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2025.06.09
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カテゴリ: 神社仏閣・御朱印
五十一番札所 鶴林山 野間大坊。
前回掲載した安養院から常滑街道を北へ2分程先が五十一番札所 鶴林山 野間大坊になります。

街道沿いに「新知多四国第五十一番霊場 尾州 鶴林山 野間大坊」の石標が立てられています。
右手に見えるのは五十番札所大御堂寺の鐘楼になります。
札所としては分かれていますが、この伽藍全体が大御堂寺で、五十一番札所は大御堂寺の客殿になります。

大御堂寺は平安時代末期、平治の乱で、平清盛に敗れた「源義朝」がこの『大御堂寺』のある野間へ家臣の長田忠致を頼りやってきました。
しかしその長田忠致の裏切りに遭い、義朝はこの野間で討たれますが、その際、「我に木太刀の一本でもあればむざむざ討たれはせん」と言い残し無念の死をとげたとされます。

大御堂寺境内東側の義朝公墓には無数の木太刀が奉納されており、義朝公の首を洗ったとされる「血の池」など、ゆかりの場所が境内に残されています。
後の建久元年(1190)、頼朝は父の墓標はじめ開運延命地蔵尊、不動明王、毘沙門天を納め七堂伽藍を造営します。
その後も、豊臣秀吉、徳川家康の庇護をうけ、尾張地方屈指の護摩祈祷の寺として、観光バスで訪れるほど知られています。

入口の右手の鐘楼。
ここに吊るされる梵鐘は、鎌倉幕府第五代将軍の藤原頼嗣が寄進したもの。

上は江戸時代末期から編纂された尾張名所図会に描かれている野間大坊と大御堂寺の挿絵。
右下の寺院が前回掲載した安養院になります。
五十一番札所野間大坊は左の大坊と記されている部分にあたります。
野間大坊の納経所では、次の五十番札所の大御堂寺の納経印を併せて頂きます。

野間大坊沿革。
「676~686 天武天皇の時代に阿弥陀寺創建。
723~749 聖武天皇の時、行基菩薩が復興。
814 弘仁五年 弘法大師一千座の護摩供を修法する。
1077~1081 承暦年間に白河天皇の発願で建立し、大御堂寺と称される。
1160 平治二年一月三日、源義朝公が野間の地で暗殺される(享年38歳)。
1186 文治二年、平康頼公が大御堂寺に水田三十町を寄附し、念仏の一堂を建立し六人の僧を常住させる。
1190 建久元年、源頼朝公が七堂伽藍(塔・金堂・講堂・鐘楼・経蔵・僧房・食堂)を建立し、義朝公の墳墓・池禅尼の経塚を築く。
1250 建長二年、鎌倉将軍頼嗣公が当山に詣で梵鐘を寄附する。
1531 享緑四年十月三日、兵戦に罹り、仏体・大門を残すのみになり大伽藍はすべて焼失する。
1534 天文三年、時の住職が本堂再興勧進帳を起こす。
1583 天正十一年五月、織田信孝、当山南ノ坊で自害。
1593~1596 文禄年中、豊臣秀吉公が寺禄百九十石を寄附する。
1600 慶長五年秋、八月の役で九鬼嘉隆の兵火に拠り過半焼きつくし、僅かに七坊となる。
1611 慶長十六年四月二十三日、徳川家康公が大御堂寺に詣で寺領二百五十石を寄附。
さらに鷹狩りの免状を賜る。「野間の大坊」と命名する。水野源氏の水野家系統を住職と取り決める。
1615~1624 元和年中、徳川義直公が大御堂寺を修復する。狩野探幽作「源義朝公最後の図」「頼朝公大法会執行の図」一対を自ら絵解きとともに当寺に寄附。
1624~1643 豊臣秀吉公の「伏見桃山城」の一部を寛永年間に移築する。現在の客殿。
1754 尾張藩の尽力で宝暦四年、大御堂寺本堂再建。
1809 文化六年、知多四国霊場開創。
1929 昭和四年十月一日、昭和天皇の即位の礼の建造物を宮内省より下賜されたのが現在の悠紀殿。」

五十一番札所 鶴林山 野間大坊、客殿全景。

軒唐破風の付く切妻瓦葺の門は白漆喰の塀と客殿に繋がっています。

客殿入口の解説。
「野間大坊 客殿
豊臣秀吉公の晩年の居城『伏見桃山城』の一部を寛永年間(1624~43)に移築したもの。
愛知県重要文化財指定の客殿建築。
本尊は『開運延命地蔵菩薩』(秘仏)、仏師定朝の作。
源頼朝公が幼少のころから拝んでいた地蔵尊。
建久元年(1190)に頼朝公により当山におさめられた。
他に聖観音、阿弥陀如来、不動明王、毘沙門天、大黒天、弘法大師をおまつりしてある。
・知多四国八十八か所霊場51番札所
・尾張三十三観音霊場8番札所
・東海三十六不動21番札所
・南知多七福神めぐり2番大黒天札所 」
長い歴史を誇る野間大坊、源義朝、織田信孝、鎌田政家、水野守信など所縁の武将達の朱印もあります。
知多四国八十八か所霊場51番、尾張三十三観音霊場8番の木札と火燈窓。
客殿正面全景。
巨大な平入の寄棟造で、左側には布袋尊、中央に弘法大師、右側に本尊の開運延命地蔵尊が安置されている。



「仏師定朝作といわれています。
父源義朝公亡き後、伊豆の蛭が小島に流された頼朝の念持仏。
平清盛の継母の池禅尼より賜ったもの。
このお地蔵様を拝んで拝んで拝み抜いた頼朝公は、のちに鎌倉に幕府を開きます。
不思議なご利益があると言われ、どんな願いでも叶えてくれると信仰を集めています。」

野間大坊、大御堂寺にはこの他にも文化財に指定される尊像を安置しており、客殿では拝観料500円で拝観できます。

客殿前のお砂踏み。
こちらには本四国八十八ケ所の霊場のうち、一番から51番札所の砂が埋められています。
残りの札所は、客殿の門から大御堂寺に向かう参道脇にあります。

悠紀殿。
寄棟瓦葺の平入で、正面に破風を持つ上品な佇まいの建物。
昭和天皇即位の礼の時に、京都御所内に建てられた建物の一部を当山に御下賜され、昭和4年10月1日に移築されたもの。
何気に通り過ぎてしまい、内部には大日如来像の他、左右に曼陀羅を所蔵していたようです。

むかしより いともなだかき たいぼうに ひやくごうのひかり みるぞうれしき

第4回 歩いて巡拝知多四国 五十一番札所 鶴林山 野間大坊
宗派 / 真言宗
開基 / 白河天皇

建立 / 承暦年間
​本尊 / 開運延命地蔵尊
所在地 / 知多郡美浜町野間東畠50
参拝日 / 2025/04/19
安養院から野間大坊徒歩ルート / ​​​​​​ 安養院から北へ100㍍、約1・2分 ​​​
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Last updated  2025.06.21 18:48:11
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