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2023.11.29
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カテゴリ: 神社仏閣・御朱印
金神社。
名鉄岐阜駅から徒歩10分程の市中心部にある神社で、成務天皇5年(135)創建と伝えられ、美濃国神明帳の厚見郡座18社に正三位金大神と記される古社。
社名が示すとおり、金運や財運に御利益があるとされ、社頭にはそれを象徴するように金色に輝く鳥居で知られる神社。

この日は名古屋から小一時間ほど電車に揺られ、岐阜市金(こがね)公園で催されていた岐阜・秋酒祭を訪れた。

その会場の北側に隣接して鎮座するのが今回の金(こがね)神社。
金色の鳥居は秋葉山本宮秋葉神社の上社依頼久し振りにお目にかかる。

金神社は古来より産業繁栄、開運招福、金運アップ・商売繫盛の御神徳が得られるとして人々から崇敬されてきた。
この鳥居が金色に塗られたのは平成27年(2015)と比較的最近の事、こちらの御朱印も金色のド派手なもので絵馬もお守りも金色、金色に拘りをもっているようだ。

社殿は南向きに鎮座し、右側に手水舎と脇参道を構えている。

やはりこうくるかぁ。

社殿全景、左手に社務所、中央が金神社社殿、右が金祥稲荷神社で、その右脇に社殿後方の境内社に繋がる参道があります。
社殿は元和3年建替えを受けるなど幾度となく再建を繰り返し、明治24年(1891)の濃尾地震で被災焼失し4年後に再建されました。

現在の社殿は昭和63年(1988)に再建されたもの。

拝殿前を守護する銅製狛犬、ここも金色でいってほしい。
寄進年は見なかったが頭部が小さく凛々しい姿の狛犬。

拝殿唐破風向拝。
朱塗りに金色の飾り金具が金神社らしいか。
岐阜県神社庁の金神社の紹介は以下のようなもの。
「当神社は古来殖産興業、財宝主宰、金運招福の御神徳あらたかな神として、篤い信仰を集めている美濃国屈指の名社である。
御鎮座の年代は遠く上代に在って、成務天皇の御代(西暦135)、物部臣賀夫良命が国造としてこの地に赴任され、国府をこの高台に定められ、篤く金大神を尊崇されたと伝えられている。
境内の東北の隅に命を祀る古墳「賀夫良城₍かぶらぎ₎」があり、近くに「蕪城町」という町名が存するのも之に由来するものと思われる。
当神社の主祭神 渟熨斗姫命は、景行天皇の第六皇女、伊奈波神社の祭神 五十瓊敷入彦命の妃である。
後の世の人々の心の支えとなり、慕い仰がれ、やがてはそれが、人々に財をもたらす御神徳を有する神として尊崇されるようになった。

明治36年より数年の歳月をもって本殿、祭文殿を始め諸建物を造営したが、昭和20年7月9日岐阜市空襲により烏有に帰した。
昭和33年に至りて漸く一応の復興は出来たものの、時局財政困難な状況下での造営であったため、建築資材等も思うにまかせず、又その規模も小さく、年を逐って老朽化が進んで来た。
昭和58年に造営奉賛会を結成し、会員、氏子崇敬者の協賛により、昭和63年3月金神社有史以来の大造営をみたのである。」
尚、それ以降も平成に入り修復の手が入れられています。
往時の社殿の様子を見たかったが、金神社の絵図は見つからなかった。



拝殿額、神紋は五七の桐。

主祭神は渟熨斗姫命。
伊奈波神社の縁起によれば、五十瓊敷入彦命は朝廷の詔を受け奥州を平定しましたが、その成功を妬んだ陸奥守豊益により謀反の心ありと朝廷に報告され、朝敵とみなされこの地で討滅されました。
夫の死を聞いた渟熨斗姫命は都から夫を慕いこの地に訪れ、夫の御霊を慰めつつ生涯を終えたという。
その間の命は地域住民を母の如く労り、私財を投じて町を開拓し農業、産業の発展に寄与し岐阜の街の基盤となった。その功績を慕う人々により、財をもたらす金大神としてここに祀り崇めた。

金祥稲荷神社拝殿。
金神社の拝殿と金祥稲荷神社拝殿は翼廊で繋がり、後方で透塀と繋がり本殿域を囲っている。

金神社と比較すると金の飾り金具は控え目な印象。

拝殿から本殿方向の眺め。
金祥稲荷神社の創建等詳細は不明。
金祥稲荷神社は古来金運と商売繁盛の霊験あらたかな神様で講員のみならず広く崇敬されており、金祥とは財宝(お金)を生み給うて、その御恵を与え下さることを祥ぶ(よろこぶ)という意味だという。
財をもたらす金大神と金運と商売繁盛をもたらす金祥稲荷、双方を参拝すれば金運に恵まれない事はなさそうだ。

金祥稲荷神社右の鳥居から境内社へ。

参道正面に祀られているのは賀夫良城社。
右に「史蹟 賀夫良城」の石標がある。
「史跡 賀夫良城(かぶらぎ)
物部賀臣夫良(もののべのおみかぶら)命の奥都城(墓)と伝えられている。
命は物部頭十千根命(もののべとちね)の嫡孫で、今を去る凡そ1800年前成務天皇の御代はるばるこの三野後の地に国造としてこの地に赴任され、国府をこの高台に定められた。
昭和32年岐阜市史蹟に指定」

神社庁の記載にある「境内の東北の隅に命を祀る古墳「賀夫良城」があり」とあるのはここを指す様です、古墳らしさはあまり感じない。

賀夫良城神社から左の境内社。
鳥居を構えた一社と覆屋の下に五社が祀られています。

金高椅(こがねたかはし)神社
日々の生活に必要な3つの条件「衣・食・住」の中の「食」を司る神で料理を生業とする人のみならず、家庭の食事を受け持つ主婦の方々からも崇敬されている。
詳細は不明。

覆屋の五社。
右から
秋葉神社。
猿田彦神社(淳熨斗媛命がこの街を形作る際に最初に猿田彦大神を招いたとされる)
神明神社。
物部神社(物部氏祖神)。
玉姫神社(子孫繁栄・産業発展を願い招いたとされる)

本殿後方。
手前の神門の先に金祥稲荷本殿、右に5本の鰹木に外削ぎの載せ千木が付いた金神社本殿、何れも流造。
正面の拝殿は横繋がりで一体になっていますが、拝殿から先はそれぞれ拝殿、幣殿、本殿と一体になっており、上から見ると凹型になっている様に思えます。
社殿は修復を終え間もないため、塗りも建物も綺麗なものです。

境内東側の参道、鳥居は石造の明神鳥居で個人的にはこちらの方が趣があっていいように思う。
ここから境内に進むと金色の龍がいる手水舎に続きます。

金神社
創建 / 成務天皇5年(135)
祭神 / 金大神
境内社 / 金祥稲荷神社、賀夫良城社、金高椅神社、秋葉神社、猿田彦神社、神明神社、物部神社、玉姫神社
所在地 / 岐阜県岐阜市金町5-3
公共交通機関 / 名鉄名古屋駅➡名鉄岐阜駅➡北へ​ 徒歩10分 ​
参拝日 / 2023/10/28

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・​ 秋葉山本宮秋葉神社





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Last updated  2023.11.29 00:00:19
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