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2010年06月05日
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 あかねは友雅の涙が気になって仕方なかった。
 友雅が泣くことなどないと思っていた。そもそも、大人の男が泣くところを見たことがなかった。あかねの父も、周りの大人も、あかねに涙を見せたことなど一度もなかったから。

(何があったんだろう……。)

 ただごとではない。堪えても涙が溢れるほどのできごとが、心のかけらと一緒に友雅に戻ってきたのだろう。自分のためになくした物を取り戻そうと、そのためだけに心のかけらを探していたのだが、もし、友雅にとって忘れていた方が幸せなことなのだったら……。
 誘われて出かけた散策だった。新緑の東山は風も心地よく、のどかな景色は友雅の言う「息抜き」にぴったりの場所だったが、戻り道のあかねの心は重かった。友雅は何事もなかったかのように御簾の外に目をやり、扇を鳴らしながら催馬楽を口ずさんでいる。その姿も、何かをごまかしているように思えて、あかねにはつらかった。
 ふと、友雅の顔がこちらを向いた。あかねは慌てて憂い顔を引っ込めた。が、牛車の暗がりでも、友雅の目の方が一瞬早かった。

「疲れたかい? すまなかったね。少し遠出が過ぎたかな。」

 あかねは大きく首を振った。特上の笑顔を作った。友雅を心配させてはいけないが、友雅を心配していることも知られたくなかった。 

「本当かい? 何だか気分が沈んでいるように見えるよ、神子殿。」

「そう。では、その顔は、恋をしている顔、なのかな?」
「な……!」

 あかねはぱっと顔を隠した。みるみる頬が熱くなり、耳まで火照ってくるのがわかる。
 友雅はふ…と微笑んだ。がたがたと揺れる牛車で移動するのも友雅には慣れた技、あかねがとびすさるより早くそばに寄り、膝の上にあかねを据えてしまった。

「と、友雅さん……!?」
「そんなにつれなくするものではないよ。慣れないうちは牛車の揺れに体を取られて気分が悪くなるものだ。私に寄りかかっておいで。」

 確かに、友雅に抱えられていると安定して、座った膝ががたがたと床に当たることもないから安心して乗っていられる。
 友雅の鼓動が、背中から伝わる。大きな広袖に隠れた指先が、そっとあかねの頬に触れた。友雅の吐息がふっと耳たぶをかすめる。あかねの鼓動が早くなった。

「瞳が潤んでいるよ、神子殿……」

 どういうつもりかと身を固くするあかねの耳に、くつくつと笑う声が響く。

「からかってるんですか!?」

「当たり前です! 私が、こんなに心配してるのに!」
「おや、誰の?」
「友雅さんに、決まってるでしょう!」

 言ってしまってから、あかねははっとして口を噤んだ。友雅は一瞬「意外だ」という表情を見せたが、すぐにいつもの余裕のある笑顔に戻った。

「光栄だね、神子殿に心配していただけるとは。私のどこが、そんなに心配になったんだい?」

「泣いた? 私が?」
「……随心院で。」

 ああ、と友雅は手を振り仰いだ。

「そんなつもりはなかったのだがねえ……私としたことが、不覚だったな。」
「何があったんですか? よければ、話してください。」
「……神子殿に聞かせる話ではないよ。」

 困ったような寂しげな笑顔。あかねは、同じ顔をどこかで見たと思った。

(嵯峨の野宮でも、確か……)

 過去を話したがらない友雅だった。土御門の女房たちの噂話の種にならない日はない友雅だったが、過去のことは誰もよく知らなかった。友雅しか知らない、ひた隠しにされている過去。浮き名を流す以前かその中に、よほどつらく苦しい想い出があるのだろう。そしてそれは、心のかけらと一緒にあるいはそのものとして、友雅の心から消えていたのだろう……。

「ごめんなさい……。」
「どうして謝るの。」
「私が心のかけらなんか集めたりしなければ……。」
「それは違うよ、神子殿。」

 友雅の大きな手が、あかねの頭を撫でた。一粒溢れた涙を指先が拭った。

「こんな大事なものを、私は忘れていた。思い出させてくれたのは君だよ、神子殿。君が心のかけらを集めてくれたおかげだ。」
「大事な……もの?」
「そう。人が人として生きていくにはきっと、ね。」

 もうすぐ着くよと、友雅は手近な御簾を少し上げて外を見せた。空はあかねと同じ名の色に染まり、西の空低く大きな一番星が輝いていた。

「神子殿、もし許してくれるなら……」

 友雅は何か言いかけて口を閉じた。あかねが不思議そうな顔を向けると、ふふと笑った。

「いや、やめておこう。まだ時が来ていない。気にしないでくれまいか。君の大事の前に口にすることではないからね。」

 友雅の言葉の意味を考えているうちに、車は土御門の車宿りに引き入れられた。「神子様!」と出迎える藤姫の声が聞こえた。





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最終更新日  2010年06月05日 21時41分13秒
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