置いて行かれちゃうことがいっぱいあるもんね。お嬢は坊くんといつも一緒にいたいんだよね」お嬢はもう「おしっこ」とも言わず、ちゃんと抱かれたままでときどき私にぎゅーっとしがみついたりしながら、たくさん泣いた。「お嬢、坊くんが新しい保育園に訪問に行く時も、それ以外のいつもどんな時でも、坊くんがお嬢に黙っていなくなっちゃうことは絶対ないからね。いつも坊くんはちゃんとお嬢のところに帰ってくるからね。」と、繰り返しお嬢に話したよ。「訪問に行く時もさ、坊くんは、行く時と帰る時はちゃんとお嬢に声をかけていくからね、だから訪問のとき、お嬢はお嬢のクラスで待っててくれるかな」私がそうお願いすると、お嬢は泣きながらうなずいてくれた。そのあともしばらく泣いて、落ち着くと「ママ、おしっこについてきて」と言っておしっこに行き、そして「ママの隣で寝る」と言って寝てしまった。パパはその間ずっとベッドの上で座ってじっとお嬢の様子を見ていたんだけれど、いつもパパの隣で寝るというお嬢が、昨日の抱っこのあとは、おしっこもママを指定して、ママの隣で寝ると言って寝た。今朝。あらためてお嬢にお願いした。「坊くん、今度は来週の水曜に訪問に行くことになっているんだけど、訪問に行く時も帰ってきたときも必ずお嬢に伝えるから、 寂しいけど、お嬢は教室で待っててくれるかな?」お嬢、大きくうなずいて「うん、嬢ちゃん、保育園にいたら寂しくないんだもん」。お嬢は、やっぱり頑張る子だ。そのあとで、私はお嬢にたくさんお礼を言った。「お嬢、昨日の夜は、たくさん泣いてくれてありがとうね。 いっぱい気持ちを聞かせてくれてありがとうね。 今までお嬢にたよりきっていてごめんね。 でも本当に昨日は頑張って教えてくれてありがとうね」その後、保育園に送っていく車の中でお嬢は脈絡もなく、唐突に私に言った。「Mさんに会いたい。Mさんのとこに行きたい」癒しの子育てネットワークのMさんとは、お嬢はほんの数回しか会っていない。お嬢のセッションでお嬢自身とべったりかかわったのは、その中で一度だけで、あとは、Mさんがいる空間に自分もいたという程度。それでも、お嬢は、私がMさんとのメールや電話のやりとりの中でMさんがいつも自分のことも思ってくれていることをちゃんと分かっていて、今朝は自分から唐突にMさんの名前を出した。「そうだね。お嬢も、Mさん大好きなんだよね。 絶対にまた会いに行こうね」。子どもは、本当にいつもいろんなことを思って、常に頑張り続けていて、そして大人のこともちゃんと見抜いて知っている。ただいつもそばにいるだけじゃダメなんだ。言わなくても分かるはず、じゃダメなんだ。たまにしか会えなくても、大きな愛情と、それを伝える言葉がたくさんあればこうやって子どもの支えになることができるんだな。私は、自分が大好きなMさんを、坊やお嬢も大好きになっていくのがとても嬉しかった。そして、抱っこによって、こうやって我が子と向き合えるチャンスをいつも与えられていることが、とても嬉しかった。我が子と向き合うたび、我が子がどれほど素敵な子であるかを知る。子どもがどれほど素晴らしいかを学ぶ。お嬢の夜泣きは、とても素敵な夜泣きだった。寝不足なのに、私も主人も、今日は本当に晴れ晴れとした気持ちで一日をスタートした。
2008.03.13
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図書館で、ある本を借りた。私自身は興味が無かったのだけれど、ADHDの5歳の坊が保育園をかわるにあたって、両方の保育園の先生と保健師さんと私での話し合いを控えていたので、坊のADHDのことを他人に説明するためにはどうしても客観的な目で書いた本を読むことが必要で、ただそれだけの理由でADHDの名前が付いている本を借りてきただけのこと。題名は「ADD/ADHDという才能」。ぱっと見たとき、私はどっちかというと嫌な感じがした。どうせ、ADHDの人を薄っぺらな言葉で励ましているような、つまらない本なんだろうと思っていたから。それでもこの町の小さな図書館にはADHDに関する本はこの本ともう1冊くらいしかなかったので、その2冊を仕方なく借りたのだ。で、気が進まないながらも、はじめのほうだけを少し読んだ。おおおおおおお!ADHDってのは、才能なんじゃないか!!!少し前の、坊が言っていたのと同じ、ちょっと「いい気持ち」になってしまった。まだほんのさわりしか読んでいないのだけれど(全然読み進める暇がない)、それでも充分なくらい、違った角度で見えるようになってきた。もともと、この世界では、狩猟による生活(「狩猟民族(ハンター)」)が基盤であった。そして一万二千年前、氷河期の終わりによって、草木の突然変異が麦や米の出現のきっかけとなり、「農耕革命」と呼ばれる穀類の発生、「農耕民族(ファーマー)」の社会へと変貌していく。そして「狩猟民族(ハンター)」と「農耕民族(ファーマー)」共存の社会がしばらく続き、現在はブッシュマンらハンターは残りわずかとなって、ファーマーの社会となっている。ADHDの人間は、いまや世界から消え去ろうとしているハンターの遺伝子を受け継いだ、非常にハンターとして優秀な遺伝子を持った人間である、ということらしいのだ。些細な音にも敏感で、周りの些細なことに常にアンテナを張り巡らし、何かあった瞬間に衝動的に動くことができなければ、ハンターは命を落としてしまう。そして、自分がこれだ!と思った時の集中力がすごくなければ、ハンターとしては生きていけない。さらに、危険なとき、危機に陥った時にはADHDでない人よりもはるかに冷静な判断ができる。もちろん、ハンターなのだから、怖いこと、危険なことへの興味があり、そういうことによって脳が刺激を受ける。ファーマーではないのだから、種をまき、毎日毎日水をやって農作物を育てるような地味な作業は苦手で、農作物が育つまでのように、先を見据えて行動することには向いていない。ファーマーのように、共同作業が中心ではないため、自分の意志や自分の判断で動きたがる。自分で自分の身を守らなければ、ファーマーのようにいちいち人の行動や言動を待っていては、自分が危険にさらされてしまうからだ。ファーマーの社会で生きている私たちADHDの人間は、ファーマーとして生きるには確かに「欠陥」があると思われるのかもしれない。でも、だからと言って人間として欠陥があるわけじゃないのだ。ファーマーだけが残っているからそう思われがちであるけれども、ハンターの遺伝子を持つ人間として、私たちADHDはとても優秀なだけなのだ。昨日、偶然テレビで残り少なくなったブッシュマンの狩りの様子を放映していた。なるほど…とまた思った。だだっぴろい中を7時間も歩き続けているのに、ブッシュマンたちはその最中ずっと周りの木の形をすべてきちんと見ていて、自分がどこにいるのかを把握しているという。私たちADHDの人間が、いろんなものに目を奪われるはずだ。さらに、ヒョウの足跡を見つけたとき、獲物を見つけたときの判断のすばやいこと。現代社会で必要であるはずの思考、「こうしてしまったらどうなるかな…」などと先を考えてのんびり行動していたら、獲物は取れないのだ。獲物を追うときの、足の速さ。テレビでは、ブッシュマンたちのそのときのあまりの足の速さについていけず、いっときブッシュマンたちを見失ってしまっていた。ADHDが多動であるはずだ。目標に向かってまっしぐら、まさしくADHDの特徴そのもの。昨日テレビを見ながら、思わず私は坊に向かって言っていた。「坊、お前はこのハンターなんだよ。ハンターとしては、お前は飛びぬけて優秀なんだよ」。坊、「ええーーー?」と目をまんまるくしたものの、「ぼくこれなのぉ?」と笑って、しばらくそのテレビに見入っていた。
2008.03.07
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4月から保育園をかわる、5歳の坊と3歳のお嬢。3歳のお嬢のほうは、ちょうど年少さんからのスタートということになるんだけれど、5歳の坊のほうはADHDである上に、すでにお友達関係が出来上がっているクラスに転入することになるため、3月の間に数回、今の保育園の担任の先生が、新しい保育園へ訪問に連れて行ってくれることになった。坊は保育園をかわることに対して、かなりの葛藤があった。一昨日、初回の訪問日で、訪問することについては納得したものの、「4月からもH先生が一緒だったらいいのに…」と、担任の先生と離れることをとても寂しがっていた。3歳のお嬢は、これまためずらしく、この訪問に自分も一緒に行きたいと言い続けて、私が何度説明しても「嬢ちゃんも一緒に行きたいーーー」と粘る粘る。彼女はこういうとき、いつもならぐっとこらえてわがままを言わない。どうも様子がおかしい。訪問当日の朝、またお嬢が「嬢ちゃんも一緒に行きたい」と繰り返し粘ってきた。両方の保育園の都合もあるし、私もお嬢に頼み込んだ。「ごめんね、一緒に行きたいよね。でも、先生たちの都合もあって、ママは先生にわがまま言えないんだ。どうしても、ママのお願い。我慢して、お嬢は自分のクラスで坊くんが帰ってくるのを待っててあげて」そうしたら、お嬢、しぶしぶ「いいよ」と言った後で「だけど、坊くんが行っちゃったら、坊くんひとりぼっちになっちゃうよ」。ああ…。お嬢が粘った理由は、それだったのか…。自分のわがままなら彼女はいつも我慢をするのに、坊が保育園をかわることにすごくつらい思いをしていることを知っているから、だからこそ坊のことが心配で、自分がついていてあげたいと思っていたんだ。本当はお嬢も寂しいと思っているはずなのに、お嬢は坊のことばかり心配して、坊のために自分ができることを一生懸命考えているんだ。保育園に行って、お嬢のクラスの先生によくお願いをしておいた。「お嬢は坊のことをとても心配しているので、坊が訪問に出発する時と帰ってきたときは、必ず報告してやってください」と。ところが、坊のほうもよく分かっていて、出発する時には自分からお嬢のクラスへ行って「嬢ちゃん!ぼく行ってくるね!」。帰ってきたときにもお嬢のクラスへまず直行して「嬢ちゃん!ぼく帰ってきたよ!」。お嬢は、お絵描きなんぞしながら、素知らぬ顔で「うん」と返事をしていただけだったらしい。お嬢はいつも顔に出さないから、これも、お嬢らしい反応だ(笑)。しかし。その日帰ってから、改めてお嬢にもう一度話をしなきゃと思って覚悟していたら。坊が元気に帰ってきて安心したようで「これからも、お嬢は待っててあげてくれるかな?」と話すとすぐに「うん!!」と大きくうなずいて元気な返事。子どもっていうのは、本当にすごい。そしてそしてまたその後。坊はやはり訪問時にかなりの精神力を使ったらしく、保育園を休みたいと言い出した。それもいいか、と思って、「お嬢はどうする?」と聞くとお嬢は自分がどう返事をしてよいのか少し思案した挙句に「嬢ちゃん、保育園行きたい…」と小さな声。「行きたかったら、坊とママとで送っていってあげるから、遠慮しなくていいんだよ。 お嬢も休みたかったら、休んでもいいよ。どうする?」と聞いたら「保育園行きたい」。よし、じゃあお嬢は保育園に行く準備をしよう、と準備を始めた。で、保育園へ送っていく時になって、坊が「ぼく寒いから家で待ってる」と言うので、「坊さぁ、嬢ちゃんだっていつも坊くんのために頑張ってくれてるからさ、せめて嬢ちゃんを保育園に送っていってあげようよ。坊もお嬢のために頑張らなきゃ」と言うと坊、「やっぱりぼく保育園行くわ!」と言いだした(笑)。坊は坊で、お嬢のそばについていてあげなきゃ、と思ったらしい。そして結局二人ともを保育園へ送っていくことに。保育園について、お嬢の朝の準備をしたあとで、お嬢を抱っこして話した。「お嬢ね、坊くんの心配ばっかりしていて、自分も寂しいのに我慢してるんじゃない?我慢ばかりしていると苦しくなっちゃうからね、お嬢も寂しいって言っていいんだよ。先生はお嬢のことをとても強い子って思っているからね、先生にも言わないと分からないからね。ちゃんと甘えていいんだよ」と話した。そのとたん、お嬢は暴れて大声で泣き始めた。のけぞって私の顔をひっかいたりつかみかかったりしながら、泣いて叫んで大暴れ。お嬢が保育園で泣くこと自体珍しいので、先生たちはこういうときには私に任せたほうがいいと思ったらしく、びっくりした顔で、じっと私たちの様子を見ていた。他の子も心配して寄ってきたので、私は少し別の部屋を借りて、お嬢と少し抱っこの格闘。途中で先生が様子を見に来たので、まだまだ泣いて暴れているお嬢を抱きながら、先生に説明した。「お嬢はね、自分だって保育園かわるの寂しいし、不安なんだよね。だけど坊のことばっかり心配して、自分が甘える暇がなくて、すごく苦しかったんだよね。坊くんもちゃんとがんばれるから、お嬢はお嬢でちゃんと甘えたり泣いたりしていいんだよ。先生にもちゃんと分かってもらおうね」。先生は、いつもお嬢が平気な顔で過ごしていたし、坊の訪問のときにもポーカーフェイスで過ごしていたから、お嬢がぎりぎりまで頑張っていたことに気付かなかった、と言っていた。そして、先生もお嬢に、「嬢ちゃんが違う保育園に行くの、先生も寂しいんだよ。だから、嬢ちゃんが寂しいのも、当り前だよね。寂しいって言ってくれていいんだよ。先生ぜんぜん気づかなくてごめんね」と話してくれた。お嬢はしばらくして落ち着いて、恥ずかしそうに笑いながら、私にしがみついて離れなかった。じゃあママもしばらくいるからね、と言って抱っこしたまましばらく過ごしていたんだけれど、途中で坊のクラスの横を通りかかると「坊くんのとこ行きたい」と言って、はじめて私から離れたよ。坊はお嬢に気がつくと飛んできて、お嬢をぎゅーっと抱っこしてから、「嬢ちゃん、これで一緒に遊ぼう!」と一緒に遊び始めた。本当に本当に素敵な思いやりを持った兄と妹。こうやっていつもお互いを支えあって、成長していくんだろうな。
2008.03.07
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この間のしっぽ取りのことで、Mさんからメールをもらった。読んで、ガツンと頭をいっぱつ殴られたようなショック。私はまだまだ勉強が足りない!!!Mさんからのメールは、こういう内容だった。「私は、なぜ先生がしっぽ取りの前に『しっぽを取られても怒ったり泣いたりしなくていいんだよ』なんて言ったのかな、と疑問に思ったよ。そんなことを言ったら坊くんは『怒ったり泣いたりすることは悪いことだ』と思ってしまうよ。だから怒ってしまった自分が許せなくなっちゃうんだよね。坊くんはしっぽ取りの遊びに夢中になったからこそ、取られた時には悔しくて怒れてきたんだよね。同じADHDでも、大人になったなっちはところ構わず泣き叫ぶなんてことしょっちゅうやっていますか?だから坊くんの姿は子どもの当り前の姿なんだよ。大人になるとそうはできないから、坊くんが自分の感情に素直でいられるその素敵なところを、『だめなところ』と思わないでほしくてメールしたんだ。先生はずるいよ。子どもたちが怒ったり泣いたりしたらなだめるのに大変だから、先手を打ってそんなことを言ってしまうんだよ。だったらそういう遊びをするべきではない。友達の輪の中でいろいろな遊びを経験して、いろいろな感情を経験してこそ、その気持ちを自分でなだめ、折り合いをつけることを学んでいくんだよ」私は本当にがぁぁぁぁんとショックを受けた。私自身も、結局どこかで「泣いたり怒ったりしないこと=おりこうさん」という形で坊に押し付けてしまっていたことに気づいたんだ。「坊はしっぽ取り頑張ったから、だからしっぽを取られちゃったとき悔しくて腹が立ったんだね。それだけ頑張ったってことだよね。」私はまず一番最初にそう言ってあげるべきだったのになぁ、と反省した。坊が一生懸命頑張ったというところを褒めないで、怒れてしまったことだけに注目してしまったんだよ。だから坊自身も、自分でその頑張ったところに気づかないで、大人の誘導するままに「怒れてしまった」ことばかり考えて、自分を責めてしまったんだ。しかも、怒れてしまったことそのものも、私たち大人は自分たちの都合で「悪いこと」だと伝えてしまった。坊は悔しくて怒れてきて、それでも誰にも八つ当たりせず自分でその悔しさと闘っていただけなのに、それを私たち大人が「悪いこと」にしてしまった。なんという大間違いを犯したんだぁーーーー!!と、本当に本当に反省のなっちでした。自己嫌悪に陥っていた坊にMさんからのメールの話をした。「坊、ママは間違ってたよ。Mさんがね、メールをくれてね、坊が怒ったり泣いたりすることは全然悪い事じゃなくって、いろんなことをいっぱい感じて、たくさん感情があるってことはすごく素敵なところなんだよ、って言ってたよ。しっぽ取りで怒れてきちゃったのは、坊がそれだけしっぽ取り頑張ったってことなんだよね。それをママは忘れてたよ。坊はMさんの言ってること、どう思う?」坊は、にんまり笑って、車のシートにべったりもたれかかって、「ぼくねぇ、なんかいい気持ちになってきた。なんか笑えちゃう気持ち」。ああ、素敵な子だなぁ、と思って嬉しくなった。自己嫌悪を積み重ねてきた35歳の私とは違って、彼はこんなにも自分の気持ちに正直で、他人の言葉ひとつひとつをいつもまっすぐに受け止めることができる。そして、自分の気持ちを表現する才能にあふれている。その数日後、癒しの子育ての勉強会で、Mさんが改めてこんな説明をしてくれた。「大人だってさ、たとえばオリンピックで、私たちから見たら銀メダルでもじゅうぶんすごいなぁって思うのに、金メダルを目指している人が銀メダルだったら、本人は悔しいって言って泣くでしょ。頑張るからこそ悔しいって気持ちがあふれてくるでしょう。なのに子どもに対して、頑張って失敗しても泣いたり怒ったりしないんだよ、っていうのはおかしいよね。」とても分かりやすい説明だった。私たちは子どもに対して、いつも「一生懸命がんばりなさい」と言い続けているのに、結局自分たちの都合で知らず知らずのうちに「でも、頑張った挙句に失敗しても、泣いたり怒ったりしちゃダメなんだよ」っておかしなことを言ってしまうんだな。感情表現が豊かな子に育ってほしい、と願っているのに、いつも笑うことだけを求めていて、泣いたり怒ったりすることは受け入れられない。自分の感情に素直になれなければ、他人の感情にも鈍感になってしまうのにね。私は一番肝心なところをすっかり見落としてしまっていたんだ。
2008.03.07
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