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DHD児みつき、この4月に小学校入学。 まったく想像できなかった小学校生活は、 いい意味で完全にパパママの予想を裏切り、上々のスタートとなった。 入学式もコンサータを飲んで登校。 入学式の前の週に前もって学校訪問し、入学式の状態を先生から説明してもらっていたみつき。 新しい校長先生とコーディネーターの先生のお二人は、とてもみつきに好意的に接してくれて本当に安心した。 入学式からずっと、平日は朝7時20分にコンサータを服用する。 コンサータの効き目が約12時間なので、だいたい夕飯が終わるころまでは効いていることになる。 萌々ちゃんを執拗にからかうことがなくなり、 テーブルのまわりをやたらめったら走り回ることがなくなり、 大声で奇声をあげまくることもなくなった。 こちらからの話もとても通りやすく、頼んだことがきちんとできる。 気がつくと、みつきを怒鳴ることがなくなってきた。 怒るどころか、褒めることだらけなんだもの。 普通の家庭はこういうものか、と、今までの生活のあわただしさをしみじみと思ったりする。 学校から帰ると、私がなにも言わなくてもさっさと宿題を取り出し、 私にあれこれ説明したり聞いてきたりすることもなく宿題に取り掛かる。 先週はひらがなプリントだけだったのが、 今週からはひらがなプリントと算数のドリルの2つになった。 ひらがなプリントに関しては、最初に親向けにやり方の説明のプリントも入っていたが 算数ドリルには何の説明もついていない。 「これ、どれだけやるの?」とみつきに聞くと 「ここと、ここの、開いたところをやってきてって先生が言ってたよ」と ちゃんと先生からの話も聞いて理解している様子。 自分で分かっているようなので、あえてノータッチで放っておく。 ひらがなプリントに関しては、12個あるマスすべてに文字を書くが ちょくちょく真ん中あたりのマスを飛ばしていることがある。 算数ドリルは、問題を読まずに始めたらしく、途中で「あっ!しまった!ちがっとった!!」と自分で必死で直していた。 みつきが遊びに行ってから、ちゃんとできているのかどうか こっそりランドセルから出して見てみると ADHDの私、やっぱり視覚認知の弱さで目がチカチカして、 手でひとつずつ追わないと合っているかどうかの確認ができない 結局、休みで家にいた旦那に見てもらうと、全部合っていたそうな。 みつきは私と同じタイプで視覚認知がかなり弱いはずだったから、 あのスピードであっという間に終わらせたところを見ると、 やっぱり薬の効果で集中しやすくなっているのか。 担任の先生からは、どうなることかと自分でも予想ができなかったが ふたを開けてみれば、とにかくみつきは何も心配することはない、とのこと。 指示もよく通り、休み時間と授業時間の切り替えもきちんとできており、 まったく落ち着いて毎日過ごしていますよ、と。 クラスでの自己紹介の時などもとてもはきはきと話し、 将来、車とバイクの免許を取りたいです、と言ったらしい(はじめて聞いた)。 時間割に関してはまだ暫定的なものでしか進んでいないけれど 毎日、「明日の用意するよ~」と声をかけ ランドセルの中からいったん全部を取りださせる。 残っている他の教科の教科書もそこへ加え、 まずは「毎日必要なモノをランドセルに入れて」と声をかけると みつきは連絡ファイル、連絡帳、下敷き、筆箱、をランドセルに入れる。 次に、明日の時間割を読み上げる。 「こくご、せいかつ、おんがく」とよみあげるたび、みつきが返事をしながらその教科書をランドセルに放りこんでいき、終了。 ちなみに、1年生の教科は、たいてい教科書1冊だけなんだけれど こくごは教科書&ノート、さんすうは教科書&教科書の追加版&ノート で1セットなので、 ADHDの私が子どものころ苦労したのを思い出し こくごとさんすうのみ、それぞれプラケースに1セットずつセットした状態で扱うことに決めた。 こうすることで、時間割が「こくご、せいかつ、おんがく、さんすう」だったとしても 「ええと…こくごは教科書とノートで…おんがくは教科書だけで…せいかつも教科書だけで…さんすうはこれとこれとこれと…」という ややこしい状態にならなくて済む。 こくごはみどりのプラケースをそのままランドセルに放り込み、さんすうはブルーのプラケースをそのままランドセルに放り込むだけ。 もしかしたら先生によっては、 そうやってプラケースに入れずに自分で時間割をやるように練習しましょう、と言う人も出てくるかもしれないが 私は、自分が子どものころさんざんそれで苦労した経験があるので それができるようにと毎日毎日無駄な労力を使って忘れ物をするよりも、 自分の苦手なことに対しては 「それを補う方法を考えて利用するという知恵」を身につけてもらいたい、と思っている。 それこそ、目の悪い人がメガネを使うのと同じことだ。 人と同じ形でやらなければいけないということはない。 得意なことはどんどん生かし、 苦手なことに関しては何か方法がないかと知恵をしぼる生き方をしてほしいと思う。
2009.05.22
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ミクシィにも書いた日記を、こちらにも。最近はミクシィが多いので、こっちへ来てくれていたみんな、ありがとう。ミクシィでは、「なみえ」で日記を書いてます。連絡していなかった方々、ごめんね!!!ミクシィへ来て~。--------------------------------------------昨日、世界仰天ニュースで、 「片付けられない主婦」を放送していた。 そして、「ADHD」という脳の障害であることを伝えていた。 ADHDのみつきと一緒に、この放送を見た。 片付けられず、 業者にも依頼して手伝ってもらいながら それでも捨てることができず、 何度も何度も業者の作業を中断させてしまい、 途中で洋服の山の真ん中に座りこんで 分類できない自分の情けなさに泣き、何度も涙をふきながら ひとつひとつ迷いながら服を袋へ放りこんでいる主婦の姿。 まさに、ほんの少し前の、 片付けができなくて途方にくれて ごった返した部屋の真ん中で泣いていた私と同じ姿だった。 番組は 白井さんというADHDの女性の(ADHD界では有名) 小さいころからの生い立ちを紹介した。 みつきは、それを見ながら 「ぼくとおんなじだ………」とつぶやいていた。 そして、その後に、 洋服の山、片付けられていない洗面所、ゴミの山のようなキッチン、 その中で泣いている主婦、 そういう映像をずっと黙って見続け、 「ぼく、あんなふうになるの?こんな病気いやだ」と しくしく泣き出した。 「ママもこれとまったく同じだったんだ。 でも、今は、お薬も飲んでるから、お部屋はきれいになったでしょ? みつきも、お薬飲んでるでしょう。 だから、これからのみつきは、なんだってできるんだよ。」 そう話したけれど、テレビで見たADHDの人生は、 彼にとってはとてもつらいものだったらしい。 うん、分かるよ。 私もね、この放送と全く同じ人生を生きてきたんだ。 「ぼく、いやだ。ADHDっていう病気、ぼく、いやだ」と みつきは寝つくまでずっと泣いていた。 大丈夫。 私がついてるよ。 パパがいるよ。 ももちゃんがいるよ。 いつまででも、ずっとママが寄り添っていこう。 ママが死んだ後もずっと、 みつきを助けてくれる人をいつだってそばに呼び寄せてあげよう。 大丈夫。 一生懸命生きていたら、神様がきっと味方になってくれる。 人はね、幸せになるために、生まれてくるものだから。
2009.05.21
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トラックバック等あんまりにもうっとうしい書き込みが多いので、とうとうミクシィへ引っ越しました♪ここで書いたことがたくさんあったので迷ったんだけど…。とりあえず、元気に過ごしておりまする!!
2008.10.20
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土曜、日曜、家族そろって、2日間連続で久しぶりに劇団飛行船のミュージカルを観てきました。土曜日は「ちびまる子ちゃん」。友蔵おじいちゃんに我が家のチビたちは大喜び♪途中で通路を通ってきた友蔵にチビたちは頭をなでてもらったと大はしゃぎ。みぎわさんのアニメに負けないキャラっぷりにも大笑いさせてもらいました。日曜日は「ピーターパン」。前々からずっと観たかったのになかなか行く機会がなくて、千秋楽も間近に控えてやっと見に行くことができました。チビたちはもちろんピーターパンやティンクに大喜びしていましたが、一番はしゃいでいたのはなっち本人でした!ピーターパン、かっこいい~~~♪今まではロビンフッドがなっちの中でのナンバーワンだったけどピーターパンが文句なしのナンバーワンになってしまいました♪…って、演じてるのは同じ人なんだけどさ(笑)。実は、劇団飛行船は、なっちが昔働いていた夢のような会社。当時は本部が稽古場のところにあったので、本当に楽しかったよ。あれからもう15年くらい経つけれど、いまだにその当時の役者さん達がたくさん活躍している。役者さんたちが飲みに行くのに一緒に連れて行ってもらっては自分より一回りも年をとった人たちが、子どもたちを熱く語るのを聞いていつも感動したものだった。土曜日は友蔵役のお兄さん(もうお兄さんって年でもないか…、Mさん!)にチビ二人はおもちゃのお土産をもらい、日曜日はピーターパンが楽屋で待っていてくれて、一緒に写真を撮らせてくれました。このピーターパン役のKさんは、実際もとてもかっこ良い男の中の男なんだよ。それから、昔からずっと変わらず渋い存在感の、音響進行Nさん。子どもに大きな夢を見させてくれるこの飛行船の人たちは人生に行き詰っていた私を救いだしてくれた、とても素晴らしい集団です。
2008.08.04
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なっち、8月で仕事を辞めることになりました!残りあと少し、精一杯やって終わろうと思います。なんかものすごーく複雑な事情があるわけでもなく、ただ単に、毎日洗剤や薬剤を使っての掃除の仕事で少し体調が影響を受けている気がしてきたから。特に、お風呂の掃除のときなどはカビ取り剤なんかも使うので、吸いこんでいるのがよく分かる。かれこれ2年弱になるんだけれどもともとアレルギーやアトピーのある私だから、そろそろこの環境から離れようと思ったんだ。辞めたら…???やりたいことはいっぱいある。でもまずは、ゆっくりと休息の時間を取るぞ。それでもって、今ある幸せをじーっくり味わうぞっと。
2008.07.31
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ADHDの私。ひとつひとつの家事をそれなりに工夫しようと何年も奮闘中。最近成功したのは、洗濯物干し。Tシャツやポロシャツなんかをハンガーで干すのをやめた。その代りに活躍しているのが、ピンチハンガー。大型のピンチハンガーを買い足して、Tシャツなどはそのピンチハンガーにさかさまに干すようになった。もともとは、Tシャツやポロシャツが早く乾くようにと思って始めたこと。ポロシャツなんかは特に、中途半端な季節だと脇の部分だけが乾ききらずにまた室内に干しなおすことがあったので、さかさまに干せば早く乾くだろうと思ってピンチハンガーを使い始めたのだ。ところが、これが私には大いに役立った。ADHDの私は、洗たく機で洗濯をすることはできても干すのが面倒だったりする。しかも前日に干した洗濯物が残っていると、それを全部ハンガーからはずしたあとに新しい洗濯物を干すというのが面倒で仕方がなかった。しかも、乾ききってない洗濯物が残っているとなおさら、スペースが足りない上に、もうたまらなく面倒。ところが!ピンチハンガーなら、乾くのが早い上に、取り込むのがものすごーーーーーく楽なのだ!!ぶら下がっているTシャツ類をががっと抱え込んで、いっぺんにピンチをはずしていけばOKなんだから。…で、旦那さんの作業服や、乾いてそのままクロゼットにかけられるものだけをハンガーに干している。うーん、楽ちんなことこの上ない。Tシャツに必ず残るハンガーあとも、これならまったく残らない。…しかも、大型のピンチハンガーをTシャツ類のために使うようになったので子どものパンツや靴下のたぐいは小さめのピンチハンガーを2つ3つ買い足してそっちに干すようになったら、あるときから突然、隣で3歳のお嬢が黙って靴下類を干してくれるようになった!これがまた、お嬢の干し方はとても丁寧で大助かり。洗濯物が多い日でも、お嬢に手伝いを頼むと洗濯物の中から自分で靴下やパンツを取り出しては干していってくれる。お嬢が干しやすいように、小さいピンチハンガーは干すときには低い位置にぶらさげているんだけれどこの間は旦那の大きな靴下が床に触れないようにさかさまに二つ折りの状態で干していたので驚いた。たまたま次の日が雨だったのでそのまま室内に干しておけてとても大助かりだった。今ではお嬢は、小さめのピンチハンガーは自分のものと思っているらしく、小さいハンドタオルなども、干せる大きさだと判断してどんどん干してくれるのだ。お手伝いをしてもらったあとは、10円のお駄賃を渡すことにしている。ただ、洗濯物干しに関しては、お嬢はお駄賃のためというよりは、干すのが好きなだけみたいなんだけど。さぁーて、今日は大雨だけど、一日さわやかに過ごしましょう!!
2008.07.08
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この事件は、私にはとても痛い。胸が痛くて、泣いた。秋葉原の容疑者である彼と同じ人生をたどったという人は、少なくないと思う。私もそのうちの一人だ。「ありのままでいいよ」そういう出会いがあった私は、奇跡に出会ったのだ。ただ、それだけのことだ。どうか、できうる限り多くの人々に幸せと安らぎがもたらされますように。
2008.06.16
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今朝。坊はなかなか起きられず、起きてからも目が半分閉じていた。食欲もあったのに、着替えるときになって「ママー。ぼく頭いたい。だからお休みする」という。本当に頭がいたいのか、ただ単純に眠いのか、よく分からない。「頭いたいの?別にお休みしてもいいけど、頭が痛いんだったら寝てないといけないね」と言うとしばらくうーーーん…と悩んでいる。「ぼく、寝られなかったら家で起きていていい?」と言うので「うん、別に無理に寝なくていいけどさ、けど頭がいたいんだったら、今日はあんまりお外に出ないようにしようよ」と答えた。坊、しばらくして「ママ、やっぱり頭いたくない。保育園行く」。「そうか、保育園行きたい?」「うん、ホントは、頭いたいって言ったのウソなんだ。ごめんなさい」「おうちにいても退屈だもんねぇ。でも休みたくなるときだってあるんだからさ、別にいいよ。ママもさぁ、ウソついてお仕事休みたくなるときあるんだぁ」結局、保育園へ送って行った。保育園について、念のため今朝の会話の通り先生に伝えた。坊は隣で恥ずかしそうに笑っていたから、坊のプライドを守るために「でも、ホントは少し頭いたかったんだよね。もう治ったんだよね」と言って「いっぱい遊んでいいからさ、もしもまた頭が痛くなったら先生に言うんだよ」と坊に声をかけて、先生にも「もしかしたら保育園に行きたくて無理してるかもしれないので様子がおかしかったら電話ください」と話しておいた。坊、元気よく教室へ飛び込んで行った。お嬢のほうは。洗濯物がまったくたたんでいなくて、今朝お嬢の着るポロシャツが見当たらなかったので、坊が前の保育園で来ていたポロシャツを出してきたらお嬢、「ええー!坊くんのヤツ着るのぉ?!」と大喜び。お嬢はとにかく坊が大好きなので坊のお下がりを着るときは「坊くんみたい?坊くんのヤツかっこいい?」と何よりも喜んで着る。「嬢ちゃんねぇ、今日先生に『坊くんの着てるんだよ』って教えてあげるの!」と、上機嫌で保育園へ行った。坊のシャツを着ている嬉しさ、先生に伝わるといいね。本当に面白い朝のひとときでした。
2008.06.13
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すっきりしている。昨日の出来事から、いつもなら翌日目が覚めた瞬間から重たい気分になるところだが、今朝は気分がすっきりしている。梅雨でお嬢のぜんそくもひどく、夜ぜんぜん寝られないので体調はあまり良くはないんだが、気持ちのほうはすっきりしている。それどころか、前の保育園の園長、私は今までにさんざん文句ばかり言って困らせてきたのにもかかわらずこの園長の心やさしい対応がありがたいと思った。私が気にしているだろうと心配してくれていたので今朝も電話でお礼を伝えた。ADHDのなっち、ADHDの子どもを持つなっち、二人の子育て中の母親としてのなっち、幼いころからのトラウマを抱えているなっち。このなっちは壁にぶつかることはしょっちゅうなんだけれど癒しの子育てのMさんや今回などはその娘さんも応援してくれたり前の保育園の園長、前の保育園でできたお母さんともだち、自分の両親や妹、支援センターの人や保健師さん、精神科の先生(いそべクリニックの院長)とカウンセラー、そして我が家の世界一の旦那さん。そういった人たちがいつも必ずなっちを支えてくれてそういう人たちはなっちを責めず頑張ってるよねぇ、腹も立つよねぇ、と共感して私をまるごと受け入れてくれる。人が生きていく上で一番必要で一番心強い支え方をなっちの周りにいる人たちは、どうしてこんなに知っているんだろうな。生きているって、素晴らしいことです。こういう人たちとの出会いがあるんだから。
2008.06.11
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しかし、重なるときは重なるもんだ。今日は午前に自分の精神科へ。昨晩も夜中じゅうずっとお嬢が咳でもどしたりしていたのでお嬢を休ませて、お嬢を連れてのカウンセリングでした。午後、坊の耳鼻科へ。先週耳かきしていて耳から少し出血したので診察を受け、今日はその後の回復の様子を診てもらいに行ったんだけど。がぁぁぁん。滲出性中耳炎になっとりました。これでまたしばらくは耳鼻科通いも増えました。ここしばらくは坊が新しい保育園でめげていたので、今日の耳鼻科のあとで少しだけ、前に通っていた保育園へ少し連れて行ってやったが。どうやら、他の保護者から「保育園をかわったのに遊びに来ているなんて…」と保育園に苦情があったらしい。まったく、世の中は厳しいっす。でも、ちょっとずつではあるけれど、昔に比べればなっちも「くだらないモノを聞き流す」感覚がつかめてきつつあるようです。めげないわけじゃないけどね、でも全部を自分のせいだと考えることが減ってきた。この間もさ、すっごいめげてめげてめげまくっていつも助けてくれているMさんに電話をしたら、もちろん話したってどうしようもないことばっかりなんだけどさ「すごい大変なことばっかりだねぇ。でもさぁ、それでも、なっちは悪くないんだからね。なっちのせいじゃないんだからね」しみじみと言ってくれた言葉が胸にしみてわんわん泣いてしまいました。そうさぁ、なっちはいつもいつも正解の道を選べているわけじゃないけどさでも、一生懸命歩いているのさぁ。頑張れ、と言われ続けなくても、頑張っちゃうのさ。肩の力を抜くのが下手なのさ。ただそれだけのことさ。
2008.06.10
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旦那、入院(数日前にやっと退院した)。その間、病院へ泊った日もあるなっち。子どもたちの参観日も行けず、欠席。さらに、子どもたちまで体調を崩し、毎日違う病院へ走りまわる。参観日に行けなかったことで、家で製作しなければいけないものまで出てきた。ただでさえ、入院騒ぎで家の中はメッタメタ。子どもの製作モノは、チビ二人分それぞれのがある。そんなものを広げられるスペースがあるわけない!!泣きわめき、混乱を続け、それでも毎日は容赦なくやってくるのだぁぁぁ。とりあえず、明日は自分の精神科の日だ。すでに2か月も、子どもの体調不良と重なってキャンセルしていたから明日こそ何が何でも行かねばならん。しかも、今週はADHDの坊の件で、スケジュールがぎっしり。どうなるなっち?!…ってか、前に進むしかないんじゃん。うぉぉぉぉーーーーー!!!
2008.06.09
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「ママの大事な○○ちゃんが!!」この効果は絶大だった。特に、甘え下手なお嬢には、素晴らしい変化をもたらした。まず、坊と喧嘩しても、大声で泣いて私にしがみついてくるようになった。昨夜は夕飯後に坊とお嬢が私の膝の取り合いをし続けていた。今までほとんどずっと「パパの隣がいい」と言ってパパが夜勤でいないときでもパパのところで寝ていたお嬢が、ここしばらく、当り前のように私の隣に入ってくるようになった。昨日などは、何度も「ママ、抱っこ」と言ってくっついたりしがみついたりしたあと、眠気がやってきてやっと眠りかけていたが、私の腕を取って自分の体に巻き付けてみたり私と手をつないでみたりと、いろいろ試した挙げ句に私の腕を自分の両手で抱え込むようにして寝るのがくっつきながら寝るのに一番良い体制だと思ったらしく、その恰好でにーーーっと笑いながら眠っていった。自分から甘えるチャンスを作るのが下手な、お嬢のような子どもにはこっちから一方的に「あああ!ママの大事な嬢ちゃんが、痛い痛い!!」「ママの大事な嬢ちゃんを泣かせたのは誰だぁ?!」「ママの大事な嬢ちゃんだから、しょうがないなぁ」と繰り返し投げかけていけば、それだけでも十分にたくさんの愛情が伝わるんだなぁ。まずは、難しいことは考えなくていいんだよ。「ママの大事な○○ちゃんが!!」を口癖にするだけで子どもはこんなに元気になれちゃうんだよ。
2008.05.17
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いろいろと書きたいことはあるのだけれど、今日はどうしても先に書きたいことがあるので、ご勘弁。先日、癒しの子育てのお勉強会に行ってきました。今回4度目。その中の詳しい話はもちろん書けませんが、そこでまた私は根本的な大切なことを忘れていたと気づいたのでした。子どもに何かあった時、まず一番最初にどう接しているだろうか、ってこと。これは我が家の例ですが、子どもが危ないことをして、頭をぶつけたり、怪我をしたとき。たとえばそれが「そんなことしてたら危ないよ」とさんざん注意しているときならなおさら、子どもが頭をぶつけたりどこかから落っこちたりするとまず先に「何やってるの?!」「だから言ったでしょう!!」「どうしてそういうことばっかりするの!やっちゃダメだってことが分かったでしょう!」…と、我が家ではこうなる。当然、子どもは余計にわああああっと泣いて「自分でやったんだからいい加減泣きやみなさい!」とさらに怒られるか、怒られたから泣きたくてもぐっとこらえてしまうか、子どもの反応はどちらかになる。うまく甘えられずに、ぷいっとすねてひとりでじっとすねすねモードに入っているときや、子どもが立て続けにどきっとするような行動をするようになったとき、(たとえば、お嬢が坊のものばかりいたずらするようになったりしたとき)。「もう!またそうやってすぐすねる!!」「何回言ったら分かるの!!」と腹を立ててみたり、腹を立てるほど元気がないときや、時間がたって冷静になってきたときなどは「最近様子がおかしいのは、私がかまってやってないせいだろうか」「私の知らないところで何かあったんだろうか」「私はどうしてこうなるまで気づいてやれなかったんだろう」「どうやったらこの子の苦しい気持ちを癒してあげられるだろうか」…と、私は自分を責めたりしてこういう思考回路になる。こういう場合は、自分が落ち込めば落ち込むほど、悪循環をくりかえす羽目になる。今回、4度目の勉強会までを終えて、その中でずっと共通していたことに気がついた。子育てにはとにかく単純な、誰にでも簡単にできるとても大切なことがある。「ママの大切な○○ちゃん!」たった、それだけの言葉。別に、あらたまって子どもにそういう言葉をかけるわけでもない。日常生活に、その言葉が自然に出せる場が毎日何度も何度も出てくるんだ。この4度目の勉強会のその日。家に帰ってから、坊とお嬢はいつものように近くの公園へ遊びに行った。いつも坊はお嬢が乗った自転車をうしろから押して、公園へ連れていく。ところがこの日、公園に行ったと思ったらあっという間に帰ってきた。いつものように、お嬢の乗った自転車を坊が押しながら戻ってきている。「今日は早く帰ってきたんだねぇ」と言いながら外へ出ると、坊、「ぼく、ブランコで○○乗りしてさ、手を放したからブランコから落っこちて、ここをぶつけたんだ」と言って後頭部をさすっている。そんな危ない遊び方をしてるのか!と一瞬ぎょっとした。いつもなら「なんでそんなあぶないことするの」と言うところだが、この日は勉強会直後で、自分にもゆとりがあった(笑)。「あれぇ!!ママとお嬢の大切な坊くんが!大変大変!!」と後頭部をさすってやった。「どこが痛いの?」「まだ痛い?」「落ちた時怖かったでしょう」とやっているうち、坊、「痛かったーーーーー」と言ってしがみついて泣き始めた。「そうだよねぇ、ママとお嬢の大事な大事な坊くんが、かわいそうに」と頭をさすり続け、「ママとお嬢の大事な坊くんを落っことすなんて、ママがブランコに怒ってやる」と言うとお嬢、「嬢ちゃんの大事なみつくんねぇ、ブランコが落っことしてきたの」と言って「嬢ちゃんも、ブランコに、『坊くんのこといじめんといて』って言わないかん」とブランコに対し怒っている(笑)。すると坊、今度は「ぼく、危ない乗り方してごめんなさいーーー」と言い始めた。子どもは叱られなくても、自分でちゃんと分かっているんだなぁ。ママやお嬢に心配かけちゃったことも、ちゃんと自分で悪いと思っているんだ。ひとしきり泣いた後、ふと気がついて、「坊、ブランコから落ちてすごく痛かったんでしょう。なのに、ちゃんとお嬢を自転車に乗せて押して帰ってきてくれたんだね?」と言ったら、坊はまだ涙目で「うん、だって嬢ちゃんをひとりで置いてきたらかわいそうだから」。「痛かったのに、よく頑張ったんだねぇ。さすが坊は偉いねぇ」と言って今度はいっぱい褒めてやった。お嬢はまた、「坊くんがねぇ、嬢ちゃん自転車に乗せてきてくれたの」。お嬢はお嬢で、とにかくいつも「○○ちゃんが~~してくれたの」という言葉をよく発する。お嬢は3歳ながら、家族の中で一番の頑固者に見えるが実は家族の中の誰よりも謙虚な気持ちの持ち主なのだ。お嬢にも、「お嬢、ホントはいっぱい遊びたかったけど、坊くんがブランコから落ちて心配だったから、一緒に帰ってきてくれたんだね。坊くんのこと心配してくれてありがとうね。さすがはママと坊の大好きなお嬢、いつもいっぱい助けてくれるんだなぁ」と言って次はお嬢をよしよししまくって、ぎゅーっと抱っこした。その後。私が夕飯の支度をしていたら、坊がやってきて、私にこう言った。「ママ、危ない乗り方したのはぼくだからさ、ブランコは悪くないから、ブランコに怒らなくていいからね」。…この純粋さと言ったら!!!
2008.05.15
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お嬢、現在、頑張って反抗期やってます。ゴールデンウィーク休み中のため、ちょっと書いている暇がありませんが、ご報告をお楽しみに。お返事、もうちょっと待っててね!!
2008.04.30
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お嬢、高熱でダウン中。39.5度も熱があるので、ひきつけでも起こしたらいけないので寝ている間中、ベッドで隣に座っていたんだけど。さっき、冷えピタをはりかえていたら、目を覚まして、いきなり私に怒りだした。「ママなんか嫌い。ママなんかあっち行って」と大泣き。「いいよ、ママはお嬢のこと大好きだからね、 お熱が下がらないといけないから、ここにいるよ」と言ったら「坊くんがいい。ママなんか嫌い。あっちいけ」とひっかくわ、たたくわ、大騒ぎ。そりゃあね、坊のことで結構落ち込んでたしお嬢だって寂しかっただろうなぁと思ったけど「パパー!坊くん!!」と叫んでは「ママなんかあっち行け!!」と泣くのでちょっと坊にお嬢をみててもらうように頼んでママは部屋から出てきました。あーあ。
2008.04.25
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結局、坊、昨日は寝るまでずっと、ママが来ちゃダメって言ったから…と怒ってみたり先生は遊びに来られなくてがっかりしただろうな…と悩んでみたりママが大変なのに僕が勝手に誘ったから悪かったんだ…と落ち込んでみたり前の、別の先生とのショッピングモールへ行く約束もどうしよう…と悩んでみたりずっと悩み続けておりました。今朝は朝から「もう!ママが来ちゃダメだって言うから、ママなんか知らん!!」と泣いて怒って私も謝りどおしでした。実際、私が片付けができないことで、なかなかお友達も気軽に家へ誘ってあげられないし私は毎日時間との戦いをして過ごしているので夕方にお友達に誘われてもなかなか遊びに連れて行ってやれないし私がこんなADHDの母親じゃなかったらなぁ…と落ち込んでしまいました。そして、さっき。坊に、先生と何か話をしたかと聞いたらしみじみと、「ぼく、先生がおうちに来てくれることをママが許してくれないのが寂しい」と言われてしまいました…。…がっくし。
2008.04.24
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今日はお迎えに行ったら、坊が出てきて第一声、「今日、先生がぼくのうちに遊びに来るって!!」と言う。えっ?!とびっくりして、「でもさぁ、先生もお家に帰ってご飯を作ったり用事がたくさんあるし、 ママもこれから帰ったらご飯作らなきゃいけないからさ…」と話しだすと坊、「だって先生が遊びに来るって言ったもん!!」と怒りだした。そこへ先生が来て、「先生もまだこのあと仕事があるからさぁ、」と言うと坊、とたんに怒って泣きだし、ぷいっと歩いて行って座り込んで泣きだしてしまった。すると先生が、「坊くんが、今日ぼくのおうちに遊びに来てもいいよって言ってくれたので じゃあ、お母さんが迎えに来たら聞いてみよ、お母さんがいいって言ったらね、 と答えたんですけど…」と。当然、はなから先生は遊びに来るつもりなどあるはずがない。結局、坊、座り込んだ状態のまま、私に向かって大声で「ママのバカ!!」と叫んで大泣き。その後、私は泣いている坊と向かい合って、坊を説得するはめになった。先生はそのまま普通に部屋へ戻っていってしまった。実は、この新しい保育園が始まった初日にも、坊はある先生と遊んでいて、その先生に「先生、まだ○○(とあるショッピングモール)に行ったことがないんだ。 坊くん、今度のお休みのときに、先生を連れて行ってってお母さんにお願いしてよ」とかなりその話で盛り上がったらしい。その日の帰り際にも、先生が坊に「ねぇ、○○のことさぁ、ちゃんとママにお話ししてよ」と声をかけていたのでそのときはもちろん何の事だか私にはさっぱり分からなかったが、当然、坊はその日帰ってきてから私に「お願があるんだけど」と言って、改まって私に、その先生と一緒にショッピングモールに連れて行ってほしいと、言い出した。もちろんそんなことは無理なので、そのときも坊に話すのにずいぶんかかったが、そのときも坊はママが許してくれないから一緒に行けないんだ、と言って怒っていた。坊は、今日は帰りに私にすごく怒っていて、たまたま隣のお宅にお友達がたくさん遊びに来たのを見て先生が遊びに来るのを許してくれなかった代わりにその隣のおうちで遊ばせてくれと言って、遊びに行ってしまった。先生が来ることとお隣で遊ぶこととは違う話じゃんか…と思いつつもう説得するのもめんどくさくて、お隣さんが誘ってくれたのでそのまま遊びに行かせている。なんだかなぁ。
2008.04.23
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前の保育園での感覚も抜けきっていないので、私もいろんなことがよく分かっておらず、先生とのやりとりもすんなりとはいかないことが多い。たとえば前の保育園では、カバンや遊び着などにキャラクターのワッペンなどをつけるのは禁止だったが今の保育園では、みんな帽子や遊び着に自分の好きないろんなキャラクターをつけていてそれこそプリキュアやカーズなどのキャラクターのカバンの子もいる。前の保育園では、よくいろんな子がかわるがわる絵本を持ってきたり、採った虫を持ってきたりしていたのだけれど、前の保育園に入園してすぐの頃は、私はそういったものはすべてダメだと思い込んでいて坊が絵本を持っていきたいと言ってもはじめは絶対に許さなかった。ところが坊が「ほかのお友達もみんな持ってきている」というので聞いてみるとお友達が持ってきた本を先生たちがみんなに読んでくれたり、虫を一緒に育てたりしていた。そうか、保育園ではみんなで楽しめるように臨機応変に対応してくれているのか…と初めて知って、それからは、たまには坊が絵本を持っていくのも許すようになった。そして、先日、坊が、親戚のおみやげで小さな万華鏡をもらった。万華鏡をとても不思議がって何度も何度も見ていた坊は、翌日の朝、保育園のみんなにも見せてあげたい、と言い出した。私は新しい保育園のしおりを出してくまなく読んでみたが、そういったものの決まりは特に何も書いていなかったので、「じゃあ、今日行ったら一番最初に先生に聞いてみよう」と坊に言った。「でも、先生がダメだって言ったら、ちゃんとしまっておくんだよ」と話すと坊も納得して持っていった。ところが、私がうっかりしていたのがまずかった。私が自分で朝一番に先生に聞けばよかったのに、保育園に着いたころにはすっかりそのことを忘れてしまい、私からは先生に何も聞かないまま仕事へ行ってしまったのだ。帰り、迎えに行くと、坊はあわてた様子で出てきて「ママ、万華鏡なくしちゃった。ごめんなさい」としょげている。「ああ、それじゃあ仕方ないね。 これからはなくなって困るものはやっぱり持ってくるのはやめようか」と言うと坊もうん、と頷いて、また「ぼくまたなくしちゃってごめんなさい」と謝った。そして、「ちょっと外で遊んでもいい?」と言ってグランドに遊びに走って行った。すぐそのあとで先生が出てきて、なんと、ポケットからその小さな万華鏡を出したのでびっくりした。で、先生が何か話そうとしたら、たまたま坊が「かばん持ってて」と戻ってきた。先生、あわてて万華鏡を隠す。そして話そうとした瞬間にまた坊が「ねぇねぇ」と戻ってきて、また先生があわてて万華鏡を隠す。そんな状態が3度4度続いた。私は先生が何をしたいのかよく分からず、「??????」な状態。先生に話を聞くと、今日は坊が一日中その小さな万華鏡を持ち歩いていたので、なくすと困るからしまっておこうか、と声をかけたが坊がカバンに入れるところまでは確認しなかったらしく、あとから他の子が教室の中で「先生、これが落ちてたよ」と万華鏡を拾ってくれたとのこと。それで先生はそのまま万華鏡を自分のポケットにしまっていたらしい。その後、坊が「あれ?ぼくの万華鏡がない」と探し始めたらしいがしばらく坊が探しているのを見ていて(確か、先生も一緒に探すフリをした、とも言っていたように思う)あとで「坊くん、ああいう小さいのはさ、なくなっちゃうと困るからさ、これからは持ってくるのやめとこうか」と話したらしい。坊は「あーあ、なくなっちゃった。ママに怒られるかなぁ」と気にしていたらしいが。で、帰りのお迎えで私にその万華鏡をこっそり渡し、「家に帰ってからさりげなく坊くんに渡してあげてください」と言う。私は正直なところ、先生の意図がよく分からず、とりあえず受け取った。坊やお嬢がグランドでしばらく遊んでいる間、どういうことかなぁと考えていたがいまいちよく分からない。帰ってからさりげなく渡して…と言われても、どう「さりげなく」渡すのかも考えあぐねて、結局、車に乗り込んだときに「さっき、坊が遊んでいる間に、先生が『見つかった』って言って持ってきてくれたよ」と坊に万華鏡を渡した。坊、「どこにあったって言ってた?」「ぼく教室の中は全部探したんだけどなぁ」「廊下とかお外に落ちてたのかなぁ」といろいろと考えていた。で、家に帰ってから、坊に聞いてみた。「先生はこういうのを持ってきちゃダメって言ってた? それとも、なくすようなものがいけないってことだったのかな? きちんと片づけないとなくなっちゃうから駄目だよってことだったのかな? 坊は先生からなんて聞いた??」坊は、「先生は何にも言わなかった。でもぼくまたなくすといけないから、この万華鏡は持っていくのやめるわ」。私もよく意味が分からなかったので、結局連絡帳に書いて聞いてみた。「こういうものを持っていくのがいけないということであれば、坊がその新しい保育園でのルールを理解することが大事なので、家でも彼に話をしますが、先生からも坊に話をしてやってください。そういうことではなくて、片づけないとなくなってしまうよ、という意味だったのであればこれに関してはADHDの坊には努力だけではどうしようもないことなので片付けるときに先生方のご協力をお願いしたいと思います。今回の意図が私には少しよく分からなかったのですが、本人にはルールを破ろうという気持ちはなく、前の保育園では絵本や虫などをみんなが持ってきて、それをみんなで共有して遊ぶということが多かったのでたまたま前の保育園での感覚で持って行っただけですので持って行ってはいけないということであれば本人にそれを話していただければ、きちんと理解すると思います。本人が失くしてしまったと思っていたものが見つかってもそれをかくしておくということは罰を与えることになってしまう気がするので、そうではなくて『今度からはこういうものは持ってこないようにお約束しようか』と約束事としてきちんと話をした上で、『またなくなるといけないから、帰りまで先生が預かっておくね。 お母さんがお迎えに来たらお母さんに渡すからね』と伝えていただければありがたいです。たぶん今日は『またなくしちゃった、どうしよう』というブルーな気持で過ごしていたと思います。その状態では、ルールうんぬんよりも、なくしてしまった不安のほうが大きくなってしまい大切な部分がきちんと伝わらないと思うので、そのあたりをきちんと本人とも話をしてやってもらえますでしょうか」そのノートを持って行った日の帰り、私がお迎えに行くと、先生が飛んできた。まず「私は全然罰を与えるつもりじゃなかったんですが…」と始まって、「なくなってしまうと困るから、私が帰りまで持っておこうと思っただけなんです」ととにかくそのことを繰り返すばかり。で、「小さいものは、なくならないようにカバンか何かにつけていただけると…」。ただ、保育園のしおりには、カバンにつけるのはお守り程度にしてください、と書いてあったしそれ以外の持ち物については一切書かれていなかったんだよな。結局、しばらく話を聞いていてもよく意味が分からなかったので私のほうから、「あの、こちらの保育園では、家にあるものを持って行ってはいけないということなんでしょうか」と聞くと、「時々、虫を虫かごに入れて持ってきてくれる子もいるんですけど、その日のうちにお返しするんです」という返事だったので、またよく分からなかった。「たとえば絵本とかそういうものを持ってきたりはしないんですね?」と改めて聞くと、「そうですね…。やはり、お友達どうしでトラブルになったりするといけないですし、 なくなったりしたときにこちらでもすべての責任をとることができないので、 大切なものは持ってきていただかないほうがいいと思います」とやっとそれらしい返事が返ってきた。「じゃあ、私も家でそのように坊に話して聞かせます。 万華鏡を見つけてくれた子に対しては、もちろん坊からはお礼も言ってないんですよね? 先生のほうからは、坊にはどういう形で話をしていただいたんでしょうか。保育園のルールとして坊に話をするのであれば、先生と同じ内容で家でも話をしておきたいと思うので…」と言うと「それでは、もし次に何かあった時にはそういう形でお話させてもらいますね」と言う。あれぇ?もしかして、坊には何にもきちんと話をしていないの???きちんと話をしていないのに、単に坊がなくなったと思い込んだ万華鏡を、先生が隠し持っていたの???それにはいったいどんな意味があったんだろう???しかも、帰りにお迎えに行った時ですら、先生は坊が寄ってくるとあわてて万華鏡を隠し、とにかく保育園では「なくなった」という状態を保ちたかったらしいし。連絡帳の先生からのコメントにも、この万華鏡についてのことは一切触れられていなかった。あれ???肝心なところがよく分からない。家に帰ってずっと考えていたけれど、結局のところ、万華鏡を持ってきてはいけないと坊に面と向かって話して、もし坊がすねたりぐずったりしたら面倒だから、それでなくなったことにして坊の前から万華鏡を消してしまったんだろうか?…としか、考えられなかった。しかも、先生は、次に何かあった時にしか、坊とはそのことについて話す気はないらしい。私がお願いしなかったら、先生はこの先も坊とは持ち物について話す気はなかったんだろうか。仕方がないので、しつこいと思われることも覚悟の上で、またあらためて連絡帳に書いておいた。「子どもが納得するまで話をするということは確かにパワーのいることではありますが、 我が家では、不都合なことや言いにくいことであっても、大事なことはやはり時間をかけてでも話さなければいけないと思っています。 坊の場合は、話をすればきちんと理解できる子ですので、 この保育園に通う以上はこの保育園のルールを守らなければいけませんし、 そのルールを坊本人がきちんと理解することが大切だと思います。 何かあった時には、坊を一人の人格として、きちんと話してやってもらえますでしょうか。 たとえばこうやって物がなくなってしまったときに実は大人が隠していたということになると 本当になくなって困った時にも「どうせまた先生が持ってるんじゃないの」と 事の重大さが分からない状態にもなりかねませんし、 家ではいつも子どもに対しても嘘はつかないので、 本当に大切な時には 『今までパパやママがあなたたちに嘘をついたことがある? だから、パパやママはいつだってちゃんと約束を守るから、安心してね』と話せます。 そういう大人との間の信頼感を我が家では大事にしていきたいので、 今後も可能な限りご協力をお願いしたいので、よろしくお願いします」今日、この連絡帳を持たせたが、果たして理解してもらえるかどうか…。前の保育園では、保育士の先生たちが若かっただけに担任の先生などはいつも何かあると時間の許す限り子どもと向き合って話してくれていたので私はそれを当り前のように思っていた。私は5歳の坊も3歳のお嬢も、一人の人間として話すことが当たり前になっていたのでもちろんそのことで坊やお嬢が納得がいかずにぐずったり怒ったりすることは当然あるけれど、いつも子どもたちはきちんと話の内容を理解していたので何かをなし崩しにしてしまうということが、どうにも気持ちが悪いんだな…。
2008.04.23
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去年植えて放りっぱなしのハーブ。ADHDだもん、そりゃあ完全に世話できるはずがない。「ためしに育ててみよう」って思ってやってみたものの、本当に「ためし」で終わったのだ。冬には一掃されて、庭はほぼすっからかんだった。春になったなぁ。そう感じたのは、去年放置していたそのハーブたちが芽を出し始めたから。そこいらじゅうで、レモンバームが繁殖しつつある。アップルミントの間に、ダイヤーズカモミールが3つ芽を出しているのを見つけてこの間植え替えた。その植え替えたそばに、雑草が芽を出しつつあるなぁと思っていたら3日もたつと、それがすべてローマンカモミールの芽だったと気がついた(笑)。ローマンカモミールは、たぶん数えたら20近く芽を出している(その中のいくつかはジャーマンカモミールかもしれんな…)。スープセロリも、チャービルも、フィーバーヒューも、セントジョーンズワートも、去年放置されていたのに生えてきた。ワイルドストロベリーにいたっては、今日すでに花が咲いていた。玄関先には、昨年は小さな株だったクリーピングタイムがポスト周りを全部埋め尽くすように広がっている。その隣には、こんなにでかくなるものだったのか…と感心するほどペパーミントが繁殖。しかし…。ハーブってこんなに強かったのね。どうなる、ADHDなっち家の庭!!!去年よりすげえ増えちゃったぞ!!!…と思いつつ、今朝はせっかくなのでミントティーを入れました。でも…。採れば採るほど、増えるのよね…。ミントやレモンバームは…。
2008.04.16
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先週末のこと。5歳の坊と3歳のお嬢は外で遊んでいた。「ママー、嬢ちゃんが公園行きたいって言うから、ぼく連れてってやるわ」と坊が言うので公園まで歩いて行くのを、しばらく玄関先で見守った。二人で手をつないで、仲好く歩いていった。しばらく耳を澄ませていると、すぐ近くの公園から楽しそうなお嬢の声が聞こえてきた。これならまあいいか、と思って家に入ってしばらくすると、家の前が急ににぎやかになった。再びちらっと外を見ると、どこのお子さんか分からないが、うちの子を含めて7人、我が家の前で遊んでいる。どうやら公園で、どこかの子どもたちと合流したらしい。まだ新しい保育園が始まる直前だったので、新しい友達ができたはずでもないんだが我が家のチビたちは知らない子ともすぐに仲良くなる才能を持っているらしい。ところが、坊が急に部屋へ駆け込んできた。「ママ、オレこの服着替えるわ」と坊。外へ出る前、ついさっき自分で着替えたばかりなのに…とまた洗濯物が増えるので、ちょっとイラッと来て怒りそうになった。なんで?もう汚れたの?…と聞くと「この服、女みたいだってみんなが言うんだ。だからオレ着替えたい」私の返事を待って、まだぬごうとはしていない。坊の言葉を聞いて、自分の幼い頃を思い出した。私の家は昔とても苦労していたから、私もあまり服をもっておらず、こどもながらに友達を見てうらやましい気持ちになったものだ。即座に、「よし、ママがかっこいい服出したろ。どれにする?」と汚れるのは分かりきっていたが、お出かけ用の服から坊に自分で選ばせた。5歳の子どものプライド。少なからず「女みたい」と言われたことでちょっとショックだったはずだ。坊は自分で選んだ服を着ると、また元気に外に出て行った。自分のことを「オレ」と言ったのを思い出して、少し笑えた。そのあと、こんどはお嬢がかけこんできた。「メルちゃんどこ?メルちゃん」メルちゃんという、お人形を探しに来たのだ。「メルちゃん持っていくの?」と聞くと「うん、嬢ちゃん、メルちゃんがいるの」。お嬢がいつも一緒に寝るくらいお気に入りなので、汚れると困るからいつもは絶対に外へは持っていかせない。でもあわてた様子で一生懸命探しているのを見て、私も一緒に探した。メルちゃんを見つけると、お嬢はまた走って外へ飛び出して行った。「これねぇ、お嬢のメルちゃん!見て見て!メルちゃん!」外からお嬢の大きな声が聞こえてきた。5歳と3歳のチビたちは、もうこうして社会性を持って生きているんだな。なんだか嬉しくなって、しばらく窓からみんなの遊ぶ姿を眺めていた。結局、途中から、私もその仲間に参加した(笑)。いまだにそのとき遊んでいた子どもたちの名前を知らないが、この一週間に団地内で何度かその子どもたちの誰か彼かとすれ違い、そのたびに彼らが「おす!」と私やチビたちに挨拶してくれた。本当に子どもたちって素晴らしい。我が家のチビたちのおかげで、私にもまた新たに、小さな友達が増えたのだ。
2008.04.13
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もうかれこれ3ヶ月くらい前から、DVDプレーヤーのリモコンがない。DVDのリモコンがないと、子どものDVDなどは音声の切り替えができず、本当に困る。しばらくリビングのDVDプレーヤーは無用の長物だ。ETCのマイレージポイントが、還元手続きを行わないまま、期限を過ぎて無駄になった。3月末までに手続きしなきゃ…とあせっていたのに、ハガキをなくしてIDが分からなかったのだ。昨日、たまたま見つけてしまった。お嬢の歯磨きコップが一時行方不明になり、持っていかなかった。昨日、なんとなくそれらしい場所に、ちゃんとしまってあったのを見つけた。片付けたら片付けたで、どこに片付けたのかが分からなくなるので困る。しかも、長く使わないものではなくて毎日使うものなのに、この自分の才能にはほとほと感心するばかり。スーパーの宅配を利用しているが、そのケースがたまりすぎて、床をふさいでいる。これを出しさえすれば、少しはスペースが広がるんだが…。ハーブの本を、これまたあえて「ここにしまっておこう」と思った場所にちゃんと置いてあったのに、どこに置いたのか分からずに昨日半日ほど探しまくった。探しまわった場所が、それぞれまたとっちらかってめんどくさい。そんなこんなの数日だったが今日は朝からスラヴァのアヴェマリアなどをかけて、優雅に野菜スープを飲んだ。うーん、リッチな気分だ。これで足元にほこりがふわふわしてなきゃもっといいんだけどねぇ(笑)。いろいろ失敗続きだが、まぁ死ぬほどの失敗じゃねぇし(笑)。アヴェマリアを聞こうと思い立っただけでもちょっと得したわ。このCDもどこにあるか分からなくて、たまたまこの間見つけたんだけどねーーーー(笑)。
2008.04.12
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先月の、なっちの心療内科カウンセリングの日。その日はとりたてて話すこともなかったので、当初からストップしたままだった、生い立ちを聞かれることになった。小学生のころでストップしていたので、そこからスタート。思い出そうにも、出てくるのは苦しいことばかり。それでも、今までにすでに2度、不登校の講演会で大勢の人たちを前に自分のことは洗いざらい話してきたからそれをもう一度たどる形で、なんとか取り乱さずに話した。1時間かけて聞かれるまま話をし、その途中何度か笑って涙を拭いた。今まですでに語ってきた自分の過去であっても、やはりそのころの自分を思い出すのはつらかった。母と、まったく会話を交わしてもらえなかったこと。毎日学校へ行く前に自分の割り当てられた掃除をすべてこなしていたこと。その掃除が中途半端だといつも事細かに叱られ続けていたこと。学校で、いじめをするようになったこと。その後、自分もいじめにあうようになったこと。やっかいな子供で、先生たちからも嫌われていたこと。反抗期、父から頭がはれ上がるほど殴られたり蹴られたりしたこと。途中でブチ切れて、中学、高校、大人になるまで、家庭内暴力を続けたこと。自分の居場所が見つけられず、学校にも家にも居場所がなく、学校をさぼって家にも帰らず材木置き場や駅のトイレで過ごしたこと。そのときに知らない男の人から声をかけられたことがあり、殺してくれないかなぁと願ったこと。幼い頃、親戚から性的虐待を受けていたこと。小学4年の時に、自殺を図ったこと。あっという間に時間が過ぎて、その日のカウンセリングは終わった。精算を待つ間にとうとう待合室で涙が止まらなくなってしまった。泣きながら精算し、泣きながら薬局へ行って処方された薬をもらい、帰りの1時間の運転中、ずっと泣いていた。何か具体的なことを思い出しながら泣いていたわけではない。見られたら恥ずかしいので泣きやもうと思うのに勝手に涙が出てきてとにかく止まらないのだ。その当時には自分が苦しいとは知らずに過ごしていたからただ自分が生まれてくるべきでなかったと思い続けていたこと、自分は決定的に何かがおかしい人間なんだと思い続けていたこと、それがどんなに苦しいことだったかを大人になって初めて気づきあんなに追い詰められて苦しんでいたのになぜ気付かなかったのだろうと思い、生きることがなぜ必要なのかと毎日問うていた自分を思い出したことが苦しかった。実は昨年、この病院へ転院してから2回目の診察の時、昔の自分を見た。トイレに閉じこもり、両親や看護婦さんが呼びかけると逆上してトイレのタンクを壊して血まみれになった女の子がいた。その子が、昔の私とまったく同じ言葉を叫び続けていた。「私はどっかおかしいの!病院に閉じ込めればいいでしょう!!」「そうやって人前だけいい人ぶる母親なんかいらない!!」「あんたたちには私が邪魔なんでしょう!」「死なせてくれないんなら、せめて入院させて閉じ込めてよ!!」その子の両親も、看護婦さんも、彼女をなだめすかして遠巻きに声をかけていた。ああ、それじゃダメなのに…。人前だろうが、なんだろうが、私が叫ぶのと同じくらい、叱るのでもなんでもいいから必死になって魂で叫び返してほしいのに…。彼女がこんなに人目を気にせず救いを求めているのに、なぜこの状態でも周りの目を気にして大人は平静を装うんだろう…。まるでこわれものややっかいなものを扱うようなその大人たちの態度を見ていて私は無性に寂しくなった。命の叫びを繰り返して必死にSOSを発している彼女に対してやはり昔の私の両親と同じく、「そんなこと言っても、都合があるでしょう」「話したいなら、そんな滅茶苦茶なことしたって会話にならないでしょう」そんなふうに言っていた。冷静に話せる状態など、彼女はとうの昔に通り過ぎているのに。冷静に話せる状態だったころにSOSを受け取らなかったのは、自分たちのせいなのに。彼女はもう何もかも、自分自身ですら悪いもののかたまりだと思い込んでしまっているのに。会話ができるころにちゃんと会話をしなかったのだから、今は体を張ってでも彼女を守る姿を見せてあげて欲しいのに。彼女はまだ、トイレのタンクを大人たちに投げつけたりはしていない。自分のSOSを分かってほしくてただ自分自身を傷つけているだけなのに。「あなたは、そんなになるくらい苦しい気持ちを抱えているの?」「ひとりでなんて苦しすぎるから、ひとりで闘わなくていいんだよ」なぜ、大人はそう言ってくれないのだろう。4日後、また今月のカウンセリングがある。次に何が飛び出してくるのか、自分の過去のことなのに想像すらできない。それでも、私には今は幸せがある。過去の自分に戻った後、ちゃんと帰ってこられる愛すべき場所がある。
2008.04.10
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そうそう、この間書いた野菜スープ。なっちにしてはめずらしく、4日目に突入。一家全員、毎日欠かさず飲んでいる。ところが、これが、効果絶大。びっくり仰天。お嬢は年末からこっち、ずっとぜんそくで夜中じゅう咳をしてひどいときには咳もどしも続いていた。坊は時々良くなるものの、やはり断続的に鼻づまりや咳で、二人ともずっと薬を服用しつづけている。二人とも、薬の効果でおさまっている日もあるが明け方に薬の効果が切れてくると、やはり咳が出はじめる。それが、野菜スープを飲んだ2日目。突然、二人ともぴたっと咳がおさまり、久しぶりに静かに熟睡して一晩を過ごしたのだ!!それまで毎日夜中に咳で起きて、お茶を飲ませたり薬を塗ったりして睡眠不足が続いていたなっちも、ぐっと熟睡して、昨日などは朝の5時に目が覚めてしまい、それでも一日バテることなく過ごすことができた。しかも、ダイエットにいいと言われているこの野菜スープ、やせすぎの人は、適度に体の体重が増えるらしい。要するに、やせるためのものではなくて体が一番いい状態を保てるように、代謝を促すようなのだ。このスープを飲んだ初日、2日目、我が家のチビたちは食欲旺盛で、しっかりとご飯を食べた。これから仕事がまた始まればなかなか毎日欠かさずというわけにもいかないだろうがせっかくだから、続けてみることにした。今は3日分くらい、冷凍庫に作り置きをしてある。3ヶ月後、「毎月一回の野菜スープの日」となっていないことを祈る(笑)。
2008.04.10
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新しい保育園に移って4日目。幸い、先生方の協力もあり、我が子2人は楽しく通っている。ところが、ひとつ問題が。大した問題ではないが、ダメ親(+ADHD)の私にとってはかなりの大問題。新しい保育園では、毎日、・前日の就寝時間・今朝の起床時間・夜と朝の歯磨き・夜と朝のうんち・朝の顔洗い・朝ご飯の内容と食べた量を、シートに記入して提出しなければならないのだ。しかも、毎日帰ってくると、そのシートのそれぞれの欄に赤ペンで丸や二重丸、ラインが細かくつけられている!!これはダメ親として自信たっぷりな私にはそうとうな精神的負担である。今まで、歯磨きなど気が向いたときにしかやらせておらず、朝などは目やにがついたまま送り出すこともしょっちゅう。なっち本人が疲れ果てているときには、夕飯もお風呂も遅くなって寝る時間がぐんと遅くなってしまうこともよくあった。もちろん、他のお母さんたちと同じように、それではいけないことはじゅうじゅう承知しているのだけれど…。まだならし保育期間のために仕事は休ませてもらっていてそれでなんとかこの数日をしのいだが、一昨日は旦那さんの帰り時間が中途半端だったので、夕飯も旦那さんを待って少し遅めのスタート。そのぶん、お風呂も遅くなって、寝たのが10時だった。当然、ダメ親なっちは焦りまくって「寝る時間も書かないといけないんだから、早くしてよ!!」と子どもたちを追い立てまくり、見かねた旦那さんが言った。「そんなの、適当に9時に寝たとかウソ書いとけよ」「正直に書かなかったら、記入してる意味がないじゃん!!」なっちは逆ギレ。次の日帰ってくると、就寝時間の10時と書いたところに、赤ラインが引いてあった。これはやばい…!!前日までは9時半が二日続いていて、そこには何も書かれていなかったので10時の就寝は遅すぎますよ、という意味の赤ラインに違いない。これから仕事に復帰したら、いったいどうなることやら………と入園そうそうに、大きな不安に押しつぶされそうになった。もともと、我が家は旦那さんが夜勤や中途半端な勤務帯の繰り返しで一週間まるっと子どもと顔を合わせないこともある。もちろん、一か月を通して一緒に夕飯を食べられる日のほうが少ないのだ。朝食なんかは、一緒に食べられる日などほとんどない。だから、あと少し起きていればパパに会える、と子どもが楽しみにしている日は少し遅くまで起きて、パパの帰りを待っていてもいいよ、と言っていたのだ。それも、今後はできなくなる。いや、しかし。9時に寝られずに赤丸をもらえなかったからといって、それで子どもを叱るのは母親の自分勝手な都合でしかない。先生たちに「良い母親だ」と思ってもらいたいがゆえに(せめて「悪い母親だ」と思われないために)子どもに怒ってばかりいるなら、本末転倒。たとえば9時に布団に入っても、子どもが寝られなければたとえば絵本をちょっと読んであげるとか、会話をするとか、本来ならそっちのほうが大切なはずだ。パパに会えなくてさみしいと言っているのにたかだか30分よぶんに起きていたらパパにおやすみを言えるのにそれすらもさせてあげないなんて、そっちのほうがかわいそうだ。なっちはADHDゆえにもともとつねに時間に追われて毎日を過ごしている。忘れ物や失くし物ばかりでただでさえ子どもたちに八つ当たりしているのだからせめて無駄なことであせって腹を立てるのは避けたかった。そこで、正直に連絡帳に書いた。「シートに赤丸や赤ラインがついているのを見ると、 自分が母親として採点されている気がして不安になってしまって なかなか自信の持てない私は子どもに八つ当たりしてしまうので これからもできるだけ正直に書けるように 我が家に関しては、赤のチェックはやめてもらってもいいでしょうか?」だいたい、実際は10時に寝ていても適当に「9時就寝」とウソを書けるくらい気楽にできる母親なら赤ラインなど気にも留めず、ゆったりと子育てができるだろうがそうできない生真面目な母親が、自分を追い詰めてしまうのだ。そうなれば、毎晩9時に寝て、毎朝6時や7時に起きて、毎日欠かさず栄養たっぷりの食事を与えて、シミ一つないきれいな身なりを整えさせて、子どもにきちんと挨拶をさせ、先生の言うことをよく聞くように言い聞かせ、ぐずったりして大人を困らせないように、云々………ということが、良い子育てだと思い込んでしまうのではないのかしら。もちろんそれを守ることに精神力を費やした親子はほっと気が抜ける時間が持てずにどこかでしわよせが出てくるのではないかしら。お嬢と同じ年で、以前の保育園から、同じ保育園に変わった子がいる。入園式当日、うちの子どもたちだけが式に出たくないと言って外へ出て遊んでいて主人もイライラしてしまい、私も不安になった。その途中で、同じ保育園から変わってきたその子が、お母さんとともに登園してきた。新しい保育園の帽子も、遊び着も、身につけていない。ただ道具だけを持って、門をはいってきたのだ。そこのお子さんは、私を見つけるなり「嬢ちゃんのおかあさーーーーん!!」と無邪気に手を振りながら走ってきた。そして、そこのお母さんは、私と顔を合わせると「ねぇ、入園式って出なきゃいけない??」。私は、その一言に吹き出し、これだ!!と思ったのだ。そこのお子さんは、うちのお嬢が1歳で前の保育園に入園したとき、すでにもう入園していた。私が初めてお嬢の入園の説明に伺った日、そこのお子さんは私の周りをちょろちょろしていろいろ話しかけてきてはくっついてまわり、私の顔に喜んでたくさんシールを貼った。先生にも「○○ちゃんはホントに人懐っこくて、みんなにかわいがられてるんですよ」と言われていた。「こうでなければならない」というがんじがらめの中で育っていないからだ。かといって、見ている限り、お母さんの愛情はたくさん注いでもらっている雰囲気。いつ見ても、そこのお子さんは誰とでも仲良く、普段の顔はいつも満面の笑顔。とてもかわいらしい、無邪気のかたまりのような女の子。入園式の日も、式の後で前の保育園に少し遊びに行くことになっていたからそのことをそのお母さんに話した時「私、まだお昼寝布団を取りに行ってないんですよねー。 最後の日に忘れてきて、そのままなんですよ(笑)。先生に会ったら、そのうち取りに行きますって言っておいてもらえます??」前の保育園へ行ってそのことを伝えると、園長は爆笑。「○○ちゃんのお母さんらしくていいわーーー!」と言って「預かっておきますから、いつでもいいですよって伝えといてください」とのことだった。一家の太陽である母親たるもの、逆に今の世の中ではこのくらいに構えてなきゃいかん。今朝、いちばんに連絡帳を読んだ担任の先生が「お母さん、ごめんね!!丸や花丸がついてると、子どもたちが喜んだりしてたもんだからそれでそのままになっちゃってるんだけどそりゃあお母さんの立場から見たら、なんだか自分が評価されてるみたいな気になっちゃうよね。ただでさえ、記入しなきゃいけないから朝ごはんも一生懸命作らなきゃって焦っちゃうもんね。私も実はそういうところがあるから、よく分かります。かくいう私も、実は今朝だって自分の子はラーメン食べさせて送り出したんですよ。これからは、まずは坊くんのところは赤でチェック入れるの、やめますね。ホントにごめんね」ととても気遣って声を掛けてくれた。ホーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ。まずはひとつ、ダメ親なりの現実ベストな状態を手に入れたのだった。
2008.04.10
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少し興味があって取り寄せていたものの、保育園の転園でばたばたしてまったく開かないままだった本を一昨日やっと開いてみた。野菜スープの本。我が家、家族全員の医療費がすごい。昨年の領収書をまとめると、なんと18万円近くになる。一昨年にいたっては、私とお嬢の入院もあって、26万くらいだった。下にも書いたように、今年もさっそくはじまっている。子どもたちも、正月以降は特に、花粉の影響をかなり受けて鼻づまりや夜間の咳などで薬がなかなか途切れない。なっち自身もアトピー、ぜんそく、花粉症。我が家の旦那さんも、我が家で一番の花粉症患者。この野菜スープはかなりそういったアレルギーにも良いと聞いていて気になっていたのだ。そのほか、ダイエットにも肩こりにも痛風にも冷え性にもとにかく体の中の毒素を出して健康体にするパワーがあるらしい。どの程度アレルギーに良いのか、効果のほどは実際やってみないと分からないがどうせなら、ダメもとでも体に悪いものより体に良さそうなものを飲んだほうがマシ。早速昨日から作り始めた。このADHDのなっちが毎日毎日続けられるとは思わないがもともとポトフや豚汁のような野菜の多い汁物を作ることが多い我が家であるからだったら毎日でなくても、週に2日でも3日でも、週一日でもいいからやってみよう、と。初日の昨日。夕飯前に皆に飲ませてみた。私が最初に飲んだものは特に味付けをしなかったものでさすがにこれは子どもにはきついかなぁと、少しだけ塩で味付けしてみたけど。坊は「おお!おいしい!」とあっという間に平らげた。お嬢は、「おいしくない~」と言いながらも、結局全部飲んだ。旦那さんには帰ってくるなり渡して強制的に飲ませたが「うん、まぁまぁだな」と。作り方は簡単。タマネギ、ニンジン、カボチャ、キャベツをそれぞれ50gずつみじん切りにして、800mlの水で沸騰後20分くらい煮込んで、こすだけ。なっちはものぐさなので全部フードプロセッサーで細かくして、圧力なべで煮た(はっはっは)。あっという間に出来上がりさ。1回に200mlを、空腹時に毎日飲むのが良いらしいがチビたちにはその半分ぐらいずつを飲ませた。実は我が家の旦那さん、大のカボチャ嫌い。飲む前に「これ何が入ってるの?」と聞かれたが、曖昧に「野菜だけ」と答えておいた(笑)。気付かないで飲んでたよ。こしたあとの野菜くずも全部白菜とワカメと一緒に味噌汁にした。この味噌汁もボリューム満点で好評だったよ。特に、カボチャが入ってるとは気付かない旦那さんにはね(笑)。医師がすすめる「野菜スープ」ダイエット
2008.04.08
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なっちの体質を受け継いでか、ほとんど薬の途切れたことのない我が家の二人のチビ。特に正月以降は花粉の影響で、5歳の坊は鼻づまりからすぐ中耳炎になるし3歳のお嬢は夜中に咳が出る。それでも、我が家の二人のチビたちは割合聞き分けがよく、以前からきちんと薬を飲んでいた。特にお嬢は、薬を飲むときには率先して自分で薬を一種類ずつ出してきて自分から口を開けて待っているので苦労したことがない。ところが、花粉の影響を受けるようになってからアレルギーの飲み薬はそうとう苦いらしく、坊はこの薬に関しては飲むのをかなり渋るようになった。さんざん渋ったあとに、やっとこさ飲んだ後は必ずむせるか涙目になるかで坊が嫌がるってことはそうとうまずいんだろうなぁと思っていた。…が、お嬢にも少しあとから同じ薬が処方されることになったのにお嬢はそれまでと変わらず、すんなり薬を飲む。あれれ、お嬢はかなり薬の味には強いんだなぁ、と感心したものだ。ところが。お嬢に「甘えてもいいんだよ」と伝えた直後から劇的な(?)変化が起きた。他の甘い薬でも、とにかくどれもこれも飲む前に嫌がって泣くようになった。最初は気持ちが不安定になっているからかと思ったけど。それから2か月、お嬢は毎回薬を嫌がって、飲ませるのに苦労するときもある。そして最近、気がついた。お嬢は、本当は薬が好きだったわけではなく、今までの状態がかなり頑張っていたのかもしれない。いつもにこにこして飲んでいたので気がつかなかったけれど、以前も、本当は、薬を飲みたくないと駄々をこねたかったのかもしれない。そうか、こんなところでも、お嬢は頑張っていたのか…。そう思ったら、お嬢が薬を嫌がって泣くのもかわいらしく思えるようになった。「お薬いや!」そうだよね、当り前の言い分さ。まだまだ3歳の小さな子どもなんだもの。
2008.04.08
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昨日の続きともいえますが。なっち、毎日毎日、よくネガティブな気持ちにあおられる。そこまで考えたってしょうがないじゃん、ってわかっているのに失敗することやダメなことばかりが頭に浮かぶ。もちろん、そういう気持ちが良いことを引き寄せるはずもないことはとうの昔から分かり切っているけれどこういうネガティブぐせは、なかなか直そうと思っても直せないものだね。でも、この前ちらっと立ち読みした本に書いてあったよ。「これがダメだったらどうしよう」「いつかうまくいかなくなるに違いない」そういう考えに取りつかれたら即、「いや、これが成功しすぎちゃったらどうしよう~!」「うまくいきすぎて幸せになりすぎちゃったらどうしよう~!」と、反対の考えを頭に浮かべよう、と。ネガティブぐせはなかなか去らなくても、これならなっちにもできるぞ。…というわけで、ここ最近、何かあるたびに口に出してぶつぶつと「あんまり楽しくなりすぎちゃったらどうしようかなぁ~」とおかしな母ちゃんになっております(笑)。そしたら、5歳の坊、「ぼく、みんなに大好きって言われすぎて全員と遊ぶ暇がなくなっちゃったらどうしようかなぁ~」などと笑って返してきます(笑)。
2008.04.03
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私は傲慢で、それでいて自己嫌悪に陥りやすい。本を読んでいた。ずっしりと、来るものがあった。同意することと、受け入れることは違う。同意することは、同じ意見、同じ気持ちになること。受け入れることは、自分とは違う意見や気持ちを持っている人を、あなたはそういう気持ちなんだね、と批判もせず、無理に自分の気持ちを変えようともせず、相手を変えようとせずにただそのまま認めるということ。私はよく、相手を変えようとしてしまう。そこに無理があるから、腹が立ったり、イライラしたり、自己嫌悪に陥ったりしてしまうんだ。本を読み進めるうち、自分を反省しまくってきてそうしたら、その本にさらに書いてあった。自分にいやな思いをさせた人を、許しましょう。そして、相手を批判した自分を、許しましょう。そうだ、私は、自分を許すということが一番苦手なんだ。だから人を許せないんだ。もう一度、自分を許すことから始めよう。そして、受け入れるということを、一つずつ学んでいこう。
2008.04.02
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昨日の日記のあと。ビデオを観終わったチビたちとちょっとまったり過ごしていたら、とうとうなっちのほうが泣きだしてしまった。まだ環境の変化にあまり慣れていないこの二人にとって今はどんなに不安で寂しいだろうかと思わずにはいられなかったのだ。私が泣きだすと、お嬢がすぐに飛びついてきて私をぎゅーっと抱きしめた。そう、お嬢はいつもこうなんだ。私がお嬢にしがみついてわんわん泣いていると、お嬢は今度はティッシュを取りに走って行った。そのスキに、今度は坊が私の膝に乗って一緒に泣き始めた。二人でまた大声で泣いているとお嬢はまたティッシュを取りに走って行った。大量のティッシュを両手にわしづかみにして戻ってきて私の顔を拭き、坊の顔を拭いた。それでもまだ足りないと思ったらしく、2度、3度、お嬢はティッシュが空になるまでそれを繰り返した。その最中、何度もお嬢にも「こっちへおいで」と抱こうとするのにお嬢はティッシュを取りに走って行ってしまう。やっと私が坊と一緒にお嬢を抱いてもお嬢はその間中私と坊の顔を忙しそうに拭いている。それでまたすっと腕の中から逃げ出してしまう。お嬢は、いつもこうやって、自分が最後の砦になって踏ん張っているんだな…。お嬢の姿を見ていて切なくなった。そして私たちが泣きやみかけたころ、お嬢はテーブルについて一生懸命絵を描きながらこっちへ向いて小さい声で「心配しんでもいいよ」と一言言った。そして描いた絵を持ってきて「ママ描いたの。カメさんも描いたの」。あわてた感じで4つの絵が書いてあった。お嬢はこんなふうに、いつもいつも自分が周りを励ます方法を考え続けているんだろうか。お嬢が一人で抱え込んでいてはあまりにもかわいそうだ。でも、私が何度抱こうとしても、呼びかけても、あれやこれやと理由をつけて逃げていく。こんなに苦しいのだったら、今私がそれを無理に受け止めようとしても無理かもな。そう思ってそのとき一度はあきらめた。それから数十分後。ふと気付くと、お嬢は膝にガーゼを巻いて、ガーゼ用のテープを大量に使って貼りまくっている。「わぁぁ!何やってるの!!!」と怒鳴ったとたん、ほら、来た!!…と思った。私がここ数日、眉間の間にヘルペスが出ていて、ガーゼもテープも残り少なくなってきていたからこれだけはいたずらしないでね、とお願いしてあったのだ。お嬢はわざわざそれをいたずらしたのだ。明らかなSOSだ。私が第一声怒鳴ったので、お嬢は「だって、だって…」と泣き始めていた。私はお嬢の背中をさすりながら、「ほらね、お嬢もそんないたずらしたくなるくらい苦しかったんでしょう」と言うと大暴れが始まった。「放してよ!」「おしっこ出る!」「坊くん!」とやたらめったら泣き叫んで大暴れ。「お嬢も寂しかったね」「保育園変わるのいやだったね」「自分も苦しいこと、早く気付いてほしかったね」「もっといっぱい泣きたかったね」「自分がもっともっと助けなきゃって思ってたんだね」何を言っても、大暴れだった。「もしかして、もっと自分がみんなを助けていたらそしたら坊くんもママもこんなにつらくならなくて済んだのにって思ったの?」それでまた、大暴れした。大暴れして、おえっ、おえっ、と吐いた。「坊くんのこと助けたいって思い続けていて、でもお嬢も坊くんに助けてほしいって思ってた?」それでもまた大暴れして、またおえっ、と吐いた。「お嬢も、嫌だけど新しい保育園に行くよ、って頑張ろうとしているの?」そのあとは、おえっ、おえっ、が続いていた。お嬢は、いろんな気持ちをたくさん抱えすぎていて、泣き叫びながら、それでも気持ちを吐き出しきれずにそうやっておえっ、と戻してしまうのだ。この一回では、きっとお嬢の気持ちは吐き出しきれないだろうと思った。でも、自分の力が続く限り、なんとか付き合えるところまで付き合い続けた。坊は、お嬢の姿を見ながら「ぼく苦しいよう!」と泣き出したけれど「ごめん、今はちょっと待っていてね」とお願いした。坊は「苦しいよう、苦しいよう」と泣きながらも「嬢ちゃん、ぼくずっと一緒にいるよ」とお嬢の足をさすっていた。前の夜泣きのあと、お嬢が「Mさんに会いたい」と言ったのはもしかして、自分がもっともっと苦しい気持ちでもがいていることをMさんなら分かってくれると思ってのSOSだったのかもしれない。私はたぶん、そこでまた見落としていたのだ。いつも黙って頑張るしかできないお嬢が、まだまだ何か抱えているだろうことは分かっていたけれど、お嬢はきっと、まだまだ私はあっぷあっぷしているんだよう、と言いたかったのかもしれない。結局、夜中近くにパパが帰ってきて、そこでいったん抱っこは終了になった。でも、お嬢はパパが帰ってくると、泣きながらパパのところへも抱きついていった。夜、布団の中で、考えた。私が小さかった頃、外食に行けば、一人で食事をしている人を見るのが苦しかった。この人は寂しいんじゃないかと思って自分がご飯を食べるどころではなくなってしまうのだ。募金箱を持って立っている人を見るのが苦しかった。周りの人たちがその人を無視して通り過ぎていくのを見るのがつらかった。お母さんがせめて募金してくれたらいいのになぁと思うのだけれど母親にそれを言うだけの勇気も持てない。年老いた人が買い物袋を持って歩いているのを見るのもつらかった。この車にお母さんが乗せてあげてくれたらいいのになぁと思って、それを母親に言えない自分に罪悪感を感じていた。そしてその私は周りからどう思われていたかと言うと、保育園ではみんなの先頭にたつしっかり者で気が強く、家ではウソつきでとても関わりにくい、大人にとってはちょっとやっかいな子どもだった。今の大人になった自分を考えると、もちろん、周りには店で一人で食事をしている人はたくさんいて、それを当り前に思っている。募金箱を持って立っている人がいても、そのすべてに毎度毎度募金をしてまわることはできない。でも、もしかしたら、普段自分の気持ちを言えないお嬢は、昔の私と同じように自分が本当は寂しいから周りの人たちも寂しいかもしれないとひそかに思ってそういう細かいことも自分で抱え込んでしまうような一番繊細で毎日耐え続けている子なのかもしれない。そして自分が苦しくなってもそれを母親の私にすら言い出せないくらい繊細さのかたまりなのかもしれない。お嬢のことを、もっと見よう。せめて、彼女の抱えなくてもいいはずの苦しさくらいは、少しでも一緒に共有しよう。彼女がしっかり者に見える裏にはきっともっと私の知らない彼女の気持ちが隠れているはずだ。
2008.03.29
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坊、今日の最後の保育園生活も元気いっぱいに過ごしました。お嬢、私が途中で寄った時に「ママがいい」とおお泣き。お嬢がそうやって感情を出せることでほっとした。そうやってぐずることで、先生たちによしよしってしてもらって甘えたかったんだよ。最後の最後に泣いたのはなっちのほう。午後ひとりで干してあった遊び着をたたんでいた時この遊び着はもう必要ないんだ…とふと思い涙が止まらなくなった。もっと早くにお迎えに行こうと思っていたのに泣きやむことができず、結局いつもの時間になってしまった。それでも保育園へ向かう途中、やっぱり涙が出て止まらなかった。今日帰ってから、明日、明後日、坊が今までの保育園へ行けないことでどれほど泣くだろうかと思うと苦しくて苦しくて、つらかった。坊とお嬢、帰ってきてからお菓子とジュースをほおばり、素知らぬ顔。トトロのビデオを見る約束だったから、それをつけっぱなしにして途中から坊のピアニカで遊び始めた。しばらくすると、ピアニカの取り合いで喧嘩を始める。さぁ始まった、と、そのときはとりあえず坊のほうが悪かったから坊を叱り飛ばした。坊、泣き始めた。泣きながら膝に乗ってきた。もちろん、叱られたことが原因で泣いているのではない。どういう形で声をかけるべきか、私は正直迷っていた。「保育園終わっちゃったね。寂しいね」と言うべきだったが私がつらすぎて言えなかった。だから黙って坊が泣くのを抱きしめていた。寂しいだろうなぁ、寂しいだろうなぁ、そう思いながら、ずっと抱いて背中をさすり続けた。しばらく泣いて、泣きながら、坊は言った。「ぼくM保育園行くのいやだけどーーー、4月から頑張ってM保育園に行くーーーーー!!」大声で泣き叫んだ。私の前で、初めて新しい保育園へ行くと宣言したのだ。分かりきっていたことのはずだ。坊は、もともと、こうやって頑張る子なのだ。何もかも、すべてをちゃんと理解している子どもなのだ。その後ずっと「ぼく4月からM保育園行く!!」「お休みしたくない!!」「M保育園行きたい!」「M保育園行きたい!」「M保育園行きたい!」「M保育園行きたい!」と狂ったように泣き叫んだ。あまりに繰り返し言うので、途中で疑問に思い、「坊、M保育園っていうのは新しい保育園のことだよ。今日まで行ってたのは、T保育園だよ」すると坊、「T保育園にはもう行きたくない!4月からM保育園に行きたい!!」「ママ、ごめんなさい、M保育園行きたい!!」そう言って大声で本当に狂ったように泣き叫ぶのだ。彼はそうやって自分に言い聞かせている。お嬢は、ティッシュを5枚ほども手にわしづかみにしてぱたぱたとあわてて走ってやってきて、坊の涙を拭き、鼻水を拭いてやっていた。お嬢は坊が泣いているからと言っていつもそんな行動をとるわけではない。坊が本当に苦しんで泣いているとき、そういうときだけ自分がティッシュを取ってきて坊の顔を拭いてやるのだ。そう、子どもというのはこういうものなのだ。坊は、今までの保育園に通い続けていた間、家で「寂しい」「保育園変わりたくない」と吐き出して繰り返し泣き、そうやってダダこねすることでなんとか充電しているのだからと私もその気持ちにふたをしてはいけないと思って受け止め続けた。それはもちろん、私にとってはとてもつらいことだった。そうやって毎晩毎晩、家にいる間はダダこねして充電しながら彼は保育園では一度も泣かずに元気で過ごし、しかもこの一か月はぴたりと喧嘩もしなくなったという。そう、彼が昨日まで「保育園をかわりたくない」と毎日家で泣き続けていたのは寂しくても保育園では笑顔で元気に過ごすために必要なことだった。新しい保育園へ気持ちを切り替えるために、寂しい気持ちを吐き出しきることが必要だったからなのだ。今日私が泣いていた姿を見たからか、それともこのしばらくを充電しながら過ごしていたからか、昨日まで毎日「寂しい」と泣き続けた彼は今までの保育園での生活を終えた今日、私の前では初めて、新しい保育園へ行くと宣言して泣いた。とても苦しそうな宣言の仕方ではあっても。彼は本当はちゃんと分かっていたのだ。頑張って新しい保育園へ行かなければいけないことを。寂しい気持ちと闘いながらも、4月から新しい保育園へ行くために、昨日までは「保育園をかわりたくない」「みんなと一緒にいたい」と寂しい気持ちを吐き出し続けることが必要だったのだ。この先も、この子どもたちの生き抜く力を信じよう。坊もお嬢も、苦しみや悲しみに押しつぶされることはない。私がその気持ちをまるごと受け止めさえすれば、こうやって自分たちでちゃんと前へ進んでいくのだ。坊が泣き、お嬢が苦しみもがいて、それを受け止め続けるここしばらくの毎日は私にとっても本当につらかった。でも、彼らはちゃんと分かっていたのだ。その気持ちに寄り添って受け止めさえすれば、ちゃんと自分の足で前へ進んでいくのだ。これからも彼らを信じよう。こんなに素晴らしい力を持った子どもたちなのだから。
2008.03.28
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今日、最後の保育園生活を終えた。帰り際、園長が話しに来てくれた。そして、こう言ってくれた。「お母さんが最後に言ってくれたこと、言ってもらって良かった。お母さんに言われてぐさっと来たし、正直悔しい気持ちもあったけど、今年はいろいろ忙しいことが増えてでもそれにかまけて確かに子どもたちの中に入ることが減ってた。この数日、各クラスの中にちょっとずつ入って、やっぱり楽しいな、と思った。ぶつけてくれてありがとう」お嬢は、普段あまり事務所には近寄っていた姿を見たことがなかったのに、昨日、今日と、帰りに自分で勝手に事務所へ入っていき、なかなか帰ろうとしなかった。坊は、最後の別れの時、園長にぎゅーっと抱きしめてもらった。普段こうやって寄ってきてくれる園長でなかっただけに最後に自分から寄って来てくれたときはそうとうの勇気を振り絞ってきてくれたのに違いない。それでも最後の最後をいやな思いで終わらせないようにときっと頑張って近づいてきてくれたのに違いない。だから、園長の言葉を聞くより早く、私は園長が来てくれたそのときにはもう嬉しかった。やっぱり、この保育園で過ごせて良かった。本当に本当にありがとう。本当にありがとう。
2008.03.28
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今の保育園での生活も今日で最後。ここしばらく、坊は毎日家では泣き続けた。残り3日となったとき、坊はベッドで長い時間泣き続け、坊の姿を見ていて私はとても苦しくなった。その様子をあとで連絡帳に書いているときに、最後の残り数日、私はこの子どもたちの母親として精一杯の悪あがきをしようと決意した。そして、自分の気持ちを手紙にして、保育園の全部のクラスの先生に渡してきた。――――――――――――――――――T保育園での生活があと残りわずかとなるにつれ、坊は毎日家で泣くようになりました。「T保育園におりたい」「みんなと、先生と、一緒におりたい」いつもそう言って家で泣きました。そのたびに私も、なんとかT保育園に残れる方法がなかったか…と考えました。そしてやはりその都度、この先の年長としての一年が彼にとっては負担になるだろうこと、自分だけが休憩や気分転換をしながら練習を重ねることに罪悪感を感じていること、さらには、運動会前のように忙しい時期になれば坊が先生方の重荷になってしまうかもしれず、そうなったときに坊自身がそれを感じ取らないはずがないこと、などなど考え続け、やはり保育園をかわるしか仕方がないのだ…という結論に至りました。母親の私自身にとっても、仲の良いお母さん友達とのお別れや、せっかく一緒に過ごしたお友達とのお別れ、坊に一生懸命愛情を注いでくださった先生方とのお別れは大変寂しく、つらい決断でもありました。ただ、坊自身がいつまでも「ぼくが頑張れてさえいればT保育園にいられたのに…」という思いを抱えたままではあまりにも可哀想で、この間の日曜日、「T保育園の行事が多すぎて、ママがぜんぜんできなかったんだ。だから本当は坊やお嬢が頑張れなかったからじゃないんだよ。坊もお嬢もすごく頑張ってくれたのに、ママが全然できなくて大変だったから、だから保育園をかわるしかなかったんだ。ママのせいで寂しい思いをさせちゃってごめんね」と話しました。坊には、「ぼくは一生懸命頑張ったけど、でもママのせいでかわるのなら、ほかに選択の余地はなかったんだ、これしか仕方無かったんだ」と、私のせいだと思うことでふんぎりをつけてもらったほうが良いだろうと思ったのです。でも坊はそのとき、「ぼくがもっとお手伝いすればよかったんだ…」と言いました。坊、いったんは次の月曜日に担任の先生に「ぼく四月からM保育園(新しい保育園)行くよ」と言ったそうです。火曜日には朝の会で、坊が四月から保育園をかわることをお友達のみんなに伝えてもらいました。その日も一日保育園では元気に過ごしました。ところがその夜、坊はベッドで大泣きを始めました。「ぼくみんなと一緒におりたい」「T保育園におりたい」「先生と離れたくない」と言ってずっと泣き続けました。私が何度も「寂しい思いをさせちゃってごめんね、寂しいのは当たり前だからいっぱい泣いていいんだよ」と言うと、「ママは悪くない。ぼく文句言ってごめんなさい」と何度も私に謝り、「もう大丈夫」と泣きやんで、「ぼくトイレに行ってくるわ」と言ってトイレに行くとまたトイレから泣き声が聞こえてきました。そうやって夜遅くまでずっと泣いて過ごしました。最後になって、突然「ママ、ぼくこのあいだお散歩に行ったでしょう」と言い出したので、聞いていると、「そのときさぁ、ママお弁当作ってくれたでしょう。」「ママのお弁当美味しかったよ」「でもさぁ、ママ、お弁当の準備大変でしょう。ぼくさぁ、お弁当なくてもいいよ。だからママお弁当作らなくってもいいよ。ぼくが先生に、ママがお弁当作らんでもいいようにお願いするわ」。彼は残り3日となったそのときにもまだ、なんとかT保育園に残れる方法がないかと一生懸命考えていたのです。ママの負担が少しでも減ればT保育園にいられるのではないかと思っているのです。私が「ごめんね。でもお弁当だけじゃなくてさ、持ち物とかいっぱい、ママにはできないことが多かったんだ。だからどうしようもないんだよ。本当にごめんね」と謝ると、坊は「そっか…。ぼくどうすればいいのかなぁ。…明日もう一回考えようっと」そう言って眠りにつきました。その様子を、あとで連絡帳に書いているとき、最後の最後に私は怒りが湧いてきました。坊がこれほどT保育園に残りたいと思って悩み考え続けているのに、この一年間坊が悩み続けてきた姿を伝え続けてきたのに、なぜ最後となった今になっても当の保育園の園長が毎日毎日事務所にこもりきりでこの我が子の苦しんでいる姿をたとえ一日のうち5分でも10分でも自分の目で見てくれないのだろうか、と思ったのです。保育園を経営するお二人が、なぜ、自分たちの保育園を選んで入園してくれた子どもたちに対して、朝や帰りに外へ出てあいさつすら交わそうとしないのだろうと不思議に思いました。運動会前、坊はカラーガードやピアニカの練習で、集中力が足りなくてよく怒られ、登園拒否になりました。その挙句、保育園当日は鼓笛が始まったとたんにトラブルを起こして泣きだし、結局何もせずにその場を退場しました。そのとき私はずっと教室に入って泣いている坊を抱っこして、「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝る坊に「今まで練習いっぱい頑張ったんだから、それだけでいいんだよ。何にも悪くないんだよ」と話し続けました。鼓笛が終ったあとに「みんなのところへ戻りたい」と言うので、坊を抱いて入場門のところへ戻りましたが、担任の先生方はクラスの子どもたちと写真を撮ったりするのに忙しく、どこで坊が待っていればよいのかを聞こうにも、他の先生は誰もつかまらず、私と坊はその中をずっとうろうろ歩きまわっていました。とうとう坊が「帰りたい」と言い出したので、その日我が家は運動会途中で帰りました。私が怒り狂ったのは、坊が鼓笛をやれなかったからではありません。大変な思いをしながらもなんとか練習を重ねた坊が本番ではやることができず、泣いて退場したとき、なぜ前で見ていた園長が、「だれか坊くんの様子を見に行ってやって」とでも心遣いをしてくれなかったのか、それに腹が立ったのです。担任の先生方は本番の最中はサインを出していて離れることができません。鼓笛が終ったあとも、子どもたちとの大切な時間があります。だからこそ、そこからはみ出してしまった子どもに対しての心遣いは、園長の役目だと思います。私は坊が本番でできずにそのまま誰に気にかけてもらえず、孤独なまま放っておかれたことに怒り狂っていたのです。運動会が終った頃、坊に「先生たちに会いたい?」と聞くと、担任の先生には会いたくない、M先生に会いたい、と返事が返ってきました。彼は寂しいながらも、誰かには気にかけて欲しくて、それでも本番にできなかったことで担任の先生には合わせる顔もないと思ったのかもしれません。保育園へ戻ると、園長は自分から声をかけに来てはくれませんでした。だから私が坊を園長のところへ連れて行き、「よく頑張ったねと言ってやってください」とお願いしました。これが感性の欠如です。自分が都合が悪いからと言って逃げるようでは、子どもたちを守ることはできません。だから今回、最後の最後になって坊がこれほど苦しんでいるのを見て、私は最後にもう一度園長とY先生(園長の奥さん)に訴えました。せめて一日のうちたとえわずかな時間でも、自分たちの保育園に通っている子どもたちの姿を自分の目で見てほしい、と訴えました(正確には怒鳴りまくりました)。私立の保育園である以上、鼓笛や保育祭など、多くの行事があることも仕方のないことです。でもそれをやるからには、やらせている張本人である園長が、子どもたちがどう頑張っているか、外から来る先生がどう指導しているか、それをそばで見守る姿勢が必要です。そうでなければ保育士の先生たちにすべて丸投げになり、外から来る先生の指導も野放しで、保育士の先生方がどれほど大変であっても、事務所にまる一日こもっているだけでは何も分かりません。保育士の先生たちが毎日どれほど頑張っているか、どれほど大変な思いをしているか、それが分からなければ保育士の先生たちを守り支えることは不可能です。保育士の先生たちが大変であっぷあっぷの状態になってもそれを経営者のお二人が支えられなければ、肝心な子どもたちを支えることができません。我が子をこの保育園に預けている母親としての残り2日間の間に、私はせいいっぱいの悪あがきをしようと決めて、昨日も今日も仕事も休みました。今まで直談判を重ねてもその場限りで終わってしまっていたから、それだけではだめなこともよく分かって、こうして保育士の先生たちにもお願いしようと思いました。この先経営者のお二人がどう変わっていくのか、ちゃんと子どもたちの顔を見て保育園を続けていくのか、それを保育士の先生方にも見守っていただきたいと願っています。どうせ何も変わらないよ、と周りの人たちは言っています。それでも私は、坊のこの苦しい気持ちをたとえ残りの2日間でも、園長にも一緒に分かち合って欲しいと願います。保育士の先生たちのたとえ一人でも、坊の気持ちを共有してやってほしいと思います。子どもたちの気持ちをたとえ1%でも共有できる園長になってほしいと思います。そうでなければ坊が頑張り続けたT保育園での2年間も、T保育園で過ごしたいと今も思い続けている気持ちですら、まるまる全部無駄になってしまいます。――――――――――――――――――私は、園長に仕返しをしたかったわけではない。この前日、保育園で主任の先生とも話をしていて、担任の先生も泣いた姿を見て、個々の頑張ってくれた先生たちがこれほど坊に対して申し訳ないという気持ちで苦しんでいるのに、なぜ園長がその先生たちの苦しい気持ちも一緒に背負ってあげられないのだろうかとそれに疑問を持ったのだ。坊は、誰も悪くないと思っている。自分ができなかったから、自分がママを手伝わなかったから自分が悪いから保育園をかわるのだと思っている。そうして毎日家で泣いて、保育園では無理に笑顔で元気に過ごして、その坊の姿をなぜほんのわずかでも自分の目で見てくれないのだろうかと腹が立ったのだ。園長は、都合が悪くなるとすべて主任の先生と担任の先生に任せて、自分はいっさい事務所から出てこなくなってしまう。そのくせ、担任の先生たちが鼓笛の指導やピアニカの指導であっぷあっぷになっていても「あんたたちは保育のプロやろ。やれるようにやる方法があるはずやろ」と丸投げしてしまうのだ。だから私は、坊の姿が特別ではないこと、坊が今まで悩み苦しんできたことはすべての子どもたちにあてはまること、それを担任の先生たちだけが抱えて苦しんでいてもそれに園長が耳を傾け一緒に考えなければ何も変わらないこと、そのことを、この保育園の保護者であるうちに訴えていこうと思ったのだ。私は、連絡帳にも書いた。昨日の朝、保育園から借りた遊び着の、のびきったゴムを入れなおしておいてあげようと思った。保育園から借りた遊び着は、首のゴムがのびきっている上にそののびきったゴムが15センチあまりも外へ垂れ下がっていたのだ。そしてそれを直しているうちに、疑問に思った。なぜこの保育園の経営者のお二人は、自分たちの持ち物である園の遊び着のゴムすら直しておいてやろうとしないのだろう。いつも、自分の遊び着が汚れると保育園の遊び着に着替えさせてくれるが、その遊び着は本当にひどい状態のものばかりなのに。その答えは明らかだ。経営者のお二人は、子どもたちの姿を見たことがないからだ。自分たちの保育園から貸し出す遊び着がどんなひどい状態で子どもに着せられているか、見たことがないのだ。うっとうしい保護者だと思われても結構。おかしな母親だと思われても結構。何も変わらないならそれでも結構。私は、寂しい思いをしているわが子二人の母親として、自分にできる精一杯の悪あがき、精一杯の闘いをしただけのことだ。
2008.03.28
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3歳のお嬢、めずらしく夜泣きをした。5歳の兄貴のために、兄を支え、我慢し、常に寄り添ってきたお嬢。ついこの間の日記に書いたように、兄のことは少しは安心できると感じ、彼女にやっと「甘えていいんだ」という気持ちが出てきたところだった。それでも今までにさんざんお嬢は我慢を重ね続けてきたから、お嬢は起きているときにはどうにも歯止めがかかっていたんだね。坊が新しい保育園に訪問に行くことを心配していたお嬢が、坊が元気に訪問から帰ってきたことでいったんは「ついていく」と言わなくなった。でも、「甘えていいんだよ」と伝えたら、再びしつこく「嬢ちゃんも行きたい」と言うようになった。11日は坊が津の発達障害支援センターへ行く日だったけれど、今まで一度も「一緒に行く」と言わなかったお嬢が今回だけは一緒に行くと言って聞かなかった。てっきり私はまたお嬢が坊を心配し続けているのだと思って、一緒に連れて行って安心させてあげよう、と、連れて行った。結局、坊が車の中で吐いてしまい、この日の通院はキャンセルになってしまったけど、そしたらとたんにお嬢は「保育園行きたい」と言い出したので体調不良の坊だけを休ませて、お嬢は保育園へ送って行った。お嬢の家でのこの数日は、ささいなことで泣きだしても、私がちょっと抱き上げているだけで苦しくなってしまうらしく、暴れて泣いて「放して!」とか「おしっこ!」とか言って逃げてしまう。これはそうとう苦しい気持ちが出てきたんだなぁと思って保育園のお嬢の連絡帳にも、「この数日、お嬢は家ではとても苦しそうな行動を見せます。 甘えていいんだとわかったのはいいけれど、甘え方が分からないのだと思います。 ポーカーフェイスのお嬢は、強く見えてしまうけれど、 我慢をすることに慣れすぎてうまく甘えられないだけなので、 知らん顔しているように見えてもできるだけマメに関わってやってください」と先生にお願いを書いておいた。その日の帰り、迎えに行くと、お嬢はすごくテンションが高く、ふざけたりさわいだりして照れ隠しだらけなんだけれど明らかにそれまでと違って先生に甘えられている様子。お嬢のいちばんお気に入りの先生は、ふざけているお嬢を抱きながら「今日は嬢ちゃんといっぱい話そうかなぁって思っていたんですけど話しかけるたびずーっとこんな感じなんですよ」と笑っていた。私はあらためて、「今までひとりで我慢することにパワーを費やしてきたから、お嬢は甘える方法がよく分からないんだよね。でも、先生と関われることがうれしくて、照れ隠しみたいになっちゃってるんですね。これも、この子なりの不器用な甘え方なんですよ」と話した。そのあとトイレに行ったお嬢は、私がタイツをはかせてやろうとするとタイツを足でつつきながら「先生がいい。先生にやって欲しい」。おお、今まで先生に遠慮していた子が…!!私が先生にお願いすると、嬉しそうに先生にはかせてもらっていた。そして、その夜中。熟睡していたお嬢は、突然大声で泣き始めた。長いこと泣き続けるので、やっと気持が出てきたのだから…と私も起きて抱っこの体制に入った。私の顔をつかもうとしたり、首を押しのけたりするのにそれもお嬢は自分で手加減している。「おしっこ行きたい」「パパー!」「坊くん!」と泣き叫んで逃げようとするのをベッドの上だったから、私も逃がさず必死で抱っこを続けた。「いっぱい頑張ったね」「頑張ってたから、ママたちも頼りすぎちゃったね」「こんなに小さいのに、おうちを一番支えてくれてたね」「ママたち頼りすぎちゃって、甘えられなくなっちゃったよね」と話しかけるたび、足をバタバタさせて大暴れ。30~40分くらいそうやって抱っこしていたかな。私が「お嬢の気持ちをママに教えてくれる?」と言うと。「坊くん!坊くん!坊くん行っちゃったぁ!坊くん行っちゃったぁーー!!」お嬢は、坊が新しい保育園に訪問に行くことをすごく心配していたからそれで自分が寂しいことにいったん蓋をしてしまったらしい。…というより、お嬢が坊のことを心配しているから、私がお嬢に「坊は大丈夫だからね、安心してね」と、全部にいっぺんに蓋をしちゃったんだな。お嬢は、坊を心配しながら、同時に、「自分にとっても坊が必要である」ということを、言えないでいたんだ。もしかしたら、坊が訪問から元気に帰ってきたことで、余計に自分は坊にとって必要じゃなくなったんじゃないか、と寂しくなってしまったのかもしれない。「お嬢、坊くんがいないと寂しいんだね」「坊くんが行っちゃうと、坊もひとりぼっちだけどお嬢もひとりぼっちになっちゃうんだよね」「お嬢だって、坊くんにそばにいてほしいんだね」お嬢はしばらくすると、やっと暴れずに泣けるようになった。「そうだよね、お嬢は坊くんの役に立ちたいってずっと思ってて、そのくらい坊くんのこと大好きなんだもんね。坊くんがいなかったらお嬢はいっぱい寂しいよね。お嬢だけ置いて行かれちゃうことがいっぱいあるもんね。お嬢は坊くんといつも一緒にいたいんだよね」お嬢はもう「おしっこ」とも言わず、ちゃんと抱かれたままでときどき私にぎゅーっとしがみついたりしながら、たくさん泣いた。「お嬢、坊くんが新しい保育園に訪問に行く時も、それ以外のいつもどんな時でも、坊くんがお嬢に黙っていなくなっちゃうことは絶対ないからね。いつも坊くんはちゃんとお嬢のところに帰ってくるからね。」と、繰り返しお嬢に話したよ。「訪問に行く時もさ、坊くんは、行く時と帰る時はちゃんとお嬢に声をかけていくからね、だから訪問のとき、お嬢はお嬢のクラスで待っててくれるかな」私がそうお願いすると、お嬢は泣きながらうなずいてくれた。そのあともしばらく泣いて、落ち着くと「ママ、おしっこについてきて」と言っておしっこに行き、そして「ママの隣で寝る」と言って寝てしまった。パパはその間ずっとベッドの上で座ってじっとお嬢の様子を見ていたんだけれど、いつもパパの隣で寝るというお嬢が、昨日の抱っこのあとは、おしっこもママを指定して、ママの隣で寝ると言って寝た。今朝。あらためてお嬢にお願いした。「坊くん、今度は来週の水曜に訪問に行くことになっているんだけど、訪問に行く時も帰ってきたときも必ずお嬢に伝えるから、 寂しいけど、お嬢は教室で待っててくれるかな?」お嬢、大きくうなずいて「うん、嬢ちゃん、保育園にいたら寂しくないんだもん」。お嬢は、やっぱり頑張る子だ。そのあとで、私はお嬢にたくさんお礼を言った。「お嬢、昨日の夜は、たくさん泣いてくれてありがとうね。 いっぱい気持ちを聞かせてくれてありがとうね。 今までお嬢にたよりきっていてごめんね。 でも本当に昨日は頑張って教えてくれてありがとうね」その後、保育園に送っていく車の中でお嬢は脈絡もなく、唐突に私に言った。「Mさんに会いたい。Mさんのとこに行きたい」癒しの子育てネットワークのMさんとは、お嬢はほんの数回しか会っていない。お嬢のセッションでお嬢自身とべったりかかわったのは、その中で一度だけで、あとは、Mさんがいる空間に自分もいたという程度。それでも、お嬢は、私がMさんとのメールや電話のやりとりの中でMさんがいつも自分のことも思ってくれていることをちゃんと分かっていて、今朝は自分から唐突にMさんの名前を出した。「そうだね。お嬢も、Mさん大好きなんだよね。 絶対にまた会いに行こうね」。子どもは、本当にいつもいろんなことを思って、常に頑張り続けていて、そして大人のこともちゃんと見抜いて知っている。ただいつもそばにいるだけじゃダメなんだ。言わなくても分かるはず、じゃダメなんだ。たまにしか会えなくても、大きな愛情と、それを伝える言葉がたくさんあればこうやって子どもの支えになることができるんだな。私は、自分が大好きなMさんを、坊やお嬢も大好きになっていくのがとても嬉しかった。そして、抱っこによって、こうやって我が子と向き合えるチャンスをいつも与えられていることが、とても嬉しかった。我が子と向き合うたび、我が子がどれほど素敵な子であるかを知る。子どもがどれほど素晴らしいかを学ぶ。お嬢の夜泣きは、とても素敵な夜泣きだった。寝不足なのに、私も主人も、今日は本当に晴れ晴れとした気持ちで一日をスタートした。
2008.03.13
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図書館で、ある本を借りた。私自身は興味が無かったのだけれど、ADHDの5歳の坊が保育園をかわるにあたって、両方の保育園の先生と保健師さんと私での話し合いを控えていたので、坊のADHDのことを他人に説明するためにはどうしても客観的な目で書いた本を読むことが必要で、ただそれだけの理由でADHDの名前が付いている本を借りてきただけのこと。題名は「ADD/ADHDという才能」。ぱっと見たとき、私はどっちかというと嫌な感じがした。どうせ、ADHDの人を薄っぺらな言葉で励ましているような、つまらない本なんだろうと思っていたから。それでもこの町の小さな図書館にはADHDに関する本はこの本ともう1冊くらいしかなかったので、その2冊を仕方なく借りたのだ。で、気が進まないながらも、はじめのほうだけを少し読んだ。おおおおおおお!ADHDってのは、才能なんじゃないか!!!少し前の、坊が言っていたのと同じ、ちょっと「いい気持ち」になってしまった。まだほんのさわりしか読んでいないのだけれど(全然読み進める暇がない)、それでも充分なくらい、違った角度で見えるようになってきた。もともと、この世界では、狩猟による生活(「狩猟民族(ハンター)」)が基盤であった。そして一万二千年前、氷河期の終わりによって、草木の突然変異が麦や米の出現のきっかけとなり、「農耕革命」と呼ばれる穀類の発生、「農耕民族(ファーマー)」の社会へと変貌していく。そして「狩猟民族(ハンター)」と「農耕民族(ファーマー)」共存の社会がしばらく続き、現在はブッシュマンらハンターは残りわずかとなって、ファーマーの社会となっている。ADHDの人間は、いまや世界から消え去ろうとしているハンターの遺伝子を受け継いだ、非常にハンターとして優秀な遺伝子を持った人間である、ということらしいのだ。些細な音にも敏感で、周りの些細なことに常にアンテナを張り巡らし、何かあった瞬間に衝動的に動くことができなければ、ハンターは命を落としてしまう。そして、自分がこれだ!と思った時の集中力がすごくなければ、ハンターとしては生きていけない。さらに、危険なとき、危機に陥った時にはADHDでない人よりもはるかに冷静な判断ができる。もちろん、ハンターなのだから、怖いこと、危険なことへの興味があり、そういうことによって脳が刺激を受ける。ファーマーではないのだから、種をまき、毎日毎日水をやって農作物を育てるような地味な作業は苦手で、農作物が育つまでのように、先を見据えて行動することには向いていない。ファーマーのように、共同作業が中心ではないため、自分の意志や自分の判断で動きたがる。自分で自分の身を守らなければ、ファーマーのようにいちいち人の行動や言動を待っていては、自分が危険にさらされてしまうからだ。ファーマーの社会で生きている私たちADHDの人間は、ファーマーとして生きるには確かに「欠陥」があると思われるのかもしれない。でも、だからと言って人間として欠陥があるわけじゃないのだ。ファーマーだけが残っているからそう思われがちであるけれども、ハンターの遺伝子を持つ人間として、私たちADHDはとても優秀なだけなのだ。昨日、偶然テレビで残り少なくなったブッシュマンの狩りの様子を放映していた。なるほど…とまた思った。だだっぴろい中を7時間も歩き続けているのに、ブッシュマンたちはその最中ずっと周りの木の形をすべてきちんと見ていて、自分がどこにいるのかを把握しているという。私たちADHDの人間が、いろんなものに目を奪われるはずだ。さらに、ヒョウの足跡を見つけたとき、獲物を見つけたときの判断のすばやいこと。現代社会で必要であるはずの思考、「こうしてしまったらどうなるかな…」などと先を考えてのんびり行動していたら、獲物は取れないのだ。獲物を追うときの、足の速さ。テレビでは、ブッシュマンたちのそのときのあまりの足の速さについていけず、いっときブッシュマンたちを見失ってしまっていた。ADHDが多動であるはずだ。目標に向かってまっしぐら、まさしくADHDの特徴そのもの。昨日テレビを見ながら、思わず私は坊に向かって言っていた。「坊、お前はこのハンターなんだよ。ハンターとしては、お前は飛びぬけて優秀なんだよ」。坊、「ええーーー?」と目をまんまるくしたものの、「ぼくこれなのぉ?」と笑って、しばらくそのテレビに見入っていた。
2008.03.07
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4月から保育園をかわる、5歳の坊と3歳のお嬢。3歳のお嬢のほうは、ちょうど年少さんからのスタートということになるんだけれど、5歳の坊のほうはADHDである上に、すでにお友達関係が出来上がっているクラスに転入することになるため、3月の間に数回、今の保育園の担任の先生が、新しい保育園へ訪問に連れて行ってくれることになった。坊は保育園をかわることに対して、かなりの葛藤があった。一昨日、初回の訪問日で、訪問することについては納得したものの、「4月からもH先生が一緒だったらいいのに…」と、担任の先生と離れることをとても寂しがっていた。3歳のお嬢は、これまためずらしく、この訪問に自分も一緒に行きたいと言い続けて、私が何度説明しても「嬢ちゃんも一緒に行きたいーーー」と粘る粘る。彼女はこういうとき、いつもならぐっとこらえてわがままを言わない。どうも様子がおかしい。訪問当日の朝、またお嬢が「嬢ちゃんも一緒に行きたい」と繰り返し粘ってきた。両方の保育園の都合もあるし、私もお嬢に頼み込んだ。「ごめんね、一緒に行きたいよね。でも、先生たちの都合もあって、ママは先生にわがまま言えないんだ。どうしても、ママのお願い。我慢して、お嬢は自分のクラスで坊くんが帰ってくるのを待っててあげて」そうしたら、お嬢、しぶしぶ「いいよ」と言った後で「だけど、坊くんが行っちゃったら、坊くんひとりぼっちになっちゃうよ」。ああ…。お嬢が粘った理由は、それだったのか…。自分のわがままなら彼女はいつも我慢をするのに、坊が保育園をかわることにすごくつらい思いをしていることを知っているから、だからこそ坊のことが心配で、自分がついていてあげたいと思っていたんだ。本当はお嬢も寂しいと思っているはずなのに、お嬢は坊のことばかり心配して、坊のために自分ができることを一生懸命考えているんだ。保育園に行って、お嬢のクラスの先生によくお願いをしておいた。「お嬢は坊のことをとても心配しているので、坊が訪問に出発する時と帰ってきたときは、必ず報告してやってください」と。ところが、坊のほうもよく分かっていて、出発する時には自分からお嬢のクラスへ行って「嬢ちゃん!ぼく行ってくるね!」。帰ってきたときにもお嬢のクラスへまず直行して「嬢ちゃん!ぼく帰ってきたよ!」。お嬢は、お絵描きなんぞしながら、素知らぬ顔で「うん」と返事をしていただけだったらしい。お嬢はいつも顔に出さないから、これも、お嬢らしい反応だ(笑)。しかし。その日帰ってから、改めてお嬢にもう一度話をしなきゃと思って覚悟していたら。坊が元気に帰ってきて安心したようで「これからも、お嬢は待っててあげてくれるかな?」と話すとすぐに「うん!!」と大きくうなずいて元気な返事。子どもっていうのは、本当にすごい。そしてそしてまたその後。坊はやはり訪問時にかなりの精神力を使ったらしく、保育園を休みたいと言い出した。それもいいか、と思って、「お嬢はどうする?」と聞くとお嬢は自分がどう返事をしてよいのか少し思案した挙句に「嬢ちゃん、保育園行きたい…」と小さな声。「行きたかったら、坊とママとで送っていってあげるから、遠慮しなくていいんだよ。 お嬢も休みたかったら、休んでもいいよ。どうする?」と聞いたら「保育園行きたい」。よし、じゃあお嬢は保育園に行く準備をしよう、と準備を始めた。で、保育園へ送っていく時になって、坊が「ぼく寒いから家で待ってる」と言うので、「坊さぁ、嬢ちゃんだっていつも坊くんのために頑張ってくれてるからさ、せめて嬢ちゃんを保育園に送っていってあげようよ。坊もお嬢のために頑張らなきゃ」と言うと坊、「やっぱりぼく保育園行くわ!」と言いだした(笑)。坊は坊で、お嬢のそばについていてあげなきゃ、と思ったらしい。そして結局二人ともを保育園へ送っていくことに。保育園について、お嬢の朝の準備をしたあとで、お嬢を抱っこして話した。「お嬢ね、坊くんの心配ばっかりしていて、自分も寂しいのに我慢してるんじゃない?我慢ばかりしていると苦しくなっちゃうからね、お嬢も寂しいって言っていいんだよ。先生はお嬢のことをとても強い子って思っているからね、先生にも言わないと分からないからね。ちゃんと甘えていいんだよ」と話した。そのとたん、お嬢は暴れて大声で泣き始めた。のけぞって私の顔をひっかいたりつかみかかったりしながら、泣いて叫んで大暴れ。お嬢が保育園で泣くこと自体珍しいので、先生たちはこういうときには私に任せたほうがいいと思ったらしく、びっくりした顔で、じっと私たちの様子を見ていた。他の子も心配して寄ってきたので、私は少し別の部屋を借りて、お嬢と少し抱っこの格闘。途中で先生が様子を見に来たので、まだまだ泣いて暴れているお嬢を抱きながら、先生に説明した。「お嬢はね、自分だって保育園かわるの寂しいし、不安なんだよね。だけど坊のことばっかり心配して、自分が甘える暇がなくて、すごく苦しかったんだよね。坊くんもちゃんとがんばれるから、お嬢はお嬢でちゃんと甘えたり泣いたりしていいんだよ。先生にもちゃんと分かってもらおうね」。先生は、いつもお嬢が平気な顔で過ごしていたし、坊の訪問のときにもポーカーフェイスで過ごしていたから、お嬢がぎりぎりまで頑張っていたことに気付かなかった、と言っていた。そして、先生もお嬢に、「嬢ちゃんが違う保育園に行くの、先生も寂しいんだよ。だから、嬢ちゃんが寂しいのも、当り前だよね。寂しいって言ってくれていいんだよ。先生ぜんぜん気づかなくてごめんね」と話してくれた。お嬢はしばらくして落ち着いて、恥ずかしそうに笑いながら、私にしがみついて離れなかった。じゃあママもしばらくいるからね、と言って抱っこしたまましばらく過ごしていたんだけれど、途中で坊のクラスの横を通りかかると「坊くんのとこ行きたい」と言って、はじめて私から離れたよ。坊はお嬢に気がつくと飛んできて、お嬢をぎゅーっと抱っこしてから、「嬢ちゃん、これで一緒に遊ぼう!」と一緒に遊び始めた。本当に本当に素敵な思いやりを持った兄と妹。こうやっていつもお互いを支えあって、成長していくんだろうな。
2008.03.07
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この間のしっぽ取りのことで、Mさんからメールをもらった。読んで、ガツンと頭をいっぱつ殴られたようなショック。私はまだまだ勉強が足りない!!!Mさんからのメールは、こういう内容だった。「私は、なぜ先生がしっぽ取りの前に『しっぽを取られても怒ったり泣いたりしなくていいんだよ』なんて言ったのかな、と疑問に思ったよ。そんなことを言ったら坊くんは『怒ったり泣いたりすることは悪いことだ』と思ってしまうよ。だから怒ってしまった自分が許せなくなっちゃうんだよね。坊くんはしっぽ取りの遊びに夢中になったからこそ、取られた時には悔しくて怒れてきたんだよね。同じADHDでも、大人になったなっちはところ構わず泣き叫ぶなんてことしょっちゅうやっていますか?だから坊くんの姿は子どもの当り前の姿なんだよ。大人になるとそうはできないから、坊くんが自分の感情に素直でいられるその素敵なところを、『だめなところ』と思わないでほしくてメールしたんだ。先生はずるいよ。子どもたちが怒ったり泣いたりしたらなだめるのに大変だから、先手を打ってそんなことを言ってしまうんだよ。だったらそういう遊びをするべきではない。友達の輪の中でいろいろな遊びを経験して、いろいろな感情を経験してこそ、その気持ちを自分でなだめ、折り合いをつけることを学んでいくんだよ」私は本当にがぁぁぁぁんとショックを受けた。私自身も、結局どこかで「泣いたり怒ったりしないこと=おりこうさん」という形で坊に押し付けてしまっていたことに気づいたんだ。「坊はしっぽ取り頑張ったから、だからしっぽを取られちゃったとき悔しくて腹が立ったんだね。それだけ頑張ったってことだよね。」私はまず一番最初にそう言ってあげるべきだったのになぁ、と反省した。坊が一生懸命頑張ったというところを褒めないで、怒れてしまったことだけに注目してしまったんだよ。だから坊自身も、自分でその頑張ったところに気づかないで、大人の誘導するままに「怒れてしまった」ことばかり考えて、自分を責めてしまったんだ。しかも、怒れてしまったことそのものも、私たち大人は自分たちの都合で「悪いこと」だと伝えてしまった。坊は悔しくて怒れてきて、それでも誰にも八つ当たりせず自分でその悔しさと闘っていただけなのに、それを私たち大人が「悪いこと」にしてしまった。なんという大間違いを犯したんだぁーーーー!!と、本当に本当に反省のなっちでした。自己嫌悪に陥っていた坊にMさんからのメールの話をした。「坊、ママは間違ってたよ。Mさんがね、メールをくれてね、坊が怒ったり泣いたりすることは全然悪い事じゃなくって、いろんなことをいっぱい感じて、たくさん感情があるってことはすごく素敵なところなんだよ、って言ってたよ。しっぽ取りで怒れてきちゃったのは、坊がそれだけしっぽ取り頑張ったってことなんだよね。それをママは忘れてたよ。坊はMさんの言ってること、どう思う?」坊は、にんまり笑って、車のシートにべったりもたれかかって、「ぼくねぇ、なんかいい気持ちになってきた。なんか笑えちゃう気持ち」。ああ、素敵な子だなぁ、と思って嬉しくなった。自己嫌悪を積み重ねてきた35歳の私とは違って、彼はこんなにも自分の気持ちに正直で、他人の言葉ひとつひとつをいつもまっすぐに受け止めることができる。そして、自分の気持ちを表現する才能にあふれている。その数日後、癒しの子育ての勉強会で、Mさんが改めてこんな説明をしてくれた。「大人だってさ、たとえばオリンピックで、私たちから見たら銀メダルでもじゅうぶんすごいなぁって思うのに、金メダルを目指している人が銀メダルだったら、本人は悔しいって言って泣くでしょ。頑張るからこそ悔しいって気持ちがあふれてくるでしょう。なのに子どもに対して、頑張って失敗しても泣いたり怒ったりしないんだよ、っていうのはおかしいよね。」とても分かりやすい説明だった。私たちは子どもに対して、いつも「一生懸命がんばりなさい」と言い続けているのに、結局自分たちの都合で知らず知らずのうちに「でも、頑張った挙句に失敗しても、泣いたり怒ったりしちゃダメなんだよ」っておかしなことを言ってしまうんだな。感情表現が豊かな子に育ってほしい、と願っているのに、いつも笑うことだけを求めていて、泣いたり怒ったりすることは受け入れられない。自分の感情に素直になれなければ、他人の感情にも鈍感になってしまうのにね。私は一番肝心なところをすっかり見落としてしまっていたんだ。
2008.03.07
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ADHDの5歳の坊。彼はとうとう大きな岐路に立った。一昨日のこと。保育園の体操の時間に、なわとびの縄を結んでズボンにはさみ、それをみんなで取り合う「しっぽ取り」という遊びをやったらしい。始める前、先生が「しっぽを取られちゃっても、怒ったり泣いたりしなくていいんだよ。 自分のしっぽがなくなっても、お友達のしっぽを取りに行っていいからね」と説明をしたらしく、坊も納得して楽しく参加していた。坊はわりと最後あたりまでしっぽを取られることなくゲームを続け、最後あたりでとうとう女の子にしっぽを取られてしまった。もう少しで終わりというところでしっぽを取られた彼はとたんに怒り出し、保育園のフェンスを乗り越えて走って行ってしまったとのこと。先生がすぐに追いかけて、「もう少しだったのにしっぽを取られちゃって悔しかったね」と坊主の気持ちを代弁して語りかけると、話の途中から坊は車のことをいろいろ話し始めて機嫌が直り、その後は落ち着いて過ごしていたらしいんだが。先生からはその日の帰り、「もしかするとお母さんにしか話せない気持ちがあるかもしれないので 今日機会があれば聞いてみてあげてください」と話があった。家に帰ってから、坊に聞いてみた。坊、いつもなら話をするのにこの日ははじめから「話したくない」態度でつっぱねる。これは、何かひっかかりがあるぞ…。3歳のお嬢に「ごめん、ちょっと大事な話をしたいから、テレビ消してくれる?」と声をかけると、こういうときのお嬢は空気を察するのが早い。いつもなら嫌がるはずのお嬢は、すぐ「はーい」と返事をしてテレビを消し、自分で紙とクレヨンを持ってきて、邪魔にならないように静かにお絵かきを始めた。坊と向き合って座ってみたものの、坊、あきらかに話をすることに拒絶反応が出ていて、私の前に少し距離を置いて座り、足も手もごそごそと動かしまくる。私「今日、しっぽ取りでしっぽを取られちゃったの、悔しかった?」坊「○○ちゃんがぼくのしっぽを取ったから嫌だったの!!!」私「しっぽを取られて怒れてきちゃったのが悔しい?」坊「知らん!!」坊はイライラ全開。これだけイライラしているのには、何か違う理由があるに違いない。私「坊、しっぽを取られて怒れてきちゃったのって自分が悪いって思う?」坊「ぼくが悪いじゃん!怒ったんだから!」私「じゃあ、ママも、よそのママよりもたくさん怒りすぎるから、ママも悪いと思う?」坊「ママは悪くない!」私「それじゃあ坊も悪くないよ」坊「ぼくが悪い!」私「坊は悪くない!」坊「ぼく!ぼくが悪い!」こんなやりとりがしばらく続いた。それで途中、私もうっかりしたことを口走った。私「違う!坊に同じ病気をあげちゃったママのせい!」坊「ママは悪くないーーーーーーーーーーー」坊は激しく泣き出した。私「ごめん、ごめん、ママは悪くないね。 ってことは、やっぱり坊も悪くないんだよ」坊「もういいの!話したくない!」私「よくないの! 坊はなんにも悪くないのに、自分のことを悪いと思って傷ついているんだよ! それなのに嫌だって逃げ出したら、苦しいのは消えないんだよ! 今はちゃんとママの言葉を聞きなさい!坊は悪くないの!」坊の顔から少し怒りが消えて、すがるような目つきに変わった。私「坊はいつも怒らないでいられたらいいなぁって思うんでしょう。 なのにいつも病気がわるさをして、坊を怒らせようとしてくるんだよ。 坊が悪いからじゃない、病気が悪さをしてくるんだから、病気が悪いんだよ」坊「ちがう。怒ったり喧嘩したりするのはぼくなんだから、ぼくが悪いんだ。 怒れてきてもぼくががまんできないから、やっぱりぼくが悪いんだよ」そこで、はっと気がついた。ADHDの坊は、まだ、ADHDがどういうものかを知らない。「保育祭の練習を、休憩しながらやるとうまくいくこと」「ものをよくなくしてしまうこと」「片付けが上手にできないこと」それだけのことしか、私が説明していないからだ。彼は、ADHDの大きな特徴のひとつ、「感情の起伏が激しいこと」をまだ私から知らされていなかったのだ。彼はこの数か月、「『怒った後に』どうクールダウンするか」「『怒ったときに』たたいたりひっかいたりしてはいけない」ということを必死で学んできた。先生たちの協力もあって、その部分はかなりの変化が見られて、ずいぶんクリアできるようになってきた。それと同時に、私や先生たち大人の基準も上がってしまった。彼がお友達をたたかないようにするためには常にものすごい精神力をつぎ込んでいるのに私たち大人がそれを当り前に思うようになって、今度は彼が些細なことで怒ったりすねたりすることを責めるようになっていた。私たちがハードルを上げてしまい、彼自身もそのハードルを越えようとさらに努力を重ねていたのだ。そして、彼はその先の問題にぶち当たった。「どうしてぼくは怒ってしまうんだろう」ADHDの根本の問題へ、こんなにも早くやってきてしまったのだ。その後の細かいやり取りの中で、彼はずっと泣き続けていた。そして、彼の思っていたことが、もっと詳しく分かってきた。彼は、自分の感情の激しさをADHDのせいだとは知らなかったから、「自分の感情が激しい」ということすら知らなかった。だから、たとえばしっぽ取りのようなゲームにすぎないことでも、他のお友達もみんなが、自分と同じように、悔しくて腹が立っているはずだと思い込んでいる。でも、お友達はみな、その感情を顔に出したり行動にうつしたりせずにぐっとこらえてにこにこできるほどものすごく頑張っているのに、自分はどんなに頑張ろうと思ってもみんなのように感情を抑えらない。みんなに比べて、ぼくががんばれないダメな子だ。彼はそう語っていた。こんなにも早くここへたどり着いたのか…。「どうして自分はこうなんだろう」この問題と向き合う苦しさは、私が一番よく分かっている。この問題を解決することがどれほど難しいか、私はよく分かっている。思案した挙句、この問題を論理的にどうこう語っても仕方ないと気がついた。彼にとっては、その問題よりももっと大切なことがある。彼は今自分を嫌いになりかけているのだ。私と同じように、自己嫌悪感が根っこをはやそうとしはじめているのだ。私は、3歳のお嬢を呼んだ。さすがはお嬢、いつもなら「これ書いてから」とか「ちょっと待って」とかぐずぐず言って聞かないのに、このときもすぐに「はーい」と返事をしてクレヨンを置いてやってきた。私「坊がね、自分はがんばれないダメな子だって思っているみたいなんだけど お嬢はどう思う?」嬢「嬢ちゃんねぇ、坊くんいっぱいがんばってると思う」私「お嬢はよく分かってるね。ママもお嬢も、坊がいっぱいがんばってるってこと よーく知ってるのにねぇ」嬢「うん、嬢ちゃんも知ってるもん」私「お嬢はさ、坊ががんばってると思う? それとも、坊のお友達のほうがいっぱいがんばってると思う?」嬢「嬢ちゃんはねぇ、坊くんが一番がんばってると思う」私「お嬢は誰が好きかなぁ」嬢「嬢ちゃんねぇ、坊くんがいーっちばん好き」坊の表情はだんだん柔らかくなってきた。涙も止まって、そしてそのあと「ねぇママ、嬢ちゃんにさぁ、ぼくがいないとイヤかどうか聞いて」「嬢ちゃんに、ゆり組のお友達とちゅーりっぷ組のお友達とぼくと その中で一番好きなのは誰か聞いて」等々、自分の存在感を確かめるように、何度も何度も質問をさせてきた。お嬢はそれに対し、坊の気が済むまでずっとそこから動かず、すべての質問に対して根気よく答え続けた。同じ質問が何度出てきても、一度も答えをはぐらかさず、すべてに返事をした。もちろん返事は全部「坊くんが一番すごい」「坊くんみたいになりたい」「坊くんが一番好き」坊の求めていた通りの答えだったよ。私は質問する前からちゃんと分かっていたけど。やっと坊は私のひざに乗ってべったりと甘えてきた。そのとき、彼に話をした。「坊やママはね、ADHDという病気があるでしょう。 片付けられなかったりノートを忘れちゃったりする病気だけど、 他のおともだちよりもいっぱい腹が立ったり泣きたくなったりもする病気なんだ。 他のおともだちはね、坊やママよりも怒れてくることが少ないから、 ホントは坊よりも頑張らずに過ごせているんだと思うんだ。 坊はね、病気のせいでみんなよりもいっぱい怒れてきちゃって、 いつもいつもそれを我慢しようとして、 みんなよりも毎日毎日たくさん頑張り続けているんだよ」彼は頷いて聞いていたけれど、問題は解決できているはずがない。私だってずっと同じ問題を抱えたまま苦しんでいるのだから。それでもいいのだ。私と同じ壁の前に、5歳の彼が立つことになった。でも私と違って、今の彼になら、「ぼくは愛されている」という土台を作っていってあげられる。それさえあれば、きっとずっと戦い続けていけるはず。生きていく上で、「愛されている」という自信に勝るものはないはずだから。そしていつかはADHDという自分をまるごと愛せるようになるはずだ。私がいま、自分をやっと愛せるようになりつつあるのだから。
2008.02.22
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ひとつ、面白い出来事を。お嬢のトイレトレーニングのお話。春ごろいったんおむつの取れかけたお嬢。水ぼうそうにかかってひどい下痢になってからちょっとオムツに戻り、その後トイレトレーニングを続けながら、なかなかおもらしがなおらずに過ごしてました。そうこうするうち、坊のほうが運動会の練習でストレスをためて登園拒否になってしまい、それとほぼ時を同じくしてお嬢のおもらしがひどくなった。私は毎日荒れ狂い、チビたちを怒ってばかり。保育園の先生たちも、私が疲れきっているものだから、保育園でトレーニングするから、お家ではオムツで過ごしてもらっていいですよ、と声をかけてくれた。ところがオムツをはくのを嫌がって、気づけばパンツにはきかえていたりする。それでいて、絶対にトイレには行きたがらないんだよ。それに付け加えて、お嬢の落書きがすごーくひどくなってた。落書きをするのも、自分のモノじゃなくて、坊のノートや出席簿ばかり。ひどいときには坊のノートを破りまくってしまったりして。見かねて私の母親が、何度か週末にチビたちを泊まりで預かってくれた。いつも坊のほうがじじばばの家に泊まるのを嫌がって大泣きするものだから坊に「ママすごく疲れちゃって、ちょっと休みたいんだ。 だから、お嬢と二人でばーばのおうちに泊まって、 ママをちょっと休ませてくれる?」とお願いした。そのとたんに、坊、ぴたっと泣きやんで「うん、ぼくがんばれるよ。大丈夫」。じじばばが迎えに来た時も、にこにこと手を振って車に乗って行った。初めて泣かずに泊まりに行った日だった。しかも、一泊の予定だったけど、次の日に電話が入り、「ぼくもうちょっと頑張れるから、ママお休みしてていいよ」とさらにもう一泊してきてくれたんだ。そんなとき、もうたまらなくなって癒しの子育てのMさんに救いを求めて電話をかけた。Mさんは電話で少し話しただけで、すぐに聞いてきた。「ねぇ、泊ってきてねってお願いしたとき、 坊くんだけじゃなくて、ちゃんと嬢ちゃんにも話したの?」はっとした。いつも坊にはきちんと説明したりお願いしたりしているけれどお嬢は、じじばばに対しても泣いたり困らせたりすることが無いものだからお嬢にはきちんと話していなかったんだ。「嬢ちゃん、お兄ちゃんみたいにママのこと助けたいってすごく思っているのに だからいつも黙って頑張っているのに、 ママが何かをお願いしたり助けを求めたりするのはお兄ちゃんだけで、 自分だってお兄ちゃんみたいに頑張りたい、頼られたいって思って お兄ちゃんへのあこがれがあると思うよ。 お兄ちゃんのものばかり落書きするのは、やきもちばかりじゃないと思うよ」「最近オムツに戻したとき、嫌がらなかった? おもらししたときが唯一ママに関心を持ってもらえるチャンスなんだから、 それを奪われちゃったらすごくつらかったんじゃないかな」おおまかには、Mさんの話はその2点だった。実際ね、振り返ってみると、お嬢の落書きが一層ひどくなったのは、オムツに戻してからだったんだ!考えれば考えるほど思い当たることがたくさん出てきてびっくり仰天。実家へチビたちを迎えに行った帰り道、ずっとチビたちと話したよ。お嬢にも、いっぱい話した。「お嬢もたくさん助けてくれてたんだね。いつも黙って頑張ってくれてたんだね。 ママずーっと気づいてなくてごめんね。いつもいつも助けてくれてありがとう」その日帰ってから、お嬢に「もうオムツじゃなくていいよ。パンツをはいていていいよ」と言った。「おしっこ出ちゃったら、ママと一緒に変えようね」。それなのになんと、お嬢は、自分からオムツを出してきてはくようになった(!!)。ママが分かってくれたからもういいんだ、と言わんばかり。それからね。坊のノートへの落書きが、ぴたりと止んだよ。もう落書きという自己主張は必要なくなったんだ。彼女には。それから、数か月。相変わらず、オムツをはずせないまま過ごしていたよ。それが、ここ数週間のこと。あるとき、トイレでおしっこができたときがあって「わぁ、偉かったね。チューしちゃおう」と私がお嬢にチューしたことがあった。「これからトイレでおしっこできたらチューしちゃおうかな」と。それから突然、お嬢はおしっこを言うようになったんだ!ホントにたまにうっかりすることもあるけれど、相変わらず自分からオムツをはいてくれたりするのに「ママ、おしっこ出ちゃう!早く、早く」と呼びに来る。そして、便座に座っておしっこが出ると「おしっこできたから、チューしてよ」と(笑)。この前は私がトイレに行ってる間にやってきて、「ママ、おしっこできた?じゃあママにもチューしてあげる」とチュー。そして、坊までが「ぼく今からトイレ行ってくるからさ、戻ってきたらチューしてね」と毎回毎回宣言してトイレへ行く。あっさりとお嬢はトイレトレーニングを終了し、我が家ではトイレ後のチューが流行中。もちろん、パパもトイレ後のチューに参加しているよ。ひげを剃ったほうが坊もお嬢ももっと喜ぶと思うんだけどね(笑)。Mさんに報告すると、「どうして嬢ちゃんはおもらししてたのか、思い返してみてね。 どうしてトイレに行くようになったと思う? おもらしするのが唯一の甘える手段だったんだもんね、今までは」という答え。そうなんだよね。おもらしすれば、私がどんなに忙しいときでも飛んできてくれる。お嬢の唯一の甘え方がおもらしだったんだ、今までは。でも、トイレでおしっこできたら、チューしてもらえる。おもらしして叱られるような下手な甘え方よりももっと素敵で楽しい方法ができたから、お嬢はあっさり甘え方を切り替えたんだよ。こどもって、すごいよね。おもらしひとつでも、落書きひとつでも、こんな理由があったんだ。
2008.01.31
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やっほぅ。浦島太郎です。すっかりIDも忘れてずっとログインもできずにおりました。さてさて、ご報告ですが、この4月から、我が家のチビたちは保育園をかわることになりました。理由は、ただひとつ。今の保育園では行事が多すぎて、「特訓」ばかりだから。運動会では鼓笛のカラーガード、ピアニカ、保育祭では劇と合唱とピアニカと太鼓、年長になればこれにさらに水泳教室と機会体操まで加わる。引っ越してきたばかりで何も知らずに入園させてしまったとはいえ、なっちの最大の失敗だった。坊は運動会当日に緊張の糸がぷつりと切れてしまったようで鼓笛隊がまさに始まるそのとき、トラブルを起こして泣きだし、何もしないまま途中退場してそのまま放りっぱなしにされ、運動会途中で帰ってきたのだ。坊は担任の先生のひとりをとても大好きで、それでも行事が近付くとその先生ですら焦ってぴりぴりしている様子。運動会後、チビたちと長い時間をかけて相談した。今の先生やお友達と会えなくなるけど、それでも違う保育園へ変わりたいか?それとも、今の保育園に通い続けるか?旦那は、環境が変わることや、新しい保育園の準備で私が大変だろうと心配し賛成はしていなかった。「ぼく、(今の)保育園行きたくない。」「違う保育園に変わるの、寂しくない?どうして行きたくないと思うの?」「分からない。分からないけど、 どうしてもおなかから嫌だっていう感じが出てきちゃうんだ」渾身の回答だったように思う。下のお嬢は、こういうとき、わがままを言わずに頑張ろうとする。「お嬢、保育園変わるとさみしいよね?」「さみしいけど、違う保育園行く」兄貴思いのお嬢は、「○○したい」ではなくて、ただ、簡潔に、違う保育園に「行く」と答える。チビたちの言葉を聞いて、旦那は考えを変え始めたよ。ただ、運動会後に、今の保育園でも加配の先生を入れてくれて。「特訓」も、発達障害支援センターの指導を受けて坊だけは時々気分転換をしながらなんとか過ごしている。4月から通うことになる保育園は、派手さも売りも何にもない。だけど、私がチビたちと話を聞きに行ったとき、たくさんの子どもたちが声をかけに職員室をのぞきにきた。坊は、全部のクラスに顔を出しに走って行って、「ぼくねぇ、みつき!!」と自己紹介してまわっていて、お嬢は、年長さんの女の子たちに砂場で一緒に遊んでもらっていたな。
2008.01.31
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今朝起きたらシンクはきれいさっぱり、片付いていました。テーブルの上も、きれいに拭いてありました。昨日私たちが寝たあとで主人が仕事から帰ってきて、ご飯を済ませてから全部片付けておいてくれたのでした。朝、主人に、ごめんねと一緒にお礼を言うと「別に、俺が勝手にやったことだからさ」。私って、すごいじゃん。何がすごいって、こんな素晴らしい人をパートナーに選んでいること。それだけでも、すごいことじゃん。そう思ったら、ひとつ、元気が増えました。
2007.08.29
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4歳の長男が自分を「ノートを忘れちゃうびょうき」と知っている事実。その一言をあんなにも苦しそうにしか語れないという事実。私は何て残酷なことを彼に教えてしまったんだろう。まだ4歳だと言うのに。まだまだこんなに小さいのに。その苦しさを倍増させてしまっているのは私が自分自身のことを悩んで泣き続けたからだ。彼は私自身が自分のADHDのことを悩んでいることを感じていてだからその障害を彼自身も持っていることに恐怖を感じたのかもしれない。それよりも何より4歳の彼は、そのことで私の苦しみを増やしていると感じているのだろう。今こそ頑張れ、母ちゃんの私。今こそ人生で一番頑張るときだ。自分のために頑張るのなら限界はあるかもしれない。でも、子どもたちのために頑張るのなら、きっと母性本能に限界なんてないはずだ。今こそ一番頑張るときだ。今こそ。今こそ私が持っているはずの力を発揮するんだ。だって、こんなに素晴らしい二人の子どもを授かったのだから。私にその力が無かったら、絶対にこの子どもたちは私を選んで生まれてきたりしないはずだ。今こそ頑張れ、私。今こそ頑張れ。頑張れ。頑張れ。頑張れ。頑張れ。頑張れ。
2007.08.28
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昨日保育園から帰ってきて、大爆発のなっち。そしてその後、チビたちと3人で向き合って、話しをした。その中で、たぶんしばらくは心から消えないだろう場面があった。私がいくらイライラして怒っても、長男が自分自身を責めて自信を失わなくて済むようにという思いだけだったのに、私が彼に伝えていた事実がいかに残酷だったか。4歳の長男が泣きながらしぼり出した、一言。そのとき、私は本当に本当に後悔した。「坊、坊はママとおんなじなの、分かるかな」と言ったとき彼は、両目にいっぱい涙をためて、とたんにしゃくりあげながら、苦しそうに「あのねぇ、ノートをわすれちゃう、びょうき」それだけ言って、ごめんなさいーーーーーと叫びながら、私の膝に泣き崩れた。そして、2歳の妹は、一緒に泣きながら抱きついてきた。神様、どうか、この子たちが一人でも多くの人に、たくさんたくさん愛されますように。私がこのさき誰かからもらう分の愛情もすべて、この子たちに届けてやってください。
2007.08.28
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先週、どぼんと頭の先まで苦しい波につかってあっぷあっぷしていたよ。薬が変わってから一ヶ月。みるみるうちに我が家はゴミ屋敷へと変化していった(笑)。ただでさえ、ちょっと気を抜くと生活を立て直すのに数日かかっていたのに薬が変わってからは、生活空間がどんどん減っていってしまいには食事を作るだけのスペースもなくなってしまった。…いやいや、前から、食事を作るスペースをまず確保してから炊事に取り掛かかってたんだけどあまりの惨状に、スペースを確保することすら難しいほど台所は洗い物とゴミとどう判別していいのか分からないモノであふれかえってしまっていたのだ~。しかも、お盆には2泊3日でじじばばと一緒に旅行があったために帰ってきてからはその荷物も片付けられず、洗濯物はお盆以降洗うだけは洗えても一度もたたむという行為ができず長男の20枚以上あるパンツですらすべて行方不明(笑)。こんな状態で保育園が始まったから毎朝、何十分もモノを探し回ってなかなか出発できない。一番多い日は、40分もいろんなものを探し回っていた。その日はさすがに保育園についたときには泣き崩れ、そして先週を通してたった一度しか夕飯が作れなかった。そんな状態だったから、先週は休みの日はほとんどあちこちに問い合わせて成人のADHDを診察してくれる病院を探して過ごしたよ。それがどこもかしこも断られて、毎日毎日泣いてばかりだった。長男が私と同じADHDの診断を受けて2ヶ月。私は、自分と同じ道を歩いていくことになるかもしれない恐怖を、先週になって初めて心のそこから感じたんだ。私が長男と同じ気持ちを理解できるのだから、私と同じだけの苦しみ方はせずにすむだろう、と楽観的に構えていたのに。薬を変えられてから、それまでかろうじて回っていた生活自体が破綻をきたして子どもの持ち物を毎朝何十分も探し回ってしかも食事も作れないとなったら経済的な負担も一気にのしかかってきた。そして、主人は私を助けようと、毎日くたくたになって帰ってきてからシンクの洗い物を手伝ってくれたり子どもの準備を手伝ってくれたり食事を買いに行ってくれたりして(その上、私に文句も言わず、「ゆっくり休んでいいんだよ」と声をかけてくれながら)水曜以降、何度起こしても起き上がれないくらい疲れ果ててた。親の私たちや保育園で長男のADHDをサポートするようにアドバイスを受けてきていたけれどそのためだったらどんなにだって努力は惜しまないけど私にはサポートする「能力」が、決定的に欠けている。だって、長男がモノをなくしてしまったり準備できなかったりするのにそれ以前に、私が長男の大切なものを次から次へと失くしてしまう。長男に保育園の準備をさせるより先に、長男のかばんを私がふとどこかへ置いてしまって探し回る破目になる。そして、やっとこさできたと思ったところで長男が失敗をすれば私自身の混乱も頂点に達して怒鳴り散らすことになる。それを、特にこの一週間は痛感させられてしまった。今日、やっと電話で断られずに済んだ病院を見つけて1%だけの可能性(現状の私にとっては)にすがって泣いて帰ってくるのを覚悟で、行ってみた。「あれあれ、それは大変だったね」「めずらしいくらい典型的なADHDだねぇ」「一緒に頑張っていこうね」先生の返事で覚えているのは、ほとんどこれだけ。あっけらかんと、しかも力強く、明るく。「いまはね、ADHDだとリタリンなんかも処方が難しいから、 適当に病名つけておくけど、いい?」と聞かれて、即座に「毎日の生活さえなんとか回していければ、 病名なんかどうでも構いません」と答えた。いままでも、問い合わせた病院のほとんどでさんざん「リタリン中毒」のことは聞かされてきた。だから、今までずっと、行事があるときや大変なとき以外はまったく飲まないか、一回だけ飲む程度でなんとか生活を回してた。今日行った病院で、先生は、まずは私の言うことを信じてくれた。大きくうなずきながら、「そりゃ大変だよね」と共感してくれた。それが、一番大きかったよ。帰り道は、気持ちがものすごく軽かった。行きの道中は、自分が存在していることすら不思議に思ったくらいだったのにね。何への感謝かよく自分でも分からないけどただただ、ありがとう、と思った。先生への感謝でもあるしこの病院を教えてくれたセンターの人への感謝でもあるしこの一週間を支えてくれた主人への感謝でもあるし園で泣き出してしまった私に2時間もつきあってくれた園長先生への感謝でもあるし短い時間でも話を聞いてくれたMさんへの感謝でもあるしメールで共感してくれた友人への感謝でもあるしそういうものをすべて与えてくれた神様への感謝でもあるしただただ、ありがとう、って思ったよ。本当に、ありがとう。ありがとう。ありがとう。
2007.08.27
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さぁ、今日も一日が始まります。朝起きたら、昨日の疲れもぜーんぶ雨が洗い流してくれました。子育てに奮闘するママたちみんな発達障害に関わるすべての人たちそれらを取り囲むたくさんの人たちそして毎日パワーを振りまいてくれる世界中の子どもたちすべての人たちに幸せな一日でありますように!!
2007.08.02
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一ヶ月ぶり!ご無沙汰しております!!またまたチビ二人とも、手足口病やら夏風邪やらでお休み続きでした♪しかも、旦那さんも、しばらく会社が休みになっていました。久しぶりに一人で家で過ごす今日一日です。先日、上の坊、発達障害の検査に行ってまいりました。ほぼきっかり3時間、いろんな検査をしてきて、得意不得意の細かな結果は8月中旬に出るそうです。が、すでにこの検査の日にほぼADHDで間違いなさそうなことを言われてきた。まぁ、同じADHDの私から見て間違いないだろうなぁと思っていたから驚きもショックも不安もなーんもなくて、ただただ、ほーーーーーーーーっっとして帰ってきた。保育園でどうしても感情が抑えられなくてお友だちに手を出してしまうこと、坊自身がそれを悪いことだと分かっていて悩んでいたのも知ってた。朝の準備がいつも行き当たりばったりで私に叱られてそれでも何をしてよいのか分からず途方に暮れていたのも知っていた。片づけを頑張ろうと動き回るのに必ずいつもめちゃくちゃになってそれでも努力しようとしてたのも知ってた。坊は、いつだって適当に行動していたわけじゃない。一生懸命やろうという気持ちはあるのに、思考がいつも中断されてついてきてくれないだけなんだ。私も小さい頃からそのことでよく叱られ続けてきたから坊を見ていてその気持ちはよく分かった。だから、「ADHD」だって分かれば坊が一生懸命やっていることを堂々と認めてあげられるしそれでもできない悔しさが存在することも理解できる。きちんとした診断を受ければ、これから保育園や学校の先生たちにも協力をお願いできるし少なくとも多少は誤解を受けないで済むだろうと思う。以前、私が話をさせていただいた講演会の感想で「ADHDって生きにくいプレゼントですよね」と書いてくださった方がいたんだ。でもね、私にとってのADHDは、ちょっと違う。神様がくれた、大切な大切な宝物。だから、坊にとっても「ADHD」がいつか宝物になるように、そしてお嬢にとっても「ADHDを理解できること」が宝物になるようにチビたちとずっと寄り添っていきたいな。
2007.07.27
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いっときお掃除疲れで放り投げていたなっちです。最近のなっちの大活躍アイテムは、アクリルたわし!!(すでに流行がすたれている…)この間、知り合いにもらったアクリルたわしがそのまま置いてあったので通販で買った洗剤を取り出してきて掃除する余裕も無くてふと思い立ってそのアクリルたわしでシンクを磨いてみた。うぉーーーー!!ピカピカ↑携帯で撮影したので分かりにくいですが 実は水垢が全部落ちて、水が落ちるとはじいています。 蛇口が、シンクの下に映ってるくらいなのよ! 蛇口にも、顔が映ります。それまでもちょくちょく、沖幸子流のタオル磨きをしてたけどここしばらくはずっとサボり気味でシンクには水垢が目立つようになってきていたのだ。で、アクリルたわしでこすってみたら…最初はこすっていてひっかかるような抵抗感があったんだけど、そのうち抵抗がなくなってきて、ぴかぴかに!そのあとで乾拭きしたら、上の写真のようになりましたとさ。これで味をしめて、洗面所もタオルで拭く前にアクリルたわしで全体をさっとこするようになりました。今、自分でもいくつか編んでる途中。キッチンの小物も、アクリルたわしでからぶきしたらピッカピカになったんだもん~!!アクリルたわしならメラミンスポンジみたいに減らないし結構あなどってたぞ。…とはいえ、なっちは今のところまだ食器洗いやフライパン洗いには使用していません。どうしても食器やフライパンを洗ったあとのアクリルたわしの汚れが気になっちゃうんだよな…。でも、シンク、鏡、窓ガラス、小物、風呂洗い、洗面所、その他のからぶき…等々にしばらくアクリルたわしで挑んでみます!……今回はこんなくだらない日記となりました(笑)……
2007.06.25
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皆様、本当にたまにしか更新しなくてすみません。チビたちが落ち着いたので、その分のフォローもあって、立て続けに仕事に出てました。実は、日記にも書いてた、坊がいろいろあってちょっとめげてた時期。そのときに、「もしやこれはADHDが絶好調なのかしら???!」ということがいくつかありました。坊ではなくて、なっち自身のほうのADHD。坊のことでまだまだ何が起こっているのか分からなくて頭が混乱してた状態だったとき、(まだMさんや先生たちと話をする前の、一人で混乱してた時期)坊とお嬢の保育園のおたよりを確認しようと思ったら「全然文章が読めない!!」紙の上で、イラストや文字が飛び跳ねているようにしか見えない。読もうと思っても、文字が文字として頭に入らない。声を出して読んでみたけどまるで外国語を読んでいるような感覚。仕方ないので、私が一番仲良くしてもらっているお母さんに電話して持ち物とそれを持って行く日などを教えてもらった。それから、進級時の写真が貼り出されそれを注文するために注文表を書き込んだはいいのだけれど1枚50円の写真を4枚頼もうと思ったら「まったく計算ができない!!!」ええと…50円で、4枚だから、…。えっと…。4×5、いや違う、50×4…?すでに、計算式すらまともに頭に浮かばない。園のホールでの出来事だったから、その場で料金を書き込まないといけないのにどうしても「50円×4枚」のこの簡単な計算ができない。幸いこのときも、上に書いた、私のことをよく知っているお母さんがその場にいたのでこっそり「これって、いくらになる?」と聞いて、200円だと教えてもらった。他のお母さんが相手だったら、恥ずかしくてとても聞けなかった。さらに、再び遠足についての詳細のお知らせ。このお知らせもまったく頭に入らなかったので伸ばし伸ばしにしていたけど遠足前日はさすがに気合を入れて読もうと思ったんだが「やっぱり文章の意味が分からない!!!」このときは背に腹は代えられず、園長先生に電話をしていろいろと聞いた。当然のことながら、遠足のお弁当用に買った食材は恐ろしい量に。スーパーの宅配と生協で同じモノをいくつも買ってしまっていてその上、近くのジャスコでまた同じモノを買ってきていた。たまごは全部で4パック、トマトとプチトマトで4パック、から揚げの素が3袋、鶏肉3パック、きゅうりやブロッコリーもものすごい数に。冷凍庫にも入りきらないので、遠足後、いくつも腐らせて捨ててしまった。…ってな具合に、さまざまなストレスが重なっているときにはリタリンすらも効果を発せずADHDちゃんは大活躍してくれたのでした(笑)。きっと、ADHDやその他の発達障害を抱えている子どもたちにはなっちのような大人よりもはるかにストレスや悩みがその症状に拍車をかける状態が起こるだろうと思ったのでそれを知ってもらいたくて今日の日記を書きました。私本人は、自分のこの状態をどう考えているかって?お知らせの内容がさっぱり分からないことには驚いたけど周りのお母さんや園長先生が助けてくれてなーんて私って恵まれてるのかしらん♪こんな状態でも、遠足のお弁当はちゃんと作れて忘れ物もしないで済んだなんてなっちってADHDなのにすごく頑張れたじゃん♪…と、こんな具合に、自分をますます大好きになっちゃったのでした(笑)。このくらい図太くなってこられた私って、素晴らしいわぁ~。何ができなかったか、じゃないもんね!どれだけ頑張れたか、どれだけ幸せを見つけられたか、どれだけ楽しめたかが大事なのよ!みなの衆!!
2007.06.17
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そして、この休んだ2日間の間に、もうひとつ事件があった。こっちはなっち単独の大失敗。なんと、知り合いの家に大きなビンの梅酒を届けようとして車の中でその梅酒入りの大ビン(抱えるほどの)を割ってしまったのだ!!座席とスライドドアの間に挟まったビンの大きなかけらを取り出そうとして左手3箇所を切って、流血。前の座席でそれを見ていた坊が、全然自分が悪いわけじゃないのに「ママが手を切っちゃったぁ!!ごめんなさい~!ママごめんなさい~!!」と大パニックを起こして、近所の人が何事かと外へ出てくるほどの騒ぎになってしまった。「坊のせいじゃないよ、ママも大丈夫だよ」と何度言っても坊には聞こえない。ひたすら「ごめんなさい~!ごめんなさい~!ママが怪我しちゃった~!!」と近所じゅうに響き渡るような声で泣き続けていた。私もそのときはとにかくかけらが危ないし、梅酒で車がとんでもないことになったし何より自分の下半身全体に梅酒をかぶって着替えないといけなかったから近所の人に坊とお嬢を見てもらってなんとかかんとか片付けた。その日の夜、私が自分の手の傷のバンドエイドをはりかえていたら坊が「ママ、どこ怪我しちゃったの?かわいそう」と覗きにきた。「びっくりさせちゃってごめんね。ママ大失敗だったね」と笑って言うと「それでもいいんだよ。ママはおりこうさんなんだから」。自分もめげていて休んでいるときなのに、坊のこの優しさに感動した。「ホント?ありがとう。でも今日はママがパパにごめんなさいしないとね」と言ったら「いいよ、いいよ。 ぼくがパパに謝ってあげるから、ママは謝らんでもいいんだよ」。いつもいつも「余計なことばっかりして!!!」と怒鳴りまくっている私に対して坊はただただ優しい言葉をかけつづけてくれた。あとから気付いたんだけど坊が体操教室で叱られて泣いていた前日の夜、「先生に『よく頑張ったね』って言って欲しかったね」と言ったら坊は「ちがう」。「『(体操が)よくできたね』って言って欲しかった?」と言ったらそれも「ちがう」。「坊は、先生になんて言って欲しかったの?」と聞いたら「ぼくは先生に『おりこうさん』って言って欲しかったんだ」と答えていたんだ。だから、この大失敗の日、坊が私に言ってくれたのは「ママはおりこうさんなんだから」。自分が一番言って欲しかった言葉を、私にプレゼントしてくれたんだ。旦那さんが帰ってきたのは坊が寝てしまったあとだったけれど旦那さんにこの日の一部始終を報告すると旦那さんは私に怒るよりも、坊のその優しさに喜んで、「すごいヤツだなぁ、坊は」と。私たち大人が持っていない大きな大きな愛情が坊の中にはあふれんばかりに詰まっているんだね。夜、ベッドへ戻ったら坊とお嬢はべったりくっついて同じ顔で眠ってた。お嬢の中には、一体どんな素敵なものが詰まっているんだろう。坊のためにずっと黙って頑張っていたお嬢にもやっぱり私たちの想像もつかないような愛情があふれているんだろうな。きっとこの日、私が怪我をして坊はパニックになって一緒にいたお嬢だって本当は泣きたいくらい不安になっていたに違いないのに。次は、お嬢の番だからね。しっかり甘えてきていいんだからね。
2007.06.01
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上の坊、かなりめげてました。当然、なっちもめげてました。坊は数日間喧嘩続きで、車にまで石で落書きを。本人に聞くと「だって、アンパンマンを描こうと思って…」(笑)。その次保育園に行った時は、よそのお母さんから「坊くん、体操教室で先生に気の毒なくらい怒られてて…」と教えてもらった。その日、坊に何気なく「保育園楽しかった?」と聞いたら「僕が悪い子だから、○○先生も○○先生も僕のこと嫌いなんだ」と言う。すぐそのあとに親子遠足があったので、行こうかどうしようかと当日の朝までずっと迷い続けてた。結局、夜勤明けの旦那さんも一緒に、家族全員で参加したけれど。遠足の数日前に、いつもお世話になっているMさんに、相談した。夜中過ぎまで辛抱強く話を聞いてくれたMさんは、「ずっと話を聞いているとね、坊くんに問題があるわけじゃないと思うよ」と。体操教室のことや、日々の生活のこと、さまざまな面で「坊くんはすごく繊細だと思うんだ。 だから大人の目から見ているイメージとは逆に、 ホントはいろんなことに一生懸命アンテナを張り続けていて それで息切れしちゃうんじゃないかな」そして、「子どものことを好きなフリしてる大人もいっぱいいるからね」とも。最後のこの言葉に関しては、このときは意味がよく分からなかったけど。恐るべし、まったくすべての面において、ドンピシャだったんだ。遠足で一日坊を観察していると、まさしく坊ははちゃめちゃなようでいて実はかなり繊細にアンテナを張り巡らしている。お友達とお菓子を交換すれば、相手の子は天真爛漫に食べているのに坊はきちんと「○○くん、ありがとう」と伝えてからしか手をつけない。通路で遊んではいけないと言われていたから、他の子に注意をしてそれで喧嘩になってしまう。帰り際に少し集合時間に遅れて(坊のせいじゃなかったんだけど)旦那さんが何気なく「先生にごめんなさいしないとね」と言ったらそれをしっかり覚えていて、ずいぶん歩いてやっとバスに乗り込んだとき先生に第一声、「○○先生、ぼく遅れちゃってごめんなさい」と言う。それで気がついたんだけど、日々の生活の中でも「○○って言おうね」と私たちが何気なく言う言葉を1時間後だろうが2時間後だろうが、いつも坊は必ず守っていたんだ。…ああ、実は坊はそういうひとつひとつを几帳面にこなそうと気を張り詰めていてそれでときどき息切れしちゃうんだなぁ、とやっと気がついた。そして、その週明けの体操教室も初めてゆっくり見学させてもらうと。その日、坊は床で激しく顔をぶつけていっとき激しく泣いた。先生に何度も「泣いてばかりいる子は赤ちゃんのクラスで修行してこい」と言われぐっと我慢して泣き止んだけれどその後も忘れた頃にまた3度ほど同じ事を言われて、黙って坊は首を振っていた。そして同じ体操をもう一度やったとき、「先生、ぼく今度はぶつけなかったよ!」と言うとそれに関しては先生はさらっと流してしまった。そのあとにも、坊の隣の子が前の女の子をつっついていて前の女の子が勘違いして「坊くん、やめてよ」と何度か言っていることに先生が気付き「おい、坊がやってるんじゃないぞ」とその女の子に伝えてくれたけど「坊、お前はいつもいらんことするから勘違いされるんだぞ」と。始終先生は冗談交じりな雰囲気で言葉を投げかけるから見学している大人は笑うんだけど坊本人は、結局一度もねぎらいや認めてもらえる言葉をかけてもらえず注目されるのは注意されるときだけ。しかもしつこく言われる。その日、帰ってきてから、私に叱られたわけでもないのに坊は何時間も「ごめんなさい~!!」と泣き続けた。前にMさんに「体と同じで、心にもお休みが必要だからね」と言われたことがあって今はまさしくそのときだなぁって思ったから坊に聞いて、2日間保育園を休ませた。休んだ1日目の夜に担任の先生が電話をくれて、じっくりと話をした。次の日も休みたいと言ったから休んだけど、下のお嬢を送っていったときに先生が坊をぎゅーっと抱きしめてくれて。そのあと家に帰ったら「ぼく、明日保育園行くよ」と。家でのんびり過ごして、私ともたくさん「ぎゅー」をして過ごして、そしてさらに先生にも「ぎゅー」ってしてもらったことで、坊はかなり充電を完了したみたい。坊がさまざまなSOSを発してくれたことで、坊のことがよく分かった。たぶん私ひとりじゃ気付かなかっただろうけどMさんのアドバイスと、Mさんの「坊くんに原因があるわけじゃないと思うよ」という言葉の力強さ。だって、いつもわんぱくな坊を見ているなっちはどうしても自分の育て方のせいとか、ADHDのこととか、何もかもを自分たちのせいだと思いつめていたんだもの。目を曇らせずに坊のことを見られたのは、坊を信じてくれている人がいたおかげだったんだよ。いつも自分で「ぼくは悪い子だから」というくらい自分に自信をなくしていた坊に坊を信じている私たちが存在できたことで2日間という短い期間でもある程度の充電ができたんだと思う。そういうときに先生にも「ぎゅー」ってしてもらえてきっと坊は100%まではいかなくても「ぼくにも愛される資格があるんだ」って思えたんじゃないかな。本当に、なんて素敵な2日間を過ごしたんだろうって思って子育てってこんなにすごいことなんだなって思っちゃった。坊が「休みたい」「おうちにいたい」と言ってくれたとき、私のいるこの場所を求めてくれていることが、とても嬉しかったよ。ありがとうね、坊。それに、その間頑張ってくれたお嬢、ママを助けてくれてありがとうね。
2007.06.01
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ちょっと休みたいときがある。それでも毎日をこなさなきゃいけない。そうかぁ、今の時代って「休憩」がなかなか無いんだね。休み時間 とか 昼休み とか 週末 とか 夏休み とかそういう名前の時間はあるけど休んで憩う なんて時間はなかなか無いんだよねぇ。休みの時間と憩う時間、作らないとね。特に、子どもたちに。
2007.05.23
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